October 31, 2004 =Sun=
妻は今日、神戸高校の同窓会のゴルフに行く予定だったが、朝早くに電話がかかってきて雨のため中止になったらしい。確かに夜中にかなり強い雨が降っており、明け方には雷も鳴っていたが、天気予報では9時ごろには雨が上がることになっており、事実そうなったのだが。
イラクで武装勢力に拘束されていた青年が殺害された。昨日はバグダッド北方の町で東洋人と思われる男性の遺体が見つかり、これが拘束された青年と特徴が一致するという米軍情報に日本政府が振り回され、結局別人、それも東洋人ではなくアラブ系の男性だったことが判明したが、今日になってバグダッド市内で首を切られた男性の遺体が見つかり、今度は件の日本青年と確認された。テロに屈して要求を呑むのはもちろんよくないが、ブッシュの間違った判断による戦争に無条件で追従したコストがどのようなものだったか、この国の政治家はよく考えるべきだ。また、拘束されて自衛隊撤退要求を突きつけられた時点で、小泉首相は「撤退はない。」と言い切ったが、あの時点では「48時間以内」という撤退期限を引き延ばすような、ほかの言い方はできなかったのだろうか。
スポーツジムに行くときに通る、青梅街道より一本南の道、片側は新宿アイランドタワーとヒルトンホテル、反対側は新宿三井ビル、新宿住友ビルから第一生命ビルと続くが、この広い通りの歩道の欅並木が結構いい感じだ。まだ葉は色づいていないが、これが黄色になって落ち葉が舞い散る景色は去年も美しかった。
October 30, 2004 =Sat=
前にいた会社から大きな封筒で郵便物が届いていたので、何だろうと開けてみると「経理部OB会名簿」が入っていた。添えられた手紙では、「経理部OB会は144名のご出席を頂き盛会のうちに滞りなく終了させて頂きました。」とある。欠席者にも名簿を送ってきてくれた。このOB会、これまでは毎年出席していたし、今度も確か出席の返事を出していたはずだが、決算でバタバタしているうちに忘れてしまっていた。昔一緒に仕事をした人たちと顔をあわせたかったのだが。来年からは原則として10月最終週の金曜日に開催することになったそうだ。
October 29, 2004 =Fri=
天皇主催の秋の園遊会で、東京都教育委員を務める将棋の
米長邦雄が、「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させるのが私の仕事です」と言ったのに対して、天皇が「強制は望ましくない」と返したという。当然のことだ。国歌の歌詞はどう屁理屈をつけようと天皇賛歌であり、さすがに天皇もこれを国民に強制させるのは忸怩たるものがあるのだろう。「国旗国歌法」なるものが制定された際、当時の政府は「強制はしない」と言っていたのに、最近の東京都、とくに教育委員会の押し付けは目に余る。天皇発言が政治介入ととられないように、今度は政府の側が「これまでも強制はしないと言ってきているので、天皇発言はこれに沿ったもの」と沈静化に躍起になっているのはこっけい極まりない。都教委がなぜあんなに国旗・国歌強制にこだわっているのかだが、もちろん第一の理由は右翼知事石原慎太郎へのご機嫌取りだろう。しかし、石原と並んでこれに拍車をかけている人物が、何と民主党の都議の中にいるという。板橋区選出の土屋敬之という男で、いつも石原の尻尾を追いかけているらしい。民主党には自由党が民主党に合流したときに入り込んできた西村慎吾などという右翼議員もいるが、土屋は1997年に都議に初当選したときから民主党公認だった。民主党の中にも「土屋敬之を落選させる会」というのが出来ているようだが、こんなのをいつまでも抱え込んでいてほしくない。それにしても、園遊会でのこの天皇発言、朝日、毎日、日経、東京などの新聞は取り上げているのに、国旗・国歌問題でいつもうるさい読売・産経は記事検索をかけても全然出てこないのはなぜだろう。しかし、将棋の米長が教育委員になっていて、それが国旗・国歌強制を自分の仕事だと思っているのは意外だった。あんたの仕事は将棋を指すことじゃなかったの?
October 28, 2004 =Thu=
23日の新潟の地震では、土砂に埋もれた車に乗っていた母子3人のうち2歳の男の子が昨日、4日ぶりに救出されたが、母親と3歳の女の子は助からなかった。亡くなった人はこれまでに35人にのぼる。
昨日、思いがけず両親の古い知人の関係者に会ったことから思い出したのだが、うちのルーツは新潟らしい。父や母から聞いた断片をつなぎ合わせると、新潟の片貝というところに「太刀川」という家があった。太刀川家の何番目かの息子・保三は、神戸の片山春海という漢学者のところに養子に入った。当時は長男は徴兵が猶予されるため、長男でない男性が徴兵を免れるため、子供のいない家に長男として養子に入ることが多かったらしい。これが父の父、つまり私の祖父に当たる。養子は便宜的なもので、祖父は神戸でなく東京で暮らしていた。太刀川家は太刀川海運という船会社を興し、祖父は外国航路の船長として羽振りが良かったらしく、祖母から聞いた話だと、いわゆるタニマチとして初代の朝潮関を贔屓にしていたらしい。しかし、祖父は父が生まれた後早世する。父のアルバムには立派な口ひげを蓄えた祖父が、まだ幼い父と写っている写真があった。残された祖母は太刀川家から父を貰い受けたいと要請されたが断固拒否して女で一つで父を育てる。だが、母から聞いたところでは、祖母が太刀川家に資金援助を頼みに行ったこともあるらしい。太刀川汽船は戦後の海運再編の中で山下新日本汽船の前身のどこかに吸収されたそうだ。山下新日本汽船はその後、ジャパンラインと合併してナビックスラインとなり、それも三井OSKに吸収された。
ところで、太刀川家の出所である新潟県の「片貝」は、多分、「小千谷市片貝町」のことだろう。だとすると、まさに今回の地震の中心に近い。小千谷市では昨日現在でまだ水道はほぼ全域で断水状態だという。片貝町は片貝祭りの花火で有名で、ここも去年のNHK連ドラ「こころ」の舞台となっている。しかし、地図をよく調べてみると、新潟県にはもう一つ「片貝」という地名があった。「岩船郡関川町片貝」という地名で、山形県との県境に近い山の中だ。山形県の米沢から新潟県の坂町に通じる米坂線という鉄道の「越後片貝」という駅がある。わがルーツはどちらの片貝か分からないが、暇になったら「片貝」をたずねてみたいと思う。新潟にはこれまで、新潟市だけ2度出張でいったことがあるだけだ。
October 27, 2004 =Wed=
こんなこともあるのだろうか。今日、銀座1丁目のスナック「裕」という店に昼飯を食べに行った。勤務先の副社長が東商の議員選挙に立候補し当選したのだが、銀座界隈の東商会員企業に票の供出を依頼する手紙を出したのに対して、締切ぎりぎりにこのスナックのママが票をくれた。お礼の電話をしたら、「昼も営業してますので是非一度おいで下さい。」といわれていたので、今日行ってみた。銀座も本通りと違って昭和通りの方は結構庶民的な感じだ。昭和通りに面した雑居ビルの一階の奥のほうにその店があった。
戸を開けるとカウンター席ばかり10席くらいの小さな店で、1時過ぎていたせいか誰も客がいない。カーテン越しの調理場から60代半ばくらいの女性が出てきた。「昼食、まだやってますか?」「どうぞ、カレーと牡蠣フライだけですが」牡蠣フライ700円の定食を頼む。優しそうなおばさんだ。名刺を出して東商選挙協力のお礼を述べる。「いろんなところから頼んできたけど、昔おたくの美容室には行ったことがあるし、女性だしね。」「商売のほうはどうですか?」「このところ夜は暇なんで、家にいてもしようがないからお昼もやってるんですけどね。この辺も食べ物屋は多いからなかなかね。」「夜は暇ですか」「昔はもう一軒店があって、夫も旅行会社をやっていたので株式会社にしてたんですよ。だから商工会議所にも入ったんだけど。不況になると飲み屋も旅行会社もどっちもダメだから。」「一人でやってるんですか?」「若い子もいたんだけど、売上より給料が多いんでやめてもらいました。常連さんだけで家賃が払えればまあいいかってもんで。常連さんも以前は課長さんや部長さんだったのがみんな定年になって。部下の人たちが引き継いでくれるってこともないんですよ」
そのうち話題は個人的なことに。「うちの両親は大阪と京都なんですけど、父が東京に出てきて私たち子供は東京生まれです。」「へえ、じゃあ私と反対だ。私は日本橋茅場町の生まれだけど、戦災で大阪に引っ越したんです。」「茅場町っていえば、うちの父は茅場町にあった東洋ホテルの支配人をしていましてね。」「え?私の父も東洋ホテルに勤めてました。」「えーっ!じゃあ片山さんって、もしかして片山保昌さんのお子さん?」驚いた声で尋ねられたが、これにはこちらも驚いた。何の縁もなさそうなスナックのママから亡き父の名前が出てくるとは。
几帳面な父は、昔からの知人への年賀状を欠かしたことはなかった。ママは、年賀状の束を開けると、父の年賀状は表書きを見ただけで分かったという。それだけでなく、昔の上司であるママの父上・上田虎三氏とはその後も親しく交際していたようで、父上は父の縁で深谷の加々尾さんのところにも訪ねていったことがあるという。加々尾とは私の母の姉で、私たち一家が戦時中そちらに疎開していたことがある。ママは、私の母とも電話で話したことがあると言っていた。それにしても客商売をやっていると記憶力が高いのだろうか。私の父の名前、叔母の名前、母が住む大阪の地名など、すらすらと出てくるとは。
家に帰って大阪の母に電話した。「上田虎三さんって知ってる?」「知ってるも何も、私たちの仲人だよ」私の両親は二人とも東洋ホテルに勤めていて、社内結婚だったのだ。虎三さんは小柄な父と違って大柄で背も高く、声も大きかったという。父と母が所帯を持ったあとも、よく茅場町の家を訪ねて見えた。大阪出身の虎三さんは東京暮らしが長いのに大阪弁がちっとも直らない。茅場町の小さな家で、大きな虎三さんが大声で大阪弁をしゃべるので、近所の人たちはみんな珍しがったという。われわれが戦後、大阪に移ったあとも東京から訪ねてこられたことがある。そういえば、東京からのお客さんで大きな声の人がいたことをかすかに覚えている。虎三さんの長男、つまり裕のママの兄さんが、外資系の石油会社にいて、サウディあたりに駐在していたこともあったらしい。母が、ママの名前を聞くので「裕紀子」さんだというと、「ああ、ユキちゃんね。覚えてるよ。」大阪へ来たら是非寄ってもらうようにとの言付けだ。母も余りの偶然に驚いていた。
October 26, 2004 =Tue=
OSの再インストールで復活したPCだが、まだ二つばかり問題がある。一つはPCでテレビを見られないこと、もう一つはマウスの調子がおかしいことだ。
テレビを見られないのは、大体原因が分かっている。OS再インストールの後、いろんなアプリケーションを再インストールして、最後にTV視聴ソフトをインストールしようとしたのが間違いだった。先に入れたソフトのどれかにビデオキャプチャーデバイスが入っていたらしく、TVソフトのキャプチャーデバイスと競合してドライバがインストールできないのだ。前に入ってしまったドライバをアンインストールしようとしたが、普通なら右クリックすれば「削除」を選択できるはずなのに「削除」の選択肢が現れない。プロパティを覗くとドライバの場所が「不明」となっている。どうやら幽霊のような実体のないドライバが組み込まれ、削除も出来なくなっているらしい。これは、もう一度OSから再インストールをやり直して、最初にビデオキャプチャードライバを組み込む必要があるらしい。
問題はマウスのほうだ。これはOS再インストール前から症状が出ていたのだが、光学式マウスの電源が止まってしまい、マウスが利かなくなるのだ。USBハブの差込口を変えてみるとまた動き出すのだが、しばらくすると再びとまってしまう。どうやらマウスそのものの欠陥らしい。マウスを変えてみようとビックカメラに行ってみると、このごろのマウスは昔のようなボールを転がす方式のは見当たらず、すべてが光学式、それもほとんどがワイヤレスになっている。昔は安いのは数百円からあったが、今のは安いのでも3000円前後する。家に古いマウスがあったはずだと思って買うのをやめる。家に帰って古い部品を入れた段ボール箱を探してみると、まず出てきたのが箱に入った新品のマウス。ところがこれはUSBどころかPS2でもなく、シリアルでつなぐタイプ。これではなんぼ何でもと思ってさらに探すと、箱の下のほうから薄汚れたUSBマウスが出てきた。ボールを取り出してみると、ボールを受ける3本の軸に埃がびっしり溜まっている。電気剃刀用のブラシを使って掃除し、USBハブにつないで見ると、少しぎごちない気もするが、一応ちゃんと動いた。光学式やワイヤレスなど高度なものでなくても、「所詮」マウスはマウスなのだ。
October 25, 2004 =Mon=
アメリカ大統領選選挙まであと8日。アメリカ人よ、もう変なのに大統領続けさせないで。あなたたちだけでなく、世界が不幸になるのだから。
こんなサイトがある。ネタ元は三流紙ではない。ちゃんとした「アエラ」です。これを見れば"bush"の意味も分かる。
October 24, 2004 =Sun=
昨日の地震は震源地の新潟県中越地方ではかなりの被害をもたらした。地震の強さという点では阪神淡路大震災とさほど変わらなかったのではないだろうか。それでも亡くなった方の数が阪神淡路より2桁少ないのは、片や神戸という都会、こちらは過疎の農村地帯という違いなのかもしれない。地震の被害が大きかった中に、「
山古志村」というところがある。どこかで聞いたような名前だと思ったら、去年のNHKの朝の連ドラ「こころ」の舞台となった場所だ。冬は豪雪となる。確か、ドラマでもやっていたが、鯉の養殖でも有名なはずだ。小千谷、六日町など、このドラマの舞台となった市町村が軒並み今度の地震でやられている。それにしてもテレビニュースでは人たちは、公民館などに避難した人たちが寒さと空腹を訴えている。救援物資の配送が行き渡らないらしい。過疎地でおきた大災害という面もあるが、もう少し機動的な救援ができないのだろうか。阪神大震災のときのように1月だったら、もっと大変なことになっていたかもしれない。
October 23, 2004 =Sat=
台風の影響で野菜の値段が高騰している。特にレタスなどは壊滅的な被害を受け、卸値は台風前の7倍になり、店頭価格は一玉1000円以上になるという。そんな中、アパート1階のスーパーが今日、「野菜の大放出」をやるというチラシを妻が見つけ、「これ、買ってきて」。妻は新宿区主催の「小泉八雲の『怪談』映画上映」の抽選に当たったので出かけなければならないとのこと。スーパーへ行くと、野菜を求める客でパニックが起きている・・・ほどではなかったが、いつもの土曜の午前にくらべてさすがに客足が多い。トマト大玉1個88円、キャベツ一人2個限り1個150円、ほうれん草も一人2袋限りで1袋198円など。レタスは1000円ではなく480円だったが、それでも普段よりかなり高いのでやめにした。
スポーツジムでいつものメニューをこなし、風呂に入った後、化粧室で頭を整え終わったのが6時過ぎ。休憩室のテレビを見るとアナウンサーが緊迫した声で「崖などには近づかないでください。」などと言っている。地震でもあったのかなと画面を見ると、数分前に新潟県中越地方で震度6強の地震とある。へー、強い地震だったんだな、と思っていると「各地の震度」が出た。「震度4・東京23区」そんな、まったく気がつかなかった。回りも「地震だ〜」などという声は起こらなかった。このスポーツジムは住友ビルの敷地の中の地下にあるので地震の揺れは少ないのだろうか。外に出て、信号待ちをしていると、若い人たちが「さっきの、ずいぶん揺れたな」「あの後の余震も大きかったよ」などと話している。余震だって?それにも気がつかなかった。この前、家の近くにある妻の事務所で地震にあい、ずいぶん揺れたように感じたが、それでも震度は3だった。震度4でアパートの19階にいたらどのくらい揺れたんだろう。
アパートに帰り、2階のロビーで夕刊を読んだあと、部屋の鍵を開けると、家の中で何かががたがたと音を立てている。鍋が煮え立っているような音だ。妻は出かけているはずだし、なんだろうと思って中に入ると音がますます大きくなる。壁にかけた額が揺れて音を立てているのだ。この額の揺れは我が家の地震計でもある。揺れはだんだんと大きくなり、なかなか収まらない。立っていられないほどでもないが、身体がぐらぐらと揺れる。テレビをつけるとすぐに地震情報が出てきた。今回も東京23区は震度4だそうだ。さっきの疑問「震度4で19階ならどのくらい揺れるか」に早速答えが出た。まあ、棚から物が落ちてくるなんてことはなかった。
テレビは夜中まで新潟の地震のニュース一色だが、まだ被害状況はまとまっていないらしい。
October 22, 2004 =Fri=
会社帰りにビックカメラに立ち寄り、ICレコーダを買う。実は妻が今度は芝居に出るとかで、その練習用にいるのだというのだ。町田にいた頃、ご近所に高須さんという女性がいて、元、ジェームス三木などと劇団をやっていた。妻が町田市議選に出たとき、ボランティアで演説の際のしゃべり方や訛りの矯正の指導などをやってくれた。生徒が悪いので余り効果は上がらなかったが。その人が杉並に引っ越していったが、われわれもその後を追うように衆院選のために杉並に引っ越した。2000年の衆院選で落選の後、妻は高須さんの劇団が杉並の区民ホールで演じた素人劇で主役に引っ張り出された。その縁で、こんどもまた引っ張り出されることになった。芝居といっても出演料がもらえるわけではなく、逆に出演料を支払って出ることになる。高須さんはもう70歳くらいになるが、今でも役者をやっているせいかとても若く見える。6年前、町田にいた頃はベンツの赤いスポーツカーを運転していた。
ところでICレコーダだが、私はかなり前に買った東芝製のを持っている。スマートメディアに記録するタイプのものだが、古いので音質も操作性もよくないし、時々は電池が入っているのに電池切れのマークが出るなどの問題もあるので、新しいのを買うことにした。ICレコーダのコーナーには安いものから高いものまで、結構いろんな機種が並んでいる。メーカーは、ソニー、パナソニック、オリンパス、サンヨーなど。メカに弱い妻が使うので、できるだけ操作性のよさそうなものをと店員に聞いたら、オリンパスのがいいという。なぜ操作性が良いかというと、本体の側面に並んでいる「録音」「再生」「早送り」などのボタンが、昔のテープレコーダと同じ配列になっているからだそうだ。昔のようにメディアを差し込むのではなく、内臓メモリだけで長時間録音が可能になっている。PCにはUSBでつないだクレードルに乗せてデータを転送する。同じタイプの3種類のうちで一番安い
DM-10というのを19,800円で買った。妻に操作を覚えさせるのがまた一苦労だろう。
October 21,2004 =Thu=
あれれ、どうしたんだ。アクセスカウンタが一日で60も上がっているぜ。昨日、ブッシュのジョークを書いたので、大統領選挙を前にCIAあたりから調査が入ったのだろうか・・・まさかねえ。メールを開いてみてその原因がわかった。
ycasterこと伊藤洋一さんに出したメールに返事が来ている。そのリンクを見ると、彼の"Day by Day"に私が送ったメールと写真が引用されていて、ご丁寧にこちらのサイトをリンクしていただいている。要はこういうことだ。伊藤さんが最近北京を訪れ、故宮でラスト・エンペラー愛親覚羅溥儀の甥で一流の書家という人物に出会い、その書を買ったと"Day
by Day"に書いていた。それを読んだ人から「私も故宮で溥儀の甥に会った」と写真を送ってきた。ところがその写真は伊藤さんが会った人物とは明らかに異なる。"Day
by Day"には二つの写真が並べられている。そういえば私が4年前に北京へ行ったときも、ガイドがやはり溥儀の甥という書家を紹介した。確かそのときの写真があったはずだと探したら、これが"Day
by Day"の二つの写真のいずれとも違う。その写真をメールで伊藤さんに送ったら、それをまた"Day
by Day"に載せていただいたというわけ。
今でも住友信託の住信基礎研究所の現役主席研究員である伊藤さんは、最近はキャスターやコメンテーターとしてテレビでお目にかかることが多いが、ネットの世界ではカリスマ的存在で、"Day
by Day"のアクセスは一日数千に上るらしい。"Day by Day"を読む人は多いが、そのリンクまでたどる人なんて50人に一人ぐらいだろう。私のサイトに一日で60ものアクセスがあったというのは、伊藤さんのサイトに3000人くらいがアクセスし、そのうち50人に一人がリンクをクリックしたということになるのだろうか。まあ、一日だけの現象だと思うが。伊藤さんとは直接お会いしたことはないが、メールでは何回かやり取りがあり、また、前に東高円寺に住んでいたときは、家もご近所だったらしい。
台風一過で青空が広がっているかと思ったが、朝は外に出たら雨が降っていて、また19階まで傘を取りに戻らざるを得なかった。雲の間から青空が覗いたのは一時過ぎに昼食に出た時だった。朝は家から歩いて10分余りのエステック情報ビルにある取引先のリース会社に顔を出し、そのついでに同じビルの5階にある三越診療所に寄って、先週の血液検査の結果を聞いた。血糖値は依然として高いものの、前回より心持ち改善しているとのこと。その代わりというか赤血球やヘモグロビンの値が少なく、貧血気味だと言われた。
October 20, 2004 =Wed=
Bushネタ。
(1)
Campaigning in Iowa yesterday President Bush vowed he will not raise taxes
in the next four years.
He said "I believe it is hard, very difficult to raise taxes when
you are not president."
(2)
President Bush says in the last month he has created 300,000 new jobs.
Yeah, they're called Kerry campaign workers.
(3)
Tonight's debate was what they called the town hall debate. Both candidates
were seated on stools.
It was funny, from force of habit, Bush said 'Scotch and water, hold the
ice.'
October 19, 2004 =Tue=
また大型の台風が本土に接近している。この前の台風は、首都圏を直撃したものの、こちらは九州に行っていて、帰り着いたのは台風が通り過ぎた後だった。帰りのフェリーが出るかどうかでやきもきはしたものの、うまく台風をかわした形だったが、明日はまともに直撃されるのだろうか。家にいて19階の高みから見ているだけならいいが、仕事ではそうはいかないようだ。
October 17, 2004 =Sun=
今日もスポーツクラブへ行った以外は昨日に引き続いてPCの調整で時間をとられた。プリンタドライバの設定とかメールの設定とか・・・準備万端整えてやったはずが、後になってみるとミスが多い。一般のデータは外付けハードディスクにバックアップをとったものの、メールを忘れていた。Windowsの問題が生じてOfficeを再インストールしようとしてまずOffice関連アプリケーションを案アンインストールしたのだが、メールソフトに使っていたOutlookもOffice製品であることをうっかりしていた。そのためOutlookもアンインストールされてしまい、これまでのメールのやり取りやメアド帳、それにメールサーバへの設定なども失われてしまった。さらにやっかいなのが、これもうっかりしていたのだが、Webサーバへのアクセスに必要なIDとパスワードもFTPソフトに登録したまま再インストールをやってしまったのだ。メールサーバもWebサーバもアメリカのInterlandという会社に置いている。しかしよく出来たもので、このInterlandのサイトに行って自分のアカウントリソースを調べてみると(アカウントにアクセスするIDとパスワードは別に控えてある。)そこにちゃんとメールサーバ名やWebサーバへのアクセスIDなどが保管されていた。というわけで今もWebの更新には支障はない次第。
October 16, 2004 =Sat=
今日は第三土曜日で出勤日である上、決算の最中とあっては休むわけにもいかず、定刻どおりに出勤。帰宅してからWindows
XPの再インストールに取り掛かることにした。まずDellのマニュアルを見ると「Windowsの再インストールはDellのサポート担当者の支持がない限り行わないでください。」と書いてある。OSの再インストールくらいで何を大げさな、と思ったが、Dell独自の仕様があるのかも知れず、こうしたことを無視してやると後で痛い目にあうので、Dellのサポートに電話したがこれがまたつながらない。Dellのサポートに電話するには「サービスタグNo.」というのを調べなければならないが、Dellのサイトに入るとちゃんと個別のサービスタグNo.が書いてある。こういう点はさすがDellと思うのだが、フリーダイヤルの番号ににかけてもずっと話中。有料番号にかけたがつながったものの「担当者はほかのお客様と対応中です。電話をお切りになると順番が最後になってしまいます。必ずお繋ぎ致しますのでそのままきらずにお待ちください。」とのテープメッセージ。30分ほどそのまま繋げていたが、馬鹿らしくなっていったん切った。その後フリーダイヤルにかけなおすと、今度はつながったものの同じテープメッセージ。フリーダイヤルだからいいかと、スピーカーフォンに切り替えて放っておいたら、なんとそれから2時間ほどたって繋がった。
最初に電話の件で嫌味を言ったら相手は恐縮してしまい、一応状況を説明した上で、「マニュアルにサポートの指示がない限り再インストールするなと書いてあるけど、何か指示してくれることある?」と聞いたら、「いえ、お客様のような状況なら再インストールしかないと思います。どうぞ進めて下さい。」と対話は1分で終わった。
以前のWindows98の時も再インストールしたことがあるが、このときはこちらが慣れていないせいもあってか、結構大変だった記憶がある。そもそもWindowsをハードディスクにインストールしないとPCはCDドライブを認識しない。WindowsのプログラムはCD-ROMで提供されている。再インストールするにはハードディスクの中身をすべて消さなければならないので、そうなるとPCはCD-ROMを読むことができない。そこで、「起動用フロッピーディスク」を作り、最小限のプログラムでCDドライブを認識させるか、あるいはCD-ROMを50枚あまりのフロッピーディスクに分けてコピーしておけ、というような話だったと思う。だが、今度のXPではさすがにそんな面倒な方法ではなくなっている。起動時にBIOSをちょこちょこと触って、まずCDドライブから起動できるように設定するだけだ。
再インストールの方法自体は簡単になったが、何しろ昔と比べてハードディスクの容量が大幅に増えているので、ハードディスクの初期化だけでも時間がかかるし、その後のドライバやアプリケーションプログラムのインストールも単純作業だが時間がかかる。とうとう午前3時になってしまった。しかし、Windowsは元通りになったし、今回のトラブル以前からもWindows起動時に出ていた「何とかが足りません」というメッセージもなくなった。いろんなアプリケーションを手当たり次第に入れていたのが、必要なものだけにするなど、すっきりした内容になった。変な話だが、便秘が治ったようなすがすがしい感じだ。これなら年に一回くらいOSの再インストールをするのも悪くない。
October 15, 2004 =Fri=
少す体調が悪く、ちょうど常用しているコレステロールコントロールの薬も切れかけているので、朝、エステック情報ビルの三越診療所に立ち寄る。先月来たときに、次回は朝食を抜いてくるように言われていたので、朝抜きで行って血液検査をしてもらった。結果はすぐには出ないが、先日の旅行で体重もリバウンドしているので、あまり良い結果ではないだろうと思う。
今住んでいるアパートのの内装を変えて、ワードロープや本棚、机などを作り付けにしようという計画を進めている。アパート建設後のアフターサービスのために常駐していた住友建設の社員の紹介で、下請けを紹介してもらった。いままで、妻が交渉の前面に立っていたが、今夜、その住友建設のT氏が来て、図面を検討したら、あれれ・・電話やLANやTVアンテナや電源をまとめたマルチコンセントがどの部屋も作りつけ家具でふさがれる形になっているではないか。この点は最初から気になっていて妻には何度も念押ししていたが、どうもよく伝わっていなかったらしい。結局夜の12時までかかったが、改めて検討しようということになった。
T氏と話していて分かったこと。現在、アパート前の道路(通称:税務署通り)を拡幅工事中だが、その道路を隔てた北側一帯を開発し、高層ビルや中層ビルを建てる計画が進んでいるらしい。うちのアパートの一階にある食品スーパーもそちらに移転し、その跡は別の店舗が入ることになるかもしれないという。今は下がスーパーで買いものみ便利だが、どんな店が入ることになるのだろうか。まあどうせ2〜3年は先のことになるのだろうが。
October 13, 2004 =Wed=
会社からの帰り、閉店間際のビックカメラに飛び込んで外付けのハードディスクを買った。BuffaloのHD-250IU2、機種名通り250ギガバイトで25,800円。今のDellのコンピュータに内蔵されているのが120ギガだから2倍以上ある。これならデータのバックアップには十分だし、再インストール後も使い道は多い。さっそくデータのバックアップをとった。いまのままではメールも見ることが出来ない(メールソフトはOutlook
ExpressではなくOfficeファミリーのOutlookを使っているので、Officeをアンインストールしてしまった今では使えない。)ので、早く何とかしなければならないが、OSを再インストールするとなるとじっくり取り組まなくてはならないので、もう少し時間のあるときにやることにしよう。
10年以上前、初めて個人で使ったパソコンはNECの98Noteで、20メガバイトのハードディスクが付いていた。画面はモノクロ。カラー画面のは息子に買ってやったFMVだったろうか。カラーと言っても16色。息子がゲームに飽きて使わなくなったので私が使うことにした。ハードディスクはなくフロッピーディスクドライブが二つ付いていた。片方にプログラムファイルを入れ、もう片方にデータファイルを入れる奴だ。OSはもちろんMS-DOS。秋葉原のソフマップに行って中古のハードディスクを買ってきた。170メガバイト。すごく大きいと感じた。筐体を開けて何とかハードディスクを取り付ける。動いたときは感動した。ダイヤルアップでニフティにつなぎ、PCのフォーラムからフリーのメニューソフトをダウンロードした。いくつかのソフトをメニューに登録し、そこから起動できるようにした。ワープロは一太郎だった。他にも初期のバージョンの表計算ソフトやデータベースソフトもあったが、正直言って違法コピーしたものだった。1ギガは1000メガだから、今度手に入れたHDはあの頃の1500倍ということになる。まさに隔世の感だ。
October 12, 2004 =Tue=
コンピュータがどうやら完全にいかれてしまったらしい。先日、Windows updateでSP2にアップデートした際、ウィルスチェックソフトを無効にせずに行ったのが理由と思われるが、そのためにOffice系のソフトを起動するたびに認証を要求されるようになた。その都度42桁の認証番号を打ち込むのはたまらないので、一旦Officeをアンインストールした上で、改めて再インストールしようとしたが、これがまた大間違い。再インストールでプロダクトキーを聞いてくるのは当然として、プロダクトキーを入力すると「プロダクト コンプリアンス チェック」というダイアログボックスが現れ、「お使いのコンピュータに正規の製品を見つけられませんでした。」と来る。OfficeがXP
Professionalのアップグレード版なので、アップグレード前の正規製品がコンピュータにインストールされていないとアップグレード版をインストールできないということなのか?その前のバージョンもアップグレード版だったから、それをインストールするにはもう一つ前の製品から入れなおさなければならなかったりして。その間にも昨日インストールした「マイクロソフト マネー」のインストーラが立ち上がり、インストールの準備を始める。Windows自体がおかしいのでインストールが正常に行われなかったらしい。まったくコンピュータ自体が精神分裂病になってしまった。こうなったらOSの再インストールから始めなければならないみたいだが、ハードディスクに溜まった膨大なデータを避難させなければならない。とてもじゃないがCD-Rに書き込める量ではない。DVDでもやっかいだ。となるとこの頃安くなった外付けハードディスクを買ってくるしかないか。それにしてもコンピュータってやつは進化したら進化したなりに世話が焼ける代物だ。
October 11, 2004 =Mon=
「体育の日」の休日。決算が心配なので休日出勤をしようかとも思ったが、じたばたしても始まらないと決めて、スポーツジムへ。昼を抜いたのと、ジムでエアロバイクを320Kcal分とアクアサイズ、水泳とかなり真面目にやったおかげで体重のリバウンドは解消した。帰りにビックカメラに寄って久し振りにアナログで写した写真の現像を頼み、ついでに資金管理ソフト「Microsoft
Money」を買う。先日可能になったインターネットバンキングで、銀行口座明細を「Microsoft
Money」にダウンロードする機能があることが分かったからだ。妻の税理士事務所の資金・経費管理に使えるかもしれない。というよりも最近はこれといって欲しいソフトも見当たらず、何か目新しいものはないかと探していたところだった。
October 10, 2004 =Sun=
台風一過で秋晴れの船旅・・・と期待したが、朝方はうす曇。朝食後はもう一度寝ると言う妻を残して読書三昧。喫煙所に空いていた椅子をデッキに持ち出して人の来ない隅のほうで"The
last juror"のページをめくる。昨夜は夕食後することもないのですぐに寝た。台風の後だけあって揺れはかなり大きかったが、すぐに寝てしまったようだ。目が覚めると夜中の3時過ぎ。トイレに行ってまた横になったが寝付けないので一時かんばかりベッドに寝たまま本を読む。そのうちまた眠りに落ちたようだ。船で寝泊りするのは、エーゲ海クルーズのときと、息子が一人でパナマにやってきたときに連れて行ったガラパゴス諸島の旅のときと二回だけ。国内では初めてだ。この船はカーフェリーであり観光目的ではないのだが、エーゲ海でもガラパゴスでも船のデッキには必ずベンチがあって、みんな船室よりもそこで過ごしていたし、昼食などはデッキで食べていた。ところがこの船はデッキは広いのに椅子一つ置いてない。最初のうちはデッキに日が射していたが、やがて曇ってきて、そのうち猛烈な雨になった。ちょうど近くのゴミ箱のそばに天井の付いている場所があったので、飛沫は多少飛んでくるものの、そこまで来る人はいなくなり、読書に専念できた。この旅行中に読み進めたのは100ページほどでまだ全体の2割強といったところだが、今回の舞台はミシシッピー州の田舎町の地方新聞社。前作の"A
painted house"(アーカンソーの綿花畑が舞台)といい、どうもジョン・グリシャムの作風が変ってきたのだろうか。
ともあれ船は定刻に川崎港に到着。日曜でバスもなかなか来ないようなのでタクシーで川崎駅へ。新宿駅に着けばわが家みたいなもの。西口の回転寿司で腹ごしらえをして帰宅。旅行をすると体重が大きくリバウンドする。
October 9, 2004 =Sat=
今日、夕方のフェリーは出航と決まった。別府の「海地獄」を見た後、
湯布院を自由散策。湯布院は最近急に有名になった温泉地だが、今回は泊まりでなく1時間ほどの散策だけ。歩いているうちに町が経営しているのか男湯と女湯、それにいくつかの家族風呂をリーズナブルな料金で提供している施設を見つけたが、その時点では自由時間はあと30分程しかなく入浴は諦めた。
その後、阿蘇の
草千里に行ったが一面に霧が立ち込めていてまったく視界がきかず、昼食をたべただけ。晴れていれば雄大な展望が広がっていたはずだが。最後に立ち寄った
高千穂峡は、さすがに神話の地だけあって異様な姿の峡谷だった。
バスが宮崎港に着く前、
シーガイヤの横を通る。例のリップルウッドが買い取ったレジャー施設。これもバブルの遺産だ。なぜこんなところに高層ビルがあるのだろうと思っていたのがそうだった。一応、客室にはかなり灯りがともっていたから、そこそこ人は入っているのだろう。
帰りの船は
潟}リンエクスプレスが運航する"Phoenix Express"三菱重工下関造船所の建造で11,580d、船体の長さが170b、乗客定員660名、最高時速26.2ノット。2等C寝台というのは大部屋の2等よりは1ランクだけ上という部屋で、二段ベッドが通路を隔てて左右に6組ずつ計12組、24人分が一部屋になっている。今日は空いているからと、全員が下段のベッドとなった。まあ、ベッドごとにカーテンとランプは付いている。もう一つ上のランクはB寝台で、こちらは和室の4人部屋、その上がA寝台で洋室二段ベッドの余4人部屋、一等になると二人部屋でツインベッドにバス・トイレ、冷蔵庫にテレビが付く。さらに特等室だとこれにベランダと応接セットが付くという。食事は朝・昼・晩ともバイキング形式で合計3000円の別料金。ここも経営が苦しそうだと他人事ながら心配になる。
October 8, 2004 =Fri=
今年最大級の台風22号が接近している。昨日は晴れていたが今日は台風の影響か雲が厚く、時に小雨が降る中をバスで長崎に向う。トイレ休憩を兼ねて立ち寄った江崎鼈甲店で従業員と立ち話。ここの店は建物自体が県の指定文化財になっているほどの歴史があり、代々世襲されてきたが、現在の店主には男の子がおらず、世襲が途絶えることになる。それもさることながら、鼈甲の材料であるタイマイがワシントン条約で捕獲禁止になっており、毎年の会議でその年に捕獲が許可されるかどうかが決まるものの、事実上原料供給は途絶えている。まだこれまでに仕入れたものが残っているが、これがなくなれば原料面から伝統工芸はストップせざるを得ない。鼈甲細工自体、伝統工芸とは言うものの外来技術であり、タイマイも昔から日本では獲れない。現在はキューバ近辺のものが上質とされている。(そういえばキューバのそばのケイマンに行ったとき、海亀の養殖を行っていた。)
平和公園にも修学旅行生たちの姿が多かった。平和公園への道すがら、
永井隆博士が住んだ如己堂の横を通る。博士の「この子を残して」に出てくる二人の子供さんと最後の日々を過ごした場所は、本当に二畳の広さしかない。「
長崎の鐘」の歌とともにバスガイドの朗読する一節に涙する。
柳川の「
御花」で鰻せいろ蒸の昼食を食べる頃から雨が激しくなってきた。ここは旧柳川藩主の立花家の別邸で、現在はレストランや結婚式場などに使われているが、松涛園という庭園が見事だ。食事を終え、ビニールの雨合羽を着込んで柳川下りの船に乗る。本当は柳川駅近くの乗船場から乗って「御花」の方に下るのだが、今日はスケジュールの関係で逆の方向、つまり「下り」ではなく「上り」になる。それだけ船頭さんは大変だが、私と同い年くらいの船頭は軽妙な語り口で乗客を笑わせながら掘割に船を進める。柳川はいわずと知れた北原白秋の生まれ故郷。船の進路のそこここに白秋の歌碑が立っている。中学生の頃、先生に命じられて校内放送で白秋の詩の朗読をやったことがある。読んだのは「
邪宗門秘曲」「
落葉松」そして「舟唱」・・・今でも好きな詩だ。
あかしやの金と赤とが散るぞえな
かはたれの秋の光に散るぞえな
片恋の薄着のねるのわがうれい
曳船の水のほとりをゆくころを
やはらかな君の吐息の散るぞえな
あかしやの金と赤とが散るぞえな
夜は別府温泉の
ホテルおにやま。ここの露天風呂は広々している。露天風呂から石段を十数メートル降りた滝湯もいい。夕食のときに注文した冷酒もおいしかった。ただ、台風22号のため、明日宮崎から帰るフェリーが出るかどうか分からない。欠航となれば飛行機に変更となり、差額一人3万円程度の負担となる。今日のフェリーは欠航したそうだ。携帯の天気予報では宮崎は明日の昼頃からは晴れるはずなのだが。
October 7, 2004 =Thu=
決算で忙しいのだが、今日から休暇を取って九州へ。この頃なら決算も目処がついているだろうとだいぶ前に予約していたので、いまさらキャンセルも出来ない。まずはJALで長崎空港。そこからバスで佐世保のハウステンボスへ。今日は一日中ハウステンボスですごすことになる。宿泊は日航ホテル。よかった。全日空ホテルだとうちの会社の店が出ているのだった。このハウステンボスというところ、オランダの町を再現したテーマパークだ。大村湾の水を引き込み、運河を張り巡らせてアムステルダムを思わせる街並みやハウステンボスの名前の由来である「女王の館、つまりオランダ王宮を再現させている。とてつもなく金をかけたバブルの賜物だ。確かに建物は周囲の環境も含めてオランダそのものだ。オランダには昔ヨーロッパの片隅に住んでいた頃、家族連れで行ったことがあるし、90年代にも仕事で訪れている。そのときも王宮の近くに行ったが、ハウステンボスに再現された王宮も雰囲気は実に忠実に捉えているようだ。しかし、いかんせん忠実な再現と言ってもしょせんはfakeにすぎない。世界共通のハードに加え、優れたソフトでリピーターを確保しているディズニーランドと異なり、fakeのハードだけでは二度来ようという客は余り居ないだろう。ウィークデイということもあるが、修学旅行生と台湾か中国あたりからの観光客でかろうじて生きながらえているという感じが強い。それをもっとまともに感じたのは夜になってからだ。ホテルでの夕食の後、夜もイベントがあるというので広場に行ってみた。前の出し物が終わったあとで、それでも舞台の前に並んだ椅子には何人かの観光客が残っている。聞いてみるとこのあとすぐに次の出し物があると聞いたと言う。そこでわれわれも椅子に座って待っていたが、舞台では前の片づけが終わった後も動きがない。おかしいと思って舞台の袖に居る係員に聞いてみると、あと2時間ほどは何もないという。夜に人をひきつけようと思うなら、次から次へとつないで行かなければみんな帰ってしまうだろう。われわれも二時間も付き合えないのでホテルに引き上げた。園内を運行するバスは走っているが、それに乗って回っても人気が少ない。「千と千尋の神隠し」の冒頭に出てくる「バブル後に行き詰って閉鎖したテーマパーク」の不気味さそのものだ。ハウステンボスそのものも、そこで経営しているホテルや業者も、将来の不安を抱えつつ何とか経費の切りつめと集客増を天秤にかけながら、苦しい日々を過ごしているに違いない。
ところで我ながら情けない失敗をしてしまった。いつも旅行にはデジカメを持参するのが習慣になっている。今回も前日のうちにデジカメ用の電池を呼びも含めて充電し、写真を記録するスマートメディアも用意して、また充電器も旅行カバンに入れておいた。ところが肝心のデジカメ本体を忘れてきてしまった。やむを得ず今回は富士フィルムの「写るんです」という「レンズ付フィルム」を売店で買う破目になった。
October 6, 2004 =Wed=
昨日の会合で、都市建築専門の講師が、「銀座にはビルの間に昔ながらの路地が残っているところがある。特に戦災で焼けなかった7丁目、8丁目に多い」と言っていたので、「銀座ワインハウス」で昼食をとったあと、会社とは反対だが7丁目、8丁目あたりを歩いてみた。確かにところどころに路地がある。入ってみると細い路地の間にも小さなバーや小料理屋がある。中にはわざとらしく「一見様はお断り申し上げます」何ていう札を出しているところもある。路地の奥にお稲荷さんを祀ってあるところもあった。決算だし、明日からは休みを取って九州へ行くこともあり、昼休みと言えどあまりのんびりしていられないので、こんど時間のあるときにゆっくり歩いてみたい。
夜、明日からの旅行に備えて仕事を片付けておく必要があると言う妻と事務所で仕事をしていると、突然かなり大きな地震があった。茨城や埼玉で震度5、東京でも震度4だという。特に被害はなかったようだが、結構長く揺れていた。この前は奈良や和歌山を中心に関西で大きい地震があったし、どうも日本全体ががたがたしているようだ。
明日からは当分ネットには縁がなさそうだ。
October 5, 2004 =Tue=
4時から社長の代理で地元の会合に出席。「銀座三丁目ガス灯通り振興会」と「銀座通連合会三丁目支部会」の共催で「街づくり勉強会」というのを「銀座らん月」でやるという。6丁目の松坂屋で高層ビルへの再開発の話がでていることから、暗黙の了解で高さを56b(10階建て)に制限している銀座通りの景観を守るための勉強会という趣旨で、都市建築の専門家や「銀座街づくり会議」から講師を招いている。出席者は事務局(松屋)の人たち以外はほとんどがオーナー経営者で、街づくりの講義よりも出席者たちの会話が面白かった。
一番饒舌なのは「白いバラ」というキャバレーの経営者。父親の代から経営を受け継いでいる。@ある人が銀座で焼き鳥屋を始めたとき、洋食屋の「煉瓦亭」の主人がやってきて「焼き鳥屋にそんなに金をかけて設備投資してはダメだ。」とアドバイスする。と、その人は「いえ、道楽でやってるんです。」「そうか、道楽じゃ文句は言えないな。」という会話にヒントを得て、いまでもメニューに「道楽で始めた焼き鳥屋」と刷り込み、結構流行っているとか。A関東大震災の直後、喜劇王エノケンの「俺は村中で一番〜」と言う唄が流行った。この唄の最後は、村から上京した男が銀座でカモられて身ぐるみ剥がされ、「怖いところ東京」で終わる。銀座人はこの部分を省いて歌うことが多いが、これは震災後に浅草から銀座へと人の流れが変ったのを元に戻そうとして、「銀座は怖い」という歌詞にしてエノケンが浅草で歌ったものだ。B昔、松坂屋で色んな笛を売っていた。按摩の笛を買って帰って、夜、サエグサビルの前で吹いてみた。翌日、サエグサビルの三枝氏に会ったら、「昨夜、この銀座に流しの按摩が来たよ。急いで降りていってみたんだが、残念なことにもう居なくなっていた。」その笛は自分だとは、どうしても言えなかった。C自分の店の場所を説明するのに、「松屋の向かいの一つ裏の通り」と言うことが多いが、「どうしても松屋が見つからない」と電話をかけてくる。「松屋が見つからない訳はないだろう」と、後で聞いてみるたら、牛丼の「松屋」だと思って懸命に探していたらしい。D「ガス灯通り」という名を付けるにあたって、通りの名称を一般募集したら1500通もの葉書が来た。「らん月」の客は「らん月通り」がいいと言うし、「ハゲ天」の客は「ハゲ天通りにしろと言う。「白いバラ通り」というのもあった。じゃあ「グルメ通り」にしようかという案も出たが、洋服屋はどうするんだということになった。結局、公平に昔の銀座のガス灯をイメージして「ガス灯通り」にした。東京ガスから本物のガス灯を寄贈してもらった。ところが、名前を付けてから豚カツ屋が閉店し、その後に店を開いたバーが自分の店に「ガス灯」という名前をつけてしまった。
会社のすぐ並びに十字屋ビルがある。1階に大和證券、3階には「響」がある。このビルには十字屋ホールがあり、楽器なども売っている。三丁目の町内会長はこの十字屋の中村社長。同氏によれば「十字屋」とはクリスチャンの十字架から来ている。明治6年にキリスト教(当時は耶蘇教と言った)が解禁され、聖書の輸入販売などのため明治7年に現在地に開業した。そうしたらすぐに警官がとんできた。今で言えばオウム真理教みたいな扱いだったのだろう。その後、賛美歌用の五線紙などを扱い、だんだん楽器などに品目が変っていったそうだ。
以前、松屋の屋上から三丁目を見下ろすと、この銀座のど真ん中に大きな池や庭石を配した個人住宅が見えたという。そのオーナーである中年女性も出席していた。今でも銀座に何区画かの土地を持っていて貸しているとのこと。
銀座らん月の社長が仕切っているだけあって、懇親会の料理もなかなかのものだった。
October 4, 2004 =Mon=
テレビ東京で午後9時から「夫婦で海外ロングステイ」という特集番組をやっていて、二人で2時間近く見てしまった。マレーシア・ペナン、インドネシア・バリ、カナダ・ヴィクトリア、タイ・チェンマイ、コスタリカ・サンホセ、それにブルガリアの田舎の方の6箇所。チェンマイには大学同窓の中西君が夫婦で長期滞在している。この頃こういう番組が増えてきたようだ。われわれもいつか時間が自由になったらロングステイをやろうと今から行き先を探しているが、現実には自由な時間を持てるのはいつの日だろうか。ただ、今回の番組の中で、ブルガリアというのは確かに穴場だろう。ヨーロッパと言うとどうしても年金で暮らすには物価が高そうで、東南アジアにばかり目が向くのだが、旧東欧地域なら物価も安いだろうし、歴史もある。他にもチェコとかハンガリーとかルーマニアとか。昔、前の会社で海外駐在員の経理を統括していた頃は、こうした国々にもすべて駐在員がいたが、最近はみんな閉鎖してしまったらしい。東欧の経済環境は今はどうなっているのだろうか。
こんなサイトを見つけたが、アクセスが170万以上と言うのはやはり関心が高いのだろうか。
October 3, 2004 =Sun=
昨日のWindows updateだが、今朝、メールをチェックしようとしてOutlookを起動するとライセンス認証をやり直せと言うメッセージが出た。どうやらMicrosoft
Office XP自体のライセンス認証が無効になってしまったらしい。癪に障ったがOfficeが使えなくてはどうしようもないのでマイクロソフトの認証専用の番号に電話し、長ったらしいプロダクトIDを電話ボタンで送信、42桁の認証番号をもらって入力したら認証OKとなった。しかしアップデートの通知が来たからアップデートしたのであって、それによりWindowsだけでなく全体の設定がおかしくなるなんて、どう考えても欠陥じゃないのかと腹立たしく、マイクロソフトのサポートの番号を調べて電話してみた。担当の男性はなかなか丁寧で、色々聞いているうちに原因がある程度推定できた。
まず、今回のアップデートは、9月下旬からマイクロソフトが無償提供を始めたWindows XP Service Pack 2というやつらしい。このSP2はセキュリティ昨日を強化したものだが、これをインストールするに当たって、シマンテック社のウィルス対策ソフトを一時的に無効にしておく必要があったらしい。そういえば確かに昔は新しいソフトをインストールするときにウィルス対策ソフトを無効にしておくことは常識だった。最近はそうしなくてもインストールに問題はないケースが多かったために忘れていた。SP2のインストール時にシマンテックのノートンが有効だったために、インストールが一部不完全に終わった可能性がある。それに、わがPCにインストールされている"Norton SystemWorks 2003"という製品が、SP2には対応していないと言う問題もあるようだ。同じノートンでも"2004"なら対応しているとのことだが、2003であるためにSP2のセキュリティセンターがウィルス対策ソフトの状態を認識できず、「安全性が不明です」といった警告メッセージが出される。しかし、もしこれが原因だったとすれば、ウィルス対策ソフトを無効にしないでWindowsのアップデートをするなどというケースは何万件とあるのではないだろうか。確かに、マイクロソフトのサポートからメールで送ってもらった「
Windows SP2 FAQ集」を見ると、事前に準備しておく事項として、
ということが書かれていた。
October 2, 2004 =Sat=
昼から出かける用事があったのだが、後回しにし

てテレビにかじりついてしまった。メジャーリーグの歴史を塗り替えるイチローのシーズン最多安打記録達成。テレビを通じてだが歴史的場面のアイ・ウィットネス・・はちょっと大げさか。前日までにシスラーが84年前に打ち立てた257ヒットにあと1本と迫ってのホームグラウンド入り。チームは最下位で消化試合なのに満員というのは、シアトルの市民もお目当てはイチローの記録達成に立ち会うことだったのだろう。2点リードされた1回裏の先頭バッター。追い込まれながらも三塁線に飛んだ球は大きくバウンドしてサード頭上を超えた。あっさりとシスラーの記録に並ぶ。花火が上がり、電光掲示板に"Congratulations Ichiro, 257 Hits"という文字が浮かび、観客からはスタンディング・オベーションが湧き上がったが、試合は淡々と続けられた。しかし、3回先頭の第2打席でセンター前にはじき返したときは、1塁のイチローにマリナーズのチームメイトがずべて駆けつけ、祝福の嵐に試合が10分以上中断した。この間、イチローは観客席に歩み寄り、1920年前の記録を作ったシスラーの娘(81歳)や孫たちと握手。可哀想なのは相手投手で、試合中断でリズムが狂ったのか、イチローに続いて6連続安打で逆転を許し、1アウトも取れずに降板した。何はともあれ最近では一番の気持ちの良いニュースなので、
新聞記事も取り込んでおこう。
ところで、Windows updateの知らせが表示されたので、いつものように実行したら、今回はかなり大掛かりなアップデートだったらしく、リブートしたら最初に出てくる画面が少し違っていた。立ち上がってみると、デスクトップのアイコンがかなり少なくなっている。スタートボタンから「すべてのプログラム」を開けてみると、今まで沢山あったプログラムがぐっと少ない。というかほとんどなくなっている。エクスプローラでprogram
filesの中身を見ると必ずしもプログラム自体が消えているわけでもなさそうだが、試しにMicrosoft
Encartaのプログラムアイコンを見つけてを起動してみると、「構成を確認しています」などというダイアログ・ボックスが出て、Encartaの入ったDVDをドライブに挿入しろと言う指示が出る。マイクロソフトのやつ、どうも勝手なアップデートを始めたようだ。セキュリティを高めるのはいいが、あまり迷惑なことをやらないで欲しいものだ。
October 1, 2004 =Fri=
昨日も秋晴れだったが台風の過ぎた後で風が強かった。今日は風もなく汗ばむほどの快晴。週に二度は銀座6丁目の「銀座ワインハウス」で昼食をとっている。今日も1時前に行ったらいつもの半地下の席も一階の席も満席。顔見知りのウェイターが3階へどうぞというので上がっていった。この店は階段の左右で段差があり、半階ごとになっているが、2階が調理場で、その反対側の2.5階も満席、通された3階には席があったがそれでも10人ほどのグループが入っていたりでよく混んでいる。1年前あたりから、昼食によく来ているが、来る時間が遅いこともあっていつも空いていた。この頃、遅い時間でも割りに席が埋まっているなと思うことがあったが、こんなに混んでいるのは初めてだ。帰りにレジで、「今日は繁盛してるね」といったら、「このところ連日なんです」と。美味しくて良心的な店はやはり黙っていても評価が上がるらしい。隠れ家的に利用している者にとっては少し残念な気もするが。
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