May 31, 2004 =Mon=
In the afternoon, we had an inauguration party of our Esthetic Salon in
the Prince Hotel at Shin-Yokohama inviting reporters and those who are
related to the operation of the salon. The reception was held at the cocktail
rounge "Top of Yokohama" located on the top (42nd) floor of the
hotel. Different from the high rise buildings in the city center, this
hotel tower has no other competitors in the area in its hight. So the view
from the top floor was splendid.
After the reception, another party was held in the same rounge inviting
staff members of the head office.The purposes of this party were (1) "thank-you"to
the employees, (2) introducing newly hired staffs including the one who
was hired recently as my assistant (actually today was his first day in
the company), and (3) celebrating EVP(the wife of the president)'s 58th
birthday. With these successive parties with full of foods and drinks,
it was not possible to follow the doctor's advice to control calories.
May 30, 2004 =Sun=
この週末も妻の仕事を手伝わされ、昨夜は12時過ぎにまたまたサイゼリヤで食事と言う破目になったが、今日は思いがけず早く片が付いたので、久し振りに豪勢に食事をしようということになった。(カロリーに気をつけろという医者のアドバイスはとりあえず置いといて)どこにするか迷った挙句、チラシ広告に出ていた新宿住友ビル50階の蝦夷料理の店「ユック」に行く。ここなら事務所から歩いて10分程度。窓際の席からは都庁や新宿中央公園を隔てて西に広がる風景が望まれる。
純粋に北海道産ばかりを使った魚介類中心の懐石膳は一人4200円ほどで、黒ビールと白ワインが一杯ずつサービスで付いているが、やはりこれでは足りずワインリストを見せてもらう。焼酎の欄に「しそ焼酎」というのが目に付いたのでこれをロックで注文すると、本当に紫蘇の香りがしてすこぶる口当たりが良い。普通の焼酎に紫蘇の香りだけを付けたんだろうと思って聞いてみると、「いえ、原料から紫蘇を使っているそうです」とのこと。それならばと同じメニューにある「昆布焼酎」「馬鈴薯・大麦焼酎」を立て続けに注文する。「紫蘇」と「昆布」はシングル一杯が500円程度だが「馬鈴薯・大麦」は1000円近くする。焼酎3杯はさすがにかなり利いて、歩いて家に帰る間に回ってきたらしく、そのままベッドに倒れこむと、目が覚めたのは夜中の2時半だった。仕事にひとまず切がついて二人ともほっとしているせいもあるが、明日はまた忙しくなりそうだ。
May 27, 2004 =Thu=
It was only yesterday when I was told to come to Hotel Meridien Pacific
in Daiba. Our company runs a beauty parlor for wedding and an esthetic
salon in this hotel. Today several important events were held there A training
course for the in-house diploma. Press release on an exclusive contract
with a Takaraduka actress. Conferment ceremony of the diploma. A social
of diploma holders. I attended the ceremony and the social. The actress
was also there. Everyting was showy managed at the trendy hotel in the
trendy area. But what were the purposes of this fest? It was my impression
that the fifty per cent of such events are dedicated to the self-satisfaction
of the company owner's family. As I had a promise with my wife to help
her job, I left the meeting inconspicuously before the party broke up.
May 25, 2004 =Tue=
丸の内の商工会議所に行く用があって、昼食を済ませた後、有楽町駅から東京国際フォーラムの中庭を抜けようとすると”NEO
YATAI"と書いた幟が目に付いた。何だろうと思ってみると、中庭に何台かのミニヴァンが停まり、ホットドッグや弁当、カキ氷などを売っている。なるほど、これがネオ・屋台というのか。先週は梅雨に入ったような天気だったが久し振りに青空が広がっていた。
May 24, 2004 =Mon=
The access counter of this web site went four or five counts a day until
a couple of months ago. It goes around ten counts a day recently. There's
evidences that some of my colleagues in the company managed to find out
this site. Although there's nothing to conceal from the eyes of my colleague,
I hesitate to write something related to the company. I do not think they
are willing to read an article written in English. That's why some articles
in this diary may appear in English.
The person we had hired last October with the intention that he would be
my successor in future told me that he could not continue his job due to
his health problem. He seemed very tired every day and he wished to quit.
So I'was obliged to find out somebody to replace him urgently. I had an
inverview with an applicant introduced by an employment agency (which is
an affiliate of MC, the company I had been working for till last June).
He used to work for Kanematsu Corporation until he was forced to quit due
to their personnel cut several years ago.
After quitting Kanematsu, he joined a food processing company as an accountant.
This company happened to be also an affiliate of MC. He said his superior
was a man who had been in accounting division of MC. Finally we found that
his superior was Mr. T, who was my predecessor as the president of MC's
subsidirary in Panama. What' a coincidence! I decided to hire him. He may
also have felt that this was his destiny. This morning he called the agency
that he would take the job. I immediately rang my boss's mobile phone and
arranged an interview this afternoon as soon as the boss came back from
his business trip in Osaka. The interview was successful. Done!
May 23, 2004 =Sun=
今日は朝からニュースショー番組は拉致被害者の家族帰国で持ちきり。参院選を控え、自身の国民年金未納問題をはじめいろんな厄介ごとを家族連れ帰りで一掃しようとする小泉首相の意図は見え見えだが、国交正常化を第一義に置く考え方自体は間違っていないと思う。しかし、どうもこの賭けは今のところ小泉首相にとって凶に出ているように見受けられる。それも特に「右系」のメディアからの批判が強いようだ。前回の小泉訪朝で「死亡」と伝えられた拉致被害者の家族の反応が厳しい。彼らの気持ちはいたいほど分かるが、北朝鮮の食糧不足が一層深刻になった場合、拉致した人間の人権など彼らは構っていられないだろう。それならば援助するところは援助してやって門戸を開かせ、人の往来も増やしていくことで行方不明者の捜索も可能になるのではと思うが。
結婚して五番町に住んでいる娘が、夫が日曜出勤だと言うのでやってきて、三人で久し振りにスポーツジムに行く。このところ週末も超多忙だったため、スポーツジムに備え付けの記録票を見ると前回行ったのは4月10日だった。一ヶ月以上行ってないことになる。娘に夕食はどうすると聞くと、携帯で連絡を取った夫と四谷で待ち合わせると言うので、妻と新宿地下街の「さぼてん」にとんかつ定食を食べに行く。ここもしばらくぶりだが、行ってみると店の様子がすっかり変わっている。全面的に模様替えしたらしい。メニューも以前と変わっているが、昔の「ヒレかつ御膳」とおなじようなのを探したら「やわらかひれかつ御膳」というのがあり、これが昔と同じメニューらしい。すり鉢に入れた胡麻がまず出され、とんかつが来るまで胡麻を摺って待つ。このすり鉢の胡麻にソースを入れてとんかつをつけて食べる。ここのとんかつは最高。いつもこれを食べると幸せな気分になる。「さぼてん」はチェーン店で、どのみせでも同じメニューだが、新宿地下街のこの店が一番おいしいように思う。ビール小ジョッキと合わせて二人で4000円弱。
May 21, 2004 =Fri=
長い時間をかけて英語の本を読んだ後、日本語の本を読むとあまりにページが早く進むので驚く。ずっと前に芥川賞受賞作2編が同時掲載された文芸春秋を買って、いつもカバンに入れて持ち歩いていたのだが、夜の10時ごろから読み始めた「蛇にピアス」を1時前には読み終わっていた。かなり新鮮なショックを受けた。20歳の女性にここまで書けるとは・・・だから芥川賞なのだろうが。もう一編の「蹴りたい背中」も読んでからじっくりと読後感をまとめてみたい。
それにしても「スプリット・タン」なんて本当にあるのかと思ったら、あったんだなこれが。
→ http://www.tanteifile.com/diary/2003/12/06/ 気持ち悪〜い。
May 20, 2004 =Thu=
上野駅を10時30分発のフレッシュひたち17号で水戸へ。水戸に本社のある取引先に挨拶して、タクシーで那珂にある店舗を訪問し、店長と昼食をとりながら話をする。この昼食、店舗のある結婚式場の社員食堂から取り寄せたもので一人分250円だがなかなかいける。郊外に建つこの結婚式場は外見かなり荘厳な感じを出している。そこからさらにタクシーでひたちなかにあるハウスウェディングの店舗へ。ここは那珂に比べて規模は小さいがメルヘンチックな感じ。それぞれの店で店長さん以下頑張ってくれている。
帰りは勝田駅まで店長に送ってもらい、来たときと同じような特急で帰る。片道1時間半ほどの道のりだが、このところの睡眠不足と疲れからほとんど寝ていた。しかし残りわずかになっていた「Time
Line」は帰りの電車の中でやっと読み終わった。前に読んだ「Prey」に比べて中身は今ひとつという感じだったが、エピローグのところは良かった。だがこうしたタイムトラベルもので、日本のSFなら必ず出てくるタイムパラドックスに触れてないのはどうしてだろうか。14世紀の中世世界に迷い込んだ主人公たちが、その世界で追いつ追われつし、身を守るために人も殺すのだが、殺した相手が自分の先祖だったらどうなるのだろう。
May 18, 2004 =Tue=
民主党の代表は再逆転の結果、年金未加入期間があったことが判明した小沢一郎が降り、岡田克也に決まった。まず順当なところだろうが、インパクトには欠ける。それにしても小沢一郎の風を読む能力は凄い。ここで降りておけば、その後の展開によっては同じ年金未加入問題を抱えた小泉を叩くことができるし、これがうまく行かず、小泉に逃げられれば、それはそれで年金問題は致命傷ではないと言うことになって9月の代表戦で復活もあり得る。ただ、この男、トップの器ではない。裏で謀略を練るほうが似合っているし、本人もそれを望んでいるのではないかと思う。案外、年金未加入で土壇場で降りるという筋書きも最初から胸のうちにあったのではないだろうか。
May 17, 2004 =Mon=
会社の帰りにぶらりと入った書店で手に取った本を、題名に惹かれてつい買ってしまう。Dan Brownの"The Da Vince Code"スリラーものらしい。今読んでいるマイケル・クライトンの"Time Line"がようやくあと少しになってきたが、他にも読もうと思いながら「ツン読」になっている本は沢山ある。いつになったら手を付けられるだろうか。
先月23日(こういう時は日記をつけているとすぐに日にちがわかって便利だ)に大先輩から頼まれた荒澤さん追悼文の原稿をようやく書き上げて郵送する。最初に時代背景、彼が目指した監査のあり方、そして最後に酒の上でのエピソードと、短い文章だができるだけ人となりを表現したつもりだが、他人が読んでどうだろうか。
May 16, 2004 =Sun=
前回の参院選に妻が立候補したときに設立した民主党参議院比例区第○○総支部というのがまだ形だけ残っているので、党の方から選挙や何かのたびにポスターやマニフェストなどを送ってくる。人でもなくポスターを貼ったりマニフェストを配ったりすることもできず、大部分は段ボール箱のまま部屋においてあるが、妻がもう選挙にはでないと決めたので、こうした荷物の整理を始めた。選挙関係の資料はわが家の収納スペースのかなりの部分を占めており、これがすべて片付けばだいぶ余裕ができそうだ。しかし片付けるにはだいぶ時間もかかりそうだが。○○総支部の方も、党の方から早く解散手続をとってくれと言ってきた。まあこちらとしては急ぐこともない。暇が出来たらだ。
NY Timesの記事によれば、イラクのAbu Ghraib刑務所でイラク人虐待により起訴された6人の容疑者は、互いに自分の役割は軽いとし、他の容疑者に責任を押し付けあっているらしい。Abu Ghraibは先日まではイラク人収容者にとって地獄だったのが、今はアメリカ人虐待者にとっての地獄となっているようだ。いずれの容疑者にも共通しているのは、自分たちは上官の意向に従っただけだという主張だ。これもおそらくはその通りなのだろう。第二次大戦での日本のBC級戦犯と同じように、結局は下っ端が馬鹿を見る。それが戦争なのだろう。
May 15, 2004 =Sat=
海外に移住とまではいかなくても、どこか環境がよく、治安が安定し、生活費も安く住むようなところで一年の半分程度を暮らせたらいいと思っている。現実に知人の中にはオーストラリアのパースだとかタイのチェンマイなどに長期ステイしている人たちもいる。本屋に入ってトラベル本を眺めていると「地球の暮らし方」というシリーズがダイヤモンド社から出ており、その中に「ロングステイ」というのがあったので買ってきた。「地球の歩き方」シリーズの姉妹編らしい。オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、ハワイ、タイ、マレーシア、スペイン、ポルトガルをロングステイの候補に挙げ、生活費、住宅事情、医療機関、ビザの状況などをまとめるとともに、現にロングステイしている人たちのコメントを載せている。高齢の親がおり、夫婦とも仕事に追われている状況ではとても無理だが、将来は是非考えたい。
May 14, 2004 =Fri=
この一週間、風邪気味であったのに加えて、取引銀行の対応の悪さに関するトラブルや入金確認のミスによる取引先とのトラブルなど、いくつものトラブルが重なり、家に帰っては妻の仕事の手伝いもあって、かなり疲れた。眠りも浅いし・・・とうとう民主党は小沢一郎に乗っ取られたし、いずれ分裂になるだろう。今日は早く寝よう。
May 12, 2004 =Wed=
民主党の代表選びはどうやら小沢一郎に流れが傾いてきたようだ。嫌な展開になってきた。まd、どうでもいいが。
今朝、4時くらいに目が覚め、どうしても眠れない。枕元にてをやると角川文庫の「歌舞伎町案内人」と言う本があった。こんな本買った覚えはないぞと思ったが、どうやら先日までうちにいた息子が置いていったものらしい。パラパラとページをめくるうちについ引き込まれ、目覚ましが鳴るまでに半分くらい読んでしまった。
カバーの紹介文によると、作者(といっても日本人が手伝っているらしいが)は李小牧(リ シャム)という中国人で、1960年中国湖南省長沙市生まれ。幼少の頃よりバレエをはじめ、21歳まで湖南省湘潭歌舞団の一員として活躍、その後通信教育学校事務、文芸新聞記者、貿易会社社員などを経て、88年、私費留学生として来日。新宿歌舞伎町でラブホテルの清掃員、レストラン従業員、おかまパブのウェイター、宣伝用ティッシュ配りなどさまざまなアルバイトを経験した後、歌舞伎町初の「中国人案内人」として独立、現在に至る。また、「案内人」としての顔のほかに、中国のファッション雑誌「時装」の特派記者、在日中国人向けの新聞「僑報」発行人など様々な顔を持つ。という人物。
家から西武新宿線の線路を隔てて10分も歩けば歌舞伎町に入る。たまにしか行かないが、この喧騒の街でしたたかに生き抜く中国人のノンフィクション。こんな公式サイトまである。
このお陰で一日中眠く、風邪も治まらない。今日は12日で大学同期の月例会があったのだが、幹事に連絡して欠席させてもらった。
May 11, 2004 =Tue=
菅直人辞任のニュースはWashington Postではたったこれだけ。
・ TOKYO -- The head of Japan's main opposition Democratic Party,
Naoto Kan, resigned in a widening scandal over the failure of top politicians to
pay into the troubled national pension system.
Kan's decision followed the resignation on Friday of Prime Minister
Junichiro Koizumi's powerful chief cabinet secretary, Yasuo Fukuda, also for
failing to make pension payments. The issue has come to light as lawmakers are
being scrutinized during an attempt to overhaul the nation's troubled pension
system through controversial premium hikes and benefit reductions.
-- Anthony Faiola
ニューヨークタイムズでは日本人記者によるもう少し長い
記事が出ているが、海外での受け止めはまあこんなものか。
国民年金保険料の払い込みが"pay into the national pension system"なるほど、"into"というのか。払ったお金がどこかへ行ってしまう感覚にぴったりかもしれない。
May 10, 2004 =Mon=
一日中雨が降り続いていた。夜になって民主党の菅代表の辞任がようやく決まったが、後任はまだ未定と言う。岡田克也か小沢一郎かというところらしい。妻の参院選立候補もなくなったのでどうでもいいようなものだが、小沢だけはやめてほしい。もっとも小沢になれば民主党も分裂するだろうけれども。
その参院選がなくなった妻だが、ようやく政治をやめて税理士事務所に専念する気になったらしい。そこでパソコンも本格的に覚えようと言うことで、先日来自宅の彼女用のPCにタッチタイプ練習ソフト「特打」を入れている。これを事務所のPCにも入れたいというのでインストールしてみた。インストール自体は簡単に出来たのだが、使ってみると案の定問題が出てきた。事務所のPCは会計事務所専用にJDL(日本デジタル研究所)が売っている機械だ。前の会社の子会社で、Y君が社長をやっていたMCSJという会社も、この機種を使って投資先の経理業務代行サービスを行っており、会計専用機としては良く出来ているのだが、問題はキー配列が通常のJIS配列と微妙に違う点だ。ホームポジションに指を置くと、普通のキーボードなら右手小指がセミコロン(;)に来るのだが、JDL機ではこれがプラス(+)記号となる。このため、タイプソフトでセミコロンを打つように指示が来ると、右手小指を動かしても反応がなく、JDL機のセミコロンのキーを叩いてもダメ。それ以上前にも後ろにも進めないので、プログラムを終わらせるには電源を落とすしかなくなる。このJDL機、今でこそOSはWindows
XPだが、昔は全く独自のOSでフロッピーディスクまで独自フォーマットのものだったので、FDが一枚100円程度の時代に専用のFDを700円くらい出して買わなければならないこともあった。会計用に使いやすくしているというのが表向きの理由だが、ちょっとしたところを標準から変えることにより他機種への乗換えを防いで囲い込みを図ろうという意図が見え透いている。
May 9, 2004 =Sun=
今朝のニュースショウには菅直人がずっと出ずっぱりだった。年金未納問題で進退が問われている中で、逃げずに積極的にテレビに出て説明に努めているのはよいが、案の定ボコボコニ叩かれて辞任の流れに歯止めをかけることが出来ない。後任に小沢一郎が暫定代表なんて話もあるらしいが、それだけはやめて欲しい。
菅さんと言えば、4年前のちょうど今頃、衆院選に出た妻の応援に荻窪駅前の街頭演説に来てくれたことがあった。1998年の不倫騒ぎで一時の人気は影を潜めていたものの、やはり選挙の応援としては第一級の人物である。陣営ではこの機会に流れを作ろうと大いに期待していた。早くから駅前に選挙カーで陣取り、前座に都議が演説をしながら菅さんの到着を待った。定刻に到着して菅さんの演説が始まった途端、急に空模様が険しくなったかと思うと、大粒の雹(ひょう)が降り始めた。急いでビニール傘を配ったが、サイコロ大の雹はますます激しく降り、地面に積もるほどだった。当然、集まった聴衆は引いてしまう。東京でこんな雹が降るのは滅多にないことだ。選挙戦の一番大事なこの時に、と誰もが不吉なものを感じた。そんな時、菅さんは一人天を仰いで「これは縁起が良いよ。天から雹(票)が降ってくる。」
こうしたアドリブが彼の真骨頂である。その流れの中で、年金未納が発覚した三人の閣僚を指して「こういうのを未納三兄弟と言うんですよ。」と揶揄したのが、自分の未納が発覚して自身の首を絞めることになった。野党党首として彼のようなキャラクターは貴重だし、こんなことで失いたくはないが、政治的にはもはや死に体であることは認めざるを得ない。
4,5日前に冷え込んだ日があったが、そのときに寝冷えをしたらしく、風邪をひいてしまった。熱はないのだが喉がいがらっぽく、咳も出る。昨日今日と妻の仕事の手伝いで忙しかったが、夕方にいつものスポーツジムに行って風呂とサウナだけを使った。サウナで身体を暖めたら少しは良くなったような気がする。
May 8, 2004 =Sat=
今月4日のDiaryで、パナマの大統領にトリホス将軍の息子が選出されたニュースを引用した。最近これと同じようなことをDiaryに書いたような気がしていたが、調べてみると、3月8日のDiaryだった。ギリシャの総選挙で昔のカリスマ指導者コンスタンチン・カラマンリス元首相の甥にあたるコスタス・カラマンリスが、コンスタンチンの政的であったパパンドレウ元首相の息子を破って政権に就いたというもの。私がギリシャに居たのが1970年代後半、パナマに居たのは1980年代後半だが、奇しくも両方の国で政権が次の世代に移行したわけだ。どちらも世襲というのも世の中の流れだろうか。
折りしも米国ではイラク人捕虜の虐待をめぐってラムズフェルド国防長官の辞任が、また日本では年金未納付問題をめぐって菅直人民主党代表の辞任が取りざたされている。ラムズフェルドは1975年にフォード政権下で史上最年少の国防長官に就いてから2度目の国防長官だからもう引退して言い頃だろう。菅さんの場合はまだ引退には若すぎるが、「総理にしたい男ナンバーワン」と言われたのは随分昔で、不倫報道以来中途半端な立場のままネクストキャビネットでしか「総理」の座に就いていない。そろそろ賞味期限は切れつつあるようだ。
May 6, 2004 =Thu=
連休明けで出社すると結構いろんなことがある。前月末に実行されるはずの融資が銀行側の手違いで遅れて、朝から銀行の担当者と上司が謝りに来たりとか。忙しい一日だった。
イラク人捕虜虐待の問題は、ワシントンポストがまた新しい写真を公開した。これまでに公開された写真でもそうだが、虐待には米軍の男性兵士だけでなく女性兵士もかなり関わっているらしい。ワシントンポストに掲載された、裸のイラク人男性が横たわり、その首に紐を付けて引っ張っているのはどうも女性らしい。前に公開された、裸のイラク男性が人間ピラミッドを作らされ、その前でポーズをとっているのも米軍の女性兵士だ。こうした場面では女性の方がサディスチックになるのだろうか。
ところで、こうしたワシントンポストの記事などのウェッブサイトを「名前を付けて保存」しようとするとエラーになる。写真のスライドショーなどを右クリックしても「保存」はできない仕組みになっているらしい。著作権を守るためなのか、あるいはjpegやgifと違ってMacromedia
Flashはそもそも保存できないようになっているのだろうか。
May 5, 2004 =Wed=
米英軍によるイラク人捕虜の虐待が大きく取り上げられている。フセイン政権が政治犯に対して拷問や虐待を加えたのと同じ刑務所で、米軍がイラク人捕虜に対して性的虐待を加え、しかもそれが組織ぐるみとの疑いが出ている。しかも虐待に関与していたのは米英軍兵士のほか、「イラク復興」のために軍の下請けを受注したハリバートン社の社員たちも含まれるらしい。ハリバートンがチェイニー米副大統領の石油利権に結びついているのは周知のことだ。これ一つとってもイラク戦争の大義がいかにいい加減なものかが明らかだ。米国のイラク開戦をいち早く支持した小泉首相は、この虐待問題には口をつぐんだままだ。
しかし、この虐待問題の報道から考えるべき点が二つある。
一つは、これがまさに戦争の実態だということだ。戦争とは、「テロ根絶の戦い」などという奇麗事ではない。第二次大戦中の日本軍による残虐行為も同じだ。命を懸けて戦い、自分の肉親や同胞を殺した敵に対して、ジュネーブ条約に基づいて人道的な対応をするなんてことは、理屈ではありえても現実に可能なのだろうか。ましてや戦闘状態というのは人間を集団ヒステリーに追い込む。そんな状況の中で、捕虜に対する虐待、拷問が行われることは、人道的に見ておぞましいことではあるが、決して考えられないことではない。戦争とは美しいものではなく、汚いものだという認識を誰もが持つべきなのだ。日の丸・君が代よりも、まずこのことを若い人たちに教えるべきなのだ。
もう一つはメディアの役割だ。今回の凄惨な事件の中で、唯一救われるのは米国のメディアが機能していることだ。この虐待事件を最初に報道したのはニューヨーカーという週刊誌だが、事件を一部による例外的な出来事と矮小化しようとする軍や政府に対して、ニューヨークタイムズやロスアンゼルスタイムズなどが次々に新事実を報道し、当局側を窮地に追い込んでいる。事実を報道するメディアを、「利敵行為」と非難する動きは今のところ出てきていない。拘束されたボランティア活動家やジャーナリストに対して、政府の尻馬に乗って「自業自得」だの「救出費用を負担しろ」などと非難を浴びせかける日本の一部メディアとは大違い。米国には、過ちを過ちと認める懐の深さがまだ残っているようだ。戦争自体の過ちにも速く気づいてくれればいいのだが。(ファルージャからの撤退を、「軍の再配置」と強弁するのは、「敗走」を「転進」と言い換えた旧日本軍とも共通する、軍隊というもののもつ体質なのかもしれない。)
May 4, 2004 =Tue=
昨日の疲れで遅くまで寝ていた。今日は天気は荒れ模様との予報だったが、夜中にかなり降ったようだ。テレビのニュースでは連休のUターンラッシュが始まっており、東京へ向う道路は長い渋滞だという。ということは新幹線も混んでいるかもしれない。まあ最悪立っていけばいいだろう。11時頃妹夫婦が来る。いつもの車と違うのでどうしたのか聞くと、先日、妹が友達とオーストラリアに遊びに行っている間に、夫が事故を起こしたとのこと。信号待ちをしていた右折車二台に、わき見運転して突っ込んだらしい。車は大破したものの、幸いエアバッグが働いてこちらは怪我は大したことはなかったが、先方の一人が頭が痛いと言っていたのが心配だという。物損の方は保険でカバーされ、買い換えるまでのレンタカーも保険で出るそうだ。ドライブがてら新大阪まで送っていくというので四人で出かける。レンタカーにはカーナビがついているが、使い方が分からない。それでも何とか新大阪にたどり着き、みんなで食事でもしようかと思ったがここも駐車場が満杯。仕方なく一人車を降りる。
新幹線の切符売り場へ行くと、「本日の東京方面行きの指定席はすべて売切れです。」とある。自動販売機で自由席券を買ってホームに上がると、ちょうどのぞみが一台出て行ったところ。反対ホームに10分後ののぞみが停まっており、1〜3号車の自由車両に行くと3人崖の真ん中だが一つ席が空いていた。東京に着いて中央線快速に乗り、御茶ノ水で座れたので本を読んでいると、ふと気がついたら電車が新宿を出ていた。一昨日、大阪で急行に乗り間違えたが、今日は新宿で降りそこなって中野まで。まあ、よくあることだ。
新聞を見るとパナマの大統領選でオマール・トリホス将軍の息子のマルティン・トリホスがギジェルモ・エンダラを破って当選したという。オマール・トリホスは1968年にクーデターで実権を握り、1977年にカーター・トリホス条約を結んで1999年12月のパナマ運河返還を決めた立役者だが、1981年に飛行機事故により亡くなった。その後を継いだのがアントニオ・エマニュエル・ノリエガだが、飛行機事故はノリエガが仕組んだとの噂が絶えなかった。故オマール時代からの政権党であるPRD(民主革命党)はどちらかというと貧民層に基盤を持ち、親米路線の富裕層とは対立してきた。私も巻き込まれた1998年の米軍パナマ侵攻によるノリエガ政権打倒は、表向きはノリエガの麻薬取引関与を理由にしていたが、実際はアメリカの裏庭での反米政権潰しにあった。しかし、今回当選したマルティンは、PRDの書記長という立場にはあるものの、テキサスの大学に学び、米マクドナルドで働いたこともあるという知米派であり、軍事反米政権というイメージはなさそうだ。
一方、対立候補のギジェルモ・エンダラは、米軍パナマ侵攻の直前に行われた大統領選で反ノリエガ陣営の統一候補として選挙に臨んだが、投票後に政府が、選挙に不正があったとして開票を凍結。自らは当選を主張したものの認められず、選挙前にパナマを逃げ出した三和銀行の建物に篭ってハンガーストライキを行った。彼は大変な肥満漢で、人々はこのハンストを「ディエタ(ダイエット)」だと揶揄した。1998年12月の米軍侵攻の夜、米軍基地の中で大統領就任を宣誓し、米軍の庇護下で大統領職を務めた。彼も67歳になるようだが、国民的英雄の息子で40歳のトリホスには大差で敗れたわけだ。
May 3, 2004 =Mon=
朝、母が京都にお墓参りに行こうと言い出した。いつもは妹かその夫の運転する車で行っているのだが、電車で大丈夫だという。最初は、明日私が帰るときに一緒に行って、京都で別れようということだったが、京都から一人で帰らせるわけにも行かないので、今日行くことにした。
京橋から京阪電車に乗り換える。昔、通勤で一時この電車を使っていたこともあるが、駅の周辺は見違えるようになっている。そういえば大阪城から京橋駅にかけての一帯は、昔は旧造兵工廠の跡など戦後の風景が長い間残っていた。小松左京が書いた「日本アパッチ族」という小説はここを舞台にしているが、人間が鉄を食うという荒唐無稽な話がいやに現実味を帯びていた。(そういえば、三島由紀夫が「日本アパッチ族」を評して、「俺、小松左京のファンだったのにな。あんな小説を書きやがって」といったという話をどこかで読んだ覚えがある。)京橋
からだと座れないのに気がついて、反対ホームへ回って淀屋橋まで戻り、始発の急行に乗る。こういうとき、階段の上り下りの苦手な年寄りは気の毒だ。お墓のある五条には急行が停まらないので、七条で降りて各駅停車で一駅の五条へ行く。タクシーに乗って、どういうわけか「東山浄苑」と言ってしまう。車は10分ほどで「東山浄苑」に着く。「いつもと違う受付だね」と母が言うが、ともかく受付でお墓の番号を言う。係りの女性がコンピュータを叩くが出てこないらしい。名前からも検索できるからというので名前を告げると、その名前では登録がありませんとのこと。やっと分かったのが、「おたくのお墓はここではありません。「大谷本廟」へ行ってください。」
「大谷本廟」も「東山浄苑」も納骨所、いわゆるマンション形式のお墓なのだが、大谷本廟は浄土真宗西本願寺派、東山浄苑は浄土真宗東本願寺派の、それぞれ納骨所なのだ。西本願寺派は単に本願寺派とも言い、東本願寺派は大谷派とも言うらしい。それなのに西本願寺派の納骨所がなぜ「大谷本廟」というのか知らないが、そんなこんなでどっちがとっちかよく分からず、混乱してしまったのだ。こういうことにうるさい母も、いままでも「大谷本廟」にお参りに来たついでに「東山浄苑」
の知人のお墓にもお参りしていたこともあって、勘違いしてしまっていたようだ。タクシーで5分ほど戻ってようやく目的地の「大谷本廟」に着く。
休日とあって受付には大勢の人が並んでいるが、案内の人に聞くともっと先にある無量寿堂(納骨所)の受付の方が空いているという。ここへ来るまでに結構階段を登っている。車椅子の人のために階段を使わずに上り下りする途もあるらしいが分かりにくい。母を気遣いながらゆうくりと進むと、確かにこっちの受付は空いている。今度はコンピュータの照合もすぐに終わって読経を申し込む。この受付があるのは6階で、うちのお墓は2階にあるのでエレベータで2階に降りる。6階といっても地上からそれほど登ったわけではないので、2階は多分地下になるのだろう。ゆっくり進んでいくと2階の一番端にあるお墓の前にはすでに若いお坊さんが来ている。身長190センチはありそうなスポーツマンタイプの坊さんだ。鍵を渡すと手際よく焼香の香炉やろうそくをセットしてくれる。火災を起こさぬよう、香炉は電熱式で普段は仏壇にしまってあるのを必要なときに取り出して仏壇手前にあるコンセントに直接差し込む。ろうそくも電気式でこれはお坊さんが都度持参する。お墓は右の写真のようなのが二基ないし三基ずつ並んでいる。この仏壇の下部が納骨用になっている。父はこのお墓を随分前に買っていた。最初にここに納骨されたのは1977年8月に亡くなった祖母だ。そのとき私はギリシャに赴任した直後だったから納骨には立ち会っていない。今は、2002年1月に亡くなった父と母子で眠っている。比較的短いお経で短時間で終わる。母は読経料が少ないから短いんだと言っていた。
1時過ぎになっていたのでどこかでお昼にしようということになった。五条に戻ったのでは電車に乗っても座れないと思うので、京阪電車の三条駅までタクシーで行くことにした。ところが山門を出てタクシー乗り場へ行くとここも大勢の人が並んでいる。母を近くの石段に座らせ、行列に並んだ。途中、どこ行きかのバスが来て、並んでいた人の一部がバスに乗ったので列が少し短くなったが、それでも20分ほど待っただろうか。道路も渋滞している。タクシーの運転手は、今日は昨日よりもだいぶ車が多いと言っていた。鴨川沿いに走って京阪三条駅で車を降り、三条大橋をわたったところに「がんこ」があったのでそこに入る。銀座にも2軒ほどあるチェーン店だが関西が本場らしい。湯葉の造り、揚げ出し豆腐、刺身、天麩羅などを頼む。
京阪電車は昔は三条が始発だったように思うが、今は二つ先の出町柳から出ている。大阪方面行きのホームから反対側に移って始発駅に行こうかと思ったが、エスカレーターとはいえまた年寄りに遠回りをさせるのもどうかと思案しているところへ準急が入ってきた。特急と比べて時間はかかるだろうが、これなら間違いなく座っていける。乗ってみるとたしかに時間がかかる。大阪に近づくまでほとんど各駅停車だった。途中、西武百貨店で買い物をして家に帰りついたのは5時頃。さすがに母は疲れたようだ。こちらも疲れたが・・
May 2, 2004 =Sun=
4時過ぎの新幹線を取っていたが、昼前に新宿駅に行きもっと早い時間に変更できるか聞くと、ゴールデンウィークのラッシュは終わっていると見えて2時半ののぞみが取れた。少し時間があるので久し振りにスポーツジムへ行き、プールと風呂を使う。
新幹線はそれでもやはり結構混んでいて、指定席はほぼ満席だった。新大阪から大阪駅に行き、環状線に乗り換えて鶴橋へ。ここから近鉄線に乗るのだが、下車駅の八尾までは準急で10分程度。ところがうっかりして急行に乗ってしまった。昔、この線を使って通学、通勤していた頃も何度かこういうことがあった。まったく気づかないうちに降りるべき駅に近づいても電車のスピードが落ちないので不審に思ううちに通り過ぎ、そこで初めて乗り間違いに気づく。早く停まれと念じる中を電車は次々と駅を通り越し、やっと停まったのは「五位堂」という駅。このあたりは奈良県の香芝市になる。近くに二上山という山があり、旧石器時代の遺跡をはじめ、奈良・平安時代からの歴史もあるところだ。そんなことはともかく、反対方向のホームに回り、準急に飛び乗った。
91歳の母は、先日行きつけの医院の待合室で倒れ、救急車で徳洲会病院に運ばれた。しかし救急車の中で意識が戻り、病院ではCRTまで撮ったがどこも悪くないとのことで医者からは早く帰るように言われたという。「突発性虚血症」の典型的な症例らしい。今日も会ってみると思ったより元気だ。しかし歳も歳だし一人暮らしではやはり心配だ。二階にレントゲン技師を目指している甥が同居しているが、彼は今年専門学校を留年になり、アルバイトなどの関係で近く別に住むという。
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