Diary


May 31, 2005 =Tue=

今日はバスによる長距離の移動日。距離が長いため朝は5時半に起床、7時に出発とかなりの強行軍。パムッカレから一路東へ進むと、これまで道の左右に見えていたオリーブやポプラなどの木々も少なくなり、見渡す限りの牧草地帯の中で羊の群れが草をはんでいたりする。このあたり、白いケシが栽培されている。遺跡などに見られるギリシャと同じ赤いケシではなく、アヘンがとれる本物のケシで、薬用に警察の厳重な管理の下で栽培されているとか。途中、晴れているかと思うと豪雨が襲い、しばらくするとまた晴れてくる。コンヤという町のヒルトンホテルで昼食。なかなか立派なホテルではあるがわれわれ以外に客も見当たらない。こんなところにホテルを作って採算に合うのかと余計な心配をする。昼食後は旋回舞踊教団の総本山を改装したメヴラーナ博物館に立ち寄り、手書きのコーランなどを見る。博物館の中庭に電話ボックスを見つけ、テレフォンカードで電話するも"Invalid card"との表示。係りの人に聞くとこのカードは外にある公衆電話でしか使えないとのこと。外に出ると講習電話ボックスが何台か並んでいて、ここから息子にかけたら繋がる。留守中変わったこともなさそうだ。コンヤからカッパドキアに向かう道は地平線まで見渡せるアナトリア高原をひたすら走り続ける。

途中またも豪雨となり、カッパドキアに近づくと雨はやんだものの、何と道路の端や民家の屋根に雪が残っている。ガイドによれば、明日は6月というのに雪が降るとはトルコでも今まで聞いたことがないという。空もどんよりと曇っていたが、カッパドキアに入ったとたん雲が晴れ、虹がわれわれを歓迎してくれた。出発の際に添乗員が「私は晴れ女ですから。」と言っていたが本当だった。

カッパドキアというのは地方をあらわす名称で、カッパドキアという町があるわけではない。泊まりはウルギュップという町のムスタファ・ホテル。エレベータは手でドアを開けるという旧式なもの。ネットは最初からあきらめた。今日はほとんど移動だけが目的の一日で、パムッカレからカッパドキアまで640km、累計で1,576km。


May 30, 2005 =Mon=

イズミールを出て1時間、「聖母マリアの家」へ。キリストが磔刑に処された後、聖母はこの地に逃れて余生を送ったという。交通手段もままならぬ時代に女性がイスラエルからトルコまで旅してこられるのか疑問だが、現在はキリスト教の聖地になっているそうだ。今日は娘の誕生日なので休憩時間に公衆電話からテレフォンカードを使って電話を入れ、「おめでとう」を言う。この近くがエフェソスの遺跡。これはとてつもなく規模が大きく、また保存状態もよく、トラヤヌスの泉、ハドリアヌスの神殿、公衆便所、図書館、アルカディアン大通りなど、往時をしのばせるに十分だ。欧米人のツアー客も多く、大変な混雑だ。ツアー仲間から、木馬の模型しかないトロイ遺跡が世界遺産に指定されていて、エフェソスの遺跡が指定されていないのは不公平だという声が聞こえる。だが、トロイ戦争は紀元前1200年頃の話で、エフェソスのほうはせいぜい紀元前300年から紀元後300年くらいの遺跡だから、形が残っているという意味では前者は後者には叶わないが、ヨーロッパ文化に与えたインパクトとしてはトロイのほうが何十倍も大きいだろう。

エフェソスからパムッカレに向かう途中から空模様が怪しくなってきた。パムッカレの石灰棚で靴を脱ぎ、水のたまった石灰岩の上を歩いているときは雨の中に時折稲光が光る。ヒエラポリスの遺跡はバスの中から見るだけにして早々にホテルに入る。ホテルはコロッセア・サーマル。風致地区規制で二階建ての穂tゲルだが、この地区で5つ星はここだけとのこと。ここもサーマルという名のとおり温泉がある。チェックイン語すぐに水着に着替えて温泉へ。有料のサウナや岩風呂は敬遠し、大浴場(というより温水プール)とジャグジーのみ利用する。雨がいよいよ本降りとなり、大浴場の半透明の屋根を通じて稲妻と雷鳴が聞こえる。夕食後、バーでベリーダンスショーがあるというが、混みそうだし明日の朝が早いので敬遠s来て早めにベッドに入る。なお、このホテルでも部屋にはLAN端末はなく、客用に一台端末を置いているが、フロントで聞いてみると"Sorry, it's out of order."今日の走行距離はイズミールからパムッカレまで265km、累計936km。(31日、パムッカレからカッパドキアに向かうバスの中で記す。)


May 29,2005 =Sun=

チャッカナレを出てまずはトロイに着く。私にとっては今回のトルコ旅行の最大の目玉はこのトロイ遺跡だ。ギリシャ神話の中心をなすトロイ戦争。その一方の舞台であるミケーネはギリシャにいたころ何度も訪れているが、トロイを訪ねるチャンスはなかった。紀元前3000年頃の第一層から紀元前350年頃の第九層までの遺跡が積み重なっており、トロイ戦争の頃というのは紀元前1900-1300年の第六層が該当する。必ずしも当時をしのぶ大規模な建物群が残っているわけではないが、やはりこの地に立つと立たないとでは違う。ガイドのムラット君に馬鹿な質問をしていた。「トロイ戦争はギリシャではイーリアスに残っているけど、同じ戦争についてトルコ側には伝承は残ってないの?」彼の答え。「その頃トロイにいた人たちと今のトルコ人とはまったく繋がってないんですよ。」そりゃそうだ。トロイ戦争とはギリシャ人同士の戦争なのだ。トロイ方の登場人物の名前もギリシャ名さし、オリンポスの12神だってパリスに義理のあるアフロディてはもちろん、海神ポセイドンなどはトロイ方についている。第一、この戦争の遠因となった三女神の美人コンテストだって、その審判を異民族に委ねるはずはない。

トロイの後、ベルがモンの遺跡を見てイズミールへ。イズミールのプリンセス・サーマル・ホテルはサーマルの名が示すとおり温泉プールがある。食事の後ここで少し泳いで、バーにインターネットカフェがあるというので1時間4リラで申し込む。PCは1台しかなく、スイッチを入れるとWindows98が立ち上がる。「あれ、XPじゃないの?」と嫌な気がしたら、案の定、表示がすべてトルコ語だった。コントロールパネルで言語を変えられるはずと試してみるが、全部トルコ語なのでどれがコントロールパネルなのかもわからない。バーのボーイに「英語表示に直してよ」というといろいろ試してくれるのだが「自分じゃできないので誰か呼んでくる。」呼ばれた誰かも同じでまた誰かを呼びにいく。ということで結局分からずじまい。4リラは返してくれた。まあ言語表示は直せてもキーボードがトルコ語仕様なので入力は大変だったろう。ただ、ブラウザはあちこちいじっているうちに言語切り替えができるようになり、このページもちゃんと日本語で表示された。本日の走行距離はチャッカナレからイズミールまで346Km、累計671Km。



May 28, 2005 =Sat=

昨夜はイスタンブール・プリンセス・ホテル。フロントに部屋からインターネットに接続できないか聞いたところ、3桁の外線番号をくれて、ここに接続すればパスワードなしにログインできて、料金は部屋にチャージされるというので試してみたが結局つながらず。

朝から、ブルーモスク、アヤソフィア、トプカピ宮殿を見て、イスタンブールのヨーロッパ側からフェリーでアジア側に渡る。アヤソフィアはビザンチン時代の500年代に建てられ、オスマントルコの時代にはモスクとして使われていたというが、長期にわたってイスラムの聖堂だったところに聖母マリアのモザイクが残っているというのも不思議な気がする。フェリーの出るゲリボルという町は、第一次大戦の際、オーストラリア・ニュージーランド連合軍がトルコを攻撃、トルコ側に30万人、連合軍側に20万人の戦死者を出したという歴史があり、今でも関係国が毎年追悼式典を行っているという。ガイドのムラット君はアンカラ大学で日本語を学んだそうだが語学力はなかなかのもの。もっともトルコ語は文法的に日本語と似ているらしい。トルコ以外でトルコ語が話されるのは、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、トルクメニスタンでトルコの70百万人と合わせてトルコ語人口は1.5億人になるとか。

今日の宿泊はチャナッカレのコリン・ホテル。夕食に白ワインのハーフボトルのほか、ガイドが言っていたトルコ独特のラクという酒を注文。水で割ると透明から白に変わるというのでギリシャのウゾに似ているなと思って頼んだが、飲んでみるとまったくウゾと同じ。やはりギリシャとトルコは隣国同士なのだ。ムラット君に「最近、ギリシャとの関係はどうなの?」と聞いたら、「大変よくなっています。1998年のトルコ地震のときに救援を受けてからとてもよくなりました。」とのこと。むしろ、過去の歴史的経緯から近隣ではアルメニアとの関係が険悪だとのこと。このホテルでは部屋にLANのコネクタがあったのでフロントに使い方を聞くと、ベルボーイがユーザーネームを書いたメモを持ってきてくれる。LANケーブルをつなぐとユーザーネームとパスワード入力画面が出て、ここにユーザーネームを入力し、パスワードにルームナンバーを入れると接続完了。料金は2時間で3リラ(約240円)。これで昨日のDiaryをアップする。本日の移動距離はイスタンブールからチャッカナレまでで325Km。


May 27,2005 =Fri=

トルコ航空51便で成田からイスタンブールまでの12時間余りのフライトの間、ほとんど休みなく佐藤優著「国家の罠」を読み続け、到着までに読了。こうした本に影響を受けやすいのかもしれないが、現代政治に関する視点がすっかり改めさせられた感じがする。佐藤氏と担当の西村検事とのやりとりが本のとおりであるならば、この事件が「国策捜査」であることを検事自ら認めている。しかし、国策捜査とは「冤罪」ではない。国策に基づいて国家権力が特定のターゲットを絞り、犯罪を作り上げる。これはでっちあげではない。ちょっとした隙を突いて国家権力がターゲットに対して本物の犯罪を作り出す。強力な国家権力に対してターゲットが抵抗するすべはない。だが、なぜ国家権力は「国策捜査」を行うのか。それは昔ながらの検察ファッショとは異なる。時代の転換点において必然となるパラダイム転換を検察の手で行うのだ。この事件のパラダイム転換を、著者は次のように分析する。一つ目は「ケインズ型公平分配路線からハイエク型傾斜分配路線への転換」そしてもうひとつは「外交における地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズムへの転換」である。この分析は小泉政権誕生以来の動きと照らし合わせて非常にわかりやすい。そして、北海道釧路周辺を地盤とし、後進地域への資金分配を引出そうとする鈴木宗男、北方4島への経済協力により領土問題へのロシア側の譲歩を引出そうとする鈴木宗男の政策に対し、自由競争による勝者を牽引力として経済回復をめざす小泉路線、9.11以降単独主義を強めるブッシュ政権と歩調をあわせ、対露、対北朝鮮でも強硬路線をとる小泉政権が、前者を潰しにかかるパラダイム転換の中で発生したのが、この事件であるという分析。いずれ歴史が真偽を判定することになるのだろうが、自らが起訴され、過酷な取調べを受ける中で、ここまで冷静に分析することのできる著者の知力には脱帽せざるを得ない。

飛行機は予定通りイスタンブールに到着。


May 26, 2005 =Thu=

明日からの旅行の準備。10日の旅は結構長いので、久しぶりに大型のスーツケースを持っていくことにする。いつもは海外でも3〜4日なので機内持ち込みのキャリーバッグで済ますのだが。夕方、ABCがスーツケースを取りに来る。持って行く本は、昨日の読みかけの「国家の罠」と、やはり読みかけの"Deception Point"にする。トルコのホテルでネット接続ができるかどうか・・・


May 25, 2005 =Wed=

朝から近くの三越診療所へ行き、いつものコレステロール制御剤の処方箋をもらい、ついでに先月の血液検査の結果について説明を受ける。数値は横ばいか多少改善しているようだ。

その後、銀座に出て、年金関係の書類に印をもらうため、先月まで勤めていた会社に寄る。会社を辞めてから銀座に出るのは初めてで、約1ヵ月ぶりだが、少し夏めいたかなと思う程度で、銀座は変っていない。元同僚の女性二人と銀座ワインハウスで昼食。先月までは週に1〜2回はここで昼食をとっていた店だ。顔なじみの従業員も変っていない。仕事上のこととか相談を受けるが、退職した身としてはみんなで仲良く協力してやっていってもらうよう願うしかない。

夕方の会合まで時間があるので、5丁目の旭屋書店に立ち寄り、佐藤優氏の「国家の罠」を買う。柳通りのドトールコーヒーに入ったら空いていたので、窓際の席を確保して3時間ほど読みふける。佐藤氏は、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた人で、外務省を巡る田中真紀子外相と鈴木宗男議員の抗争の後、背任と偽計業務妨害で逮捕され(その後、鈴木議員も逮捕に至る。)、512日にわたる拘置から保釈された後で本書を執筆した。1960年生まれと言うから、事件の頃は40歳を過ぎたばかり。いわゆるノンキャリアだが、同志社大学で神学を学んだという、外務官僚には異色の経歴。もちろん自分の行為の正当性を主張しているのだが、この書を見る限りその思考力、洞察力等かなりの人物と思われる。三分の一程度を読んだだけだが、「国益を第一に考えロシア等の要人との人脈をつくり、身を粉にして働いてきた人物が、政争に巻き込まれて国家権力から罠にかけられ、逮捕された。」という図式が浮かび上がってくる。あの当時、鈴木宗男とその取り巻きは外交利権を漁る「悪」というのが大方の評価だったが、別の方向から見れば別の見方もあるのだろう。読み物としても結構面白い。

新橋・烏森口の「あん座」で、昔の商社監査部時代の仲間たちと会合。私が先月末で美容の会社を辞めたのをネタに6人が集まる。一人は商社本体の監査部で、二人は鉄鋼子会社の監査部で、一人は化学品関係の会社でそれぞれ勤務、もう一人は本社の社史編纂に携わるなど、結構みんな現役をしている。二次会には銀座の「スナック裕」へ。


May 24, 2005 =Tue=

バケツをひっくり返したような、と言うか、夕方から夜にかけて豪雨が襲う。昨夜は雨に加えて風もすごかった。こうした天気のせいでもないが、先月末に会社を辞めてから、何かと身辺に事が多く、なかなか落ち着いて充電生活に入ることができない。日記にも書きにくいことが多く、途切れがちになる。そうした中、27日から予定しているトルコ旅行だが、一番気がかりなのは妻の母親の健康状態。一昨日から神戸の病院に行き、昨夜帰ってきた妻は「旅行に行くことに決めた。」と言う。「本当に大丈夫なの?」と聞くと、妻も旅行中止を心に決めていたのだが、病院の先生にその話をすると、即座に「行ってきなさい。」と言われたそうだ。実際、人のいのちは誰にも予測できないし、今中止したとしても先送りしたスケジュールにあわせてまた同じ問題が起きるかもしれない。一時帰国中の妻の弟も「行って来い。」と言う。トルコで会う予定をしている人との約束もある。ということで帰りの新幹線の中で旅行決行の決断をしたそうだ。それにしても昨日今日と肉体労働が多く、疲れた〜。


May 20, 2005 =Fri=

注文していたモバイル用PCが入ったとの連絡を受けてビックカメラへ。今日が発売日のパナソニックのR4という機種。ついでにポイントを使ってDVDのコンボドライブを購入。モニターサイズは同じ10.5インチだが、Windows98時代のバイオ(PCG-N505)と比べてみると筺体のサイズが一回り小さい。幅、奥行きともそれぞれ2.5センチほど小さい。ただしその代わり厚さはR4の方が1.5倍くらいあるだろうか。筺体が小さい分、キーピッチが狭くなっているのだろうが、各種記号キーをアルファベットキーより小さくするなどの工夫を加えているので、さほど問題はなさそうだ。重さはR4は999グラムと1Kgを切っている。何よりも強みは電池の持続時間が9時間と言うもの。同時に発売された別の機種では12時間というものあるが。さっそく持ち帰って4〜5時間かけてアプリケーションのインストールやらインターネットの設定などを済ませる。


May 19, 2005 =Thu=

妻の母親の具合がいよいよ悪いらしい。日曜日に台湾から弟が帰ってくるのに合わせて、妻が入院先の病院に行くことになっているが、先週の金曜日に危ない時期があったらしい。昔はめっぽう威勢の良い人だったが、夫に先立たれ、さらに震災に遭ってからはいわゆる認知症の傾向が強くなってきて、ここ数年は娘が訪ねて行ってもよく分からないようだった。義母の具合によっては今月末からのトルコ旅行も中止することになるかもしれない。


May 15, 2005 =Sun=

結局、今回は有料老人ホームと実家の売却は見送りとし、ケアセンターからきてもらう回数を増やすことで対応することにした。一方、ここへ来ていろいろと内憂外患がでてきたこともあり、予定を短縮して帰京することにした。

ところで、実家の周りには花が多い。歩道と車道の間の植え込みにはつつじが満開だし、空き地の草むらにも色んな花が咲き乱れている。我が家の庭にも母が丹精込めた鉢植えが並んでいるが、庭の敷石の間から赤い罌粟の花が顔を出している。この罌粟、実はギリシャ産なのだ。むかし、ギリシャにいた頃、家の庭にはこの季節になると隙間のないほど真っ赤な罌粟が咲いていた。罌粟は逆境に強いのか、夏の間一滴の雨も降らないアテネのアクロポリスに登ると、パルテノン神殿の周りの石ばかりの中からあの赤い花があちこちに咲いていたものだ。妻や子供たちが一時帰国したとき、この罌粟の種を持ってきた。最初の年に撒いた種からたくさんの花が開いた。その後は庭に落ちた種が翌年も花を咲かせた。数年前、駐車場を作るために庭を削り、土地を掘り返したが、それでも一株だけ残っていたらしい。ギリシャから帰国して四半世紀を隔て、いまなお罌粟は生き続けている。


May 13, 2005 =Fri=

妹の車で京都へ墓参り。西本願寺系の大谷本廟の中の無量寿堂。中は結構歩くので、今日は母を駐車場から車椅子に乗せる。6階の受付で読経を頼み2階のお墓(仏壇と納骨場所がせっとになっている、いわゆるお墓マンション)の前で待っていると、若い僧侶が現れ朗々とした声で読経を始める。ここには1977年に亡くなった祖母と、2002年に亡くなった父の遺骨が納められている。祖母がなくなるよりずっと前に、父が「京都なら東京から来る親戚にも便利だから」と買ったのだが、八尾の実家からだと車でないとかなり大変だ。今は無量寿堂も一杯になり、第二無量寿堂が建てられている。火事にならないよう、お香も電熱器を利用し、蝋燭も電気式だ。

お参りの後、どこで食事をしようかということになり、来る途中で見た「ザ・めしや」というのに入る。昔よく見かけた、「お袋の味」スタイルの、惣菜を棚から選んで取る方式の飯屋を、ファミレス風のビュッフェに仕立てたチェーン店で、名古屋以西に展開しているらしい。ご飯は、玄米、大豆、押麦、煎り胡麻、それにキヌアという炊き込み、上に葉大根としらす干をのせた「葉大根の五穀飯」。これは結構おいしい。

今回の大阪行きの目的は、92歳でときどき意識を失う癖のある母を説得して老人ホームに入ってもらうことにある。妹が週に2回行ってくれているが、片道1時間ほどかかるし、誰も居ないときに意識を失ったりしたら大変だからだ。昨日は実家の近くのスーパー「サティ」のすぐ横に新しくできた施設を見てきたが、今日は吹田にある有料老人ホーム「パーマリー・イン緑地公園」を見に行った。入居時にまとまったお金が必要だが、地下鉄御堂筋線から続く北大阪急行の緑地公園駅に近く、服部緑地に面していて環境が良い。いくつか部屋を見せてもらうが、2階の服部緑地に面した部屋が気に入ったらしく、珍しくここを予約しようと言う。一応仮予約して入居の契約書や規則類を貰って帰る。

夜は駅前にある大手不動産会社に来てもらって、実家の土地建物の売却を相談する。ちょうど、隣の家も売りに出ているので、タイミングとしては良し悪しだが、このあたりは割りと人気が高いので高い値段に固執しなければ売却は難しくはないという。だが、だんだん話していくうちに、母の気持ちはまた反対側に傾いてきたようだ。なにしろ東京から移ってきて、狭い借家暮らしの末、やっとこの地に落ち着いてもう50年、愛着があるのは当然だ。昨日もゴミ出しの日だが、家の前の道路を箒できれいに清掃している。老人ホームの入居にときどき気持ちが傾くのは、私や妹が心配するのを気遣ってのことであり、本心はここに残りたいということに間違いはない。


May 12, 2005 =Thu=

昨夜、持参したバイオ・ノートの中をかき回していたら、InterlandのIDとパスワードを記したメモが見つかった。そこで今日も外出のついでにネットカフェに寄ってアップロードを試みる。文章はメモ帳で作成しているので、メモ帳のままHTMLタグを付けてみる。果たしてうまくいくだろうか。

明日、京都へ墓参りに行くので、今日は午前中から妹が来て泊まっていく。むかし、我が家は6人家族だったが、私がギリシャに渡った年に祖母が亡くなり、2001年に弟が、2002年に父がなくなって、昔の6人は3人になってしまった。その代わり、それぞれ配偶者や子供たちができているのだが。雨の中を妹の車で昼食にでかけ、その帰りに不動産屋に寄って、実家の土地建物がどれくらいで売れるのか、また、その場合の手続きはどうするかなど相談する。父が亡くなってから相続登記はやっていないし、土地は父の名義、建物は私の名義などいろいろとややこしい。

イラクで拘束されたと伝えられる斎藤さんという人、自衛隊に1年か2年いた後、フランスの外人部隊で20年あまりを過ごしたという。不謹慎かもしれないが、この「外人部隊」という言葉、なんとなく郷愁を誘う。いずれも戦前の映画だが、「モロッコ」「外人部隊」「地の果てを行く」など、フランスの植民地支配の尖兵となった外人部隊を描いた作品が多い。もっと身近なのは、「カスバの女」という歌。その3番の歌詞に・・・

 貴方も私も 買われたいのち
 恋してみたとて 一夜の火花
 明日はチュニスか モロッコか
 泣いて手を振る 後ろ影
 外人部隊の 白い服

とある。しかしその過酷な外人部隊に20年以上にわたって所属していた日本人がいたというのも驚きだ。しかもかなり優秀な兵士だったという。大藪春彦の小説にでも出てきそうな人物だ。

この「カスバの女」という歌にもちょっとした思い出がある。初めての海外赴任地のアテネで、旧市街のプラカ地区にある日本料理店の中庭でひとり食事をしていたとき、この曲が流れていた。異郷の地で聞く「ここは地の果て アルジェリア・・・」という歌。アテネであってアルジェリアのカスバではないのだが、何となく身につまされる思いに沈んだものだった。

May 11, 2005 =Wed=

92歳の母は先日、介護度1の認定をもらったが元気だ。しかし、時々一時的に意識がなくなることがある。病院で診てもらったら脳に血液が不足して起きるらしい。家族としては24時間介護の老人施設に入居してもらったほうが安心なので、交野市に住む妹が交野近辺の施設に見学に連れて行くのだが、本人は今の家で暮らしたいという。今の家からすぐ近く、サティの隣に新しく介護付有料老人ホームが出来ているというので、「見学だけでも行ってみよう。」というのだが、「その気はないよ。」とそっけない。それで私だけで覗いてみた。「花咲」という名前の建物で、7階建て130室。部屋はすべて同じ広さだが、トイレ・収納部分も含めて1室12畳くらいだろうか。東向きと西向きがあり、東は視界が開けているが西はサティの立体駐車場。東向きのほうが家賃は1万円高いが、どちらと希望することは出来ず、抽選だそうだ。今年4月に2−3階がオープンし、今後順次4階以上の募集を行うという。各階に風呂場があるが、3階と6階には寝たきりの人も入浴できるよう機械式の浴場も備えられている。出来たばかりなのできれいだ。しかし、本人が入る意思がないのではいくら施設がよくても仕方ないが・・・

実家からではネット接続が出来ないので、インターネットカフェに初めて入ってみた。運転免許証を見せて会員登録し、IDとパスワードを決め、指定された番号のブースに行き、スイッチを入れてID、パスワードを入力してログインすれば、あとは15分100円でPCとネットが利用できる。メールの送受信も問題なく出来た。ホームページの更新も、カフェのPCにはホームページビルダーなどの作成ツールは入ってないが、持ってきている古いバイオ・ノート(Win98)にはツールが入っているので、これで作成したものをUSBメモリに移し、ネットカフェのPCに差し込めばOKだ。問題はFTPだが、これもYahooあたりからフリーソフトをダウンロードして解凍すれば使える。と、ここまできて失敗に気づいた。いつもアメリカのInterland社のサーバに接続して更新しているのだが、このときのIDとパスワードはFTPソフトに覚えさせており、都度入力していない。ネットカフェから接続しようとすれば、当然IDとパスワードを入力しなければいけないのだが、これを覚えていないのだ。自宅に帰ればどこかに控えてはあるのだが、これを書き写してくるのを忘れていた。というわけで、当分はオフラインで記録だけしておくしかない。

May 10, 2005 =Tue=

午後2時過ぎの「のぞみ」を予約していたが、東京駅に着いたら1時50分のに間に合ったので変更。5時半には近鉄八尾駅に到着。駅前の西武百貨店の地下食品売り場で苺を買う。以前はこの食品売り場、西友のスーパーの売り場と似たような感じだったが、別のテナントが入ったらしく様子が変わっている。概して高級志向というか、新宿の家の近くのスーパーと比べてもかなり高い。西武百貨店自体は、今年3月に「私的整理に関するガイドライン」による再建計画を達成したが、これに合わせて八尾店も全面改装をしたということだ。1階には開店当初からある水時計が今も動いている。子供づれで帰省したとき、幼い息子はこの水時計を珍しそうに、いつまでも飽きずに眺めていた。その息子ももうすぐ30歳になる。この間、水時計は休まず時を刻み続けてきたのだろうか。バスで5分ほどの実家に行く途中、コクヨの工場の横を通る。1961年、私が大学生のときにできたこの広大な工場は閉鎖となり、来年秋にはイトーヨーカドーを各店舗とする複合商業施設になるそうだ。この近所にはサティがありローカルスーパーもある。このコクヨ工場跡地全部が商業施設になると、競合他社は大きな影響を受けることになるし、この付近の様子も一変することだろう。

May 9, 2005 =Mon=

明日からの大阪行きを前に、妻の手伝い仕事のうち最後まで残っていた1件の3月決算を深夜までかかって片付ける。その間、息子と近所の炉辺焼きの店で飲みながら人生相談。


May 8, 2005 =Sun=

例によって週末は妻の事務所の仕事の手伝い。いつの間にか私の担当にさせられてしまった3件の顧問先の3月決算をなんとかほぼやり遂げた。3件とは、お好み焼き屋さん、食品問屋、それに曹洞宗のお寺。税理士に経理を丸投げにする程度だから余り複雑な内容ではないが、それぞれ数字を通じて日々の活動状況が窺われて面白い面もある。

日曜日の朝、フジテレビで「報道2001」という番組がある。朝早いので視聴率は低めらしいが、朝日のサンデープロジェクトなどと違って、フジテレビ故の政府べったり姿勢から、政府や与党の大物が良く出てくる。ところが、今朝は珍しく民主党の菅直人が出ていた。司会の黒岩何某が中国人、韓国人の出演者に対して「歴史認識」の意味について妙に興奮して突っかかっていたが、そうした流れの中で菅さんが、「中国・韓国から言われるからではなく、日本人として戦争責任についてのけじめをつけるべきだ。昭和天皇は、天皇機関説的な立場にあって法的には戦争責任はないが、道徳的には責任があるのは明白で、終戦のさいに退位すべきだった。」と発言した。この発言は今後議論を呼びそうだが、非常に勇気のある発言だ。見直したぜ、菅さん。良くぞ言ってくれた。戦後60年もたって、いまだに近隣諸国との仲がぎくしゃくしている背景には、本来責任を取るべき「あの人」が、一度も明確な謝罪をせぬまま、第二次大戦の主役たちの中で最も長命を全うし、戦争責任を頬被りしたまま逝ってしまったという事実がある。軍国日本に侵略された近隣諸国の人たちの感情もさることながら、当時の日本人の多くも、「あの人」のためにと信じ、最後のときに「あの人」に「万歳」を叫んで死んでいった。「その人」が、自らの責任に背を向けたまま戦後40年近くにわたって国の象徴として君臨したことは、天皇崇拝者たちが愛する日本人の美学から言っても、大変おかしなことではないだろうか。


May 6, 2005 =Fri=

連休中日の平日。今日も事務所には所員が出勤していてコンピュータが空いてないので私には自由時間が確保される。そこでスポーツジムへ。いつものエアロバイクのほかに、少し時間があるのでランニングマシンも試してみる。昨日指に怪我をしてバンドエイドを貼っているが、そのままプールに入ったが余り気にならない。だが、流石にすこしやばいかなと思って、帰りに薬局で薬を買った。

夜10時から日本テレビで「Shall we ダンス?」を観る。おととい観たリチャード・ギア主演の"Shall we dance?"の元になった、1996年日本製のオリジナルである。リチャード・ギアの役どころはオリジナルでは役所広司、ジェニファー・ロペスは草刈民代。驚いたのは今回のリメイク版が日本のオリジナルとディテールに至るまでまったくそのままと言うことだった。ダンスにはまり込んだ主人公が、オフィスで執務中に無意識にステップを踏んだり、同じダンス教室に通う同僚とトイレの中でダンスの所作をしているところに第三者が入ってきて、あわてて同僚が気分が悪くなったふりをするところまで、まったくそのまんま。"Shall we dance?"の方はいま、日本で大ヒットしているが、日本版の原作にここまで忠実なリメイク作品が、本場のアメリカではどのように評価されているのだろうか。アメリカでも受けているとするならば、工業製品だけでなく日本人の感性もグローバルに通用する証となるのだが。因みに、"Shall we dance?"の舞台はシカゴだが、そのChicago Tribuneの評では4点満点の2.5という。


May 5, 2005 =Thu=

夕食のしゃぶしゃぶの後片付けをしていて、見事に左手中指を包丁でスライスしてしまった。ゴミの分別マニュアルによると、しゃぶしゃぶのたれが入っているような瓶の場合、本体の瓶はビン・カンの資源ごみとして、プラスチックのキャップは燃えないゴミとして出すように書いてある。これに忠実に、キャップを外そうとしてもなかなか取れない。そこで包丁を使ってキャップに切込みを入れてはがそうとするのだが、切込みを入れることすら難しい。いろんな角度から包丁を試しているうちに手が滑って指の皮をそぎ落としてしまった次第。血があふれ出るのを見て、そういえば最近は怪我をする機会も少なくなったなと、変な感慨を抱く。薬をと探したが、血止めになるようなのが見当たらない。昔なら、たいがいメンソレータムを置いていたのだが、たしかあの会社、近江兄弟社とかいったけど、だいぶ前に倒産したんじゃなかったかな。結局、バンドエイドを二三枚重ねて貼ってみたら、最初はバンドエイドの空気抜きの小さい穴からも血がはみ出してきたが、そのうちに何とか治まったようだ。それにしてもあのプラスチックのキャップはもう少し簡単に外せるようにできないものだろうか。


May 4, 2005 =Wed=

昨夜、SさんがWさんに聞いていた。「ねえ、"Shall we dance?"って見た?」「明日見に行く」「どこで?」「有楽町のマリオン」「えっ!何時の回?」「13時25分」「やだあ!私たちと同じじゃない」Sさん親娘はMikuniへ来る途中で指定券を買ってきたが、Wさんは遅刻しそうだったのでまだ切符は買っていないとのこと。これを聞いていた妻はすぐ影響される。「じゃあ、私たちも明日見に行こうか」

というわけでわれわれはもちろん有楽町ではなく歌舞伎町、朝一番11時からの上映に。水曜日はレディスデイで混みそうなので10時半前に行ったが、歌舞伎町で一番大きな新宿プラザの前にはすでに20人ほど並んでいる。もともと同名の日本映画をハリウッドがリメイクしたという経緯も珍しいが、アメリカにもこんなにシャイな中年男がいるのだという見本をリチャード・ギアが良く演じている。ジェニファー・ロペスも好きなタイプだ。日本のオリジナルは見ていないが、舞台こそ日本とアメリカの違いがあるものの、かなりオリジナルに忠実に作られているらしい。リメイクを見てオリジナルが見たくなると言う逆転現象だ。ところでこのリチャード・ギア、仏教徒なのだという。それもチベット仏教でダライ・ラマを信奉しており、その線から中国を政治的に非難する発言を繰り返しているそうだ。


May 3, 2005 =Tue=

今日も休日なので日中は妻の事務所で仕事。だが、夕方から二人で丸の内のMikuni's Cafe Marunouchiへ。毎週火曜日に椎名由紀さんの弾き語りライブがある。今日は、彼女のマネージャー役であるA君からのお誘いだ。招かれたのはわれわれ夫婦のほか、Wさん、Sさん、それにSさんのお母さん。A君は椎名さんにつきっきりなので、テーブルでは男性は私ひとりだけ。A君、Wさん、Sさんはいずれも1966年丙午の生まれで、同じ時期に区議会や市議会の議員になり、同じ頃にそれぞれの事情があって議員を辞めた。歳は違うが妻とよく似た状況だ。A君は今はほとんどニューヨークに住んでいるが、今は向こうで勤めている大学が休みのため帰国しているとのこと。WさんはFPの資格を生かしてあるNPO法人を手伝っている。Sさんは気象予報士をめざして勉強中とか。Sさんは藤原紀香がグランプリを取った年のミス日本の一人だが、そのお母さんも60過ぎには見えない若さだ。某化粧品会社の腕利きのセールスレディとして現役だそうだ。椎名さんには悪いけど、女性4人の会話の中では(そういえば、このところ女性4人に囲まれる機会が多いような・・)弾き語りは余り聞こえなかった。しかし、さすがMikuniだけあって、料理の方は味、ボリュームともに満足。


May 2, 2005 =Mon=

今日は連休の中日で平日。「今日は所員が来ていてコンピュータが塞がっているから、スポーツジムに行ってきてもいいよ。」と所長のお許しが出た。「だけど、5時にはみんな帰るから、それからならコンピュータ使えるよ。」

平日のスポーツジムは空いているかと思いきや、普段の週末とさして変わりない。もっとも大型連休の中日なら休みにしている会社も多いのだろう。今までの会社だってそうなんだから。帰りにビックカメラに寄って、5月20日発売のPanasonicのR4を予約する。予約するだけでお金は要らないと思っていたが、販売員に聞くと「PanasonicのPCは人気が高いので、入荷数が予約数を下回ることもあります。その場合、お金を払っていただいていた方を優先することになります。」27日からの海外旅行に持っていくには、20日の発売日に入手しておかないと、設定やらなにやらで間に合わないんだ。だけどクレジットカードだとポイントが少ないし、銀行までお金を出しに行くのも面倒だな、と思ったら、「銀行のキャッシュカードがそのままご利用になれます。」「そう、それそれ。」「ただし、東京三菱銀行のカードは使えません。システムに入っていないので。」仕方なく小田急にある東京三菱の巨大キャッシュコーナーに行くと長蛇の列。東京三菱よ、驕るんじゃないぞ。みんながやることはちゃんとやれよ。とまあ、20万円を引き出してビックカメラに戻り、めでたく予約完了。ついでに、先日まで入荷待ちだったSASTIKという、メール環境持ち歩きUSBデバイスをゲット。こちらは1,980円。メールをサーバからダウンロードするのではなく、サーバにあるメールを直接読みに行くらしい。一見、USBメモリのような形をしているが、これで見たメールを保存して、オフラインのPCで読むと言うことはできないようだ。メールをサーバから削除するわけではないので、一度見たメールもオンライン環境さえあれば何度でも見れるという仕組み。


May 1, 2005 =Sun=

41年ぶりに会社勤めから開放されたのだが、全然実感が湧かない。一つには退職時期が大型連休と重なったせいもあるのだが、もう一つは退職早々妻の仕事を手伝わされているからだ。妻の税理士事務所は3月決算の会社をいくつも抱えている。3月決算の税務申告期限は5月末だ。事務所の所員は、勤務時間中は集中して仕事をするが、どんなことがあっても残業はお断り、という主義らしい。そこで所長である妻は、土日祝日にはちゃっかりと私を戦力として予定している。大型連休というのはつまり土日祝日の連続だ。従って事務所には所員はおらず、こちらが駆り出されることになる。「今月はお互い関西に親の様子を見に帰らなければならないし、月末からは海外旅行の予定もある。といって3月決算は処理しなければならないのだから。」というのが所長さんの論理。失業者の身としては従わざるを得ない。会社を辞めたらまずちらかった部屋を整理して、スポーツジムにも毎日通って、などと考えていたのは甘かった。



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