Categotry Archives: literature

復活の日

今朝のニュースで興味を惹いたのは、鳥インフルエンザの病原体がほぼ解明できたものの、その段階で研究にストップがかかったというもの。なぜならば、病原体の解明によりウィルス製造のめどがついた反面、このウィルスを人工的に培養することも可能になり、その高い致死率から考えてテロに悪用される恐れがでてきたという。鳥インフルエンザに人間が感染するケースは少なく、人間同士の感染は今のところないが、何らかの原因により人間同士の感染も可能な売りするに変異する可能性があり、そうなった場合、致死率は60%に達する。1910年代に世界中で5000万人が死亡したとされるスペイン風邪の致死率は2%程度と言うから、鳥インフルエンザの致死率は驚異的なもので、これが生物化学兵器として使用された場合は大変なことになる。 このニュースに興味を覚えたのは、昔読んだ小松左京の「復活の日」を、ちょうどいま自炊本で読み返しているところだからだ。以前読んだ内容はおおかた忘れてしまっていたが、再読してみてこの作家の洞察力に改めて感心させられた。米ソ冷戦のもと、ようやく核廃絶協定が結ばれようとしている状況下、ある国際機関で厳重に管理されていた特殊な病原体が盗み出され、それを某国に運ぼうとした小型機がアルプス山中に墜落。その後原因不明のインフルエンザが世界的に流行し始める。問題の病原体はウィルスですらなく、直接核酸を破壊して人間を死に導くのだが、インフルエンザウィルスの陰に隠れて作用し、人類は南極観測隊員約1万人を除いて滅亡にいたる。小説の中で、わずかに生き残り、間もなく死を迎えようとしているラジオ講座の講師が、ほとんど聴く人も残っていないマイクに向かって、人類が到達しえたであろう知の世界をかくもみじめに崩壊させてしまったことに対する、20世紀知識人の責任と悔恨を切々と訴える場面は圧巻だ。 Tweet

芥川賞

先日発表された2011年度下期の芥川賞は円城塔の「道化師の蝶」と田中慎弥の「共食い」の二作品同時受賞となったが、田中慎弥の受賞記者会見が面白い。いかにも嫌々そうに席に着き、「今の感想を」と聞かれると、「たしか、シャーリー・マクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなり、最後に受賞したときに<私がもらって当然>と言ったそうですが、まあそんな感じです。」ここで会場から拍手が湧くと、「4回も落とされたあとですから、ここで断ってやるのが礼儀かと思いますが、私は礼儀を知らないので、また断ったと聞いて気の小さい選考委員が倒れたりすると都政が混乱しますので、まあ都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやるかと。」 その都知事閣下が齢80近くになっていまだに選考委員をやっているとは知らなかったが、田中氏の発言が効いたせいか、選考委員を降りた。「若い人に期待してきたけど、もうちょっと自分の人生、文学にとって刺激を受けたい。若い人に足をさらわれるな、と緊張感を覚えさせてくれている作品がない。」なんてのたまわっているそうだが、若い人たちは別に80歳の老人の人生や文学に刺激を与えるために小説を書いているわけではない。こうした人が今まで選考委員をやってきたことが「老害」だろう。だいいち、芥川賞の選考委員なんてかなりのエネルギーが必要で、都知事と掛け持ちでなんかできないはずだ。それ以前に、都知事など首長には職務専念義務があるはずだが。 「(出身地の)下関では、母校の恩師などから喜びの声が上がっているようですが」と記者が言うと、即座に「それは嘘です。私は教師に嫌われていましたから。」と返したり、「もう(記者会見は)やめましょうよ」と何度も繰り返すなど、有名になった沢尻えりかの「別に・・」の記者会見を思わせるが、なかなか個性的な作家がでてきたものだ。いずれ「文芸春秋」に掲載されるだろうから読んでみよう。 Tweet

自炊

自炊といっても一人暮らしを始めたわけではない。手持ちの本の背の部分を一冊100円でカットしてもらい、バラバラになった本をScanSnapにかけて連続両面コピーする。このとき必ずモノクロでスキャンするのがこつ。モノクロ・カラー自動判別という設定もできるが、古い本は紙が黄ばんだりして、ScanSnapがカラーページと判定してしまう場合があるからだ。カットする前に外しておいたカバーもカラースキャンして、本文部分と併せ一つのファイルにまとめる。これで電子書籍の出来上がり。あとは当面読みたいものをiTunesを通じてiPadに移せばよい。iPad上ではページをめくる感覚で本物の本と同じように読める。字の大きさも替えられるから、紙の本よりも読みやすいし、大量の本を持ち歩くこともできる。数えてみたらこれまでに175冊をこの方法で電子化していた。大部分が文庫本だが、学生時代に読んでいた「サルトル全集」もすべて電子化した。もちろんデータが失われればそれまでなので、外付けHDにバックアップを取っているが、これからはiCloudなどの利用も考えられる。 おかげで本棚がかなりすっきりしたが、問題はバラバラにした本(の残骸)をどうするか。高校時代に文芸部に属し、部誌を発行した経験があるせいか、本の形になったものを捨てるのに抵抗を感じる性癖がある。自炊のために背をカットするだけでも抵抗感を押し切ってやっているのだが、自炊後の本も読もうと思えば読めないこともなく、何かに利用できないかと、とくに好きな作家の作品を中心に、捨てずに残していた。だが考えてみれば、これを人にあげたり、古本屋で引き取ってもらったり(現状、引き取るところはないと思うが)したら、手に入れた人はそれをそのままScanSnapにかければ全く同じ電子書籍が作れるので、著作権侵害になることは明らかだ。いまm個人で行う自炊自体は著作権法に違反しないが、自炊代行業者が業務として自炊をやるのが著作権法に触れるかどうかで問題となっている。一部の代行業者も問題はわかっていて、依頼された本の背をカットするだけで、ScanSnapをレンタルで依頼者に貸し、依頼者が自分でスキャンするという苦肉の策を出しているところもある。 で、やはり著作権法に抵触する行為はしたくないので、とっておいた自炊後の本もすべて処分することにした。手頃な大きさにまとめ、ビニール紐で括って資源ゴミに出すのだが、この段階に至ってもなお、一冊ずつページを揃え、カバーでくるんで出すのは、やはり本への愛着を捨てきれぬ性からだ。うちのマンションでは、フロアごとに設けられたゴミ置き場に分別して出すのだが、ゴミを回収する係りの人は急に出てきた大量の本(の残骸)に驚いているかもしれない。 Tweet

「1Q84」

フェイスブックの村上春樹のページからのリンクで”The New Yorker”のネット版を見ると、「1Q84」一部抄訳が掲載されている。この小説はもう二度ほど読み返しているので、比較的すらすらと読んでいけたが、何かひっかかるものがあり、原文と照らし合わせてみた。天吾が高円寺から中央線に乗り、東京駅に着いて、ふとした思いから千倉の療養所に父親を訪ねるところから始まり、別れを告げて療養所を後にするまでの部分なので、てっきりどこかの一章を載せているのかと思っていたら、最初はBook2の第8章、それからBook1の第8章に戻り、Book1の第14章に飛んで、また2の第8章、1の第14章、2の第8章、最後が2の第10章と、行ったり来たりしているのだ。もちろん抜けているパラグラフもあちこちにある。「駅構内のレストランに入って、カレーライスとサラダを注文した。」のあとの「食後に雨水コーヒーを飲んで時間をつぶした。」が抜けているくらいはいいのだが・・・。The New Yorker誌の訳文は、天吾の父親に関する所だけを抜き出して構成したものなのか、それとも今年10月に発売される英訳版自体がオリジナルとは構成を変えたもにになっているのだろうか。後者だとすれば、当然原作者の了承を得てのものなのだろう。村上春樹の文章は読みやすいのが特徴だが、この点については英訳もその特徴をよく捉えているようだ。10月には会社も辞めて暇になっているだろうから、ぜひ英語版も(できれば電子書籍で)買って読んでみたいと思う。 Tweet