Diary
November 30, 2003 =Sun=
談山神社、長谷寺、室生寺という地名は、大阪東部の八尾で育った私には、小学校や中学校の遠足で行ったことのあるところだ。しかし今では名前だけは記憶に浮かぶものの、室生寺の五重塔のイメージ(それも実際に見たのか写真で見たイメージかは定かでない。)が浮かぶ程度で、ほとんど覚えていない。遠足のイメージとして残っているのは山道を行列を作って歩いたことと、弁当カスの臭いだけだ。
談山神社の由来は、藤原鎌足と中大兄皇子(後の天智天皇)が、蘇我氏一族の暴政に対抗すべく、645年5月にこの神社の裏山に当たる多武峰に上って談合を行い、これが大化の改新に繋がったということで、談合の山から談山神社となったそうだ。その裏山に登りかけてみたが、雨上がりで道がぬかるんでいたのと余り時間がないのとでやめにした。
長谷寺では、バスを停めた駐車場を車椅子に乗った身障者のおばあさんが管理しており、駐車場からお寺までは駐車場専用のバスで送ってくれた。境内はやけに広く、傾斜の緩い長い長い階段がずっと上まで続いている。途中、右手に入ると二本杉の近くに藤原定家の塚があるというので道を逸れて見に行く。この辺は余り観光客の姿はない。また、階段に戻って一番上の本堂まで到達する。周りの人たちがみな靴を脱いで本道に上がるので、つられて上がったら、観光の方は入れま
せんと言われた。周りを見るとみんな肩から略式の袈裟みたいなものを掛けている。特別の参詣者らしい。五重塔の方をまわって降り、駐車場までは一本道と聞いていたのでそのまま進む。通りの両側は開けている店、閉めている店、あるいは普通の民家のような家が並んでいるが、開いている店にも人がおらず、観光客らしい人もほとんで歩いていない。40年前くらいの雰囲気の軒の低い家々が連なり、歩いても歩いても駐車場らしい場所に着かない。何かつげ義春の不条理漫画に出てくるような場面だが、集合時間も迫り、道を間違えたのかと不安になる。しかしそのまま進むとやがて車の行きかう道路に出て、駐車場を探し当てた。

室生寺も、金堂と五重塔だけにしておけば楽なのだが、時間もあるので奥の院まで行ってみようと長い階段を登り始めたら、これがまた数百段はある。原生林の中を休み休み登っていくと、ずっと上のほうに清水寺の舞台のような形で奥の院が建っている。よくこんなところに建物を建てたものだと感心する。ここでもまたバスに帰り着いたのは集合時間ぎりぎりになった。
帰りは名古屋駅から新幹線。添乗員がバスの中で弁当の注文をとっていたのを断り、駅に隣接したツインタワー13階の飲食店街できしめんを取る。これで北海道、黒部、京都・奈良と続いた今年の紅葉の旅シリーズは終わった。夏の天候不順のため、各地の紅葉は例年と比べて必ずしも良くなかったそうだが、それでも今までじっくりと紅葉を味わったことはなかったので、いささか紅葉に酔った気もする。
November 29, 2003 =Sat=
二日目の京都は、ホテルを出て嵯峨野に行き、トロッコ列車に乗って亀岡まで20分。トロッコ列車と言うのは先月末に黒部で乗ったが、それまで本当に無蓋のトロッコに乗せられるのかと思っていた。小雨が降ったり止んだりの今日は、天井はもちろん窓もちゃんと入っている。ただ、最後尾だけは窓のない車両で、景色を見るにはこのほうがよさそうなので、決められた席を離れてこちらに移った。亀岡からはトロッコと逆のルートを保津川下りで嵐山まで戻る。こちらは2時間ほどの船旅。雨模様の日は船にも天井がつき、われわれの座った一番前の席は水しぶきで濡れないようビニールの覆いがかけられる。船頭は船に4人。一人は船尾で舵を取り、二人は船首右側で櫓を漕ぐ。もう一人は船首の一番前で棹をさすが、これが一番新人の仕事なのだそうだ。最初のうちはゆっくりした流れの中を櫓と棹をあやつりつつ進むが、急流になると櫓は休み、舵と棹で調子をとる。船頭のしゃべりが面白く、船が岩ぎりぎりを進むと、この岩は「宝くじ岩」と言われるという。その心は、「当たりそうで当たらない。」

嵐山に着くと、昼食も含めて2時間半ほどの自由時間がある。各自好きなように散策しろというのだが、相変わらず雨模様の中では散策もおっくうになる。そこに元気そうな人力車のお兄さんが売り込みに来る。言葉遣いも正しく、真面目そうなの
に惹かれて、1時間1万5千円というコースに乗ってみることにした。
野々宮神社からの竹のトンネルを通り、バスの添乗員お勧めの宝厳院よりもこちらの方がよいと言う車夫の勧めで宝筐院に行く。なるほどここは今まで見てきた京都の紅葉の中でも一番だと思う。杉苔の上に散った紅葉も美しい。楠木正行と足利義詮という、南北朝の敵同士が仲良く眠っている。車夫の説明では、京都の寺院は外の白壁に横に引かれた線の数でその格式が分かるそうで、この宝筐院の外塀には5本の線が引かれている。いわば五つ星のお寺で格式が高いとのこと。ガイドも兼ねる車夫の説明がなかなか詳しいので、聞いてみると立命館の法学部を卒業し、今は司法試験の勉強中
だそうだ。この人力車は「えびす屋」という会社が運営し、東京・浅草にも支店がある。車夫はすべて彼のようなアルバイト、歩合制で実際に車夫の懐に入るのは料金の何分の一からしい。人力車は芭蕉の弟子の向井去来が住んだ落柿舎を経て渡月橋近くの乗り場に戻り、添乗員の言っていた宝厳院の前で下ろしてもらう。
宝厳院は、紅葉もきれいだし規模も大きいが、車夫のお兄さんが言っていたとおり最近になって観光用に公開しただけあって、余りに整いすぎて人工的な感じがしないでもない。宝厳院から渡月橋まで大堰川(桂川)沿いにならぶ料理屋の一つに入って昼食。その後バスは夕暮れの東福寺を経て、名神高速道から近畿自動車道に入り、八尾を通って奈良県の橿原に向う。橿原ロイヤルホテルで夕食後、予約していたマッサージを頼んで就寝。
November 28, 2003 =Fri=
先月半ばには北海道の紅葉、先月末には黒部峡谷の紅葉を見に行った。今年最後の紅葉は京都と奈良に行こうということで、朝7時半の新幹線で京都へ向う。近畿日本ツーリスト主催の「紅葉の京都・奈良とトロッコ列車・保津川下り2泊3日」というパックツアー。パックだが値段はかなり高い。
紫野大徳寺近くで昼食の予定だったが、前の団体がつかえているということ
で、まず源光庵から光悦寺をまわる。源光庵では「悟りの丸窓(右写真)と「迷いの角窓」が見所。天井板は伏見桃山城から移したもので、場内で自刃した豊臣家臣数百人の地が沁み込んでいるとか。光悦寺では本阿弥光悦の一族なのだろう「本阿弥光甫」という人の墓を見つけた。われわれ夫婦の名を組み合わせた形になっているが、妻は自分の方が先に来ていると威張っている。
今年は冷夏の影響でどこも紅葉は今ひとつだという。観光客で混んでいる光悦寺の向かいに日蓮宗のお寺があり、こちらは誰一人いない。境内は写真撮影不可とあるが、こちらの紅葉もなかなか見事だった。大徳寺近くで鉄鉢精進料理の昼食の後、永観堂から徒歩で南禅寺へ向う。それぞれ紅葉はしているが、全般的に燃えるような紅というより少し黄味がかっている感じもする。時期的にも先週末あたりがピークだったらしい。小雨が降ったり止んだりの天気だった。
京都駅南側の新都ホテルにチェックイン後、線路を隔てて反対側のホテルグランヴィア京都にある美容室を覗いてみる。ここのベテランの店長によれば、11月は婚礼が多くて超多忙だったらしい。京都駅のタクシー乗り場は雨で長い行列が出来ていたので、地下鉄に乗る。南北線で烏丸御池まで3駅、東西線に乗り換えて蹴上まで4駅。そこから15分ほど歩くとさっきの南禅寺に着く。予約していた「順正」で湯豆腐に熱燗2合、順正の箸袋が面白かった
食事を終わってもまだ8時前なので、夜道を永観堂まで歩いてライトアップされた夜の紅葉を見る。昼間とはまったく違った趣があり、雨の上がった池に映る紅葉が、まるで底に沈んでいるかのように見える。
November 27, 2003 =Thu=
「中央区民新聞」というローカル紙にこんな記事が載っていた。
銀座本通と並木通りの間の道は「ガス灯通り」と呼ばれる。通りに名前を付けて親しんでもらおうという、商店街による振興策の一つだ。「ガス灯通り」の名前は、東京ガスの提供によりガス灯がともされたことから、3丁目に始まり、4丁目にも広げられた。地元ではさらに2丁目、1丁目にも広げようという動きがある。しかし同じ通りの2丁目は、能の観世流の屋敷があったことから「観世通り」という名が付いていて、8丁目の「金春通り」と対をなしている。
わが社の美容室は「ガス灯通り」にあり、また本社の入り口は有楽町駅に向う「マロニエ通り」と「観世通り」の角にある。ロマンチシズムを感じさせる「ガス灯通り」と歴史を感じる「観世通り」。人により好みもあろうが、いずれも捨てがたい。
明日から京都へ旅行のため、週末は更新を休みます。
November 26, 2003 =Wed=
昨夜も妻から事務所に呼び出され、最後の仕上げを手伝わされた。
エジプトで日本人観光客の乗ったバスが横転し、けが人が出たらしい。場所はカイロとアレクサンドリアを結ぶ砂漠の道。むかし、ギリシャから行ったことがある。あの時は個人ガイドを雇っての旅で、この道を通ったのもバスではなく乗用車だった。所々に乾いた草が生えているだけの、本当に砂漠の道だった。今回事故を起こしたのは阪急交通社が主催したパックツアーだという。われわれもこの頃、阪急交通社を使うことが多い。理由は値段が安いからだ。業界でも安売りで有名らしい。安いから事故がおきたというわけでもないだろうが、事故の原因は雨で滑りやすくなった道で無理な追越をかけて横転したという。日程に無理があったのかもしれない。選挙に出るのをほぼ諦めたらしい妻は、今後は海外旅行に専念したいという。正直言って海外はもうあまり行きたい所は少ないが、ロシアとトルコには行って見たいと思っている。ロシアは主としてロシア文学の舞台であるサンクトペテルブルグにモスクワ、トルコはギリシャ神話の舞台であるトロイが目的の地。しかし数日前にはトルコでユダヤ教施設と英国総領事館が自爆テロで爆破され、数十人が死亡するなど物騒になってきている。加えて交通事故では腰が引けるのだ。
November 24, 2003 =Mon=
この三連休、Diaryの更新が滞ったが、土曜日から日曜日にかけて、妻の事務所で徹夜で仕事をしていた。本格的な徹夜は何年ぶりだろう。夜が更け、夜が明けるのも分からないほど根を詰めてやった。土曜日には、アルバイトできていた税理士を辞めさせた。税理士資格を持っていいる割には仕事が分かっておらず、コンピュータが全く使えないだけでなく、税務の基本さえ分かっていない。手伝いとはいえ、居るだけで邪魔なので辞めてもらったが、本人も分かっているようで、自分は役に立たないからいつでもクビにしてもらって結構ですといっていた。その代わり、40代の女性に来てもらうことにしたが、こちらは税理士資格こそないものの、コンピュータも使えるしテキパキしているが、実際に仕事に来れるのは12月になってからという。そこで現在の急場を凌ぐには夫である私しかいないというわけだ。やること自体はたいして難しいことではないのだが、妻の顧問先のうち最大の会社なので注意が必要なのである。
とにかく今日は朝10時まで寝て、それからまた事務所でいくつかの書類をコンピュータからアウトプットし、久し振りに床屋とスポーツジムに出かけた。行きがけに新宿のアオキでスラックスを買ったので、帰りに取りに行ったついでに、夕食は軽いものにしようと新宿郵便局の前のうどん屋に入った。「三国一」という名の店で、サラダうどんという、サラダと手打ちうどんを合体させたものが売り物らしい。その一つ、「空海サラダうどん」とかいうのを注文。手打ちうどんに豆腐と鰹節とサラダが乗っかり、うどんつゆはドレッシング感覚。うどんが腰のある手打ちなので、これが思ったよりいける。750円は高くない。
夜はまた妻から呼び出され(自宅と事務所が近すぎるのも良し悪しだ。)残務整理で12時をまわる。
November 21, 2003 =Fri=
今日も妻からのヘルプ要請で昼前に早退した。妻の事務所には最近入った男性の事務員がおり、時給ベースとはいえすでに税理士の資格も持っているが、傍でみているといらいらするほど仕事が遅い。これでは資格をとっても自分で開業するのは無理だと納得がいく。40代だが独身で、コンピュータ操作が特に苦手らしい。
ところで、早退して帰り道に昼飯だけでも済まそうと、一人でぶらっと入ったイタリア料理屋がだった。数寄屋橋阪急の向かい、ニュートーキョービル地下のVino
Vita。950円のスパゲッティを取ると、カウンターでの、ミネストローネやサラダ、ジュースにコーヒーがフリーサービス。果物もあったようだが、お腹いっぱいで入りきらなかった。銀座3丁目の響にしてもそうだが、この頃この程度の価格帯でこうした形のレストランが流行りらしい。
November 20, 2003 =Thu=
妻の仕事が本当にピンチということで、今日は会社に出勤し一通り仕事を片付けた後で、昼過ぎに早退してヘルプにまわる。帰ってきたら今夜も2時をまわっている。とりあえずはメールのチェックとこのDiaryのアップだけは済ませて寝ることにする。
November 19, 2003 =Wed=
社長からのお誘いで、築地の「治作」で会食。名目は、私の補佐として最近入社した54歳の経理マンの歓迎会ということだが、この「治作」は和式の結婚式場にも使われ、わが社がその美容関係を引き受けているところで、その関係から年間何枚かの食事券を頂いているので、これを消化するのが本当の目的。社長一家四人(社長、副社長、専務、取締役)にプロパー役員2名と前の会社の先輩でもあるSさん、それに件の経理マンと私、それに会社の監査役を兼ねる顧問税理士の10名。この都心にと驚かされる門構えに、料理もそれなりに凝っている。しかし、こうして社長一家と食事をしてみると、ご子息(専務と取締役)が素直なのに驚く。二人とも会社の役員である前に、かなり名の通ったタレント美容師でもあるのだが、一族の中には有名女優と浮名を流している方もいる割りに、真面目だ。先代の子供たちが5人とも男性で、それぞれが先代の事業を継承しており、その末子である社長の子供3人も男性で、3人ともが会社に入り(あとの一人はハワイの責任者として赴任している。)美容の仕事を継いでいるというのは、傍から見て不思議な感じもするほどだ。
一方わが家では、妻からHelp!の声がかかる。豪勢な食事を終えて帰ってくると、すぐに事務所に呼び出され、顧問先の決算の手伝いで午前3時近くまで。税理士資格を持った人を事務員に雇ったものの、機械の使い方がまったくわからず、仕事が進まないのだという。
November 18, 2003 =Tue=
運転免許証には「平成15年の誕生日まで有効」と書いてある。しまった。有効期限を過ぎてしまったのでまた手続きが面倒だと思ったが、だいぶ前に警視庁から送られてきていた「運転免許証更新のお知らせ」を見ると、「運転免許証の有効期間が誕生日の1ヵ月後まで延び、更新手続が出来る期間が、誕生日の前後各1ヵ月になりました。」とある。規制緩和のおかげで助かった。期限切れに気がついてからも仕事や何やらで忙しく、手続に取り掛かれずにいたが、今日朝から東陽町の試験場に行ってきた。普通なら都庁にある免許更新センターで良いのだが、駐車違反の前歴があるので更新手続ができる場所は試験場と指定されている。
昨夜が遅かったので視力検査が心配だったが問題なくパス。前回は写真撮影で眼鏡が光るからと外させられたが今回はこれもOK。一人前の人は眼鏡を外させられていた。免許証は身分証明書代わりにも使われるのだから、普段眼鏡をかけているのに外せというのはおかしい。写真技術のほうを向上させるべきだろう。問題はその後の講習だ。無事故無違反の「優良」だと30分の講習で済むのが、「違反」だと2時間になる。まあこれが事故件数や交通死者の減少に役立ってはいるのだろうが。
行きは西武新宿線で一駅の高田馬場から東西線に乗ったが、そこで妙なことに気がついた。進行方向右側の座席に座っていたので、上下線を挟んだホームの駅では壁の方を見ることになる。新聞を読み終わって、今どのあたりかなと目を上げると日本橋だった。向かいの窓超しに壁に掛かった駅名表示板が良く見える。次は茅場町だ。茅場町の次はどこだったろうと思い出せないが、駅に着けば表示を見れば分かるだろうと思っていた。ところが駅に着くと、表示板が見えない。日本橋も茅場町もホームは上下線を挟み、私の位置からは壁の表示を見ることになる。日本橋では良く見えたのに、茅場町では駅名の下の「かやばちょう」というふりがながかすかに読み取れる程度。電車と壁の間隔が狭く、表示板の位置が高いため、ホームからは見えても電車の中からは見えないのだ。私の本籍のある駅なのに・・・。
どうも営団地下鉄というのは態度の悪い駅員が多いように感じるが、こんなところを見ても乗客のことを考えていないのではないかと疑われる。大体いまどき「帝都」高速道営団なんて時代遅れの名前から変えるべきだ、というのは、風邪が抜けないための、やや八つ当たりだろうか。
November 17, 2003 =Mon=
5時から会社で記者懇談会があった。創立20周年を迎えて新たな業態転換をめざすということで記者発表を行うということで、朝からみんなその準備で大童だった。経理関係の仕事が忙しかったので記者懇には出席できなかったがまずまずの出来だったらしい。業界紙が主体で、一般紙は少なかったようだが、トップがマスコミの前に出るのは良いことだと思う。本当ならこちらから来ていただくよりも、マスコミの方から来てくれる材料があったほうが良い。もっともネガティブな材料でも困るが。
結果論ではあるが、妻の場合はマスコミをかなりうまく利用したと思う。市会議員になって地元新聞2紙と良好な関係を築き、好意的な取り上げ方をしてもらった上で、専修大学を社会人入試で卒業した時には、議員、税理士、学生、主婦の「四足のわらじ」という表現で全国紙数紙(地方版ではあるが)が報道し、これが縁で朝日新聞の「論壇」に投稿したことで全国に知られることになった。さらに著書出版でも全国紙にとりあげられたが、この間マスコミ対策にお金を一円も使っていない。使ったといえば自分のことが掲載された新聞を10部程度ずつ近所の新聞配達店から買った程度だ。これが後に国政選挙にでるきっかけにもなったのだから、ある意味では安い宣伝だと言えるだろう。
その妻から、今夜は大事な顧問先の仕事が遅れているからといって決算の作業を手伝わされた。新しくきた事務員たちがコンピュータの操作に慣れず、仕事が進まずに焦っている。これに付き合って何とか目処をつけたのが夜中の3時前。おかげで一旦治まった風邪がまたぶり返してきたようだ。と、こんな日記を書いているよりも早く風呂に入って寝なければ。
November 16, 2003 =Sun=
昨夜遅くになって急に寒気が襲ってきた。家ではめったに風呂には入らないが、風呂で温まれば何とかなるだろうと熱めの湯につかったが、どうもよくならない。今朝起きても、寒気こそ引いたものの、身体の節々が痛む。悪性の風邪の様だ。昨日の同窓会の会計報告だけ幹事団にメールを流して、今日も早く寝よう。
November 15, 2003 =Sat=
幹事団の一員を勤めている、大学時代のクラブの同窓会に出席。幹事とはいえ、妻の選挙や会社の研修などで時間をとられ、あまり貢献はできなかった。集まったのは大阪から来賓として招いた全体のOB会会長を含めて35名。5回生から今年卒業の51回生まで年代の幅が大きい割には人数が少なかった。クラブはESSといって英語研究会。もっとも現役時代はどちらかといえば麻雀のメンバーを探すために所属していたような感もあるが。われわれの同期で参加したのは文学部出身で日本工業新聞の監査役をやっている野田君だけ。
合宿などの写真をスライドショーにまとめて上映し、合宿で歌った英語の歌を皆で歌うというのがアトラクション。参加者の中に大柄な女性で活発にしゃべっている人がいる。挨拶して名刺を交換すると、参議院議員で厚生労働大臣政務官とある。そうか、彼女がクラブの後輩とは知らなかった。佐々木知子、またの名を松木麗というペンネームで小説も書いている。もともと東京地検の検事だったのが、前々回の参院選で自民党から声がかかって比例区で立候補したが、その後比例区の制度が変わって個人票を集めなければならなくなったので、来年の参院選には立候補しないそうだ。
November 13, 2003 =Thu=
昨日帰ってきたときはさほどでもなかったが、今日になって疲れが出てきた。それでも丸二日居なかった間の仕事が溜まっており、結局会社を出たのは八時過ぎになってしまう。
社民党の土井たか子党首が衆院選惨敗の責任を取って党首を辞任。護憲を標榜するのはいいが、時代を読めず同じことを繰り返すマイナスイメージが強く、護憲の戦略が描けていない。彼女が「護憲の象徴」では、守るべき憲法を改憲勢力の餌食にしているようなものだ。社民党自体が用済みの55年体制の残滓みたいなものだが、もう一つの残滓である自民党の方はしぶとく残っている。
November 12, 2003 =Wed=
昨夜が遅かったのに、今朝は八時から研修セッションがスタート。午後の出発の時間が限られているので昨日ほどのハードさはないが、ぎりぎりまでセッションが続く。自己啓発とは言いながら、どうも人間を企業の望む型に押し込めようとする意図が透けて見える。しかし、この会社のように若い従業員に同質的な仕事をさせる企業であれば、それも止むを得ないのかも知れない。積極的に肯定はしたくないが。ただ、地方から来ている若い社員と知り合いになれたことだけは意義があったということなのだろう。
昨日の天気は一日中雨。今日は朝のうち青空も覗いたが、富士山は一時山頂部分だけを覗かせたものの、あとはずっと雲に覆われたままだった。
November 11, 2003 =Tue=
朝九時からびっしりと研修プログラムが組まれている。講師の要請で、研修内容は他人に明かさないようにとのことなので詳細は省略するが、心理学を応用した自己啓発プログラムが主体。夕方までのプログラムは、まあ軽い感じだったが、夕食後のセッションがどうもメインらしい。ここに来て講師の態度も一変。若い女性の中には涙を流すのも出てくる。一人だけ個性の強い子がいて、自分なりの生き方や価値観を大切にしたいと主張する。講師はこれを攻撃の対象にし、体制順応的な答えを強要する。このやりとりを聞いていて、だんだん腹が立ってきた。企業としては確かに体制順応的社員の方が御しやすいのは事実だが、長い目で見れば個性を無理やり押し込めることは本人にとっても会社にとってもいいこととは思えない。よほど反論しようかと思ったが、私の立場でそれをやれば研修自体がぶち壊しになってしまうので思いとどまった。一日の研修が終わったのは午前零時半をまわっていた。
November 10, 2003 =Mon=
今晩から会社の山中湖研修所で「モチベーションセミナー」なるものに参加せよとのこと。社員のほとんどは約半年前までに9回にわたって研修を済ませ、今回はそれ以降入社の社員を対象に10回目だという。明日と明後日が完全にセミナーに充てられるため、三日分の仕事を片付けて、午後6時半に丸ビルに集合。総勢18名の参加者と、講師を含め4名の事務局が富士急行の貸し切りバスで7時に出発、中央高速を通って9時半に研修所到着。参加者のうち男性は本社の部長クラス3名と銀座店の美容師が1名。あとは全国各地から集まった女性美容師が14名。本社からの3名のみが50代、60代の高齢者だ。
この研修所は、もともと第一勧業銀行(みずほ銀行)の保養所だったものを昨年会社が購入した。山中湖に直接面した立地で、湖を隔てて富士山が真正面に見えるという。社長が子供の頃から先代に連れられてこのあたりによく来ていて、先代がどうしても手に入れたかったのに出来なかったという立地の物件で、社長には思い入れがあり、会社の財務状況がまだ万全ではないのにかなり無理をして買い取ったものである。
割り当てられたのは同年代の部長クラスと相部屋で、社長夫妻の専用室。この部屋だけはバストイレが付き、液晶テレビまで入っている。会社の研修所なのに社長専用の部屋があるというのも同族企業ならでは。風呂は部屋のバスでなく、二つある中規模の浴場を一組20分くらいで交代で使う。
November 9, 2003 =Sun=
衆院選の投開票が行われた。民主党は解散時を上回る議席数を獲得したものの、政権交代には届かず、とくに東京では3年半前の前回と比べてかなり厳しい結果になった。東京の25小選挙区で民主党が獲得したのは12議席と半分以下にとどまり、比例区の獲得議席は前回の民主党6と自由党2を併せた8のまま。小選挙区の候補は菅代表を除いて全員比例区と重複で順位は1位、比例単独候補4人はそれぞれ25、26、27、28であり、妻はこの27番目。ということは小選挙区で落選した13名のうち、惜敗率で上位8名が比例当選となり、のこり5人が落選となる。比例27位は繰り上げ順位で8番目ということになる。つまり、次の衆院選までに比例当選の8名全員が他の選挙に転出するか、亡くなるかしなければ繰り上がることはないというわけ。
という結論を得るために、開票速報を確認し、当選、落選それぞれの候補者に送るファックスの原稿を書いているうちに、時間は午前2時を回ってしまった。
もう選挙期間は終わったので、日記の書き込みは公開しても問題ない。遅くなりついでにFTPしておこう。明日から2日くらいはアップできないのだから。
November 8, 2003 =Sat=
昼過ぎに出かけようとしたら妻から電話がかかって事務所に呼び出された。妻の税理士事務所の顧問先としては一番大きい会社の決算なのだが、事務員が代わったためコンピュータの使い方が分からないというSOSだ。二年前も同じようなことがあって、売掛金などの相手先別補助コードを使っていなかったので残高内訳が把握できず、やむなくコンピュータメーカーであるJDLに頼んで一年分のデータをCSVファイルに変換してもらい、エクセルで並べ替え、何とか処理した。その後採用した事務員には補助コードを付けるよう指示したので、昨年は問題なくできららしい。ただ新しい事務員はまだこのコンピュータに慣れていないので、相手先別内訳の出し方がわからないらしい。現在のコンピュータは一年ばかり前に買い替え、私も使ったことはないが、会計ソフトならどんなものでも似たようなものだ。あちこちいじってみると、内訳明細は簡単に出てきた。
ところでこのコンピュータは税理士事務所用にJDL(日本デジタル研究所)が作っているもので、キーボードからしてかなり特殊仕様になっている。ファンクションキーが二段あって、それぞれに会計業務専用のファンクションが割り当てられている。そのほかさまざまな点で、一般のコンピュータと微妙に違っているので、戸惑うことが多い。それでも最新のものは、OSとしてWindows
XPが使われている。以前はJDL独自のOSだったらしく、フロッピーディスク一つとっても、特殊なフォーマットで市販のものが使えないようになっていた。フロッピー一枚が100円くらいの時に、JDLのフロッピーは一枚700円くらい取っていた。さすがにこんな商法は長続きせず、OSはWindowsに変更することになったらしい。だがそれでも特殊な仕様が多く、Wordをインストールすることはできたものの、文書を作ってMyDocumentに保存しようとするとディスクが一杯ですとのエラーメッセージが出る。ディスク容量は十分余裕があるのに、MyDocumentの容量は数十キロバイトしかない。容量を増やせばよいのだが、うっかり変なことをして、会計機としての機能に支障が出ると困るのでやめにした。
妻は家にもJDL仕様のノートパソコンを持っているが、事務所にアルバイトながら所員が増えたので、このパソコンを事務所に持っていき、自宅には普通のPCを買うことにして、Dellに注文した。妻は今頃になってパソコン教室に通っているのだが、JDLのパソコンだとキーボードが違うので習ったことと勝手が違うのだ。
November 7, 2003 =Fri=
朝はエステック情報ビルの診療所へより、先日受けた大腸内視鏡の結果を聞きに行く。画面サイズが1センチ角くらいの小さなフィルムをスライドにかけ、机の前の壁に映った画像がサービスサイズのプリントくらいの大きさ。これを見ながらの説明だが、地t部にやや炎症の跡が見られるくらいで、特に問題なしとのこと。
6時から東京會舘で、前の会社の経理部門のOB会。これまでは丸ビルの裏の別館9階でやっていたが、別館が建替えのためすでに取り壊されてしまったので、東京會舘に場所を移したとのこと。会社全体のOB会と違って同じ部門のそれだけに、知った顔がほとんど。インサイダー情報とならぬよう慎重な言い回しではあるが、会社の業績も順調らしく、年金の心配は無用との話しに会場が沸くのもOB会らしい。
OBを代表して乾杯の挨拶に立った元副社長が、木村剛の「会計戦略の発想法」を引用して、そこに会社の内部管理体制を詳細に説明し、社内のガイドラインや検査マニュアルを公表していることに触れて、現在の経営陣が会社経営に対して持つ自信の程を絶賛していた。「木村剛」を「鈴木剛」と言い間違えていたのはご愛嬌だが、このガイドライン、マニュアル作成に当の木村剛が関与していることもご存知の上だったのかは分からない。
意外だったのは、妻が今度の総選挙に比例単独で立候補しているのをかなりの人が知っていることだった。これまでの選挙と違って、会社関係には誰にも声をかけていなかったのだが。民主党に投票する、あるいは少なくとも比例区では民主党に入れるという人も結構いて、新聞の選挙予測とは少し感じが違うかなという印象を受けた。
あ、そうだった。今日は62回目の誕生日だった。
November 6, 2003 =Thu=
今日も朝から銀行を訪ね、昨日払込が終わった増資資金の保管証明書を受け取る。今週はこんな具合で朝から会社に直接行く日がない。
ダイエット中だからというわけではないが、この頃、昼食をドトールコーヒーで済ますことが多い。銀座一丁目の柳通りにあるドトールの店でサーモンとレタスを丸いパンに挟んだベーグルサンドというやつとブレンドコーヒーを買い、二階の通りに面したカウンター席でペーパーバックを読みながら済ます。これで昼食代は440円。お金を節約しているわけではないが、時間は節約している。それにペーパーバックを読めるのもこんな時間くらいしかない・・というのも寂しいのだが。
November 5, 2003 =Wed=
昨日に続いて朝から決算説明に銀行3行を回る。まずは順調。
妻が比例単独とはいえ衆院選に立候補しているので、無用の誤解を招かぬよう、この日記もスタンドアローンでの原稿を書くだけで、サーバーへのアップは控えているが、それにもかかわらずアクセスカウンターがすこしずつ上がっている。いままで読んでくれていた人が、更新サスペンドを知らずに見に来てくれているのかも知れないが、民主党のホームページの比例区公認候補一覧から妻のページにリンクした人のごく一部が、更にこちらにリンク流れしてきているのかも知れない。
November 4, 2003 =Tue=
決算も終わったので、まずは納税資金を借りた銀行に社長と決算説明かたがた訪問する。業績が好調だけに社長の説明も調子が乗っている。そのあと、第三者割当増資を引き受けてもらったグループ会社に、手続き書類を持参する。JR代々木駅近くの一角に、グループ会社が集中している。代々木といえば一昨年の参議院選挙のとき、選挙事務所を構えていた場所だが、この一角を訪れるのは初めてだ。夕方には何とか書類と払込資金が整い、それらを受け取った足で銀行にぎりぎりのタイミングで持ち込む。これで当面の大きな仕事はひとまず一段落となった。
会社からの帰り、いつもガス灯通りや並木通りなど裏通りから地下鉄の駅に行くのだが、珍しく銀座本通を通って見ると、三越の前にパンの木村屋がある。父が元気な頃、大阪の実家に行く際に、父から木村屋のアンパンが食べたいというリクエストがあり、新宿・高島屋の木村屋で買っていったことがあった。銀座の店はその本拠だ。大阪に移って何十年、90歳の父が覚えていた味だから、特別のものがあるのだろう。父に買っていったのと同じ桜アンパンを買ってみた。一個120円にしては小さなアンパンだが、真ん中に埋め込んだ塩漬けの桜の花びらが何ともいえない風味を醸している。ブランドショップの立ち並ぶ中で、こうした伝統の味が続いているのも銀座ならではなのだろう。
November 3, 2003 =Mon=
三連休の最終日。今日は妻も予定が入っていないため、午前中はビックカメラで買い物。古くなった電子レンジをオーブンレンジに買い替え、トースターも買い替える。午後はスポーツジムに行き、帰り道の途中にある「土風炉」で夕食。この頃、こういう居酒屋チェーンが結構増えてきた。余り凝った料理は期待できないが、そこそこ新鮮でまずまずのものが安い値段で食べられる。「浦霞」を二合弱、片口で。ここまではいいのだが、家に帰ってからは妻が引き受けた相続関係の仕事で不動産の登記申請書やら委任状やらのワープロを手伝わされ、結局就寝は1時過ぎとなる。
読売新聞の朝刊に、衆院選東京ブロックの比例候補のプロフィールが掲載された。公示日の前夜に自宅に来た記者が、その後何度も私のところに記事の内容の確認に来ていた。妻に限らず、衆院選の比例単独候補なんて、重複立候補者よりも上の順位ならともかく、万一馬鹿勝ちした場合の予備要員なのだから、個別のプロフィールなんてあまり意味がないように思うが・・・。
November 2, 2003 =Sun=
イラクで、休暇のためバグダッドの空港に向う兵士たちを乗せた米軍ヘリが地対空ミサイルで撃墜され、15人が死亡したという。戦争終結宣言以来の米英軍の死者は戦闘中の死者の数をとっくに上回っている。もともと正当な理由なく米英が始めた戦争は、ベトナム戦争と同様の泥沼にはまり込んでいる。米英でさえ開戦の責任を追及する世論が起きているというのに、この戦争にいち早く支持を表明した日本では、責任の追及どころか人道支援と称して資金援助に加えて自衛隊の派遣にまでエスカレートしようとしている。イラクでの外国軍への攻撃をテロという言葉で片付けているが、見方によっては第二次大戦中のドイツ占領下でのレジスタンス運動とも相通じるものがあるのではないだろうか。フセインの独裁政権が続いて良いわけではないが、米国の論理には石油利権の確保とイスラム教への宗教戦争の要素が、最初から強く浮き出ているのだから。
November 1, 2003 =Sat=
スポーツジムで汗をかき、サウナに入った後で量ったので、必ずしも普通の状態ではなく、いわば「瞬間風速」みたいなものだが、体重が64.8kgと65を割った。9月19日に診療所で栄養指導を受け、食べ物の量よりも種類についてなるべく指導に沿うように努力してきて、無理なダイエットをしたつもりはないが、それまではどうかすると70kgを超えることもあったから、1ヵ月半で5kg落としたことになる。ペーストしては悪くない数字だろう。旅行に行ったりするとどうしても食べ過ぎてリバウンドするが、それでもすぐに正常に戻るのはある程度体質も改善されたのかもしれない。
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