同窓OB会

東京で今年初めての積雪があった今日、久しぶりに丸の内に行った。国際ビルの地下にある、大学のクラブで午後5時からの集まりだが、5分ほど遅刻したので当たりの様子を観察する暇もなく急いだが、建設中の中央郵便局の、というか日本郵政の本社ビルがほとんど完成に近づいていた。我が家の前は昨夜の雪でアイスバーン状態だったが、さすがに丸の内はきれいに除雪されているものの、道路の角の人が歩かないところにはわずかに雪が残っていた。

今日の集まりは、以前勤めていた商社で同じ大学の出身者のOB会で、毎年新年会として行われている。現役では東アジア統括として北京に駐在しているY副社長が、春節で帰国していることもあって出席していた。Y氏は以前ソウルにも駐在していたが、「韓国と違って、中国の要人と会うときには、その後ろに14億の人間がいると思うとどうしても緊張せざるを得ない。」と話していたことが印象的だった。出席したOBは約20人で、昨年よりだいぶ少なくなったが、先輩・後輩とも懐かしい顔だ。宴ののち、東京駅に向かう少し酔った目には仲通りのイルミネーションがまばゆく映った。

復活の日

今朝のニュースで興味を惹いたのは、鳥インフルエンザの病原体がほぼ解明できたものの、その段階で研究にストップがかかったというもの。なぜならば、病原体の解明によりウィルス製造のめどがついた反面、このウィルスを人工的に培養することも可能になり、その高い致死率から考えてテロに悪用される恐れがでてきたという。鳥インフルエンザに人間が感染するケースは少なく、人間同士の感染は今のところないが、何らかの原因により人間同士の感染も可能な売りするに変異する可能性があり、そうなった場合、致死率は60%に達する。1910年代に世界中で5000万人が死亡したとされるスペイン風邪の致死率は2%程度と言うから、鳥インフルエンザの致死率は驚異的なもので、これが生物化学兵器として使用された場合は大変なことになる。

このニュースに興味を覚えたのは、昔読んだ小松左京の「復活の日」を、ちょうどいま自炊本で読み返しているところだからだ。以前読んだ内容はおおかた忘れてしまっていたが、再読してみてこの作家の洞察力に改めて感心させられた。米ソ冷戦のもと、ようやく核廃絶協定が結ばれようとしている状況下、ある国際機関で厳重に管理されていた特殊な病原体が盗み出され、それを某国に運ぼうとした小型機がアルプス山中に墜落。その後原因不明のインフルエンザが世界的に流行し始める。問題の病原体はウィルスですらなく、直接核酸を破壊して人間を死に導くのだが、インフルエンザウィルスの陰に隠れて作用し、人類は南極観測隊員約1万人を除いて滅亡にいたる。小説の中で、わずかに生き残り、間もなく死を迎えようとしているラジオ講座の講師が、ほとんど聴く人も残っていないマイクに向かって、人類が到達しえたであろう知の世界をかくもみじめに崩壊させてしまったことに対する、20世紀知識人の責任と悔恨を切々と訴える場面は圧巻だ。

芥川賞

先日発表された2011年度下期の芥川賞は円城塔の「道化師の蝶」と田中慎弥の「共食い」の二作品同時受賞となったが、田中慎弥の受賞記者会見が面白い。いかにも嫌々そうに席に着き、「今の感想を」と聞かれると、「たしか、シャーリー・マクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなり、最後に受賞したときに<私がもらって当然>と言ったそうですが、まあそんな感じです。」ここで会場から拍手が湧くと、「4回も落とされたあとですから、ここで断ってやるのが礼儀かと思いますが、私は礼儀を知らないので、また断ったと聞いて気の小さい選考委員が倒れたりすると都政が混乱しますので、まあ都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやるかと。」

その都知事閣下が齢80近くになっていまだに選考委員をやっているとは知らなかったが、田中氏の発言が効いたせいか、選考委員を降りた。「若い人に期待してきたけど、もうちょっと自分の人生、文学にとって刺激を受けたい。若い人に足をさらわれるな、と緊張感を覚えさせてくれている作品がない。」なんてのたまわっているそうだが、若い人たちは別に80歳の老人の人生や文学に刺激を与えるために小説を書いているわけではない。こうした人が今まで選考委員をやってきたことが「老害」だろう。だいいち、芥川賞の選考委員なんてかなりのエネルギーが必要で、都知事と掛け持ちでなんかできないはずだ。それ以前に、都知事など首長には職務専念義務があるはずだが。

「(出身地の)下関では、母校の恩師などから喜びの声が上がっているようですが」と記者が言うと、即座に「それは嘘です。私は教師に嫌われていましたから。」と返したり、「もう(記者会見は)やめましょうよ」と何度も繰り返すなど、有名になった沢尻えりかの「別に・・」の記者会見を思わせるが、なかなか個性的な作家がでてきたものだ。いずれ「文芸春秋」に掲載されるだろうから読んでみよう。

イーストマン・コダック

ニューヨークタイムズによれば、今朝早く(現地時間)イーストマン・コダック社が連邦破産法Chapter 11を申請したとのこと。30年あまり前だが、ギリシャにいたころ、コダックのフィルムを使って写真を撮りまくっていた。日本の富士フィルムも売られていたのだが、コダックのフィルムを買って箱を開けると、数ヶ国語で書かれた説明書が入っていて、なぜかギリシャで売っているコダックフィルムは日本語の説明書が一番に目に入るように折られていた。それが原因で、嬉しくなってコダックばかり使っていた。日本がまだ遠い国だった時代、コダックの方がDPEも信頼できそうに思えたことも理由の一つだった。当時の写真用フィルムの世界シェアは、コダック50%、富士30%、さくら(コニカ)20%くらいだったろうか。デジタル時代になっても富士とコニカは生き残っているのに、そもそもデジタルカメラを最初に開発したコダックが倒産とは。かつての名門企業も、自らが先んじたデジタル化の波に乗り遅れたことで凋落の道を歩んできたようだ。あの独特の黄色のパッケージが懐かしい。

東急スポーツオアシス

このところほとんど毎日のように通っているのが、徒歩10分で歌舞伎町の真ん中にあるスポーツジム、東急スポーツオアシス。都立大久保病院とツインタワーになっているハイジア健康プラザビルの5~7階にある。以前はトレーニングルームでマシンを使った運動をやっていたが、腰痛になって以来、マシンはやめて専らプールを利用している。プールといっても水泳は得意ではなく、25m泳ぐと息切れするので少し休み、それから折り返すといった形だが、それでも最近は一日500m前後は泳げるようになってきた。25mで息切れしてしまうのは、基本的には体力がないせいだが、自己流の泳ぎ方にも問題がありそうなので、個人レッスンを頼もうと思いながら、それも億劫なのでまだ頼んでいない。しかし最近、他の人たちの泳ぎを見ていて、25mを泳ぐストロークの数が私のほうが全然多いのに気付き、これはやはり個人レッスンを受ける必要があると感じている。

水泳もさることながら、ここのスポーツジムの特徴は屋外プールと屋外ジャグジーがあることで、最近のように好天が続く日々は、寒中とはいえこの屋外ジャグジーで過ごすのが気持ちがいい。ここで文庫本などを読みながら1時間ほど過ごすのが日課になってきている。このジャグジーには常連客がいて、だんだん顔なじみになってくると読書より彼らとの会話の時間が多くなる。先日も常連のうち60代の建設会社社長と50代の元俳優との間で、「箱根駅伝の復路は最後まで時間差でスタートするのか、下位チームは一斉にスタートさせるのか」で盛り上がり、決着がつかなかった。今日、ジムに行く前に思いついてWikipediaで調べてみたら、7位までは時間差、8位から後は7位の10分後に一斉スタートということが分かり、たまたま他の二人も着ていたので結論を披露すると、「社長の方が正しかった。」と元俳優が頭を下げた。

他にも、「箱根駅伝にはなぜ関西系の大学が出てこないのか?」「早稲田は強いのになぜ慶応は決勝に出てこないのか?」という疑問もWikipediaで解決した。答えは「箱根駅伝は関東学連の主催で、いわば地方大会である。」「慶応は、駅伝のために推薦入学を取り入れる悪弊に反発し、一時関東学連から脱退した。復帰後もその傾向が強く、推薦遊学による強化には消極的である。」この話で、元俳優氏が慶応出身であることが判明した。

他にも顔なじみの常連は、私より3-4歳上で、脳腫瘍をはじめ4回の手術を経験した退職者、運転手を同伴で来ている50代の経営者、西新宿にマンションを持っていて毎年3ヶ月くらいは日本に来ているというフランス人など。

ル・クープシュー

新宿郵便局の前から薬のディスカウントストアの角をまっすぐに行き、甲州街道に突き当たる手前の左側の小さいビル。3階にトルコの国旗があり、トルコ料理店ウシュキュダルがある。(行きつけのトルコ料理店HiSARでよく顔を合わせるトルコ人がウシュキュダルで働いていると聞いていたが、彼の店は同じ名前だが新宿駅東南口の方だそうだ。)そのビルの一階と地下が開業36年になる老舗のフランス料理店ル・クープシューだ。パリ、ソルボンヌの近くにLe Coupe Chouというレストランがあるが、気さくなオーナーにパリの店とは関係があるのか聞いてみたら、「私が若いころよく通った店ですが、関係はありません。商標侵害で訴えられなくてよかったと思ってます。」

入ったのは一階の方だが、L字型のカウンターが10席くらいと、テーブルが10席くらい。カウンターの中がキッチンで、シェフが二人。オーナーは入り口近くに立って全体を目配りしている。地下にも厨房があり、冷製のものは下にオーダーしてリフトで上げる。セットメニューのAコース4500円を注文。前菜は私がウニのグラタン、相方はフォアグラのソテー、メインはそれぞれ鱸のソテーと鴨のロースト。ワインはぐるナビクーポンのサービスワインにグラスワインの白を追加。料理も美味しいが、ちょっと炙ったフランスパンと特製のバターがうまい。家の近くにあるカジュアルフレンチのビストロ・コロリスと規模も値段的にも似ているが、こちらの方が繁華街にあるだけあって活気がある。

オーナーによると、小田急ハルクの裏側にも似た名前の店(ギャラリー・クープ・シュー)があって、「私はこっちの方が美味しいと思うんですが、実は向こうの方が偉いんです。」どういうことかと聞くと、「向こうは家内がやってまして・・」帰り道に場所を確認したので、今度は向こうにも行ってみよう。

新年のごあいさつ

今年の年賀状でご挨拶に代えさせていただきます。今年もよろしくお願いします。(都合により差出人欄は消去しました。)

ベトナムにて(6)

深夜0時10分発のベトナム航空で帰国。機内で読んだベトナムの英字紙に次のような記事が出ていた。
Facerbook CEO spends Christmas in VN.
フェイスブックの創始者ザッカーバーグがガールフレンドやボディガード、その他取り巻きを連れてベトナムでクリスマスを過ごした。クリスマスイブには豪華クルーズ船をチャーターして、ハロン湾上で一泊し、鍾乳洞にも行った。この27歳の若者に、地元自治体の文化観光局長はクリスマスメッセージとともに花を贈り、クルーズ会社の社長は”We are so proud to welcome Facebook CEO on our cruise.”と述べたという。

ベトナムにて(5)

ベトナムツアーの最終日はハイライトのハロン湾クルーズ。ハロン湾の風景はこれまでにも写真などで見ているが、川と海との違いこそあれ、中国の桂林によく似ている。地質学的にも桂林と同じ石灰岩台地で、台地が海に沈下したのがこのハロン湾である。湾に浮かぶ島や奇岩の数は約3000といわれる。

水上生活者の村もあり、そこには公立の学校もあるという。クルーズ船に乗ってしばらくすると島に上陸し、100段あまりの階段を上って鍾乳洞に入る。ハロン湾に浮かぶ島々には、ほかにも鍾乳洞のある島があるらしいが、ここティエンクンの鍾乳洞が一番規模が大きいのだろう。ティエンクンとは感じで書けば「天宮」という意味。ちなみにハロン湾は「下龍湾」だ。鍾乳洞の内部はあちこちに赤、青、黄、緑などの照明が当てられ(人工的だが)幻想的な雰囲気を演出している。鍾乳石の一つ一つをマリア像や仏像、動物などに見立てるのも世界各地で見る鍾乳洞と同じだ。

鍾乳洞の後、再び乗船して海上の魚市場へ。ここにはすでに多くのクルーズ船が到着しているが、船と船のあるかないかの隙間に強引に割り込んでいく。なんでもやればできるもので、こんな隙間に入り込むのは到底無理だろうと思っていたのが着岸できてしまう。魚市場には蛤、蝦蛄、海老、その他さまざまな魚が生簀に入れられている。何しろ生簀の中は海水そのもので、海から上がったばかりだから新鮮さは申し分ない。ここで買った魚類は船で調理し、昼食の時に出してくれる仕組みだ。われわれは一匹4ドルの蝦蛄を求める。

鍾乳洞と同様、奇岩にも名前がつくものもある。右の写真は「キスをする鶏」なのだそうだ。甲板にはデッキチェアもあり、夏ならここで休めば気持がよいだろう。冬の海はさすがに風が冷たいが、ホイアンやフエのような中部都市の方が寒かったような気がする。二年前に来たのは11月だが、もっと暑かったような記憶がある。実際今回も、ホーチミンは30度以上だったが、中部に移ってからは用意してきた半袖は着る機会がなく、ダウンジャケットまで着こむ始末だ。

昼食には、通常のコースに加え、さっき魚市場で買った蝦蛄が料理されて出される。ベトナムに来てからは、食事時の飲み物はずっとビールだったが、今回の船上ランチではベトナムワインを注文してみた。ビールは3ドル、ワインは5ドルだからちょっと贅沢だ。そういえばベトナムでは現地通貨のドンもあるが、ほとんどの支払いは米ドルでできる。3月に出張で行ったカンボジアでもミャンマーでもそうだった。結局ドンは使わずじまいだったが、ゼロを二つ取って半分にするとだいたい日本円と同じという換算だ。

ハノイから付いたガイドのトイさんは、ヒュー君と比べるとかなりベテランで、説明も要領を得ている。クルーズの後に立ち寄った民芸品店(このツアー、やたらに土産物店などに寄るが、そうしたところでないと清潔なトイレがないので仕方がないのだろう)について、「ここもベトナム戦争と関係があります。枯葉剤や地雷の被害者が働いていて、売り上げの一定割合がそうした人たちの生活を支えています。」とのこと。

ハロン湾から再び4時間かけてハノイに戻るが、その途中、ハノイに着く30分くらい手前のバッチャンという村に立ち寄る。この辺りは良質の白粘土が採れるので、これを利用した陶器産業が盛んだ。型に水で溶いた粘土を流し込み、高温のガス窯で焼き上げるバッチャン焼きの陶器は日本でも売られている。

バスがハノイに入ると、さすがに首都だけあって交通量が格段に増える。前回もそうだがベトナムでいつも目に着くのはオートバイの数の多さだ。ガイドのトイさんによれば、彼の友人でベトナムに住んでいる日本人は、ベトナムに来てから数年になるが一度も自動車事故を起こしたことがないそうだ。つまり、あまりのオートバイの数と運転マナーに恐れをなし、国際免許はもっているがこの国で運転したことがないからだ。もっともハノイやホーチミンでは交通渋滞でスピードが出せないので事故は少なく、むしろ郊外の方が問題だという。ハノイは昨年(2010年)に建都1000年を迎えたので、その記念事業としてハノイの主要道路5kmにわたって陶器の絵タイルが貼られた。これはギネスブックにも登録されているそうだ。そういえば2010年は日本でも平城遷都1300年だった。

ホーチミンでも大教会と中央郵便局しか見るところがなかったが、ハノイではここで一泊もしないこともあって、見たのはタンロン城くらいのもの。ホーチミン廟とホアンキエム湖はバスの窓から眺めただけ。前回出張で来た時も、まったく観光の時間がなく、気の毒に思った支店長がホーチミン廟だけは車で案内してくれたのを覚えているが、それも車窓からだった。

タンロン城にしても中が修復中で立ち入り禁止となっており、北門の前で説明を聞き、写真を撮っただけ。今回のツアーは「5つの世界遺産を巡る」というタイトルが付いていて、世界遺産はホイアン、ミーソン、フエ、ハロン湾と、あとひとつはどこだろうと思っていたら、このタンロン城だった。タンロンとは感じで書けば「昇龍」で、ハノイの古名。2010年8月に世界遺産に指定され、建都1000年を記念して部分的に公開されたばかりだ。

ベトナムにて(4)

フォン川クルーズ昨日の予定に入っていたフォン川のクルーズの後、阮朝時代の王宮を見学、さらにベトナム最古で最高の学校、クオック・ホックを見て空港へ。今日は移動時間が長く、ハノイまで1時間余りのフライトに続き、バスで4時間かけてハノイ湾に到着。

フォン川(香川)の流域には王宮などの建物がある一方、反対側の岸には水上生活者のあまり清潔とは言えない日常生活も垣間見れる。クオック・ホックというのはベトナムでもっとも有名な国立高等学校で、ホーチミンもここで学んだという。フエは古都でありフエ建造物群として世界遺産に登録されているのだから、王宮もっと見るところがあってよさそうなものだが、日程の都合なのか王宮をちょっと見た程度だった。またベトナム戦争当時、1968年1月のテト攻勢でフエはサイゴンとともに南ベトナム解放戦線の標的となり、多くの犠牲者を出したことでも知られるのだが、ガイドのヒュー君の説明はそのことには一言も触れていない。テト攻勢は軍事的にはアメリカ側の勝利に終わったものの、戦略的には米軍撤退のきっかけとなった事件であり、現在のベトナム政権としては誇ってよさそうではあるが、一方、当時一般市民をも含めた虐殺が行われたという暗い面もある。観光ガイドがベトナム戦争にあまり触れないのは、そうした暗い面から規制がかかり、あるいは個人的に触れたくない思いがあるのかとも思ったが、クオック・ホックどうやら若いガイドにはその辺の知識がないというのが正解らしい。

ハロン湾のHalong Spring Hotelは、今回の旅行で泊まった4つのホテルのうちで一番よさそう。無線LANも部屋の中でもばっちりだった。