April 30, 2005 =Sat=
昨夜、息子や娘と寿司カウンターで、コースの握りを前にしての会話。
息子: おやじ、コレステロールの多いのは食べない方がいいよ。
娘: じゃあ、私、いくらを貰ってあげる。
私: ああ、いいよ。
息子: じゃあ、僕は雲丹を。
私: ・・・・
息子: 代わりにこれをあげる。
娘: これ、何?
私: 蝦蛄だよ。
娘: 蝦蛄って、どんなの?
私: 足がたくさんあるんだ。
娘: いやだ、私のも取って。
板前: そんなこと言わないで食べてくださいよ。正真正銘の江戸前の蝦蛄で、今は貴重品なんですよ。
娘: じゃあ、私、食べる。
私: 貴重品って?
板前: 最近、東京湾で蝦蛄がほとんど取れなくなってるんです。
私: へえ、どうして?
板前: 分かりません。蝦蛄だけじゃなくって、穴子も東京湾から姿を消してしまってます。
私: どうしたんだろ?
板前: 何かの前兆じゃなけりゃいいですけどね・・・
試しに「蝦蛄、穴子、東京湾」で検索をかけてみると、寿司屋で「蝦蛄や穴子が東京湾から姿を消している。」という話を聞いた人は他にもいるらしい。寿司職人なら魚河岸や漁師の情報には詳しいはずだから、この話は本当だろう。とすると・・・因みに蝦蛄は蝦に、穴子は鰻に姿かたちが似ているが、英語でも蝦蛄はMantis
Shrimp、穴子はConger Eelと呼ぶらしい。
April 29, 2005 =Fri=
娘と東京メトロ新宿三丁目駅で待ち合わせ、
新宿文化センターに。大ホール1800席がほとんど埋まっている。妻が通っている高円寺の
「小松原庸子スペイン舞踏団」つまりフラメンコ教室の発表会なのだ。前から2列目の左手に席を確保する。高円寺の入門クラスの中でも一番年上の妻だけが、発表会直前になってもなかなか動きが覚えられず、周囲をはらはらさせていたらしい。それも道理で、他の人たちはクラスのないときも自宅な

どで練習しているのに、妻ときたら例によって練習はクラスの時だけと割り切り、教えてもらったことのメモすら取ろうとしないのだから。それでもここ一週間ほどはビデオに合わせて手を叩いたり脚を上げたりしていたが、そのうちビデオの方は「アレグリアス」という曲で、自分たちが演る「セビジャーナス」とは違うことに気が付くと言う有様。
主催者挨拶もなくいきなり1曲目の「ファンダンゴス」が始まる。4曲目の「アルハンブラ」は6人の出場者ともかなりの高齢者だが、そのうちの一人の動きが素人目にもおかしい。テンポが遅れたり振りを間違えたりしている。ああ、妻もこんな感じなのかなと思う。やがて10曲目の「セビジャーナス」。妻の緑色の衣裳は我々の席からは一番遠い右端だった。曲が始まると、動きはまずまず。少しぎごちないところがあったが何とか踊りきった。ただ、表情が硬い。笑みを見せ、観客の方に視線を送る余裕はまったくなく、必死に踊りについていっていることが明らかだ。
6時半ごろに第一部が終わって席を立つ。娘と楽屋に行ってみたが妻がいるはずの楽屋には見当たらない。後で聞くと妻は出番が終わったあと、二階席で見ていて我々が席を立つのを見て下に降りたもののすれ違ったらしい。いずれにせよ妻の方は9時過ぎまで文化センターに居ることになっているので、「フラメンコには暇があっても行かない。」と言っていた息子をも電話で呼び出して三人で夕食。久しぶりで天麩羅が食べたく、小田急最上階の灘万の「まつ井」を予約したが、やってきた息子が「天麩羅は油で身体に悪い。それよりも本格的な寿司を食べたい。」というので、同じ灘万の寿司コーナーに変更。息子も娘もコースのほかに遠慮なく追加注文するので結構高くついたが、久しぶりで兄妹での会話が弾んでいた。息子が、娘に見て欲しい書類があるというので三人で帰宅。やがて舞台化粧を残したまま新宿文化センターから歩いて帰ってきた妻も加わるが、昨夜から酒の続いている私はいつの間にか寝てしまっていた。
April 28, 2005 =Thu=
明日から連休に入るので、会社の方は今日が最後の日となる。さすがに最終日となるとほとんどやることはないので、引継ぎ相手3人との連名で「引継完了報告書」を作成し社長に提出する。私が2003年7月1日にこの会社に来たときは、前任者はすでに次の会社に移っており、引継ぎのため1週間だけその会社から休暇を取ってきていた。それに比べると、今度は引き継ぎ相手が3人に増え、一番新しい人でも1ヶ月の引継ぎ期間があるなど、かなり贅沢な引継ぎができた。今後、いろんな計画が目白押しなため、後の人たちはそれぞれ苦労はあるだろうが、前任者としては一応心残りなく退職できる。ちなみに私が今日まで在職していた会社は
ここです。
夕方から社内に挨拶回り。社員の皆さんから餞別としてオールドパー一本を頂く。その後、私の「ファンクラブ」(冗談だろ?)だという女性数人がプライベートな歓送会を開いてくれた。彼女たちが選んだ2丁目の店「定食亭」は、その名前と裏腹に焼酎の銘柄がものすごく多い。和やかな雰囲気に栗焼酎、泡盛などを少し飲みすぎたが、場所も近いことだしと、「スナック裕」に誘う。女性客の少ないこの店に4人の女性を連れて入ってきた私に、ママも先客も少し驚いていたようだ。例によって音痴の私はウィスキーに専念し、元気な女性陣に唄のほうはお願いする。帰宅は深夜。
April 27, 2005 =Wed=
この前から検討していた次のモバイルPCだが、目をつけていたPanasonicのR3はやはり「メーカー生産完了のため完売しました。」との表示になっている。VAIOはこのまえの機種で懲りているし、Sharpのは発売からかなり経過していて値段も下がっているがその分昨日が古そうだしとおもっていたら、今日ビックカメラに寄ってみるとPanasonicの夏モデルが5月20日発売で予約受付中とあった。R3がR4になっていて、やはりバッテリ駆動時間は9時間、そのほかも余り変っていないようだ。別の、少し重い機種でバッテリ駆動12時間というのもある。連休後の大阪帰省には間に合わないが、トルコ旅行に持っていくには何とか間に合いそうだ。
April 26, 2005 =Tue=
会社の取引先でもある日比谷の
松本楼で歓送迎会。社長以下本社、子会社の役員・スタッフ約50人が出席。歓迎されるのはインターネットで応募してきた元銀行員とメインバンクから転籍含みでの出向者を含め5名。歓送されるのは私を含め3名。前の会社の先輩で、この会社でもすでに7年目になる最長老も6月の退職予定だが今日の歓送対象になっている。いろいろあるが、若い人に世代交代するのはやはり良いことだろう。スピーチは淡々と済ます。昔、スイスだかドイツだかに、ギリシャから家族旅行に行ったとき、日本人の母子連れに会った。「どちらから?」と声をかけると、その人はこの松本楼の社長夫人だった。娘さんをヨーロッパに留学させるので、一緒に来たという。娘さんはまだ10代くらいだった。もう立派に成人してそのときのお母さんくらいの年齢になっているのだろう。記念品と花束を頂く。帰りに子会社の役員夫妻と帝国ホテルのバーで懇談。帰りに酔い覚ましがてら銀座駅まで歩いているといつの間にか泰明小学校の裏手に。夜とは言うもののまったく人通りがない。銀座近辺にこんな静かな場所があるのかと意味もなく感激。
April 25, 2005 =Mon=
尼崎のJR脱線事故は大変なことになっている。最初のニュースでは脱線した列車が線路際のマンションに突っ込み、負傷者がでているらしいとのことだったが、その後詳細が報じられるにつれて被害は膨らみ、夜中の時点で死者54人、負傷者417人、いまだに列車の中に数人が閉じ込められていると言う。それにしても、列車の車体と言うのは頑丈そうに見えるが、あんなにぺしゃんこになってしまうものなのか。写真ではマンションの建物に巻きつくように潰れているのが先頭車両かと思っていたが、実はこれは2輌目であって、1輌目はマンション1階の奥のほうに突っ込んでいるのだそうだ。
ニューヨークタイムズまでフロントページに写真入で掲載されている。本当にいつ、どんな形で事故にあうのか予想もつかない時代だ。
April 24, 2005 =Sun=
昨日から
トレンドマイクロ社のウィルスバスターが大変なことになっているらしい。最新のパターンファイルをダウンロードして組み込むと、PCを起動したときにウィルスチェックのルーティンがループに陥ってしまい、立ち上がらなくなってしまうということらしい。PCが立ち上がらなければトレンドマイクロのホームページにアクセスして原因と解決方法を探すこともできない。こんな時はサポートサイトに電話しても繋がる確立は数万分の一だろう。それ以前に、立ち上がらない原因がまさかセキュリティソフトのバグに起因するものだとは見当もつかないだろう。トレンドマイクロの携帯サイトに緊急告知が載っているというのでhttp://tmqa.jpというサイトを覗いて見た。Windowsをセーフモードで立ち上げた後、手動でc:Program Files/Trend Micro/Virus Baster 2005にあるLPT$VPN.594というファイルを削除するように、と書いてある。どれくらいの人がセーフモードで立ち上げて指定されたファイルを削除するという操作をすることができるのだろうか。セキュリティソフトなんていうのは大体がPCを買ったときにバンドルされている試用版をそのまま継続して使うことが多い。私も以前はウィルスバスターを使っていた時期もあるが、PCをデルにしてからは
シマンテック社のノートンで来ている。別に各社のセキュリティソフトの性能を比較して決めたわけではない。ウィルスバスターを使っていた企業や個人は不運と諦めざるを得ないのだろうか。それにしてもトレンドマイクロのホームページに『
本件に関しましてはウイルスパターンファイル2.594.00に問題があり、ウイルスバスター等の製品そのものの問題ではございません。』と書かれているのは頂けない。読みようによってはパターンファイルが悪いのでうちの製品のせいではない、と言っているように見える。パターンファイルはアンタイ・ウィルスソフトの重要な構成部品であり、製品そのもののはずなのだが。
April 23, 2005 =Sat=
妻の事務所で少し仕事をしてスポーツジムへ。6時前にここを出て、同じ住友ビルの47階にある東京住友クラブへ上がり、大学のESS(English
Study Society)の新人歓迎会に出席。去年までは幹事の末席を務めていたが今年からはもう少し若い人たちに幹事をやってもらう。経済が東京中心になってきたせいか、神戸の大学なのに東京地区に就職した新人は7名と昨年以前より大きく増えている。だが、そのうち商社は工学部出身の大学院生が丸紅に入っただけで、メーカーが多い。大学で英語をやっていても商社は敬遠されているのだろうか。業績は絶好調なのに。気が付いたらこの集まりで二番目の長老になっていた。
April 22, 2005 =Fri=
会社では今日、経営会議と幹部会が開かれたが、いずれも私にとっては最後の出席となる。いくつものプロジェクトが同時進行していて大変だと思うが、人もずいぶん増えているので何とかやっていってくれるだろう。会議の連続で昼食も摂りそこなったものの、役割はなくなりつつあり、その分だんだん気楽になってくる。
帰り道にビックカメラによって、PanasonicのR3の展示を見ると、やはり「メーカー生産終了のため完売」と書かれている。もう一つ、
SASTIKという商品名で、USBメモリーみたいなのを挿せば外出先やネットカフェのPCでも自分のメール環境が使えるという製品を探したところ、これも「在庫切れ。お取り寄せいたします。」との札がついている。電子関連製品も結構売れているようだ。
April 21, 2005 =Thu=
今月末で会社を辞めた後、まずは連休明けに大阪の母のところに少し時間を取って行ってこようと思っている。妻は妻で税理士事務所が受けている3月決算の顧問先を手伝わせようと狙っているらしいが・・そして来月末から6月にかけて懸案のトルコ旅行を予定している。だが、その後どうするか。妻の事務所を手伝うのも一つの選択かもしれないが、一応、前の会社の関連会社である人材斡旋会社に行って登録をしてきた。60歳過ぎでは余り声はかからないらしいが、それでも経理関係は比較的求人の可能性もあるかも、とのこと。この会社、場所が麹町なので、用が済んでから娘に電話すると、同じ麹町でもかなり離れているらしい。娘は娘で忙しそうだったので寄るのはやめにした。
April 20, 2005 =Wed=
引継ぎもだいぶ進んできた。私がやっていた仕事を3人の後任者に引き継ぐことになるのだが、後任者はそれぞれに出身や経歴が違う(当たり前だが)ので、中には仕事のやり方や考え方に開きがあって内心いらいらすることもある。しかし、やり方、考え方は人それぞれだし、引き継ぐのは仕事の中身であって、やり方・考え方は相手に任せざるを得ないと割り切ることが必要なのだろう。どうせこちらは辞めた後まで口出しはできないのだから。
April 19, 2005 =Tue=
小滝橋通りで以前見つけた居酒屋「類」で息子と二人で飲む。小さな店だが、和食に一味独特な手を加えており、従業員の対応も気持ちが良い。
April 18, 2005 =Mon=
ライブドアvs フジテレビの争いが急転解決した。6月の株主総会に向けての議案提出期限を控えて解決を急ぐ必要があったのだろうが、これまでの両者の対立が、一変してフジの会長・社長、ニッポン放送の社長とライブドアの堀江社長が揃って和解の記者会見に臨む様子は、意外感がある。しかし、どちらが勝者かといえば、やはり3人の会長・社長を従えてのホリエモンというイメージに加え、1470億円を獲得し、2ヶ月余にわたって新聞の一面、テレビのトップニュースでの宣伝効果を挙げたライブドア側と思われる。単に勝った負けたの争いではなく、敵対的買収についての日本の法制を始め、現在の資本主義の枠組みそのものを大きく変革するきっかけとなったという意味で、弱冠30歳そこそこの青年の行動の意味は大きい。中国での反日デモを契機に株価が軒並み下落する中、ライブドア株だけが急騰しているのも頷ける。
その中国の反日デモの原因の一つでもある教科書問題について、New York Timesにかなり客観的な
記事がでていた。
April 17, 2005 =Sun=
二日続けてスポーツジムに通うなんて何ヶ月ぶりだろう。身体はすっきりしたが、流石に疲れた。エアロバイクも今日は320Kcalまでのところでダウン。一休み後もう一度挑戦したが40Kcalまでも行かないところでストップした。アクアサイズの方も水中でジャンプを繰り返しているうちに脚が凝り固まってくるのを感じた。機能の疲れなんて残っていないと思っていたが、やはり歳は歳なんだ。
今日も帰りにビックカメラに寄ってモバイルPCの品定めをする。PCのことなら分かってるから実際に買うときまで店員の説明なんか要らないよ、という態度でお目当てのパナソニックR3をいじくっているのだが、隣で説明を聞いていた人に店員が言うには「この機種は一番人気があって、品切れです。次はいつ入荷するか分かりません」・・ん?
April 16, 2005 =Sat=
今日も午前中は息子がいるので、土曜出勤は有給休暇ということにしてパス。午後から二週間ぶりにスポーツジムへ。エアロバイクを一時間近くやって消費カロリーが320Kcalでご飯2杯分。もう少し続けようと400Kcalあたりまで来たところで機械が自動的にクールダウンに切り替わる。脈拍数などを感知してあまり続けると危険ありと判断されたのかもしれない。いったんクールダウンした後、再び100Kcal分ほど続けて結局ご飯3杯分までやる。その後、プールへ行って水泳と水中歩行、それにアクアサイズといつものコース。
ビックカメラで切れていたプリンタ用インクを買い、ついでに新しいノートパソコンを見る。会社を辞めた後、大阪の母親の元に少し長期で行ったり、トルコ旅行の計画もあるので、軽量のモバイルPCが欲しいと思っている。今持っているモバイルPCはかなり昔のモデルのVAIOだが、OSはW98だし、どうもこのVAIO、あまり私とは合性がよくない。飛行機の中などで使っていて、突然固まってしまうのは仕方ないとして、電源も切れなくなってしまうのだ。着陸態勢に入るから電子機器の電源を切るようにとのアナウンスがあると困ってしまう。そうなるとPC本体の裏にある小さな穴に針先か何かを突っ込んで強制終了しなければならないのだが、そんなときに限ってこの穴を突き刺すような道具がない。いつもはそのためにゼムピンを一つポケットに入れているのだ。今度買うのはVAIOではなくシャープのメビウスの最軽量型かこれに相当するのにしようと思っていたら、パナソニックから
バッテリー寿命9時間という機種が出た。普通のモバイルパソコンではバッテリーは3時間から3時間半程度だから、9時間というのはかなり画期的だ。だが、ビックカメラでは、VAIOやFMVの売り場は大きく取っているのにパナソニックはなかなか見つからないほどの売り場面積で、このバッテリー9時間のをはじめ今春売り出した4機種だけしか展示されていない。値段は辛うじて20万円を切っているようだ。もっと安い店がないかどうか、もう少し様子を見てみよう。
April 15, 2005 =Fri=
昨夜、息子がこっちで泊まるというので待っていたが結局現れず、来たのは今日の明け方になってから。どうしたんだと聞くと、鍵を持っていないので開けといてくれとメールしたが返事がないのでネットカフェで一晩明かした後で鍵を持っていたのに気が付いたとのこと。おかげでこちらも寝不足気味だ。
妻が銀座に用があって出てくるという。こちらももう少しすれば銀座への出勤もなくなるので、銀座で夕食でもということになり、松屋の前で待ち合わせて銀座3丁目のスペイン料理「
エスペロ」へ。ここは小さい店だが店内の雰囲気がスペインの街角のレストランという感じが漂う。パエーリャを含むコースと赤ワインのハーフボトル。
食事が終わって、妻がまだ行ったことがない「スナック裕」へ行ってみようということになる。去年の10月、ママと劇的な遭遇をしたあの店だ。電話してみるとママが出て、「今はお客さん、誰もいませんよ。」とのこと。エスペロから歩いて10分ほどだろうか。やはり店には客はおらず、カウンターにはママのほかに新しく入れたという20代半ばの素直そうな女の子がいた。前に入れておいたボトルを出してくれる。カラオケスナックだが音痴夫婦は一曲も唄わず、他のお客がいないのを幸い、ママの身の上話などに耳を傾ける。若い頃、日商岩井の航空機部にいたというママは、かなり激しい恋をした経験があるらしい。日商岩井の航空機部といえば、1979年にかのダグラス・グラマン事件の舞台となるが、これはママが会社を辞めた後の話であり、事件の登場人物は彼女の上司や知人たちらしい。やがて一人、また一人と常連客らしいお客が入ってきた。一人は日本滞在十数年という日本語のうまいインド人。その後に、インド人の同僚らしい部長さんと部下のOLという組み合わせ。私たちのリクエストに応じて「本当はスナックのママが唄っちゃいけないんだけど・・」と言いながらママが唄った「サン・トワ・マミー」の歌詞は、考えてみればさっきのママの恋の話とぴったり。まさか歌に合わせて話を作ったわけでもあるまいが・・
April 14, 2005 =Thu=
引継ぎでデスクとその上のパソコンは後任者に渡してしまっているので、臨時のデスクで仕事をしている。そこにはパソコンもないので、出張、外出等で主のいないパソコンを使って作業している。いわばパソコン遊民だ。こんなときに威力を発揮しているのは少し前に買ったUSBメモリーだ。1GBの容量だが、もともと使っているファイルはExcel、Word、PDFそれにせいぜいHTML程度なので、今まで使っていたパソコンのデータをまるまる入れても余裕がある。これをUSBジャックに差し込めばほとんど今までと同じ感覚で作業ができる。時には空いたパソコンにパスワードによるログインブロックがかかっていてゲストアカウントが設けられていなかったり、AcrobatがインストールされていなくてPDFが読めないなどのトラブルはあるが。
April 13, 2005 =Wed=
今週は土日は暖かかったのに、月曜からはぐずつき気味で寒い日が続く。今日も銀行への挨拶回りや、夕方には麻布の取引先に面会など外に出ることが多かったが、こういうときは鬱陶しい。
家から直線距離で200mほどのところで高層ビルの建設が始まっている。妻の事務所のあるビルから一軒おいて隣になる。奥に引っ込んで建っている都税事務所に隣接した道路際。ここには以前、日本のライブハウスの草分けとして知られる「
新宿ロフト」があった場所だ。新宿ロフトがここを閉めて歌舞伎町に移転したのが1999年3月17日。以来、駐車場になっていて、一時は場外馬券売り場になるという話もあったが近隣住民の反対で立ち消えになっていた。そこにワンルームを中心とした31階建てのアパート建設の計画が立てられ、歌舞伎町に近い立地もあって、ワンルームでは風俗店が入居するのではないかとのことで今度も住民が反対したが、建設をとめるには至らなかった。高層ビルに良くあるような、最上階まで鉄骨を組んで外壁を嵌め込んでいく工法ではなく、鉄筋コンクリートで一回ずつ重ねていくらしい。今は4、5階あたりだが、もう少し高くなると、今は見えている西武新宿線の新宿駅ホームも見えなくなるし、視界がかなり遮られることになりそうだ。
April 12, 2005 =Tue=
丸の内・国際ビル地下の凌霜倶楽部で大学の同期会。話題が最近の中国・韓国での反日運動に及ぶと、ほぼ全員がナショナリズムの立場からの対中・対韓批判の合唱となる。こうした盲目的・付和雷同的ななナショナリズムこそが国を危うくすると思うのだが、多勢に無勢で黙っている自分がふがいない。しかし、最近とみにこうした議論が面倒になってくるのも歳のせいか。
April 11, 2005 =Mon=
朝、バスルームでシャワーを浴びていると、何か頭がくらくらしだした。やばい、このところカロリー制限を無視しているので、高血圧か脳梗塞でも出てきたか・・・ところが、だんだんと身体全体がゆらゆらしてくる。いや、ゆらゆらしているのは身体ではなく部屋の方か・・・ということは・・・「地震じゃない?」と妻が起きてくる。急いで上がると、リビングのピクチャーレールに吊るしてある銅板の絵が壁にぶつかってごとごと音を立てている。建物そのものもミシミシと不気味にきしんでいる。テレビをつけると、最初はただのニュースをやっていたが、やがてテロップが出て地震情報に切り替わった。「先ほど、関東地方で強い地震がありました。」って何で過去形なんだ。今もまだ揺れているのに。それとも地震の揺れはもう終わっているのに高層の建物は慣性で揺れ続けているのだろうか。
会社に行くと後任者から電話がかかってくる。風邪でも引いて休むのかなと思って電話に出ると、「今日は銀行に直行じゃなかったんですか?」しまった。今日は朝から引継ぎの挨拶に銀行に行く約束だったんだ。週末にいろいろあったのと、朝の地震でもってすっかり忘れていた。家から徒歩20分くらいで行ける銀行なのに、また地下鉄で西新宿まで戻らなければならない。銀行に電話を入れて遅れることを詫びて丸の内線の駅に急ぐ。今日は一日中冷たい雨が降っていた。
April 10, 2005 =Sun=
昨夜、サイゼリアにいるときに息子からメールが入り、相談事がある様子。そこで今日は娘も呼んで久しぶりの家族4人で夕食となる。新宿西口、大ガード交差点の「唐人凧」でフグ鍋・しゃぶしゃぶ・ジンギスカンの3点食べ放題・飲み放題というメニュー。さすがにジンギスカンはスキップしたが、フグとしゃぶしゃぶ肉は何度もお代わりを重ね、カロリー制限は完全に無視状態。二日続きで娘を大久保駅まで送っていくこととなった。
April 9, 2005 =Sat=

娘から、夫が今日から海外出張なので、暇だからお花見に行こうと電話。日中は妻も私も用があるので5時半に上野駅で待ち合わせて上野公園に行くことにした。娘の家からなら千鳥が渕や靖国神社などすぐ近くなのだが、そこは去年も行ったし、東京で一番の花見どころといえば上野公園だから一度は行ってみたいという。花よりも人を見に行くことになりそうだと思っていたら、案の定大変な人出。花はそろそろ散り始めで、今日がたぶんピークなのだろう。桜並木の両側には青いビニールシートなどに座って宴に興ずるグループが延々と続く。娘は屋台で何か食べたいというが、花見の席がつづくあたりには屋台は一軒も見当たらない。そういうふうに規制されているのだろう。途中、不忍池に降りていく階段があったので、そちらへ行ってみると屋台はここに集中している。特に食べ物を売る店はすごい列が並んでいる。焼きとうもろこし、さつま芋チップ、肉餡入りの餅、たこ焼きなどを買って、不忍池際の石に腰を下ろして食べる。そのうち娘が、「これ、お墓なの?」と聞くので見ると、腰を下ろしていた石は何かの碑の一部だった。立派な碑で、見ると「八橋検校顕彰碑」とある。もう暗くなりかけていて文章はよく読めなかったが、八橋検校といえばたしか江戸時代の盲人で、筝曲の名手だったと思う。風が吹くたびに花びらが吹雪となって降り注ぐ。明日はだいぶ散っているだろう。
上野から新宿に戻り、伊勢丹会館のタブラオ「
エル フラメンコ」へ。9時からのショータイムを予約している。ショーチャージと飲み物一杯、それにおつまみ程度の軽食がついて4,500円、ぐるナビの割引で3,000円になる。飲み物はスペインに敬意を表してサングリアを注文。ショーは踊り手が男1人と女3人、カンテとギターがそれぞれ男2人ずつ。最初は緩慢な感じだったが、1時間のショーの終盤に近づいてくると徐々に盛り上がる。中心となる男性ダンサーなど、激しい動きのたびに汗が飛び散るのが客席からでもよくわかる。最前列など汗がまともにかかりそうだ。観客の半分くらいは常連客らしく、歓声が沸き起こる。
フラメンコが終わって、娘はどこかでお茶を飲みたいというが、もう10時半を過ぎた土曜の夜は喫茶店も閉まっている。そこで結局は我が家の近くのいつものサイゼリアに。ここで12時までいて、大久保駅まで送っていく。
April 8, 2005 =Fri=
久しぶりに京橋の「竹葉亭」でマグ茶のランチ。途中、銀座一丁目にある仏具店の前でも「花祭り」をやっていた。
ローマでは法王の葬儀に400万人が参列したという。バチカンの人口は800人前後、面積は1`四方の半分にも満たないのに。ローマ市内には無料のテントがあちこちに張られているらしい。たまたま書類を整理していたら、7-8年前にバチカン大使をされていた高瀬さんから頂いたクリスマスカードが出てきた。
在ヴァチカン大使はお役目柄、ヴァチカン主催の各種聖祭(ミサ)に出席することが求められます。私も元日の新年ミサに始まり、法王の外交団接見、復活祭、聖ペテロ・パウロの祝日、一年の締め括りとなるクリスマスに至るまで二十回以上のミサに出席し、他の参列者とともに世界の平和と人類の幸福を祈念致しました。そのご利益のせいか、この一年もなんとか平穏無事に過ぎ去ろうとしております。
もう大使を辞められてだいぶになるが、どうしておられるのだろうか。
April 7, 2005 =Thu=
社長、後任者と3人で新宿のメインバンクおよび準メインバンクを訪問し、交代の挨拶。帰りの車から見る景色も春一色だった。午後は虎ノ門のホテルへ。ここでも桜が満開。脈絡もなく「酔生夢死」という言葉が頭に浮かぶ。
April 6, 2005 =Wed=
妻は娘と一緒に北陸方面に旅行する予定だったが、昨夜娘から電話があり、愛犬のノエルが骨折してタクシーで病院に連れて行ったところ、今日手術が必要とのこと。ポメラニアンは骨が細いからと、膝からも飛び降りないように気を使っていたのに、自分が抱いていて落っことしたとのこと。仕方なく今朝妻は一人で出かけていった。
夜、メインバンク出身の後任の人と銀座三丁目の焼き鳥屋「当たりや」で一杯。銀行員でもエリート行員というよりも叩き上げの苦労人というタイプ。この会社にはそういう人の方が適していそうだ。
April 5, 2004 =Tue=
昨日は少し肌寒かったが、今日はまったあく春そのものの陽気だった。銀座ワインハウスでの昼食の帰り道、みゆき通りの並木に白い花が咲いていた。見るとコブシの花だ。すべて満開。
鳩居堂の前まで来ると、花で飾られた小さな釈迦像にお年寄りの人たちが手を合わせながら甘茶をかけている。そう、4月8日の釈迦生誕を祝う「潅仏会」またの名を「花祭り」という行事だ。昔はこの行事、結構有名だったが最近はすっかり忘れていた。私だけが忘れているのではなく、熱心な仏教とは別として、世間一般からも忘れられているような気がする。銀座の真ん中で意外な行事に出会ったような思いで四丁目の信号を渡ると、
ミキモトの前では嵯峨野から運んできたという桜が満開を誇っていた。
こんな風に銀座の街角の風物に眼が行くのも、銀座での生活があと一ヶ月足らずになったせいだろうか、それとも単に春になったからだろうか。そういえば地下鉄の定期も切れているが、パスネットだけで用は足りそうだ。
April 3, 2005 =Sun=

午後から妻の事務所で仕事を手伝う。事務所は家の近くの、都税事務所の隣のビルの6階にあるが、同じビルの7階の不動産屋の会計業務がいつの間にか私の担当ということにされてしまっている。家族でやっている小さな不動産屋だが、仲介した賃貸物件の家賃管理を行っているため、事務量は結構多い。奥さんが経理を担当しているが、素人だけになかなかこちらの求める資料が揃わないので手が焼ける。
7時過ぎに家に帰り、今日はすき焼き。というのも、妻に来た年賀状の籤で当たった牛肉がチルド宅配便で届いたからだ。このところカロリー制限で牛肉は控えているので久しぶり。食事の後、妻の方は近く発表会のあるフラメンコの練習をしなければというのだが、HDに撮ってあった蜷川幸雄演出、野村萬斎主演の「オイディプス王」をつけたら、最初は少しだけ観ようというのが、とうとう最後まで観てしまった。演じる場所は昨年のアテネオリンピックが終わったばかりのアクロポリスふもとの古代野外劇場。蜷川演出のギリシャ悲劇はすでに定評が確立しているのか、サッカーの試合日と重なったというのに満員の盛況。ギリシャ劇を本場の野外劇場で日本語で上演するというのは、最初はただ単に珍しいというだけだったろうが、今は日本の様式美とギリシャ劇の融合は現地でも受け入れられるようになったらしい。劇場はヘロドス・アッティカス音楽堂。紀元前4世紀に建てられたディオニソス劇場と隣り合っているが、ローマ時代にできたヘロドス・アッティカスの方は修復されて現在も使われている。ギリシャ在住の頃は数え切れないほど訪れた場所だが、残念ながらここでの音楽祭や演劇を見る機会はなかった。オリンピックもあって昔よりだいぶきれいに整備されたようだ。月光に照らされた野外劇場で、野村萬斎の熱演、蜷川演出にスタンディングオベーションが延々と続く。
昨日、「アビエイター」のハワード・ヒューズがライブドアの堀江社長のイメージと重なる、と書いたが、堀江氏自身もそのblog(3月26日)で次のように書いているのを見つけた。
その後、ヴァージンシネマズで封切られたばかりの「アビエイター」を見る。
ハワード・ヒューズすげー!感動した。ベンチャー魂も政府の規制に敢然と立ち向かうところも。
こうやって道を切り開いていく人のエネルギーとはすごいものだ。それとリーダーとは危機に
瀕したときにこそ、勇気ある前向きな決断をしなければいけないことも。
April 2, 2005 =Sat=

スポーツジムから歌舞伎町へ直行。新宿ミラノ座で「アビエイター」を観る。石油掘削機で巨万の富を築いた父親の遺産を受け継いだハワード・ヒューズが、掘削機には関心を示さず、あくまで自分の好きな映画制作、航空機製造、そしてTWAを買収して航空事業に乗り出し、政治家と結びついた既存勢力と闘う様は、どうしても現代日本のホリエモンことライブドア堀江社長のイメージと重なってくる。映画では巨費と時間をかけた大作がハリウッドの既存勢力から冷笑され、航空事業に関しては、当時国際航空で選考していたパンナムと国際線新規参入を争うことになるのだが、ライブドアがプロ野球やテレビ業界への参入を拒絶されるのとそっくりだ。だが、考えてみると第二次大戦終了直後のこの時代に争ったパンナムとTWAは、今はどちらも存在しない。ハワード・ヒューズ自身は、幼い頃に彼を溺愛する母親から刷り込まれた"quarantine"という言葉から、細菌を異常に恐れるようになり、事業での重圧とあいまって精神を蝕まれているのだが、これをレオナルド・ディカプリオが熱演している。
映画館の中で、目ざとい妻が歌手の中尾ミエが来ているのを見つける。かなり年下の男性と二人連れ。私が大学時代に、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりの「三人娘」が大学にロケに来ていたのを覚えている。あの頃、彼女たちは17歳くらいだったから、中尾ミエももう60歳になっているはずだ。ちらりと見た横顔には、さすがに歳が現れていた。
April 1, 2005 =Fri=
後任者が着任して引継ぎが始まったが、PCも一台しかなく、やり残しの仕事も片付けなくてはなら

ないので、なかなかスムーズにはいかなそうだ。だが、あまりずるずるしても仕方がないので、早く終わらせたい。
このところHD付きDVD録画機に嵌っている。対象はBS2でやっている映画や、教育テレビでの舞台中継だ。HDに録画しておいて、後でDVDに焼く。これがやってみると案外簡単なので、次々とDVDが溜まっていく。いつか時間ができらら鑑賞しようととっておくだけなのだが、そうなるとまた凝り性なものだから、DVD表面にタイトルや画像を印刷し、さらにDVDケースにもラベルを印刷、その裏面にはキャスト、スタッフやあらすじなどを書き込む。そのデータはネットから取ってくるのだが、有名な映画ならあちこちに画像があるだろうと思ってもなかなかそうはいかないところに難しさ、面白さがある。DVD、ケースとも、画像は二つ入れないと落ち着きがないのだが、一つは大概みつかる。だいたいが市販のビデオやDVDケースに印刷された画像で、ネット上でのそれらの広告に使われている。しかしもう一つ別の画像となると、著作権の問題があるのか、見つからないことが多い。どのサイトを探しても、市販ビデオの同じ画像しかないのだ。それでも根気良く探していると思いがけないところでポスター写真や映画の場面を映した写真が見つかることがある。一ヶ月ほど前から始めたばかりだが、もうDVDは20枚以上になっている。NHKの受信料支払い拒否に参加したいのだが、コマーシャルのない映画が見られなくなるのもつらいところだ。
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