July 31, 2005 =Sun=
9月3日、4日に日比谷公会堂で行われる、「
平成世直し劇ー幕末早慶戦!福沢諭吉と大隈重信」というのに妻が出演することになった。ちょい役だろうけど、福沢諭吉が若い頃、咸臨丸でアメリカに行ったとき、サンフランシスコの写真館で見初めた館主の夫人という役柄。科白もあるらしい。もっとも出演者に自民党や民主党の国会議員が多いので、いま囁かれている郵政解散にでもなればどうなるか分からないが。この劇の副題の「万延元年のベースボール」というのは大江健三郎の「万延元年のフットボール」をもじったものに違いない。この本は社会人になって2、3年目の頃、腎臓結石で入院した病院のベッドの上で読んだものだ。
通勤途上で読んでいるダン・ブラウンの"Deception Point"がようやく終わりに近づいてきた。通勤時間が長くなって、一日に読み進めるページが増えてきた。アメリカ大統領選の最中、野党候補の上院議員は大統領のNASA政策批判を表に出して闘っている。非効率で膨大な予算を食うNASAを民営化し、教育に予算を振り向けるべきと主張する上院議員に対し、大統領はNASA長官と秘密会議を重ね、選挙運動にも出てこない。押される一方の大統領は選挙活動を放棄するのではとまで噂されている。ところが大統領はNASAによる重大発見を発表して形成を一挙に挽回する。NASAの人工衛星が北極海の氷山の中に埋もれているのを発見した隕石から、地球外生物の化石が見つかったのだ。大統領はこの発表の前日、父親と対立し、政府の諜報機関で働いている上院議員の娘を発見現場に送り込む。すでに送り込まれた民間人科学者などとともに、NASA関係者以外の目で、NASAの成果を確認させ、この発見の信憑性を高める目的だ。ところが、この民間人グループは、奇妙な現象に気づく。隕石が発掘された氷山の穴の水が、発光性プランクトンで光る現象が、僅かな間生じた。これは隕石が氷山の下から人為的に挿入された可能性を示している。彼らがこの現象を目撃した途端、なぞの襲撃者による攻撃を受け、民間人の一部は殺され、上院議員の娘を含む3名は割れた氷山に乗ったまま流される。一方、上院議員の選挙キャンペーンを担当する女性秘書は、大統領補佐官から上院議員との情事の写真を示され、同時に、上院議員が宇宙航空関連企業から賄賂を受け取っていたとの疑いを抱く・・・ ダン・ブラウンは"Da
Vince Code""Digital Fortress"に続いて3冊読んだことになる。ちょうど昨日、日本人宇宙飛行士も乗り込んだスペースシャトル打ち上げで外壁タイルが剥がれ落ちた問題で、NASAの責任者が会見を行い「われわれは間違っていた。」と非を認めた。飛行士たちは地球に戻ってこられるのだろうか。
July 30, 2005 =Sat=
インド西部のマハラシュトラ州で記録的な豪雨により大勢の死者が出ているという。今からもう5年以上も前になるが、2000年の1月米国ノースカロライナ州の子会社を監査したとき、その子会社の更に子会社がインドのムンバイとバンガロールにあるので、米国からロンドン経由でインドに行ったことがある。ムンバイ(旧名:ボンベイ)はマハラシュトラ州の州都だ。泊まったのはホテルでなく、飛行場とムンバイ市街の中間にある子会社ビルのゲストハウスだった。その一帯はいくつかの外資系企業のビルがあり、周囲とは壁と警備員で隔離された別世界だったが、滞在した数日の間に市街にある日本の親会社の事務所や監査法人の事務所に何度か車で出かけた。壁を一歩出るとスラム街で、自転車の後ろに座席をつけた人力リキシャの運転手が多く住んでいるらしく、何台ものリキシャが停めてあった。家と呼べるのだろうか、川の脇に泥で固めたような住居が並んでいた。川といっても溝川だが、これでも豪雨で溢れれば泥の住居などひとたまりもなかったろう。
その子会社には、スーパーバイザー的な立場でアメリカ人が二人ほど常駐している以外は、社長以下すべてインド人だった。その中で、開設当初からいる経理部長はTATA財閥の企業に引き抜かれ、近々辞める予定になっていた。彼はヒンズー教徒がほとんどのインドでは珍しくゾロアスター教徒だった。バンガロールにも同行してくれたが、酒を飲まない彼とホテルで食事をしながら、会社を辞める事情を聞いたら、それまで温厚だった彼が、インドの子会社をM&Aで公然と売りに出そうとしている米国本社のやり方を口を極めて非難し始めた。
状況は違うものの、子会社開業以来の経理部長が会社を辞めるため、その後釜に私が引っ張り出されることになったいま、なぜかあのゾロアスター教徒の知性に満ちた風貌が思い起こされる。
July 28, 2005 =Thu=
今日は午後から東京に戻り、丸ノ内の銀行、弁護士、監査法人に新任挨拶。最後はPCPM(パシフィックセンチュリープレイス丸ノ内)ビルにある監査法人の事務所だったが、早く終わった。これから熊谷のオフィスまで戻るのも中途半端だし、ここからなら4月まで勤務していた銀座の会社に近いので、でちょっと訪ねてみた。銀座の旗艦店の改装と創業80周年記念イベントを控えてみんな忙しそうだ。
July 27, 2005 =Wed=
遠距離通勤といっても、朝は新宿を8時8分の新宿湘南ラインに乗ればそのまま乗り換えなしで9時17分に熊谷に到着、帰りも6時半に仕事を終えて6時36分の新幹線「あさま558」か7時2分の「Maxたにがわ」で大宮まで行けばその先は電車の本数も多い。ところが今日はじめて少し遅くまで仕事をして、といっても7時半頃だが、駅に着てみると30分以上も新幹線がないのだ。高崎線で大宮までといっても各駅停車では随分かかりそうだ。結局8時7分の新幹線に乗ることにしたが、列車の時刻表を手元においておく必要を痛感した。新宿から丸ノ内や銀座に通っていた頃は、電車なんてものの3分も待てば次のが来るわけだから、時刻表なんて気にすることはなかったのだが。
ところで、湘南新宿ラインという列車、二系統あって、一つは小田原から東海道線を通って大船から横浜、大崎、渋谷、新宿、池袋、赤羽、大宮を経て高崎線に入り、熊谷、高崎、さらには前橋に至るルート、もう一つは逗子、鎌倉から横須賀線で大船、あとは大宮まで同じルートを経て宇都宮線に入り宇都宮まで行くルート。宇都宮線には小金井と言う駅があり、時々「小金井行き」という列車がある。昨日までこれが東京の小金井と勘違いしていて、どうして湘南新宿ラインが中央線に行くのだろうと不思議に思っていた。いずれにせよ、昔は横浜方面といえばJRなら東京に、埼玉なら上野にというのが普通のルートだったが、横浜から埼玉まで、東京も上野も通らずに行ってしまうルートができたことの経済効果は大きいようだ。
こんなサイトもある。
July 26, 2005 =Tue=
派遣元の会社で、同じような立場の人間を集めて月一回の「アドバイザーズ・ミーティング」と、その後に屋形船での懇親会が予定されていたが、大型台風の接近でキャンセルになった。ミーティングの方は台風とは関係ないはずだが、どうやら屋形船の方が主役だったのかも。だが、私の場合は今回のミーティングに合わせて派遣勤務に当たっての事務的な説明を受けたり、親会社の入館証を作ったりという作業があるので、4時前に親会社に出向く。熊谷から東京まで新幹線で41分。「Maxたにがわ」という列車は全車両二階建てだ。これまで、親会社の丸ノ内本社はOBといえども一階の会議室での面談しか認められなかったが、派遣元の子会社が親会社の中にあり、その子会社の契約社員となったことで出入り自由の入館証をもらえるとのこと。これがあればよりチェックの厳しい品川本社にも入れるらしい。もっともそんなに本社に行く用事があるわけではないが。
July 25, 2005 =Mon=
今日は引継ぎの一環で長野へ日帰り出張。といっても新宿から大宮へ出て新幹線で長野まで、乗換えを入れても2時間で着く。長野駅から歩いて5分もかからないところに「Again」というショッピングプラザがある。ここはむかしスーパーの長崎屋だったが、その建物を地権者から借りている。長野は1998年の冬季オリンピック以来、経済的には低迷が続いているらしいが、その中ではこの店は健闘している部類に入る。所長や社員のみなさんと打ち合わせ、店内を一通り廻っても時間が余ったので、
善光寺に行ってみることにした。店の前の通りが善光寺の参道になっている。暑いのでタクシーで本堂まで行き、そこから道を下ってくることにした。山門は現在工事中だが、工事用シートの上に「善光寺」と書いた額が掲げられている。一団の参拝者を率いていた人が説明するのを聞いていると、この額の「善光寺」の文字のうち、「善」「光」の文字にそれぞれ二羽、「寺」の文字に一羽、あわせて5羽の鳩が隠されており、また、「善」の字はそれ自体が牛の顔を現しているのだそうだ。そういえば「牛に引かれて善光寺参り」という言葉があるが、Bookshelfによればこの意味は、次のように解説されている。
〔布を角に引っかけて逃げた牛を追いながら善光寺に行ったのがきっかけになって、信仰心が起こるようになったことから〕最初は自分の意志によらずに
し始めたことだが、次第に熱心になり、しまいには本腰を入れてやるようになること。
山門を下ると参道の両側に名物の蕎麦、漬物、唐辛子などを売る店が並んでいる。仁王門際の「
すや亀」という店に入ってみる。ここは「門前みそ」という味噌で有名らしい。「みそソフトクリーム」というのがあり、珍しいので食べてみた。250円。かすかな味噌の味と香りが思ったよりクリームとあっている。味噌を買って帰ろうかと思ったが、スーパーで味噌を買ったばかりナノを思いだして、野沢菜の漬物にする。さらに参道を下ると、参詣者の宿だろうか、宿坊というのが並んでいる。普通の商店も増えてくるが、どれも古い建物のようだ。もっといくとだんだんと普通の街の姿になってくる。途中左手に、長野オリンピックの表彰式に使った広場もある。今は駐車場になっているが、ステージには「1,2,3」と書かれた表彰台も残っている。やがて長野駅に着く。駅ビルにはわれわれの店と同じ客層を狙うショッピングモールがあるのでその様子を視察した後、新幹線に乗る。
July 24, 2005 =Sun=
「
ヒトラー〜最期の12日間〜」を観に、10時前に新宿東口の武蔵野館に行く。ところが10時20分の回はもう満席で立ち見しかないとのこと。3時間近い映画なので、立見はつらかろうということで、次の1時25分からの回の整理券をもらうことにした。その間、他の映画を観るか、買い物でもするかと歩いていくと、
花園神社に出る。新宿にいても花園神社に行ったことがなかったので、境内を散歩する。日曜なので骨董や古着などの店が出ている。外国からの観光客が買っていくようだ。一本1000円の浴衣の帯を10本買った観光客がいた。昔の家庭用常備薬の薬箱や戦前のタバコの箱など、ガラクタなのか骨董なのか分からない品も何となく郷愁を誘う。花園神社を抜けると
ゴールデン街に入る。ゴールデン街の路地の一つ、「花園五番街」を歩いていると、軒先に並べた鉢植えの手入れをしているおばさんがいる。声をかけてみると、ここにもう40年住んでいるとのこと。三軒続きの建物の二軒分を持ち、そのうち一軒分は去年買ったそうだ。二階の二軒分をぶちぬいて、猫と二人で住んでいる。下はそれぞれバーに貸している。一軒といっても3坪くらいで、それに2坪の私道を入れて5百万円くらいだったが、今年は9百万円になっているそうだ。もう一軒の建物は所有者が不明で空き家になっている。ちょうどこの空き家のところが鉢植えの置き場になっている。ゴールデン街の中でもこの通りが一番整っているとして、時々テレビでも映されるのだそうだ。ゴールデン街から歌舞伎町を抜けて新宿プリンスホテル隣の100円ショップとユニクロで買い物をし、ホテルのイタリア料理店で昼食をとると、ちょうど良い時間になる。
武蔵野館に戻ったのは前の上映が終わる15分ほど前だが、次回の整理券をもった人たちがすでに大勢並んでいる。整理券の番号順に入場すると、小さな映画館で100席しかない。現在この映画を上映しているのは、東京では渋谷のシネマライズとここしかなく、小屋も小さいのですぐ満席になってしまうのだ。私たちは最後列に席を取ったが、その後ろに立見の人たちがいたし、通路の間にも配られた座布団のようなものを敷いて立見の人たちが座っていた。さて、映画だが、題名どおりヒトラーの最期の12日間に焦点を当てて、トラウドル・ユングという女性秘書(実在の人物で2002年に亡くなった。)の目から見たヒトラーを描いている。舞台はほとんどがベルリンのドイツ首相官邸地下要塞の中。相次ぐ敗戦と裏切りの報せに人間不信に陥りながらも、実情を知る部下たちにとってはあり得ない筈の逆転勝利を夢見るヒトラー、愛人エヴァ・ブラウンやゲッペルスなど最期までヒトラーに忠誠を誓う人たち。特に圧巻は、6人の子供たちをつれて地下要塞に転居してきたゲッペルス夫人が、ヒトラーとエヴァの自決の後、睡眠薬で眠らせた子供たち一人一人にキスしながら毒薬の入ったカプセルを歯と歯で噛ませ、淡々と殺害していく場面。映画の一番最後に本物のユンゲが登場する。「私は、大勢の人たちが虐殺されたことは、戦後になるまで知りませんでした。私には責任がないと言う立場を貫いてきました。しかしある日、私がヒトラーに秘書として採用されたその日に処刑された、私と同い年のユダヤ人女性の手記を読んで知ったのです。知らなかったからといって罪を免れるものではないことを。」日本では戦犯を祀った靖国神社に、総理大臣が参拝を続けている。
July 23, 2005 =Sat=
スポーツジムでいつものメニューをこなし、風呂から上がって髪を整え、立ち上がろうとしたときにグラッときた。その後も少しは揺れが続いていたが、それほど長い地震ではないように思った。ただ、スポーツジムの更衣室はエレベータの地下一階にある。一階のロビー自体、半地下のところにあり、そのロビーから見下ろすプールやジムは更衣室から二階分くらい階段を上ったところにあるから、この更衣室は実質的には地下3階か4階くらいに相当する。そんな地下深くにいてもかなりの揺れだったから、地上、ましてや19階の我が家ではかなり揺れが大きかったのかもしれない。だが家に帰ってみると、何も落ちたり倒れたりしているものはなかった。ただ、2台ある高層階用エレベータのうち1台が停まっていた。揺れを感知してセンサーが働き、停まったままで復旧していなかった。テレビでは、震源は千葉、都内足立区では震度5強、大田区などで震度5弱、そのほかの東京23区内では震度4とのことだった。日本橋浜町に行っていた妻によると、なんとか地下鉄で時間をかけて帰れたものの、路線によっては地下鉄も不通になっており、新宿駅ではタクシーに長い行列ができていたという。
こうした場合、携帯電話が通じにくくなるという話は聞いていたが、「圏外」になったり「話中」になったりするのではなく、電話発信がそもそもできなくなる仕組みらしい。スポーツジムから出て携帯電話(Docomo)をかけようとすると、アンテナは三本立っているのに番号を呼び出して通話ボタンを押しても発信が行われないのだ。もっとも15分くらいで回復したが。
Julu 22, 2005 =Fri=
引継ぎの一環として、会社が管理している天王洲の商業施設に行く。朝から来客を一件済ませた後、再び新幹線で東京に戻り、浜松町からモノレールで天王洲アイルへ。ここでもちょうど今日から「夏祭り」のイベントが始まるところ。その後、品川の親会社へ挨拶に。この建物に入るのも二年ぶりになる。相変わらずセキュリティが厳しい。
天王洲に戻ってテナントの寿司屋で懇親会。
July 21, 2005 =Thu=
会社から携帯電話を渡される。この会社では全社員に会社から携帯電話を貸与している。それもFOMAだ。ちょうど自分の携帯電話が買い替え時期かと思っていたところだが、会社から貸与された電話を私用に使うわけにも行かないから、結局2台を持ち歩かなければならない。一つでも着信に気が付かなくてあとで文句を言われることが多いのに、2台となるとますますその傾向が強くなる。第一、ポケットの中が嵩張るし・・・・
July 20, 2005 =Wed=
出社二日目の朝、会社のショッピングセンターの前に大勢の人が集まっている。近くまで来ると、裃に身を固めた男性たちと浴衣姿の女性たち、それに黄金色の御輿が見える。今日から熊谷の「
うちわ祭り」がはじまるのだそうだ。帰りにも熊谷駅に来ると駅前に4台の山車が集まっている。それにしてもこの熊谷という街、駅から会社のショッピングセンターに続く南側は、線路側こそショッピングモールが続いているが、道路の反対側は二階建ての商店や飲食店が軒を並べる、典型的な地方都市だ。というか、「それも一時代前の」という形容詞がつきそうで、何となく懐かしい感じがする。むかし、戦時中に疎開し、そこで弟が生まれた深谷は、ここから二駅先だ。大阪にいる母に電話して、「こんど熊谷に勤めることになった。」というと「へえ〜」とこれも懐かしそうな声だった。母が生まれたのは深谷市の矢島というところ。駅で言えば深谷の更に一つ先の岡部になる。
通勤用の定期券を買った。新宿から熊谷まで、新幹線と在来線どちらでも使える定期券で、3ヶ月が167,010円。おそらく今まで買ったうちで一番高い定期券だ。新幹線の改札もこのSUICA兼用の定期券で通れる。
July 19, 2005 =Tue=
新しい勤め先に初めての出社。朝、8時8分新宿発の湘南新宿ラインに乗ると乗り換えなしで9時17分に熊谷駅に着く。駅からショッピングモールの中を通って行けるのだが、今朝は裏口の通用門から入ってくれと言われていた。なぜ裏口から?と思ったが、駅に着いて理由が分かった。ショッピングモールは10時からしか開かないからだ。前任者から引継ぎを受ける。前任者は20年前に入社したプロパー一期生。それがどうして辞めるのかを聞くと、昨年親会社の指導を受けて彼自身が駐印になって導入した新人事制度での早期退職優遇措置を、自らその適用第一号となるべく辞めることにしたそうだ。分厚い引継ぎ書のファイルを渡される。次席もなかなかしっかりしている。この4月まで勤めていたオーナー会社と違って、親会社の文化をそのまま引き継いでおり、カルチャーギャップがまったくない。ともあれ初日はスムーズに運んだ。
会社は終業が6時半だが少し早めに出て6時36分発の新幹線に飛び乗った。妻の選挙などで世話になったK税理士と会食の予定がある。大宮で埼京線に乗り換えて新宿に着いたのが7時35分。新宿税理士ビル向かいの「菊うら」で、Kさんと妻が先に始めている席に何とか間に合う。先だって奥様を亡くされた75歳のKさんは、税理士と言う職業柄か、すこぶる元気で、11時頃まで付き合う。
July 18, 2005 =Mon=
今日は「海の日」という休日。これに合わせたように梅雨明け宣言が出された。「海の日」というのは休日の中でも一番最近にできたものらしく、まだ10年も経っていないはずだ。というのは、この休日は船主協会、造船工業会、船員組合など船舶関係者の働きかけと運輸省(現・国土交通省)の主導によって決められたもので、10年ほど前に出向勤務していた会社が造船業界と取引があった関係で、休日制定の要望書に署名を求められた覚えがあるからだ。
その休日のおかげで、新しい勤務先への出社は本来なら今日からのところが明日からとなっている。4月29日からの「毎日が日曜日」生活は81日で終わりとなった。その間、懸案のトルコ旅行をしたり、妻の母が亡くなったりしたが、長いようで短く、結構慌しく過ぎていった日々だった。だが平日に好きなことができるのはありがたく、銀行や区役所等を営業時間中に利用できるのも便利だった。とくに、行きつけのスポーツクラブが新宿住友ビルにあるので、こうしたオフィス街にサンダル履きで行くのは(変な話だが)何となく優越感すら覚えることができた。だが、それも今日までで、明日からは長距離通勤の生活が始まる。
July 16, 2005 =Sat=
今日の日経新聞最終面の文化欄に、「
サルトル 今も新鮮」と題して、サルトルの再評価が進みつつあると言う記事が出ている。この日記でもどこかでサルトルのことを書いた記憶がある。探してみると去年の1月8日だった。その中で、
「60年代のファッションや文化が見直されている中、20世紀を代表する知性も見直されても良いように思う。」と書いていたのだが、今年がサルトルの生誕100年に当たるのを機に再評価が行われているという。もっとも再評価といってもいろいろあり、「『嘔吐』の主人公はいまのニートの先駆け、戯曲『アルトナの幽閉者』は引きこもりを扱う。」という意見は、現代の若者たちにサルトルを読ませようと言う意図的なものとしても、ちょっとどうかなと思う。サルトル再評価のきっかけとなったベルナール・アンリ・レヴィ(BHL)の『サルトルの世紀』については、廃刊となった『批評空間』誌のアーカイブに浅田彰の
コメントが載っている。BHLは『嘔吐』や『存在と無』など初期のサルトルに見られるアンチ・ヒューマニズムを評価しているらしいが、サルトルの本質はやはり戯曲『蝿』以降のアンガージュマンにあるのだと思う。サルトルの作品を読み返してみたら、学生時代とは違ったものが見つかるような気もするのだが、そのためにはもっと時間が欲しい。
July 14, 2005 =Thu=
昨日買ったプリンタの箱に、古いプリンタを入れてビックカメラに持っていく。昨日新しいプリンタを買ったときに貰った「下取り引換券」とレシートを渡して、現金2000円と金額をその分減額したレシートを貰う。プリンタを入れた箱はショッピングカートに括りつけて持っていった。カートは小さいし箱は大きいしで運びにくいことこの上ない。近いから良いようなもんだが、これが電車やバスを乗りついてとなったらとても持っていく気にはなれなかったろう。
撮りためたDVDの中から、1977年のイタリア映画「
特別な一日(Una Giornata Particolare)」を観る。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン。どちらもかなり歳をとってからの映画だが、その分良い味が出ている。1930年代後半のムッソリーニ政権下のローマ。ファシズムが当たり前の街で、ファシストの夫と6人の子供たちと暮らす妻は家事に追われる生活に倦怠感を抱いている。ヒトラーがイタリアに到着し、ムッソリーニとの歴史的な会談とローマ市民総出の歓迎式典が行われる日、アパート中の人たちが歓迎式典に出かけた後、留守番の妻は同じアパートの中庭を挟んだ向かいの男と出会い、一日だけの恋に陥る。男は元ラジオ局のアナウンサーだったが、同性愛者で反ファシストと言う理由でラジオ局を追放され、当局からも追われている。式典が終わり、家族が帰ってきて夕食のテーブルを囲むが、夫や子供たちが式典の話をするのにも妻は上の空。皆が寝静まった後、妻は男から借りた「三銃士」の本を読みながら向かいのアパートに目をやる。そこには秘密警察が来ていて、男は連行されていく。二人の出会いと逢引の間中、式典の実況中継がラジオから流れるという設定。舞台は同じアパートの二つの部屋だけ。しかし、アパートの建物や階段部分を写すカメラアングルが面白い。1924年生まれのマルチェロ・マストロヤンニはもう亡くなっているが、1934年生まれのソフィア・ローレンは今年で71歳になる。昨年もコメディ映画(映画祭に出品されたがまだ劇場では未公開)に出演しているらしい。
「毎日が日曜日」になっても、毎日何かしら忙しい。しかしこうしてDVDを観たり映画に行ったりできるというのは、忙しいように見えてもやはり時間がある程度自由になる証拠だ。でも、こうした日々もあと数日で終わる。
July 13, 2005 =Wed=
エプソンのカラープリンタが1ヶ月ほど前から使えなくなっている。その少し前から、「プリンタ内部部品の調整が必要です。販売店またはサービスセンターにご連絡ください。」とのメッセージが出ていたが、エラーランプが点灯してまったく印刷できなくなった。カラープリンタがなくてもキャノンのレーザープリンタがあるので、通常の印刷には不自由しないが、写真を印刷したりどうしてもカラーが必要なときにはやはり不自由だ。エプソンのサービスセンターに聞いてみると、「どうしても印刷枚数が多くなってくるとそうなるんです。修理センターに送って頂ければ修理にどのくらいかかるか、見積もりをお知らせします。」とのこと。送るったって梱包も大変だし、その結果、部品交換のため1万もかかるんなら新しいのを買ったほうがいい。そこで例によってビックカメラに行って最新のプリンタを見てみると、エプソンもキャノンも最新のモデルはほとんど同じ形をしている。プリンタだけでなく、スキャナやコピーとしても使えるという。もっともスキャナとプリンタがあればコピーはできるわけだから、この形に進化するのは当然と言えば当然か。両者のフラッグシップモデルはエプソンがPM-A900で実売32,500円、キャノンがPixusMP-900で実売32,800円と、名前まで似ている。性能面ではキャノンの方にj食指が動いたが、キャノンは外形寸法が一回り大きいので、使い慣れていることもあってエプソンにした。急いで買ったのは、「買い替えキャンペーン」ということで古いプリンタを2,000円で下取りしてくれるのがメリットと感じたから。粗大ゴミ扱いになるので捨てるのも大変だから。これまでの機種と違うのは、スキャナでもネガフィルムのスキャンができること。時間があったら古い写真のデジタル化にも使えそうだ。下取りは一週間以内でいいとのことなので、新しいプリンタの空き箱に古いほうを入れて持っていけば良い。
妻が、岩波ホールでやっている「
輝ける青春」という映画を観たいので切符をとってほしいという。調べてみると7月9日から9月中旬までと言う長期ロードショーで、上映時間が11時に始まって終わりが5時40分、休憩を除いても上映時間6時間と言う作品と言う。8月の切符にしてくれというので、チケットぴあへネットで一昨日申し込んでおいた。申し込んだ予約を、PC経由でICカードもしくは携帯電話にダウンロードして、これで入場する方法と、チケットぴあの店またはファミリーマートで紙に出力する方法とがあるという。だが岩波ホールではICカードや携帯電話には対応していないので、紙出力が必要。そこで今日、ファミリーマートへ行ってトライしてみた。ATMの隣にある機械にIDやパスワードを打ち込んで、「輝ける青春」の予約を呼び出すと、機械の下の方からレジのレシートのような長い紙が出てくる。これを劇場にもっていくのかと思うと、そうではなくてこの紙をレジに渡し、100円の手数料を払うと入場券を印刷してくれる。そういえばこの前、東京オペラシティで大江健三郎親子の講演と演奏を聞いたときも、同じような入手方法だった。で、肝心の映画だが、6時間も座っているのはつらいので、私のほうはパスすることにした。
July 10, 2005 =Sun=
歌舞伎町のオスカーで「
電車男」を観る。「2ちゃんねる」のスレッドから生まれた物語、というかスレッドそのものが
本になってベストセラーの仲間入りをしている。内容は単純なラブストーリーだが、こんなのをどうやって映像化するんだろうという興味から映画館に足を運んだ。思いのほか良い映画に仕上がっていた。互いに見知らず、孤独にパソコンに向かうスレッドの住人たちが、リアルタイムに書き込みをする様子も、画面を6分割して見たり、彼らの生活の背景にも触れてみたりと、それなりの工夫が凝らされている。典型的な秋葉オタクを主人公にした映画だが、見終って決して不愉快な気持ちにはならない。スレッド自体は2ちゃんねるからも削除されているらしいが、
こんなところに保管されている。来月には新宿のパークタワーホールで
舞台にもなるそうだ。
映画の後、有明の大塚家具に行く。埼京線がりんかい線と繋がっているので、新宿から乗り換えなしで30分足らずで着く。ここで妻の寝室兼書斎に置く壁面収納家具を探す。天井までのぴったりしたのが希望なのだが、梁が出ていて天井の高さが中途半端なため、なかなか適当なのが見つからないでいる。オーダーメイドにすれば高さは問題はないのだが、その場合はお金が高くなる。
有明から「ゆりかもめ」に乗って新橋に行き、地下鉄に乗り換えて築地に向かう。有明から、新宿のChanko Dining若に電話したのだが、予約が一杯だと言うので、それなら築地市場で寿司でもということにした。日曜日で場内は休みだし、場外市場もほとんど閉まっているが、寿司屋はいくつかの店が開いていて、人気のある店には結構お客も入っている。入ったのは「
つきじ喜代村 すしざんまい別館」
寿司をつまみながらビールと冷酒二本を飲んだので、酔い覚ましかたがた、日比谷に用のある妻を送って築地から銀座まで歩く。先日亡くなった義母の供養に、生前好きだったと言う「
東京羊羹」を買いたいというので、確か銀座6丁目にあったはずだと行ってみたが見つからない。たまたま入った鞄屋で聞くと、今年の初めに潰れたと言う。あんな老舗が・・と思って調べてみると、潰れたわけではなく、二丁目の外堀通りに自社ビルを建てて移っていた。
July 9, 2005 =Sat=
BS放送からHDに録画しておいた映画「
ペリカン文書」を観る。ジョン・グリシャムの原作はペーパーバックで読んだが、ジュリア・ロバーツ主演で映画化されたもの。制作は1993年だからまだ著作権は切れていないと思うが、気前良く録画制限なしで放映してくれた。睡眠不足のせいもあって最初のうちは少しうとうととし、目が覚めて少し前にプレイバックして観るということが2度ばかりあったが、後半はサスペンスの中に引きずり込まれた。しかし、映画としては今ひとつ物足りない感じがする。グリシャムの小説としても、「The Pelican Brief」よりも「The Firm」の方が面白かったように思う。
July 8, 2005 =Fri=
と言うわけで(↓July 7)今日は6時から歌舞伎町の「Chanko Dining若」で、Y社長、先輩で先月末に辞めたSさん、それにY社長に私を紹介してくれたS君の4人で会食。私が辞めたときにスタートしたプロジェクトも順調にいっているらしい。開店2日目の「若」は結構流行っている様子。われわれはVIP扱いの個室だったので様子はよく分からなかったが、ほぼ満席らしく、開店初日の昨日は夜通し、つまり今朝まで賑わっていたとのこと。若乃花は姿を見せなかったが、入り口に「報道関係の皆様へ」として「店内撮影はご遠慮ください。」と張り紙がしてあるなど、いま話題の店であることを窺わせる。料理の方もなかなかのもの。今日はY社長の奢りで豪華版だが、メニューを見る限りプライベートでも大丈夫そうな価格だ。4人で鹿児島の芋焼酎でプライベートブランド「若」の一升瓶をほとんど空にしてしまう。
一昨日のロンドンのテロは、今日の時点で死者数が50人くらいになった。最初の発表では死者2名とのことだったが、かなり情報管制が敷かれているようだ。ロンドンにはニューヨークほどには訪れていないが、むかしギリシャにいた頃はよくロンドンでの会議に出た。最後にロンドンに行ったのは1998年だったろうか。地下鉄にも良く乗ったが、世界一古い地下鉄であるにもかかわらず、ずいぶん深いところを走っている。駅のエスカレーターも古くてとても長い。あんなに深いところで爆発が起きたのであれば救出活動は大変だろう。まだまだ死傷者の数は増えるかもしれない。
July 7, 2005 =Thu=
昨日、歌舞伎町の近くを歩いていたら、浴衣を来た女の人がポケットティッシュを配っていた。何気なく貰ってポケットに入れたのだが、今日ポケットの中身を出して気が付いた。そのティッシュは「
Chanko Dining 若」の新宿店開店の案内で、そこに挟んである券を持参すると「4名様までワンドリンクをサービスさせて頂きます。」とある。今日、7月7日が開店だそうだ。「Chanko Dining若」は、いま注目の若貴兄弟の若乃花が経営する新感覚のちゃんこ料理屋で、今日オープンする新宿店は7店目になる。2年前に六本木にオープンしたのが1号店で、二子山部屋の後援会長をやっていた美容室チェーンの社長と六本木店に行ったのは開店直後だったが、あれから2年で7店目とはかなりのハイペースだ。ミーハー的感覚も高い妻に見せると、「じゃあ、さっそく今日行こう。」と言う。だが「今日は夕方仕事の約束があるだろ。それに今のこの時期、開店日になんて行ったら、マスコミがたくさん来ていて大変だよ。」「だから、それが良いんじゃない。」だが、結局今日は見合わせることにした。いずれにせよ、この店には近く行くことになりそうな予感がする。
珍しく午前中からスポーツジムに行き、エアロバイクを漕ぎながらテレビのワイドショーを見ていると、若貴騒動で若乃花が沈黙を守っている理由について、彼がこれまでに言ったことや書いたことなどを通じて、次の分析をしていた。
@ 事業成功のため。彼が沈黙を守ることで、ビジネス仲間の評価は高まっている。「Chanko
Dining若」は今後さらにチェーン展開を加速しようとしており、評価を上げて出資者を増やしたいという理由。
A マスコミ対策のため。彼はこれまでも、マスコミが間違った報道をしても、その都度反論はせず、時期を見て一括して反論した方が、好意的に受け止められることを経験から知っている。
B 尊敬するある人物の生き方を踏襲している。
この最後の「尊敬する人物」と言うのは、戦前に活躍した横綱「男女の川」だそうだ。双葉山と同時代の横綱で、現役時代の相撲への取り組みも、「国技である相撲のエンターテイナー」を自称する若乃花と共通するものがあるが、若乃花が男女の川を尊敬するのはむしろ引退後の生き様だという。現役時代にも、相撲の傍ら早稲田大学に聴講生で通ったという、当時としては破天荒な行動もある。現役を退いて年寄りになったが、それも2年で辞めて相撲界を去り、衆院選、参院選、市長選などに立候補してすべて落選、金融会社のサラリーマンや私立探偵(巨体のためいつも尾行には失敗していたという。)をやったりして、最後は養老院にいるところを昔の後援者に見つけられ、野鳥料理屋の下足番で生涯を終えた。当時の新聞は、「凋落した横綱」と報じたが、彼はいっさい気にかけず、誰が訪ねてきても堂々と対応したという。彼の口癖は、「私は相撲の世界で関取、横綱と威張っていたが、相撲の世界を離れたらそうした態度は捨てなければならない。」
若乃花も、「Chanko Dining若」のある店で行列ができているのを見ると、他の店に電話をかけ、空いていればお客を自分で運転してその店に連れて行くという。「元横綱がそこまでして・・」と言われても意に介さないそうだ。
というところで、家に帰ってみると美容室チェーンの会社からファックスが届いていた。この前から、明日の金曜日を空けておいてくれと言われていた会合の場所の連絡だった。歌舞伎町の「Chanko
Dining若・新宿店」 やっぱり。
July 6, 2005 =Wed=
今日のNew York Timesにはこんな漫画が。

アメリカの住宅産業がバブルだという説と、実需に裏付けられておりバブルではないという説とがあるそうだが、こうした漫画が出てくるところを見ると、やはりバブルなのだろう。それにしても日本でもむかし、これに良く似た話があったような・・・
July 5, 2005 =Tue=
4月まで勤めていた美容チェーンの会社は銀座二丁目にあるが、今度また銀座二丁目の会社に勤めることになった。といっても、今度のは埼玉県熊谷市の銀座二丁目。今日はじめてその会社に挨拶に行く。新宿から熊谷まで結構遠いようだが、埼京線と上越新幹線、それに湘南新宿ラインなどがあるので1時間余りで着く。以前いた会社の子会社で、業務内容も若い頃出向していた業種と同じ分野であることも、引き受けた理由の一つ。勤務開始は17日からということになった。41年ぶりの「毎日日曜日」生活もあと2週間で終わりとなる。通勤時間が長いので、ゆっくり本を読むことができそうだ。
July 4, 2005 =Mon=
日本橋本石町の日本橋室町ビル。日本銀行本店の北側にあるビルの9階に、「東レ室町社員クラブ」がある。ここで行われた「松戸会」は元日本租税研究協会参事のHさんを中心とする会で、ずいぶん長く続いている。しかし、今回は席亭の東レOBのSさんが胆嚢の手術で欠席、元某中央官庁事務次官のTさんもこのところ病気がちで欠席など、メンバーの高齢化に伴って健康問題も重要な関心事になってきた。その一方で、一年前に白根山に登って足を滑らせ骨折し、リハビリに励んでいた三井物産OBでこの会の中心メンバーであるIさんが完全復帰するなど、明るいニュースもある。メーカー、商社、銀行、証券会社、国税庁など、出身母体は様々だが現役を離れて久しい人たちも多く、出身にこだわらない交流会という趣もでてきたようだ。
July 3, 2005 =Sun=
都議選の投票に行く。新宿区では定員4人のところ自・公・共各1名に民主が現職と新人の2名を立てている。落ちるのは一人だけだから、民主はどっちみち現有議席は保証され、他党を蹴落として二人当選ができるかどうかが焦点。結果は民主の現職が落ちて新人と入れ替わった。落ちた現職は、先日、石原都知事の側近副知事がやらせ質問をさせたという問題が出たときの、当の質問議員で、民主でありながら石原べったりの人物。全体では民主は35議席と、改選然の19議席から大きく躍進したが、前回の都議選で小泉ブームに乗って53議席を獲得した自民は、改選前の51議席に比べ3議席減らしただけ。公明は全員当選で2議席増の23議席と、自公会わせればほとんど変らない。共産が2議席、生活者ネットワークが3議席減らしたのと、欠員の部分が民主に来ただけともいえる。
妻が政治の世界にいた関係もあって、都議には顔見知りもけっこういる。その中でも落ちた人、当選した人と様々だが、実際問題として都政では石原知事のスタンドプレーにばかり焦点が

当てられるので、都議会の議員や会派がそれぞれどんなことをやっているのか、良く分からない。
むかし撮りためた映画のビデオの中で、今日は1961年のアラン・レネ監督「
去年マリエンバートで」を観る。仏・伊合作。脚本を書いたのはアラン・ロブ・グリエ。昔から難解な映画の代名詞みたいになっていて、その舞台となった幾何学的な庭園の写真はよく目にしているが、映画としてじっくり観たのは初めて。確かに難解といえば難解だ。同じフレーズを繰り返す男の科白が延々と続く。そのうち、女は男の科白によって過去を想いだすのか、あるいは男と科白が作り出す仮想の世界を構築するのか、夫と別れて男と行動をともにする。難解だが絵は美しい。心に問いかけてくるものが残る映画だ。IMDb (Internet Movie Database)の解説では簡単に次のように述べている。これでは身も蓋もないような気がするのだが。
In a huge, old-fashioned luxury hotel a stranger tries to persuade a married woman to run away with him,
but it seems she hardly remembers the affair they may have had (or not?) last year at Marienbad.
ところで、映画の舞台はフランスということになっているらしいが、このMarienbadという地名、実は南ドイツとの国境近くのチェコの温泉町マリエンスケ・ラーズニェ(ドイツ読みではマリエンバート)を指しているらしい。また、ミュンヘンにはホテル・マリエンバートという格式の高いホテルがあり、かつてはジークモント・フロイトやクララ・シューマンなども泊まっていたという。
July 2, 2005 =Sat=
妻の部屋から不用になった本箱やキャビネットを、隣のアパートに越してきた息子の部屋に運ぶ。仕事が忙しく、引っ越したままの段ボール箱を部屋に積み重ねている息子は、そんなの要らないと言うのだが、部屋をきちんとさせ、生活をのけじめをつけさせようというのが妻の方の親心。机と椅子、本箱とキャビネットを移すことでやっと合意ができたのだが、いっぺんに移しても部屋が狭くなるだけという息子の主張で、とりあえずは収納を優先して本箱とキャビネットを先に運び込んだ。残りは来週になるのか再来週になるのか。久しぶりの力仕事で手が痛い。
July 1, 2005 =Fri=
家の中の整理をしていると、ずっと前にBS放送の映画番組をVHSテープに録画したのがたくさん出てきた。テープを節約して3倍モードで撮っているので、テープ1本に2から3本の映画が入っている。デッキにかけてみる

と案の定、テープの劣化分も含めて画質は悪いが、まったく見るに耐えないというほどではない。そこで今日観たのは1976年制作の
「カサンドラ・クロシング」と1937年の「
望郷」。
ジュネーヴの国際保健組織を襲った過激派が襲撃に失敗し、米国が密かに培養していたペスト菌を浴びたまま国際列車に隠れてストックホルムに向かう。米軍の情報機関はこれを知り、列車の行く先をポーランドの旧ナチ収容所に変更し、1000名の乗客全員を隔離しようとする。だが、そこへ向かう線路はずっと以前に廃線になっており、途中にカサンドラ・クロッシングと呼ばれる老朽化した鉄橋を通る。列車に乗り合わせた英国人医師は、別れた妻とともに発病した患者を献身的に介護するが、

やがて国際条約に反した最近培養を1000人の乗客の命とともに闇に葬ろうとする情報機関の意図に気づき、麻薬犯やそれを追う刑事などとともに、情報機関の警備要員と戦い、列車を途中から切り離し、半分の乗客の命を救う。「カサンドラ・クロシング」のストーリーは概ね知っていたが、映画を観るのは初めてだった。30年前のサスペンス映画としては良くできている。カサンドラ・クロシングは単に鉄橋の固有名詞かと思っていたが、やはりトロイの王女カサンドラに由来して名付けられたもののようだ。
2年前にパリで銀行強盗を働いてアルジェのカスバに逃げ込んだペペ・ル・モコは、カスバの顔役となり警察もなかなか手が出せないが、一歩カスバを出れば逮捕される運命にある。カスバにも、一緒に暮らすイネスにも飽きがきているペペは、次第にパリへの望郷の思いが募ってくる。そんな折、アルジェを訪れ、興味本位でカスバにやってきた資産家の妻ギャビーと出合ったペペは、ギャビーとの会話の中にパリの匂いを嗅ぎ、ギャビーもそんなペペに惹かれていく。ペペは、昨夜再会を約したギャビーを待ち続けるが、警察からペペは撃たれて死んだと嘘の情報を聞かされたギャビーは失意のうちに翌朝の船で出立する。ペペはギャビーを探してカスバを出、船に乗り込んだところで逮捕される。波止場の外に連れ出されたペペが柵越しに見守る中、甲板にギャビーの姿が現れる。大声でギャビーの名を呼ぶぺぺ。しかしその声は出帆を告げる汽笛にかき消されてギャビーの耳には届かない。この有名なラストシーンを観るのは3度目くらいだろうか。こういう味のある映画には最近はお目にかかれない。それにしてもアルジェのカスバ(1992年に世界遺産に登録されている)へのツアーなんてあれば行ってみたいと思う。
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