Diary



June 29, 2005 =Wed=

今日は新宿区役所の相談窓口へ。相談内容は今の段階でここには書けないが、どの窓口で聞いても答えは同じ。というか、私が最初から考えていた通りの答えだ。

5時半から、水天宮前にあるロイヤルパークホテルで、以前勤めていた会社の恒例のOB会。毎年、株主総会が終わるとOBを招待して開くのが慣例になっている。出席者はホスト側の現役も含めて約1300人。ホテルの大広間を3つばかり借り切ってのパーティとなる。私がいた頃は、純利益がどうしても1000億円を超えられなかったものだが、昨年はあっさりと1160億円の史上最高益を達成、今年はさらに5割以上の増益で1824億円と最高益を更新、来年もあと1000億円上乗せの2800億円の見込みで、3期連続最高益更新はほぼ確実とのこと。新聞などでは、業績好調の原因を原料炭を中心とした資源価格の高騰に結びつける解説が多いが、原料炭価格高騰による利益はむしろこれからが本格的に効いてくるらしい。業績がいいせいか、パーティの料理や酒も豪華になっているような気がする。人の数が多いため、知った顔を遠くに見かけても話ができないこともあるが、声をかけたりかけられたりと、普段会わない人たちと結構話をすることができた。


June 28, 2005 =Tue=

朝から南新宿の、ある相談窓口に行く。歩いて20分位だろうか。とにかく暑い。今日の気温は6月としては史上最高の36.2度だったという。ほぼ体温並みだ。最近は体温計で測ったこともないが、普段から体温は低い方なので、もしかすると体温より気温の方が高いかもしれない。もっともむかしギリシャにいた頃は摂氏48度という気温も体験しているのだが。

午後から久しぶりにスポーツジムに行く。トルコから帰って以来、風邪が抜けなかったのでしばらく控えていたが、ようやく治まったようなので1ヶ月ぶりに汗を流した。まだ時々咳も出るので、運動も控えめにはした。しかし平日の昼間だと言うのにプールなど結構混んでいる。これも暑さのせいか。


June 27, 2005 =Mon=

用事があって新宿区役所に一日に2度行くことになった。家から歩いて15分余りだどうか。方角は反対だが東京都庁へ行くのと同じくらいの距離。都庁には選挙管理委員会があるので、以前は妻の関係で選挙の収支報告だの政治団体、政党支部の収支報告だのと提出や相談に行くことが多かったが、最近は生活密着型で区役所に行くことの方が多い。窓口で順番を待つあいだ観察していると、この区役所の特徴として「外国人登録 foreign resident registration」の窓口がいつも込み合っている」ことだと分かる。私がギリシャやパナマに駐在しているときには、定期的に滞在許可、労働許可の更新のために外国人登録の窓口に並ばされた。外国人登録の管轄は警察関係だったように思う。言葉の問題もあり、たいがい弁護士事務所の職員に同行してもらっていた。しかし、区役所は警察とは関係ないし、ここに来る人たちはさほど言葉には不自由していないようだ。コーかシアン系は少なく、日本人と区別が難しい中国、韓国系の人たちがほとんどだ。たまにインドとか中東系の人たちも見かける。

証券会社とは、以前勤めていた会社の持株会で手にした株式を預けている以外、余り付き合いがなかったが、今回、東証二部に上場しているT工業の公募売り出しに応募することにした。妻も応募すると言うので私が株を預けている日興コーディアル証券の丸の内の本店に電話すると、口座のない妻の場合、新たに口座を開設する必要があり、その手続きのため自宅まで来てくれるという。公募売り出しなので抽選に当たらないと買うことにならないし、そもそも応募金額もわずかなものだが、暑い中を丸の内から新宿までわざわざ来てくれるとは、証券会社もご苦労様なことだ。


June 25, 2005 =Sat=

新宿西口のヨドバシカメラのそばにある「紳士服のAOKI」で夏服2着を買う。夏物バーゲンで2着目は1,000円というセールに便乗。もう背広などあまり要らないだろうと、古くなった夏服を1着だけ残して処分してしまったのだが、近くまた必要になりそうな状況になってきたので買うことにした。それにしても今日は暑い。何でもこの夏最高の暑さだそうだ。そういえば梅雨に入っているはずなのに、このところほとんど雨が降らない。フランスやスペイン、ポルトガルなどでも極端な旱魃で水不足になっているらしい。地球全体がおかしなことになっているようだ。人間社会、私の身の回りでもおかしなことが生じているのだが。


June 20, 2005 =Mon=

多少時間のあるいまのうちに、気になっていることを順番に片付けていこうということで、今日は今までに契約していながら使っていないプロバイダの整理を行った。インターネット以前のパソコン通信の時代からニフティサーブ(現在は@nifty)やPC-VAN(現在はBIGLOBE)に入っており、今も解約していないため毎月210円の会費がクレジットカードで引き落とされている。インターネット時代に入ってドリームネット(現在はOCNに吸収)に入り、ダイヤルアップ接続を続けていたが、現在は光回線の整備されたアパートにいるのでダイヤルアップのアクセスポイントは必要なくなった。それでも解約していなかったのは、大阪の実家に行ったときとか海外でローミングサービスを使うときに大手プロバイダに入っておく必要があるかもしれないと思ったからだ。しかし、ブロードバンドが当たり前になったいま、どこへ行ってもインターネットカフェやホテルのLAN接続が可能なことは大体検証できたし、いまさらダイヤルアップで接続する気にはなれない。また、入った覚えもないのだが、「ぷらら」というプロバイダからも会費を引き落とされている。もう一つ、東芝のPDAを買ったとき、エア・エッジを一緒に買ってその基本料金も毎月引き落とされているが、これもほとんど使っていない。こうしてみると随分無駄な金を払ってきているが、これまでは解約しようにもIDやパスワードを調べないといけなかったりして、ついつい面倒なので放っておいた。今日はこれらのプロバイダ等に片っ端から電話して、古いことでIDも分からないのだが解約したいというと、たいがいのプロバイダは登録時の電話番号(これも住所が転々としているので、いくつかの電話番号を言って調べてもらわなければならない。)などから本人であることを確認し、解約に応じてくれる。これで毎月結構な金額をセーブできたことになる。

先日のトルコ旅行で一緒だった池袋のKさんに、旅行中の写真を3枚ほどプリントして郵送する。郵便を投函して帰りに自宅のポストを覗いてみると、同じくトルコ旅行仲間の横浜のMさんから、DVDを送っていただいていた。20人余りのグループの中で、最年長のMさんが買ったばかりのビデオカメラを回しておられたが、それを編集して送ってくださったもの。二時間ほどかかるが一気に観てしまった。昨日観た15年前のアナログビデオからDVDにダビングしたものとは比べ物にならないほど画質が良い。Mさんのナレーションも入り、時系列に沿った展開が非常に分かりやすい。一眼レフデジカメでも買おうかと思っていたが、それよりもデジタルビデオカメラの方が欲しくなってきた。


June 19, 2005 =Sun=

小滝橋通りに面して、妻の事務所の一軒置いて隣、我が家から直線距離で200メートルほどのところに32階建てのマンションが建築中。完成は来春とのことだが、もう分譲の新聞広告が出始めている。すでに高さはこちら(19階)と同じくらいになってきたので、工事関係の人たちから家の中を覗かれないようにと、ベランダに面した窓にカーテンをつけた。今まではベランダ面の四部屋のうち、リビング以外はカーテンをつけていなかった。高層階で外から覗かれる心配がなく、カーテンなどない方が明るいし、冬なんか部屋の置くまで陽が射し込むからだが、これからは残念ながらそうも言っていられなくなった。ついでに私の寝室においてある古い本箱を処分することにして、中身を整理する。

滅多に家に来ない息子と娘が、偶然にやってきて夕食を一緒にということになった。近くに住む息子は、明日仕事で早いので、いつもの外食でなく我が家で夕食を済ませたいとの理由。市谷に住む娘は、今日が父の日だとかで、娘の夫が双方の親に買ってくれたというプレゼントを届けてくれたついでに食事もしていくという。たまたま昨日デジタル化の作業をしていた昔の家族旅行のビデオを観ながら焼肉のテーブルを囲む。


June 18, 2005 =Sat=

前からやろうと思いながら面倒さが先にたって手をつけていなかったことがある。昔撮ったアナログのビデオをデジタル化してDVDに焼く作業だ。思い立って昨夜から手を付け始めた。ビデオはかなり初期のビクターの製品でVHS-Cという、通常のVHSテープの3分の1くらいの大きさのテープを使う。このテープを普通のVHSと同じ大きさのアダプターに入れてビデオデッキにかける。このVHS-Cのテープがたくさんたまっている。まずは1980年代後半にパナマに単身赴任していた頃、一時呼び寄せで家族がアメリカ経由でパナマにやってきたときのテープから始めた。まずニューヨークに着き、市内観光の後、ナイアガラ瀑布を見て、次にワシントンを経てフロリダ・オーランドのディズニーランド、エプコットセンターにいき、それからマイアミ経由でパナマに。しばらくパナマに滞在した後、グランドキャニオン、ラスヴェガスを観てロス経由で家族たちは帰国した。ビクターの機械はよく故障し、パナマのコンタドーラ島で初めてトローリングに挑戦し、50ポンドほどあるマグロを釣り上げた映像など楽しみにしていたのがまったく映っていなかったりした。それでもVHS-Cテープが6本ほどあり、1本約20分として2時間分になる。その翌年、息子が一人でやってきて、エクアドルのガラパゴス諸島に連れて行ったときのテープも5本くらいある。

ところがこれらのテープをアダプターに入れてデッキにかけてみると、今にして見れば画質が悪いのは仕方ないとしても、再生の途中で止まってしまう。どうもカビか何かでテープが癒着してしまっているようだ。いろいろ試してみたところ、まず早送りでテープを最後までまわし、もう一度巻き戻してから再生するとうまくいくようだ。癒着といってもテープの外側だけが少しくっついているだけなので、早送りで剥がしてやれば大丈夫らしい。いずれにせよ、このままテープをほうっておいたらそのうちに本当に癒着が進んでどうしようもなくなっていただろう。ビデオデッキをDVDレコーダの入力端子につなぎ、モニターで再生しながらハードディスクに録画する。その上でハードディスクからDVDにダビングするという手法をとる。それにしても画質が悪い。もともと初期のビデオで性能がよくなかったのが、テープの劣化でさらに画質が落ちてきたようだ。デジタル化しておけば、少なくともこれ以上の劣化は防げるはずだ。最新型のデジタルビデオカメラが欲しくなってきた。


June 16, 2005 =Thu=

テレビのワイドショーはこのところ連日、花田家の内紛でもちきり。元大関・貴ノ花の二子山親方が亡くなったのが先月の30日。13日には相撲協会葬が行われたが、その前後から現役時代は寡黙だった元横綱・貴乃花が突然テレビの前で饒舌にしゃべりだし、兄の元横綱・若乃花への批判を始めた。昨日は景子夫人がかつて所属していた関係か、フジテレビに出てしゃべっていたが、今日はTBSの出演を終えるとすぐにテレビ朝日に回るという政治家並みの行動だ。その話を聞いていても、何が問題なのか良く分からないし、分かろうとも思わないが、今日のテレビでは次のようなことを言っていた。「(二子山部屋の)後援会長も花田勝氏(若乃花)の同級生の父親が務めるというような状況になっていましたし・・・」

ああ、これはあの人のことを言っているんだな、とピンと来た。私が4月まで勤務していた会社のY社長のことだ。2003年の5月下旬、友人の紹介でY社長と初めて会ったのが六本木で若乃花が経営する「ちゃんこ・若」でだった。Y社長はその少し前まで二子山部屋の後援会長をやっておられた。社長の長男で、会社の専務をしておられるJ氏と若乃花が同級生という縁だったと聞く。「後援会長が見えてます。」との従業員からの連絡で若乃花が外出先から駆けつけてくるまでのあいだ、やはり後援会関係者らしい先客が愚痴をこぼすのに社長は相槌を打っていた。先客の愚痴は、数日後に行われる貴乃花の断髪式に後援会の意向が無視されているというような内容だった。今にして思えば、その頃から貴乃花としては兄貴の関係者をうとましく思っていたのかも知れない。

若乃花とは今年の初めにも一度会っている。会社の行事に来てもらってトークショーを披露してもらった。その際、専務のJ氏が、「どうしても謝礼を受け取ってくれないんだよ。」と困っていたので一緒に会った。「J君との友情から来たんだから。それより皆さんでちゃんこを食べに来てくださいよ。」と言われ、結局謝礼は受け取ってくれなかった。なかなかの好青年に見えたが、弟による糾弾はどうもイメージがそぐわない気がする。


June 15, 2005 =Wed=

ここの朝食も、朝からここまでしなくても、と思うほど手が込んでおり、質・量ともに十分。しかしあいにくの雨だ。これでは自然探勝歩道を歩くのもロープウェイに乗るのも面白くないし、風邪がまだ治っていないこともあるので、来たのと同じバスで帰ることにした。バス停まで車で送ってもらうと、新宿行きのバス停には洒落た雨よけの小屋がある。居合わせた地元の人に話を聞くと、この高速バスは地元の人たちの足にもなっている。二つ三つ先のバス停にはスーパーもあり、そこへ買い物にも行くし、時にはこのバスで新宿までも出かけるそうだ。バス停から見える山麓に、木々のない草原が広がっている場所がある。地元の人に聞くと、「知らないの?」というような顔をして教えてくれた。箱根・仙石原のススキとして有名な場所なのだそうだ。毎年3月にこの草原を焼く。秋には黄金色のススキの穂がなびく。いずれもが風物詩になっているという。


June 14, 2005 =Tue=

葬儀の後始末に神戸へ行く妻とは別に、ある会員制リゾートクラブの体験利用と言うことで箱根・仙石原の「仙源の森」という施設へ行く。箱根と言うと遠い感じがするが、小田急ハルクの前からでている高速バスの乗り場まで家から歩いて10分たらず。バスに座ったまま2時間余りで仙石高原バス停に着き、そこから歩いて10分強だから楽に行ける。バス代は片道1,850円、体験利用の料金は4,980円。この建物はどこかの特殊法人の保養施設だったらしく、広い敷地の中にゆったりとした贅沢な造りで、今年の3月からこのリゾートクラブが運営を任されたらしいが、どんな特殊法人なのかと聞くと、「その件に関しましてはお話しないようにと本社から言われておりますので」とのこと。部屋数は8室しかなく、洋室2、和室2、和洋室4という構成で、ほぼ同じ広さという。通されたのは2階の和洋室で、セミダブルのツインベッドに応接セットが洋間にあり、ほかに6畳の和室がついている。地下には「研修室」「談話室」があるが、「研修室」は卓球場に、2つの「談話室」はマージャン部屋とカラオケルームに転用されている。

3時のチェックインタイムより早く着いたが、夕食にはまだ時間があるので、20分ほど歩いて「箱根湿生花園」へ。ちょうどニッコウキスゲ(日光黄菅・写真)が満開を迎え、ハマナスなども咲いている。途中、仙石原ー湖尻自然探勝歩道へ入る道がある。芦ノ湖畔の桃源台ロープウェイ駅まで約7`とある。明日、天気が良ければここを歩いても良いなと思う。施設へ帰ると5時。夕食までの1時間を温泉で過ごす。5〜6人はゆっくり入れる広さだが、入っているのは私一人。源泉かけ流しの湯だそうだ。サウナも付いている。「ここの食事は人気があります。」と聞いていたが、確かに夕食は豪華で、都心で食べればこれだけで1万円は越しそうな内容だ。サクランボの食前酒から刺身盛り合わせ、穴子の柳川鍋、牛肉の冷しゃぶ、蝦しんじょの揚げ物等々、品数も申し分なし。飲み物もワインのハーフボトルが1,050円とリーズナブル。


June 11, 2005 =Sat=

午後6時から初台の東京オペラシティで「もう一度 de nouveau 大江光」と題するコンサート。第一部は父親である大江健三郎の「知的な明るさの方へ」という講演。第二部がピアノ、ヴァイオリン、フルート、オーボエによる大江光作品の演奏。我々の席は二階の正面左より。1階から3階まで1600余りの席は9割がた埋まっている。入り口で大江健三郎の著書と大江光のCDを売っていたので、1年半ほど前に出た「二百年の子供」を買う。大江文学との付き合いは私が中学生のときからだから、もう50年になる。

大江健三郎は、光がここ7年ほど作曲から遠ざかっていたのを、作家としての自分がときに筆を休め、読書に専念するのになぞらえて、この間、光がクラシックのCDを聞き続けていたこと、その時期を過ぎて再び作曲を始めたことを説明、この間に光が成長した証として「言葉の持つ力を学んだこと」と「抽象的な音楽用語を具体的に理解したこと」を挙げた。その上で、知的障害を持つ光の中に「知的な明快さ、明るさ」が見られるようになったとし、「いずれ光は生涯最大の試練に直面するでしょう。家族の中で一番高齢の私が、先に旅立つとき、光は作曲と言う仕事を通じてその衝撃を乗り越えていくことができると信じます。そして私は、若い世代の人々をも信じています。」と結ぶ。

演奏14曲のうち、この7年間光が師事してきた加羽沢美濃さんが2000年の光の誕生日に贈った曲を自演したほかは、すべて光の作品で、うち8曲が新作品。全曲が終わったあと、演奏者を代表してフルートの小泉浩が「作曲家・大江光さんを紹介します。」というと、一階席中ほどに座っていた光が父親に連れられて舞台に上がり、父はそのまま客席に引き返す。小泉に促されて光はメモを見ながら訥々と挨拶を述べる。「パパは今年で70歳になりました。70ってどんな数字?と聞くと、パパは、(ヴァイオリン奏者の)小林さんがフランス語で言えない数字だよといいました。パパはげんきがありません。だから僕はパパの70歳の曲を変ロ長調で作りました。」最後にその曲「70歳になったソナチネ」を全演奏者で奏でる。拍手の中、光はしきりに客席の方に向いて身振りをする。それに応えて健三郎が舞台に上り、親子で観客に挨拶する。心の洗われる夕べだった。後はオペラシティ最上階の海燕亭で食事。


June 10, 2005 =Fri=

母と妹と3人で中華料理店でランチ。いったん家に戻るも風の症状がすこしずつ重くなってくるのが分かる。予約しているひかりは4時19分だが、早めに出る。なぜ、「のぞみ」でなく「ひかり」かというと、JRのジパング倶楽部というのに入ったからだ。この倶楽部、男性は65歳、女性は60歳から会員になれるが(逆性差別?)夫婦のどちらかが65歳以上なら夫婦とも会員になれるというもの。今年妻がこの基準に達したので入会したが、JR運賃が20%〜30%割引になり、東京・関西間を頻繁に往復する場合、この割引が結構大きい。ところが年末年始や夏休み時期などJRの繁忙期には割引が適用されず、また、新幹線では「のぞみ」は適用外だという。昔は「ひかり」が主役で「のぞみ」は一時間に一本くらいだったのが、現在は「のぞみ」が主で「ひかり」は一時間に1〜2本しかない。しかも「のぞみ」は空いていても運賃の安い「ひかり」はたいがい満席。そこで前もって切符を買っておく必要があるという次第。風のせいもあって、疲れた〜・・


June 9, 2005 =Thu=

葬儀を、骨上げを済ませた後、納骨に向かう妻たちと別れて、大阪のj実家に行く。この間、神戸の住吉川沿いを何度も通ったが、このあたりは阪神大震災の被害が一番大きかったあたり。それだけに復興した建物がすべて新しく、整っている。何か、中東あたりでお金をかけてできた新しい都市のようだ。その中でも一際目を惹くのが震災でもびくともしなかった超高級マンションのオーキッド・コート。

トルコでの最後の日くらいから咳がでるなど少し風邪気味だったが、ここにきて本格的な風邪の症状がでてきた。八尾の駅構内の薬屋で咳止めの薬を買う。


June 8, 2005 =Wed=

台風4号が接近していると言うので、喪主である妻の弟の飛行機が遅れないかと心配したが、無事に着いたらしい。われわれも朝7時半のひかりで新神戸に向かい、病院に寄って死亡診断書を受け取る。今日の通夜、明日の告別式とも、少数の身内だけでごく簡素に行う。亡き義母の兄妹など、身内と言っても初めてあう人たちだ。通夜の席を阪急御影駅に近い「花みかげ」に移して会食。

泊まりは三ノ宮駅から国道二号線を5分くらい東に歩いたサンサイドホテル。昨日インターネットで予約した2人で7,001円と言う格安ホテルだが、なかなか機能的にできている。食堂にPCとLANケーブルを持っていけばネット接続もOKだ。


June 7, 2005 =Tue=

昼過ぎに神戸から電話。妻の母が、入院していた病院で11時56分に亡くなった。86歳。以前から具合が悪く、今度のトルコ旅行も取りやめるつもりでいたのだが、話を聞いた医者が「ぜひ行ってきなさい。」と妻に言ったという。人の寿命は分からないので、いま旅行をやめたところで持ち直すかもしれない。いつまでもそんなことを繰り返すより、行ける時には行ったほうがいい、ということなのだろう。そしてわれわれが帰国したとたんの訃報。かなり前から意識ははっきりしていなかったが、我々の帰国まで頑張ってまっていてくれたのだろうか。長男である妻の弟は、我々が帰国したのと入れ違いに台湾に帰ったばかりだが、明日には再び帰国する。


June 6, 2005 =Mon=

旅行前からのアポイントがあって、以前勤めていた会社の丸の内オフィスに出かける。一昨年の6月で辞めてからこのオフィスを訪れるのは初めて。会社のシステムが変り、OBといえども執務室に入ることは禁じられ、会議室での面談となる。受付で来意を告げるとビジター用のカードを渡され、あらかじめブックされた会議室に案内されるという仕組みだ。業績も好調だし、雰囲気も明るそうだ。

テレビニュースで石原都知事の都庁記者クラブでの会見を中継していた。都知事は、副知事の解任問題に関連して毎日新聞が「知事は進退問題をかんがえるべきだ。」という記者の意見記事を掲載したことに憤っていた。その記事を書いた記者が手を挙げた。
記者「毎日新聞です。先ほど知事が取り上げられた記事を書いた者です。」
石原「ああ君か。君も物書きならもっと調べてから書いたらどうだ。」
記者「ちゃんと調べて書いてます。知事のご存じないことも調べています。」
石原「ふん。物書きとも言えんな。ブンヤというとこか。」
記者「ブンヤではありません。」
石原「じゃあ、何だ。」
記者「新聞記者です。」

都庁記者クラブでの会見模様は東京MXテレビがいつも中継しているが、石原知事の傲慢な態度に現号するような記者も多い。その中でこの毎日新聞記者の態度は尊敬に値する。実は、今回のトルコ旅行でしばらく新聞を休止するついでに、いままで朝日と日経を取っていたうち、朝日をやめることにした。別に朝日が嫌いになったからではなく、妻が新聞を読むのに時間がかかりすぎると嘆くからだ。時間がかかるなら読まないか斜め読みにすれば良いのに、お金を払って取っていると隅から隅まで丹念に読まないと気がすまない。だから取るのをやめようという、きわめて変な理屈からだ。まあ、アパート一階のロビーに行けば主要紙は置いてあるのでそれを読めば良いのだが、これからは朝日だけでなく毎日も読んでみよう。



June 5, 2005 =Sun=

ほぼ定刻の11時半頃成田に着く。今回の旅行を総括してみる。

トルコ10日間にしては格安ツアーではあるが、中身はかなり充実していたし、参加者も気持ちよく付き合える人たちだった。そして何よりも、天気の変りやすい季節であるにもかかわらず天候に恵まれた。トルコもご多分に漏れず日本人観光客が多いところだが、ツアーガイドや土産物店などどこへ行っても日本語が上手なのには驚いた。大学で日本語学科があり、そこで勉強するらしいが、トルコ語と日本語の文法構造が似ていることも一因かもしれない。それにしてもバスと列車で2,500kmの旅はさすがに疲れた。


June 4, 2005 =Sat=

トルコでの最終日。朝は9時半出発のオプショナルツアーでガラタ塔とエジプシャン・バザールへ。バスを降りてガラタ塔へ向かう道路(写真右)は、看板の文字こそ違え、アテネの下町とまるっきりそっくりで懐かしい。エレベータで上る塔からはイスタンブール市街が一望できる。今日はイスタンブールでも最高の天気だ。エジプシャン・バザールは昨日のグラン・バザールと違って土産物よりも野菜・魚などの食料品やスパイス類を多く売っている。規模はグラン・バザールほどではないが、イスタンブールの本当の姿が垣間見れるという。しかし私は、ここで落ち合う予定の、以前勤めていた会社のイスタンブール支店長をバザールの入り口で待つ。

待つ間、一台の車が近づき、紳士風の男が助手席から声をかける。「英語は分かるか?」「分かるよ。」「日本人か?」「そう」ここで100ドル札を取り出して、「日本のお札ってどんなのだい?」「札は持ってないけどコインならあるよ」とポケットにあった100円玉を見せる。」「いや、お札がみたいんだよ。」とこちらの胸ポケットを指差す。「悪いな。今日は日本円はコインしかないんだ。コインはあげるよ。」男は「ちぇっ」と言うような顔をして再び車に乗り込む。財布から一万円札を取り出したらどうしただろう。「その一万円とこの100ドルを交換しよう。それならあんたの方が得だろう。」といって偽札かもしれない100ドル紙幣を押し付けられたのだろうか。あるいは一万円札をひったくって車で逃げただろうか。

そうこうしているうちに支店長が紫色のベンツで迎えに来てくれる。昼食には少し早いから、と言って行きつけの絨毯屋に案内してくれる。カッパドキアの観光客向け絨毯屋に比べて素人目にも品質ははるかにこちらが上と分かる。カッパドキアではシルク絨毯の最高が1平方pあたり12x12だったが、こちらは18x18まである。値段もリーズナブルらしいが、いずれにせよ絶対額は手の届く範囲を超えている。このあと、フォーシーズン・ホテル(写真)でランチ。ここは昔は刑務所として使われていた建物だと言うが、とてもそうは思えないほど明るい、シックな感じだ。この支店長は、私の方の知人と言うより、妻の知人から是非あってくるように紹介された。だが、今はイスタンブールのほかにアテネ、ソフィアなども担当しており、私が25年前にいたギリシャ現地法人の社長を兼務している。当時の現地社員もまだ二人残っているそうだ。支店長が手配してくれた車で空港へ。飛行機は6時出発だが2時半には空港に着く。ガイドの携帯に連絡すると一行もちょうど着いたところだった。


June 3, 2005 =Fri=

食堂車の朝食はトマト、きゅうり、オリーブ、ボイルドエッグ、ハム、チーズが2種類、パン、バター、ジャムと、コーヒーか紅茶が一人2杯。夜の間に水のタンクが空っぽになったら、顔も洗えないよ、と脅されていたが、朝も洗面台の水栓からはちゃんと水が出た。列車の車掌には必ず一人1.5リラ(約120円)のチップを渡すことになっているが、前の日に添乗員が集めてまとめて渡してくれていた。添乗員はホテルごとのエレベータの扱い方やドアの開け方、寝台車の窓の開け方などなど、細かいことまでとてもよく調べていて事前にアドバイスしてくれる。列車はほぼ定刻にアジア側のハイダルパシャ駅に到着。列車での移動距離はアンカラからハイダルパシャまでで458km、累計で2,484kmとなった。

ボスフォラス大橋を渡ってヨーロッパ側に入り、ボスフォラス海峡に面した埋立地に立つ豪壮なドルマバチェフ宮殿へ。入り口で添乗員がビニール袋にカメラを集める。6リラほど払えばカメラ持ち込みもできるが、その場合でもフラッシュ撮影はダメとのこと。スルタンの戴冠式が行われる大広間に吊るされた4.5トンのシャンデリアなど豪華を極める。宮殿の内側だけでなく、海に面した船着場の風景も美しいが、残念ながらカメラは取り上げられている。次のグラン・バザールは巨大な迷路のような市場に無数の店が並ぶ。売っているものは結構贋物が多いし、スリやカッパライも多いと聞くが、行ってみると案外きれいな感じだ。妻のサングラスが壊れたのでサングラスを売っている店でシャネルのブランドのが25リラ(2,000円)で売っているのを見つける。もちろん本物のシャネルでないことは百も承知。20リラまで下げてきたが、「10リラなら買うよ。」と言ってもそれ以上降りてこない。そのうち「明後日なら10リラにする。」と言い出す。「じゃあ、明後日来よう。」というと、隣の店の男がニヤッと笑って、「ここは明後日の日曜は休みなんだ。」

午後はオプショナルツアーでボスフォラス海峡のクルーズ。百数十人以上乗れる船を借り切って20人余りで使う。ボスフォラス第一大橋、第二大橋をくぐって黒海の方まで行く。今日の泊まりはトルコ初日と同じイスタンブール・プリンセス。前回泊まったときはフロントでプロバイダのアドレスを貰って部屋からモデムでダイアルアップ接続を試みたが繋がらなかった。他にネット接続の方法はないのと聞くと、24階のエグゼクティブフロアにネット用のPCがあり、20分までは無料で使えるという。だが、使ってみるとイズミールのホテルと同様トルコ語表示。それでも勘を頼りにメールの設定を行ってみると、つながったものの出てくるメールタイトルのほとんどが文字化けしている。「しまった。これでは大事なメールがあっても読めなくなってしまう。」と思ったが、メールを開いてみると本文はちゃんと日本語表示されていた。


June 2, 2005 =Thu=

再びバスでの大移動が始まる。今日はカッパドキアのホテルを出て、まずはトルコ石の店へ。もちろん我々は何も買わないのだが、チーフの店員が妻に眼をつけたらしく、ずっと妻の後をついて説明していた。途中、ヤズルカヤおよびハットウシャシュ(世界遺産)という、ヒッタイト文明の遺跡を観て、首都アンカラに向かう。市街を見渡す高台のレストラン(上の写真はそのテラスからの眺望)で夕食の後、夜10時40分発のアンカラ・エクスプレス寝台車でイスタンブールへ向かう。寝台車の個室には洗面台と冷蔵庫が付いており、冷蔵庫の水とジュース、スナック菓子は運賃に含まれる。かなり狭いかと思っていたが、スーツケースを台の上におけばまずまずの広さ。だが二段ベッドの上段はかなり揺れるし、列車がスピードを出すとJR宝塚線の事故が頭をよぎったりして、余り眠れなかった。

本日の移動距離はカッパドキアからアンカラまでで450km、累計で2,026km。

この辺まで来ると、ツアー仲間ともかなり打ち解けてくる。まずは二組のご夫婦。奥さん同士が姉妹で、姉のご主人は某メーカーを、妹のご主人は某商社をそれぞれリタイヤ。姉妹のほうは70歳と65歳だがとてもそうとは見えないほど若い。某団体をリタイアした67歳の方は、普段は奥さんとご一緒なのだが、老人介護問題を抱えているので今回は一人旅。買ったばかりのキャノンのムービーで留守番の奥さんにナレーション入りの映像を記録する。長野のメーカー経営者夫妻はトルコ航空ではなくマレーシア航空のビジネスクラスを利用。オーストラリアで働く30歳の女性はすでに永住権を取得ずみとか。ほかにも新婚旅行が一組。婚前旅行?が一組。派遣OLの二人連れ。20歳の男子学生の二人連れ等々。歳が近いせいもあって、最初の4人連れとムービーの男性とは意気投合。


June 1, 2005 =Wed=

一夜明けてカッパドキア地方はピーカンの晴天。今日はトルコに来て始めての連泊なので、上着やズボンをクリーニングに出す。今日は一日中カッパドキアの奇岩群や地下都市の跡を観る。奇岩と言うのは観光に適しているのだろう。中国の桂林、ギリシャのメテウラなどそれぞれに奇岩が人を惹き付ける。カッパドキアでは、今はそれぞれ死火山と休火山になっている二つの火山が数億年前に噴火し、その結果、凝灰岩と溶岩とが幾層にも重なり、これが長い年月かけて侵食され、有名なきのこ岩などの奇岩を生み出した。ここに弾圧を逃れたキリスト教徒たちが岩に穴を穿って住み着いたのが6世紀ごろという。オスマントルコの迫害から逃れたギリシャ正教徒たちが、メテウラの奇岩の上に修道院を立てたのとも似ている。

奇岩群も圧巻だが、今日は移動がなくカッパドキアの中を動くので、ツアーにつきもののお土産屋さんめぐりも多く組み込まれている。まずはトルコ絨毯の工場。観光客の見学用の織子たちが実際に絨毯を編むところを見せたあと、次々に絨毯を広げて見せる。1平方pに縦糸と横糸がそれぞれ10本、高級品だと12本を通し、その間に結び糸を絡ませて締め付けた上で短く切りそろえる。絨毯はペルシャが有名だが、その原型はここトルコから生まれたそうだ。ペルシャよりもトルコの方が結び糸を二重に絡ませるため丈夫だと言う。トルコ絨毯の最高峰はカッパドキア近郊のヘレケ産のシルク100%もの。だが、織り上がるのに数ヶ月から数年をようするものもあり、重労働なため、トルコのEU加盟とも絡んで伝統を守る人材の確保が難しくなりそうだ。次に訪れたのがやはりカッパドキアの陶器工場。名人と呼ばれる72歳の陶工が観光客の目の前で轆轤を回し、見る見る花瓶の型を仕上げていく。ここでも細かい絵付けが職人の手でなされていく。われわれは見るだけで買うものは何もなし。それよりも陶器工場を出たところの素朴な風景が気に入った。

夜は飲み放題付きのベリーダンスショー。我々のグループも結構盛り上がっていたが、団体客を専門にターゲットにしたショーらしく、舞台を中心に長いテーブルが放射状に並べられた形式。やはりベリーダンスは丸テーブルの間で踊る形の方が雰囲気が出る。照明も舞台の中央にあるので、客席からは逆光となりカメラにも収まりにくい。



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