Diary


June 30, 2004 =Wed=

今年は空梅雨かと思っていたら、静岡を中心に記録的な豪雨で新幹線も日中ほぼ止まっていた。何年か前、まだ父が健在の頃に大阪の実家に行き、その帰りに名古屋駅の手前で豪雨のため新幹線が止まってしまったことがあった。列車の中に閉じ込められ、半日以上食べるものもない状態だった。名古屋駅のすぐ手前だったので、せめて駅につけてくれといっても、前の列車が駅に停まっているからダメだと言う。前の列車は駅に停まったままなのだから、これを少し前進させ、こちらの列車の先頭車両だけでもホームにつけてくれれば全乗客が通路を通って降りられるのにJRはそれもやろうとしない。携帯の電源もなくなってしまう。そんな中で諦めの境地でシートに座っていた。今回もそんな目にあった人たちも多かったのだろう。会社の同僚も関西方面に出張の予定が、駅まで行って引き返してきていた。


June 29, 2004 =Tue=

7年前に長女が結婚したときに仲人を務めて頂いたFさんの奥様が亡くなられたので、会社を抜けて上野寛永寺で行われた葬儀に出席した。鶯谷で山手線を降り、徒歩5分と言うのだが実際は10分くらい歩いたように思う。空梅雨で夏の陽射しが降りかかる。伝統と格式のあるお寺だけに都心とはいえ広い。式場は第三霊園にあるのだが、冷暖房完備の近代的な斎場ではなく、外から入り込む風が涼を誘う。Fさんは娘の夫が勤務するT社の当時の社長だった方だが、本来は身内だけでやりたかったというように、葬儀は質素で参列者も50人くらい。故人は、今から5年余り前に肺がんで手遅れと診断され、医者である息子さんの伝手で横須賀の病院に入院し、そこで奇跡的に5年余りの生を得た。土曜日も午前中は元気だったが、午後から容態が急変し、日曜日の未明に息を引き取ったが、苦痛はなく安らかな最後だったと言う。喪主挨拶でこうした経緯を坦々と語るFさんの姿は爽やかだった。

娘夫婦は昨夜の通夜に出席したが、今日は娘の舅夫婦も見えていた。姑さんはT社の創業一族の出なので、Fさんはもちろん、参列者の中にも知人が多いらしく、お茶席では私は専ら舅の方と話した。東大教授であるお舅さんは、国立大学が独立行政法人になってから却って規制が厳しくなったと嘆いていた。お二人に付き合う形で、納棺から出棺まで見送ることになった。


June 28, 2004 =Mon=

主権の移譲(Transfer of sovereign powers)とは何なのだろうか。6月30日に予定されていた主権移譲が、その日に合わせて攻撃をエスカレートさせている武装勢力の裏をかくために急遽2日前倒しされ、移譲の式典はイラク側4人(大統領、首相、副首相、最高裁長官)米国側1人(ブレマー暫定行政政府代表)それに英国側1名の計6名でひっそりと行われ、それが終わるとブレマー氏は逃げるようにイラクを出国した。イラク開戦にあたって米兵たちは、「圧制者フセインを倒し、われわれはイラク人から歓呼で迎えられる;と聞かされていたそうだ。今や米英軍は武装勢力の攻撃対象となっているばかりでなく、イラク国民の大半から撤退を求められている。無理やり国連決議を通し、何とか多国籍軍の形を作ったうえ、夜逃げのように慌しく出て行く。主権移譲といいながら、実は米国の敗戦ではないのだろうか。それでもしっかりと利権だけは他所に取られぬよう、多国籍軍は米軍の統一司令(Unified Command)の下に置くという。

「主権移譲」の正式な文書はこれだけらしい。

From U.S. administrator L. Paul Bremer to Iraq's top court, the Court of Cassation:

Judge Medhat al Mahmood
Court of Cassation
Baghdad, Iraq

Dear Judge Mahmood:

As recognized in U.N. Security Council Resolution 1546 (2004), the Coalition Provisional Authority will cease to exist on June 28, at which point the occupation will end, and the Iraqi Interim Government will assume and exercise full sovereign authority on behalf of the Iraqi people. We welcome Iraq's steps to take its rightful place of equality and honor among the nations of the world.

Sincerely,

L. Paul Bremer III
Administrator

宛先が大統領や首相ではなく、最高裁長官あてというのも意外だが、首相になるアラウィ氏はフセイン時代に国外逃亡し、CIAから資金をもらって反政府運動を行っていた人物。イラクでも彼を信用する人間はほとんどいないらしい。これでは「アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのイラク政府」が成立するのかもしれない。



June 27, 2004 =Sun=

映画を観るのも久し振りになる。歌舞伎町の新宿ミラノ座でブラビ主演の「トロイ」土曜日曜は朝9時から初回上映があるので、混まないうちにと日曜にしては早めに起きて出かけた。といっても映画館まで徒歩10分で行ける。狙い通り空いていてゆっくりと鑑賞できた。

ギリシャに住んでいたからということもあるが、トロイ戦争は昔から関心のあるテーマなので、この映画は絶対に見逃せない。私のいた頃のギリシャは隣国トルコと争いが絶えず、飛行機も直行便がなくて、いったんイタリアのミラノまで行って乗り継がなければならなかった。子供が小さかったこともあって、近くなのに訪れる機会を逸し、その後も行ってみたいという思いが募るばかりだった。トルコの中でも行きたいのはトロイ。名前は有名でも観光と言う意味では見所が少ないらしく、パックツアーなどでもあまり重点が置かれていないようだが、見るものがなかろうととにかくトロイにだけは行ってみたい。

すでにこの映画を観た娘は、戦闘シーンばっかりであまり面白くなかったと言う。確かにトロイ戦争に関する予備知識なしに観たらそう思うだろう。だが、お前もギリシャには4年近くいたんだから、その頃は物心ついていないといっても、もう少し西欧文明の原点たるギリシャに関心を持てよ、と言いたい。私自身、見終わっての感想としては、それほど感動を味わうような映画ではないが、トロイ戦争を描いた映画として後世に残る作品であることは間違いなさそうだ。とにかくお金をふんだんにかけていることは間違いない。エキストラの動員数も凄いものだろう。最後のクレジットを見ていると"Mexico Unit"というくくりで多くの名前が紹介されていた。ロケはメキシコで行われたのだろう。

人物描写も、アキレウス、ヘクトールをはじめ、プリアモス、オデッセウスなどなかなかよく表現されていたが、ヘレネ、アンドロマケなど女性陣の影が薄いように思えた。細かいことを言えば、アキレウスの恋人であるブリセイスが日本語字幕では「ブリセウス」となっているのはいただけない。ギリシャ神話の登場人物の名前の読み方には地方によって色々あるのは仕方ないが、「ブリセウス」では男の名前になってしまう。とくに女性では、プリアモス王の后であるヘカベとその娘であるカサンドラ全く登場しないのが残念だった。トロイ戦争の物語には、男たちの壮絶な戦いの影に、女たちの微妙な感情の縺れ合いがある。

J.P.サルトルの戯曲「トロイアの女たち」ではヘカベが主役で、カサンドラ、アンドロマケ、ヘレネらが登場する。私がもっとも惹かれるのはカサンドラだ。カサンドラの悲劇は、未来への予知能力をアポロ神から授かりながら、アポロの求愛に肘鉄を食らわせた罰として、彼女の予言が誰からも信用されないと言う運命を負わされたことにある。木馬の計略にも早くに気づき、木馬を城内に入れないよう訴えるが誰も耳を貸さない。トロイ陥落後はギリシャ方の総大将アガメムノン王の妾にされ、王がミケナイに帰国すれば王の弟と不倫をしている王妃クリュタイムネストラに殺されると忠告するが、これにも王は耳を貸さず、結局帰国後に王とともに彼女も暗殺される。自分と家族、祖国の運命を知りながら、何の手立ても講じられない不幸は、現代にも通じるものがある。

3時間に及ぶ映画の後、近くの韓国料理店で冷麺を食べ、参院選候補の円より子さんの応援に行く妻と別れて、いつものスポーツジムに直行する。ジムから帰ると妻の事務所で仕事。選挙応援から帰った妻も合流して10時前に近所のタイ料理店「ピッチーファー」へ。「ラストオーダーが10時なんですけど」というウェイターにトムヤムクン、空芯菜炒め、鶏肉と鶏のスープで炊いたご飯などを注文。こんな時間に食べるから二人とも体重が減らない。


June 26, 2007 =Sat=

最近、じっくりと本を読む機会が減ったが、昔読んだ、というより読みふけった本の内容がしきりに思い出されることはある。ここに二、三日、高橋和巳の名前と小説が、深いところから湧き出すガスの泡のように胸の奥に蘇ってくる。本棚の一角には、昔、集中的に読んだ作家の本が今も並んでいる。サルトルが20冊0冊ほど、大江健三郎が30冊くらい、それと並んで高橋和巳も15冊程度だろうか、「憂鬱なる党派」「邪宗門」「悲の器」などなど。いつかサルトルについても書いたが、こうした本はいまはほとんど手に入らない。今の若い人たちには、余りにも重く、暗い世界で、ついていけないのだろう。名前からして暗い「憂鬱なる党派」は、繰り返し読んだ。本は比較的大切にする方なので、本棚の「憂鬱なる党派」の外箱にはまだちゃんと帯がついているが、本そのものは手垢で背の金文字も消えかかっている。河出書房の「書き下ろし長編小説叢書」の初版本。その帯には作者自身の言葉が鉱掲載されている。

ーー 太陽の季節を謳歌した青年たちだけが戦後いたのではない。実は、憂鬱なる党派と称さるべき一群の青年たちもいた。私は思う、青年はいつの時代にも時代の矛盾にもっともはげしく引き裂かれることによって、もっとも本質的なものをつかむ存在だと。私はこの作品で、戦後の苦痛はまだ癒えず、しかも新しい概念は形成されないままにお互いに角逐し、分裂し、やがて諸共についえ去った憂鬱な青春にも、一片の真実のあったことを証明したい。

この作品が世に出た1965年から70年代にかけて、高橋和巳はよく読まれた。「軒先のガラス細工の簾が、知恵のない女の首飾りのように揺れる。表通りの雑踏の足音が、その簾の鳴る音と入りまじって遠くからきこえる蛮族の輪舞のように響く。」といった表現に「筋の通らない比喩だ」とけちをつける人もいた。ということはそれほどよく読まれていたということでもある。今や戦後の苦痛は遠くに忘れされれ、ネット社会と言うまったく新しい概念に取り囲まれた若い人たちにも「青年はいつの時代にも時代の矛盾にもっとも激しく引き裂かれることによって、もっとも本質的なものをつかむ存在」だというのは当てはまるのだろうか。

そんなことを考えながら、ネットで「高橋和巳」を検索してみた。そうすると、結構ヒットするものだ。今の時代にも高橋和巳を研究している人たちやグループがあるらしい。高橋和巳と小松左京が同じ同人誌を創設したことも分かった。確かに二人ともわれわれより10歳上の1931年生まれで同じ京都大学文学部を出ているのだから、考えてみれば当然なのかもしれない。

http://www.uranus.dti.ne.jp/~ohta/

http://tktotk.hp.infoseek.co.jp/

http://www.hico.jp/ronnbunn/uenoryou/never/3-5.htm


June 25, 2004 =Fri=

夕方近く、麻布に最近開店した店を訪問した。ハワイの店で人手が足りず、かといって店の業績もあまり良くないので単純に増員と言うわけにも行かず、研修ビザ(J-ビザ)で人を送り込み、研修方々店を手伝わせようと言うことで希望者を募集したら麻布店の社員が手を挙げてきた。そこでビザ取得の手続きについて打ち合わせに行ったというわけ。

溜池山王で銀座線から南北線に乗り換えて麻布十番で下車。麻布十番と言う地名、よく耳にするがまだ一度も行ったことがなかった。恐ろしく深い地下にある駅で、ホームから改札まで長いエスカレーターに乗り、改札を出てさらにエスカレーターを三つ乗り継いでやっと地表に出る。麻布十番商店街を奥へ進み麻布十番温泉を左に折れて暗闇坂を上る。近道があるとは聞いていたが、ややこしいらしいので地図を頼りにセント・メアリ教会にたどり着く。教会の二階にいくつかの「教室」があり、これを借りる形でこの教会で挙式する新郎新婦のヘアメイクや着付けを行うのが店の仕事だ。

打ち合わせを終えて、帰りは近道を教えてもらいそのルートを辿る。教会のすぐそばから細い坂道が下に向けて降りている。所々階段になっている。降りると下の道路への出口に引き戸のついた門がある。門を出たところはさっきの暗闇坂の上り口だった。どういう権利関係になっているのか知らないが、これでは他所様の家の中を通るような感じで、なれない人がこの門を通って行こうと言う気にはなれない。麻布十番の商店街は、洗練された店と昔ながらの店とが混在しているようだ。さすがに土地柄外国人が多い。外国人といっても私の家の近くは韓国、中国などアジア系が主体だが、こちらはコーカシアンが中心だ。帰りは麻布十番から大江戸線に乗った。大江戸線の駅は南北線よりさらに地下深いところにある。ここから新宿までは10分程度だが、大江戸線の新宿駅は南口の方で遠いので、一旦都庁前まで行き、そこで反対方向に乗り換えて新宿西口まで。それでも20分はかからない。


June 24, 2004 =Thu=

参院選が公示された。3年前のこの日は大変だった。代々木駅前に選挙事務所を設け、出陣式は今の家に近い新宿税理士会館の前で行った。党本部に選挙7つ道具を取りに行った運動員たちが帰ってこないと式も始められない。7つ道具の一つである「標旗」がないと街頭での演説を行ってはいけないことになっているからだ。猛暑の中、携帯スピーカー用の電池を買いに走ったりしているうちに汗びっしょりになった。その前日には警視庁捜査二課からビラの内容に関して警告を受けてもいた。今年は幸いそうした仕事とは無縁でいられる。それにしても今度の参院選、鳥取と東京では定員あたりの有権者数が5.1倍だという。こんな状況をそのままにして選挙に関心を持てと言うのもどうかと思う。

またブッシュねたを一つ。

George W. Bush went to see the doctor to get the results of his brain scan. The doctor said: "Mr. President, I have some bad news for you. First, we have discovered that your brain has two sides: the left side and the right side."

Bush interrupted, "Well, that's normal, isn't it? I thought everybody had two sides to their brain?"

The doctor replied, "That's true, Mr. President. But your brain is very unusual because on the left side there isn't anything right, while on the right side there isn't anything left."


今日もイラクでは反米武装勢力による同時多発テロで多くの人たちが亡くなっている。


June 23, 2004 =Wed=

有楽町の交通会館の近くに無印良品の店があって、その隣に「紅虎餃子房」がある。友人とのランチにここを指定され、初めて入ったが味も雰囲気もなかなかいい店だ。近くなので時々利用できそうだ。


June 22, 2004 =Tue=

ケンタの役員であるY君、経理部長のN君と「響」の銀座三丁目店で会食。うちのオフィスの隣みたいな距離だが、結構流行っている店だ。先日はこのDiaryに苦情めいたことを書いたが、さっそく社内で対応してくれたようだ。こうした苦情はメールなどで毎日かなりの件数が寄せられるが、社長と監査役が自ら目を通しているという。鳥インフルエンザの影響などもあって、先行きは厳しいものもあるらしいが、何せ過去の蓄積が無借金経営を可能にしている会社だけに、われわれから見ると贅沢な悩みに思えるのだが・・

昨日の妻への話、某市の市長候補にというものだったが、結局他に有力候補が見つかって流れたということで、ほっとする。非常に親しい人からの話ではあるが、誘われるとすぐその気になるのは困ったものだ。


June 21, 2004 =Mon=

またしても妙なルートから妻への「お誘い」が。今度は年齢も考えて固辞するように言ってはあるのだが・・

June 20, 2004 =Sun=

日曜日なのにまたまた妻の仕事のてづだいを仰せつかる。6月になれば3月決算の会社の申告も済むので忙しくなくなると言っていたのに、4月決算でやっかいなのがあるとか。東京近郊のある資産家がアパート2棟などを持っており、これを法人組織にした会社だ。資産のある人にはある人なりの悩みや心配があるのだろうが、われわれと違って借金がなくて資産があるというのは結構な話だ。

そうした中で今日も夕飯は外食となった。日曜日のこのあたり、やはり閉まっている店も多く、といっていつものサイゼはもう飽きた。少し新宿駅方向に歩くと、小滝橋通りの右側に「類」という漢字一文字が店名になっている店があった。値段もリーズナブルそうなので狭い階段を地下に降りる。日曜日とて客もちらほら。カウンターの中には男性が二人だけ。ウェイトレスの姿も見えない。メニューを見ると結構凝った料理が、一品500〜800円見当で並んでいる。席も普通のボックス席のほかに、靴を脱いで階段を数段上がった高い席もある。高いところの好きな妻はさっさとそちらに腰を落ち着ける。とりあえずビールのほかに「風呂吹き大根」「雑穀のコロッケ」などを注文。和食ながら洋風のセンスも入れた、女性に人気のありそうな店だ。男性二人のうち、料理を運んできた年上の方がオーナーで、3年前に始めたそうだ。カウンターの板や、ちょっとした室内装飾にこだわりが感じられる。平日は5時から12時まで、日曜は11時まで。詳細はこちら


June 19, 2004 =Sat=

今読みかけているペーパーバックは、Dan Brownの"The Da Vinci Code"というやつ。たまたま近くの本屋の洋書コーナーにあったのだが、著者の名前も聞いたことがなかったものの、題名と"#1 New York Times Bestseller"という謳い文句につられて買ったものだ。今日のテレビを見ていたら、すでに翻訳が出ていて、日本でもベストセラーにランクインしているようだ。

ハーバードの「宗教象徴学」の研究家がパリで講演をし、その夜ルーブル美術館の館長と会う約束をしていたが館長は現れなかった。館長はルーブルの中で襲撃者に襲われ、展示されていた絵を引き摺り下ろすことで盗難防止装置を作動させたが、降りてきた鉄格子の中に閉じ込められてしまう。逃げ場を失った館長に鉄格子の外から襲撃者が銃を向ける。館長はあるグループに代々伝わる秘密を知る三人の中の一人だった。襲撃者はその秘密を聞き出そうとする。こうした場合、取り決めによって虚偽の情報を知らせることになっている。館長が虚偽の情報を教えると、襲撃者は「他の二人の言っていたことと一致する。これで秘密が分かった。」と言って館長を撃つ。弾は館長の腹部に命中する。襲撃者の言葉から、館長は他の二人が殺されたことを知る。自分が死ねば本当の秘密を伝える人間がいなくなってしまう。瀕死の館長は腹から流れる自分の血液を使って、自分の腹部にあるダイイングメッセージを書き付ける。

と、まだ最初の10パーセントも読んでいない。これからどういう展開になっていくのか知らないが、また読みきるには長い時間がかかりそうだ。

ところで、家の近くを歩いていて見かけた、写真の看板は何を言いたいのだろう?「我が町会ホットする町づくりに協力しよう 新宿警察署 新宿区役所 西新宿七丁目町会」とあるのだが・・・


June 18, 2004 =Fri=

ジョージ・W・ブッシュに関するジョーク2題。

Einstein dies and goes to heaven. Saint Peter says, "You look like Einstein, but you have no idea the lengths some people will go to, to sneak in. Can you prove who you really are?" Einstein ponders for a few seconds and asks, "Could I have a blackboard and some chalk?"
Saint Peter snaps his fingers and a blackboard and chalk instantly appear. Einstein proceeds to describe with arcane mathematics and symbols his theory of relativity. Saint Peter is suitably impressed. "You really are Einstein! Welcome to Heaven!"

The next to arrive is Picasso. Once again Saint Peter asks for his credentials. Picasso asks, "Mind if I use that blackboard and chalk?" Saint Peter says, "Go ahead." Picasso erases Einstein's equations and sketches a truly stunning mural with just a few strokes of chalk. Saint Peter claps. "Surely you are the great artist you claim to be! Come on in!"

Then Saint Peter looks up and sees George W. Bush. Saint Peter scratches his head and says, "Einstein and Picasso both managed to prove their identity. How can you prove yours?" George W looks bewildered and says, "Who are Einstein and Picasso?" Saint Peter sighs, "Come on in, George."
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A kid was sitting on his lawn with a box of puppies one morning. George Bush was on his morning run, accompanied by some Secret Service workers. Dubya asked the boy what kind of puppies were in the box.

The little boy said, "Republicans."

The President beamed, patted the boy on the head, and said, "Thatta boy!"

A few weeks later Bush was jogging again, this time with Dick Cheney in tow. Bush stopped at the boy's house, winked at Dick and said, "Hey kid, what kind of pupies are in the box?"

The boy said, "Democracts"

Bush looked crushed, saying, "What happened? A few weeks ago they were Republicans!"

The boy said, "Well, the puppies opened their eyes."



June 16, 2004 =Wed=

昨日ケンタの悪口を書いたら、さっそくY君からメールが届いた。秋口には中高年向けに和風チキンを売り出す予定があるそうだ。期待しよう。

入社二、三年目の大阪時代に上司だったIさんが亡くなって、今日がお通夜だ。前の会社のメーリングリストによる「ご不幸通知」が一昨日届いた。芦屋に住んでいるとばかり思っていたが、通夜、葬儀の斎場は埼玉県蓮田市とある。遠そうだなと思ってネットで調べてみると、大宮のすぐ隣でそんなに遠いわけでもなさそうだ。会社を一時間ほど早退して通夜に出かけた。

宇都宮線の蓮田駅というのでどんなローカル線かと思ったが、要は東北本線の一部なのだ。「栃木は東北じゃない。」という声に応えてJRが東北本線のうち上野から黒磯までの間を宇都宮線と呼ぶことにしたのだそうだ。宇都宮からこの線を通って「湘南新宿ライン」も走っているらしいが、どうして宇都宮が「湘南新宿」なのか、こっちも謎だ。ともかく上野から普通電車に乗り、蓮田で降りる。斎場までは西口からタクシーで10分とある。少し早く着いたのでコーヒーでも飲んでいこうと思ったら、本当にローカルな駅で西口の駅前には小さな食堂と雑貨屋など数軒の店があるだけで喫茶店は見当たらない。陸橋を渡って東口に行ってみると、こちらは広々とした駅前広場はあるが、やはりローカルな感じで大きな建物もない。しかし四・五回建ての細長く変った形の建物があり、その前にcafeの看板が出ている。2階に上がると思ったより広く、カウンターには洋酒のビンが並んでいる。丸いビルなので、半円形に駅前広場に面した窓がある。 窓際のテーブルには内容的にかなり固めの本が数冊ずつ置いてある。オーナーの趣味が感じられる店だ。

このカフェで黒ネクタイに変えてからタクシーに乗る。ほとんど信号もない一本道を車で10分というのはかなりな距離だ。Iさんは享年81歳ということで、会社関係者の出席は少ないだろうとは思っていたが、斎場には「歯科医師会関係」という受付はあるが「会社関係」というのはない。二人の息子が二人とも歯科医なのだ。周りの人たちはみんな互いに「先生」と呼び合っており、どうやら故人の会社関係者は私くらいで、ほかは歯科医師関係とご近所の人たちばかりらしい。式の始まる前のナレーションによると、故人は大正12年信州の生まれで、1941年に会社に入り、すぐに上海に配属されたそうだ。二人の息子の上に長女がいたが6歳のときに病気で亡くなったということも初めて聞いた。昔一度だけIさんの家に呼ばれて行ったときに、イラン時代のアルバムを見せてもらったが、Iさn夫妻が後に国を追われたパーレビ国王に謁見している写真を自慢にしていたのを覚えている。

故人を貶めるつもりはないが、大言壮語の癖がある割にはこせこせしており、あまり人望のあるほうではなかった。しかし性格はカラッとしていて悪い人ではない。大阪に転勤してきたとき、関西なら住むのは芦屋と決めていたらしく、人事と喧嘩腰で芦屋に借り上げ社宅を設営した。その後芦屋に家を買って住み着いていたが、長男の住む蓮田に移ってきたのは阪神大震災の数ヶ月前だったという。「先見の明」を自慢していたであろう顔が目に浮かぶ。合掌。


June 15, 2004 =Tue=

家の机に次いで会社のデスクも整理をはじめた。こちらはもうこれ以上放っておくと日常の業務に差し支えるという状況。ちゃんとした企業のようにそれぞれの部署で書類を保存すると言う慣習がないので、あらゆる書類が管理部、すなわち私のところに集まってくる。出来る限り押し返しているのだが、それでもどうしても仕方のないものや誰が担当なのか分からない書類は自然と溜まってくる。部下に整理をさせればよいのだが、そちらはそちらで手一杯の状況。そこでどうするか。本当に緊急、重要な書類はその都度処理するから、ほかのものはどうせ大した書類ではない。適当な期間ためておけば、時間の経過とともに重要性はさらに薄らぐ。そこでまとめておもむろにシュレッダーにかける。90リットル入りのゴミ袋2つが満杯になった。

今日は妻は会合で夜遅くなる。そのくせ事務所での仕事をこちらに押し付けている。そこで夕飯には久し振りにケンタのテークアウトを買って事務所で食べることにした。近く、ケンタの役員であるY君と会う約束もあるので、たまには食べておかないと。昔なら夕食なら3ピースは食べたが、カロリーが気になるこの頃では2ピースがせいぜいだろう。そこで2ピースとコールスローのセットとフライドポテトを頼むと合計で955円だという。出来上がるのを待つ間、どうも高いなと考えると、セットのはずのコールスローを別に加算しているらしい。指摘すると「あ、すみません」実際は770円ほどだった。しかし、今日の昼は銀座のワインハウスの日替わりランチで、「子豚のコンソメスープ煮・サラダ添え」にパンとコーヒーが付いて880円。銀座の真ん中で本格的なシャンソンの流れる雰囲気のいい店でこの値段では、ファーストフードはもう少し値段を考えないと太刀打ちできないのでは?少なくとも、油でギトギトなんだから、紙ナプキンくらいけちらないでもう二三枚入れてよ。


June 14, 2004 =Mon=

大阪の電気屋さんに17万円ほど送金した。八尾の実家では料理にはガスを使っていたが、年寄りの一人暮らしでは危ないので、火を使わないで済むIHクッキングヒーターというのを奨めていた。5月の連休に行ったときも電気屋でパンフレットを貰って来たが、母はそんなもの要らないと言っていた。そう言われると、こっちもIHヒーターなんて使ったことがないので、強くも言えなかった。しかし、連休の後、ガスを付けっぱなしにしたのを妹に見つかった。いくら元気といっても91歳だ。妹と相談してやはりIHヒーターを入れることにした。妹の友達が東芝関係の会社に勤めているというので、東芝のを入れてもらうことにした。知らなかったが、IHヒーターを入れるためには250ボルトの電源を新設しなければならないらしい。電源工事には申請書類等を含めて5〜6万円かかる。本体が15万円ほどだが、値引きしてもらって消費税込みで17万円ほどでできた。妹にいろいろ手配してもらったので、代金はこちらで持つことにした。やはり年寄りの一人暮らしだと、火の始末が心配の一つだが、これで火の問題だけはなくなったと思う。もっとも、使うには鍋も買い替えなければならないらしいが・・


June 13, 2004 =Sun=

会社のデスクもそうだが、家の自分の机の上が山のようになっている。いろんな書類や郵便物が、整理する暇のないまま積み重なり、何がなんだか分からなくなっている。年に何度か整理はするのだが、きれいにするとまたすぐに溜まってしまう。人のせいにするようだが、原因は大概妻なのだ。どこからか原稿の依頼を受けて、資料とともにどさっと持ってくる。それを締め切りが近づくまでやる気のないまま放っておく。そうするとそこに次から次へと色んなものが積み重なっていく。郵便物など内容の推測がつくものは封さえ切らないこともある。都度捨てればいいようなものだが、もしかして必要になるかもと思うと、どうしても積み重ねておいてしまう。今日は一念発起してつくえのうえのものを全部床にぶちまけ、まず机の上だけはきれいにしたうえで、床に落とした書類を区分けし、残すものは分類し、捨てるものはシュレッダーにかけるという作業を始めたが、シュレッダーは過熱して時々停まるし、分類する方は面倒になってまとめて一山にしてしまう。もう午前1時をまわったが半分も片付かない。


June 11, 2004 =Fri=

7時前まで仕事をしていると携帯が鳴り出した。大学の同期会の常任幹事であるY君から。「もうみんな集まってるぞ。」そうか、今日だったんだ。大学の12回生ということで毎月12火が定例会の日。今月は12日が土曜日なので一日繰り上げて今日がその日。出席の返事を出していながら忘れていた。しかし定例会場の大学のクラブは歩いて15分の国際ビル地下2階。雨の中を急いでいくと珍しく12人も集まっていて、大声での議論が部屋の外まで聞こえてくる。それぞれに会社社会で競争を潜り抜けてきた連中だけに、何人かが議論の主導権を奪おうと大きな声を張り上げる。(それほど大した内容の議論をしているわけではないのだが)こうなるとそれに対抗する気力もなく、黙って聞いているほうが楽だ。損害保険会社を定年退職し、文筆業を目指していたU君が、大学の東京オフィスの開設準備室コーディネーターと言う役に就いた。神戸の大学の地盤沈下を食い止めるため、東京からの受験生確保と卒業生の就職支援など、大学のイメージアップに役立てようと言うボランティア活動だが、これについても議論百出だった。


June 10, 2004 =Thu=

ボルネオへの機中と、ビーチでのくつろぎの合間にと軽い読み物を持っていった。高杉良の「小説・ザ外資」。経済界の実話を元に、悪役と正義漢を配し、男女関係を織り込んでエンターテイメントに仕上げるのはこの作家の常套手段だ。今回の背景はプリンストン債と長銀破綻。

ハーバード・ビジネススクールでMBAを取った主人公は、経営が傾きかけた東邦長期信用銀行(
日本長期信用銀行以下青字はモデルとなった実在の機関や人名)を辞め、ダイヤモンド・ブラザース=DB(ゴールドマン・サックス=GS)のニューヨーク本社でインベストメント・バンキング・ディヴィジョンのVPをしている。ある朝、セントラルパークでジョギング中に巨漢とぶつかり怪我をしそうになる。巨漢はヴィクトリア・エコノミクス・インターナショナル・リミテッド(プリンストン・エコノミクス・インターナショナル・リミテッド)の会長、マイケル・パターソン(マーチン・アームストロング)と名乗る。パターソンは主人公に自分の会社に来るように誘うが、彼にはDBで手がけているトロフィーディール(大仕事)がある。それは米国製薬会社の大型合併案件だった。DB内部での陰湿な嫉妬と日本人蔑視から上司とライバルが組んでトロフィーディールを横取りされたことを知った主人公は、パターソンの誘いに乗り、ビクトリアの日本法人であるグレース証券(クレスベール証券)の副社長となって東京に帰る。それはパターソンの若い妻ジャネットとの情事から逃れ、離婚した妻に引き取られた娘に会いたいという気持ちからでもあった。ところが、グレース証券に出社してすぐ、グレース証券の最大商品であり高利回りで人気のあるヴィクトリア債(プリンストン債 )の最大顧客である大手飲料メーカー・ラクレル(ヤクルト)の副社長で、国税局出身の熊野晴樹(熊谷直樹)に多額のリベートが支払われていることを知る。私募債であるヴィクトリア債の目論見書を見てその胡散臭さに気づいた主人公は、グレース証券の社長やパターソンがやり方を変えようとしないと知ると、一週間でグレースを辞め、以前合併案件を手がけた縁で米国製薬会社の日本法人に就職する。その頃、古巣である東邦長期信用銀行(東長銀)は主人公の親友などが再建に奔走しているが、ついに公的管理に陥り、DBをアドバイザーに雇った金融再生委員会の手で米国のファンドであるアップルツリー・ホールディングス(リップルウッド・ホールディングス)に売却される。新東長銀の社長にはシチズンバンク(シティバンク)の在日代表だった山崎義雄(八城政基)が就任、彼が最初にやったのはアップルツリーのCEOであるジョン・ワドリー(ティモシー・コリンズ)らに巨額のサービスフィーを支払うことだった。新東長銀発足の記者会見に臨んだのは山崎社長のほか、シニアアドバイザーに就いた前米FRB議長ロバート・スタイン(ポール・A・ボルカー)、非常勤取締役に就いた経団連会長の井川司(今井敬)、元住之江銀行(住友銀行)副頭取で旭日ビール(アサヒビール)名誉会長の広瀬治雄(樋口廣太郎)、光陵商事(三菱商事)会長の牧田勉(槙原稔)らであるが、彼らを操っていたのはDBで主人公を騙した元上司のランリネイ(この人物にモデルがいるのかどうかは不明)だった。「瑕疵担保条項」という爆弾を抱え、外資にとっては宝の山となる新東長銀の行く末を見限り、最後まで残った親友も同行を去ってロンドンに就職。主人公はグレース証券での社長秘書だった女性と再婚し、ハワイで挙式するが、そこでかつて関係のあったパターソン夫人ジャネットと再会する。

と、筋を追いながらモデル探しをするのもこの種の小説の面白さではある。しかし、ティム・コリンズと最初に組み、彼を日本に連れて来たのは、確かに光陵商事ならぬ三菱商事であり槙原さんだが、この小説は外資=ハイエナという一般受けする単純な論理に余りにも偏りすぎているように思う。


June 9, 2004 =Wed=

三菱自動車の欠陥隠しに始まる不祥事露見が止まらない。昨日今日のニュースでは、三菱自動車から三菱ふそうトラックの株を買い取って筆頭株主となったダイムラー・クライスラーが、三菱ふそうの欠陥隠しで損害を受けたとして200億円にのぼる損害賠償を請求するとか、三菱自動車の前社長が逮捕されるとかで、これでは再建計画を実行する余裕すらないだろう。

わが古巣も三菱自動車の大株主であるばかりでなく、品川に新築した自社ビルの下半分を同社に貸しているため、テレビニュースの都度そのビルが映し出され、イメージの悪化をもたらしている。商社の中では圧倒的に勝ち組と言われ、現在の株価もトップを維持しているものの、足元をすくわれることがなければよいが・・・


June 8, 2004 =Tue=

木曜日から昨日まで、営業日にして3日休んでいると、想像していた通り仕事はたまっている。何とか片付けて家路につき、妻の事務所に電話を入れると、「早く帰ってきて。匹野さんが家に来るから。」と。匹野さんは妻と同業の税理士で、40代の独身。目下花婿募集中。仕事はかなりのやり手で、公認会計士の川村さんと組んで税理士法人を設立、東京・麹町の事務所のほか、岡山県と名古屋に支店を持つ。はっきりものを言うので政治家との付き合いもあり、妻の選挙では中心になって活躍してくれた。今日は妻が出席したセミナー会場がたまたま匹野さんの事務所の近くだったので声をかけたそうだ。月に二回だけ着てくれるお手伝いさんが食事を作ってくれているので、わが家で三人で夕食。

前の会社で後輩のN君から、子会社へ出向の挨拶状が届く。


June 7, 2004 =Mon=

熱帯雨林地帯のボルネオなので、確実に雨に降られるだろうと予測していたのに、雨具を持っていくのを忘れていた。ホテルの売店でレインコートを買おうとしたら、えらく嵩張る中国製のが3000円くらいするのでやめた。しかし、滞在中、夜中には雨が降ったらしいが、昼間の行動中まったく雨にはあわずにすんだ。飛行機が成田に着いたとき、本格的な降りになっていた。だが、リムジンが新宿に着いたとき、雨は上がり陽も射していた。


June 6, 2004 =Sun=

5日のツアーと言っても初日は飛行機の中でホテルにつくのは夜。最終日は夜中に出る機中泊で朝に日本着ということで、実質現地にいるのは3日だけ。その意味で今日が最終日だが、ホテルのチェックアウトタイムが正午なのに飛行機の出発予定時刻は夜中の0時30分。そこで、午前中はホテルのプライベートビーチで過ごし、午後のリバーサファリツアーに参加、そのまま飛行場に直行することにする。

プライベートビーチは一昨日の午後は引き潮だったが今日は満潮で少し波が大きい。相変わらず海には人影は少ない。いい年をして二人で波と戯れる。今日は水中眼鏡をかけていたので水に潜ってみるが、岩や水草のない砂地ばかりの海底には魚の姿はない。と思ったら、目の前をゆらゆらと通り過ぎていくものがある。よく見ると体調15センチほどのクラゲだ。刺されたらやばい、と思って横の方に泳いでいくとそこにも形の違ったクラゲが。急いで海からあがると、そろそろチェックアウトの支度をしなければならない時間なので帰ろうとすると、看板にJelly Fishの文字があるのに気づく。「刺されたら酢で中和させること。重症の場合は医師と相談すること。」とある。海に人が少なかったのはこのせいか、とやっと気がつく。

正午のチェックアウトでその後は部屋がつかえなくなるので、今日帰るメンバーの大半はこの午後のツアーを利用するのかと思っていたが、集合時間が近づいても仲間らしき人はいない。ガイドが迎えに来るが、このツアーに参加するのはうちのホテルではわれわれだけだ。いつもは市内のステラ・ハーバーから順に来てわれわれは後の方だが、今日は方角が逆なのかわれわれのネクサスが最初で、次に巣ステラハーバーに向う。ステラハーバーには同系統のホテルが2軒並んでおり、最初のホテルで30歳くらいのカップル、次のホテルではスキューバダイビングが趣味とか言うやはり30歳くらいのカップルと若い女性二人組みで計8人。スキューバの男の方はおしゃべりな奴でずっとしゃべってばかりいた。これでステラ・ハーバー、ラサリア・シャングリラとわれわれのネクサスの3つのホテルを眼で見たことになるが、やはりネクサスが一番いいホテルのようだ。

今日のツアーの目的は、まず天狗サルを見ること、次に夜になってからホタルを見ることだ。本当はボルネオに来てオランウータンを見たかったのだが、オランウータンを見るツアーは飛行機でサンダカンまで行かねばならず、朝5時半頃の出発で値段も高いので諦めた。(もっとも後でガイドブックを見ると、ラサリア・シャングリラの裏山でウランうータンの餌付けを見ることができたそうだ。)今度のツアーも船でマングローブの中を進むのだが、乗り場までが結構遠く、3時間くらい猛スピードで車を飛ばす。船着場がレストランにもなっており、そこでアフターヌーンティを済ませた後で救命ベストを着けて乗船。同じ船にはわれわれ8人のグループとガイドのほかに、外人のカップルとそのガイドが乗る。うちのガイドはいい加減なやつで、往復の車の中ではずっと眠っているし、船の中でも説明が全然ない。それで外人のカップルに説明する英語のガイドの説明に耳を傾ける。

天狗ザルはなかなか見つからない。観光客用に飼っているのではなく、自然なままに生息しているのを観察するのkだから、見つけるのが難しいのも仕方がない。やがて船長がエンジンを止め、岸近くに舟を寄せる。「あ、いたいた」と声が上がる。遠くの樹に一匹、二匹。だが遠くて天狗ザルの特徴である高い鼻は識別できない。ガイドから借りた双眼鏡はなかなか焦点を結ばない。ガイドの言うにはあれはメスで、鼻が本当に高いのはオスのほうだとのこと。何度かの遭遇のうちに、ようやくサービス精神のある?サルを見つけて写真を撮ることが出来た。

帰り道は真っ暗になっている。やがてマングローブの樹にかすかな光が見える。ホタルだ。どの樹にもいるわけではなく、水分を多く含んだ若いマングローブを選んでホタルが集まる。このため特定の樹がクリスマスツリーのように光って見える。「蛍川」などの映画のせいか、樹がまるまる光に包まれる姿をイメージしていたが、さすがにそこまではいかず、闇の中の一本の樹にキラキラと点滅が見られるというのが正確なところ。

舟を降り、さっきお茶を飲んだ船着場で夕食となる。ビュッフェスタイルのマレー料理。隣室では地元民が民族楽器を演奏している。食事の後、妻がえらく乗って、グループの連中を踊りの輪に引き込んでいた。


June 5, 2004 =Sat=

マレーシアで一番高いキナバル山(4,095m)は先住民の言葉で「祖先の住む山」というような意味らしい。人が死ぬとその魂はキナバル山に登る。そこで良い魂は天国に送られ、悪い魂は参上の岩から突き落とされて地獄に落ちる。可もなく不可もなしのその他大勢の魂はキナバル山にとどまるそうだ。火山ではなく褶曲によって出来た山だが、富士山よりも高く、形も複雑なので登りにくそうだが、実際には富士山よりも簡単に登れるという。登るには二日かかりで、まず3,000mまで登ってそこの登山小屋に一泊し、日の出に間に合うよう頂上をめざす。これは富士山と同じだが、富士山7合目の登山小屋がシーズンにはぎっしり詰まって身動きできないほどの雑魚寝になるのに対して、こちらは二段ベッドだが必ず一人に一ベッドが確保される点が違う。一昨年富士山に登ったときは、腰痛のためコルセットをつけていたせいもあって、山小屋では本当に身動きが出来ず、単に身体を横にして数時間を過ごしたというだけだった。登山道もラッシュアワーのような込み方で、隣に居た外人が"Never again!"と呟いていた。コタキナバルは、大部分に階段が付いており、一部ロープを使うところもあるが、ロープと言ってもロッククライミングをするわけではなく、緩やかな勾配の坂道をロープ伝いに登っていく写真が出ていた。

今日は別にこのキナバル山に登るわけではなく、キナバル山を中心にしたキナバル国立公園へのツアーだ。今日の参加メンバーは60代半ば過ぎのおじさんと30歳くらいの女性。最初はわけありのカップルかとも思ったが女性の方がおじさんを関西弁で「おとん(お父さん)」と呼んでいる。聞いてみるとおじさんは大阪・生野区に住み、東京で働く娘と二人でやってきた。「おかん(お母さん)」はシンガポールに行ってきたばかりで、「犬がいるから夫婦では旅行できまへん」とのこと。もう二人は奈良市からきた女性の二人連れ。一方われわれは妻が神戸出身だし私も大阪育ちなので、期せずして関西人6人のグループと言うことになった。こうなると関西弁が幅を利かせ、昔はバイリンガル?だったのに今は関西弁が口から出てこなくなった私は少し違和感を覚えた。父娘は市内に近いステラ・ハーバーホテル、女性二人はわれわれのネクサスリゾート・カンブラナイよりも市内から離れたラサリアリゾート・シャングリラに泊まっている。だいたい、今回のHISツアーのメンバーはこの3つのホテルに分かれて泊まっているらしい。

ホテルから二時間余りかけて、まずは朝市を見学。昨日のマングローブクルーズから見たキナバル山は雲がかかっていたが、今日のキナバルは曇り空ながら山頂まではっきりと見える。朝市は何も変哲のないが一軒だけツバメの巣の専門店があり、15リンギット(450円)でツバメの巣のスープを飲ませてくれる。ツバメの巣自体は味がないが、氷砂糖で飲みやすくしている。

再びバスで植物園に。ここには広いキナバル公園に分布する植物を集めている。世界最大の花ラフレシアを見れないかと期待したが、これは残念ながらいつ咲くか分からない。今の予想では明日から5日間に見られそうだとのこと。やはりラフレシアは写真でしか見ることが出来なかった。しかし植物園の入り口にある建物に並べてある写真から判断する限り、滅多にみられない幻の花という感じではなく、タイミングさえ合えば比較的容易に出会えそうだ。代りに食虫植物のウツボカヅラや、揺らすと下の顎だけが揺れて笑っているように見えるlaughing orchid(笑う蘭)など珍しい植物に出会う。ウツボカヅラ(左の写真)は、深い袋の中に弱酸性の液体が入っていて、中に入り込んだ虫を消化してしまう。蓋がついているので雨が降って中の液体を薄めてしまうことはないらしい。ちなみにラフレシアも独特のにおいを出してハエを惹き付けるが、これはハエに花粉を運ばせるのが目的であって、ラフレシアそのものが食虫植物というわけではない。蘭は花の大きさが数ミリという小さなものから、1本が50万円はするという豪華なものなどたくさんの種類がある。ほかにも大きなぜんまいや、バナナの花など。

中華料理店で昼食の後、バスで1時間半ほど走るが、それでも同じキナバル公園の中。吊り橋を渡るCanopy Walkまで坂道を登るが、昼食のときに飲んだビールの良いが回ってきたのと蒸し暑さとで汗が止まらない。やっとのことで吊り橋のところまでくると、順番待ちの人たちが列を作っている。順番を待つ間も風がなくだらだらと汗が流れる。吊り橋は高い樹と樹の間を50メートルほどの間隔で3つが繋がっている。つなぎ目のところは小さな小屋になっているが、この小屋は高い樹の幹の上にある。高さは一番高いところで40メートルほど。ビルの12階くらいの高さだが、吊り橋がネットに囲われているのでさほど恐怖心は感じない。

吊り橋が終わるとポーリング温泉。ここは戦争中に日本軍が発見した温泉だと言う。硫黄泉だが硫黄の匂いはそれほど強くない。今日は土曜日でマレーシア国王の誕生日の休日であるせいか、地元の人たちの家族連れが多い。家庭用の風呂ほどの大きさに仕切られた深い湯舟にお湯をため、家族で浸かっているのだが、どの仕切りも人で埋まっている。水着を着て入るのだが、地元の人たちは服のまま入っている。どうもわれわれ観光客が入る雰囲気ではないが、「ここまで来て入らんかったら大阪人の沽券にかかわりますがな」というおじさんの一言で6人とも水着に着替える。どこもいっぱいなので、最初は子供用のやや広い湯舟に入るが、はしゃぎまわる子供たちに水しぶきをあびせられる。そのうち、地元の人たちが開けてくれた湯船に6人が立ったまま入るが、深い湯舟に温泉の蛇口とそれを薄める水道の蛇口からちょろちょろと出る湯水では、なかなかお湯が溜まりそうもない。やっと膝辺りまで浸かったところで風呂を上がった。

ホテルに帰ったのは7時ごろ。1階にある「オリーブ」という地中海料理のレストランに予約を入れる。リゾートホテルにしては案外ちゃんとしていて、部屋にあったビーチサンダル履きで行った妻は靴を履いてくるように言われて部屋に引き返す場面も。ラムの炭火焼とサーモンのステーキを注文。まずまずの味だった。


June 4, 2004 =Fri=

最初の日の朝はゆっくりしようと、9時55分出発のマングローブツアーに参加。市内のSutera Resortに泊まっている若いカップルと4人でのツアー。夫の方が建築事務所勤務で、会社の旅行に共働きの妻が同行し、同僚とは別行動ということらしい。ホテルの近くから船でメンカボン川のマングローブの森をクルーズ。マングローブは熱帯、亜熱帯の川と海の水が交じり合う汽水域に分布し、魚や甲殻類、軟体動物など多くの生き物の棲家となっているが、燃料として火力が強いため伐採されたり、マングローブの生える湿地帯に海老の養殖場が作られ、病気予防のための抗生物質で環境が荒らされ、マングローブが死滅するなどの危機が心配されている。それだけにマングローブが元気な場所は環境が損なわれていないとも言える。この辺の事情は、妻が1992年に社会人入試で専修大の経済学部に入学したとき、教材になった岩波新書の「海老と日本人」に詳しい。妻が大学の授業だけでは理解できないと言うので、仕方なく私もその本を読んで解説してやったので覚えているのだが、肝心の妻の方はまったく覚えていないと言う。

出発してすぐ、蟹をとる網を仕掛ける。かごの中に死んだ魚をいれ、浮きをつけて海に沈める。船頭がマングローブの樹からマングローブの種子をとってくれる。種子と言っても長さが50センチ以上あり、先端に茶色で硬い帽子のようなものがついている。これで芽を保護している。かなり長いので機内持ち込みのバッグには入りそうもないし、第一、植物検疫にひっかかるだろうから日本に持っては帰れないだろう。養殖場で魚や貝の養殖の様子を見学し、舟は水上生活者の村へ。トタン屋根の水上生活者は貧しそうに見えるが、実際は自家発電装置をそれぞれの家が備え、テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機なども備えているそうだ。石油や天然ガス、それにマハティール政権による経済運営の成功もあるのだろうが、マレーシアは他の東南アジア諸国と比べて経済的にかなり恵まれているようだ。マレーシアの熱帯雨林というと、日本商社による木材資源伐採、これに伴う環境破壊がRAN (Rainforest Action Network)など環境団体の批判の対象とされてきたが、現在はマレーシア政府が伐採を禁じており、私が前に居た会社も横浜国大教授(当時)の宮脇博士と組んで「マレーシア熱帯雨林再生プロジェクト」に取り組んでいる。これは、破壊された熱帯雨林に単に樹を植えるのではなく、その土地に元来生えている木々を混植することで自然に近い熱帯雨林を短期間に開腹させるプロジェクトであり、私が監査のため出張したチリの植林事業でも小規模ながら同様の試みが行われていた。

もとの乗船場所近くに戻ると、さっき仕掛けてあった網を引き上げる。二つのかごには申し合わせたように中サイズの蟹が一匹ずつかかっている。ガイドの説明だと一つは川蟹、もう一つは海の蟹らしい。われわれが居ない間に一匹ずつ入れておいたのではないか、などとは言わないことにしよう。舟を上がるとパテック(ろうけつ染め)制作体験だという。どうせ土産物屋に連れて行かれて制作の真似事をしてパテックを売りつけられるのだろうと思っていたが、実際はもっと素朴で、船着場の横手に置かれたテーブルで、あらかじめ蝋で描かれた簡単な図柄に用意された幾種類かの絵の具で色をつけるだけ、つまり塗り絵である。パテックの押し付け販売など一切なし。その後は近くの海鮮レストランで昼食。茹でた海老が食べきれないほど山盛りになっている。

コタキナバルも海辺のリゾートであり、マリンスポーツも売り物で、島巡りのオプショナルツアーもあるのだが、今回はそうしたのには参加せず、この日の午後などあいた時間をホテルのプライベートビーチで過ごすことにした。このホテル、敷地がやたら大きくて3,350エーカーあるそうだ。もちろんゴルフ場もついている。私たちの泊まっている新館はすべて海側に面しており、白砂のプライベートビーチも広大だが、ほとんど人がおらず、専用ビートと言った感じだ。海に入ると結構遠浅だがどこまでも細かい白砂で、岩や水草が全く見られない。水はとてもきれいなのだが、砂が細かいために浅いところでは波で海底の砂が舞い上がり、濁って見える。

海から上がって日陰のビーチチェアに寝転んで、日本で買ってきた高杉良の文庫本「ザ・外資」を読んでいたら、妻がなかなか来ないのに気づいた。もう一時間ばかりも波打ち際に座り込んでいる。日焼け止めは塗っているとはいえ、直射日光の下にあまり長くいるのは良くないと思って見に行くと、砂浜に穴を開けてもぐる小さな蟹を夢中で観察している。体長1〜2センチの小さな蟹が、砂浜に掘った穴の周りに数ミリの砂の玉をいくつも作っている。私の意見では、崩れやすい砂を穴からかき出して、蟹の出す分泌液か何かで固めて玉にしているのだと思うが、一時間余り観察していた妻が言うには、玉を作っているのは穴からかき出した砂ではなく地表の砂を集めたものだと言う。蟹はメスで、卵を一粒ずつ産み、それを少しでも外的から守るために砂をかき集めて保護しているのだと主張する。何でも母性の美学に結び付けようとする魂胆なのかもしれないが、ありえないことではないと思う半面、蟹の卵ってたしか甲羅の裏にびっしりとついているはずで、それを一粒ずつ産むっていうのもイメージとしておかしいような気もする。

夜は、HISから一回分だけスチームボード(海鮮しゃぶしゃぶ)の券をもらっていたので、これを使うことに。食事は無料だが、店はシャトルバスのある市内からも離れており、ホテルからだとタクシーで40分くらいかかる。民族舞踊のショーも付いているが、これはどこでもあるようなもの。


June 3, 2004 =Thu=

歩いて15分弱で成田空港行きのリムジンバスの乗り場に着く。8時40分発のバスで空港第2ターミナルへ。海外に行くにも都心に住んでいると便利だ。HISのカウンタで例によって航空券だけを受け取る。ここのシステムは、現地に着いてみて初めて同行者がわかる。いつもは目印にバッジを付けさせられるが、これが不評なのか、今回は少し目立った形のボールペンを渡され、現地ガイドが見分けられるようこれを胸ポケットにさして置いてほしいとのこと。コタキナバル直行のマレーシア航空MS-81便は定刻通りに出発、定刻の現地時間18時15分より少し早めに着く。ほぼ満席だがB-777機なので窓側の二人掛けA席とC席が並んで取れた。

コタキナバルはマレーシア・サバ州の州都。サバ州とサラワク州は北ボルネオにある。グリーンランド、ニューギニアに次いで世界で三番目に大きな島であるボルネオは、インドネシアではカリマンタン島とも呼ばれ、南側はインドネシア、北側がマレーシアで、サラワク州の一部に食い込む形でブルネイがある。インドネシア側がオランダの植民地だったのに対して、北ボルネオは英国の植民地であり、第二次世界大戦中には日本軍が占領したが、戦後、マレー、シンガポール、サラワク、サバがマレーシア連邦を結成、その後シンガポールが脱退して現在の形になった。天然ガスで世界有数の金持ち国になったブルネイに近いだけあって、石油や天然ガスの産出で潤い、義務教育や医療は無料になっている。一方、サバ州東部のサンダカンあたりは、所得水準の高さに惹かれたフィリピンからの不法移民も多く、治安が悪化しているところもあるという。

コナキタバル空港に着き、機内持ち込み荷物だけなのでさっさと外に出て例のボールペンを目印に胸に挿すと、さっそくHISの現地係員が声をかけてくる。今回のツアーはHISの特別商品で割安感があるらしく、結構参加者が多いが、泊まるホテルや日程も同じではない。われわれの泊まるNexus Resort Karambunaiは20人くらい。空港からはバスで40分ほどかかる。コナキタバル市内からも30分ほど離れたリゾートホテル。ホテルに着いて部屋の鍵を受け取り、明日からのオプショナルツアーをガイドに申し込む。夜なので全貌はわからないが、かなり大きなホテルらしく、割り当てられた新館の8526号室(8は新館、5階の26号)まで行くのに随分歩く。全室が海に面しているようだ。

機内で遅い昼食をとったし、明日からは朝昼晩と食べ過ぎる可能性もあるので、今夜は夕食は抜くことにし、ホテルとは別の建物Borneo Spaにあるマッサージに行くことにした。昔、同じマレーシアのクアラルンプールで街中の足裏マッサージに行ったらものすごく痛く、その分終わったあととても気持ちが良かったので、今回も足裏マッサージとボディマッサージを頼んだ。Spaは池をあしらったホールにマッサージベッドをいくつも配し、男女別の更衣室と浴室がある。風呂とサウナのあと、ホールに行き、足裏マッサージ。ボディマッサージは個室に移る。足裏は以前のクアラルンプールの店のようにはいかなかったが、全体としてまずまずだろう。マッサージの後、ホテルのラウンジで生演奏を聞きながらトロピカルカクテルで乾杯。


June 2, 2004 =Wed=

小学校6年生の女児が学校の中で同級生の女児にカッターナイフで頚動脈を切られ殺されると言う、何とも痛ましい事件だ。妻に先立たれ、男手一つで被害児童を含め3人の子供を育てた毎日新聞の支局長でもある父親が、報道陣の責務として記者会見する姿が痛ましい。しかし、加害者側の親も何とも居たたまれない気持ちだろう。この事件の原因は、ウェッブ上のチャットでのトラブルにあるらしい。小学生がチャットをこなすと言うのは、こちらが時代遅れなのかもしれないが、それ自体驚きでもある。ネット上の言葉のやり取りが、相手の顔が見えないこともあって感情的にエスカレートするのは「2ちゃんねる」などを見ていてもよくあることだ。これが他人を傷つけていないか、このようなDiaryの書き手としても十分注意する必要があるのだろう。

明日からは、ネットとはおよそ関係がないであろうボルネオに行く。政治の世界と別れた妻への慰めの意味もある。7日に帰ってからバックデートして更新するかも知れませんが、しばらくDiaryの更新を休みます。


June 1, 2004 =Tue=

わが家から大久保駅南口までは徒歩5分余り。道の両側は小さな飲み屋やラーメン屋、怪しげなエステサロンなどが軒を連ねている。いかにも安っぽい店が多いが、覗くと結構人が入っている。通りには国籍の不明な人たちが様々な言語を使いながら行きかう。租界地のような雰囲気すらある。この道を突き当たり、高架下の改札口を反対側にわたると、一転して寂しくなるが、駅の右手の角を左へ、新大久保方面に曲がると、今度はラブホテルなどとともにいかにも場末と言った感じの店が並んでいる。そんな中にタイ料理店「クンメー」がある。

ここは支店で、新大久保の方にある本店はもっと広いそうだが、家からはこちらが近い。メニューを見ると、あたりの場末の雰囲気にふさわしからず、決して安くはない。だが、注文したトムヤムクン、サテー、それに海老のすり身を食パンに盛り付けて胡麻をふって揚げたものなど、味の方はなかなかのものだ。とくにトムヤムクンは美味しい。家のすぐ近くのピッチーファーと比べると、店の雰囲気はだいぶ落ちるが、味は負けていない。椅子の数は20人分ほどだが、今日はわれわれのほかに客は居なかった。タイ人のウェイター君は拓殖大学で国際開発学部に学ぶ学生だそうで、「卒業したら日本の会社に就職したい。だが、将来はタイに帰って働く」という。このところヘビーな食事が続き、カロリーも摂りすぎなので、少な目の夕食で切り上げ、怪しげな通りを通って家路につく。



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