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韓国雑感

以前韓国を訪れたのは2002年の4月だから、今回は10年ぶりということになる。前回はHISの3泊で19,800円という超格安ツアー(航空券とホテルのみ)でやってきたのだが、別の目的もあったのでほとんど観光はしていない。その目的については、当時、私とは別の商社のソウル支店長をやっていた大学同期のM君に大変世話になった。 その当時と比べても、この10年間に韓国がずいぶん成長を果たしたことが実感できる。ソウルはすっかり近代都市になったし、初めて行くソウル以外の地方都市でも20階建てくらいの高層アパート群が犇めいている。韓国は地震がないとかで、日本でいえば県営住宅や公団住宅のような建物(といっても建物の側壁にはたいてい企業名が掲げられているので民営なのだろう。)がほとんど20階以上になっている。今回も2か所で温泉に入ったが、温泉がある以上火山はあるのだろうし、地震がないというのは本当だろうか。昨年の3.11以来、常に地震の恐怖にさらされ続けている日本から見れば、地震も地震に伴う原発事故も気にすることのない韓国が羨ましいが、地震を想定せずに建てられて高層建築がいざ地震に遭遇したら、と思うと恐ろしさも感じる。 しかしともあれ、韓国の経済発展は目覚ましい。かつて世界を席巻した日本のテレビや半導体は完全に韓国の軍門に下った感があるし、いまや世界の最先端商品であるスマートフォンも韓国製が主流だ。驚いたのは、高速道路のサービスエリアでシャワートイレが設置されていたことだ。ウォンが安い(到着した日に空港の銀行で両替したレートは1万円で13万5千ウォンだった。)ということもあるのだろうが、バブルのような気がしないでもない。 それにしても日本の女性たちの韓流ブームは凄まじい。私の地元に近い新大久保周辺でも目にしているが、韓国を訪れる日本女性たちのほとんどは韓流スターグッズだけでなく、化粧品、食材などを大量に買い込んでいる。暖かい季節なので、われわれは夫婦でスーツケース一つだが、多くの観光客はほとんど空の大型スーツケースを持ってきて、買いあさった商品を詰め込んで帰国する。それでもなお、帰国したら遠方からでも新大久保にでかけるそうだ。今では韓国でも若い人たちは日韓の歴史問題はあまりホットな話題ではなくなりつつあるようだ。かつて、ワールドカップの共同開催が日韓の感情を近づけたことがあったが、当時の日本の首相による靖国参拝強硬がそれをぶち壊したことがあった。民間による交流が隣国同士の良好な関係に役立つなら、韓流ブームも大変結構なことである。 Tweet

韓国(5)

昨夜、スマホでメールを1件入れた後、充電しておいたのだが、朝起きてみるとどのボタンを押してもスリープ状態から回復しない。裏蓋を開いて電池やUIMカードを抜き差ししてみてもウンともスンとも言わない。Wifiが使えればメールチェックくらいできるのに、このホテルではwifiもダメだからスマホが故障ではまったくのお手上げだ。この富士通製のArrows、電池が丸一日持たない上に、買ってまだ2週間もたたないのにもう故障かよ。 さて、今日も朝からバスで2時間半。ともかくソウルに戻ってきた。5日間でざっとだが韓国を反時計回りで一周したことになる。ソウルには昼前に着いたので、昼食までロッテの免税品店に案内される。いつも海外旅行ではほとんど買い物はしないのだが、今回は健康のために朝鮮人参エキスと、妻は化粧品を買い込む。昼食後に向かったのはソウル北東部にある「高句麗鍛冶屋村」ここは一種のテーマパークで、高句麗時代の鍛冶屋を復元したものだが、ヨン様ことペ・ヨンジュン主演のドラマの撮影地として有名らしい。 次に韓国大統領官邸である青瓦台に向かう。ここは日本の植民地時代、朝鮮総督府がおかれていた場所だが、盧泰愚大統領の時代に旧総督府の建物は取り壊され、あらたに新築された。北朝鮮のミサイル(人工衛星?)発射や米韓共同演習などで北との関係が険しくなっていることもあるのだろう、青瓦台に近付くとさすがに警備が厳しくなるが、思ったほど緊張感はない。交通整理をやっているSP(とガイドは言ったが、単なる私服警官だと思う。)の中に、一人イケメンがいて、女性客がカメラを向けると気軽にツーショットに応じていた。1960年代の青瓦台襲撃未遂事件の当時は外から建物の写真を撮ることすら厳禁だったが、いまでは写真OKのみならず事前申請すれば中も見学できるようだ。(裏の北岳山の一部はいまも立ち入り禁止になっているらしいが。)ただやはり、政治の中心だけあって、青瓦台の周辺で座り込みをやっているグループもおり、機動隊が出動して警戒に当たっていた。 次は世界遺産の昌徳宮(チャンドックン)。朝鮮王朝の正宮は景福宮で、昌徳宮は離宮だが、世界遺産に登録されているのはこの昌徳宮の方。朝鮮王朝最後の王、李根に政略結婚で嫁いだ日本の梨本宮方子(まさこ)もこの宮殿で暮らした。多くの建物があるが、韓国歴史ドラマ「イ・サン」にでてくる王宮はこれをモデルにしている。もちろん、世界遺産でロケをしたわけではなく、この王宮を模したセットでの撮影。昌徳宮の北側には広大な庭園があるが、ここは自然保護を名目にごく一部を除いて非公開の秘園である。珍しく民族衣装をまとった親子連れが来ていた。 骨付きカルビの夕食の後、オプショナルツアーで観光客に人気のNANTAを観る。ナンタとは韓国語で「乱打」の意味。包丁、まな板、フライパンなどを小道具に、コック姿のパーフォーマーたちがコミカルな演技を繰り広げる。セリフはほとんどないので韓国語がわからなくても意味は通じ、爆笑が沸き起こる。時には食材が客席に飛んできたりする。残念ながら撮影は禁止。 Tweet

韓国(4)

慶州を出発してまたも2時間半のバスライド。慶尚北道の安東(アンドン)へ。作家の立原正秋はここの出身と聞く。ここでは世界遺産の安東河回村(アンドンハエマウル)を見学する。河回村には藁葺き、瓦葺きの古い農村風景が残されており、何か懐かしい雰囲気が漂う。1999年にはエリザベス女王もこの村を訪れ、その記念館もある。16世紀に柳氏一族により作られた村ということで、家々の表札の多くは「柳」姓だ。秀吉による侵略時代の儒学者・政治家である柳兄弟を輩出したことでも知られるが、現在は韓流スターのリュ・シウォン(これも柳姓)の出身地としても有名らしく、彼の生家も実在する。 そういえば、このツアーには韓国が初めてというメンバーもいる一方、(特に女性だが)韓流ブームに乗って韓国には十数回来ていて、日本でもしょっちゅう新大久保に行っているという人たちもいる。私などは韓国ドラマといっても『冬のソナタ』(題を知っているだけで見たことはない)と『イ・サン』くらいしか知らないが、こうした韓国通のおばさんたちの知識は半端ではない。新大久保の美味しい韓国料理屋はどこか、こちらが逆取材させてもらう。われわれは新大久保徒歩圏内という地の利を生かし切れていないようだ。 村の中心に巨大な欅の木がある。これはご神木とでもいうような、樹齢600年を超える樹で、周囲には願い事を書いた紙片がびっしりと結び付けられている。先生な場所であると同時に、村人たちの集いの場でもあるという。 この村に伝わる仮面劇は、韓国の無形文化財に指定されている。年に一度、仮面をつけることによって身分の隔たりを忘れて鬱積したものを発散させていたのだろう。そうした仮面を集めた博物館がある。ここには河回村、あるいは韓国の仮面だけでなく、遠くアフリカや中南米の仮面も集められている。もちろんインドネシアをはじめ東南アジアの仮面も多く、日本の能面も収蔵されている。博物館は写真撮影禁止なのだが、誰もいないし、少々禁を破らせてもらった。 昼食の後、またまた1時間半のバスライドで忠清北道の丹陽(タニャン)へ。この町を流れる南漢江はソウルを流れる漢江の上流にあたる。その南漢江の水面に3つの岩(峰)が顔を覗かせている。真ん中の大きいのが将軍峰、これを挟んで妻峰と妾峰が並ぶ。将軍は妻を愛していたが子ができない。やむなく妾をとると妾はすぐに妊娠する。妾は膨らんだ腹を自慢そうに妻に見せつけ、妻は背を向けてしまい、将軍もそうした妻が疎ましくなる。この不仲に怒った神が三人を岩に変えてしまったのがこの「嶋潭三峰(トダンサンボン)」だという。 南漢江を多目的ダムで堰き止めてできた人口湖が忠州(チュンジュ)湖。韓国には自然の湖は少ないらしく、この忠州湖が一番大きく、また美しいそうだ。遊覧船に乗って湖をまわると、奇岩や絶壁があちこちにみられ、桂林に来たかのような趣がある。ここでは観光客は少なく、遊覧船ではわれわれ26名のパーティ以外には韓国人の若いカップルが一組だけだった。 夕食はゴンドレ釜飯定食。これが丹陽の名物料理らしい。山菜中心のヘルシー料理。ホテルは丹陽大明リゾートという、昨日と同じリゾートホテルだが、入ると中・高生の団体が大勢いる。地下にはコンビニのほか、マリンスポーツ施設もあるらしいが、昨日のような温泉はない。案内ではインターネット接続可とあったが、部屋には有線LANは来ておらず、wifiもいくつか感知するのだがホテルのものらしい電波はない。フロントに電話して聞いても英語が通じないらしく、「ノーインターネット」と答えるのみ。地下のレジャーエリアにタイ式マッサージを見つけた妻が予約し、料金を部屋に付けてもらうよう頼むと、「現金でないとダメ」とのこと。金浦空港で両替したウォンが心細くなっていたので、フロントで両替を頼むと「ノーチェンジ」かといってホテルに銀行窓口やATMがあるわけでもない。後進国ならともかく、韓国で両替も出来ないホテルがあろうとは。 Tweet

韓国(3)

今日も朝から光州を出て2時間半バスに乗り、慶尚南道の伽耶山国立公園へ。旧暦の4月8日、つまり釈迦の生誕祭が近づいているため、どのお寺に行っても提灯などの飾り付けがなされている。ここには世界遺産である海印寺(ヘインサ)がある。正確には韓国の国宝に指定されている「八萬大蔵経版」を収めた「海印寺大蔵経版殿」が世界遺産である。「八萬大蔵経版」とは、高麗の時代(13世紀)に白樺の木に一文字一文字手彫りで彫り込んだ大蔵経の版木で、全部で80,000枚以上が揃っている。多くの職人が分業して作成したのだろうが、あたかも一人の達人が作ったように書体が統一され、一字も誤字脱字がないという。それを収めた「大蔵経版殿」は温度、湿度が自然に管理される構造になっており、一般人の立ち入りは禁止されている。もちろn写真もだめだが、ここに掲げた写真は内部の写真をパネルにして展示されているもの。かつて小渕元総理が海印寺を訪れた時には版殿の中に立ち入りを許されたとのこと。 昼食後はまた2時間のバスで慶尚北道の慶州へ。修学旅行のシーズンらしく、世界遺産のひとつ古墳公園には小中学生の団体が大勢来ている。古代の古墳が23基、そのうち1基のみが一般開放されている。もう一つの世界遺産が佛国寺。新羅時代に創建されたが、ハングルの創設者として知られる世宗など、儒教を信奉する朝鮮王朝による仏教弾圧、文禄・慶長の役と呼ばれる豊臣秀吉による侵略などで破壊され、1970年代になって再建された。 この日の夕食はサムギョブサル。三層肉という意味で、日本でいう豚のバラ肉のこと。これを炭火で焼いて食べる。これに定番のキムチ、岩のりなどの副食がつく。今日の夕食に限らず、韓国の食事は口に合う。泊まりは慶州ハンファリゾート。名前の通りリゾートホテルで温泉もある。部屋に入ると何と2LDK。ベッドルームはダブルベッドの部屋とシングルベッドの部屋がそれぞれ独立してあり、リビングルームにはIHヒーターや炊飯器まで備えたキッチンもある。インターネットも問題なく通じる。温泉は一昨日の温陽と比べてずっと立派で、ドライサウナやスチームサウナも完備している。いつもスポーツクラブでドライサウナとミスとサウナに入っているので、こlこでも両方に入ったが、私のほかは誰もいなかった。 Tweet

韓国(2)

2日目は温陽温泉を出てバスで2時間ほど走り、馬耳山に着く。このあたりはすでにかなり南部の全羅北道に位置する。馬耳山(Mt. Mai)の由来は二つ並んだ山が馬の耳に見えるということらしい。馬耳山国立公園内には馬耳山塔寺がある。ここには石を積み上げただけの塔が無数にあり、これらの石塔はどんな強風が吹いても倒れないといわれ、またそれは馬耳山が持つ強力な「気」の力とされている。 山菜ビビンパの昼食を食べたあと、いよいよ今回のツアーの目玉である「海割れ」を見に、朝鮮半島のほぼ最南端、全羅南道の珍島(Jindo)まで3時間半のバス移動。日本では、私と同郷の天童よしみが唄った「珍島物語」が大ヒットしたが、ここが観光地として有名になったのは、1975年に駐韓フランス大使が珍島を訪問した際、偶然に海割れ現象を見て、フランスの新聞に「私は見た。東洋のモーゼの奇跡を!」とセンセーショナルな文章を発表したことによる。 しかし、珍島の海割れは映画『十戒』のような、両側に水の壁が出来てその間をモーゼに率いられたヘブライの民が進む、といった劇的なものではない。珍島は行政上も珍島郡を構成する大きな島だが、干潮になると珍島とその沖合の小島、芽島里(モドリ)との間m約2.8Kmの浅瀬が海面に出て歩いて渡れるというもの。潮の干満は毎日2回あるが、季節によって干満の度合いに差があり、また朝の干潮はまだ未明のことが多いので、「海割れ」現象が最もよく見れるのは今の時期の夕方ということになる。 われわれはガイドからビニールの簡易長靴(膝上の長さ)を支給され、それを履いてバスを降りる。すでに一部潮が引いて浅瀬が顔を出しており、地元の人々が潮干狩りや海藻取りをやっている。写真で見ると大勢の観光客がヘブライの民よろしく海割れの道を進んでいるのだが、今日は観光客の数はさほど多くない。 珍島にはこの海割れに関して伝説がある。この地に凶暴な虎が出没するので村人たちは海を隔てた芽島里に移住したが、ボンハルモニ(ボンばあさん)が一人取り残されてしまった。ハルモニは家族に会いないのを嘆き、海の神様に祈りをささげ続けると、ある日突然海が割れ、芽島里との間に道が出来た。村人たちはその道を通ってハルモニに会いに来たが、その時ハルモニは倒れ、亡くなった。村人たちはハルモニを称え、海割れの時期に霊登(ヨンドン)祭を行うようになった。霊登祭の行われる4月は、桜の時期と重なり最も観光客が多いという。 海のそばなので夕食は海鮮鍋。煮立った鍋に係りの人が生きた蛸を放り込んでいく。もがきながら茹でられた蛸の足を、今度は鋏で切っていく。珍島から宿泊の光州まではまたバスで2時間。全斗煥の軍事政権に反発して民主化を求める光州事件でも有名な土地で、金大中の出身地である全羅南道は民主党の地盤だ。ここのホテル、新陽パークは事前案内ではインターネット不可とあったが、部屋に入るとデスクトップパソコンが置いてあり、どうやらモニターが壊れているようだが、パソコンにささっているLANケーブルを引っこ抜いてポケットwifiに繋いでみると見事につながった。 Tweet

韓国(1)

去年10月に開業した羽田空港国際線ターミナルを初めて利用した。「珍島の海割れと5つの世界遺産を巡る韓国周遊」という6日間のツアーに参加したのだが、このツアー、成田発着と羽田発着の2コースがあり、現地では合流するのだが羽田の方が1万円高い。だが、時間が楽なのと、空港までの交通費の差を考えれば1万円はさほど高いとは言えないので羽田発着コースを選んだ。羽田の国際線ターミナルは、成田と違って規模が小さいだけ乗り降りもスムーズだし、静かで落ち着いている。2時間余りソウル・金浦(Gimpo)空港に到着。時差もないし、外国に来たという感じもあまりしない。金浦もむかしは国際空港だったが、仁川ができてからは国内線専用となり、最近になって羽田や関空などとの定期便が就航するようになったところも羽田と同じだ。 金浦に着いたのは羽田組の6名。私を含めて男性は2人だけ。やはり韓国は女性に人気があるようだ。迎えに来た韓国人ガイドとともに小型のバスで最初の世界遺産「水原の華城(Suwon Hwaseong)」に行く。ここは18世紀末に朝鮮第22代国王の正祖が老論派の陰謀により獄死した父の墓を当地に移し、その周囲に要塞を築いた城。正祖は現在NHKで放映されている韓国歴史ドラマ「イ・サン」の主人公でもある。正祖はこの水原への遷都も考えたらしいが、華城完成直後に逝去したため遷都も白紙となった。ほとんど予備知識なしでツアーに参加したのだが、最初から現在見ているドラマの舞台が現れるとは思っていなかった。 華城の見学を終えて韓国料理のプルコギで夕食をとっていると、ガイドのところにもう一人のガイドから連絡が入り、華城の夜景も見るようにとの指示。どうやらもう一人のガイドの方が遅れて着いた成田組を率いる格上のガイドらしい。慌てて引き換えし、暮れなずんだ華城のライトアップされた光景を見る。そこで成田組のバスに合流してホテルに向かう。成田組は20名で、ツアー総勢は26人となるが、どうしたわけかこちらは男性の一人客が多い。 ホテルは韓国中西部、忠清南道牙山市の温陽温泉地区にある温陽パレスホテル。この温泉は朝鮮王朝李朝の歴代国王が利用した由緒ある温泉らしいが、我々のホテルの温泉はどうみても日本の銭湯を少し大規模にしたものにしか見えず、やや期待外れだった。このホテルではインターネットも接続可となっていたが、部屋には有線、無線ともLAN環境はなく、浴場のそばにおいてある数台のパソコン(有料)がネットにつながっているというだけらしい。 Tweet

ニューカレドニア

正午の飛行機で帰国。できてまだ2年弱のヌーメア国際空港は、建物はきれいだが、運営は今一つのようだ。東京行のほかにシドニー行、オークランド行が重なったこともあるが、東京行のチェックインカウンタも出国手続きも長蛇の列。搭乗予定時刻を過ぎてもチェックインが終わらない。セキュリティチェックも結構時間がかかっている。それでも何とか飛び立って、成田到着は予定より10分程度の遅れで済んだ。 ニューカレドニアはフランスの海外領土。先日のフランス大統領選ではこちらの人々も投票した。5月6日には決選投票があるが、別にニコラ・サルコジとフランソワ・オランドのポスターが貼られているわけでもない。本選挙でも各候補がキャンペーンをやったわけでもないが、昨年8月に”Jeux du Pacifique 2011″という、南太平洋のオリンピックがニューカレドニアで開催され、これにはサルコジ大統領も出席したという。 一見平和に見えるニューカレドニアでも、1980年代を中心に先住民による独立運動が火を噴き、流血の事態も起きている。混乱が収拾されて先住民との間に結ばれた協定では、2018年までに独立か植民地残留かを決める住民投票が行われることになっている。ここの住民たちは、教育や福祉の面でフランス本国の援助を受けており、経済的にも文化的にもフランスとの絆を断ち切ることは容易ではないように思える。 Tweet

アメデ灯台

現地の旅行社Mary-Dの主催するアメデ灯台ツアーに参加。迎えのバスがいくつかのホテルをまわって、先日行った朝市会場の前の港から遊覧船に乗り込むと、45分ほどでアメデ島に到着。ここでは観光客の半分がフランス人、残りの半分がオーストラリア、ニュージーランドを含む欧米人、さらに残りが日本からの新婚旅行客と中国人のグループといったところ。昨日のカナール島よりは大きいが、ここも小さな島で真ん中に白亜の灯台が立っている。 灯台はナポレオン3世の命により1865年に建てられた。パリで建造され、セーヌ川からルアーブルを経てニューカレドニアまで輸送され、現地で組み立てられたという。壁の内側に247段の階段があり、上まで登ることが出来る。入ろうとすると入り口に座っているおばさんが「チケット!」と要求する。ブティックに戻ってガイドに聞くとツアー料金に含まれているからとチケットを渡してくれる。灯台に登ろうとするのはツアー客しかいないので、わざわざチケットを使わなくてもよさそうに思うのだが、そういうシステムになっている。灯台の上から見ると、ツアー客がいるのは島の半分だけで、裏の半分は遊泳禁止で誰もいない。海自体はどちらも静かで水も綺麗なのだが。 このツアーでは、さっき乗ってきた船で沖合のバリアリーフまで出て、大型の魚や海亀を見るリーフクルーズ、底がガラス張りのボートに乗って島の近くで魚を観察し、シュノーケルもできるというグラスボートツアーなどが組み込まれており、参加は自由となっている。今回はホテルからシュノーケル道具は借りてこなかったが、グラスボートが泊まったあたりは魚が多く、半数の人たちがシュノーケリングを楽しんでいた。 ランチはビュッフェ形式でワイン飲み放題。舞台ではタヒチアンショーが行われる。ニュージーランド人の農場経営者夫婦と同席になった。オーストラリア人の奥さんは妊娠6ヶ月。お腹があまりに大きいので双子か?と聞いたら、「大きな男の子だって医者に言われている。」とのこと。 アメデ島からホテルに戻り、今日がニューカレドニア最後の夜になるので、夕食はホテルの日本料理店「将軍」で。 Tweet

カナール島

ホテルのビーチからみるとすぐ前に小さな島がある。カナール島(Ilot Canards)という名の小島だ。もっと先にはメットル島(Ilot Mettre)という、もう少し大きい島があり、ここにはホテルもあるというのだが、カナール島の方はレストランがあるだけで、シュノーケリングをしにいく人が多いという。隣のホテルの前の桟橋から”TAXI”と書かれたモーターボートが出ていて、文字通りタクシーの用にこれらの小島との交通に使われている。ホテルでビーチタオルとシュノーケリング用具一式を借りてタクシーに乗り込み、近い方(5分くらい)のカナール島に上陸。 まずは島唯一の施設であるレストランに行ってビーチチェアとビーチパラソルを借りる。パラソルを開こうとすると、留め金が欠落していたらしくうまく開かない。近くにいたフランス人の老夫婦が手を貸してくれる。そこに荷物を置き、島を一周してみる。5分ほどで元の場所に着く。本当に小さな島だ。ニューカレドニア全体がバリアリーフで囲まれているため、どこも波は静かで透明度も高い。シュノーケルをつけてみると、浜辺の近くでも珊瑚と魚たちが泳ぎ回るのが見える。遠くに行けばもっと多くの魚が見られるのだろうが、監視員もいなければ、人も少ないこの島でシュノーケルで事故を起こしたら、その歳で何をやってるんだといわれそうなので自粛。 Tweet

ヌーメア

昨夜、携帯を失くした。プールサイドのデッキチェアで時間を確かめた記憶があるので、失くしたのはそこか夕食をとったプールサイドのバーあたりしかない。失くしたのに気づいたのは夜中になってからで、探しに行ったものの、どちらもきれいに片付けられている。レセプションに戻って女性スタッフに私の携帯番号にかけてもらうと、呼び出し音は鳴っているが誰も出ないとのこと。明朝もし見つかれば連絡をもらうよう頼んだ。朝になって、朝食後に妻が同じ場所を探していると、プールのスタッフが「これじゃないの?」と持ってきてくれた。帰ったらスマホに買い替えようと思っていたところだが、電話番号などのデータが入っているので見つかってよかった。 先ずはヌーメアの概観をつかもうと、市内観光に出かける。ホテルに迎えに来たのは中年の日本人ガイド。もう当地には在留十数年で、日本にいた頃はサーフボード作りがほんぎょうだった。娘さんがここの高校を卒業してフランスに留学するので、近く日本に引き揚げる予定だとのこと。ヌーメアの街を一望する丘の上に登る。写真の大砲は第二次大戦中に日本軍の攻撃に備えてオーストラリアに発注して造ったものだが、一度も使われないまま終戦となった。もっとも射程距離をメートルで設計したのにフィートと勘違いして製造したので、実戦には役立たなかったろう。朝市も覗いてみた。時間が遅かったので多くの店はすでに閉まっていたが、魚屋ではメバチ鮪を切り身で売っていた。醤油とワサビも用意してあるという。ここでも日本人観光客はいいお客さんなのだ。海水わを直接取り込んでいることと、生きる化石・オウム貝を飼育しているのが売りの水族館を見て、最後は昨日行ったスーパーの隣にあるイタリアンの店でランチ。ここでガイドと別れ、またスーパーで買い物。 午後はまたビーチでのんびりして、夕食は現地でもらった情報誌に紹介されていた”Le Miretti Gascon”へ。予約するとホテルまで迎えに来てくれる。この店のギャルソン、やけに日本語が上手だと思ったら、「母親が日本人なんです。」基本的にフランス料理だが、シーフードが美味しいというので、「シーフード盛り合わせ」を注文。大皿に蟹、ロブスター、シュリンプ、生牡蠣、鮪のマリネなどが盛られており、カテゴリーは「前菜」なのだが、われわれにはこれで十分メインディッシュとなる。夕食後はホテルの真向かいにあるカジノへ。 Tweet