Categotry Archives: unclassifed

クルド人

行きつけのトルコ料理店HiSARのカウンターで、隣に座った在日クルド系トルコ人Sさんの話が面白かった。店主のオスマンさんとはトルコ語でしゃべっているが、日本に17年住んでいるので日本語も流暢だし、日本のこともよく知っている。母国語は当然クルド語だ。Sさんいよると、トルコ語はウラル・アルタイ語族で文法的には日本語と同じだが、クルド語は英語と同じインド・ゲルマン語族に属するという。トルコ人はジンギスカンの末裔だが、クルド人はもともと現在のトルコ東部からイラク・イラン北部にかけて住んでいた民族なのだそうだ。イラクではフセイン政権崩壊後、クルド自治政府が成立し、欧米20ヶ国以上で領事館が設けられているが、日本政府は自治政府を認めようとしない。近くクルド自治政府による独立の動きもあるという。 Sさんの話では、日本政府は中央銀行をアメリカのユダヤ資本に抑えられているという。ちょっと信じられない話だが、日本銀行の株式の過半数をユダヤ資本が持っているとのことで、これは日本に帰化したカナダ人ジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォードから聞いた話だそうだ。その証拠に、と彼が取り出したのは千円札。表面に描かれた野口英世の顔の右半分は本人の肖像だが、顔の真ん中で折って左半分だけを見るとユダヤ人の顔になる。また裏面に描かれた富士山の絵は、上はたしかに富士山だが、湖に映った山はシナイ山だ、という。 クルド地方には石油、ウランなど地下資源が眠っている。アメリカや韓国はすでにこの地方に利権を築いている。中国はそのやり口が現地で嫌われている。日本はイラク戦争でサマーワに自衛隊を派遣したが、サマーワなど何も資源のないところで、日本はアメリカに騙されている。そうしたアメリカのくびきを跳ね返す力が今の日本政府にはない。と、ここでSさんは石原慎太郎や「たちあがれ日本」に期待するようなことを言い始める。「あんなアナクロの年寄りじゃだめだよ」と反論したが、17年も日本に住んでいるとはいえ、外国人のSさんがなぜ日本の事情にそこまで詳しいのか。 家に帰ってからネットで調べてみると、「一般社団法人 日本クルド友好協会」なる団体がみつかった。その役員を見ると「名誉会長・平沼赳夫、会長・頭山興助」とある。記事を読んでみるとSさんもこの貴友好協会に関係しているらしい。なるほどSさんが「たちあがれ日本」を支持したのは、代表の平沼を友好協会の名誉会長に据えているからだ。それにしても会長の頭山興助は戦前の右翼の大物・頭山満の孫にあたるらしい。何かきな臭い感じが否めない。 千円札の野口英世や富士山と似た話は米ドル札にもある。5ドル、10ドル、20ドル、50ドル紙幣の裏面にはそれぞれリンカーン記念館、米国財務省、ホワイトハウス、国会議事堂の建物の絵が描かれているが、どういうわけか1ドル札だけは、裏面に奇妙な絵が描かれている。右側にはラテン語の文字の書かれたリボンを咥え、片足で13本の矢を、もう片足で13枚の葉をつけたオリーブの枝を掴んだ鷲と、その頭上に13の星、前面に13本のストライプが描かれ、左側には頂上部に奇妙な目を付けたピラミッドが描かれ、ここにもラテン語の文字が見られる。キリスト教が忌み嫌う13の数字と、目を持つピラミッドがフリーメイスンのシンボルだということで、アメリカ経済がユダヤ資本の支配下にあることの象徴だという説もある。だが、この一見奇妙な図柄はアメリカ合衆国の国章の表と裏をそのまま描いたものだし、13という数字はアメリカ国旗のストライプと同じく、独立時の州の数を表したものだ。目を持ったピラミッドをフリーメイスンが用いたことは事実だが、それはアメリカの国章が制定された後のことらしい。千円札の野口英世と富士山の話も、これと同じようなこじつけなのだろう。 Tweet

時系列に見る日本と世界の昨年の地震

日本でも、世界でも、地震は絶え間なく起きている。われわれは如何に脆い星の上に暮らしているのだろうか。そのなかでも、去年3月の地震はなんと大きなものであったことか・・ 2011年一年間の日本と世界の時系列に見る地震 ↓ http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=eKp5cA2sM28 http://www.youtube.com/watch?v=cwWn_W6ZbT4&feature=related Tweet

同窓OB会

東京で今年初めての積雪があった今日、久しぶりに丸の内に行った。国際ビルの地下にある、大学のクラブで午後5時からの集まりだが、5分ほど遅刻したので当たりの様子を観察する暇もなく急いだが、建設中の中央郵便局の、というか日本郵政の本社ビルがほとんど完成に近づいていた。我が家の前は昨夜の雪でアイスバーン状態だったが、さすがに丸の内はきれいに除雪されているものの、道路の角の人が歩かないところにはわずかに雪が残っていた。 今日の集まりは、以前勤めていた商社で同じ大学の出身者のOB会で、毎年新年会として行われている。現役では東アジア統括として北京に駐在しているY副社長が、春節で帰国していることもあって出席していた。Y氏は以前ソウルにも駐在していたが、「韓国と違って、中国の要人と会うときには、その後ろに14億の人間がいると思うとどうしても緊張せざるを得ない。」と話していたことが印象的だった。出席したOBは約20人で、昨年よりだいぶ少なくなったが、先輩・後輩とも懐かしい顔だ。宴ののち、東京駅に向かう少し酔った目には仲通りのイルミネーションがまばゆく映った。 Tweet

イーストマン・コダック

ニューヨークタイムズによれば、今朝早く(現地時間)イーストマン・コダック社が連邦破産法Chapter 11を申請したとのこと。30年あまり前だが、ギリシャにいたころ、コダックのフィルムを使って写真を撮りまくっていた。日本の富士フィルムも売られていたのだが、コダックのフィルムを買って箱を開けると、数ヶ国語で書かれた説明書が入っていて、なぜかギリシャで売っているコダックフィルムは日本語の説明書が一番に目に入るように折られていた。それが原因で、嬉しくなってコダックばかり使っていた。日本がまだ遠い国だった時代、コダックの方がDPEも信頼できそうに思えたことも理由の一つだった。当時の写真用フィルムの世界シェアは、コダック50%、富士30%、さくら(コニカ)20%くらいだったろうか。デジタル時代になっても富士とコニカは生き残っているのに、そもそもデジタルカメラを最初に開発したコダックが倒産とは。かつての名門企業も、自らが先んじたデジタル化の波に乗り遅れたことで凋落の道を歩んできたようだ。あの独特の黄色のパッケージが懐かしい。 Tweet

新年のごあいさつ

今年の年賀状でご挨拶に代えさせていただきます。今年もよろしくお願いします。(都合により差出人欄は消去しました。) Tweet

ある冬の日

昨日も書いたことだが、近頃医者の勧めもあって一日最低5000歩は歩くようにしている。これは一つには「活動量計」なるものを買って身につけることにしたことによる。これで一日の歩数だけでなく、消費カロリーまで計算してくれるのだが、最大のミソはUSBでパソコンに接続したトレーに乗せると自動的にデータを転送してくれることだ。当然、クラウドに保存されているデータを呼び出してグラフ表示することもでき、活動量の推移が一目瞭然となる。もちろん、ジムでの水泳など活動量計を身につけていないときのデータは計測されないが、データにはメモを書き込むこともできるので、そこに記録しておけばよい。だが、こんな機器を身につけると、逆に強迫観念のようなものが生まれて、できるだけ歩かねばという気になってくる。いいのか、悪いのか・・。 そんなことで、今日も歩数が足りなさそうなので、夕方から散歩に出かけた。家の前の広い通り(税務署通り)をわたり、普段はあまり歩かない北新宿を歩いてみることにする。乾いた天候が続くので落ち葉がカラコロと音を立てながら強い風に飛ばされていく。横道に入るとこのあたりは古い木造アパートや新築のマンションなどが混在する住宅密集地だ。道路も複雑に入り組んでいる。古い家並みの向こうに西新宿の高層ビルが聳える、なにか奇妙な空間でもある。 とある角を曲がったところで、車椅子のおばあさんが困っている様子。「すみません。動けないんで押していただけませんか。」どうやら車椅子で家を出たものの、坂道と道路わきの溝に車輪をとられたのとで難渋している様子。放ってはおけないので車椅子の後ろに回り、押してあげる。「おばあさん、どこへ行きたいの?」「この先に薬局があったと思うんだけど。手の皸が痛くて薬を買いに出たんだけど」「おばあさん、いくつ?」「91だよ」「一人で住んでるの?」「はい。転んでけがしてね。車椅子になっちゃったんだ。」ということで、6年前に92歳で亡くなった母のことが頭をよぎる。 父が91歳で亡くなった後、大阪の家で一人暮らしだった。大阪には妹がいたり、その息子が母の家に時々泊りに行ってたりするのをいいことに、高齢になっても一人暮らしをさせていた。ある朝、新聞を取りに郵便受けを見に行って転倒し、骨折して入院した。骨折はたいしたことなく、リハビリに励んでいたが、張り切り過ぎたのか脳梗塞になり、そのごしばらくして亡くなった。倒れる前、有料老人ホームをいくつか見学に連れて行ったが、現地ではここに決めた、と言いながら、家に帰ると「やっぱり行きたくない。」という。その時はわがままだな、と思ったのだが、今にして思えば私に「東京へ来たら?」と言ってほしかったのではなかったろうかと思われてならない。大阪に友達がいるといっても、母はもともと関東の人間だし、今のマンションの部屋は一緒に暮らすには狭いが、同じマンションには1DKなどの小さい部屋もあり、それを買うなり借りるなりという知恵がなぜ出なかったのだろう。それを思いついたのは、母が亡くなった後、神田川の花を見に行った時だ。車椅子の乗った高齢のご婦人をやはり高齢のご主人が面倒を見ている。なぜ母にああしてやれなかったのか、今更ながら悔いが残る。 そうなると、目の前の車椅子のおばあさんにも冷たくはできない。「薬局があるはずの」方角にあるけども、なかなか薬局は見当たらず、大久保通に出てしまった。近くの人に聞くと「ここをまっすぐ行くと、スギ薬局があるよ」というので、信号一つ分歩いてやっと見つけた。おばあさん、やっとのことでバンドエイドとハンドクリームをゲット。といって、ここでさよならを言うわけにもいかない。かなりの距離を歩いたので、車椅子で一人で帰りなさいとはとても言えない。それよりも心配したのは、このおばあさん、自分の家の場所が分かるのだろうか。元の信号まで戻り、確かこの道だったという方向へ進むと、「あ、タバコ買うの忘れてた」と、おばあさん。道行く人にたずねてタバコの自販機を見つけると、おばあさんは2000円を取り出して、「すみません、これでマイルドセブンを3つばかり買ってください。」自販機を見ると、同じマイルドセブンでもライトとかスーパーライトとかいろんなラインアップがあるらしいが、禁煙歴20年以上の私にはどれがお目当てなのかわからない。ただ、安心したのはおばあさんがお金と一緒にタスポカードを取り出したことだ。私は使ったことがないが、自販機でタバコを買うのにタスポが必要なことを分かったいるのなら、絶対に頭はぼけていないはずだ。ただ、タスポの写真は目の前のおばあさんとは思えないほど若づくりだ。急に老けこんだのか、それとも最初から若い時の写真を使ったのか。適当に選んでマイルドセブン3箱を渡してあげると満足した様子。おばあさんの家はその自販機からすぐ近くの二階建て木造アパート。二階へはかなり急な外階段がついているので、二階だと大変だな、と思ったが、おばあさんの家は一階の由。部屋まで送り届けようと思ったが、おばあさんは案外平気で車椅子を下り、「ありがとうございました。ここで結構です。」こちらも一人暮らしの老人を狙う不審者と思われてもいやなので、そこでさよならした。次の角を曲がると、我が家の高層マンションが正面に見えた。 Tweet

Korean Town

スポーツジムに出かけたら、エレベータの前に「本日休業」の札が立っていた。毎月15日と30日が定休日なのを忘れていた。家に戻ろうかと思うが、最近、一日最低5000歩を歩くことを日課にしている。このまま帰ったのでは1000歩にもならないので、できるだけ遠回りして歩数をふやそうと、あてどもなく歩き始めた。 ジムは歌舞伎町の真ん中にあるので、昼の歓楽街を靖国通りに出て市役所通りを北へ。市役所通りから職安通りに出る手前を右に入ったところにギリシャ料理店があったはずだと、場所を確認するために右への横道をいくつか入ってみたが、ラブホテルばかりで見つからない。歩数を稼ぐために職安通りを北側にわたる。そこで思いついたのは、近くにいながら行ったことのない、いわゆるKorean Townを覗いてみることだった。手近な路地道を入ると韓国料理店や韓流グッズの店が並び、結構人通りも多い。だが、しばらく歩いて左に入る路地を見ると、その向こうの路地の方が賑やかそうだ。行ってみて驚いた。平日の昼過ぎだというのに、人、人、人の波。老若男女といいたいところだが、老若女プラス多少の男といったところ。店のまえで呼び込みをやっている人たちは、訛りから韓国系とわかるが、お客はほとんどが日本人。あとで調べたところでは、ここは「新大久保の竹下通り」と呼ばれるところらしい。「竹下通り」だけでなく、大久保通り一帯はまさにコリアンタウン。ロスのリトル・トーキョーにアメリカ人が観光や買い物に大挙して集まってきたようなものだ。 ともあれ、豊臣秀吉の時代から謹慎憎悪のような形でいがみ合ってきた隣国同士が、こうした形で親善を深めるのは喜ばしいことだ。2002年のワールドカップ日韓共同開催や韓流スターブームで過去の暗い歴史を克服できたと思うと、靖国神社公式参拝や従軍慰安婦問題での発言など、被害者の神経を逆なでする一部政治家の言動がこれらの努力を台無しにする、という例もある。しかし、竹島領有とか日本海の呼称とか、互いに譲りがたい問題も残るものの、草の根レベルでは両国民の感情の隔たりは確実に解消に向かっているようだ。新大久保駅前に人だかりがしているので覗きこんだら、韓流スターのカレンダーが無料配布されていた。何やかやで、本日の歩数は約8600歩。 Tweet

南大沢

所用があって昨日から八王子の南大沢に来ている。記憶では八王子に来たのは過去2度か3度しかなく、南大沢は名前だけは知っているものの初めてだ。このあたり、多摩丘陵の西の方を新しく開発した地域らしく、歩いて見た限りでは昔ながらの街並みや家々は見当たらない。駅舎も駅前も実に整然と整備されているし、緑は多いがそれらも人工的に配置された感じだ。 ここにきたついでに、アウトレットモールに寄ってみる。もといた商社では小売業関係の仕事にも関係していたのだが、実はアウトレットモールというのも実際に見たのは初めてだ。アウトレットという語感からして、商品棚に無造作に並べた品物を包装もせずに売っているようなイメージを持っていたが、見てみると普通のショップと変わりがない。違うのは値段で、入ってみたCoachの店では値段は正価の50%引きで、入り口でもらったクーポン券を提示するとそれがさらに30%引きになる。つまり正価の35%。いくら型落ち品とは言え、これでは正価とは何なのだろうと思ってしまう。まあ、正価で買うのは常に最新の流行を追い求める、心と財布に余裕のある人たちなのだろう。だが、そんなアウトレットモールも、外観はとてもお洒落で、ヨーロッパの街に入り込んだような感じにさえさせる。そういえば園芸用品の店の建物には”rue de xxx”とか何とか書いてあった。 アウトレットモールからさらに先には「首都大学東京」のキャンパスがある。ここはむかし、東京都立大学という名称だったが、国立大学が独立法人化される流れを受けて、たしか2005年に石原都知事が強引に他の都立の大学や短大と合併させ、従来の都立大とは別の形で発足させたもので、当時はその強権政治を嫌って優秀な教授陣が大量に他大学に流出したことが話題になったものだ。首都大学東京になって教育の質がどう変わったかは知らないが、少なくともキャンパスは落ち着いたたたずまいを見せている。 Tweet

年賀はがき

新宿の地下街を歩いているとジングルベルの曲が流れている。もう12月なんだ、と思うとともに、そうだ、年賀はがきを買っておかなければと気がつく。家には去年の年賀はがきの残りがある。使わなかった年賀はがきは、5円の手数料で別のはがきか切手と交換してくれるはずだ。家に戻り探してみると、去年の残りだけでなく、数年前の年賀はがきや母が亡くなった時の喪中はがき、それに10年くらい前に200枚単位で買った普通はがきも見つかった。それらを持って近くの郵便局に行き、これで今年の年賀はがきと替えてくれと言ったら、駄目だとのこと。普通のはがきや切手とは交換できるが、新しい年賀はがきには交換できないという。どうして駄目なのか聞くと、新しい年賀はがきは籤が付いているので、籤が無効になった前年以前の年賀はがきとでは価値が違うからだとのこと。50円の普通はがきには替えられるのに、同じ50円の年賀はがきは等価ではないというのは、どう考えても理屈に合わない。そもそも10%の手数料をとるのに現金化できないというのも納得できない。だいたい、電子メールや宅配便が普及しているいま、普通はがきや切手に替えてもらっても使い道がない。10年前に普通はがきを大量に買ったのは、その時には葉書を大量に使う理由があったからだ。窓口で議論しても仕方がないので、必要な枚数の年賀はがきを現金で買い、家に帰ってから日本郵便の問い合わせ窓口に電話してみた。年寄りは暇だからしつっこいんだ。。 Q: 普通はがきに替えられるのに年賀はがきに替えられないのはなぜ? A: そう決まっているからです。 Q: だから、そう決まっている理由を聞いてるの。 A: 現金で新しく年賀はがきを買うお客様と、籤の外れた去年の年賀はがきから交換するお客様とが同じでは不公平になるからです。 Q: 籤の外れた年賀はがきは、普通のはがきとは5円の手数料で替えてくれるのね? A: そうです。 Q: 普通はがきは一枚いくら? A: 50円です。 Q: 年賀はがきは1枚いくら? A: 50円です。 Q: なら、どうして不公平になるの? A: 少々お待ちください。   (誰かと相談した後)大変お待たせして申し訳ありません。やはり年賀はがきとは交換できないというお答しかできません。 Q: じゃあ聞くけど、未使用の年賀はがきを、手数料を払っても現金で払い戻してくれないのはなぜ? A: 現金で払い戻しできるとなると、偽造されるおそれがあるからです。 Q: はがきや切手と交換する場合は、偽造されるおそれはないの? A: それは窓口でちゃんとチェックしますから。 Q: 現金払い戻しでも窓口でチェックすればいいじゃない。 A: 少々お待ちください。   (誰かと相談した後)大変お待たせして申し訳ありません。はがきや切手は払い戻しは行わないと約款で決まっていますので。 Q: だから、約款でそう決めた理由を聞いてるんだけど。 A: お問い合わせのようなご意見があったことは、必ず担当部署に伝えておきます。 かつてこのブログの前身の日記にも書いたことだが、亡くなった父が長年買いためていた記念切手を切手商に持ち込んで買ってもらったことがある。父は生前、その切手を甥にやると約束したのだが、父の死後、気の小さい甥は額面で100万円を超える量に恐れをなし、私に処分を頼んできたのだ。むかしは記念切手は発行されて数年たつと必ず値上がりし、父は息子や孫に残してやれる財産のつもりで記念切手が出る都度シート単位で買っていたのだが、いまは切手収集などする人は少なく、また記念切手も大量に発行されるので価値は下がり、封書やはがきにつかうにしても普通切手より使いにくいので、切手商も額面の20~30%引きでしか買ってくれない。切手商によると、シート単位でない場合でも、A3の紙に切手を並べて貼ってくれれば買い取るという。むかしは、収集用の切手なら、裏の糊が少し剥がれても価値が下がるので、専用のピンセットで扱うのが普通だった。それを紙に並べて貼るとなると、収集用でないのはもちろん、封書などに貼るという切手本来の目的にも使えない。考えられることは、日本郵政が切手商を通じて、切手商の買い入れ価格に多少上乗せした値段で買い取ることくらいだ。それでなければ切手商の商売は成り立たない。つまり、日本郵政にとって、発行済みで未使用の切手は旧郵政省や旧郵政公社時代から継承した債務だから、それを額面より安く買えば、企業が社債を額面以下で買入消却するのと同じで、額面との差額が利益になる。日本郵政の問い合わせ窓口は、「日本郵政が発行済みの切手やはがきを買い取ることは絶対にありません。」と否定したが、私が切手商から帰るとき、入れ違いに「郵便局ですが、今日はなにかありますか?」と入ってきた人がいた。あの人は何をしに切手商に来たのだろうか。 さて、年賀はがきは買ったけど、文面はどうしようか・・・ Tweet

松戸会

いつもの「松戸会」の気の早い忘年会。場所もいつも通り◯立の「神田クラブ」だが、ここは間もなく改築され、システムも変わるので、部外者の我々が使わせてもらえるのは今回が最後となる。次回からは日本橋室町の〇レ社員クラブとなる予定。松戸会の由来については10月26日のブログに書いた。今回の出席者は16名。恒例によって、前回(7月5日)以降の「事業報告」と称して出席者それぞれが近況を話す。私は、3月の震災の時に海外出張していたが、その後は腰痛もあって海外旅行は控えていること、腰痛の方は手術の予約までしていたが、知人の紹介でAKA博田法の医師を紹介され、手術なしでほぼ症状が治まったこと、9月で会社を辞めたが、税理士をやっている妻の仕事を手伝っていることなどを報告した。平均年齢が70歳超というグループなので、私以外にも腰痛を持っている人が多かった。他の人の話としては、次のようなのが印象に残った。 (1)震災被災地の友人の話として、芸能人のボランティアの中には売名目的としか思えないものもあり、中でも「石〇軍団」には現地は辟易している。 (2)浦安に住んでいるが、液状化で家が傾き、建て替えることになった。地震保険と自治体の補助金はあわせて150万円。不足分はローンを組んだ。 (3)家のある流山はホットスポットで放射性物質による汚染の恐れがある。自分たちはいいが、遊びに来る孫のため、自費で除染を行っている。 Tweet