Diary
March 31, 2004 =Wed=
ポケットの携帯がバイブするので見てみると沖縄の息子から。今日引越しの荷物を出したが、アパートに引いた電話をどうすればよいかということ。普段の生活は携帯一本なので、固定電話はネット接続用だけで電話機も置いていない。携帯(au)で116にかけてもうまくつながらないという。そこでこちらから116にかけて沖縄の116に回してもらうと、沖縄の電話を東京に変更することも可能だというが、とりあえずは電話を停止してもらうことにする。アパートの方は明日掃除して、明後日には引き渡すとのこと。では土曜にも東京に帰ってくるのかと聞くと、帰ることは帰るけど、家には寄らずレンタカーを借りて温泉にでも行くという。まあ、勝手におし、というところ。
March 30, 2004 =Tue=
副社長が東京商工会議所の議員に立候補するというので、東商の担当者に選挙の要領を教わりに行く。東商の議員は定数が150人で、そのうち1号議員76名が選挙で選ばれる。残り74名は部会長推薦枠の2号議員52名と会頭推薦枠の3号議員22名となっている。東商には法人会員と個人会員がいるが、その会費の金額に応じて口数が決まり、一口で3票の投票権を持つ。候補者は会員から代理投票を委任してもらうよう働きかけるとともに、会員になっていない企業には新たに入会を勧め、その投票権を確保する。行ってみれば参院選における自民党の党員集めみたいなものだ。
東商から久し振りに近くにある前の会社に寄ってみる。今はOBも含め、IDカードを持った社員以外は受付を通して面談相手を呼び出し、一回の接客スペースでしか会えず、執務室には入れない。S君を呼んでみるとちょうど在籍しており、富士ビルにあるOB談話室(ここではコーヒーが破格の安値)で話したあと、国際ビルにある大学のクラブで昼食。
夜はまた妻の仕事の手伝いのはずだったが、新宿に着いて妻の携帯に電話すると、ちょうど顧問先から帰るところで、前日にチラシの入っていた新宿センタービル53階の「Dining Out53」で食事をしようということになる。何でも4900円のコースが2900円になるとのこと。先に着いて席に案内されると窓際のテーブルだったが、あいにくと外は土砂降りの雨。夜景はほとんど見えない。店の人に聞くと、外が見えないのは雨のせいではなく、ビルの上層階が雲の中に入っているからで、ここは富士山の三合目と同じ高さなのだという。そういえば時々雲が薄らぐと下界のネオンが見える。富士山の三合目はどう考えてもオーバーだと思うが。
March 29, 2004 =Mon=
イスラエルによるパレスチナ過激派ハマスの精神的指導者ヤシン師の暗殺が大きな反響を呼んでいる。この暗殺はイスラエルのシャロン首相が自ら指揮して実行したとも伝えられるが、そのシャロン首相自身が自国の主席検事からギリシャでのリゾート開発に絡む収賄容疑で起訴妥当との結論を突きつけられている。自らの疑惑から国民の目を逸らせるために強攻策に出たとも考えられる。ハマスが報復を誓い、国連をはじめ世界各国がイスラエルを非難する中、大統領選挙でユダヤ票のほしいアメリカはイスラエル擁護の姿勢を隠そうとせず、国連安保理でもイスラエル非難決議に拒否権を行使した。
パレスチナ問題を考えるとき、イスラエル建国によって住み慣れた土地を追われ、虐殺されたパレスチナ人の苦しみは理解できる半面、紀元前に祖国を追われ、2000年にわたって約束の地を求めてきたユダヤ人の心情も理解できる。パレスチナ紛争だけでなく、アル・カイダなどのテロも、元をただせばパレスチナ問題から派生しているわけだが、その原因となるとイギリスの二枚舌外交に行き着く。イギリスはアメリカとともに現代民主主義の守護神のような顔をしているが、こと中東問題に関してはそんなに威張れた国ではない。
1915年、第一次世界大戦でドイツ側についたトルコに対して、アラブ人たちが反トルコの立場に立つように、当時のメッカの首長ハーシム家の実力者フセインと、イギリス外務省の高官マクマホンとの間で、アラビア半島からトルコ南部に渡る地域でアラブ人の独立を承認するフセイン・マクマホン書簡が交わされた。ところがその2年後、イギリス外相バルフォアは、同じ第一次大戦でユダヤ人の協力を取り付けるため、イスラエル国家の樹立支援を約束したバルフォア宣言を出した。この明らかに相反する姿勢を自らの利益のために使い分けた二枚舌こそが、その後の悲劇の原因となる。ちなみにイギリスは1947年にパレスチナ問題の処理を投げ出し、国連に押し付けた。自国の論理だけでイラクに一方的に侵攻し、その復興に行き詰って国連に押し付けようとしている現在のアメリカと、その影はほとんど重なって見える。
イギリス人はジョークが好きだというが、次のようなジョーク?を彼らはどう聞くのだろうか。
ユダヤ人が大勢乗ったバスが爆破され、全員が死亡した。それを見ていたパレスチナ人の男が泣き出した。別のパレスチナ人が男を慰めた。「亡くなったユダヤ人は気の毒だが、彼らは俺たちの敵なんだ」男は泣きながら答えた。「いや、まだ座席が一つ空いていたんだ」
March 28, 2004 =Sun=
久し振りにスポーツジムに出かける。記録紙を見ると前回来たのは2月14日だから、実に6週間ぶりとなる。間が開くと勝手が分からず、1時からの水中エアロを12時からと勘違いし、1時間早く着いてしまった。その分自転車漕ぎなどゆっくりとやれたが。日曜の昼の時間は空いていていい。
3時前にジムを出て、近くの新宿中央公園の桜を見に行く。ここもまだ満開とまでは行かないが、近隣の人たちなのだろうか、公園にござを敷いてそこそこ盛り上がっている。中には明らかにゲイバーのグループと思われる一団がいるのも土地柄か。こちらも公園のベンチを確保して、妻がスーパーで買ってきた鉄火巻きをつまむ。周囲はホームレスの人たちの青いビニールシートで覆われた仮住まいが並んでおり、ござ代わりの青いシートと区別がつかない。ホームレスの人たちにも色々と事情はあるのだろうが、都庁のまさにお膝元で、ヒルトンやセンチュリーハイヤットなど一流ホテルのすぐ近くなのに、何とかならないのだろうか。
久し振りの運動で結構疲れたが、花見の後は事務所に戻って今日も仕事。そして11時にサイゼリヤというお決まりのコースとなる。
March 27, 2004 =Sat=
例によって妻の事務所で仕事の手伝いをしているところへ、五番町に住む娘から電話。今日は娘の亭主が土曜出勤なので、先日習った手作りパンを食べに来いという。天気も良いし、ついでに近くの千鳥が淵や靖国神社の花見も、ということで、今日のアポイントを断り出かけることにした。大久保駅から総武線で12分で市ヶ谷に着く。駅から娘のアパートまで歩いて5分。新築のアパートには大塚家具で買った新しい家具が入ったばかり。先日は大塚家具がパンフレット用に写真を撮りに来たとのこと。着いたのは2時ごろだが、娘は「発酵に時間がかかるの忘れてた〜どうしよう〜」と騒いでいる。パンが出来上がったのは4時ごろ。おなかが空いていたせいもあるのか正直おいしかった。シンプルなロールパンと、レモン風味の菓子パン風のもの、両方それぞれ3個、計6個も食べてしまった。パンを待つ間、何冊もあるアルバムを見て驚いた。娘自身の子供時代、ギリシャや帰国後厚木に住んでいた頃の写真を実家のアルバムからちゃっかりと大量にはがして自分のアルバムに入おきたい写真もあったので、何枚か借りて帰り、スキャナで読み込
んでおくことにした。右の写真もそのうちの一枚。
パンを食べてから、娘と3人で表に出てタクシーを拾い、ワンメーターで三番町に行き、千鳥が淵から皇居を左回りに歩く。千鳥が淵付近では桜はまだほとんど咲いていないが、靖国神社の方に近づくと3分咲きから5分咲きといったところ。満開は来週の週末くらいか。東京の桜の開花は、靖国神社にある3本の基準樹で決めるが、その桜にはビニール紐で目印が付けられている。神社の境内に並ぶ夜店で鮎の塩焼きを一本ずつ食べた後、またタクシーで市ヶ谷近くまで戻り、六番町の「六番館」という神戸ステーキの店に入る。土曜出勤から帰った娘の夫も呼び出す。鉄板焼きの店だがさっきの自家製パンと鮎の塩焼きでかなり胃のほうも空きが少ない。量が一番少なそうな120gのフィレステーキのコースにする。値段は3800円とお手ごろ。そういえば、家の近くの「りんごの絆」一昨日行った「銀座ワインハウス」もたしか3800円だったような気がする。ちょっと雰囲気のいい店で、値段も余り高くなく、内容もかなり満足できるという店の平均がこの値段になっているのかもしれない。
March 26, 2004 =Fri=
専修大学の評議員会に出席した妻は、そこで弁当が出るというので別々の食事になったが、やはり9時過ぎから仕事を手伝わされる。ようやく一区切りついたところでコーヒーにして、「まだ時間が早いからもう一つ(仕事を)やって」といわれ、結構しんどいのにな、と思いつつ取り掛かる。暫くして、妻が「あれ?」と首を傾げる。どうしたんだと聞くと、さっきからどうも余り時計が進んでいないようだという。事務所の壁の時計は9時45分。ここに来たのが9時半近くだったからやはりおかしいと携帯を見たらなんともう1時過ぎ。壁の時計をよく見ると、9時45分のところで秒針がピクピクしていて先に進まない。電池が切れたらしい。それにしてもこんな時間まで気がつかずに仕事をしているとは・・・
March 25, 2004 =Thu=
いつも昼食に利用しているが、一度夜に行って見たいと思っていたのが銀座6丁目から西五番街を入ったところにある「銀座ワインハウス」。久し振りに会った友人と山野楽器で待ち合わせて行って見ると、3階に案内される。昼飯はいつも1階なので、2階があることは知っていたが3階まであるとは知らなかった。花木というのに余り混んでおらず、3階の一角はほとんど貸し切り状態。オードブルとメインをメニューや黒板から選択するコースで、前菜やコーヒー、デザートまでついて3800円ときわめてリーズナブル。メインが二品になっても5000円だ。ワインも手ごろな値段のものが多く、デカンタでハーフにしてもくれる。味の方もなかなかしっかりしていて、場所柄も考えれば掘り出し物の店を見つけた感じだ。最後はソニービル1階のカフェでブランデー。
March 24, 2004 =Wed=
融資を受けるため、契約書をもらいに朝は銀行に直行する。今週は月曜は京都へ行っていて休み、火曜は診療所に行き、今日は銀行と、定時に会社には行っていない。
午後、東京商工会議所の総務担当理事が見えて、副社長と一緒に東商の議員選挙の話を聞く。東商には法人、個人合わせて数万人の会員がいるが、その会員から選挙で選ばれる議員が150人いる。正確には議員にも1号議員、2号議員、3号議員といて、人数はそれぞれ76名、52名、22名で合わせて150名となる。2号議員は各部会長の推薦、1号議員は会頭の推薦で会頭、副会頭経験者とされており、従って本当に選挙で選ばれるのは1号議員の76名だけである。議員の任期は3年。議員になるのは自薦、他薦さまざまだが、東商として議員になって欲しい人には、会頭企業の持ち票や2号、3号議員の票を回すこともあるらしい。それでも候補者は自前の票を獲得する必要があるが、会員の持ち票は1口あたり3票。口数は、法人なら今年度の会費を1.5万円で割った数、個人なら同じく会費を1万円で割った数となる。従って、まず会員企業や個人会員に働きかけて票集めを行うのだが、いざとなると取引先や自社の役職員などに選挙の年だけでも会員になってもらい、票のつみあげを図ることもあるそうだl。個人なら1万円の会費で3票。これが300人いれば900票になる。そのためには300万円の会費が必要になる。と、ここまで聞いて思い当たったのは参議院選挙のときの自民党の党員集めだ。拘束名簿の上位を確保するには党員を集める必要がある。このため候補者が党費を立て替えて一時的にせよ党員を増やそうとする。これが金権選挙と腐敗につながるということで非拘束名簿方式が出てきた経緯がある。要するにこれとまったく同じじゃないか。選挙をやればその年には会員が増えて、東商の懐も暖かくなるという仕組みだ。
March 23, 2004 =Tue=
朝、コレステロール制御のためのリポバスと、逆流性食道炎を抑えるパリエットを貰いにエステック情報ビルの三越診療所へ行くと、前回の血液検査の結果が出ていて、血糖値がかなり高いと言われる。一時は気にして節食したり運動したりしていたのに、ある程度体重が減ったら安心して気を抜いたのと、この頃は猛烈に忙しくてスポーツジムに行く暇もないため、リバウンドが激しいことは自分自身で分かる。朝食を抜いて行ったことでもあり、せっかくだから今回も血液検査を受ける。結果は一週間ほどしないと分からないが、また数字は悪化しているのだろう。
一日休んだだけだが、結構仕事が溜まっている。とにかく雑用的なことは何でもこちらに集まる仕組みになっているのだからかなわない。そして夜はまたしても税理士事務所のヘルプで夕食は10時からサイゼリア。これでは食事制限なんて無理かも。
March 22, 2004 =Mon=
8時半にホテルを出て鹿苑寺金閣へ。このツアーの特徴は一般では入れないところに入り、観られないものを拝観させてもらうというもの。今日は金閣、銀閣(慈照寺)のほか、石庭で有名な龍安寺、皇室御用達という湧泉寺をまわるが、金閣、銀閣や石庭もさることながら、主な目的は普段は公開されない襖絵や屏風、仏像などを観ること。しかしそれは本当に通として参加している人の話で、われわれレベルには金閣、銀閣、石庭の方が目的だ。ツアー人数は49名と、観光バスちょうど一杯だが、どうやら「仏教会」ではなく新聞広告を見て参加したわれわれレベルの方が多いようだ。しかし、目的が目的だけあって体外のツアーに居る騒々しい連中はいない。時間もゆったりしているし、何よりもツアーにつき物のお土産屋さん巡りがまったくないのがありがたい。
さて、金閣ではまず本堂に上がり、本尊の置かれた中央の方丈、金閣の頂上を飾る鳳凰の初代、二代目が置かれた左右の方丈を観る。それぞれの襖には狩野外記の筆になる襖絵が描かれている。裏手にまわると宮本武蔵や与謝蕪村の絵、狩野探幽の屏風絵などがある。それらを観たあと、庭園に出て一般の観光客が入れない木戸から奥に進むと、池を隔てて金閣を真正面から望む位置に出る。こちらが正面というのは、鳳凰の顔がこちらを向いていることでも分かる。池を一回りしてくると、あとは
一般の観光客用のコースを自由に回ることになる。足利義満の山荘として建てられたこの寺は臨済宗相国寺派の禅寺で、1950年に寺僧の放火により消失、55年に再建され、86年から88年にかけて大規模な改修が行われた。再建時には2Kgの金が使われたが、改修では20Kgの金を使ったという。三層のうち金箔を貼っているのは二層と三層で、寝殿造りの一層目は白木のままとなっている。
金閣からバスですぐに龍安寺に着く。ここでも石庭は後回しで、まず石庭の前の方丈に入り、襖を閉めて襖絵の龍を見る。普段は襖絵の損傷を防ぐため襖は開けている。つまり、あけていれば
四面アル襖のうち中の二面は両端の二面の内側に入り、日光や空気に晒され難いというわけだ。襖を閉めると真ん中の二面が表に出てくることになる。確かに襖絵の龍も珍しいが、やはり素人は枯山水の石庭の方に目が行く。龍安寺の石庭は実際に目の前にあると余り広くない。事実、幅が25m、奥行きが10mで、250uしかない。しかし遠近法が巧みに取り入れられていて、塀の高さや塀の上の屋根の幅などが微妙に調整され、奥行きを
感じさせる構成になっているそうだ。石は七・五・三のグループに別れ、合計15個が使われているが、どの角度から見ても15個全部は見えないという。敷かれた砂は実は岩を砕いたもので、筋目をつけるのは竹箒などではなく金属製のレーキを使う。最近は岩を砕いた「砂」が細かくなりすぎて、筋目をつけるのが難しくなってきたそうだ。茶室の方へ行くと、徳川光圀が寄進したと言われる蹲(つくばい)があり、吾唯足知(吾、唯足るを知る)の四文字が真ん中の口を共有して書かれている。この寺も禅宗で、臨済宗妙心寺派。
昼食は粟田口の「順正」で湯豆腐。順正といえば、去年の秋に紅葉を見にきたときに湯豆腐料理をを食べた覚えがあるので同じ店とばかり思っていたが、着いてみるとかなり様子が違う。秋に行ったのは南禅寺の順正で、こちらが本店で、今日の粟田口順正はその支店ということらしい。昼食の後は慈照寺銀閣。これも臨済宗相国寺派というから、今回のお寺はみな臨済宗の禅寺だ。きらびやかな金閣とは対照的に、銀閣という名に反して銀箔が張られているわけではなく漆が変色した地味な建物だ。もともと銀色だったわけではなく、足利将軍の時代に建てられたことで金閣と対比されるようになったのだろう。ただ、消失、再建された金閣と異なり、こちらは幾たびの戦火をくぐりながら創建当時の面影を残している。
March 21, 2004 =Sun=
東京駅9時50分初ののぞみで京都へ。近畿日本ツーリストの「金閣寺・銀閣寺・龍安寺特別拝観」というコース。京都駅について観光バスに乗ったら、運転手が「京都仏教会の催しにようこそ」と言うので「あれ?」と思ったら、どうやら「仏教会の催し」という名目で特別拝観の許可をとったということらしい。メインは明日で、今日は鞍馬寺と貴船神社を拝観する。鞍馬では山門を入ってケーブルカーに乗り、多宝塔から本殿金堂まで坂道を登る。帰りはケーブルカーを使わず、九十九折参道を徒歩で下ると、途中に鞍馬の火祭りで知られる由岐神社がある。京都も鞍馬まで来ると流石に空気が美味い。亡き父の句に「鞍馬までもう一駅や青嵐」というのがある。朝日俳壇で稲畑汀子先生の選に入った句だ。青嵐は夏の季語で、歳時記によれば「青葉の頃、森や草原などを吹き渡るやや強い風をいう。」とあるので今の季節ではないが、感じはそのままだ。特別拝観だからというわけではないだろうが、鞍馬寺でも貴船神社でも寺社の人が説明をしてくれる。貴船神社というのは、今の大阪方面から玉依姫(たまよりひめ)が水源を求めて黄色い船に乗ってここまで遡ってきたことから、黄船と呼ばれ、これが後に貴船に転じたという。日照りや水害の際に水の安定を求めて生きた馬を寄進したが、後には馬の絵を書いた板を生きた馬の代わりにすることになり、これが絵馬の始まりで、各地の寺社の絵馬は貴船神社が元祖とのこと。
宿泊は二条城近くの京都全日空ホテル。夕食は別料金でホテルのレストランで日本料理、中華料理、フランス料理、鉄板焼きなどのオプションがあるという。京都に来てホテルのレストランでは面白くないので、添乗員を通じてホテルから祇園花見小路の今日料理の店を紹介してもらう。この日は去年からこの時期に始めたという「花灯路(はなとうろ)」の最終日。パンフレットによると、「東山山ろくに連なる北は青蓮院から円山公園・八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.3kmに、京焼、清水焼、京銘竹、北山杉磨丸太、京石工芸、金属工芸製の5種類の行灯約2400基を設置。白壁や土塀、木々にゆらめく陰影、石畳に映えるほのかな灯り云々」と幻想的な雰囲気を演出するらしい。6時点灯だが5時半に高台寺公園に設けられた舞台前に陣取り、京舞子の踊り、大神楽などを見た後、石塀小道、ねねの道など行灯の並べられた細い路地を知恩院まで散策。そのまま四条通へ戻って花見小路へ。
紹介された花見小路の「やげんぼり」は少しわかりにくい場所にあって探すのに苦労したが、案外落ち着いた雰囲気の店。一階にはカウンターに男同士の二人連れと外国人のカップル、3つ並んだ小上がりの一番奥に男同士二人の客。われわれは真ん中の小上がりに案内される。二階には個室があるらしい。一番安い8000円の京懐石を注文してあった。お酒はメニューを見ると屋号と同じ「やげんぼり」という純米吟醸酒があったのでそれを注文。料理の来る間、小上がりに掛けられた版画を見て妻がビュッフェに似ているという。版画といえばわが家の唯一の芸術作品であるビュッフェのリトグラフしか知らない妻だから、版画ならどれもビュッフェに似ていると思うらしいが、内部に灯りのともった祇園の町家の障子を描いたその絵は、縦横の直線が強調されており、ビュッフェに似た感じもなくはない。料理を運んできた若女将らしい人に聞くと「クリフトン・カーフさんです。」という。言われてあたりを見ると同じ作者の版画があちこちに掛けられている。それだけではなく、出された布製のひざ掛け、お銚子が載ったコースター、さらには純米吟醸酒「やげんぼり」のラベルまで、みんなクリフトン・カールの
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| クリフトン・カール氏デザインのラベル |
京懐石の突き出し |
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作品だという。こちらは京都の街並みを描いた版画とは趣が異なり、ちょっと清水昆か小島功を思わせる人物画に「酒なくて何の己が桜かな・・Without
sake, what kind of blossom are you?」などという言葉が添えられている。「クリフトン・カールってどんな人?」と聞くと、大阪・門真の出身という感じのいい若女将は雑誌の「クロワッサン」を持ってきた。それによると、祇園でクリフトン・カールの名を知らない人はいないらしい。1927年ミネソタ生まれ、1947年に米軍付画家として始めて来日、日本の魅力に取り付かれ、一旦帰国して美術学校を卒業後1955年に再来日、以来半世紀近くを日本で過ごし、いまや「カラオケより都都逸が好き」という、日本人以上に日本人と言われるほど日本に溶け込んでいる。そのカーフ氏が特に気に入っているのがこの「やげんぼり」で、ここのパンフレットのイラストなどもすべてカーフ氏の手になるものだ。「やげんぼり」はこの花見小路のほかに、四条通を渡った末吉町にもあり(最初は間違えてそちらへ行ってしまった。)東京・赤坂にも店を出している。総女将は赤坂の方に居るらしい。
さて、肝心の料理の方だが、京料理なんてあっさりしているだけでそんなに美味しいものではなさそうと思っていた先入観を一掃してくれた。カーフさんがご贔屓にするだけの理由はあるようだ。10時前までいて最後のお客になったこともあるが、若女将と板前が表まで見送ってくれた。それに、「さっき使ったひざ掛けはお持ち帰り下さい。」さらにカーフさん作のコースターセットもお土産に頂いた。「やげんぼり」(漢字で書けば薬研堀)は祇園花見小路四条一路下ル西(八坂神社から四条通を来て花見小路を左に入り、最初の角を右に曲がった左側)電話番号は075-525-3332. なお、赤坂店は赤坂3丁目19-5(TEL:
03-3582-2270)
March 20, 2004 =Sat=
確定申告は終わったというのに、今日もまた妻の事務所の手伝いを命じられる。妻がハローワークにに事務員募集の手続をしに行ったところ、求職者が大勢来ていたのは当然として、求人側も凄い数で、なかなか順番が回ってこないのだという。とにかく手続はしたものの、わが事務所の求人情報が掲載されるのは一週間ほど先になるらしい。こうした現象を見ると景気回復は本物なのかもしれない。そんなことで事務員の確保が難しいとなると、手近なところでお鉢がまわってくる。どうやら経常的な人繰りに組み込まれてしまったらしい。
そんな中で、明日から一泊で京都に行く。金閣寺と銀閣寺の特別拝観ツアーに参加する。とにかく有名なものは元気なうちに見ておきたいというのが妻の主義。こちらもそういえば金閣・銀閣なんて小学校だか中学校だかの修学旅行で行ったような記憶はあるが、定かではない。改めて見ておく価値はありそうだ。しかし、明日は晴れるものの、金閣・銀閣を回る明後日の京都の天気は雨のち曇りとか。しかも気温は今までの暖かさから一転して最低気温4度、最高気温でも12〜3度程度らしい。今日も3月後半というのに霙まじりの雨が降っていた。
大学時代に同じクラブに所属していた一年下の女性から、「贈呈」と記された書籍小包が届く。去年の秋に開いた同窓会で久し振りに再会した。たまたま旧姓が私と同じなのだが、自分で本でも出版したのかな、と思って包みをひらくと、大川隆法の「幸福の法」という本。添えられた手紙によると、どういう経緯があったのか知らないが、彼女は「幸福の科学」の早い段階からの信者らしい。私自身、こうした宗教的思想にはあまり関心がないが、この大川隆法という人、経歴を見ると東大法学部から大手総合商社に入社し、ニューヨーク駐在の後、悟りを開いたとある。この大手総合商社というのが私が前にいた会社のことだと聞いたような気がする。
March 19, 2004 =Fri=
記憶にある限り、「君が代」という歌を歌ったことはない。子供たちの入学式などに出席した場合でも、無理に人目を惹く気はないので一応起立はするものの、歌は決して歌わない。あれはどのように理屈をつけようとも、天皇の治世の永遠なることを願う歌詞であり、第二次大戦の最大の戦争犯罪人は昭和天皇であると思っている者に歌える歌ではない。「日の丸」まだいい。あれは単なるデザインであって、デザインそのものは自ら意味を主張しない。デザインが意味を持つのは、それをどのように人間が使うかである。「日の丸」の旗の下に狂った指導者が無謀な戦争に突入し、アジアの人たちを苦しめ、日本を破滅に導いた。その記憶があのデザインに結びついているうちは日の丸に国旗としての誇りはない。しかし、その記憶も薄れ、日本にとって誇りうるものの象徴として同じデザインが使われ、自分たちにも、世界にもそれが認められれば、国旗としての誇りは取り戻せるだろう。今までのところはせいぜいオリンピックなどスポーツの世界でしかその誇りは発揮できていないが。しかし「君が代」は明らかに違う。歌詞は、言葉は、その本来の意味を持ち、デザインのように後から意味がつけられるものではないからだ。
卒業式の季節になると毎年この問題が繰り返される。政府の、というより文部官僚の圧力により、年々「日の丸」「君が代」の締め付けが厳しくなり、これに抵抗する教師たちは絶滅寸前だ。しかし、「国旗国家法」という法律が無理やり成立させられた際、時の政府は「この法律は強制はされない」と国会答弁で約束していた。今年の卒業式に、東京都は「日の丸を正面に掲げ、全員起立して「君が代」を斉唱するかどうか」監視員を派遣するそうだ。国会での約束を官僚が破って国民を一方的にある方向に導く。こんなことが許されるのだろうか。そうした官僚をこそ監視し、懲戒に処すべきではないのだろうか。
March 18, 2004 =Thu=
日経新聞最終面の「私の履歴書」。今月はイオン名誉会長の岡田卓也氏が書いている。むかし、当時のジャスコの岡田社長の下で仕事をしたことがあり、懐かしく読ませていただいている。入社して5年目、合併でできたばかりのジャスコと折半出資の合弁会社が設立された。当時の日本では珍しいアメリカ式の郊外型ショッピングセンターを開発するのが目的で、社名をダイヤモンドシティという。今は東証第一部の上場企業に育ったが、当時は商社側からは私を含め2人、ジャスコから3人お5人所帯だった。金融が引き締まる中で銀行から金を借り、郊外に広い土地を買う。そこにテナントから集めた協力金を利用して建物を建て、ショッピングセンター(SC)を建設する。SCを運営する中で土地の価値を高め、余分に取得した土地の一部を売却して投下資本を回収する、という筋書きだった。阪神電車野田駅近くのジャスコ野田店の5階にジャスコ本社があり、われわれはその中の社長室のすぐそばに5つの机を借り、仕事をしていた。週に一度行われるジャスコの朝礼にも参加した。
一度、こんなことがあった。毎日日銭の入るジャスコだが、ある日、店からの送金が遅れるか何かで数千万円の資金が不足した。岡田社長は地方に出張中で連絡が取れず、当時の日本勧業銀行から経営企画室長というタイトルで来ていた人と、ジャスコ生え抜きの経理部長が鳩首協議する場に呼ばれた。私が経理を預かるダイヤモンドシティには、両親会社の保証で銀行から借りた土地買収用に資金が1億円ほど口座にある。当時の1億円は今では10億円くらいに相当する。これを一時融通してほしいというのだ。やはり商社から来ている上司と相談し、出向もとの担当部長にも断りを入れて、ジャスコの手形と引き換えに一時立て替えた。翌日、出張から戻った岡田社長はこれを聞いて烈火のごとく怒った。われわれにではなく、ジャスコの経営企画室長と経理部長にだ。子会社とはいえ、別の資本の入った会社に頼るのは筋が違う。当たり前の話だが、そうした甘えを許さず、筋を通す経営者としての姿勢が、ジャスコを、そして現在のイオンを、あそこまで発展させたのだろう。
営業部長として私と一緒に出向していた上司は、この仕事に情熱を持っていたが、それかけに親会社の官僚的な部長とソリがあわず、いつも言い争いになっていた。何かの会議の折、その上司、親会社の部長、それに岡田社長と私がいた。例によって上司と部長の不毛の論議が続いていた。岡田社長の前で恥ずかしいと思いながらふと顔を上げると岡田社長の目と会い、ニヤッと笑われた。その手元を見ると、ありあわせの紙で折った小さな折鶴があった。不毛の議論を聞き流しながら鶴を折っていたらしい。
1年ほど前、思いがけないところで岡田さんに再会した。都内のホテルで開かれた、民主党の岩國哲人衆院議員のパーティだった。私がパーティに出席したのは、政治家としての妻が岩國さんにいろいろ世話になっていたのと、丁度その頃会社で「監査マニュアル」を作るのを手伝って頂いた木村剛氏がそのパーティの前に講演をするので、それを聞くためだった。講演が終わってパーティの席に移ると、そこに思いがけず岡田さんの姿があった。次男が民主党の幹事長だから、岡田さんが民主党のパーティにおられることは不思議ではないが、壇上に立った岡田さんの挨拶を聞いて納得した。岩國さんが出雲市長のとき、土日に営業をしているスーパーに市役所の出張所を設けて、市役所窓口の休日開業を日本で初めて実施した。それが出雲市のジャスコの店だったのが縁だそうだ。ダイヤモンドシティには二年居ただけだったが、若かったし、がむしゃらに仕事をした。岡田さんが挨拶に立つ直前に慌しく名刺を交わしたので、覚えていて頂いたかは確認できなかったが、懐かしかった。
ダイヤモンドシティから復職後、5年ほどしてアテネに転勤した。そこに西友の堤清二さんが見えられ、アクロポリスにご案内した後、海辺のギリシャ料理屋で会食した。(ちなみに”Tsutsumi"という言葉はギリシャ語で男性性器を意味する語と似た発音らしく、ホテルに予約確認を入れた秘書が受付の女性から笑われて困惑していた。)食事が進んだ頃、堤さんに「実は私、以前ジャスコの岡田社長の下で働いていたことがあります。」と申し上げた。「どこで?」「ダイヤモンドシティというディベロッパー会社です。」「ああ、あそこね。悪口を言わないでよかった。だが、岡田さんという人、ずいぶn説得力のある人だね。」そのとき、堤さんは商売ではなく、民主主義の発祥地であるギリシャで行われた「民主主義に関するシンポジウム」に出席のため見えていたのだった。
March 17, 2004 =Wed=
DBC(ダイヤモンド・ビジネス・コンサルティング)主催の講演会が2時からよみうりホールで。講師は政治評論家の森田実氏。いつか誰かが、「この人のいうことはだいたい当たらないから、この人の予想の反対を見ておけば間違いない。」とか言っていた。
森田氏によれば、今の日本の政権はプーチン化現象が起こっていると。つまり、ロシアのプーチン大統領はエリツィンの後ろ盾を得てプーチン・エリツィン連合のような形で政権を立ち上げたが、次々にエリツィン寄りの閣僚を排除し、次に100いくつかあるテレビ局を自分の意のままに操縦することに成功した。反抗的なマスコミ2社の一つは脱税容疑で捜査を受け、もう一つは破産に追い込まれた。小泉政権もパフォーマンスと威嚇によるマスコミ操縦に成功し、いまや自民党の反主流派がマスコミに登場することも少ない。小泉政権を支えるキーワードは、マスコミ以外にもアメリカと公明党がある。ブッシュが大統領になると、クリントンと親しかった橋本龍太郎ではだめで、岸、福田(赳夫)、安部(晋太郎)と続く共和党人脈の流れということで小泉政権が誕生したのは知る人ぞ知る話である。また、自民党と公明党は昨年の総選挙で頭こそ別々だが胴体から下は完全に一体化した。こうしてマスコミ、アメリカ、公明党を味方につけた小泉政権はまったくの揺るぎもなく、2006年9月までは政局は起こらないというのが、専門家の見方である。
とした上で、森田氏は「期待も込めて」こうした専門家の見方に疑問を呈する。マスコミには「もっとしっかりしろ!」と檄を飛ばす一方、アメリカの一国支配がどこまで続くかに死角があると見る。しかし、ブッシュとケリーでは選挙資金が10対1で大きな較差があること、また、いざとなればイランに攻撃を仕掛け、戦時の大統領は選挙に負けないというジンクスにかける手段もある。一方、7月の参院選の前には、冷戦終了後の米軍が韓国・日本に基地を置く意味が薄れたということを背景に、沖縄基地返還により小泉政権に手柄を立てさせるというウルトラCも検討されているらしい。
とまあ、こんな論調だが、この予想の反対の状況というのはどういうものだろうか。それにしても最後に森田氏が言っていたのは、彼の世代(1932年生まれ)は学徒動員を経験しており、310万人の犠牲の上に獲得した平和憲法の精神を、60年も経ないで小泉首相が踏みにじり、イラク派兵を決めたことに怒っているといういこと。これは共感できる。靖国問題や日の丸・君が代の強制問題にしても、いつからこんなことが平然とまかり通る社会になってしまったのだろう。
March 16, 2004 =Tue=
前の会社での仲間のY君からのメールで、「今週の『財界』にそちらの会社のグループの記事が出てるよ」と。早速書店で買ってみた。先代の創業者が提唱した「美道五原則」について、5人兄弟の3番目の人の夫人が5回にわたって連載するという。添えられた解説記事には若干間違いも見られるが、兄弟の系図なども掲載されており、それなりに参考になる。兄弟の末っ子であるわが社の社長は夫人である副社長とともに海外出張中だが、長男の専務に見せたら、掲載されていることも知らなかったようだ。
ところでメールをくれたY君、某有名外食産業の役員だが、鳥インフルエンザの影響で大変なようだ。「サイゼにばかり行かないで、たまにはケンタにも来てよ」とある。ということは、やはりこのDiaryを見てくれているらしい。
March 15, 2004 =Mon=
睡眠時間3時間ではやはり眠い。会社ではなるべく通常通りを装っていたが、纏まった仕事に手をつける気にならなかった。
スペインの総選挙で、与党国民党優勢の事前予想を覆して、社会労働党が勝利した。選挙直前に起きた、死者200人というスペイン史上最悪のテロがどういう影響を及ぼすのかと思っていたが、米英に追随して早くからイラク派兵を行ってきたアスナール政権に打撃を与えた。テロが起きた直後に、スペイン政府はETA(バスク祖国と自由)の仕業と断定した。確かにETAはテロを繰り返してきたが、今回のテロは規模ややり方が明らかに違う。政府は爆弾の種類がETAの使っているものと同じだと主張していたが、何の確証もないうちに犯人はETAと決め付けたのは選挙を意識してのことだろう。アスナール政権は、前のゴンザレス政権がETAと休戦して対話を試みたのに対して、一転して対ETA強硬路線を取ってきた。今回のテロがETAの犯行であれば、反テロの世論が与党に味方すると読んだのだろう。一方、これがアルカイダなどイラク絡みの犯行だとすると、圧倒的多数の国民の反対を押し切ってイラク参戦を決めた政策判断に批判が集まる。ところが投票日直線には、アルカイダ側の犯行声明が出たり、イスラム教徒と思われるモロッコ人グループが逮捕されるなど、アルカイダ犯行説が有力になってきた。こうなるとブッシュが情報を操作してイラク開戦に踏み切ったのと同じように、テロを選挙に利用しようとした与党の姿勢が国民に見えてきたというのが、今回の選挙結果になったのだろうと思う。
ところで、このETAだが、正式には”Euzkadi Ta Askatasuna”という。英字新聞では"Fatherland
and Liberty"とか"Homeland and Freedom"とか訳しているが、この"EuzkadiTaAskatasuna"はスペイン語ではなくバスク語だ。バスク人とはスペイン北部の大西洋岸のバスク地方と、これに隣接するフランスの一部に住んでいる、バスク語を話す人たちを指す。バスク語というのはスペイン語ともフランス語とも違うだけでなく、ヨーロッパのどの国の言葉とも関連のない不思議な言語らしい。しかし、スペイン側のバスク地方の人口260万人のうち、バスク語を話すのは25%程度だとも言う。
フランコ時代に弾圧されたバスク人には海外に移住した人も多く、私がパナマにいたときに付き合っていたスペイン系パナマ人もバスクの出身だといっていた。バスクといえば料理も有名で、スペイン料理の中でもバスク料理というのは特に優れているようで、パナマにもバスク料理の店がいくつかあったように記憶している。オリーブ油とニンニク、唐辛子を使ったものが多く、鰻の稚魚を土鍋のオリーブ油で煮たアングーラスもバスク系のレストランがおいしいようだ。(どうしても食べ物の話になってしまう)
March 14, 2004 =Sun=
確定申告期限を控えたこの週末は、税理士事務所にとって最後の追い込み時。今日は今日は最後に残ったお客さん3件の申告書を完成し、夕方からわれわれ夫婦の申告書にとりかかった。前から準備はしていたとはいえ、住宅取得控除や株式売却の分離課税など目新しい項目では機械操作が分からない場面も多く、すべて完成したのは午前3時半。片付けて家に帰りついたのは4時になっていた。
March 12, 2004 =Fri=
確定申告の期限は15日だが、とりあえず仕上がった分だけでも提出して身軽になっておこうと、夜中の10時過ぎに5つの税務署宛に15件くらいのしんこくしょを封筒につめ、新宿郵便局に行くと、夜間受付窓口には20人くらい並んでいる。やっと順番が来ても、まずは返信用の封筒の重さを量ってもらい、それに応じた切手を買い、いったん作業代の前で返信用封筒に切手を張って間違えないように慎重に詰め替え作業を行う。そうして再び列に並んで順番を待ち、簡易書留で差し出す。深夜人口が増えている今、郵便局の深夜窓口ももう少し人を増やしてくれればと思うのは勝手だろうか。
すべて完了したのは11時。もうサイゼリアは飽きたという妻と連絡をとり、午前3時までやっている新宿大ガード近くの「東方見聞録」へ行く。狭いボックス席が取れたが、こうした店、この時間でもほぼ満席だ。中ジョッキの後は日本酒で「銀盤」。刺身三点盛、やまと豚のしゃぶしゃぶ、揚げ出し豆腐など、味の方はまずまずといったところ。アルバイトなのだろうが、ウエイターが元気でユーモアがある。
March 11, 2004 =Thu=
今日も会社を休んで一日中妻の仕事の手伝い。外は先週までの寒さの戻りも消えて汗ばむほどの暖かさ。マドリードで大規模テロなど世間は騒がしいが、ゆっくりニュースを見る暇もない。
March 10, 2004 =Wed=
部の新人歓迎会ということで、部の5人とともにすぐ近くにある「煉瓦亭」で昼食。元祖洋食屋として余りにも有名なこの店、近くなのにいつも店の前に行列ができており、入りそびれていた。昼も夜も予約は受けないといので順番を待つしかないが、こういう時は昼休みが不定期な方が有利。1時頃から行けば少し待つだけで6人のテーブルが確保できた。もとはフランス料理店で、明治28年の創業というからもうすぐ110年目という老舗。フランス料理の仔牛のコートレットを改良して日本独特のカツレツを生み出した。ついでに、トンカツの取り合わせに生のキャベツを考案したのもこの店だそうだ。一階は狭いが、二階に上がると結構広い。地下一階から三階まであるらしい。飲み物の入ったガラスの冷蔵ケースが目の前においてあったりして、気取らない洋食屋。みんな楽しんでいたようだ。
昨日メールを頂いたO君、というか奥藤君に、「気が向けばBBSに書き込みを」と返信したら、さっそく長文の投稿をいただいた。面白い話なので、ぜひ左の「BBS]をクリックしてみてください。
March 9, 2004 =Tue=
非常事態が昂じてとうとう今日は会社を休むことに。昨日から社長と副社長(つまり社長夫婦)がハワイに行ってしまったので、ということもあるが・・とにかく朝は9時半頃から夜中12時近くまで事務所で仕事。どっちが本業か分からなくなる。夜中のサイゼリア。今日で三日連続だが、三日目ともなると周りを見渡す余裕も出てくるのか、深夜営業のレストランなど若い連中の溜まり場かと思うとさにあらず。結構中高年の男が一人で瞑想に耽っていたりする。かと思うと男運の悪そうな女性が芥川賞受賞作の載った文芸春秋を読んでいたり。若いカップルには余り個性は感じられないが、一人客を観察していると人生の深みが見えてくる・・かもしれない。
珍しく大学同期のO君からメール。彼と同じ会社にいたS先輩からこのサイトを紹介され読んでみたとのこと。おふたりともありがとうございます。
March 8, 2004 =Mon=
このところゆっくり新聞を読む時間もないが、気になるニュースは入ってくる。一昨日は目黒区の区長が自殺、今朝は鳥インフルエンザの通報を怠って非難されていた養鶏会社の会長夫妻が自殺した。高齢者の自殺が相次ぐのは嫌な風潮だ。そうした中、今日の夕刊ではギリシャの総選挙で保守派の新民主党(ネオ・デモクラティア=ND)が汎ギリシャ社会主義同盟(PASOK)を破って11年ぶりに政権を奪回したとある。何だ今頃選挙をやっていたのかと記事を読み進んでいくと、おやおやと思う。政権を奪ったNDの党首がカラマンリス、負けたPASOKの党首がパパンドレウとある。われわれが住んでいた1970年代後半と全く同じじゃないか。あの頃はカリスマ的人気を誇っていたカラマンリスに対して、パパンドレウが新たな指導者として急速に力をつけてきた。パパンドレウが政権の座に着いたのは1981年、われわれが日本に帰国した直後だった。二人ともすでに亡くなっており、今のパパンドレウ(George)は当時のパパンドレウ(Andreas)の息子。一方、今回ギリシャでは始めての戦後生まれの首相になるカラマンリス(Costas)は、あのカリスマのカラマンリス(Constantin)の甥にあたる。日本でも二世、三世議員が増えているが、二世同士で首相の座を争うというのも珍しいのではないだろうか。それにしても今年のアテネオリンピック、工事がなかなか進んでいないようだが、そんな中の政権交代で大丈夫なのだろうか。
昨日お通夜があったO君に関しての、他人からのまた聞きのエピソード。彼が大阪支社から本社に転勤になったときのこと。当時、大阪支社長は経理出身の「天皇」と呼ばれる副社長が兼務していた。当時の経理部長のTさんなど、「天皇」から「今日の金相場はいくらだ?」と聞かれ答えられず、「金価格も知らずに経理部長が務まるのか!」と満座の中でどやしつけられたそうだ。O君は転勤の挨拶に支社長室を訪ね、意を決してこう言った。「あなたが余りがみがみ言うので、私たち若い者はみんな萎縮しています。」支社長は翌日の部長会でこの話を披露し、「どうだ。俺は若い連中を萎縮させるほどがみがみ言っていると思うか?」と聞いた。ある部長が答えた。「いや、萎縮しているのは私たちです。」
で、今日も昨夜と同じ「サイゼリア」で夕食をとったのが夜中の12時前。こういう生活のせいで、体重のリバウンドが激しくなってきた。
March 7, 2004 =Sun=
松戸までは何度も行っているが、その一つ先の北松戸へは初めて。駅を降りてとにかく大通りへ出ると左の方に「この信号を左へ」と書いた常磐会堂の看板が見える。大通りまで出ないで線路際を左に行けばもっと近かった。一階で同じ部にいたS君と出会い、一緒にコインロッカーにコートを預ける。二階に上がるとすごい行列だった。知った顔も多い。61歳というのはまだ逝くには早すぎる。それだけに早すぎる死を悼む人の数も多い。ましてや彼の人柄が多くの人を惹きつけるのだろう。着いたのが6時半のお通夜開始の直前だったが、行列の後ろの方なのでお焼香の順番が回ってきたのは一時間も経ってからだろうか。その間ほとんど会場外の廊下で並んでいたので、ゆっくり遺影を拝見する余裕もなかったが、参列者の多さが人徳を偲ばせるに十分だった。お清めの席で昔の知人と挨拶を交わす。これからはこうした席でしか会えないであろう顔ぶれも多い。
お通夜から帰って着替えるのもそこそこに、また妻の事務所で手伝い仕事。このところ仕事もあってほとんど外食になるが、今日の昼は近所のラーメン屋で塩ラーメンと餃子。ここの餃子は大根おろしをつけて食べさせる。両方あわせて1000円は少し高いが、味はさっぱりしていて結構いける。この界隈には有名店である「武蔵」をはじめ、長い行列のできるラーメン屋が数軒あり、今日も「武蔵」には交差点を超えて行列が続いていた、そうした中でこの店は空いているが、味が落ちるためではなく値段が高いためかもしれない。
夜は、お通夜の席でサンドイッチや鮨を少しつまんだのだが、10時過ぎになって妻が昼から何も食べていないというので、深夜営業のイタリアレストラン「サイゼリア」に。明け方までやっているのでこの時間でも結構混んでいるこの店はとにかく安い。ミネストローネが120円、スパゲッティボンゴレ450円、ワインが500mlのデカンタで350円という値段。これだけでも消費税込みで1000円にもならない。妻いわく、これから当分深夜までの仕事が続くので、毎日夕食はここにしようと。冗談じゃないよ・・・
March 6, 2004 =Sat=
今日も妻の事務所で仕事を手伝った後、9時半頃から夕食にしようということになり、もう遅いから近くでは深夜営業のイタ飯屋「サイゼリヤ」くらいしかないだろうとそちらに足を向けると、その少し手前を地下に降りたところにタイ料理屋があるのを見つけた。見つけたというよりも、前からああここにタイ料理屋があるなと思っていたがなかなか入るチャンスがなかったのだった。看板を見ると23時までやっているらしい。店の名は「ピッチーファー」といい、料理に使う唐辛子の名前からとったそうだ。小さな店だがマダムもシェフもウエイトレスもみんなタイ人。入ったときは余り期待していなかったが、店の人たちを見て、案外本格的なタイ料理かも知れないと期待が高まる。トムヤムクンに海老のすり身の揚げ物、それにパパイヤサラダ、シンハビールを注文。出てきたのは確かに本物のタイ料理だった。日本人にあわせた偽タイ料理ではなく、昔バンコックで食べた本物の味だ。
店の番地は西新宿7-7-29.わが家が7-7-19だから、同じ番地にこんな本物のタイレストランがあることに感激。やはり都会に住むのはいいものだと思う。そういえば、やはり家の近くにある「りんごの絆」(Diary
2月11日参照)は近く四谷に移転するらしい。
前の会社から「ご不幸通知」メールが来た。一年下のO君が亡くなった。アミロイドーシスという難病にかかり、闘病生活を送るというメールをもらったのが昨年の12月10日。あれからまだ4ヶ月も経っていない。明日は妻の手伝いも休んで北松戸までお通夜に行ってこよう。
March 5, 2004 =Fri=
夜のニュースで、今日、銀座の宝石店に外国人二人組みの強盗が入り、従業員に催涙スプレーをかけてショーケースをハンマーで叩き割り、30数億円相当の宝石類を強奪したという報道をやっていた。もしかして会社の下のカルティエではないかと思ったが、実際の現場は5丁目のル・シュプール・ディアマン・クチュール・ド・マキ という店だ。カルティエでも開店時には10億円のダイヤが展示されていたが、今日の事件で盗まれたのは30億円のダイヤのネックレスというから上には上があるものだ。この店では会員登録をしないと最高級品が置いてある3階には上がれないという。それに比べれば、冷やかしで行っても2階だろうと3階だろうと自由にいけるカルティエなど大衆的なのかもしれない。
というようなことも言っておれず、今日も妻の仕事の手伝いが続く。今日の対象はある夫婦の申告で、ご主人はプロレスラー、奥さんは都内某区の区議というカップル。奥さんの方は妻の友達という縁で引き受けたらしい。
March 4, 2004 =Thu=
家でやらされているのと似たような仕事だが、社長の長男と次男の確定申告を手伝ってやる。といっても私は税理士ではないので、あくまで本人が自分でやるのを私的に支援してやる立場。二人とも会社の役員だが、昨年までは会社からの役員報酬だけだったのが、去年、子会社を作って二人とも親会社、子会社兼務になったので、給与所得が二つに別れ、確定申告が必要になった。二人とも、経営者というよりはテレビなどに顔を出しているタレントの側面もある。特に弟の方がタレント傾向が強い。しかし出演のギャラも会社に入れて、その一部を給与として受け取っているので、確定申告自体はそれほど複雑ではない。しかしこの一族、先代の興した事業を5人の息子たちが分担して受け継ぎ、そのまた息子たちもほとんど例外なく同じ道を歩んでいる。感心といえば感心だし、歌舞伎役者の世界などではそうした例もあるのだろうが、客観的に見ると不思議な感じを覚える。
March 3, 2004 =Wed=
丸の内の国際ビルにある大学のクラブで、大学同期の会(1964年卒業にかけて「むしの会」という)の幹事会。幹事会といっても世話役の中心である東芝子会社社長が比較的出席率の良い連中に呼びかけて集めたもので、全部で5人。今後の会の名簿の整備や例会の運営をどうするかという話。だいたいこうした会では名簿係りが定番になっている。先日、会のメンバー数人がタイのチェンマイに長期ステイしている同期生を訪問したこともあり、今度は中国の無錫へ長期に行くという同期生を訪ねようとか、福井県の副知事をやっている元デュポン日本法人社長のところに行こうとかいう話になった。結構みんな時間がありそうで羨ましい。今日も妻の仕事の手伝いがあるため、二次会へ行くみんなと別れて一人地下鉄に向う。
今日集まったメンバーの一人、日本ペンクラブの会員でこれまでにも何冊かエッセイを出版しているU氏が、大学の東京駐在のような形でクラブの一角に事務所を設けたという。関東での学生の募集なども手がけるそうだ。
会社に、これまでの日本生命に加えて第一生命の外交員も出入りさせるようにしたら、同生命の「サラリーマン川柳」の今年の秀句100選が出た紙を配ってきた。共感を呼ぶのがいくつかある。
マニフェスト選挙おわればただの紙
流行語意味が分からず辞書を引く
「課長いる?」帰ったこたえ「いりません!」
始末書も数をこなせば名文集
体重計踏む位置ちょっと変えてみる
懐メロに出てくる歌手が同世代
March 2, 2004 =Tue=
今朝は新宿の銀行を二つはしごしてから出社。やはり昨日からの寒さが続いている。
今日も妻の仕事の手伝いで、今はすでに午前1時を回っている。眠い〜
March 1, 2004 =Mon=
昨日までは4月中旬の陽気だったのが、三月に入ったとたんに一転して冬に戻った。最高気温が10度とかで、朝方の雨が昼ごろには霙まじりになった。何か戻ってきた寒さが懐かしくすら感じる。そうした中で、会社から帰るなり妻の事務所の近くの和食屋で外食のうえ、直ちに事務所でお客さんの確定申告を手伝う。どういう縁のお客さんか、北陸の方の大学教授で東京の大手建設会社の顧問もやり、いろんなところで講演もしているので、給料のほかに顧問料や原稿料、講演料などが申告対象になっている。私よりかなりお年の方だが、後援会のタイトルだの、一方では医療費控除の関係書類だの見ていると、その人の世界が浮かび上がってくる。他人のプライバシーを詮索するのはよくないが、税理士という仕事は結構他人の生活に踏み込む面があるようだ。
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