Diary


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August 20, 2010 =Fri=

漢昭烈廟 前出師表
武侯祠 諸葛亮像
劉備の墓へ続く赤壁の道 劉備の墓
ホテルから工事中の道路を経て九寨溝黄龍空港へ。成都には10時頃に着く予定だったが、出発が遅れ成都到着は正午を回っていた。

まずは成都市で一番の観光スポットである武侯祠に行く。成都に来たのなら、本当は自分の名前とも関連のある杜甫草堂(杜甫が晩年、戦乱を逃れて成都に住んだときの旧居)も観たかったのだが、これはコースに入っていなかった。

武侯祠は、本来は漢昭烈廟といい、蜀の初代皇帝劉備を祀った廟だが、後に劉備の参謀である諸葛亮(孔明)を合祀し、主従を祀る珍しい廟となった。漢昭烈廟の名称の由来は次の通り。、劉備は自ら漢の継承者を任じ、後世、統一王朝の漢と区別するために蜀漢、もしくは蜀と呼ぶようになったが、当時の正式な国名は「漢」であった。また劉備は皇帝になって「昭烈帝」と称したことから、「漢の昭烈帝の廟」すなわち「漢昭烈廟」となったもの。

中に入ると「前出師表」が掲げられている。出師表とは、臣下が出陣に当たり皇帝に捧げる文章のこと。これは劉備亡きあと、魏への出兵に際して、諸葛亮が二代目皇帝となった劉禅に奏上したもので、名文中の名文とされる。諸葛亮はこの後にも出師表を出しているので、それと区別するために「前出師表」という。「臣亮言。先帝創業未半、而中道崩殂。今天下三分、益州疲弊、此誠危急存亡之秋也。 ...臣亮申す。先帝の創業未だ半ばにして、中道に崩殂せり。今や天下は三分し、益州(蜀)は疲弊、これ誠に危急存亡の秋なり。云々」諸葛亮の心配通り、劉禅は先代と違って愚帝だったらしく、蜀は彼の代で滅亡してしまう。

武候祠の額を掲げた門は漢昭烈廟の中にある。写真の諸葛亮のほかに劉備、関羽、張飛の像もあるが、祀られているのは劉備と諸葛亮だけ。ガイドに「関羽は祀られてないの?」と聞くと、「関羽さんは偉くなってあちこちに関帝廟が造られています。」「ああそうか。関帝廟ね。行ったことあるよ。」と言ったものの、どこで行ったのか思い出せない。後になってから思い出したのだが、「そうだ、横浜中華街だった。」

で、ここには当然ながら劉備の墓もある。墓に続く道は赤壁に囲まれ、竹林の緑と絶妙のコントラストを見せている。皇帝の墓は副葬品を求める墓泥棒に荒らされるのが常だが、劉備の墓は盗掘を受けていない。埋葬から数年後に墓泥棒が入ったが、墓の中で泥棒はしんだはずの劉備が悠然として誰かと碁を指している光景を見て仰天、その噂が伝わり泥棒に入る者がいなくなったとか。ただ、誰も入ったことがないので、本当にここが劉備の墓なのかということも立証されておらず、最近は河南省で曹操の墓が発見されて話題になったのに影響を受け、他にも「劉備の墓」と称するものが「発見」されているという。

九龍空港からの到着が遅れたこともあり、予定にあったショッピングは省略して楽山に向かう。世界遺産でもある楽山大仏は、長江(揚子江)の支流である岷江と他の二つの川が合流する地点にある。あまりに巨大な仏像なので、川から船で見ないと全体像が掴めないのだが、大雨のため川の水量が増加し、船が出なくなってしまった。事実、河川敷の運動場は水没して、バスケットボールのポールが半分だけ水
面から突き出ている。

そこで、船ではなくもっと近くから大仏を見ることにし、約300段の階段を上り、大仏の頭頂部付近から眺めることにする。四川省楽山市にある大仏は、高さ71mで、奈良東大寺の大仏の5倍。世界最大の磨崖仏で、モデルは弥勒菩薩。ただ、余りに近すぎて大きさが良く分からない。

今日はこのまま楽山のホテル(嘉州賓館)に泊まる。ここも三つ星クラスだが、室内にLANケーブルがあり、インターネット接続は無料なのがありがたい。
  • 成都 Chengdu
  • 武候祠 ?
  • 三国志 Records of Three Kingdoms
  • 蜀 Shu Han
  • 劉備 Liu Bei
  • 諸葛亮 Zhuge Liang
  • 杜甫 Du Fu
  • 楽山 Leshan
  • 楽山大仏 Leshan Giant Buddha
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August 19, 2010 =Thu=

黄龍の入り口
昨日の九寨溝は、湖から湖をグリーンバスで移動し、着いたら降りて少し歩くだけだったが、今日の黄龍は少し違う。というのもまず黄龍に行くまでに標高3960mの峠を越える。これはバスでの峠越えだから、言われなければ分からないくらいだが、気龍の入口でバスを降りて、、そこからロープウェイの下の駅まで10分ほど歩く。ロープウェイの山上駅で降りて、黄龍寺手前の分岐路まで約1時間、黄龍寺を回りこんで黄龍一番の見どころである五彩池を眺めて分岐路まで戻るのに1時間。そこから入口まで戻るのに約2時間を、それぞれ自分の足で歩くことになる。道は全行程ちゃんとした木道が整備されているし、ロープウェイで上がっているので登り道は少なく、全体としては下りなのだが、五彩池は3500mの標高にある。バスの中で一人一つずつ酸素ボンベが支給され、また木道の要所要所には酸素吸引所が設けられている。(マウスピースを一回ごとに取りかえるため、2.5元(約30円)が必要。結果的には酸素ボンベを使うことはなかったが。木道にはあちこちにちゃんとしたトイレが設置されており、トイレも木道も常に係員が清掃していて清潔に保たれている。黄龍はもちろん自然遺産として世界遺産に登録されているが、この山奥かつ高地に、これだけの設備を整えていること自体、文化遺産といっても良いかもしれない。これも中国得意の人海戦術によるものだろうか。
整備された木道 黄龍寺(この奥に五彩池がある)
五彩池
婆夢映彩池 黄色い石灰岩の岩肌を水が流れる金沙舗地
飛瀑流輝 迎賓彩池

設備が整っていて歩きやすいと言っても、小雨が降ったり止んだりする中、標高3000mを超えるところを4時間以上歩き続けるのはかなり体力を要する。だが、黄龍寺を左側から回り込み、五彩池が見えてくると疲れも忘れる。雨のせいかもしれないが、五彩池は、すぐ近くから見るよりも、さらに進んで上から見下ろす一の方がより美しく見えるようだ。石灰岩の浸食によって形成されたカルスト地形であることは九寨溝と同様だが、こちらは金沙舗地に見られるような黄色の石灰岩の岩肌と、五彩池を筆頭とする龍のうろこを思わせる棚池とが相俟って独特の風景をつくりだしている。棚池は数千の数に及ぶらしく、石灰を豊富に含んだ背後の山々からの雪解け水が、長い時間をかけて落ち葉や小枝を固め、池の淵を形成するのだという。その水は石灰質を含むとはいえ、あくまでも透明で美しい。

黄龍から次のホテルに向かう。今晩のホテルは川主寺(せんしゅじ)という町(村?)。ここに泊まるのは単に飛行場が近いからというだけの理由だ。このホテルは、九寨溝から黄龍に行く途中で翡翠などを売っている宝石店に寄ったのだが、その宝石店に隣接していて、昼食もこのホテルでとったから、黄龍からはホテルに戻ってくる形になる。この一角、ホテルや土産物店が集まっていて、2年前の四川大地震のせいでもないだろうが、そのほとんどが改修工事をやっている。建物だけでなく道路も工事中で、ここをバスが進む時には天井に頭をぶつけそうになるほどだ。(残念ながらこのバスにはシートベルトも付いていない。)

川主寺国際飯店という立派な名前だが、グレードは二つ星か、せいぜい頑張って三つ星というところだろう。このあたりは標高3000mで夜はかなり冷え込むのだが、暖房設備はない。その代わり、ベッドには電気毛布が入っていた。電気毛布は日本製らしく、プラグの形状は日本式のA型。だから電源タップも中国式のハの字にアースの付いたO2型でなくA型とO2型が使えるのを用意してくれていた。明日は5時15分にウェークアップコールがあるとのことだったが、念のため携帯電話でアラームをセットしておいたのが正解。翌朝5時半頃になってホテルの従業員が扉を叩いて「もーにんぐこーる!」と叫んで回っていた。電話機はあるのだが通じないらしい。もちろんインターネットはケーブル、無線ともなし。

黄龍 Hyanlong
川主寺 Guo Dao

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August 18, 2010 =Wed=

「九寨溝」の「寨」は村という意味。「溝」は谷を意味する。つまり
犀牛海
諾日朗瀑布
五花海
チベット人の村
五彩池
「九寨溝」とは「9つの(チベット族の)村がある谷」といった意味らしい。その谷は、左の地図のようにY字の形をしている。地図の一番下の「九寨溝鎮」とあるのは「九寨溝市」というような地名で、われわれのホテルもここにある。Y字の一番下が九寨溝の入り口であり、ほてるからはバスで10分ほど。九寨溝の中には普通のバスは入れず、LNGによる中型バス(グリーンバス)に乗り換えるのだが、我々のグループはちょうど人数がグリーンバスに収まるので、ホテルまでグリーンバスが迎えに来てくれた。


九賽溝や黄龍はわれわれ外国人観光客だけでなく中国国内でも大変な人気で、紅葉の季節になると身動きのとれないほどの人波で埋め尽くされるという。今の季節も本当なら中国人観光客でいっぱいのはずだが、先日来の大雨で成都からのバスルートが土砂崩れで昨日から閉鎖されてしまった。このため空路からしかアクセスがとれず、比較的空いているらしい。九黄空港から合流したガイドのRさんも、成都に住んでいてバスで来てわれわれを待ち受ける予定だったが、急遽航空券を手配してやってきたという。


中国人観光客の人混みを出来るだけ避けるべく、普通ならY字の右上に直行してそこから中心に降りてくるところを、逆にY字の中心から右上にあがるルートを取る。朝早い方が鏡海の水面が静かで文字通り鏡のように山々を映し出すのだそうだ。事実、昼ごろに再び鏡海に戻ると水面が波立っていて鏡面とは言えない状態
鏡海
箭竹海
チベット仏教のマニ車
五彩池
だった。

九寨溝は、カルスト地形の山からの、石灰分を含んだ水が多くの湖水を造り、炭酸カルシウムが湖底に沈殿し、倒木の周囲を覆って腐敗を防ぎ、独特の色合いをつくりだしている。これによく似た風景は、一昨年の9月に訪れたクロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園だ。規模は九寨溝の方がはるかに大きい。

ガイドのRさんによれば、九寨溝が観光地として脚光を浴びるようになったのには次のような経緯があるという。Yの字の右上、奥の方に熊猫海、箭竹海という湖がある。熊猫はパンダ、箭竹はパンダが好む笹の意味だが、このあたり大熊猫、ジャイアント・パンダの生息地だ。以前は九寨溝のあたりは立ち入る人もなかったが、ある年、笹が何十年に一度花を咲かせて一斉に枯れた。このため食物がなくなったパンダが餌を求めて人里まで降りてくるようになった。村人たちがこれを省政府に報告し、視察に来た役人が九寨溝の風景に感激し、これは四川省にとって大きな観光資源になるとのレポートを上げた。省長自らも視察し、九寨溝の観光開発が決まった。その省長は国家副主席にまで昇進した。(というのだが、ネットで歴代の副主席や副総理を調べてみても、前身が四川省長という人は見つからなかった。)

これもガイドのRさんの話。チベット族など少数民族には一人っ子政策は適用されないが、Rさんは漢民族なので一人っ子政策の対象となる。だが、彼女は三人姉妹の二番目だ。儒教の影響で、中国人家庭では後継ぎ男子を欲しがる。梁さんの両親も長女が生まれたあと、男の子が欲しくて10万元?の罰金を払ってまで二番目、三番目をを生んだが、いずれも女の子。このため梁さんと妹は罰金子と呼ばれた。また、梁さんの罰金で財産を使い果たしたため、妹のときは罰金に代えて飼っていた豚を供出したので、三姉妹は三豚とも呼ばれたそうだ。で、Rさんは中学を出たあと働いてお金を貯め、大学に入った。大学で外国語をやりたかったが、高校に行っていないため英語は無理と言われ、一から教えてもらえる日本語を選んだ。まだ日本には行ったことがないが、日中友好協会が日本に連れて行ってくれる約30人(全中国で)の中に選ばれ、来月訪日することになっている。

Yの字の中心部にある餐庁(レストラン)で昼食。九寨溝は四川省の中でもアバ・チベット族チャン族自治州(漢字で書けば、阿壩蔵族羌族自治州)にあり、付近はチベット族や羌(きょう・チャン)族の村が多いが、もちろん九寨溝の中にもある。チベット族の村で特徴的なのは家の周囲に建てられた幟旗。識字率が低いチベットの人たちは経文の代わりにこうした幟旗を立てるのだそうだ。こうしたチベット族の家々は、昔は素朴だったらしいが、今はなかなか立派な造りで、家の前には立派な外国車が停めてあったりする。観光で大いに潤っているのだろう。

もうひとつチベット仏教に特有なのがマニ車。この中には経文が収められており、この車を回すと回した数だけ経文を唱えたのと同じご利益があるという。

午後からはY字の左側を進む。こちら側には九寨溝でも最も美しい五彩池がある。水深は6mほどあるらしいが、水底までくっきりと見える。が、それよりも驚かされるのは不思議なほどの水の青さと透明さ。これを見れば九寨溝まで来た目的は達せられたと言ってよいだろう。

最後にYの字の下の縦の部分、老虎海や樹正瀑布を見てホテルに戻る。夕食の後、ホテルの別棟にあるホールでチベット民族舞踏ショー。会場に入ると各席に人の手の形をした3枚重ねのプラスチック板が置いてある。これを振るとプラスチックの手が叩きあわされてパンパンと音を立てる。これが会場中でやるものだから、ショーが始まらないうちから客席が勝手に盛り上がる仕組み。会場は最前列にコーカシアンらしい一組が見えるだけで、我々以外はすべて中国人のようだ。ショーはダンスとチベット人歌手の歌。歌は日本の演歌のようなもので、人気歌手らしく会場は沸くが、言葉の分からないわれわれにはどうもピンと来ない。会場から数人の観客を舞台に上げ、綱引きをやらせてチャンピオンを選び、チャンピオンとチベット人女性との結婚式のまねごとを演じて中国人観客たちはさらに盛り上がっていた。
  • 四川省 Sichuan
  • 九寨溝 Jiuzhaigou Valley
  • アバ・チベット族チャン族自治州 Ngawa Watusi Tibetan and Qiang Autonomous Prefecture
  • 諾日朗瀑布 Nuorilang Falls
  • 鏡海 Mirror Lake (Jing Hai)
  • 五花海 Five Flower Lake (Wuhua Hai)
  • 熊猫海 Panda Lake (Xiongmao Hai)
  • 箭竹海 Arrow Bamboo Lake (Ziangzhu Hai)
  • 五彩池 Five-Color Pond (Wucai Chi)
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August 17, 2010 =Tue=

甘海子
早朝にホテルを出て、中国東方航空の国内線で西安から九黄空港へ。9時着の予定だったが30分くらい遅れた。この空港は標高約3450m。中国では5番目の高さにある空港だ。世界で一番高いところにある空港と言えば、昔行ったことのあるボリビアのラパス空港(正確にはエル・アルト空港、標高4000m余り)だと思っていたが、中国にはチャムド・バンタ空港(チベット、4334m)、ダルツェムド空港(四川省、4280m)、ガリ空港(チベット、4270m)と世界で1位から3位までの高さの空港がある。またチベットでは4434mのところに新たに空港を建設中で、完成すればこれが世界一になるという。九黄空港は文字通り九賽溝と黄龍という二大観光地への玄関口。完成したのは2003年で、それまでは九賽溝に行くには成都から10時間バスに乗るしかなかった。飛行場はあるにはあったが、戦前に蒋介石が造った軍用空港(この付近が軍事上の要衝であったことと、砂金が採れたためという。)だけだった。今やこの空港への便は就航各社にとって超ドル箱路線になっている。

予定では、ここから松潘の古城に行くことになっていたが、川主寺と松潘の間の道路が工事中で、7月初めに終わるはずの工事がまだ終わっておらず、加えて数日前からの豪雨被害も重なって通行できないため、予定を変更して甘海子という湿原地帯に案内された。

ここは標高約3000mの高原地帯。もともとは高山湖だったが、地質変化で水が抜け、湿原となった。そのため、本来は干海子という名前だったが、発音の似た甘海子と変わった。尾瀬のように木の遊歩道が付いていて、周りには高山植物が花を開いている。ここを歩いていて気が付いたのだが、あちこちで盛装した若い女性をプロカメラマンが撮影している。CMか何かのモデル撮影かと思ったが、聞いてみると、結婚の決まった女性が独身最後を記念して美しい景色をバックに記念写真を撮るする風習があるのだそうだ。頼んで撮らせてもらったのが右の写真。風習と言ってもそれほど古くからのものとは思えない。最近の流行なのだろう。この記念撮影は甘海子だけでなく、翌日訪れた九賽溝でもしばしば見られた。

午後2時ごろには九賽溝シェラトン(九賽溝喜来登国際大酒店)に入る。この旅行でここだけがデラックスクラスで二連泊。このホテルでは客室でのネット接続は1時間20元、24時間60元。ただしロビーでは無線LANが無料で使える。

時間も早かったので、チベット式のマッサージを頼む。90分で360元。左足の脹脛が異常に凝っているとのことで、そこを集中的にやられた。いままで特に気がつかなかったのだが、マッサージで悪いところが表面に出てきたらしく、そこを揉まれると強烈に痛む。これにはチベットの薬草種が効くとのご託宣だが、遠慮しておいた。妻はさらに45分の足壺マッサージも受ける。
  • 九黄空港 Jiuzhai Huanglong Airport
  • 松潘 Zung Chu
  • 川主寺 Chuanzhusi
  • 甘海子 Ganhaizi

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August 16, 2010 =Mon=

兵馬俑博物館 1号抗 兵馬俑抗博物館(銅馬車館)
復元された銅馬車 1号抗の内部
1号坑の兵馬俑 1号坑の兵馬俑
1号坑の兵馬俑 1号坑の兵馬俑(まだ修復作業が続く)
今回の旅は、まずハイライトのひとつである西安郊外の兵馬俑抗から始まる。西安からバスで約1時間。秦の始皇帝陵から1kmのところに兵馬俑抗がある。始皇帝陵へも行ければ行きたかったが、バスの窓から眺めるだけ。小高い丘のような古墳だ。兵馬俑抗はまず博物館から。ここには出土した銅製の馬車が展示されている。馬車は2台あって、写真の物は2台目の方。先頭の馬車には御者が乗っている。2台目の馬車はドームのような形で、ここに始皇帝が乗ったものと考えられる。銅製で、2分の1の縮尺で造られたものだが、その精巧さは今にも動き出しそうだ。

そして1号坑。巨大なドーム式天井の下に無数の兵馬の列。発掘現場がそのままドームで覆われ、公開展示されている。2200年あまりの昔、初めて中国を統一した始皇帝の死は、これほどの規模で弔われなければならなかったのだろうか。エジプトのピラミッドにも匹敵する膨大な労力だ。部下を殉死させる代わりに素焼きの人形にしただけ良かったのかもしれないが。立ち並ぶ兵士たちは約8000体。まだ修復作業は続いているのだから、その数はもっと増えることだろう。

この兵馬俑抗が発見され、世界に衝撃を与えたのは1974年と比較的最近だ。井戸を掘ろうとしていた農夫が見つけ、政府に報告した
2号坑の将官クラスの像
のが契機だという。件の農夫は以後すっかり名士となり、博物館の名誉副館長の肩書で、いまも時折現地に来ているという。後で博物館の売店を覗いてみたら、当の名誉副館長が観光客の買った兵馬俑抗の写真集に署名をしていた。妻が近付いて握手を求めるとにこやかに応じてくれた(ガイドによれば「彼と握手できるのは国賓級の人に限られるんですよ。」とか?)が、カメラを向けると"NO PHOTO PLEASE"と書かれた団扇で顔を覆ってしまう。無理に写真を撮ると機嫌が悪くなるそうだ。

兵士たちの身長は平均180cm。当時の中国人はそんなに体格は良くなかったそうだから、偉大な帝を護る兵士たちの人形は実態よりかなり大きく造られているようだ。その表情は一体一体すべて異なっているが、この1号坑に並んでいるのは最下級の兵士たちで、将官クラスは2号坑でガラスのケースに収まっている。1号坑の兵士たちがちょんまげ頭なのに対して、こちらは髪型や服装も違っているようだ。

なお、われわれ日本人は漢字を知っているがゆえに、中国の固有名詞を英語で何と言うのか戸惑うことがある。以下、適宜固有名詞の英訳を備忘のため記録する。
  • 秦の始皇帝 First Qin Emperor または秦始皇 Qin Shi Huang または始皇帝 Shi Huangdi
  • 兵馬俑 Terracotta ArmyまたはTerracotta Warriors and Horses
なお、秦始皇兵馬俑博物館の公式ホームページ(中国語・英語)もある。

華清池 蓮華湯
兵馬俑抗からさほど遠くないところに華清池がある。ここは温泉地で、唐の玄宗皇帝と楊貴妃とが愛を交わした場所。右の写真は玄宗皇帝専用の浴室「蓮華湯」このほかに楊貴妃専用の「海棠湯」もある。屋外には観光客へのサービスか、楊貴妃のヌード像もあり、これも中国の「改革開放路線」の現れだろうかと感じ入る。

楊貴妃は719年の生まれで、735年、16歳で唐の玄宗皇帝の18番目の息子である寿王に嫁ぐが、その5年後に義父である玄宗に見染められ、玄宗の妾となる。玄宗は楊貴妃の色香に溺れ、政は宰相に任される。皇帝の寵愛を受けた楊貴妃を盾に、楊一族が政治を私物化するようになり、安禄山の乱が起きて玄宗は首都・洛陽から蜀に逃れる。その途中、玄宗につかえる武将・陳玄礼が諸悪の源として楊貴妃の殺害を迫る。玄宗は楊貴妃を庇ったが、最後には抗しきれず、楊貴妃の殺害を認める。時に楊貴妃37歳。クレオパトラ、ヘレネーと並んで「世界三大美女」とされる。
  • 唐 Tang
  • 玄宗皇帝 Emperor Xuanzong
  • 楊貴妃 Yang Guifei
  • 華清池 Huaqing Hot Springs
朱雀門

大雁塔
西安に戻り、大雁塔へ。ここは652年に唐の玄奘三蔵が天竺から持ち帰った経典を納めた建物。玄奘三蔵は言うまでもなく「西遊記」の主人公のモデルだが、実際に629年にインドへ向けて旅立ち、645年に657部の経典を長安に持ち帰り、その翻訳(サンスクリット→漢語)を行っている。日本でもポピュラーな「般若心教」も彼の訳によるものと言われる。

因みに長安は現在の西安である。日本の平城京、平安京はいずれも長安をモデルにした都市計画で、東西・南北に碁盤目のように道路が通じ、北の中央に皇城(日本では内裏)があり、皇城の南中央が朱雀門、そこから南の端の門まで朱雀大路が走る。この南の門は長安では明徳門というが、平城京、平安京では羅城門といい、黒沢明の名作「羅生門」はこの羅城門の当て字だ。長安の街は城壁で囲まれており、われわれのホテルもこの城壁の中にある。現在の朱雀門は右の写真のもので、この城壁は北アフリカのメディナを囲む城壁にも似ている。

大雁塔は大慈恩寺の境内に建っており、この寺の住職は増勤和尚といい、現代中国を代表する書家だ。寺ではこの寺専属のガイドが付くが、ガイドは巧みに彼の書の売り場に観光客を導く。大雁塔は内部の壁に沿って階段が付いており、最上階まで登ることが出来る。階段の数を数えながら登ったら248段あった。一階には展示物があったが、時間が限られてたため登って降りてくるだけで精いっぱいで見る余裕はなかった。
  • 西安 Xi'an (長安 Chang'an)
  • 大雁塔 Giant Wild Goose Pagoda
  • 玄奘三蔵 Xuanzang Sanzang
  • 西遊記 Journey to the West

ホテルでの夕食(餃子宴)の後、会場がそのまま唐歌舞ショーの舞台になる。アクロバティックなものから優雅な舞踏まで、なかなか見応えがあるのだが、背景はハイテク技術を用いているのかスムーズに次々と切り替わる。動画ではこんな感じ。

ここ古都新世界大酒店(Grand New World Hotel)では、客室のデスクにLANケーブルがあったものの、昨夜も今夜も時間がなく、ネット接続は試せなかった。
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August 15, 2010 =Sun=

17時成田発の中国東方航空で上海経由西安へ。成田→上海、上海→西安とも便名は同じMU-522便だが、上海で一回り小さい機体に代る。確か上海までがエアバス333で、上海からがボーイング727だったろうか。乗客の数によっては同じ機体で西安まで飛ぶこともあるらしい。成田でのチェックインの際、ほとんどが中国人か日本人の中、一人だけアフリカ系の男性がいて、書類に不備でもあるのか手間取っていた。西安に着いてターミナルに向かうバスの中で彼と一緒になったので、どこから来たのか聞くと、ここ(西安)に住んでいるとのこと。なんでもザンビアの出身で、西安の長安大学で高速道路のエンジニアリングを勉強しているとか。名刺を貰うとちゃんと中国語の名前も付けている。肩書は長安大学の「博士生」とあり、英文では"Ph.D. Candidate"となっている。頑張って、"Candidate"を消してくれよ。ザンビアと言えば銅資源で有名だ。こんなところでも中国とアフリカの結びつきは強くなっている。

上海からの出発が遅れたため、西安のホテル「古都新世界大酒店」に入ったのは夜中の1時半になっていた。
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August 12, 2010 =Thu=

娘がホームページを開設するのに彼女の友達でそうしたことをやっている人に作成を依頼した。私のこのホームページやメールはアメリカのペンシルバニアあたりにあるレンタルサーバーを借りている。始めてホームページを開設したのは15年くらい前になるが、当時は日本よりアメリカの方がレンタル料も安かったことが理由だ。しかし、アメリカ企業の常としてM&Aが繰り返され、今のレンタルサーバ会社はもう4社目くらいになる。そのたびにユーザーサポートに若干の違いが出てきたりするし、最近一番困っているのは、メールサーバがアメリカの基準で送信者とタイトルの組合せを見てジャンクメールと判断し、受信拒否をしてしまうことだ。「君のアドレスにメールを送ろうとしたら拒否されて送れなかった。」というクレームを何度も受けている。サポートに聞いてみると、サーバのセキュリティレベルを下げればある程度解決すると言うので、レベルを下げてみたら確かに一時は持ち直した。しかしその副作用でジャンクメールが急増した。ジャンクメールはOutlookの迷惑メール振り分け機能で何とか凌いでいるが、最近また、セキュリテイレベルは同じなのに受信拒否が増えて来た。そこで、娘のホームページ作成をお願いした人に頼んで、ドメイン名はそのままで日本のサーバに引っ越しすることにし、今日やっとその作業が完了した。これでサポートも日本語で済むことになる。
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August 11, 2010 =Wed=

以前、一緒に仕事をしていたN、H、Sの諸氏と丸の内TOKIA地下の「菊亭」で会食。私と同年齢のN氏はすでに現役から離れ、絵画と陶芸に没頭する日々を送っている。H,S両氏は同じ会社で仕事をしているが、H氏も絵をやっているそうだ。私もそうした趣味を見つける努力をすべきかもしれない。H、S両氏は先月までは派遣会社との契約で、かつての勤務先の子会社に派遣される形を取っていたが、派遣会社の都合で今月から業務委託契約に変更された。つまり個人事業者になったわけだ。給与所得控除がなくなる代わりに、必要経費が落とせることになる。今晩の飲み代も交際費となるかもしれない。
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August 9, 2010 =Mon=

久しぶりに娘のところの双子の世話を頼まれる。今日はこの人の中華料理店が六本木にオープンするので、妻と娘がそのオープニングパーティに招待されており、娘の夫が帰ってくるまで子供たちの面倒を見てくれというもの。パーティにはアントニオ猪木やデヴィ・スカルノ夫人など著名人も来ていて、盛大だったそうだ。
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