October 31, 2003 =Fri=
月末。増資が延び延びになっているため会社の資金繰りが苦しいが何とか乗り切る。増資を含めて来月の資金調達も目処がつく。法人税などの申告書もぎりぎりになったが提出完了。
今日で辞める部下の送別会を開く。庄屋の銀座一丁目店。私がこの会社に来た初日にミスをおかし、辞めると言い出した男だが、ミスによる辞任は単なるきっかけで、本心は前から辞めたがっていたらしい。何とかこれまでもたせて来たが、新しい採用も行ったので彼が辞めても何とかなるだろう。もともと余りにも線が細く、主体的に判断する気がなく、言われたことだけを処理するという姿勢しか見せないので、辞めたほうが本人のためでもあるのだろう。隣の部にいて辞めた女性も送別会に加わる。
October 30, 2003 =Thu=
朝、銀行に直行するも、書類が一つ不足していたことが判明。結局会社との間を二往復する羽目に。
昼は、前の会社の友人と、交通会館15回のスカイラウンジでランチ。今日も快晴で回転展望レストランはほかほか陽気。ふと亡父の俳句の処女作「日向ぼこ障子にうつる猫の影」を想いだす。都心のビルの屋上のレストランにはふさわしくないが・・・
家に帰ると宅配ロッカーに宅配便が来ている。党本部から妻あてだ。開けてみると筒状の賞状入れで、中には民主党の公認証。こんなのを渡すのは本部で授与式のようなセレモニーがあるのが普通じゃないか?選挙が始まってそれどころじゃないのと、どうせ名前だけの比例単独なのだから宅配便でも公認証が来るだけましと言うべきか。
October 29, 2003 =Wed=
会社の顧問税理士が来社し、法人税、法人住民税、事業税、消費税等の申告書が揃う。ところが税額は私が試算したよりも少なくなった。それは喜ばしいことだが、一つ問題が発生。納税資金宛借入は、実際の納税額の範囲内でなければならず、昨日手続きをとった借入額はこれを少し上回っている。そこで銀行に出向いて、金額修正の必要書類を受け取る。明日の朝、出勤途上に家から近くにある銀行に立ち寄って手続き完了の予定。
今日の朝刊では朝日も比例単独まで写真入で出ている。読売は昨日の夕刊はモノクロだが、今朝の朝刊はカラーになっている。しかしいずれも写真写りに関して本人は不満の様子。
October 28, 2003 =Tue=
衆院選が公示された。各紙とも夕刊に候補者一覧が掲載されているが、比例単独候補まで写真入で掲載したのは読売だけ。朝日は小選挙区候補のみ写真入となっている。
会社の方は、今月末に法人税を納めなければならず、納税資金は銀行から借りる目処がついているものの、社長は明日からまた出張なので、今日中に手続きが必要。9月に予定していた増資の手続きが遅れているため、資金繰りが厳しい。
October 27, 2003 =Mon=
一夜明けると雲ひとつない快晴。観光バスの席は昨日は後ろの方だったが、今日は一番前。今日のルートは、観光バスで立山へ行き、そこでバスを降りてケーブルカーで7分の美女平、それから高原バスで1時間弱走って標高2,450mの室堂へ。ここで昼食を含め約2時間程度自由散策の後、トロリーバスでトンネル内を10分ほど走って大観峰へ、次にロープウェイを7分で黒部平、トンネル内のケーブルカー5分で黒部ダムに着く。ダムの堰堤を15分ほど歩いて関西電力が運行するトンネル内のトロリーバスで16分、棚沢に着くとそこに朝乗った観光バスが待っていて、松本駅まで行き、18時54分発のあずさ70号で新宿着が21時39分。このコースの立山から棚沢までがいわゆるアルペンルートで、乗り物の待ち時間が多い。
添乗員やガイドは、昨日の期待はずれ(自己だから仕方ないが)の埋め合わせで今日の好天を強調する一方、また期待はずれとならぬよう、山の天気の変わりやすさも強調し、下は晴れていても山の上は雨かも知れないと予防線を張るが、何処まで行っても雲の翳り一つない。
美女平あたりで
は紅葉を通り過ぎて冬枯れの景色だが、室堂に着くとそこはもう雪の世界。天気が良いので体感温度はさほどでもなく、雪の中で石に腰を下ろして弁当を広げる。トンネルトロリーの乗り場でもある室堂ターミナルの屋上から続く道がミクリガ池等を経て約1時間の周遊道路になっている。池あたりで引き返す人が多いが、一周ずうっとまわってみる。ミクリガ池を過ぎると人影も少なく、本当の大自然に囲まれた感じだ。大観峰から黒部ダムを望む景観も雄大。黒部平や黒部ダムの湧き水もおいしい。とにかく快晴に恵まれ、昨日の苦難が帳消しになった。
今日も妻の携帯には留守電が頻繁に入る。マスコミは収まったが、新聞で名前を見たという地元ミニコミ紙や知人からの電話が主体だ。意外だったのは、当然携帯電話の圏外と思っていた標高2,450mの室堂で、受信状態が極めて良好なことだ。街中でよりもはっきりと聞こえる。おそらくターミナルビルに基地局があって、途中に障害物がないせいだろう。
家に帰ると、11時の約束なのに10時半頃からマスコミが来訪。妻にしてみれば、何もなくてもそろそろそろそろ美容院に行かなければと思っていたとき。つまり写真撮影には一番まずいときだ。しかも旅行から帰ったばかりで化粧もろくにできないと文句を言っている。だがマスコミの方も立候補者の写真を確保するのは一種の義務であり、公示日が翌日に迫っているとなれば、少しでも早く取材をすませたいところだろう。
October 26, 2003 =Sun=
と言うことで、妻が衆院選の候補者になったが、今回の選挙は党の方の都合による要素が強いし、有権者に自分の名前を書いてもらうわけでもない。こちらにはこちらの都合もある。今月半ばに北海道に紅葉を見に行ったが、今年は紅葉シリーズの旅行を計画していた。選挙の公示は28日だが、今日から明日、27日にかけて一泊で黒部に紅葉を見に行く旅行を計画していたのだ。殆どの候補者にはそんな余裕はないだろうが、こちらは公示前からシャカリキになる理由はないので、若干後ろめたい気もするが、予定通り旅に出た。もっとも、前日に毎日新聞から写真を撮りに行きたいとの電話があり、写真と経歴書をメールで送ることで了解してもらったが、他のマスコミからも同様の依頼があるだろうとは覚悟していた。
朝、東京駅に集合し、上越新幹線のMaxとき309号で長岡へ。そこから観光バスで宇奈月温泉へ行き、トロッコ電車で鐘釣まで行って自由散策という行程。ところが宇奈月に着くと、トロッコ電車の機関車故障で大幅に遅延しているという。折からの観光ラッシュで次々と到着するバスの乗客が順繰りに遅れたトロッコ電車に乗り込む。われわれはもともと1時半頃の電車だが、改札が始まったのが3時すぎ。電車は一列に四人ずつ並ぶが、左手の席に座る。ところが左手は山側で景色が良いのは右側。まあ帰りに左側に乗れば良いかと思いつつ、途中駅で対抗列車を待ちながら鐘釣まで1時間余り。もうすでにあたりは薄暗くなりかけている。ここで散策のはずだが着くとすぐに帰りの列に並ぶ。帰りの電車が出たのは5時半ころ。山の秋の夕暮れは早く、もう闇に包まれている。席は予定通り左側を確保したが、暗闇ではまったく意味がない。驚いたことに、途中駅ですれ違う電車には、後の組のお客が大勢乗っている。われわれはそれでも往路には景色が見えたが、今頃上り電車に乗っている人たちは暗闇を進んで、また暗闇の中を帰ってくることになる。暗闇の中を満員で進む電車。左手の黒部川に、西洋の城を模した発電所が見えてくる。これで人が少なければ、「千と千尋の神隠し」のラスト近くに出てくる「海の中を走る列車」のような雰囲気だ。結局、闇の中を疲れてバスに戻り、それから約1時間かけて富山のホテルに着く。
宇奈月で電車に乗るのにずいぶん待たされたが、これが幸した。案の定、妻の携帯にはマスコミからの電話が殺到している。観光バスの中で返事をするわけにもいかず、宇奈月でもてあました時間を利用して電話をかける。妻の電話は充電が切れるといけないので、受信専用とし、私の携帯を発信用にする。まあ、この際仕方なく秘書の役割を受け持つ。相手は朝日、読売、産経、共同通信など。産経は帰ってから写真と経歴書をメールで送ることで話がついたが、他の3社は明日遅くなっても家に写真撮影と取材に来るという。新宿着が9時40分なので、夜の11時ということでアポを受ける。
期待はずれの旅行とマスコミ対策でくたくた。予定から大幅遅れで富山のアパホテルに到着。食事の後、隣のマンション一階にある直営の健康ランドで温泉に入り、マッサージを頼んで就寝。
October 26, 2003 =Sun=
比例区の後ろの方の、まず奇跡でも起こらない限りは当選の可能性のない順位とはいえ、一応妻が衆院選の候補となったこと、現在の公職選挙法では公示後のホームページ更新は違反となる恐れがあること、公示日が明後日に迫っていること、このページは妻のホームページと同じサーバーにあり、URLも共通であること、以上を勘案して、無用の誤解を避けるため、このDiaryの更新も選挙終了までsuspendします。(それほど読者がいるわけではないけど)ただし、この期間中もDiaryは継続し、選挙が終わってから一挙にアップするつもりです。
October 25, 2003 =Sat=
22日に、妻のところへ党から変な依頼が来たと書いたが、今日になって本決まりになったらしい。らしいというのは党の方からは正式の連絡はなく、新聞社から言ってきたからだ。衆院選は小選挙区比例代表並立制で行われ、東京では25の小選挙区立候補者のうち、菅代表を除く24名が比例区と重複立候補する。順位は24名とも一位の同順位で、小選挙区で当選した候補を除いて惜敗率(小選挙区当選者に対して何パーセントの票を取ったか)で最終順位が決まる。前回の総選挙では妻はこの順位で次点となったのだ。そして、もしも大勝した場合(小選挙区で殆どの候補が当選し、比例区獲得議席数が小選挙区落選者よりも多くなったような場合)に備えて、24人よりも後の順位に数名の比例区単独候補を立てる。その名簿に妻の名前を登載する、言い換えれば、東京ブロック比例単独で立候補するというものだ。
そんなに大勝するわけはないから、まあ一種のお飾りというかセレモニー的な人数合わせに過ぎないし、なによりも順位が25位ではなく、27位だという。つまり25位には世田谷で公認争いに敗れた旧自由党現職がつき(そのせがれが前に妻が出た杉並から出る。)26位にも練馬で無所属ででも出るといっていた旧自由党新人がついて、その後の順位だという。「そんなの受けるなんてプライドがないのかよ。」と言いたい所だが、間に立った参議院議員がいつも世話になっている人なので断れなかったらしい。新聞社から経歴調査表だの政策アンケートだのファックスしてきたのでその返事を出すとともに、党本部からもらった写真はポスター用の笑ったものなので、笑わない顔の写真はないかというので、探し出してスキャナーにかけ、メールで送信しておいた。
October 24, 2003 =Fri=
新宿から銀座まで、通勤時間が短いのはありがたいが、その分、新聞や本を読む時間が少ないと嘆くのは贅沢すぎるかも知れない。だが、朝は日経新聞を全部読みきれないし、帰りはペーパーバックを3〜4ページ読むのが精一杯だ。そんな中で読み進めてきたまいける・クライトンの「PREY」だが、これが結構面白い。ようやく半分を過ぎたところで、だいたいの内容は次のようなものだ。
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主人公は、もともと動物生態学を志していたが、その研究やフィールドワークの中でコンピュータとの関わりが大きく、シリコンバレーのソフト会社で優秀なソフト技術者に転進する。しかし、上司の不正を告発したことでクビになり、職探しをしながら赤ん坊を含む3人の子育てをしている。妻はソフト会社の取引先で副社長として活躍、現在はナノテクを駆使したある新製品の開発の責任者となっている。だが、最近妻は帰りが遅く、常にいらいらしており、主人公は妻の不貞を疑っている。
ある日、主人公は妻から新製品のデモビデオを見せられる。それは画期的な医療技術だ。ナノテクにより製造した赤血球より小さな微粒子を血管に注入する。微粒子が血管や心臓などの患部に達すると、そこに集まった微粒子がピンホールカメラを構成し、患部を撮影する。画像は無線でモニターに送られる。撮影が済むと、カメラは微粒子に戻り、やがて排出される。これは主人公がソフト会社にいたときに、動物生態学から導き出した分散知能理論を応用した技術だ。すなわち、鳥の群が危険に遭遇すると身を寄せ合って一つの大きな塊を構成する。これは誰か指導者がいてその指示に従って集まるわけではない。固体としての鳥が生まれながらに持っているわずかな知能が、個々に状況に反応してある形の塊を構成する。これと同様に、ナノテク微粒子にも簡単なプログラムを組み込んでおけば、個々の微粒子の集合体としての群は、一定の条件の下に意図した形を形成する。主人公が開発したのは、コンピュータの中の仮想空間での技術だが、これを購入した会社はナノテク技術と組み合わせて現実化させたのだった。さらに微粒子群が、意図した場所で意図した行動をとるように、肉食獣(predator)
が獲物(prey)をとことん追いかける習性をプログラム化したPREDPREYというシステムも組み込んでいる。これも主人公が開発したものだ。主人公が新技術に感心している間に、疲れた様子の妻は眠ってしまう。
その後も妻の不審な行動は続く。妻が赤ん坊をあやすと泣き出すのを、主人公が抱き上げると泣き止む。妻は夫が子供を自分から切り離そうと躾けているのだとヒステリーを起こすが、後で謝ってくる。赤ん坊が急に火のついたように泣き出す。救急病院に連れて行くと、外見上は問題ないのだが、以上が感じられるとしてCTスキャンにかけることになるが、CTに入った途端に泣き止む。家につれて帰った翌日、赤ん坊に奇妙な発疹が出るが、妻はそそくさとネバダにある会社の研究所に出発してしまう。ある日、妻は無断で外泊する。主人公は離婚を考え、心理学者である姉に相談する。心配した姉が家に来ると、妻が帰ってきて、昨夜は研究所に泊まりこんだ、携帯に電話して留守電を残したはずだという。その夜、妻は異常に明るく振舞うが、研究所からの連絡で呼び出される。主人公は妻が運転して出て行く車に、男が乗っているのを見た。その後、警察から電話があり、妻の車が崖から落ちたと知らされる。主人公が駆けつけると、妻は重症だが一命を取り留める。「同乗者は?」と聞く主人公に、救急隊員は「奥さん一人しかいなかった。」と告げる。担架で運ばれる妻は夫に、「このことには巻き込まれないで。あなたや子供たちを巻き込みたくないの。約束して。」と語りかける。救急車に同乗して病院に妻を送り込み、車を取りに現場へ戻った主人公は、そこに見知らぬ車が止まり、二人の男が何かしているのを見かける。主人公が近づくと男たちは車に乗って走り去る。その車には妻の会社のロゴが描かれていた。
これと前後して、主人公のもとに、以前勤めていた会社からぜひ戻って欲しいとの要請が来る。彼が告発し、彼をクビにしたボスと一緒に働くのはイヤだと断るが、勤務場所は本社ではなく、取引先のネバダの研究所だという。ヘリコプターで砂漠の真ん中にある研究所に着くと、そこにはもと彼の部下だったチームの全員が顔を揃えている。取引先に売った技術に問題が発生し、その対応に駆り出されたが、どうしても解決できず、主人公が呼ばれたのである。厳重な警備装置を通って研究所に入った主人公は、デモビデオで見た心臓撮影の技術はいわば副産物であって、本命は取引先の会社がペンタゴン(国防総省)から受注した偵察用カメラであることを知らされる。つまり、ペンタゴンは現代戦争において敵陣営の偵察の重要性が高まっていることから、衛星では捉えられない画像を撮影するため偵察機を飛ばしたいが、それでは敵に迎撃されてしまう。そこで微粒子を飛ばせて必要なときにカメラに変身し撮影すれば、敵がこれを発見しても、また微粒子に戻ってしまえば撃墜しようもないというわけだ。
研究所で発生した問題というのは、研究所の建物自体の設計ミスにより、換気装置から大量の微粒子が外部に流出してしまったことだ。しかし、そこは砂漠の真ん中であり、微粒子は空気中に拡散してしまうはずで、何がもんだいなのか主人公には理解できない。ところがやがて「それ」がやってくる。研究所の外部を映すモニターに、「雲」のような影が現れる。微粒子の群だ。やがて群は3つに分かれ、たまたま出てきた兎を取り囲む。兎は脚を痙攣させて息絶える。聞いてみると、昨日は「群」は蛇を殺したらしい。「群」が去った後、主人公はやはり動物生態学出身の女性技術者と兎の死体を調べに外に出る。女性技術者はテキパキと兎を解剖するが、道具が足りないのに気づいて研究所に戻る。独り残った主人公に再び出現した「群」が迫る。「群」の一つは研究所の入り口を押さえ、別の「群」が背後にまわる。「群」は明らかに意思を持っている。しかし所詮は微粒子の集まりなのだから、何かで拡散させることができるはずだと思うが、あたりは沙漠だけで何の道具もない。シャツを脱いでこれを振り回しながら、入り口をめざす。目の前は真っ暗な雲に覆われるが何とか入り口を突破し、内部に逃げ込む。しかし、体中が強度のアレルギー反応を起こし、意識が遠のく。やがて気がついた主人公は、「群」が彼の妻を捜し求めているらしいと聞かされる。
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October 23, 2003 =Thu=
今日も朝から銀行へ。取引銀行のほとんどが新宿なのは便利だ。公的資金を導入した銀行だが、決断が非常に早くて持ちがいい。夕方には新規採用の人を紹介かたがた、税理士のところに最終決算案を届ける。丸の内の事務所で話しているうちに豪雨になった。事務所の職員に傘を借りて帰る。
ところでこの税理士先生は税務当局でかなり上の地位にいた人らしいが、結構実務にも長けている。社長などは余りに当局より過ぎると不満のようだが、やはり正すべきは正す人の方がよい。税理士名簿を見ると、息子さんも税理士として同じ事務所にいるらしいが余り姿を見かけない。かなりお年の女性事務員が二人のこじんまりした事務所だが、丸の内の富士ビルに事務所を構えているのだから、かなりの収入があるのだろう。机の上に大きな六法全書が乗っているが、見ると1997年版とある。本棚を見ると「歴代総理と自由民主党」なんていうタイトルの本も入っている。こういう事務所を観察するのも面白いものだ。
自民党といえば、今夜のニュースのトップは、小泉総理が中曽根、宮沢の両元総理に引退を勧告し、宮沢は「総理総裁に恥をかかせられない。」と受け入れたのに対して、中曽根は「失礼きわまる。」と拒否したという。中曽根があの四角い顔をさらに四角くして憤りの会見をしているのを見て思わず笑った。昔は「塀の上を歩いているがなかなか内側に落ちない。」と言われ、さまざまな疑惑事件に名前を連ねており、当時の検事総長の「巨悪は眠らせない。」という発言の「巨悪」の典型といわれていた男が、小選挙区制導入により比例区に移る取引代償として「終身比例一位」を獲得するのとあわせ、「大勲位」の称号まで手にしてからは、いかにも国家の元勲という趣の発言を繰り返し始めていた。それが引退勧告を蹴ることで最後に笑いものになることに気がついているのだろうか。自分が最初から目指してきた憲法改正と教育基本法改正が目の前になった段階で辞めることはできない、ということらしいが、それこそが巨悪の本質なのかもしれない。
October 22, 2003 =Wed=
政治の世界というのは、いったん入り込むとなかなか抜けられないらしい。朝から銀行へ直行し、顧問税理士のところに回って決算の打ち合わせをして、会社へ向う途中に妻から電話。また党から妙な依頼が来ているとのこと。どうしようかというので、勝手にしろと答える。
夜は大学のクラブの同窓会企画の幹事打ち合わせがあるのだが、明日銀行に持っていく資料がなかなかできず、2時間余り遅刻してしまう。昨日は昼食を摂りそこなったし、定年後の勤めでなんでこんなに忙しいんだろう。
October 21, 2003 =Tue=
大臣というにはいかにも軽い男だ。石原伸晃くん。道路公団の藤井総裁が挙げたという、道路公団に圧力をかけてきた政治家のイニシアルについて、「調査はしない」という。だいたい総裁との密談の仲で、総裁がイニシアルを出してきたと記者会見で暴露したのはあんた自身だったはずだよ。多分、自民党の中でもみんなから叱られているのだろう。総選挙に向けてのパフォーマンスのはずが、詰めの甘さから大逆風を招いてしまったのだから。
3年前の衆院選で妻が小選挙区で戦った相手がこの伸晃くん。あの時は当時の森首相の「日本は天皇を中心とした神の国」発言や「無党派層は寝ていてほしい」発言などで自民党に逆風となったが、「若手論客」の伸晃くんにはあまり影響がなかった。しかし今度は本人が震源地だ。今なら「疑惑隠しの伸晃さん」を繰り返すだけでもかなりの票を集められるのではないだろうか。
その3年前の選挙のとき、ある会合に妻が出席し、主催者が案内してくれた席に着いた。後から伸晃くんも到着した。妻が座った席は、本来は伸晃くんが座るべき席だったようだ。慌てた主催者は、妻の隣に席を用意したが、伸晃くんは拗ねてなかなっか座らなかったそうだ。ようやく席に着いた伸晃くんに妻がビールを勧めると、「敵からの酌は受けない」とのたまわったという。妻は後で、「案外気の小さい男だ」と苦笑していた。(こんなことを書くと名誉毀損で訴えられるかも知れないが)
October 20, 2003 =Mon=
新規に採用した人が今日から出社。54歳だが子供はおらず、外資系の会社を早期退職した後も、退職年金もあるし、急いで再就職するほとの焦りはなかったという。今月一杯で退職する若手がいるので、机をもう一台入れるほどでもなしということで、隣の部の空いた机を使ってもらう。居心地は余り良くなさそうだが、やむをえない。
October 19, 2003 =Sun=
会社の同僚の父上が亡くなったのでお通夜に出席。井の頭線の新代田で降りて5分ほど歩くとSIONというセレモニーホールがある。式場に入ると正面に遺影を飾った祭壇はなく、花が並べてあるだけ。隅の方に小さな遺影があり、正面には古い映写機が据えられている。キリスト教式の葬儀かと思ったが、正面の壁に貼ってある絵は、正教のイコンのようにも見えたがよく見ると如来像らしい。まず故人の次男にあたる同僚が挨拶に立つ。故人は73歳で亡くなったが、こよなく映画を愛し、映画関係の仕事をしていたらしい。堅苦しいことの嫌いだった故人のために、通夜は宗教色抜きで故人をしのぶ集まりにしたいということで、流れる音楽もすべて映画音楽からとったという。スピーチの後は「風と共に去りぬ」の「タラのテーマ」が流れる。学生時代から親友だったという老人の「送る言葉」がとても良かった。「残念ですがもう二人で思い出を作ることはできません。だが、それは致し方のないことです。人間は一人一人と消えていくのです。さようなら」やはり映画関係の人なのだろうか。なかなか並みの人間にできるスピーチではない。明日は普通の葬儀に戻し、菩提寺から坊さんに来てもらうそうだ。
October 18,2003 =Sat=
土曜だが出勤日。JRの定期券が期限切れになったので、昨日から地下鉄丸の内線での通勤に変えてみた。昨日は新宿から、今日は西新宿から乗ったが、座って新聞や本を読んでいると、二日とも銀座を通り越して東京まで行ってしまい、慌てて折り返す羽目になった。社長と相談して新規採用は54歳の人に決める。もっとも先方がこちらの条件を受ければの話だが。夜、電話して月曜に来社してもらうことにする。
October 17, 2003 =Fri=
今週は休日もあったが、2日休んだこともあって出勤日はメチャ忙しい。決算のゴールはすぐそこに見えているのだが、部下たちは自分で決算をやった経験がなく、与えられた仕事しかしない癖がついているのでなかなか前に進まない。私のアシスタントを新たに採用することになっており、先日面接した54歳の人に加えて今日は50歳の人と面接した。このどちらかになるだろう。
道路公団の藤井総裁の聴聞が行われた。財務諸表問題では典型的な悪玉官僚の役割だったが、石原国土交通相から辞表を求められ、これを拒否してからは役割がすっかり逆転。権力者に抵抗する信念の人という役割に変わった。いくら任命権を持つ大臣とはいえ、46歳の石原が67歳の藤井を日曜日に呼び出し、辞表を要求、当然辞表を出すと思っていたのが拒否されると、慌てふためいて「私が道を教えてあげたのに、(藤井総裁は)道を踏み外した。」と演説した。「道」には「長幼の序」という道もあるはずだが。今回のどたばた劇は、石原は否定しているけれど、民主・自由の合併に伴う大会の日に辞表要求をあわせるなど、選挙を意識したあからさまな政治利用が見え見えであり、藤井の思わぬ抵抗により自民党の思惑が大きく外れたというところだろう。
October 16, 2003 =Thu=
朝食を抜いて午前10時にエステック情報ビルの三越診療所へ。大腸の内視鏡検査の日だ。検査は午後2時からなのに10時に来るようにとのこと。10時少し過ぎに着いたが、この前は混んでいた待合室は閑散としている。日によって違うのだろうか。内視鏡の準備室に案内されると、狭いが清潔な部屋で、ベッドが二台と椅子が4脚並んでいる。今日の受診者は二人だけだそうだ。看護婦がBGMをかけてくれる。これまで内視鏡検査は前の会社の診療室の紹介で茅場町の早胃検に行っていた。ここは企業の検診が多く、毎日大勢の患者を受け入れており、いつも混んでいた。
まず下剤を水に溶かしたものを2リットル飲まされる。早胃検でも同じで、これが苦痛なのだが、驚いたことに1リットルずつ1時間余り、合計2時間以上かけて飲めばよいという。早胃検では一度に続けて飲まされて苦しかったが、2時間かけて2リットルならたいしたことはない。ゆっくりと下剤を飲むあいだに、この前買ったマイケル・クライトンの”Prey"を大分読み進めることができた。飲み終えてトイレとの間を何度か往復する間に腸が空っぽになる。検査が始まると、またこれまでと違うのは、眠気を誘う薬を注射することだ。早胃検では患者も一緒にモニターを見ることができたのだが、ここは眠っているうちに済んでしまう。どちらが良いかは議論が分かれるのだろうが、およそ患者に苦痛はない仕組みだ。ポリープも心配ないが、念のため組織を2箇所採取したので、来月5日に分析結果を聞きに来るようにとのことだった。
今日は一日休みを取っているので、検査を終わって少し時間がある。来月行う大学のクラブの同窓会の案内を、メールで出してあて先不明で帰ってきた先に、往復葉書を出す作業を行った。
October 15, 2003 =Wed=
一日休んだだけだが結構仕事が溜まっている。会議や来客が相次ぎ、気ぜわしい。明日は大腸検査のためまた休むのだが、検査のために事前に飲まなければならない薬も、決められた時間に飲むのを忘れてしまうほどだ。
October 14, 2003 =Tue=
3日目はニセコから中山峠を越えて札幌に行き、ここで札幌での自由行動組とオプショナルツアーで小樽へ行く組に分かれる。約半数が小樽へ。昨日は裾野しか見えなかった羊蹄山は、頂こそ雲に隠れていたものの、富士山に似た姿を現していたが、上部は雪を被っていた。今年の初冠雪だ。中山峠への道は相変わらず紅葉が美しい。峠にさしかかると、紅葉に雪が加わっていた。中山峠の
中山峠の雪も今年の初雪ということだ。様々な色の木々の間に椴松が雪を被り、クリスマスツリーのようだ。秋と冬が同時に来たようなもの。
小樽では、運河沿いの倉庫を改造した店で食事を済ませた後、3時間ほどの自由時間だが、妻が石原裕次郎記念館に行きたいというので、まずタクシーで記念館へ。入場料一人1,500円を払い中に入ると、まず裕次郎映画のさわりの部分を編集した映像を上映している。その後、「黒部の太陽」のセットや、裕次郎の公私の遺品や写真などが展示されている。何十着もの背広や靴、ゴルフ道具などもある。こちらはさっさと見て回り、出口近くのソファで待っていたが、妻がやっと現れたのは1時間半も経ってからだった。一昨年の選挙では石原伸晃現国土交通相と戦ったくせに、その叔父の大ファンではあるわけだ。
昨日、沖縄にいる息子に電話したとき、毛蟹を送って欲しいというものだから、裕次郎記念館から歩いて10分ほどの新南樽市場に足を伸ばす。時間がもったいないから帰りの千歳空港の前に必ず連れて行かれる土産物屋にしようというのだが、地元の人が行く市場の方が新鮮で安いはずだと言ってきかない。それに値切れるのも楽しみなのだろう。沖縄と、大阪の母のところに2杯ずつ送る。
これでもう時間は1時間弱しかなくなったので、市場の公衆電話でタクシーを呼び、小樽商科大学の上にある旭展望台に登って小樽市街を一望し、近くにある小林多喜二の碑を見に行っておしまい。時間があれば中通の旧い市街を歩いてみたかったのだが。
一日休みを取っての二泊三日旅行だが、何と言っても北海道の紅葉を満喫できた。昨日は東京では大荒れの天候だったらしいが、北海道は霧のような雨にこそあったものの、時々晴れ間も覗くまずまずの天気だった。飛行機が30分ほど遅れて羽田に着き、家に帰ったのは10時頃になっていたが、今日も東京は雨。テレビをつけたらニュースで中山峠の初雪を報じていた。(10/15記)
October 13, 2003 =Mon=
コテージで目覚め、外に出てみると、昨夜は暗くて分からな
かったが、回りの木々の葉はすっかり色づいている。それを見て、今回の旅行の目的を思い出した。今年はあちこちに紅葉を見に行こうと話していたのだった。その第一号が北海道なのだ。フロントに電話して車を回してもらい、本館で朝食。コテージから本館への道すがら、グリーンがあり、ここがゴルフ場併設のホテルであることを知る。
少し霧雨が降っていたが、まず大沼国定公園でモーターボートに乗船。公園と言っても北海道だけにスケールは大きい。大沼、小沼を観光船だと30分かかるところを屋根つきのモーターボートで10分で飛ばす。沼といっても最深13メートルほどあるところを、ボートが左右に傾きながら猛スピードで飛ばすので結構な迫力がある。沼に浮かぶ島々も紅葉に彩られている。ボートを降りて紅葉の道を散歩し始めるが、雨がやや強くなってきたので引き返す。

長万部を通って昭和新山へ。紅葉は今が盛りだが、かなり冷え込む。公開されているアイヌの民家に上がりこみ、炉の火に手をかざす。そこから洞爺湖を見渡す展望台についた頃には風が強く、観光客たちは早々に土産物店に逃げ込む。こちらもシャツ1枚にブレザーだけという軽装なので冷たい強風は身に沁みる。
蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山は雲を被っていて裾野しか見えない。その山裾に、羊蹄山の地下を潜ってきた地下水が噴出す「京極ふきだし公園」がある。長い、歩きにくい階段を下りると、山から噴出す清水を汲む場所がある。人口10数万人の都市を賄うほどの水量だというが、夏も冷たい水が勢いよく湧き出している。持参したミネラルウオーターの空ペットボトルに汲み取る。
バスは宿泊予定のホテル日航アンヌプリを通り過ぎて、ニセコ大湯沼へ。ここは沼自体が硫黄分を含んだ湯で沸き立っている。煙の向こうに見事な紅葉が燃えていた。ホテルには早めに着いて、ビュッフェ形式の夕食。ワインのハーフボトルとともに和洋とりまぜて食べ過ぎたらしく、大浴場で体重を量ったら最近のダイエットの効果が無残にも失われていた。(10/14夜記)
October 12, 2003 =Sun=
今日昼過ぎの飛行機で北海道に行くため、Diaryの更新は14日まで休みます。
昼過ぎのJALで函館へ。今度の北海道行きは大分前に予約していたのだが、北海道は今年初めに流氷を見に行ったばかりだし、どうして今頃また北海道に行こうと思ったのか忘れてしまった。自分で申し込んでおきながら、妻も忘れていたらしく、飛行機の中でもしきりに首を捻っていた。
いずれにせよ、先日の選挙騒ぎの時はキャンセルしなければと言っていたのが、情勢が変わって決行することになった。
函館ではトラピスチヌ修道院、五稜郭と見て周り、ハリストス教会などが立ち並ぶ元町通りを歩いた後、「蟹御膳」という夕食ということだったが、これが何とデパートの食堂。場所も内容もお粗末で、安いツアーだから仕方ないかと思ったが、その後案内された函館山からの夜景は見事だった。ナポリ、香港と並ぶ「世界三大夜景」との事前説明に、だいたい世界三大なんとかというのは二つまでは本物でも、あとの一つはあちこおちの名所が名乗っているだけだろうと思っていたが、これは確かにナポリ、香港と並べて恥ずかしくない。しかも秋の雲がたなびく中に満月が顔を出して海に映え、夜景を引き立てている。
宿泊は函館大沼プリンスホテルのコテージ。フロントとコテージの間は車での送迎になるので、到着後荷物をフロントに預けてすぐに大浴場へ。最初は高校生の合宿らしい一行がいて喧しかったが、彼らが引き上げると林と池に面した露天風呂は静かになった。バーで妻と待ち合わせてホテルの車でコテージへ。コテージは毎年10月一杯で閉めるそうだ。(10/14夜記)
October 11, 2003 =Sat=
昼間テレビを見ていたら、ちょっと気になるニュースがあった。女性キャスターが「次はスポーツです。」と言ってから、「あ、すみません。もう一つありました。きれいなニュースです。」と言って始めた。京都では今、季節外れの花があちこちで咲いている。金閣寺(鹿苑寺)では初夏に咲く菖蒲が花を開き、別の寺ではやはり夏の花である睡蓮が咲いている。紅葉の始まった高尾では桜が開花したという。ニュースでは、冷夏のあと、9月の暑さで起きた現象としていたが、何か異変の起きる予兆ということはないのだろうか。
異変というほどではないが、いつも週末に通っている住友ビルのスポーツジムが、少し前までは満員だったのにこの二三週間というもの、いやに空いている。どうしたのだろう。
October 10, 2003 =Fri=
「予定通り」衆議院が解散された。2000年に行われた前回の衆院選で、東京比例区で次点だった妻の繰り上がり当選の可能性はこれで完全に消滅した。当時の民主党都連による告示直前の比例順位の操作がなければ、また、当選圏外と見られていた民主党候補が、小選挙区次点でもないにもかかわらず、自民系二人の競り合いのおこぼれで「惜敗率」が妻のそれを上回るという「数字のマジック」がなければ、この3年余りの間、国政の場に参加していたはずだっただけに、無念の思いは理解できる。しかし、そんな実績を無視して、自由党との合併で同党のごり押しに屈して公認を譲らされるという仕打ちにもかかわらず、別の選挙区からの出馬を打診されるとその気になってしまう気持ちはなかなか理解できない。結果的には、その打診すら「当て馬」であって、数日間振り回されるだけだったのだが。まあ、選挙となればこんな現象はどの党でも、またどの選挙区でも、日常茶飯に起きていることで、政治とはそんなものなのだろう。
決算の仕事が忙しかったため、予定の時間にはかなり遅れたが、丸の内の国際ビル地下のクラブで行われた大学同期会「むしの会」に顔を出す。今日は10人ほどの出席だった。話題の中心は、靖国問題などの歴史認識とフリーターの増殖が日本経済に与える影響といった、結構硬い問題に集まる。一家言持った連中が多く、議論は活発だが、どうしても保守的な意見が優勢になる。国際感覚からはずれているような気がするのだが。
October 9, 2003 =Thu=
会社の仕事、8月決算の作業と分社の設立が重なり、これに担当者の退職と、目まぐるしい。今日は決算にほぼ目処がつき、税理士と打ち合わせ。分社の方も資本金払い込みを終え、今朝銀行から払込金の保管証明書を取得、人手のもうも副社長の東商での知人の紹介ということで、外資系のミュージック会社で子会社の総務経理をやっていたという人を面接した。要するにすべて目処がつきつつあるという状態になってきた。
October 8, 2007 =Wed=
差し障りがあってここには書けなかったが、この数日、妻の身辺が慌しかった。前回の衆院選で立候補した東京第8区は、民主党と自由党の合併の影響もあり、自由党の若手新人が公認候補となった。民主と自由の現職が競合する別の区で民主現職が公認され、比例区に回った旧自由の現職が交換条件をごり押しして息子を8区から公認させたためだ。党の主体性のなさに腹を立てて政治から身を引くことをようやく決心していた妻だが、東京近郊のある県連幹部から、その件の選挙区から立候補しないかと打診され、また気持ちが揺れてしまったらしい。今月10日に解散が予定され、選挙戦が短期間であることと、信頼している若い友人から全面的に協力すると言われたこともあって、その気になっていたが、今日になって別の人に決まったと電話があった。要するに、今度も当て馬だったわけだ。
気落ちしているだろうからと、会社を早めに引けて、新宿のサクラヤの上の居酒屋「月の雫」で夕食をともにする。8時からはやはり新宿の別の場所で食事をしていた、件の友人もボーイフレンド?とともにjoin。この「友人」こそが選挙に出たらいいのにといつも言うのだが、まだ時期が早いと考えているらしい。妻の方は、今度こそ本業の税理士に専念する気になったようで、こちらも一安心。
October 7, 2003 =Tue=
元保健所の職員だったという同僚から、昼飯を食べながら聞いた話。ある日、彼は友人から相談を受けた。亡くなった人を火葬にして骨を拾う。故人の喉仏の骨を身近に置いておきたいという人もいる。そこで新しいビジネスを考えた。喉仏の骨を透明なアクリルで固めて机上の置物にする。よく観光地などで蝶や昆虫を入れているのと同じものだ。大きなシンジケートローンなど調印すると、契約書のミニチュアを入れたりする。骨をアクリルに固めて置物にするのは法に触れないか、というのが質問だった。面白いアイデアだと思う。ちゃんと合法的に火葬にした骨だから良いんじゃない、と答えた。半年後、その友人に会った。この前の話だけど、置物商売の方はどうだい、と聞いた。始めてからそれまで、1件も注文はなかったそうだ。
October 6, 2003 =Mon=
朝からエステック情報ビルの診療所で検診。この前食事指導を受けて注意をある程度守っていたせいか、体重、血糖値、コレステロール値など、いずれも改善ないし横ばいだった。16日に直腸内視鏡検査も受けることになった。この診療所、最初に行った時は空いているように思ったが、今日は9時前に着いたのにすでにかなり人が待っていた。それでも割りと親切そうだ。こういう高層ビルの中の診療所は、だいたいがそのビルや近隣ビルに勤める人たちが受診に来るから、住宅地のそれのようにお年寄りが多いということはなく、受診者の方がビジネスライクだ。その方が、お医者さんや看護士さんたちに余裕が生まれるのかもしれない。
October 5, 2003 =Sun=
幹事をやっている大学のクラブの同窓会で、11月に開く会の案内状を作成して送付した。メールアドレスの分かっている場合はメールで連絡することにしており、これは若い人がやってくれるが、私の担当は14回生(1966年卒)まででメールアドレスを持っていない人に往復葉書で案内を出すことだ。14回生までに限定したのは、高年齢層のデジタルデバイドに配慮したもの。対象は40人あまり。旧バージョンの「筆まめ」を使って印刷したが、このところ年賀状を省略していることもあって、使い方を思いだすのと、往復葉書の印刷方法を検討するのに時間がかかってしまった。もともとが年賀状ソフトだから仕方がないが、マニュアルも年賀状にばかり重点を置いていて、他用途の説明がおざなりに感じる。
今日は民主党と自由党の合併に伴う新民主党の発足式が東京プリンスホテルで行われた。妻は行かないつもりでいたのが、ある人に呼び出されて出かけていった。また妙な話にならなければ良いが・・
October 4, 2003 =Sat=
携帯電話料金支払に伴うポイントが溜まっていて、その一部が今月末で期限切れになるというので、近くのドコモショップへ出かけて、そのポイントを使って新しい機種に買い換えた。今まで使っていたのはN501iという機種で、妻が2001年の衆院選に立候補したとき、選挙事務所でまとめて買ったもの。それまではアステルのPHSだった。当時としては最新型だったが、画面はモノクロ。今やカラー画面でカメラ付がスタンダードになっている。今度買い換えたのは、P251iSという機種で、もちろんカラー画面のカメラ付だが、最新型ではない。カメラも画素数が少なく、最新型の百万画素以上のものと比べるとスペックが落ちるが、写真を撮るのはデジカメを使えばよい。というわけで価格は数千円、ポイントとの差額1890円を払っただけだった。Fomaのやはり旧い型で2000円というのがあり、データ通信が出来るというので食指が動いたが、まだサービスエリアが狭く、とくに高いところでは普通の携帯以上に電波が届きにくいかもしれないというのでやめにした。前の機種はNでNEC製、今度のはPでパナソニック製だ。本当はNの方が使い方が同じで良かったのだが、色がパープルとピンクしかないので、Pの黒色のにした。どうせ使い方も大きな違いはないだろうとタカを括っていたが、微妙な違いが結構あって、当面は馴れるのに時間がかかりそうだ。
今住んでいるアパートの19階では、携帯の電波が届きにくいことがある。ベランダから目の前に代々木のドコモビルが見えており、間に障害物もない。エンパイアステートビルを小さくしたようなあのビルは、殆どが機械室で、基地局もあるはず。それなのにどうして電波が届きにくいのだろうと不思議に思っていたが、ドコモショップで聞いてみると、基地局からはアンテナを頂点とした円錐状に電波がでているらしい。したがって高層ビルではビル自体に基地局が無い限り、下に向けて出された電波が反射してくるのを拾うしかないという。これでは届きにくいわけだ。
スポーツジムの帰り、久しぶりにヨドバシカメラの新宿西口本店へ行ってみた。ビックカメラができてからは、通り道なのでこちらへ行くことが多く足が遠のいていた。パソコン売り場を覗いてみたら、NECのバリュースターの新型が出ていて、"Water
cooled"と書いてあるのに思わず笑った。だが考えてみると、パソコンはCPUが熱を持つためファンで風を送って冷やす「空冷式」を採用している。これがパソコンの騒音の原因なのだから、「水冷式」が出てくるのは当然といえば当然だ。でも水は蒸発するわけだし、パソコンに毎朝水をやることになるのだろうか。
夕食は8時まで事務所で仕事をしていた妻と近所の「からころ亭」へ。8月に息子が帰京していたときに行った店だが、今日はなぜかコックもボーイも全員バングラデシュ人で、インド料理しかできないとのこと。一応コースを頼んだが、オードブル、サラダ(これは山芋の千切りや海苔がかけてあったりして日本風)、タンドリーチキン、カレーにナン、デザートのアイスクリームという順で、まずまずの味だった。
October 3, 2003 =Fri=
朝、会社のメインバンクを訪ねて、決算見通しや新年度予算を説明。7月に今の会社に来た当時と比べて、銀行の対応にかなり変化が出てきた。業績が良くなってきたことも一つだが、データを開示してできるだけ誠実に説明してきたことが良かったのだろうと思う。このところの株価回復で銀行自体のポジションも良くなりつつあるようだ。銀行といえば、東京都が銀行に対して一方的に課した外形標準課税、いわゆる石原新税に対して、地裁、高裁で都側が相次いで敗訴し、結局3%の税率を0.9%に引き下げることで都と銀行が和解し、昨日、合意書が交わされたそうだ。銀行決算の上方修正にはこの税金還付を織り込んでいることもある。報道では、返還金は大手7行で1,931億円(還付加算金を含む。)、全30行で2、344億円とある。導入時は鼻高々だった石原都知事は、和解が都側の申し入れによるものか、との報道陣の質問に対して、「双方から出てきたものでしょ。」と他人事のように答えていた。還付加算金は通常の金利水準よりはるかに高い。取り立てた税金の還付はともかく、財政難の折に高額の還付加算金を都民の税金の中から支払わせた都知事の責任はどうなっているのだろうか。石原氏に損害賠償を請求する動きはないのだろうか。
前の会社で最後にチームを組んだFさん、Nさんと、京橋の竹葉亭で昼食。前の会社でも11月には大きな組織化異変が予定されていたり、お互いの仕事振りを評価する仕組みが導入されたりと、いろいろ大変なようだ。
パソコンの話だが、最近のマウスは、右ボタンと左ボタンの間にホイールと呼ばれる小さな車輪のようなものが付いているのが多くなった。これをどう使うのか、調べようと思いながらいつもそのままにしているのだが、使い方の一つが分かった。Internet Explorerでホームページを見ているときに、キーボードの左右の一番下にある「Ctrl」キーを押しながら、このホイールをまわすと、ホームページの文字サイズを大きくしたり小さくしたりできる。もちろん、文字サイズの変更は、ブラウザの「表示」→「文字のサイズ」でも変えることができるのだが、マウスのホイールを使う方がずっと簡単だ。老眼で小さい字が見えにくいときなど、とても便利。
October 2, 2003 =Thu=
午前中の経営会議が珍しく早く終わって、監査役として出席していた税理士のS氏と昼食をとり、国税局に行くというS氏と分かれて会社へ戻ろうと歩いていると、前の会社で大阪時代に一緒だったK君とばったり。彼は前の会社の物流関係の子会社にいて、まもなく定年だという。半年くらいのんびりして、先のことを考えるそうだ。大阪時代から繊維の会計部門にいたが、東京へ着てからも繊維関係の子会社への出向が長かったらしい。今いる会社は天王洲にあったのだが、最近交通会館に引っ越してきた。彼と話していて、近く経理部のOB会があるけど出席するかどうかという話になった。そういえば案内状が来ていたような記憶がある。家に帰って探してみたが見付からないのでメールで照会した。案内状には出欠をすぐ返事する癖をつけておかないと、これからはますます物忘れが進みそうだ。
October 1, 2003 =Wed=
会社の8月決算がいよいよ大詰めを迎えつつある。人がいないので結構細かいことまでやらなくてはならないが、久しぶりに経理実務(何十年ぶりだろう)に戻ってみると、いろいろと新たな発見もあるものだ。思ったより順調な決算になりそうだが、同族会社特有のいろんな事象も見えてくる。これ以上は公開の場では止めておこう。
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