January 31, 2004 =Sat=
20日のDiaryで、電子辞書の購入を予告したとおり、今日スポーツジムに行った帰りにビックカメラに寄った。売り場に行くと店員が客の女の子をつかまえていろいろと講釈している。それも電子辞書の機能を説明しているわけではなく、自分はアメリカに何年いて電子辞書を使っていたとか、この店の電子辞書セールスではトップの成績だとか言って、女の子が感心するのを楽しんでいる様子。聞いていて馬鹿馬鹿しいが、他に店員がいないので会話が終わるのを待つしかない。その間にできるだけ軽くて嵩張らないのを探したら、カシオの製品で重さ130グラム、価格18,800円というのがあったのでそれに決めた。件の店員は相変わらず女の子とぺちゃくちゃやっているので、通りがかった別の店員をつかまえて購入した。やすいやつだから機能も一番シンプルだろうと良く見ずに買ったのだが、家に帰って実際にさわってみるとやけにごたごた入っている。メニューを見たら、「広辞苑」「英和辞典」「和英辞典」(本当はこれだけでいいのだが)に加えて、「漢字源」「古語辞典」「英語類語辞典」「カタカナ語辞典」「故事ことわざ辞典」「四字熟語辞典」「手紙文例集」「英文手紙用例辞典」「スピーチ文例集」「人名地名集」「IT用語辞典」「英会話」「スペイン語会話」「ドイツ語会話」「フランス語会話」「イタリア語会話」「ホトトギス俳句季題便覧」「世界の料理メニュー辞典」とある。これだけを小さな躯体によく納めたものだが、こんな機能を本当に使うのだろうか。
試しに「フランス語会話」を見てみると、「基本表現」「到着・帰国」「泊まる」「食べる」など12のシーンがあり、その中からたとえば「トラブル」を選ぶと「紛失・盗難」「交通事故」「病気」などトラブルのシチュエーションが出てくる。「病気」を選ぶと病気に関するいくつかの用例が出てくる。「おなかが痛いのですが、薬をもらえますか」→[Pouvez-vous
me donner un medicament contre le mal de ventre?]とあって、読みがカタカナでついている。「プーヴェ ヴー ム ドネ アン メディカマン コントル ル マル ドゥ ヴァントル」と。アクセントを置く部分が太字になっているのだが、フランス語をやったことのない人がこれを見て発音してもまず通じないだろう。まあ何かたくさん入っているらしいので、暇つぶしのおもちゃにはなりそうだ。
January 30, 2004 =Fri=
会社からの帰りは銀座4丁目から晴海通りに出て、有楽町マリオンの手前で丸の内線の地下鉄に乗るが、その筋向いにある数寄屋橋阪急(東芝ビル)の上に、「クルーズ・クルーズ」という電飾がいつも目に入る。今日はそこで前の会社の大阪入社組の同期会があった。集まったのは東京在住者の8割にあたる15人。中には大阪や山口から出てきた人もいる。現役で仕事をしている数よりも、リタイア組のほうが優勢のようだ。本当に晴耕雨読を楽しんでいる様子も伺えてうらやましい。
January 29, 2004 =Thu=
このところ結構仕事が忙しく、会社を出るのが午後7時半を回っている。やることはまだまだあるのだが、7時半を過ぎるとそれ以上居残って仕事を続ける気力が残らない。そんなこんなで今日も新宿に着いたら8時過ぎ。妻の携帯に電話を入れると、税理士の仕事先から帰る途中でもうすぐ新宿に着くと言うので、外食することにした。家の近くに去年息子が帰ってきたときに行った安いふぐ料理屋があるというので行ってみた。記憶が薄れているが、そういえば確か一度来たことがある。ふぐ刺し、から揚げ、鍋、雑炊までセットで2,980円。「和食屋」という何ともそのものズバリの屋号で、テーブルが5つ、小上がりが二つくらいの狭い店はほぼ満席で、カウンターだけが空いていた。いろいろ事情があって、今日午前中は議員会館に行っていたし、明日も議員会館で某代議士と会うらしい。もう政治は降りたはずだが・・・
January 28, 2004 =Wed=
今日は何度か外を出歩く機会があったが、風もなく、陽射しに恵まれて早足で歩くと汗ばむほどだった。しかし気温はさほど高くはないらしく、日陰に入ると途端に寒くなる。昼食の帰り、近所のサヱグサビルに最近できたアップルストアを覗いてみた。銀座3丁目の交差点角にあり、ここはアップル・ジャパンではなく米国のアップル本社の直営店とのこと。Macを触ったのはほとんど初めてだが、感じとしてはWindowsとそんなに変わりはなさそうだ・・・というかWinの方がMacを真似ているのだろうが。アップルがマイクロソフトの軍門に門に下ったためか、両者の違いはますます薄れてきそうだ。店内に展示されているPCにはすべて一つずつ今話題のiPodが接続されている。このiPodもMacとWinの両用だそうだ。アップルショップを覗いてみようと思ったのも、目当てはこのiPod。別に若い人のように音楽が聞きたいわけではないが、20GBあるいは40GBのハンディなハードディスク代わりに使えないかと考えた次第。パンフレットによれば確かにそういう使い方もあるようで、旅行先でデジカメのデータをiPodに落とせばPCを持っていく必要もない。ただやはり、これまでもPCのperipheralでは機械同士の相性に苦労させられてきた。両用とはいえ、本来はMac仕様のはずの機器がPCと問題なく使えるのかどうか、信頼がおけない。
January 27, 2004 =Tue=
今朝のニュースを見ていたら、去年の衆院選で自民党の山崎拓を破って当選したものの学歴詐称の疑いが浮かび上がった古賀潤一郎議員が、地元の駅頭で釈明演説をやっていた。わざわざカリフォルニアまで出かけていき、卒業したと主張するPepperdine大学から卒業の事実はないと宣言されただけでなく、通学したと言うUCLAなどからも在籍の記録なしと言われ、すごすごと帰ってきた翌日である。演説の趣旨は、@民主党を離党する、A議員辞職はぜず報酬を返上して議員活動を続ける、というもの。彼が辞職すればすぐ補選ということになり、またあの山崎拓が出てくるのは馬鹿らしいが、これだけ騒がれた挙句に離党でお茶を濁そうと言うのは民主党にとっても迷惑な話だ。
彼は昨年民主党に吸収合併された旧自由党出身で、以前は自民党の県議をやっていたという。旧自由党と言えば、田中外務審議官の自宅に爆発物を仕掛けるなどのテロ行為で、「刀剣友の会」という右翼組織の幹部が検挙されたが、その「最高顧問」をやっていることがばれた西村慎吾という右翼議員も旧自由党だ。彼は「最高顧問を辞任するかどうかは捜査の進展を見たうえで判断する」などと他人事のようなことを言っているが、それより先に民主党を離党し、議員を辞めるべきではないのだろうか。それをさせない民主党も情けない。やはり小沢一派に入り込まれたのは、衆院選では一定の成果を挙げたかもしれないが、長期的に見れば民主党の選択の誤りだったと思う。
January 26, 2004 =Mon=
先週の金曜日に米国のイラク大量破壊兵器調査団団長を辞任したケイ博士が、イラクは米国のイラク侵攻の理由とされる大量破壊兵器を保有していなかったと認めた。彼によれば、<the
C.I.A. and other intelligence agencies did not realize that Iraqi scientists
had presented ambitious but fanciful weapons programs to Mr. Hussein and
had then used the money for other purposes.>(New York Times) イラクの科学者たちが野心的ではあるが非現実的な兵器計画をフセインに提出して資金を引き出し、それを他の用途に使っていたということを、CIAはじめアメリカの情報当局者は分かっていなかった、という。先日、ブッシュ政権の財務長官をクビになったオニール氏が、9.11以前からブッシュはイラク開戦を決めていたと発言したことからも、イラクの大量破壊兵器保持を開戦の大義名分としたイラク戦争は明らかな欺瞞であることがはっきりした。
<Dr. Kay added that there was now a consensus within the United States
intelligence community that mobile trailers found in Iraq and initially
thought to be laboratories for biological weapons were actually designed
to produce hydrogen for weather balloons, or perhaps to produce rocket
fuel. While using the trailers for such purposes seems bizarre, Dr. Kay
said, "Iraq was doing a lot of nonsensical things" under Mr.
Hussein.>(同)
生物兵器の製造工場と信じられていたものが実は気球を膨らませる水素を製造する設備だったとか。開戦直前、アメリカ政府はイラクによる大量破壊兵器保有の「動かぬ証拠」を掴んだとしてこれを同盟諸国の首脳に内密で開示し、開戦支持を訴えたはずだ。日本の首相もこの「証拠」をもとにいち早く開戦支持に踏み切ったのではなかったか。「動かぬ証拠」とはこの風船を膨らませる気体製造装置だったのかも。
政府はその責任をどうするのか説明することもなく、今日、陸上自衛隊本体と海上自衛隊の派遣命令を出した。なし崩しの既成事実化だけが進んでいく。
January 25, 2004 =Sun=
昨日の体調不良はやはり食あたりだったのか、今朝はほぼ治まっていた。今日は片づけをしたり、午後からスポーツジムに行ったりしてのんびりと過ごした。アパートの一階がスーパーになっているが、このスーパーチェーンの社長の娘がプロの歌手(と言っても地元の色んな集会などで歌うような)とかで、ある会合で彼女と知り合った妻が、彼女からマッサージ師を紹介してもらった。夜、そのマッサージ師に家に来てもらい、二人で一時間ずつやってもらう。何かと言うとマッサージをやりたがる妻と違って、私は自分では余り凝りというのを意識しないのだが、マッサージにかかるととても凝っているといわれるし、やってみるとやはり身体が軽くなったような気がする。そういえば年末に中国の陽朔のホテルで頼んだマッサージ師は、終わった後に筆談で紙に「肩周炎」と書いてくれた。そんな名前の病気があるのだろうか。今日のマッサージ師に聞いてみたら首を傾げていた。
January 24, 2004 =Sat=
どうも昨夜から身体の具合がおかしい。熱があるほどではないが寒気がするし、吐き気もある。昨日の昼にLe
Dragonblueで食べたお粥の突合せに出された揚げシュウマイと揚げパンの油が合わなかったのかもしれない。あるいは単に風邪かもしれないが。ということでほとんど一日中ベッドで寝て過ごした。体調が悪いといろんな面で弱気が出てくるものだ。
January 23, 2004 =Fri=
アメリカ大統領選挙では民主党の候補者選びの混迷をよそに、ブッシュ再選が確実との見方があるが、本当にそうなのだろうか。アメリカのサイトで拾ったジョークにこんなのもある。
A man walked into a cowboy bar and ordered a beer just as President Bush
appeared on the television. After a few sips, he looked up at the television and
mumbled, "Now, there's the biggest horse's ass I've ever seen."
A customer at the end of the bar quickly stood up, walked over to him,
and decked him.
A few minutes later, as the man was finishing his beer, Mrs. Bush appeared
on the television. "She's a horse's ass too," the man.
This time, a customer at the other end of the bar quickly stood up, walked
over to him, and knocked him off his stool.
"Damn it!" the man said, climbing back up to the bar. "This
must be Bush country!"
"Nope," the bartender replied. "Horse country!"
January 22, 2004 =Thu=
今夜は前の会社の同じ部の現役・OBが集う参木会。新橋の「ぜん」でふぐ料理。住所が新橋3丁目と思い込み、これなら土地勘もあると出かけたが見当たらない。店に電話して聞くと西新橋の3丁目だという。この頃こうした勘違いが多い。もともと第三木曜日にやっていたのでこの名があるが、今週は第四木曜日だった。結構出席者は多く、病に倒れた前部長も出席していた。目の手術に加え、甲状腺癌の手術もしたが、幸い回復したらしい。入院中も政府筋から破綻銀行の再建に関して重要ポストの打診があったとか。一年下の年次だが交友関係も広く大人物だ。
一年下と言えば、昨日の新聞でいっせいに発表された新社長もそうだ。彼が米国法人の部長をやっていた頃、中南米の場所長会議に出席したことがあった。彼の出席によって、その年の会議では北米と中南米で共同プロジェクトに取り組もうと言う機運が盛り上がった。まだ若い彼は当時から嘱目されており、年配の場所長たちも彼が参加しただけでこれほど盛り上がるのかと感心していた。もっとも、翌年の会議では「なぜ共同プロジェクトが一つも立ち上がらなかったか」の説明に終始したが・・・。彼と、今は米国法人の社長をやっており、当時はワシントンの事務所長だったS氏と3人で一緒のテーブルを囲んだことがあった。二人とも年齢は下だが、「今度は××さんを常務にするように動こう」などとこともなげに話している彼らの会話にはついていけなかった。
同じ新聞の紙面で、この会社が昨年に続いて文系男子の就職希望先の1位になったとの記事もあった。それなのに株価は32円安とは・・
January 21, 2004 =Wed=
会社に出入りしている第一生命のセールスレディから勧められ、同社の「利き酒会」に出た。色んな会社が景品を提供し、これをパンフレットに掲載して抽選会を行うので宣伝
効果もあると言われ、商品部を巻き込んで商品を提供してもらい、商品部の二人とともに参加した。年に二回くらいのペースでやっているそうだが、確かにかなりの人数が出席している。お堀端にある第一生命ビル7階の会場は、普段は社員食堂だそうだ。コーナーには、越乃寒梅、八海山、〆張鶴、久保田、玉乃光、等々各地の銘酒が数十種類、自由に味見できるという仕掛け。
第一生命ビルと言えば、1945年9月から52年まで連合軍総司令部(GHQ)が置かれていた建物。今は改築されているが、外観と、6階にあるマッカーサー元帥の執務室はそのままの姿で保存されている。帰りに中を見せてもらった。54uの執務室に置かれた、引き出しのない大きな机と擦り切れた椅子は、当時の社長であった石坂泰三が使っていたのをマッカーサーがそのまま引き継いだという。利き酒会の出席者でこの歴史遺産を見ようという人も多いらしく、マッカーサーの胸像の前で第一生命の社員が見学者のためにポラロイド写真を撮っていた。
戦後まもなく国会議員の選挙があった。投票を終えて帰ってきた父に、「誰に入れたの?」と聞くと、「マッカーサーに入れたよ。彼のおかげで戦争に行かなくて済んだから」と冗談めかして答えていたのを想いだす。
January 20, 2004 =Tue=
結構デジタルおたくなところがあって、昔から目新しいハードやソフトが出ると欲しくなる癖があった。デジカメはカシオの35万画素程度のものから始めたし、ICレコーダーも現在使っている旧式の東芝製でも2台目だ。フラットベッドスキャナが十数万円して手が出なかった頃にはハンディスキャナを4万円以上出して買ったりした。以前使っていたPCは、外付けの周辺機器(英語では"peripheral"という)をいっぱいくっつけていたものだ。しかし最近は一通りのものが揃っているし、これといって欲しいものがなくなった。もちろんお金さえあれば一眼レフのデジカメも買いたいし、ガタの来ているキャノンのレーザープリンタも買い替えたいとは思うが、新しいものへの期待感、わくわく感は昔のようにキーンではない。息子のお下がりの、ハードディスクもない16ビットのPC(確か富士通だった)に、中古で買ってきた120メガバイト(何と!)の内臓ハードディスクを組み込んだときの感激が懐かしい。
というところだが、最近になってひとつだけ欲しいものが出てきた。BBSで前に藤田君が言ってくれていた電子辞書だ。さして目新しいものではないが、ビックカメラの店頭で何気なく触ってみたら、思っていた以上に役に立ちそうだった。そんなに高いものではなく、店頭価格で2万円から3万円程度で、英和、和英、英英、広辞苑、漢和などの辞書が入っている。機種によっては仏和・和仏、独和・和独の辞書や、「家庭の医学」なんてもの入っている。だが、余り多機能を求めるよりも、携帯性を重んじて軽くて小型の方が良いかも知れない。もっとも余り小さいと画面が見にくいかもしれないが。
今の会社は昼休みが不定期なので、一人で昼食に行くことが多い。そうしたとき、ペーパーバック(今なら"TIME
LINE")を持っていき、食事をしながら読むことが多いが、やはり辞書があると便利だと思う。欲しいとなると余り長く我慢することができない性格だ。おそらく二週間以内にはゲットしていることだろう。
もっとも、最近買ったものではPDAは失敗だった。東芝のGenioだが、操作がしにくく(スタイラスペンで触れたところがなかなか動かない)、画面が見にくい。スケジュール管理が主な用途だが、携帯のスケジュール機能を使った方が内容はシンプルだがずっと簡便だ。結局、PDAはクレードルの上で充電だけは十分に出来ている状態だ。
January 18, 2004 =Sun=
雪の予報に反して朝方の雲が晴れると快晴になった。このところ忙しくてスポーツジムに行けなかったが、今日は2週間ぶりに、それも夕方から仕事があるので昼の時間に行った。久し振りで張り切ったせいか、自転車漕ぎを20分あまりやったところで足がつってしまった。いわゆる「こむらがえり」という奴だ。痛くてしばらく立てなかったが、何とか治まってからプールサイドのジェットバスに行く。プールで冷えた身体を温めるため、バスの中のいろんな高さからジェット噴流が噴出している風呂で、入浴者は40〜50秒間隔で鳴るカッコーの声にあわせて次の位置に移る。これが楽しみでジムに来ている人もいるようだ。このジェットバスのふくらはぎの位置の噴流を当てていると痛みも治まってきた。
「こむらがえり」というのをBookshelfで調べると、「こむら」とは腓と書き、「《ふくらはぎ》の意の老人語」、とある。古語とか俗語ではなく、「老人語」だそうだ。「こむらがえり」は「腓返り」と書いて、「激痛を伴う、局所性の脚のけいれん。狭義ではふくらはぎのそれを指す。遊泳中におきると、おぼれるおそれが有る」同じくBookshelfの和英辞書では、"get
(a) cramp in the calf"とあり、"a"を入れるのは主として米国、いれずに"cramp"だけとするのは主として英国だそうだ。
このcramp、私の場合は夜中の就寝中に起きることが多い。死ぬかと思うほどの痛みが襲う。それも事前に来そうだなというのが分かるのも特徴だ。これが来ると本当に寝ているどころではない。しかし一定の時間が過ぎると自然に治るし、治った後は運動した後の軽い疲れのようなものが残るだけだ。
January 17, 2004 =Sat=
今日は阪神大震災から9年目にあたる。あの日の朝、大阪の母から電話があり、「こちらも凄い揺れだったけど、神戸の方は大変なことになっているらしい。知人とも連絡がつかない。」といって来たが、そのときはこれほどの被害が出ているとは想像もしなかった。当時出向していた会社の役員の奥さんが亡くなり、その葬儀の日だった。社会人入試で入った大学の期末試験に当たっていた妻に代わって、神戸・六甲に住んでいた妻の母親に葬儀場の公衆電話から何度電話を入れても繋がらない。妻の母は前年に夫に先立たれて一人で住んでいた。連絡が取れたのは丸一日たってからだった。
そういえば昨夜は神戸大学の出身者が集まったのだが、震災の話は一言も出なかった。殆どが当時から東京に来ているせいもあるが、直接の被害にあった人以外では震災も風化してきているのだろう。
今日は朝から西日本から東海にかけてかなり雪が降っており、関東も夕方から雪になるとの予報だった。夜になって降り始めたが積もるほどではなさそうだ。ちょうど10年前、妻が始めて町田市議選に立候補した年が、近年ではとくに雪の多い年だった。高校生だった娘と、近所の郵便受けにチラシを入れに歩いたが、積雪のために郵便受けまでたどり着けない所さえあった。それに比べると最近は雪も少なくなったような気がする。
January 16, 2007 =Fri=
会社では今春入社予定の新入社員の内定式なるものがあった。「内定」というのは「うちうちに決まった」という意味であって、これについて「式」を挙げるというのは不思議な気がするが、これも伝統の一つなのだろう。一応幹部社員としての祝辞を述べ、引き続いての説明会で入社に際しての手続など説明する。
この「式」を終えてすぐ新宿の住友クラブへ向う。先月の16日に勘違いして行ったのだが、大学の英語研究会(ESS)の同窓会幹事会の集まり。こちらでもこれまでの幹事団メンバーに加え、新たな幹事4名(1名は欠席)が加わる。幹事団の最年長は8回生、最年少は昨年卒業の51回生と、非常に幅広い構成になった。
ところで、今日ついに陸上自衛隊の先遣部隊がイラクに出発した。ブッシュの野望に基づく正義なき戦いへの追従がどういう結果を生むのだろうか。CPA(Coalition
Provisional authority)代表のブレマー文民行政官(なぜかWashington Postの記事では肩書きが"US
Governer in Iraq"となっている)がイラク人への政権移譲にむけての国連の役割を相談するため一時帰国したらしい。どうみてもアメリカ一国では手に負えなくなり、大統領選も近いことだし、米国がフェイドアウトして国連に押し付けようとする意図が明らかだ。次のようなJokeもある。
For months, soldiers at Camp Doha, Kuwait, have been wearing T-shirts that
say, "Operation Iraqi Freedom: Mission Accomplished." But recently
a new T-shirt has appeared suggesting that the mission may be more open-ended.
It reads, "Operation Iraqi Freedom: Established 2003.
10年後にはこんなTシャツが売られているかもしれない。"Operation Iraqi
Freedom, since 2003"
January 15, 2004 =Thu=
9日のDiaryで触れた、元・東京銀行パナマ支店長の森永さんの後任者である藤本さんから封書を頂く。いつも年賀状の季節が過ぎた頃、ご夫妻で主宰しておられるA&HF Foundationのニューズレターが送られてくる。ご自身が赴任しておられた国々を中心に、発展途上国の学生に奨学金を出す制度を、個人で20年近く続けておられる。ニューズレターの冒頭部分には次のように紹介されている。
Since A&HF was founded in 1986, total number of A&HF scholarshiprecipients
for 5 countries (Thailand, Panama, El Salvador, Laos and Cambodia) has
reached 415.
New A&HF Graduates were 13 from Khon Kaen University (KKU), Thailand,
1 from Universidad Salvadorena "alberto Masferrer" (USAM), El
Salvador, 5 from National University of Laos (NUOL), Lao P.D.R. and 3 from
University of Health Sciences (UOHS), Cambodia.
We accepted new students, 16 from KKU, 7 from UOHS, 1 each from University
of Panama and USAM.
ニューズレターのほかに、奨学金の面接に訪れたタイのKKUで奨学生に囲まれたご夫妻の写真と、葉書大のカードが年賀状の代わりに同封されていた。正月は、やはり面接に訪れたプノンペンで迎えたそうだ。奨学生の何人かとは養子縁組をしておられ、養女の一人はKKUの学長補佐となり、外国からの奨学金受入れ窓口も担当することになったそうだ。
「私たち夫婦も大分年をとった感じですが、A&HFの事務増加により処理が無理となったため、本年より1年の半分程度をタイで過ごそうと考え、事務手助けが得やすいコンケン市に住居を建築しています」とのこと。
森永さんといい、藤本さんといい、東京銀行には結構ユニークな人材がいた。米国との緊張が高まり、治安が悪化した当時のパナマで、ご夫妻ともに警察の許可を貰って小型拳銃を携行しておられた。それほどの覚悟を持って仕事に取り組むかたわら、大使立会いのもと、養子(女)たちへの遺言状も書いておられたと聞く。
January 14, 2004 =Wed=
友人と京橋の美々卯でうどんすきの鍋を囲んで新年会。美々卯はむかし大阪にいた頃には時々行ったが、東京ではこの京橋の店に一二度来たことがある程度。関西風の薄味のスープに鶏や魚介類、野菜を入れたうどんすきは東京でも結構人気があり、店は満席の様子。外が寒かったので最初は熱燗にしたが、二杯目は日本酒をシャーベット状に凍らせた凍結酒。やや甘口だが鍋には合うようだ。奥のテーブル席だが店の雰囲気も良い。
ところで、この友人とは去年の年末に会ったとき、年が明けたら新年会をやろうと約束していた。先週末に「来週にでもどう?」と携帯メールを入れたが返事がない。忙しいのだろうと督促するのも控えていたが、昨夜、というか今日の午前1時頃、就寝前に携帯を見たらメールが2通。1通は「了解。いつにする?」とあってタイムスタンプは何と10日の午後1時半。もう1通は昨夜午後8時のタイムスタンプで「明日か明後日のどっち?」とある。夜中だけれど、「今日(14日)でもいい?」とメールを打つ。
いくら何でも10日のメールが14日に着くのでは信頼がおけないと、NTTドコモに電話して聞いてみた。そうしたら、携帯メールは送信者が送信したときに受信者が圏外に居たり電源を切っている場合は、サーバに戻って保管された状態になるそうだ。これがサーバに新しいメールが入ったりすると「押し出される」形で受信者に届く場合もあるが、そうでなければ受信者がサーバまで取りに行かなければならない。午前1時に2通のメールが一度に届いたのは、何かの拍子に「押し出された」らしい。そういえば、1通目のメールのタイムスタンプの時刻は、大阪に向う新幹線の中だったし、2通目の時ももしかするとエレベータに乗っていたかもしれない。では、受信者がサーバまで取りに行くには、具体的にどうすれば良いのかと言うと、携帯のあるボタン(機種によって異なる)を押して「センター問合せ」という操作をする必要があるとのこと。携帯を使っていてもマニュアルをよく読んでいないので今までまったく知らなかった。さっそく「センター問合せ」をやってみると、午前1時半に打ったメールに対する返事が入っていた。「了解。時間と場所は?」タイムスタンプは午前9時。ちょうど地下鉄に乗っていた。
友人にこの話をして、「センター問合せって知ってる?」と聞くと、「もちろん知ってる」とのことだった。
January 13, 2004 =Tue=
今頃になって年賀状が30通ほど届いた。町田の住所になっていたのが転送されてきたのだ。1999年末に町田から高円寺に引越し、2002年1月に高円寺から新宿に引っ越している。どちらも普通だと転送期間が過ぎているのだが、それぞれの郵便局に特別に頼んで転送期間を延長してもらっている。高円寺の方は4日に転送されてきたが、町田の方は今日になった。今頃から返事を出すのも気が引けるが、出さないのも失礼だし、迷うところだ。これとあわせて、頂いた年賀状に返事を出したうちの何通かが宛先不明で戻ってきていた。おかしいなと思って調べてみると、住所を間違えたり番地を洩らしたりしていた。我ながらそそっかしい。
January 12, 2004 =Mon=
成人の日は昔は1月15日だったが、連休を増やすということで1月の第三月曜日になった。午後から昨年末に五番町に引っ越した娘の新居を訪れる。娘は6年前に成人になったすぐ後に、学生のまま同じ一橋の先輩と結婚、横浜の青葉台に夫の両親が用意してくれた一戸建てに住んでいたが、夫の会社が忙しいこともあって都心に移ることにした。実際は、麹町の税理士事務所に勤めている娘の方が、事務所近くのこの物件を見つけてきたらしい。町田から都心の新宿に移った私たちを見たことも影響しているかもしれない。五番町のアパートを選んだ決め手は、夫が子供の頃住んでいた場所の隣だということだった。青葉台の家を売却し、五番町のアパートを買ったが、アパートが完成するまでは台場のアパートを借りていた。いま、もっともナウい台場だけに、五番町よりそちらの方がよかったとも言っていた。
JRの市ヶ谷まで5分とかからないので、わが家からは30分足らずで行ける。夫の通勤も日本橋まで30分に短縮されたが、娘の勤務先までは電動自転車で2分だそうだ。2LDKにDenが付いた間取りだが、3LDKのわが家より専有面積は広い。広さ、環境、クオリティとも娘の家のほうが上、こちらが勝っているのは高さと眺望くらいだろうか。
January 11, 2004 =Sun=
昨日から父の三回忌法要のため大阪へ行って来た。母もは高齢で知人・親戚も少ないため、集まったのは妹夫婦とその息子、亡き弟の未亡人とその両親、母と私を入れて8人だけ。妹の息子はレントゲン技師になるための専門学校に行っており、母の家の二階に同居してくれている。今年卒業後国家試験を受けるが、レントゲンもハードの性能向上により技師の介在するニーズが少なくなり、需要が減っていて就職も難しいそうだ。
お寺さんは八尾の萱振というところにある恵光寺という浄土真宗本願寺派の寺の住職。結構由緒のある寺だそうで、住職は二年ほどアメリカに滞在し、浄土真宗の布教に当たった経験もあり、今は大学の講師も勤めている。私より一つ年下だが、母の話だと、奥さんは一回り下の美人で、時々奥さんが代わりにお経を読むこともあるそうで、三人の息子もそれぞれ坊さんになっているという。
だが、宗教と言うのもどうしてこう色んな宗派に分かれているのだろう。同じ仏教でも天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗がある。)日蓮宗などなどあり、浄土真宗も本願寺派(西本願寺)と大谷派(東本願寺)に分かれている。日本の仏教だけでこの状態だ。これはメジャーなものだけで、もっと細分化した宗派もあるのかも知れない。まるで昔の新左翼みたいなものだ。確か「革命的共産主義者同盟何とか派設立準備委員会××派」なんてものもあった。
お坊さんに、「銀行だって合併したりATMを共有したりしているんだから、お寺さんの宗派ももっと顧客志向で合併や提携を考えてみたら」と言ったら変な顔をしていた。
ところで、新幹線はほとんどが「のぞみ」になり、「ひかり」の本数が減ったようだ。以前なら窓口で「新大阪まで」と言うと「ひかりは○○時まで満席です。のぞみなら空いていますが。」とこたえが帰ってきたが、今は何も聞かずに「のぞみ」の切符を出してくる。「のぞみ」の料金自体は多少下がったらしいが、以前の「ひかり」よりは高い。これは実質的な値上げというべきだろう。
January 9, 2004 =Fri=
昼は京橋の竹葉亭でもと同僚のOさんと会食。お互いの職場の現状などを話す。
もと東京銀行パナマ支店長で、現在は上田ハーローの社長である森永さんからやや遅い年賀状を頂く。こちらも遅いのだが。それによると東京三菱銀行のパナマ支店も閉鎖になったらしい。ひところは中南米のファイナンスセンターと言うことで邦銀もこぞって店を出したが、私の駐在時代から撤退が相次ぎ、アメリカによる経済制裁、更には米軍の侵攻という危機を乗り越えて残ったのは東京銀行(その後、東京三菱銀行)と第一勧業銀行(その後、みずほ銀行)の二つだけだった。特に旧東京銀行は歴史も活動範囲も群を抜いていたのだが。みずほの方はどうしたのだろう。
January 8, 2004 =Thu=
昨日のDiaryで、昔読んだSF小説がほとんど絶版になってしまったと書いたので想いだしたが、学生時代に夢中で読んだサルトルも絶版になったのだろうか。当時は、サルトル全集の翻訳が出るのを待ちかねて買って読んだ。その全集は今でも本棚にあるが、民芸の滝沢修が演じた「狂気と天才」、歌舞伎の尾上松緑が演じた「悪魔と神」などはどこへ行ったのか見当たらない。当時友達に貸して返ってこなかったのもある。「自由への道」などはフランス語も読めないのに原書を買い、これを読もうと思って大学のフランス語の講座に潜り込んだこともあった。結局ものにはならなかったが、「自由への道(Les
chemins de la liberte)」の第一巻、L'age de raisonの出だしの一節は今でも空で覚えている。
Au millieu de la rue Vercengetorix,un grand type saisit Mathieu par le
bras; un agent faisait les cent pas sur l'autre trottoir.
- Donne-moi quelque chose, patron; j'ai faim.
Il avait les yeux rapproches et des levres epaisses, il sentait L'alcool,
-Ca ne serait pas plutot que tu aurais soif? demanda Mathieu.
-Je te jure, mon pote, dit la type avec difficulte, je te jures.
ヴェルサンジェトリックス街の中ほどで、一人の大男がマチウの腕を掴んだ。反対側の歩道では警官がパトロールしていた。
「何かくれよ、だんな。腹が減ってるんだ。」
男の目は寄っており、厚い唇をしていた。アルコールの臭いがした。
「それより呑みたいんだろ?」とマチウは聞いた。
「違うよ、だんな」男は舌をもつれさせて言った。「違うったら」
サルトル全集を出していたのは京都の人文書院という出版社だった。あの会社は今もあるのだろうかと思ってネットで検索してみるとちゃんとあった。その「会社案内」にはこうある。
弊社は、創業(1922年 大正11年)以来70数年にわたり、京都において地道な出版活動を行ってきました。「人文書院」の命名は京都大学医学部心理学科初代教授の今村新吉によるように、戦前は、心理学書を中心に文学書(国文)などを主に出版し、京都大学をはじめとする大学都市の地の利を生かした、文学・哲学・宗教関係など人文科学系の学術的、啓蒙的な書物を刊行していました。
戦後は、ギリシア悲劇・喜劇全集、ランボー全集、ボードレール全集、スタンダール全集、ゲーテ全集、ヘッセ著作集等、フランス、ドイツ文学の重要な作品を次々に刊行してきました。特に、戦後の文学・思想界で空前のブームを巻き起こしたサルトルやボーヴォワールの著作を、ほぼ一手に翻訳紹介したことによって、「サルトルの人文」といわれるほどの賞賛をえました。これらの刊行書籍が現在の弊社の出版に対する基本的なスタンスを形作るとともに、ヨーロッパ文化への新たな窓口を開き、わが国の読書界に新鮮な息吹を持ち込んだと自負しています。
しかし、「既刊・在庫情報」を見ると、サルトル全集はどれも「品切・重版未定・返品在庫の見込み無し」となっている。さすがに「嘔吐」や「存在と無」は全集とは別の単行本として「在庫有」になっているが・・・。「サルトルの人文」の看板は何処へ行ったのだろう。あの当時は地方都市の本屋にもサルトル全集のコーナーがあったのだが。今の学生たちがサルトルに興味を持っても、古本屋を探すしかないのだろうか。60年代のファッションや文化が見直されている中、20世紀を代表する知性も見直されても良いように思う。
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ところで、今日は会社の店長会と、それに引き続いてのグループ合同新年会が芝の東京プリンスホテルであった。出席者は約550人という盛況。うちの会社の社長を末っ子とする5人の兄弟が、それぞれグループ会社の社長や理事長となっている。意外だったのは長兄である学校法人の理事長が、挨拶の中で「昨年は民主党が政権交代できなかったのは残念だった。」と述べたことだ。来賓に民主党議員2人を呼んでいたためらしいが、議員のスピーチもなく、それらしい顔も見当たらなかったので、民主党の誰が来ていたのか分からない。だが、民主党に肩入れしているのは事実らしい。
January 7, 2004 =Wed=
マイケル・クライトンの”Prey"に続いて”TIME LINE"を読み始めた。先月バリ島へ行った時、乗り継ぎのシンガポール空港の書店で買った。S$16.50だから1000円前後、日本で買うよりかなり安いはずだ。
アリゾナの砂漠を車で急いでいた夫婦が突然人をはねたような気配を感じる。そのまま行き過ぎるが、気になって戻ると、一人の老人が居た。老人は別に怪我をしている様子もないが、ともかく最寄の町まで運ぶことにする。砂漠の中なのに老人が乗ってきた車も見当たらないし、老人は日焼けもしていない。町へ着くまで老人は意味のない言葉をしゃべり続ける。病院では老人が暴れるので鎮静剤を打つが、警官も交通事故の痕跡はないとして夫婦は解放される。しかし老人は手の先が壊疽を起こしており、翌日息を引き取る。老人は有名な物理学者であることが判明し、警官は老人の勤務先である会社に連絡する。この会社は超先端技術を研究しており、報告を受けた社長は部下に、アリゾナの砂漠に老人の車を放置するよう命じる。翌日、警官が検死官を訪ねると、老人の指先の血管が奇妙にずれており、それが壊疽の原因だと聞かされる。老人の遺体は朝早くに会社側に引き取られ、火葬されていた。
この冒頭部分を読んで、題名とも照らし合わせて、これはタイムトラベルものだと思った。そうしたら今朝、交通会館のビルの中に”TIME
LINE"の映画のポスターを見つけた。「1月17日より上映」とある。そのポスターによれば、やはりタイムトラベルものだ。”TIME
LINE"は”Prey"より一つ前の作品らしい。
昔、SFに凝ったことがある。小松左京、豊田有恒、眉村卓、半村良といった日本の作家が中心だったが、これらSF作品の主要テーマがタイムトラベルだった。過去に旅行して出会った自分の祖先を殺した場合、今の自分はどうなるのかという「タイムパラドックス」や、現在は過去から見れば無数にある可能性の世界の一つに過ぎないので、タイムパラドックスはさほど重要ではないと言う「パラレルワールド」理論など、わけの分かったような分からないような構成が結構面白かった。特にストーリィテリングの巧みな小松左京の世界には惹かれた。
平和な村の山の横穴が100年前に通じる抜け穴であることが判明し、ここを通って江戸時代と現代の交流が始まる。黒船の包囲を受けた江戸幕府が現在の日本政府に軍事援助を求め、平和憲法を理由に海外派兵はできないと断ると、幕府側はこれは海外派兵ではないと反論する、といった「御先祖様万歳」などの短編も面白いが、ジュラ紀から数百万年未来までを駆け巡る「果てしなき流れの果てに」というスペースオペラも印象に残っている。ただ、こうしたSFは今ではほとんど絶版になってしまっているようだ。
話が逸れたが、”TIME LINE"の読了はまだかなり先になりそうだが、その前に映画を観るべきかどうするか・・
January 6, 2004 =Tue=
年初二日目の今日は銀行への挨拶回り。社長はアポイントなしの訪問は無駄になるので他を優先すると言うので、そんなものでもあるまいにと思いながら、社長の名代ということで新宿の3行を回る。どの銀行も応接室に酒を用意し、支店長が出てきて杯を交わす。新年初日だけだと思っていたが、二日目までやっているそうだ。昔、ダイヤモンドシティ(今は東証一部上場会社)立ち上げの頃、財務課長として10行余りの銀行と付き合っていたが、その頃の記憶では、新年のこうした風習は関東系の銀行に限られていた。取引銀行の多くは大阪市内のビジネス区域に集中していたので、関西系と関東系の銀行を交互に回ったりしたものだ。今は銀行合併で関東系も関西系もなくなってしまったが。
January 5, 2004 =Mon=
年が明けて初めての出勤。セレモニーが比較的簡単に終わったのは良かったが、8日にはグループ会社をあげての新年会が予定されている。今年は多難な年になりそうだ。
January 4, 2004 =Sun=
旅行などで体重がかなりリバウンドしているので、今日は午前中からスポーツジムに行く。少し長めに運動をやったらかなり元に戻った感じがする。
午後から夜にかけては結局年賀状書きで終わった。自分の分と妻の分とを合わせて約160枚程度。すぐに会う人は省略させて頂いた。
January 3, 2004 =Sat=
というわけで、昨年末から中国・桂林に旅行し、このDiaryも昨年末の分も含め、今日まとめてアップしている。昨年9月ごろから国内・国外と少し遊びすぎたかもしれない。これからは少し旅行もセーブせざるを得ない状況になってきそうだ。
年賀状もたくさん頂いているが、こちらからは昨年末来仕事と遊びとを優先したため、失礼してしまっている。少なくとも頂いた年賀状には返事を出すべきだろうが、メールを利用するか年賀はがきにするか、頭を痛めつつ、スポーツジムへ行った帰りに郵便局へ寄って一応年賀葉書だけは買ってきた。だが、今から作業できるだろうか。
January 2, 2004 =Fri=
朝、6時40分の出発でホテルを出て、国内線で広州に戻る。広州では、今は広州民間工芸館となっている「陳氏書院」を見学。清朝時代の大金持ちである陳氏が建造した建物であり、赤煉瓦ではなく高級な黒煉瓦を使っていること、灰に藁、米、砂糖などを練りこんだものを粘土にして作った彫刻が屋根の下を飾っていることなどが特徴と言う。飲茶の昼食の後、広州空港に向うが、ここがまた凄い混雑だった。飛行機もわれわれの成田行き(例によって3社コードシェア便)の前に、大阪行きのJAS、ホーチミン市行きのどこかの機、シンガポール航空、ガルーダなどがあり、なぜかエチオピア航空の機体も止まっている。搭乗も遅くなったが、搭乗後も管制からの離陸指示がなかなか出ず、出発が遅れた。しかしそれ以外は何事もなく、約1時間遅れの21時40分に無事成田着。
今回の旅行では、31日にバスのガソリンが切れかけ、どこのスタンドに寄ってもガソリンを売っておらずひやひやした他は、ほとんど時間どおり、トラブルもなかった。たまたま運が良かったのかもしれないが、中国旅行も楽になったものだ。
飛行機の中で、備え付けの機内誌の地図を眺めていたら、斜め後ろの老人が声をかけてきた。
81歳で、終戦後4年間シベリアに抑留されていた。戦後は建具関係の事業で成功した。不要になった機械をシベリアに送り、技術指導をしている。戦時中は満州にいて、自分の指揮で毒ガスを埋めた。日本軍の毒ガスは強力で長年を経ても効力が劣化しない。日本軍の残した毒ガスで中国国民に被害が出ている。日本でも若手の弁護士が集まって、日本政府に賠償を働きかける運動をしている。今年、その裁判に証人として出廷する予定だ。
桂林についてのメモ:
@桂林の「桂」は金木犀を意味する。街中には金木犀の並木が多い。
A桂林は英語表記ではGuilin。中国語読みで「クイリン」というような発音になるらしい。
January 1、2004 =Thu=
新年を迎えたのは陽朔のホテル。この日の朝は滞在中一番ゆっくりしてはいるものの、それでも6時半モーニングコールで8時の出発。バスで桂林に戻る途中、世外桃源という、少数民族のテーマパークへ寄る。ここでもボートに乗り、湖の中にある四つの少数民族の出し物を見る。少数民族といっても、人口が一千万人を超えているものもある。
昼食の後、桂林市内の七星公園、象鼻山を見るが、このあたりから物売り、物乞いが増えてくる。特に次の正陽街散策に移るところで子供たちが寄ってきて一人一人にくっついて花を売りつける。無視しようとしても何処までも付いてくる。さすがに正陽街に入ったところで親分格のおばさんに

呼び戻されていたが、あれは縄張りが違うからなのだろうか。正陽街は凄い人出だった。中国の正月は旧暦だが、西洋暦の元旦も休日であり、公園でも子供づれが多かった。一人っ子政策のため、子供は大事にされており、象鼻山でも着飾った子供たちがロバに乗ったりして遊んでいる。こうした子供たちと、花売りで観光客にたかる子供たちと、その格差は酷いものがある。
格差といえば右の写真。ホテルの隣のアパートの中庭に入り込んで撮ってみた。われわれのホテルは設備、サービスとも日本や欧米のホテルと比べても引けをとらないが、このアパートに住む人たちは塀の向こうに聳えるホテルを毎日どのように眺めているのだろうか。ケ小平以来の改革開放路線は確かに目覚しい成功を収めているが、格差の拡大もまた確実に進んでいる。
夕食の後、メンバーの大部分は雑技団を見に行ったが、われわれは女性の二人連れと4人だけで民族舞踊を見に行く。民族舞踊の中の出し物でも、子供のアクロバットがある。ここでもアクロバット出演の子供たち、7歳、5歳、3歳だという。
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