January 31, 2005 =Mon=
銀行へ行ったついでに有楽町の富士フォトサロンに寄る。
御殿場市から見た富士山の写真展をやっていたが、目的は写真展ではなくデジカメの修理依頼。デジカメ歴は30万画素というおもちゃのようなカシオから始まり、富士写真フィルムのDS-7、それからFinePix500という機種に買い替え、次に同じく富士のFinePix6900というかなり高級機種を手に入れたが、電車の中に置き忘れてなくしてしまった。それでFinePix f-401というコンパクトなのを買ったのが2年半ほど前。富士の製品ばかり使っているのは、慣れているため使い勝手が分かっていることと、データ保存用のスマートメディアを何枚か買っているので、他の機種だとこれが無駄になる恐れがあるためだ。その後このf-401を使っているが、先月草津へ行ったときに撮った写真が、昼間で青空のはずの空がピンク色に染まっていた。去年の夏ごろに、このFinePix f-401の一部にこうした症状が出ることが分かり、リコールの通知が来ていたが、私のはリコール対象の製造番号ではあるものの実際に症状が出ていなかったのでそのままにしていた。しかし先週台湾に行った際にも同様の症状が出たのでリコールに応じることにした。もうそろそろ買い換えてもいい頃ではあるが、今度買い換えるとすると一眼レフ式か、レンズ一体型でも一眼レフに近いハイエンド型が欲しい反面、コンパクト型の機動性も捨てがたく、選択に迷うところだ。まあ自由になる小遣いも少ないことだし、今のf-401をもう少し使い続けるしかないか・・・
今日の朝日新聞夕刊に大江健三郎の最近の動向が出ている。それによると、デビュー作の「奇妙な仕事」から「個人的な体験」までを第一期、「万延元年のフットボール」から「宙返り」までを第二期、最近の「取り替え子」「憂い顔の童子」さらに今年になって群像にその一部が発表された「さようなら、私の本よ!」が老年期に入っての第三期といったように分類している。そう、あの大江もすでに古希、今日が70歳の誕生日なのだ。(新聞が手元にないので、第一期、第二期という表現だったかどうかは定かでない。)
January 30, 2005 =Sun=
先週、台湾を訪れたときには時間がなくて行けなかった
鼎泰豊(ディンタイフォン)に今日行ってきた。といってももちろん台北の本店ではなく、新宿高島屋の10階にある支店。言わずと知れた小籠包の店だ。3年前に台北の本店へ行ったときは店の前で長時間待たされた。予約制度をとっておらず、番号札を貰って番号が呼ばれたら店に入れるというシステムだったと思う。日本の店なら予約できるだろうと電話をかけると、やはり「予約は承っておりません。」少し早めにということで6時前に行ってみた。高島屋の10回はレストランフロアではなく、催会場や家具売り場のある奥のほうに鼎泰豊の店がある。その前にはすでに長い列ができていた。店からエレベータホールまで、順番待ちの客のためにベンチが置いてある。その最後尾についたものの、どのくらいで入れるのか不安になり、店の人に聞くと「まあ30分もお待ちいただければ」とのこと。思ったより回転はよいらしく、順調に列が前に進む。本当に30分で席につくことができた。
2人で4200円というコースを注文する。まず先付けにチャーシュー6枚(以下、数量は2人分)、続いて小籠包4個、スープ、蝦入りの蒸餃子4個、蝦シューマイ4個、蝦チャーハン(または肉チャーハン)、デザートにタピオカ入りミルクという内容。量的に少し物足りない感じもするが、味はさすが。30分くらいなら待つだけの価値はある。今度来た時には小籠包と餃子を単品で注文してみよう。高島屋は新宿でも南の方なので、北のはずれの我が家からは歩いて20分くらいかかる。待ち時間とあわせて約1時間は見ておく必要がありそうだ。鼎泰豊は、東京では新宿のほかに日本橋の高島屋、カレッタ汐留、玉川高島屋にある。他に、大阪、京都、名古屋の高島屋にもあり、高島屋との縁が深いようだ。
今日、いよいよイラクの国民議会選挙が始まった。これに先立って昨夜は厳戒態勢下にあるバグダッド市内の米大使館施設が攻撃され米兵ら2人が死亡した。選挙中も各地で妨害活動が活発化するだろうし、国際監視団も隣国で待機し、イラクに入れない状況ではとても公正な選挙など期待できない。それでも選挙を強行するのは、形だけでも「民主国家」成立を示し、できることなら早く手仕舞いに持ち込みたいブッシュ政権の思惑からだろう。結果が出るにはまだ時間がかかるだろうが、おそらくそこそこの投票率が上がったことにして、「選挙結果を前向きに受け止める」ことになるものと、今から予測がつく。
January 29, 2005 =Sat=
歌舞伎町の新宿プラザで「
ターミナル」を観る。スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演。旧ソ連の国の一つと思われるクラコウジアから来たビクター・ナボルスキーはアメリカの空港(たぶんケネディ)で入国を拒否される。祖国クラコウジアでクーデターが発生し、米国政府との外交関係が断絶したため、ビザが無効になったためだ。空港の責任者は彼を強制送還することもできず、空港内にとどまるよう指示するが、実は不法入国でも何でもいいから自分の責任にならないよう空港から消えて欲しいと思っている。しかし彼は忠実に指示を守り、空港内で暮らし始める。英語がほとんど分からなかった彼も、次第に言葉も話せるようになり、空港で働く人たちにも受け入れられていく。やがて、不倫関係を抱える国際線のスチュワーデスとの恋も芽生える。彼がアメリカにやってきた本当の理由とは・・・
ほのぼのとしたコメディタッチの人情話といったところか。肩の凝らない、分かりやすい映画。ケネディ空港あたりでロケしたのかと思ったが、空港のセットを組んで撮影したらしい。しかし、全編のほとんどが空港の中という設定であり、制作費はあまりかかっていないと思われる。トム・ハンクスがいい味をだしているが、スッチー役のキャサリン・ゼタジョーンズも役柄にぴったりだ。空港というところ、着いたときは普通はさっさと通り過ぎてしまうが、出発時には早く着きすぎて何時間も出発町待ちをしたり、国際線の乗り継ぎで時には数時間も待たされることもある。しかしそこで9ヶ月も過ごすなんてことは現実にはありえないだろうが、そこに働く多くの人たちの日常があるのも事実だ。飛行機の中で見る映画にはちょうどいいかも知れない。また、こうした映画を観ていると、アメリカが移民国家であることもよく実感できる。
主人公が空港に閉じ込められ、当局から貰った食事券も失くして途方にくれたとき、彼が最初に見つけた金稼ぎの手段には思わず笑ってしまった。空港に放置された荷物用のカートを所定の場所に返すと自動的に25セント硬貨が出てくる。あれは確かカートを使うときに1ドル紙幣を入れて、返すと25セントが戻ってくるというシステムだったと思う。
いつも通り土曜の最初の上映(10時30分)に行ったので、新宿プラザの場内はがらがらだった。しかしこの劇場、歌舞伎町のいくつもある映画館の中では一番大きいのだろうか、ざっと数えたところで座席は一列36席×40列くらいある大劇場だ。実際に入っていたのはそのうち1割くらい。
January 28, 2005 =Fri=
昨日から今日にかけて、銀行や今度出店する虎ノ門のホテルを訪ねたり、ある事

情があって等々力の駅前まで行ったりとやたらに忙しかった。その途中、電車の中吊り広告でNewsweek(日本版)の見出しが面白そうだったので売店で買ってみた。日本語版でも元はアメリカの雑誌だから、ゴミ箱に捨てられた星条旗の表紙はかなり衝撃的だ。特に目を惹いたのは次の3つの記事。
○アメリカが死んだ日
同誌国際版編集長ファリード・ザカリア氏による「2期目の理想と世界の現実」のほか、「夢の国アメリカが朽ち果てるとき」「真意が見えないライス外交の行方」「イラク・自由なき自由選挙」と、全部で12ページにわたるカバーストーリー。20日のブッシュの2期目の就任演説に掲げられた、宗教的ともいえる「自由」賛美と、世界に自由を拡大することがアメリカの使命だというアメリカ的理想主義に酔いしれて現実が見えなくなっているアメリカに、世界がうんざりしている現状が的確に捉えられている。
○世界が笑うNHKの「常識」
NHKと朝日新聞との間で死闘が繰り広げられている「番組改変問題」に関して、NHK側は、放送前日に安倍普三に放送内容を説明したのは「通常の業務の範囲内」であり、内容を変更したのは自主的に行ったもので政治圧力によるものではないと説明しているが、このような政治化との癒着こそ世界の多くの報道機関では非常識とされていることだ。政治からの圧力はどの国でもあるが、この圧力を跳ね返し、権力と戦うことが誇りある報道機関のあるべき姿だということを、日本の公共放送機関は分かっていない。
○電話回線を滅ぼすIP大革命
携帯電話の急速な普及には目を見張るものがあるが、ブロードバンドの普及とともにIP電話が急速な勢いで加入者を増やしており、携帯電話が第三世代への巨額投資で苦しんでいる中、IP電話が固定や携帯電話を駆逐する日はすぐそこまで来ている。本当にインターネットは思いもかけない方向に発展していく。インターネット・プロトコル・テレビなんてのも具体かしつつあるらしい。
January 25, 2005 =Tue=
昨夜は結局寝たのは2時前。今朝は6時前に起きて空港へ。午後2時には成田に着いていた。ともかく連日の寝不足でくたくた。帰りの成田エキスプレスでも、眠っていてふと目を覚ますと、今、台湾の鉄道に乗っているのか、飛行機に乗っているのか、日本に帰ってきているのか、とっさには判断がつかないほど。
January 24, 2005 =Mon=
何とも慌しい旅行だ。日曜日(23日)の夕方、7時35分のChinaAirで成田を出発、台北市内の金星大飯店(Gold
Star Hotel)にチェックインしたのは深夜12時。四つ星の国賓大飯店(Ambassador Hotel)のすぐ近くだが、こちらは一つ星クラスのビジネスホテル。109号室は窓もない部屋だった。洗面台などだいぶ罅割れているが、まあ清潔な感じはする。ともかく二泊三日(といっても深夜着の早朝発だから実質は1日しかない)で19,800円というツアーなのだから贅沢はいえない。さっそく近所のセブンイレブンへ行ってミネラルウォーターとお握りを買う。
今朝は国賓大飯店の前に集合して市内観光のバスにピックアップしてもらう。参加者はいくつものホテルに分かれており、中には四つ星の喜来登大飯店(旧来来シェラトン)に泊まっている人もいるので、値段もいくつかのランクに分かれているのだろう。3年前に仕事で行ったときは五つ星の晶華酒家だったから落差は大きい。だが、今回の主な目的は、観光よりも、現在台湾で仕事をしている妻の弟に会うというウェイトが大きい。これで三度目の台北だが、一通りの観光を済ませて、6時頃に台北駅でバスを降ろしてもらう。行き先は中○(チョンリー、○は土へんに歴史の歴という字)という町。台北で列車に乗るのは初めてなので、切符の買い方からわからない。まず自動販売機でチョンリーを見つけたが、カード専用でお札は入らない。係員のいる窓口は人が長い列を作っている。もう約束の時間に遅れているので焦ったが、仕方なく列に並ぶ。観光バスのガイドに書いてもらった「チョンリーまでの切符をください」という中国語のメモを見せて6時15分発の急行の切符を手にする。一人89元。遅れることを伝えようと公衆電話をかけるが、これもカード専用でコインを受け付けない。傍で聞いていた日本

語の少し分かる若い女性が、向こうにコインでかけられる公衆電話があったはずと教えてくれる。行ってみると一台だけコインの使えるのがある。切符を見ると号車と座席番号が書いてある。遅れてホームに駆け込んだので始発の列車はすでに満席状態。切符に書いてある席には若い白人男性が座っている。ためしに「あのう、この席は・・」と声をかけると、あっさり代わってくれる。指定券を持った人が来ないうちは座っていようということになっているようだ。台北→板橋→桃園→中○と停まって約40分で到着。
チョンリーは田舎かと思っていたが案外大きな町で、人口は70万人という。駅から20分ほど歩いたところに立派なそごう百貨店があり、そのすぐ横に妻の弟が住んでいるアパートがある。駅の近くの学生向け食堂で3人で500円弱の夕食を済ませてアパートを訪ねる。23階建ての18階、ワンルームタイプ。彼はM重工と個人契約して同社が請け負っている発電所建設のシビルエンジニアをやっている。現場はこのチョンリーから車で西へ1時間ほど行った海岸べりだそうだ。一時は重態に陥っていたが先日回復して退院できた母親のことを中心に彼の部屋で話したあと、夜市を見に行く。食べ物屋を中心に衣料やアクセサリーなどの店が延々と並んでいる。臭豆腐や、何やら得体の知れない食べ物もある。その後、彼の行きつけのカラオケスナックへ行き、閉店の12時半まで居て、タクシーを呼んでもらって台北まで帰る。急行列車で40分かかっているので、タクシーだと1時間以上かかるだろうと思っていたが、夜で空いているせいもあるのか40分で着く。
January 21, 2005 =Fri=

今日は池袋のサンシャイン60の57階にある緑丘会館(小樽商大の同窓会館)へ行く。会社を5時過ぎに早退したのだが、会場に着いたときには6時からの会合は始まっていた。前の会社で監査部の上司だった荒澤さんが食道癌で亡くなられたのが2003年1月。先日一周忌を迎えたが、その間に小樽商大の同窓生を中心に追悼文集を出版しようという話が持ち上がり、今月に出版の運びとなった。執筆者は学生時代、会社時代、そしてその後日本大学大学院で教壇に立ってからの時代の人たち。会社への入社直後に荒澤さんのインストラクターであったSさんの呼びかけで、私も監査部時代の荒澤さんについて寄稿した。今日の会合は、荒澤さんの奥様が追悼文集出版への感謝の会として、関係者を招待してくださったもの。
出席者は荒澤家の方々を含め50人近く。会社からの出席者はSさんをはじめ5人だった。荒澤さんの4人の娘さんもそれぞれ結婚されており、4組のご夫婦はいずれも円満そうで、荒澤さんが亡くなられてから生まれた3人とあわせて4人のお孫さんが会場ではしゃいでいる。娘さんのお一人にはお腹のなかにもう一人いるという。三回忌を過ぎてこれだけの人たちを集めるのも、やはり人柄だろう。乾杯のシャンパンはドンペリのダブルマグナム。その後に無造作に各テーブルに置かれたデカンタから自分で注いで飲むワインもずいぶん美味しいと思ったら、これがロマネ・コンティという豪華版。
やはりこの会に出席していた、管理部門の人事担当をやっていたM君から、昔の仲間の一人であるI君が1年前にクモ膜下出血で倒れ、赴任先のソウルから日本の病院に搬送されたという話を聞いた。「以前、Iさんと一緒でしたよね。」「そうだよ。一緒に仕事をしていたし、ほとんど同じ時期に私はパナマ、彼はイタリアに赴任したんだ。」「先日、Iさんのお見舞いに行ってきました。」「え・・・どうしたの。」「あれ、知らなかったんですか?」一時はかなり危なかったらしい。今は所沢の病院でリハビリ中だが、近く病院を変るとのこと。新しい病院が分かったらメールで知らせてもらうように依頼する。
2002年の4月にプライベートでソウルに行ったとき、I君に世話になった。あのとき、彼は単身赴任だった。子供さんの具合も悪く、いろいろと悩みを抱えていたのだろう。まだ50になったばかりのはずだから、何とか回復してもらいたいものだ。
January 20, 2005 =Thu=
前の会社での同僚や先輩、後輩たちとの集まりである参木会。品川プリンスホテル38階の「味街道 五十三次」に集まったのは25人くらい。インサイダー情報になってはいけないが、現役部長の話ではこの会社、収益は絶好調らしい。まあ、原料炭価格が昨年の二倍で決着しているのだから、素材に強い商社は強いのは当たり前か。その一方、最近話題の新興銀行の社外役員をしている元部長氏は内部のごたごたで大変らしい。
妻が仕事で訪れた町田の知り合いから頂いてきた蝋梅。本当に蝋細工のように見える。花全体が黄色なのは正しくは素心蝋梅というそうだ。ネットで調べてみると、蝋梅の学名はChimonanthus
praecox、素心蝋梅はChimonanthus praecox form. concolor とある。Chimonanthusはギリシャ語でchimon(冬)+anthos(花)、つまり「冬の花」の意味。praecoxは「早咲きの」、全体では「早咲きの冬の花」。匂いもいい。蝋梅は俳句では冬の季語。
蝋梅のつやを映しぬ薄氷 増田龍雨
蝋梅や雪うち透す枝のたけ 芥川龍之介
January 19, 2005 =Wed=
この前の土曜の夜に行った「青山」で昼食。顔なじみになったソムリエ兼ウェイターが「先日はどうも」と声をかけてくる。「鯖の味噌煮定食」がおいしかった。
昨日書いた
ダン・ブラウンの"Digital Fortress"だが、一つ勘違いをしていた。2003年に発表した"Da
Vinci Code"が余りにも爆発的なベストセラーになったので、次を狙ってこの"Digital
Fortress"を書いたのだとばかり思っていたが、実はこちらは1996年に発表された、彼の処女作とも言うべき作品なのだった。彼の著書はこれら二冊のほかに、"Angels
and Demons""Deception Points"と、合計四冊があるが、昨年の一時期、ニューヨークではこの四冊すべてがベストセラーランキングに入っていたという。彼のオフィシャル・ホームページによれば、彼の父は高名な数学者、母はプロの宗教音楽家、妻は美術史家であり画家でもあるという。"Da
Vince Code"の環境そのままではないか。
January 18, 2005 =Tue=
Ensei Tankado--この名前はプロローグで出てくる。アンダルシアの光の下で胸をかきむしって死んでいく人物。てっきりアフリカ系の名前かと思っていたが、第5章あたりで再びこの名前が出てくると、彼が日本人であることがわかる。ダン・ブラウンの"Digital
Fortress".
NSC(National Security Council=米国家安全評議会)は誰でも知っているが、もう一つNSA(National
Security Agency=国家安全庁)という組織がある。NSAとは"No Such Agency"の略だと言われるほど、その存在はほとんど知られていない。NSAでは世界中の電子メールをモニターしている。言論や通信の自由を主張する市民団体から目の敵にされているため、その活動は秘密にされているが、TRANSLTRと呼ばれる超高性能のコンピュータ(公式にはその開発に失敗したことになっている)を使って、暗号による通信もすべて解読し、テロや麻薬密輸を未然に防いでいる。どんな暗号でも1時間あれば解けるTRANSLTRが、ある日突然動かなくなる。責任者のスーザンは、上司であるNSA次長に呼び出され、TRANSLTRが十数時間かけても解けない新種の暗号のアルゴリズムが出現したことを知らされる。このアルゴリズムを開発したのは、以前NSAに居た日本人技術者Ensei
Tankadoだった。彼の母親は1945年8月に広島で被爆、彼を生むと同時に亡くなったが、彼も生まれつき不具で、里親に引き取られた。12歳のとき、日本のあるコンピュータメーカーが開発した身障者用キーボードのテストを要請されてコンピュータと初めて出会った彼は、たちまちコンピュータの虜になり才能を発揮する。やがてIBMに招かれて米国に渡り、公開キーによる暗号化アルゴリズムを得意とする彼は、NSAに入りTRANSLTRの開発に携わる。しかし、TRANSLTRが盗聴手段に使われることを知った彼はNSAを去り、あり得ないと思われていた「解読不可能な暗号化アルゴリズム」を開発、これを"Digital
Fortress(デジタル要塞)"と名付け、NSAに挑戦状を叩きつける。
小説の中には"hibakusha""Nikkei Shimbun"などの単語も出てくるので、ダン・ブラウンが日本人の名前に無頓着なわけでもなさそうなのに、どうして"Ensei Tankado"などという奇妙な名前を付けたのか、何か特別の意味があるのか、今のところではわからない。まだ全体の1割くらいしか読み進んでいないのだから。ただ、ここに出てくる
NSAという組織は実在するらしい。
January 17, 2005 =Mon=
阪神・淡路大震災からちょうど10年を迎えた。六甲の自宅で震災にあった義母(妻の母)は、あの日から老人ボケが始まったらしく、今は神戸の老人施設に入っているが妻が面会に行っても誰だか認識できない状態だ。妻が生まれ育った自宅も半壊状態だったが、今は残っていない。地震直後の1995年3月、朝日俳壇に載った父の句(稲畑汀子選)。
雛祭り果(おは)せて地震(なゐ)をふと思ふ
その父も今は亡い。10年の歳月はさまざまなものを押し流していく。
会社の同僚3人で、千駄ヶ谷の居酒屋ですっぽん料理。コレステロールとカロリーを抑制するよう指示されている身には、いささか不摂生だったかも・・・
January 16, 2005 =Sun=
パリダカラリー(正式には
テレフォニカ・ダカール2005)で三菱自動車の
パジェロエボリューションが1・2位を独占し、5年連続10回目の優勝を果たした。欠陥車問題で大揺れに揺れている同社が、どうしてパリダカラリーにだけは強いのか、この優勝が同社の再建にどのように貢献するのか、よく分からないが、明るいニュースであることは間違いないところだろう。三菱車は、昔ギリシャに駐在していたときにギャランに乗っていた。社長車のベンツを除いて、3人の派遣社員は車は自己調達だったが、車の値段が高率関税のためヨーロッパの他国と比べて3倍くらいすること、帰国時に中古で処分できても、売却代金を合法的に持ち帰ることができないことなどから、社有車扱いを認めてもらった。他の二人はアウディやフォードを買ったが、運転免許をギリシャに赴任してから取得したばかりの私は、少しでも馴染みのある車ということで日本車のギャランにした。3台とも同じ予算で、ギャランだけはエアコンが付いていた。夏にはサハラ砂漠の熱風が渡ってきて摂氏47度にもなることのあるアテネだが、当時はエアコンのある車は少なく、アウディに至ってはエアコンどころかラジオすら付いていなかった。事故で前後左右ぶつけたりぶつけられたりしたが、4年の在勤期間、欠陥で故障することはなかった。
昨日・今日と、天気予報では都心でも雪が積もる恐れが大きいと報じられていたが、結局雨だけで雪にはならなかった。しかし寒気は厳しく、今日などは風も強くて、スポーツジムを出るときなど、ビル風のせいか体が飛ばされそうなほどだった。
January 15, 2005 =Sat=
第三土曜日で出勤だったが、少し早く切り上げて日比谷シャンテシネで「
巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)」。Yahoo!Moviesでの評価は高かったのだが、正直言って途中は少し眠ってしまった。コメディタッチのオペレッタをそのまま映画化したもので、複雑な人間関係にある3組の男女が最終的にはハッピーエンドで結ばれる。眠いときは字幕を追うのが疲れる。
映画終了後、雨の中を銀座1丁目まで歩き、「
青山(せいざん)」へ。ここは懐石料理にワインを合わせるのが売り物の店。今年になってから昼飯に2度ばかり行ってパフレットを貰ったが、オーナーソムリエが井出甫といって私と同じ名前であることから一度夜に行ってみたいと思っていた。昼は900円程度のランチを出しているが、夜はコースのみ。一番安い5000円のコースをオーダー。フルボディのボルドーワイン(2000年物)はまずまずの味。たまたまわれわれの席の隣の個室で、ホームページにも出ている「グラン・ヴァン友の会」とかいう、いわばこの店の後援会兼ワイン愛好家の定期総会をやっており、そこに通常のワイン8本分入る超大型ボトルが開けられていた。大きなデカンタ数本に分けても余った分をわれわれも相伴に預かる。これは同じボルドーながら、グラン・アンペリアルとかいう、なんと1984年もの。流石に素人の舌でも美味しいことはわかる。店はオープンしてもう20年近くになるという。
January 14, 2005 =Fri=
NHKの事件は、予想通り政治家やNHK幹部が開き直りを始めた。「呼びつけたのではなく向こうから来た。」「会ったのは放送の後だった。」「『公平にお願いします』と言っただけで圧力はかけていない。」等々。報道当初は「政治家として当たり前のことを言ったまで」という開き直りだったが、物証は出てこないはずと腹を括ったらしい。こうなると気の毒なのはNHKの内部告発者だ。したたかな連中を相手に戦うのは難しいし、どんなしっぺ返しを受けるのか計り知れない。状況証拠では圧力によって言論が捻じ曲げられたことは明々白々なのにもかかわらず・・
昼に久しぶりに竹葉亭のマグ茶。いつもは空いているこの店が、今日はどういうわけか大変な混みようだった。といっても席が取れないほどではない。レトロな雰囲気はいつもの通り。
January 13, 2005 =Thu=
NHKの幹部による公金横領の不祥事に続いて、今度は
政治家の圧力により番組内容を改編して放送していたことが内部告発によって暴露された。圧力をかけたのは安部普三、中川昭一という札付きの右翼。騒ぎが大きくなるとNHK幹部を呼びつけたのではなく予算の説明に来たときにたまたま話が出たとか、前言を翻して圧力をかけていないなどと言い訳を並べているが、放送における表現の自由をうたった放送法第3条に違反することは明らかだ。放送番組は旧日本軍の従軍慰安婦問題を扱った民衆法廷に関するもの。歴史を捻じ曲げて慰安婦問題そのものを教科書からも抹消しようとする彼らにとって都合の悪い番組だったのだろう。それにしても彼らに放送番組を事前に説明したり、一言言われて番組を編集しなおしたり被害者の証言を削除したりするNHK幹部もあきれたものだ。これは金銭の不祥事よりのはるかに悪質。今も、NHKニュースで、「NHKの内部調査の結果、圧力を受けた事実はないと判明した」と言っている。こんな白々しい原稿を読み上げさせられているアナウンサーも気の毒だ。受信料支払い拒否の列に加わりたい。
このウェブサイトのドメインを登録しているNetworkSolutionsから登録期限切れの案内メールが来た。そういえばもうそろそろそんな時期だなと、更新しようとしてふと気になったのは、最近多いといわれる「なりすまし」だ。いかにもそれらしいホームページを作成し、クレジットカードの番号などを入力させて不正に金を騙し取る手口。だが、確かに更新期に来ていること、告知内容が正確であること、そのページからIDとパスワードを使ってアカウントマネジャーにログインできることなどから本物と判断、5年分で99.95j(1年料金の47%引き)を支払った。これで2010年までこのドメインが確保できたことになる。
January 12, 2005 =Wed=
朝から経営会議、終わると渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに場所を移して店長会議。その後、同じホテルでグループ全体の新年会。去年もそうだったがこの新年会の盛大なこと。参加者は570人。去年は芝の東京プリンスホテルだった。いずれも会社の出店先のホテルである。
店長会では、元横綱若乃花こと
花田勝氏を呼んでインタビュー形式で話をしてもらった。彼は社長の長男である専務の中学時代の同級生。その縁で社長が二子山部屋の後援会長をしていたこともある。現在はスポーツキャスターの傍ら
ChankoDining若を経営しているが、キャスターをやっているせいかトークもなかなかのもの。「ちゃんこっていうと鍋だと思っている方が多いので、力士は鍋ばかり食べていると思われますが、ちゃんことは食事の意味。取り組み前にパスタを食べることもあるけれど、これも立派なちゃんこです。」終わって別室で謝礼を渡そうとするが、「専務との友人関係で引き受けたのだから」と受け取ろうとしない。困ってしまったが、「その分、皆さんで食べに来てください。」と言われて引き下がる。
January 11, 2005 =Tue=
1時前に昼食に「スナック裕」へ。時間が遅いせいか他にお客はいない。今日から店を開けたそうだ。大阪の母から頼まれた土産の「五智果」をママに進呈。大阪から持ってきてスキャナでコピーした写真を添える。写真の一枚は大阪の家の庭で撮ったもので、ママの母上と弟、それに私の弟と妹が写っている。背景には物干しに下着が翻っている。弟が小学校の低学年くらいだから、もう50年くらい前だろうか。ママの母上が弟を連れて私の実家を訪ねてこられたときのものだ。私が写っていないのは私が撮ったからかもしれない。当時のカメラは二眼レフというやつで、上からファインダーを覗き込むもの。二眼レフ用のフィルムは6cm×6cmの正方形だった。80年代初めに北京に行ったら、当時の中国の人たちが使っていたのがこの二眼レフだった。あとの二枚は、茅場町にあった東洋ホテルの従業員の集合写真で、支配人をやっていたママの父上と私の父が写っている。そのうちの一枚には、同じ職場にいた私の母(当時は結婚前)も写っている。東洋ホテルのオーナー経営者がママの父上の母方の親戚で、ホテルを始めるにあたって父上を大阪から呼び寄せたということらしい。
January 10, 2005 =Mon=
今日はスポーツジムのある住友ビルの隣の三井ビルで用事があり、それを済ませてからジムに行ったのだが、用事が予定より早く終わったのでジムではかなり時間があった。そこで定番のエアロバイクはいつもの1.5倍、初心者コースでの水泳はいつもの倍以上やったので、正月以来の体重オーバーがほとんど完全に解消。ヤッタゼー!なんて喜ぶほどのことでもないか・・・
January 9, 2005 =Sun=
昔は映画も二本立て、三本立てなんてのがあったが、続けて二本映画を見るのも結構疲れる。いつも通勤の行き帰りに前を通っている
銀座シネスイッチ。午後2時から3階のシネスイッチ2で「
ホワイト・ライズ」、それが終わって5時から地下1階のシネスイッチ1で「
シルヴィア」。
「ホワイト・ライズ」の方は、ストーリーの予備知識をまったく持たずに見たこともあって、最初の半分くらいはまったく意味が分からなかった。だが、意味が分からないことが終盤のどんでん返しに繋がる筋立てなのだろう。勤務先の経営者の妹と婚約寸前の主人公が、上海出張を前に当の経営者兄妹と中国のクライアントの代理店を接待している。そこで主人公は以前愛し合っていながら突然姿を消した謎の女性・リサの姿を見かける。リサらしい女性の忘れていったホテルのキーカードからホテルの部屋を探し、入り込むとそこには彼女の住むアパートのキーが置いてある。そのキーで部屋に忍び込むと、部屋の住人は同じリサを名乗るまったくの別人だった。舞台女優と付き合っている靴屋の店主は主人公の親友だが、彼は気まぐれな舞台女優との仲を取り持つよう、主人公に頼む。だが、その舞台女優の正体は・・という、ミステリーじみた仕立てでもある。時間があちこちに飛ぶのが分かり難さになっているが、それをカバーする独特のカメラワークが面白かった。主人公をめぐる二人の女性を、「トロイ」のヘレン役のダイアン・クルーガーと、プリセウス役のローズ・バーンが演じる。
「シルヴィア」は、実在の女性詩人シルヴィア・プラスを描く。アメリカから英国に留学中のシルヴィアは、同じ詩人を志すテッド・ヒューズと恋に落ち、結婚する。スランプに陥り詩を発表できないシルヴィアは、名声を得た夫のアシスタントに甘んじるが、女癖の悪い夫に手を焼く。やがて二人の子供が生まれるが、育児に疲れるシルヴィアは夫の愛人への嫉妬心だけが異常に高まる。やがて夫は家を出、子供と残されたシルヴィアは創作に取り組む。夫との関係を戻そうと彼を家に呼ぶが、夫から愛人が妊娠したことを知らされる。その夜、シルヴィアは自殺する。彼女の死後、夫はシルヴィアの遺稿を整理して出版し、これがピューリッツアー賞を受賞する。シルヴィアが死後とは言え著名な賞を得るような才能を秘めていた女性でなければ、どこにでもある夫の浮気による離婚と育児ノイローゼの話になってしまう。シルヴィア・プラスの著書には「
ベル・ジャー」など邦訳も出ているが、特に読もうと思う本ではなさそうだ。
映画の後、6丁目の銀座ワインハウスでディナー。いつも昼食を食べに行く店だが、夜に行くのは二度目。従業員は昼も夜も同じなので、昼に顔なじみになったウェイター、ウェイトレスが4人もかわるがわる挨拶に来てくれた。
* * *
昨日の数字の話だが、2ちゃんねるに「
数字を2倍にするスレッド」というのがあった。2,4,8,16,32から始まって、数字を2倍にしていくのだが、たちまち「無量大数」まで届いてしまう。それを超えた単位は参加者が勝手につけているのだが、(無量大数は∞の意味と解釈して、「不可思議」以上について新単位を造っている。万や億も元は仏教用語ということで、「不可思議」の次は「波羅密多」「観無量寿」「阿弥陀仏」「深甚無量」「無量無辺」「阿耨菩提」「後生善処」「常寂光土」「縦横無尽」「極楽浄土」など以下延々と続き、2^1000まで計算されている。また、英語の"tera""peta"の上は"exa(10^18)""zetta(10^21)""yotta(10^24)"となる。その上にも"Harpo(10^27)", "Groucho(10^30)"というのもあるようだが、The Math Forumというサイトでは"There is no prefix defined for 10^30 yet, and we have no need for it yet, so there's probably no rush to define one." とされている。もっともThousand, Million, Billion, Trillionという単位では、"Quadrillion(10^15)","Quintillion(10^18)", "Sextillion(10^21)","Septillion(10^24)"・・・となり、こちらはそのあともOct, Non, Dec, Undec, Duodec, Tredec, Quattourdec, Quindecと、いくらでも続けていけるようだ。(以上、心覚えのため記載)
January 8, 2005 =Sat=
久しぶりにスポーツジムへ。先月の26日以来だからほぼ2週間ぶり。年始は2日からやっていたらしいが、通常の週末は今日が初めてだとあってかなり混んでいた。天気は日差しはあるものの風が冷たく、典型的な冬の気候だ。
昨日の朝日新聞では
こんな記事が目に付いた。FDやHD、それにCDやDVDあたりまでなら記録技術のイメージがなんとなく理解できるが、2.5cm角のチップにDVD10万倍に相当する3ペタ(ギガの100万倍)ビットの情報を書き込めるとなるとまったく理解可能な範疇を超えてしまう。ハイビジョン映画2万本を収容できるというが、これが実用化される2010年頃にはどんな社会になっているのだろうか。
kilo =10^3(10の3乗)=千、mega=10^6=百万、giga=10^9=十億、tera=10^12=兆、peta=10^15=1000兆
漢字では「京」の上は「垓(がい)」
「ジョ(のぎへんに「予」)」「穣(じょう)」「溝(こう)」「澗(かん)」「正(せい)」「載(さい)」「極(ごく)」「恒河沙(ごうかしゃ)」「阿僧祇(あそうぎ)」「那由他(なゆた)」「不可思議(ふかしぎ)」「無量大数(むりょうたいすう)」となるのだが、英語ではどこまであるのだろう。「無量大数}=10^68
January 7, 2005 =Fri=
昨日の検診結果は、要はいつものとおり体重を減らすよう注意しろということで、脳のMRIなどまったく異常なしとのこと。隠れ脳梗塞の兆候や血脈瘤などは見られないらしい。赤血球の数が標準より少なく、その分赤血球一つ一つが大きいとのことだが、「それでどうなるんですか?」と聞くと「いや、別にどうってことは」ただ、摂取カロリーを減らすようにということは念を押して言われた。
January 6, 2005 =Thu=
スマトラ沖地震に伴う津波被害に対して、日本政府はいち早く5億ドルの支援を表明したが、ドイツ政府はこれを上回る5億ユーロの支援を発表した。米国も、3.5億ドルの支援に加えて米軍を大規模に投入している。各国が競うように支援を表明しているが、これはプーケットをはじめとする国際的なリゾートが大きな被害を受けたこと、欧米や日本など先進国の旅行者が多数巻き込まれていることなどが理由なのだろう。米国の場合はイラクでの誤った戦争により失墜した威信の回復が大きなウエイトを占めていることは見え見えだ。まあ、理由はともあれ15万人とも言われる死者、500万人のオーダーになる被災者の支援に役立てばいいのだが・・・
浜野さんから「泥鰌を食べに行こう」と声がかかったのは昨年末だった。今日、上野駅に集合して浅草の「
飯田屋」に集まったのは浜野さんと私のほか、元Mj重工のSさん、元M物産のIさん、元M電機のTさん、元S日鉄で現在は税理士をしているYさん、元H立で今は系列のファイナンス会社の役員をしているIさんの計7名。いずれも一時期租研(国際租税研究協会)に関与していた「松戸会」のメンバーだ。今回の特徴はM物産のIさんが出席したこと。昨年6月に白根山で足を滑らして骨折、持病の糖尿病のせいもあって治療には半年かかったが、やっと今日、みんなと合流できたという。杖を突いての出席だったが、歩行には大きな障害はないようだ。気の置けないこのメンバーだと、会話があちこちに飛ぶのでゆっくり料理を味わう暇がないのだが、本格的な「どぜう」料理は今度が始めて。なかなか美味しいものだと再認識した。
再認識といえば、東京に住んでいながら浅草にはまだほとんど来たことがない。浅草に限らず、東京都内でまだ行っていないところはたくさんある。早く時間が自由になって、こうしたところを訪ねてみたいものだ
January 5, 2005 =Wed=
朝から新宿の取引銀行を3行、新年の挨拶にまわったが、昨日と違って空気が寒かった。天気予報だと明日はもっと寒くなるという。
年末年始とスポーツジムにも行けなかったし、飲み食いの機会も多かったので、体重のリバウンドを懸念していたがさほどでもない。安定してきたのかもしれない。明日はこの前の検診の結果を聞きに行くのだが、どういう結果が出るのだろうか。
January 4, 2005 =Tue=
仕事始め。今日まで休みで明日からという会社も結構あるらしく、朝の地下鉄はガラガラだった。会社で仕事始めの乾杯の後、銀座、日本橋界隈にある取引銀行4行に新年の挨拶に行く。昨日までの寒気が緩んで、真冬とは思えない暖かさだ。多くの銀行では今日と明日、会議室などに賀詞交換の場を設け、支店長が年始客に挨拶を交わす習いになっている。日本酒かワインで形だけ祝杯を挙げるのだが、これが結構な重労働らしい。杯には口をつけるだけとはいえ、お客の手前まったく飲まないわけには行かない。客の方はせいぜい数行で杯を干す程度だが、支店長の方は続々と詰め掛ける客を相手にしなければならない。「私は多少ともいける口だからいいけれど、前任者はまったくの下戸だったから気の毒でした。」と某行の支店長。こういうご時世だからそんな習慣は廃止すればいいのにと思うが、なかなかそうも行かないようだ。35年ほど前、大阪で子会社に出向して、十数行と取引していた頃、やはり正月には銀行へのあいさつ回りをやった。当時、関東系の銀行では乾杯をしたが、関西系の銀行では挨拶だけだった。関東系の銀行で一杯いただき、次は関西系の銀行へ行って酔いをさまし、また別の関東系の銀行に行って一杯なんてこともやっていた。その当時の取引銀行といえば、三菱銀行、第一銀行、日本勧業銀行、三和銀行、東海銀行、神戸銀行、大和銀行、三菱信託銀行、東洋信託銀行、日本長期信用銀行、南都銀行、紀陽銀行、幸福相互銀行、第三相互銀行など。このうちで今も同じ名前で残っているのは3行しかない。
January 3, 2005 =Mon=
夕方、娘夫婦がノエルちゃんを伴って来訪。ポメラニアンのノエルは先月会ったときより多少大きくなったが、この前は真っ白だった毛の色が少し茶色を帯びてきた。とてもおとなしく、新しい環境に怯えているようだが、すぐに懐いてくる。今日のディナーは私の担当で、北京ダックとチーズフォンデュ。いずれも昨日京王百貨店で買ってきたレトルトパックだが、結構評判はよかった。
年末年始の休みも今日でおしまい。今年は日並びが悪く、休みの期間が短いこともあるが、休みの間にやろうと思っていたことの半分もできないうちに終わってしまった。
January 2, 2005 =Sun=
途中買い物をするので少し早めに母の家を出る。母は家の前で見送ってくれたが、バス停の方に向けてだいぶ歩いてから振り返ると、まだ家の前に立ってこちらを見ている。寂しいのだろうと胸が痛くなる。母から、裕のママに何かお土産を持っていって欲しいとのことだったので、八尾駅前の西武百貨店で
桃林堂の「五智菓」を買う。八尾に本社のあるこの和菓子屋では、最中や羊羹もあるが、一番特徴のあるのは野菜を砂糖漬けにした「五智菓」だろう。八尾でしかないものと思っていたが、最近は上野や青山にも店を出しているらしい。お土産用のほかに我が家用にも小さいのを一つ買って帰った。
帰りの新幹線の中で、ジョン・グリシャムの"The Last Juror"を読了。確かに殺人事件に絡んで陪審員や仮釈放(parole)にまつわる問題など、法律小説のグリシャムらしい面もでているし、終わり近くの急展開はテンポがいいが、全体に流れるのはディープサウスの田舎町ののんびりとした雰囲気。主人公は資産家の祖母からの借金で20歳の時に閉鎖寸前の地方都市のローカル新聞を買い、これを立て直して150万ドルで売ることになるのだが、そうした経営の成功談は本筋ではなく、町の名士の追悼記事や8人の子供たちのうち7人に博士号を取らせた敬虔な黒人女性を取り上げた記事などで地道に新聞を再興させ、田舎町に突然起きた殺人事件の裁判記事でさらに売り上げを伸ばすなど、公民権運動とベトナム戦争を背景にした70年代の米国南部の地方都市の生活描写に重点が置かれている。"The
Firm"や"Pelican Brief"よりも前作の"A Painted House"の流れを受けた作品だろう。
グリシャムが終わったので、今度はダン・ブラウンの"Degital Fortress"に取り掛かる。例の"The
Da Vince Code"の作者だ。始めの数ページを読んだところだが、今度も暗号解読がテーマになっているらしい。言語学者が米国政府の秘密機関National
Security Agencyに呼ばれて暗号解読の手伝いを頼まれる。暗号の元の文章が中国語らしいということで専門家の彼が呼ばれたのだが、解読した暗号を中国文字に直しても意味を成さない。それで彼は、同じ漢字を使っているがこれは日本語ではないかと示唆する。そこで日本語に当てはめてみると見事に解読が成功する。ただ、彼には部分部分の暗号解読を手伝わせるだけで、解読した文章の全体の意味は分からないようになっている。NSAから帰ろうとすると、彼は暗号解析部長から声をかけられる。それは30代の非常に魅力的な女性だった。前作もそうだが、暗号解析などという地味でヲタクな仕事になぜ若い美女やハンサムな若手教授が携わるのかという疑問が涌く。
今日は大阪も東京も快晴だし、新幹線は山側の窓際の席だったので、雪を頂いた富士山がきれいだろうと期待していたのだが、本を読んでいるうちに眠ってしまったらしく、目が覚めたらもう小田原だった。
January 1, 2005 =Sat=
妹夫婦がやってきて、母の家の二階に同居している甥と合計5人で新年を祝う。御節料理は年末に西武百貨店から取り寄せていた。普通ならお屠蘇やお酒が入るところだが、私以外は誰も飲まない(飲めない)ので、一人で焼酎のお湯割を作る。朝、9時前に新聞を取りに郵便受けを見たら、もう年賀状が配達されている。年寄りの一人住まいでは年賀状の数も少ない。私が30日に出したのはまだ着いていない。多少雲は出ていて寒気も比較的強いが、晴れて穏やかな元日だ。
年寄は物を捨てるのが苦手だ。戦中戦後の物のない時代を過ごしたせいか、何でも大事に取っておく癖がついている。妹の発案で、妹夫婦と私でまず賞味期限の切れた食品を探し出して捨てることにした。使いかけの調味料から新品まで、賞味期限をチェックしてどんどん捨てていく。期限が2002年なんてものもあった。それにデパートの紙袋や包み紙、菓子箱なども捨てていく。だいぶすっきりしたが、ご当人は不満な様子。
夜はやはり5人ですき焼き。一人暮らしだと鍋物などやる機会がない。上等の肉が買ってあるので、食べ盛りの甥が張り切っている。始める前に、妹の夫が天井に付いたセコムの警報装置を外す。どうして外すんだと聞くと、すき焼きの蒸気に装置が反応してセコムの緊急センターに警報が行くからだという。前にも水炊きをしていて装置が反応したことがあるらしい。その時は翌朝早くにセコムが様子を見に来たという。本当の火事だったら翌朝来たのでは役に立たないのだが・・・(数年前に留守中に泥棒に入られてから、セコムと契約している。)
すき焼きの後片付けを済ませて妹夫婦が帰り、甥も二回に引き揚げると、古いアルバムを見ながら母から説明を聞く。裕のママから預かってきた写真のこともあり、探すと東洋ホテル時代に支配人(裕のママの父上)らと父が写っている写真や、同ホテルの全従業員が写った写真があった。父とともに電話交換手をやっていた母も写っており、職場結婚だったことがわかる。これらの写真を借りて帰り、複製して裕のママに届けてあげることにした。そのほか、祖父や祖母の出身にまつわる話を聞く。母も当事者ではないから祖母や父から聞いた伝聞でしかないが、祖父の一族の新潟にある墓の写真もあった。父の従兄弟だかにあたる人がルーツ探しに興味を持ち、新潟にお墓を探しに行こうと父を誘ったが、父が腰が重いので、一人で行ってきて写真を届けてくれたらしい。その従兄弟もすでに亡くなっており、写真には墓は写っているものの、地名を表すものがないため、正確にどこにあるのか分からない。私が生前の父から聞いたところでは、新潟の片貝というところで、それなら多分、先日の中越地震で被害の大きかった小千谷市の片貝ではないかと推測している。私も暇ができたらルーツを探ってみるのも面白いかなと思っている。そのためにもこれまでに聞いた話を書き留めておきたい。文章と写真を一緒に整理するのはWebページが便利だが、公開する性質のものでもないので、非公開のページを作ってみよう。
当月の日記へ