Diary


October 31, 2005 =Mon=

仕事で長野に出張。長野の事業所で8時過ぎまで仕事をし、昨夜ネットで予約した駅前のホテルメトロポリタン長野へ。このホテルには4月まで勤務していた美容会社が店を出しているが、ネット予約の割引があるのと、部屋からネット接続が出来ることで選んだ。月末でもあり、事業所の人たちは未だ仕事をしているが、余り遅くなってはせっかくネット接続可能な部屋を取った意味がない。JRが経営するビジネスホテルだ。チェックイン後、駅前のイタリアンレストランでトマトとニンニクのパスタ、それに温野菜の夕食。パスタがとてもおいしい。昼食も事業所の所長と一緒にしっかり食べたし、どうも出張だとダイエットが途切れる。ホテルにも仕事を持ち帰っているので、ネット接続と言ってもメールチェックがせいぜい。結構忙しいのだ。

ホテルから大阪の妹に電話を入れて母の様子を聞く。抗生物質の点滴のせいか、熱は下がっているらしい。病院側は、イロウといって胃に穴を開けて栄養分を直接胃に送り込む手術が終わったら、すぐにも転院先を考えて欲しい様子だ。もともと骨折で入院したのに、入院中に脳梗塞を起こし、更には肺炎にもなりかけている。老人だから他の病が次々と出てくることで病院を責めるつもりはないが、何か割り切れないところへ、処置が終わったら出て行けという態度も納得できない。


October 29, 2005 =Sat=

妻が仕事の関連で藤沢周平の関係者から「蝉しぐれ」のチケットを2枚頂いていたが、先週末は私が大阪に行っていたし、上映は来週の金曜日までなので今日を逃すと週末にはいけない。そこで例によって朝一番の上映にでかけた。歌舞伎町の新宿コマ東宝、大きな映画館だがさすがに朝の興行では人が少ない。東北/庄内地方の下級武士の息子、文四郎は、隣家の幼馴染ふくとの淡い恋心を抱きつつ親友とともに剣術と学問に励みながら平穏な日々を送っていたが、父が藩主の世継ぎを巡るお家騒動に巻き込まれ、切腹となる。反逆者家族の汚名を着せられた文四郎は汚い家に引越し、不自由ながらもまじめに生きている。ふくはその父とともに江戸へ出る。やがて成人した文四郎は、父の切腹の原因を作った家老から復禄を言い渡され、父と同じ役職に点くが、家老の狙いは別のところにあった。江戸屋敷で藩主に目をかけられ、その子を宿したふくから、子供を奪い取るようにと、家老は文四郎に命ずる。

藤沢周平作品の映画では、以前「隠し剣 鬼の爪」を見たが、今度の「蝉しぐれ」は映像が特に美しい。こうした映画を観ると、海外の映画祭などではどういう反応があるのだろうかと考えてしまう。一般の外国人にはストーリーの背景を理解するのはかなり難しいだろうが、あの映像の美しさは共通言語として理解されるだろう。

映画館の中でマナーモードにしていた携帯が振動した。大阪の妹からで、昨夜、母は39度4分まで熱が上がったため、座薬で押さえているが、医者によると肺炎を起こしている可能性もあるという。骨折で入院したのに入院中に脳梗塞になりさらには肺炎になるとは、高齢だから仕方がないのだろうか。このところ変化がないとのことだったので、この週末の大阪行きも取りやめ、来週初めには出張も入れてしまったが、この様子ではいつどうなるか分からない。


October 28, 2005 =Fri=

午前中、不動産屋に案内されて、今の会社の本社を東京に移すための物件を見て回る。熊谷近辺の社員が通勤しやすく、かつ親会社とも交通の便がよい東京駅周辺、日本橋・八重洲・京橋付近の物件を見たが、当初考えていた坪数では狭すぎることが分かり、少し不便でももっと広い物件を探すように依頼する。

夕方は東京會舘で行われた元の会社の経理部門のOB会に出席。出席者はOBが125名と現役40名弱。ちょうど今日は中間決算の発表日で、兜クラブなどで決算発表会をこなしたCFOが挨拶方々業績を披露。今年度も史上最高益を更新し、その予想も当初予想から600億円上方修正した。こういうときの役員は楽だろうと思うが、後で当のCFOと話したところでは「昔は役員はゴルフと宴会ばかりやってと思っていたが、私はいつも八時には出社しているんですよ。」とのこと。株も、「ストックオプションを含めればXXX株持っているけれど、在任中はオプションを行使できないし、株主代表訴訟なんか起こされたら破産してしまうかもしれないし・・・使命感がなければやっていけませんね。」ま、ご苦労さまです。


October 27, 2005 =Thu=

母を看るために大阪を往復する途中も含め、新幹線通勤の途上でBSから録った映画を観るのが習性となってきた。このところ立て続けに観たのが、「第三の男」「ダンス・ウィズ・ウルヴス」「月夜の宝石」「死刑台のメロディ」「ローマの恋」

1949年制作の「第三の男」は第二次大戦後のウィーンが舞台。アメリカから親友のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を頼ってやってきた通俗作家(ジョセフ・コットン)は、ハリーが交通事故で死んだと知らされる。しかし、交通事故の目撃者から、ハリーの死体を運んだ二人のほかに第三の男がいたことを知る。調べていくうちにハリーはかなり悪事を重ねていたらしく、裏社会の実力者だったことが分かってくる。そして実はハリーは生きていた。名作と評される映画だが、今観るとそれほどの名作なのかなと疑問が起きる。

ケヴィン・コスナー監督兼主演の「ダンス・ウィズ・ウルヴス」は、西部開拓時代、辺境守備を志願して砦に赴いた主人公が任地に着くと、前任者がすでに放棄して逃走したあと。一人で砦を再建しているうちに、敵であるはずのインディアン部族と知り合い、彼らの素朴で自然な生活に同化し、部族の中で育った白人女性と結婚する。しかし、その平和な生活は長く続かず、次第に勢力を増す白人たちが件の砦にも進出、インディアンと同化した主人公は脱走兵の扱いを受ける。非常に長い映画で、BS放映でも途中で休憩が入るほど。民族固有の文化を大切にする温和なインディアンと、がさつな白人兵たちとの対照が面白い。

「月夜の宝石」とは、「警察に追われる者」を指す隠語だという。スペインとの国境近くのフランスの片田舎。ここに住む伯爵宅にパリからやってきた姪(ブリジット・バルドー)は、女たらしの伯爵が自殺に追いやった村娘の兄(スティーブン・ボイド)と恋に落ち、同じ男性に恋した伯爵夫人(アリダ・バリ)との三角関係になる。正当防衛で伯爵を殺してしまったボイドを追うBBは、二人で逃避行に出るが、やがて警察に追われ、警官の発射した銃弾から男をかばおうとしたBBは背中に銃弾を受け倒れる。1958年、BB24歳の肢体はさすがに美しい。フランス・スペイン国境付近のくすんだ白壁に赤瓦の貧しい家々が連なる風景は、エーゲ海の小島の風景にも似て懐かしい。会話もフランス語とスペイン語が入り混じる。

「死刑台のメロディ」は、原題では「サッコとヴァンゼッティ」。邦題からはミステリー物を想像するが、中身は反体制映画。イタリア映画だが舞台は1920年代のボストン。吹き荒れる不況風の中で貧しいイタリア移民たちは絶望の中でアナーキズムに走る。政権を握るアングロサクソンの中にはアカ狩り、移民排斥の動きが広がる。イタリア移民で靴屋のサッコ、鮮魚行商のヴァンゼッティはアナーキズム運動の最中に逮捕され、強盗殺人の罪を被せられる。熱血漢の弁護士が無実をほぼ証明するが、体制側で構成される陪審は有罪を評決する。後を継いだ冷静な弁護士も、検察側の証言や鑑定の不備を照明し、再審請求するが裁判長はこれを却下し、全米そして世界中で巻き起こる被告支援の運動も無視され、二人は電気椅子にかけられる。信念を持つ闘士タイプのヴァンゼッティに対し、小市民的なサッコの対照が際立つ。実話に基づいているらしい。

「ローマの恋」は、同じイタリア映画でも題名の通り色恋沙汰の映画。1960年のモノクロ作品で、余り評価は高くないのか、ネット検索してもほとんどひっかからない。プレイボーイのピーター・ボールドウィンはにやけた感じだが、主役のミレーヌ・ドモンジョ(当時22歳)とエルザ・マルティネリが好演。

October 26, 2005 =Wed=

プロ野球日本シリーズはロッテが四連勝で阪神を下した。これまでロッテと言えば常に下位に低迷していたイメージが強いが、今年はめっぽう強い。日本シリーズの成績は第一試合10対1、第二試合10対0、第三試合10対1、そして今日の第四試合が3対2。合計すると33対4。ロッテがパリーグを制したのは31年ぶり、日本シリーズ優勝も31年ぶりということは、前回は1974年。うちの息子が生まれるよりも1年前だ。だが、これは2度目であって、ロッテ(毎日)が日本シリーズを初制覇したのは1950年、二リーグ制になって初めての年だ。今、プロ野球は新規参入がある一方で一リーグ制への復帰などの動きもあるが、今から55年前はそれまで8球団だったのが一気に15球団となって二リーグ制になった。優勝チームはセリーグが松竹ロビンズ、パリーグが毎日オリオンズ。セリーグはこのほか中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、大阪タイガース、大洋ホエールズ、西日本パイレーツ、国鉄スワローズ、広島カープで合計8球団。パリーグは毎日のほか南海ホークス、大映スターズ、阪急ブレーブス、西鉄クリッパーズ、東映フライヤーズ、近鉄パールズの7球団。セリーグでは中日、読売、大阪(阪神)、広島と4球団が今でも残っているが、パリーグは当時のままの球団は一つもない。


October 25, 2005 =Tue=

丸の内の親会社で、新会社法の勉強会。商法の会社編、有限会社法、商法特例法などを統合して、新しい会社法が7月に公布された。施行はもう少し先になるし、まだ施行規則など未整備なところが多いが、従来の会社法のイメージを大きく変えることになる。だが、会社法規の変遷はかなり迷走してきたのではないだろうか。その昔、株式会社は資本金3,500円で設立できた。株式1株の最低額面が500円、発起設立には発起人が7人必要で、発起人は最低1株を引き受けなければならないので3,500円が最低資本金ということだった。ところが、1991年の商法改正により最低資本金制度が導入され、株式会社は1000万円、有限会社は300万円の最低資本金をクリアしなければ会社を設立できなくなった。それまでに設立され、この最低資本金を満たしていない会社は、5年間の経過措置の間に資本を増強することを義務付けられた。安易な会社設立を抑制し、資本の充実を図ることが目的とされた。ところが2003年になって、中小企業挑戦支援法による特例として、5年間の間に最低資本金をクリアすることを条件に、資本金1円から会社設立が認められた。それが今度の商法改正により最低資本金規制が全面的に撤廃されることになる。だとすれば、1991年の改正は何だったのだろう。最低資本金撤廃が、ベンチャー企業の奨励にあるとすれば、資本の充実の名の下に最低資本金を強制した1991年の改正は、日本の経済活性化の足を引っ張っていたことになる。当時の改正を主導した法務省は責任を取らないのだろうか。


October 24, 2005 =Mon=

ただでさえ、週明けの月曜日は土・日に出勤していた人たちから上がってくる書類が多いのに、木・金も休んでいたものだから文字通り仕事が山のように溜まっていた。加えて今日は午後から親会社の品川オフィスで役員会。さらには係争案件に新たな進展があったものだから役員会も途中で抜け出して丸の内と内幸町の弁護士事務所へ。めまぐるしい一日。

夕方、病院で母を看ている妹から電話が入り、今日の様子を知らせてくる。痰が詰まるようになり、三時間ごとに吸引しているそうだ。その一方、昨日まではずっと目をつぶっていたが、今日は少し目を開けることもあるという。気になる熱は、血液検査の結果、炎症反応が出ているとのことで、その原因までは分からないらしい。


October 23, 2005 =Sun=

妹と甥に後を頼んで、13時19分新大阪発のひかりで帰京。朝方は雨が残っていたが午後には久しぶりの晴天になり、山側の席からは窓越しに珍しく富士が綺麗に見えた。

日本シリーズは今日もロッテが10対0で圧勝。やはり勢いと言うのは恐ろしい。


October 22, 2005 =Sat=

今日は甥が泊まってくれる予定だったが、風邪気味で喉が痛いというので、大事をとることにして私がもう一日泊まることにした。私が帰ったら妹と甥とで面倒を看てもらうことになるので、私がいる間は出来るだけ引き受けることにする。昼過ぎにいったん妹と昼食がてら家に行き、シャワーを浴びてから一眠りする。ちょうど行き違いで、4年前に亡くなった弟の未亡人とその母親が見舞いに来てくれたらしい。母は相変わらず大人しく寝ているだけ。余り静かなので時々息をしているのを確かめないと不安になる。何が原因なのか、熱が少しずつ出てきている。もともと平熱が低い方なのに、朝方で7度9分、夕方には8度3分まで上がっている。血圧も高い。床ずれが出来ないように看護士が何時間おきかに寝る体位を変えるのだが、そのときだけははっきりと「痛い!」と声を出すことがある。しゃべれるようになったのかと思って声をかけてみるが、今度は返事はせいぜいが首を縦か横に振るぐらい。

病人がそんな風なので、病室のテレビで日本シリーズを観戦。毎日、大毎時代からの「隠れロッテファン」なのだが、31年ぶりリーグ優勝のロッテはなぜか今年は日本シリーズになっても強い。1点を先制して追いつかれた後、長打とホームランで一気に引き離して10対1。10点目の入ったツーランの頃から千葉マリン球場が霧に包まれて視界が悪くなり濃霧のため7回コールドゲームと言う珍しい現象でロッテ圧勝となった。


October 21, 2005 =Fri=

母が脳梗塞になる前、母のお金を預けている信用金庫の担当者に病院に来てもらい、定期預金の解約とキャッシュカードの発行手続きをとってもらっていた。今朝は妹と信用金庫に行き、必要な手続きを終えた。これで当面の入院費などは心配ない。都市銀行と郵便局にも定期預金があるのだが、こちらはそこまで親切ではなく、全部自筆の委任状が必要だという。委任状の原稿は私が作ってファックスしてやったが、脳梗塞前とはいえ、92歳の母親に長い文章を自筆で書くのは無理だった。脳梗塞になってしまってはとても不可能だ。

母の友達であるNさんが見舞いに見える。母より20歳近く若いが、一番親しくしていただいている。骨折で入院した直後にも見舞っていただいたのだが、まさかそのまま口が利けなくなるとは思っていなかったろう。昨日は出ない言葉を出そうとしたり、筆談を試みたりしていた母だが、今日は余り元気がなく、気だるそうに目を閉じていることが多い。今晩は私が泊り込むので、妹が看ていてくれる間に夕食に出る。近鉄の駅とは反対側にJRの久宝寺駅があるといので、駅まで行けば食べ物屋もあるだろうと、気分晴らしに出かけてみる。病院の駐車場整理のおじさんに道を聞いて「曲がった道ですけど一本です。20分くらいかな。」というのに、一日中病室にこもっていても運動不足になるからと歩き始める。一本道のはずがすぐに三叉路に突き当たり、どっちへ行けば良いんだろ。前を行くおばさんに聞くと、「こっちの道をまっすぐ行くと神社がありますから、それに沿っていけば駅のほうへ行きます。」なるほど、許麻神社と言うかなり大きな神社がある。「許麻」は「コマ」と読む。この読みは「高麗」に通じるそうだ。そのまま進むと工場地帯で食べ物屋など見当たらない。駅まで来たが線路際まで工場ばかりだ。線路の向こう側が賑やかそうなので、高架駅を渡ってみると、電気の煌々と点いた大きな建物はパチンコ屋だった。更に向こうの国道沿いに何軒か食べ物やが並んでいるが、みな立ち飲みに近い居酒屋ばかり。そうした店も嫌いではないのだが、今の気分では入る気にはなれない。仕方なく病院に戻り、隣接のコンビニでおにぎりとパンを買って病室で食べる。

この前、母の手術の後に来たときも病室に泊り込んだが、夜の病室では酸素供給装置のブクブクという音と母の寝息が聞こえるだけ。救急病院なので時々救急車が乗りつける音。あとは、遠くの病室で、どういう症状なのだろうか、男性が大きな声で喚くのが一瞬だけ聞こえ、すぐ静かになる。喚き声は一時間置きくらいで聞こえる。三時間ごとに看護婦が血圧と体温を測りに来る。夜が白む頃、こちらも寝てしまっている。


October 20, 2005 =Thu=

朝6時過ぎの新幹線に乗ったので10時には病院に着く。母はこれまでの個室からナースステーションに隣接した6人部屋に移されている。ここはナースステーションと直結しており、重症患者が入っているらしい。何でも、梗塞を起こした場所が余り良くないらしく、ここ一日か二日のうちに隣接する部位を圧迫するようになると危険なことになるらしい。逆に言えばこの期間を無事に乗り切れば安定してくるが、それでもかなりの後遺症は残るだろうと。母は、こちらの言うことは分かるらしく、質問にはかすかに頷いたり首を振ったりするが、言葉が出てこない。五十音を書いた紙を見せて、指で指し示して意思を伝えられないかと試してみた。こちらの意図は理解して、指差そうとするのだが、字が読み取れないのか、指を目的の字に持っていくことができないのか、うまk、ういかない。筆談も字を書こうとはするのだが字にならない。

担当は整形外科から内科に移っているが、内科病棟に個室の空きがないので同じ整形外科でナースステーションに近い個室に代えて貰うことにした。昨夜は妹が病院に泊り込んでくれて、今夜は甥が泊まってくれる。朝も昼もサンドイッチしか食べてないので、帰り道に妹と回転寿司に寄る。母がお気に入りだったと言う店だが、母はもう食べにこれることはないかもしれない。
途中、インターネットカフェに寄ってメールをチェック。SASTIKのメールがうまく動かないのでOutlookExpressを使ったら添付ファイルが開かない。多分ウィルスを警戒してセキュリティレベルを上げているのだろう。


October 19, 2005 =Wed=

一昨日の小泉首相の靖国参拝について、見事に的をついているのはNew York Timesの社説だろう。

新宿で電車を降りて携帯をチェックすると、妹から何度も着信が入っていた。電話すると骨折で入院中の母が脳梗塞を起こしたと言う。骨折の方は手術後の経過もよく、昨日あたりは自分で立って車椅子に移るとおろまでリハビリも進んでいたと喜んでいたのだが、今日の昼ごろに最近時々あるように意識をなくし、その後言葉も普通に出る様子だったが、夕方になって脳梗塞と思われる発作に見舞われ、口もきけなくなったらしい。妹も動揺しているようだし、ともかく明朝一番の新幹線で行くことにする。


October 17, 2005 =Mon=

今日から中途採用で入社した人の歓迎会。大手建設会社にいた方で早期退職し、しばらく別の仕事をしていたが、この会社のニーズと合致したので入社となった。歓迎会は熊谷駅近くの居酒屋だが、ちょうど居酒屋のテレビはパリーグのプレーオフセカンドステージの千葉ロッテ対ソフトバンクの最終戦を中継していた。プレーオフではロッテがまず二勝して王手をかけたものの、15日の第三戦で9回にピッチャーの悪送球を契機に4点差を追いつかれ、10回にサヨナラ負けで流れが変わり、第四戦も落として二勝二敗でのリーグ優勝決定戦。もう50年も前の小学生のころ、両親が「毎日小学生新聞」というのを取ってくれていたことから、当時の毎日オリオンズのファンになった。大映と合併して大毎オリオンズになり、やがてロッテに買収されてロッテオリオンズになってからは熱が冷めていた。成績も低迷し、当時ロッテのホームグラウンドだった川崎球場では、試合中に猫がグラウンドを歩いていると言われる状態。千葉に移って千葉ロッテマリーンズとなったのはいつごろだったろうか。優勝とは縁のなかった球団が、今年は最初からえらく飛ばしていた。ソフトバンクに抜かれて二位に落ちたが、プレーオフ制度の効果でリーグ優勝を狙えることになった。居酒屋のテレビで、8回に2-1でリードされていたのをひっくり返すところまで見た。家に帰って確認すると、そのままロッテが勝って31年ぶりのリーグ優勝。

この日、小泉首相がまたも靖国参拝を行った。選挙で大勝し、念願の郵政民営化法も成立といったところで、このタイミングで参拝に踏み切ると見る向きも多かったが、やはりその通りになった。300議席の驕りだろうか。歴代総理の中で小泉は一番良いと思うし、郵政民営化には賛成だが、この靖国参拝にこだわる、いわゆるタカ派姿勢には賛同できない。中国や韓国に言われるまでもなく、総理という公人が特定の宗教施設、それも戦前の軍国日本のフィクシャスな精神的支柱であり、かつA級戦犯合祀という問題を抱えた施設に参拝することが、国家神道と軍部の結託による軍国主義化への反省に立った憲法の政教分離に反することくらい、日本人として分かりそうなものなのに、年を追うごとに国家主義的優越感に立つ風潮が勢いを増してきていることが嘆かわしい。小泉氏が、「心ならずも戦争のために命を捧げた人々の犠牲の上に今日があることに感謝と鎮魂の意を表す。」というのなら、同じく心ならずも空襲や原爆などで戦争の犠牲になった人々、無謀な戦争に反対し、あるいは忌避して特高や軍から虐殺された人々をも、靖国は同じように合祀するつもりはあるのだろうか。(もっともそうした人々は合祀などされたくはないと思うが。)つい先日、大阪高裁で小泉首相の靖国参拝が違憲であるとの判決が出たばかりである。最高裁の判断ではないものの、この判決は原告も被告の国も控訴せず、今の段階では唯一の確定判決である。行政府の長が司法判断に意識的に逆らうのでは、憲法の定めた三権分立も踏みにじられているといわざるを得ない。


October 16, 2005 =Sun=

昨日、今日とインスタントながらダイエットを心がける。まず二日ともスポーツジムに通い、食事は量を少なめに、野菜を主体とする。寒天がいいとテレビでやっていたので、スーパーで粉寒天を買ってきてトマトやキュウリ、水菜などを寒天で固めた野菜ゼリー。まあ、何でもほどほどにしておくのが良いのだろうが、普段節制していないのでやると極端に走る傾向がある。

妹からの電話では、母は昨日の午前中に抜糸したそうだ。ところが抜糸したとたんに病院の相談員という人がやってきて、転院先を決めてくれという。まだリハビリもやっと手摺につかまって歩く程度なのだが、病院には余り長く置いておけないのでリハビリ専門の病院を紹介するからとのこと。といって老人専門の施設だと母が嫌がるらしい。


October 14, 2005 =Fri=

いつも診療所で貰う薬がもうすぐ切れるので、朝、近くの三越診療所に寄ってから会社に行くことにした。診察を受けて処方箋を貰い、薬局で薬を買ってエステック情報ビルを出たのが9時半くらい。新宿駅でいつもの4番ホームに行くと埼京線は各駅停車しかない。時刻表では快速があるはずなのだがと思ってよくよく見ると、この快速は1番線からとなっている。1番線は反対方向のはずなのにと思いながら階段を上がって1番ホームに下りると確かに川越行きの快速が停まっている。これなら大宮を10時18分発で熊谷に10時33分着の新幹線に間にあう。1時間ちょっとの遅刻ですみそうだ、と思うが発車が少し遅れているようだ。案の定、大宮に着くと10時15分を回っている。何とか間に合うかなと急ぎ足で新幹線ホームに向かう。ホームへのエスカレーターでは左に並ぶ人たちの横を、私と同様18分の新幹線に乗ろうと言う人たちが急ぎ足で登っていく。ところがホームに着いたときには新幹線のドアは閉まっていた。案内板を見ると、次は26分の「あさま」があるのでその列に並ぶ。ところがこの列車は熊谷には停まらないのに気が付いた。また時刻表を見ると、高崎線の特急が25分にある。これだと熊谷着が10時50分になってしまうが、熊谷に停まる次の新幹線は一時間以上先だ。急いで新幹線から在来線に戻る。走ってホームに行くとちょうど特急が到着したので飛び乗る。と、ここまでは良かったのだが、検札に来た車掌に新幹線・在来線共通のSuica定期券を見せると、「これでは特急には乗れません。乗車券は共通なのですが、特急券は別に買ってください。」何で新幹線の特急に乗れる定期券で在来線の特急に載れないんだ??納得できないまま500円払って特急券を買う。ちょうどこの定期もあと数日で切れる。熊谷駅で継続延長の手続きをするときに、「これで在来線の特急には乗れないの?」と聞いたら「乗れません。」とつれない返事。だって、埼京線が遅れて新幹線に間に合わなくなったんで、新幹線より遅い在来線の特急で我慢したのに、それでも追加料金を取るとは、JR東日本、どうなってんだ!


October 12, 2005 =Wed=

4日も休みが続くと頭が呆けてしまうのか、熊谷の事務所に着いてたまっている仕事を片付け終わり、ふと今日は社長や役員が来ていないなと気が付いた。スケジュールを見ると10時から品川の親会社で会議の予定。あ、しまったと時計を見るとちょうど10時。あわてて社長の携帯に電話を入れる。「すみません。間違って熊谷に来てしまいましたぁ。」


October 11, 2005 =Tue=

今日は連休明けだが、勤務先のショッピングセンターは設備の定期点検で全館休業のため、会社も設備担当以外は休日としている。他の人たちはシフトで連休中も出ているが、私は4連休。だが大阪に行っている間に、頼んでいた収納家具が届いていたので、今日は一日中、本や荷物の整理に追われた。一番厄介なのが、パソコンソフトのCD-ROMや以前から取っていたビデオテープの処理。必要なものと不要なものとの区分が難しい。今日は思い切ってだいぶ捨てた。この前買ったシュレッダーは、CDの裁断もできるようになっているので、データの入ったCDなども裁断して処分することができた。それでも古い書類、とくに妻が選挙に出たときの書類やフロッピーディスクなど、分別処理していかなければならないものがまだまだ残っている。


October 10, 2005 =Mon=


昨夜、母が食事を終えるのを見届けてから自分の夕食に出かけた。病院の周辺にはすぐ隣に一見本格的そうなフランス料理店がある以外は、大した店はないが、駅まで行けば高架線路の反対側に中華料理店があるのを今朝確かめていた。しかし遠くからその店が見えてくると、店の前に人だかりがしている。何かあったのかと近づいてみると、順番を待つ人たちが並んでいるのだ。文字通り「行列のできる店」だった。というより、他にめぼしい店がないせいか・・・だが、若い人ばかりでみんな仲間連れらしい列に一人で加わる勇気もなく、線路の反対側に戻ってみると、こちらには小さな中華料理店があった。ということはあっちの店はやはり評判が良くて並んでいるのだろう。背に腹は代えられず、ややうらぶれた感じの扉をくぐる。小上がりの座敷に老婦人の二人連れ、それに真ん中の六人がけのテーブルに若いグループ。それで席の三分の一くらい。テーブル席について餃子とビールを注文。ペーパーバックを読みながら若いグループの会話が自然と耳に入る。どうやらセミプロの劇団員たちらしい。神戸方面での次回公演の打合せか。「未だ見ぬ東京へのワンステップ」だとか。心の中で声援を送る。餃子とビールに半チャーハンと焼酎のお湯割りで、〆て1600円。安い割りに味も悪くなかった。

夜、母は比較的早めに眠りに落ちた。これだと夜中に起きるかな、と思っていたら案の定だった。こちらもようやく眠ったらすぐに隣のベッドの母から名を呼ばれる。「私はどうしてこんなところにいるの?」「怪我をして手術したからだろ。」「退院して家に帰るから、そう言って来て。」「だめだよ。まだ足が動かないだろ。」「私、ここに来るまでどこにいたんだろ。」「家だよ。」「ああ、矢島(埼玉県深谷市の母の生家)の家だね。」「違うよ。八尾の家だろ。」「どんな家だったっけ。」「ほら、玄関入ると右手に応接間があって、奥の間にはお仏壇があって・・」「思い出せない・・」92歳だから認知症の心配はしなければいけないが、病院のベッドに寝ている生活が続くとこういう精神状態になるのもある程度仕方のないことかもしれない。

朝、交代にやってきた妹と実家に戻り、貴重品の在り処などを確認し、シャワーを浴びる。ファミレスで朝食兼夕食を取り、もう一度病院に戻ってから帰路に着く。三連休の最終日で、一時過ぎなのに「ひかり」は六時台まで満席とのことなので、帰りも自由席にする。大阪始発だったので今度も難なく座れた。二日間、ほとんど眠れなかったので、新幹線の中ではずっと寝ていた。


October 9, 2005 =Sun=

昨夜は私も眠れなかったが、母のほうがもっと眠れなかったはずだ。だが、朝になって看護婦が入ってきて「よく眠れました?」と聞くと、思いがけなく元気な声で「はい、よく眠れました。」朝食も食パンを半分残しただけで、ほぼきれいに食べた。どうなってんだ?

こちらも朝食をと思って病院を出る。昨夜、病院の近くの店で蕎麦を食べたが、朝食は病院の前の喫茶店でモーニングサービスをやっていたので、そこにしようと決めていたのだが、今朝行ってみると休みだった。そうか、今日は日曜で休みなんだ。駅の近くへ行けば開いている店もあるだろう。病院の入り口付近にある花屋券たこ焼き屋?にいた人に、駅の方角を教えてもらい、散歩がてら歩いてみる。病院の近くは広い道路に面して比較的新しいアパート群が並んでいるが、駅に続く道は昔ながらの道幅で、瓦付の板塀に冠木門というのだろうか、木屋根を乗せた門構えの、何十年か前に遡った感じの家々が両側に続く。ここは八尾から大阪よりに一駅隣なのだが、八尾に住んでいた頃もほとんど来たことがないのに気づく。十分も歩くと「久宝寺口」という駅名が見えてくる。駅のわずか30メートルほど手前から「駅前商店街」という街灯が並んでいるが、日曜なので開いているのは床屋さんくらい。だが、駅の高架下にやっとモーニングサービスをやっている喫茶店を見つけた。中はほとんど満席だったが隅のほうに空席を見つけ、ボイルドエッグとトースト、コーヒーの朝食をとる。お客はほとんどが高齢者。一人暮らしか、朝の散歩がてらやってくるのだろう。

母の昼食まで見届けて、外出。さっきの駅まで歩いて隣の八尾駅まで電車に乗り、また喫茶店で遅い昼食を済ませてからインターネットカフェに入る。PCは持ってきているのだが、実家からパルス方式の電話でダイアルアップでつなぐのはかったるく、八尾に来たときはいつもこの駅前のインターネットカフェでメールチェックをしたりサイト閲覧をしたりしている。パチンコ屋の二階にあって、本来はゲームセンターと漫画喫茶、それにプールバーの店で、その一角がインターネットカフェになっている。高齢者には初めは入りにくかったが、最近は要領もわかって平気になった。ここで会社のメール(何しろ勤務先の会社は土日祭日もシフトで仕事をしている)をチェックした後、このDiaryを書いている。今晩も病院で泊まりだ。


October 8, 2005, =Sat=

9時過ぎの「ひかり」で大阪へ。じぱんぐ倶楽部の割引なので「ひかり」しかだめなのだが、8時前に新宿駅の窓口に行くと、指定席は10時半のまで空いてないというので自由席にした。これから東京駅に行って並んでいれば座れるだろう。新幹線のホームにはもう結構人が並んでいたが、思惑通り席は確保できた。PCに入れてきたアメリカ映画"Dance with Wolves"を観ているうちに睡眠不足のため眠気が襲ってきた。それにしてもこの「ひかり」、三島、静岡とよく停まる。そのつど降りる人も多いが乗ってくる人も多く、通路に立つ人も増えてくる。名古屋までの停車駅は多いが、それでも12時には新大阪に到着。電車を乗り継いで1時前に八尾駅に着くと妹が車で迎えに来てくれていた。

そのまま母の入院している久宝寺の徳州会病院へ。母は今月1日の朝、新聞を取りに出て玄関の階段で足を滑らせ、股関節の骨にひびが入ったため、その日にこの病院に入院し5日に手術を受けたのだ。ここは、全国チェーンの徳州会病院の中でも初期にできた病院なので、建物もかなり古い。理事長の徳田虎雄氏が代表である「自由連合」のポスターがあちこちに貼られている。

母は思いのほか元気そうで、昨日までは付けていたという酸素マスクも小便用の管も外されている。しかし、管を外してからまだ一度も小便が出ていないため、午後にまた管を付けることになる。もともと食事は細いほうだが、夕食は出された量の半分くらい食べた。その前に妹の夫が持ってきた和菓子を少し食べていたのを考えれば、食欲はまずまずといったところだろう。今朝まで泊り込んでいてくれた妹に代わって、今日は私が病室に泊まることにした。

だが夜になると、なかなか寝付かない。ずっとベッドで横になっているので眠くならないのかもしれない。そのうち、脚が痛いという。痛いのは手術をした大腿部ではなく、足指のほうだという。看護婦が体を動かそうとすると「痛い」というのだが、それも手術部位ではなくて足指の方らしい。足指から続いている神経が、罅の入った間接部で圧迫されているのだろうか。看護婦に聞くと「手術の後もそうおっしゃってました。主治医の先生もご存知のはずです。」とのこと。むしろこちらのほうが先に眠くなり、テレビや電気を消したが、結局4時間ほどしか眠れなかった。


October 7, 2005 =Fri=

昨日、今日の通勤電車で観たのは「旅路」1958年、デルバート・マン監督のモノクロのアメリカ映画。この前の「終電車」と比べるとやはりアメリカ映画は分かりやすい。舞台はイギリスの海辺の田舎町にある長期滞在者用ホテル。そのホテル以外の映像はまったくなく、ハリウッドにしては制作費が極端に安かったろう。ホテルの女主人と、そこに滞在する人々の人生と交流が織り成すドラマ。最後は人間の温かみを感じさせるエンディングだ。ただ、「旅路」という邦題はどうなのだろう。原題の"Separate tables"を生かした題名はつけられなかったのだろうか。

会社宛に来ていた招待状を利用させてもらって、天王洲のアートスフィアで『恋愛ホテル』を観る。舞台は題名どおりそのものズバリのラブホテル。ラブホテルの3つの部屋に3組のカップルがいる。西郷輝彦扮する、固いだけが取り得の役場の課長が、親子ほど歳の離れた若い女に連れてこられ、女が美人局ではないかとおどおどしている。しかし、やがてそのあっけらかんとした女が、案外純粋にその中年男に恋していることが分かってくる。隣には、明日50歳の誕生日を迎える女(阿木燿子)とホストクラブの男(風間トオル)。女は、バーで一人で飲んでいて、男が声をかけると別の男と一緒にいたホテルでイヤリングを失くしたが、一人では行けないのでと言って男を誘った。実は女は宇宙物理学の教授だが、余命が一年もないと医者に告げられたばかり。もう一組は5年越しに付き合っているが、最近は男の仕事が忙しくて会えないうちに気持ちも離れつつあり、今夜が最後になるかもしれない二人。将来のシュミレーションと言う設定で交わしている会話から、互いにいがみ合っていながらまた互いに忘れがたい気持ちでいることが分かってくる。舞台では3組のカップルが1組ずつ会話を交わし、その間他の2組はパントマイムになる。難しい設定だが、話が進むうちに3組の男女がそれぞれ別の組の男女とかかわりがあったことが分かってきて、組を超えて携帯で電話する場面もある。ワンシーンで6人の会話だけで進行する、なかなか見事な演出だった。


October 6, 2005 =Thu=

旭川は今朝、初霜が降りたとの報道。夕方、丸の内のリース会社で打合せがあったので早く帰宅したら、息子から無事に着いたとの電話。「遠くの山は上のほうが白くなってるよ。」


October 5, 2005 =Wed=

昼過ぎ、妹から「手術、無事終わった」とのメールが届く。さっそく「ご苦労さま。週末には行く。」と返信を打つが、帰路、新幹線の熊谷駅のホームでもう一度さっきの妹からのメールを見ていると、誤ってまた返信ボタンを押してしまう。空のメールを見た妹から電話がかかってきて、「どうしたの?」「いや、間違ってメールした。」「いま病院にいる。代わるね。」と母が電話に出る。手術後だが話はできるようだ。だがやはり少しすると疲れたらしい。個室なので本当はいけないのだろうが、携帯も使えるようだ。

息子の引越しに合わせて家の粗大ゴミも処分してもらった。私が学生時代から使っていて今は寝室にある書棚も粗大ゴミの一つだ。学生時代からということは、もう50年近くも使っていることになる。まだ綺麗だししっかりしているのだが、妻が自分の寝室兼仕事部屋を改装して統一デザインの家具を入れたので、私の寝室もそうしようと言うことになって古い家具は捨てることにしたのだ。安物でも永年使い続けてきたものには愛着もあるのだが。


October 4, 2005 =Tue=

通勤電車では2往復で映画一本を見終える計算だ。単純計算では片道一時間程度だから、一往復で見終えることになるが、実際には新幹線と在来線の乗換えだとか、最初から座れるとは限らないなど、条件が整わない。ま、そういうわけで昨日に続いて「終電車」を見終えたが、どうもフランソワ・トリュフォーが何を言いたかったのか良く分からない。ナチによるユダヤ人迫害を逃れて南米に逃亡したはずの演出家・ルカが、実はモンマルトルの劇場の地下に生活して、女優である妻・マリオン(カトリーヌ・ドヌーブ)が面倒を見ている。舞台では、怪奇劇出身の役者ベルナールとマリオンが主役を演じ、ルカの弟子の演出家がルカの残した演出メモに忠実に演出する。舞台は好評だが、ナチ寄りの批評家ダクシアは軟弱だと批判する。ベルナールは隠れてレジスタンスに参加しているらしい。と言うような設定だが、ゲシュタポが地下室を見せろと踏み込んできても結局は発見されず、ベルナールのレジスタンス活動も仲間と者の受け渡しをする程度、ルカとマリオンとベルナールの三角関係が発展しそうになるが、最後は連合軍のパリ解放で地下から出てきたルカが、カーテンコールに応ずるマリオンとベルナールに合流して舞台に上がりハッピーエンド。エンディングの画面など当初の暗いタッチから一気に変ってコメディの乗り。通勤電車で映画を観るなんていう観方も悪いのかもしれないが、支離滅裂な感じだった。

先日、ネットで古書店・風光書房に注文したサルトルの『言葉』が届いた。使い古しの古書だと思っていたら新品か新品同様だった。人文書院のサルトル全集の一冊で、ちゃんと「サルトル手帖」も挟まれている。「サルトル手帖」はサルトル全集各巻に挟まれているB6版四つ折の小さな冊子で、全集の訳者などがエッセイを書いている。『言葉』に挟まれていたのは永井旦と言う人の『サルトルと蟹』という文章。珍しい文章なのでスキャナでPDFにしておいた。永井旦と言う人、サルトル全集の訳者ではないようだが、どういう人かと思って検索してみるとこういう人だった。

それにしても、このところ身体の調子が今ひとつ。頭の芯が熱いような、のぼせているような感じが続き、時々痛みを感じる。脳梗塞か脳溢血かの前兆ではないかと、医師資格を持つ息子に聞くと、「視野が狭く感じたり手足が痺れるようだったら、医者に行ったほうが良いよ。」まあ今のところそういう症状はないのだけど。その息子は北海道に就職するため、明日引越しだ。大阪の母も明日が手術だ。



October 3, 2005 =Mon=

今朝の日経新聞の「私の履歴書」を読んだら、ルノー会長のシュバイツアー氏は、昨日「IMFの専務理事にもシュバイツアーと言う人がいた」と書いた、そのシュバイツアー専務理事の息子さんだった。彼は1942年生まれだから私より一つ下だが、私が大学を卒業して商社に就職した1964年に、IMF東京総会に出席する父親に連れられて来日し、当時の田中蔵相の出迎えを受け、開業前の東海道新幹線にも試乗したそうだ。東海道新幹線はたしか世界銀行の融資を受けていた。東京オリンピックの年でもある1964年は、日本がIMF8条国に移行し、OECDにも加盟した節目の年だ。

昨日、サルトルの自伝『言葉』をインターネットの古書店で見つけ、注文を出したものの本当にこの古書店が営業しているのかどうか半信半疑だったが、今日ちゃんと返事が来た。注文の書籍を確保したので早速発送すること、代金は到着後一週間以内に払って欲しいことなど書いてある。インターネットの世界でこんな商売をやっていて取り込み詐欺にでも遭わないのかな、と他人事ながら心配になるが、まあ、扱っている商品がどちらかというと専門書的なジャンルだし、単価もそう高くないし、大丈夫なのだろう。

長い通勤時間を利用する方法をまた一つ思いついた。DVDに録画してたまっている映画番組が沢山あるが、これをモバイルPCにコピーし、それを通勤電車の中で鑑賞するのだ。音声はイヤフォンで聞く。DVDドライブのついたPCならDVDをそのまま入れれば良いのだが、私のはDVDドライブ外付けなので、HDにコピーする。ドライブ内臓ならレンタル店で借りたDVDでも鑑賞できるのだが、HDにコピーするにはプロテクトのかかったDVDはだめだ。しかし衛星放送から録画したものなら問題なくコピーできる。今日はフランソワ・トリュフォー監督の「終電車」をコピーし、往復でほぼ半分程度を鑑賞した。

October 2, 2005 =Sun=

昨日から日経新聞の『私の履歴書』はルノー会長のルイ・シュバイツアー氏が書いている。この名前を見て「もしや?」と思ったのだが、今日の2回目の連載をみたらやっぱりそうだった。シュバイツアー氏はドイツ国境近くのアルザスの出身で、ノーベル平和賞受賞者のアルベール・シュバイツアーは父方の大叔父にあたり、J.P.サルトルとも遠縁になるとのこと。もう30年ほども前だったか、朝日ジャーナルか何かにサルトルの自伝『言葉』が連載された。どこだったか忘れたが、フランスの一地方に「一人の医者が開業した。」という出だしで始まっていたと記憶する。その医者はJ.P.の父親に当たるのだが、母方の曽祖父がアルザス地方の教育者でシュバイツアーと言った。彼には息子が3人いて、長男は父親と同じ教育者の道を進み、次男は実業家に、三男は牧師になった。長男の娘がJ.P.サルトルの母親で、三男だったかその息子だったががあのアルベール。シュバイツアーだ。してみると、このルノー会長氏は、実業家の道を選んだ次男の系統なのだろう。むかし、IMFの専務理事にもシュバイツアーと言う人がいたが、この人ももしかすると同じ系統かもしれない。

そんなことを考えていると、サルトルの『言葉』が読みたくなってきた。だめもとでネットを探してみると、風光書房という古本屋さんのサイトにたどり着き、ここに人文書院版が1,800円で見つかった。注文はどうするのだろうと一応注文ボタンを押してみると、住所、氏名、電話、メールアドレスを入力するだけで、クレジットカード番号なども何も聞いてこない。書籍到着後一週間以内に銀行振り込みしてください、とあるだけだ。大丈夫かなと思うが、こちらに不利になることはないのでとりあえず注文を出した。このサイトが数年前から放置されたままの廃業サイト出ないことを祈る。


October 1, 2005 =Sat=

スポーツジムを出ると携帯が鳴った。電話ではなく、留守電があるというメッセージだ。妻からで、「先ほど、大阪の妹さんからの電話で、お母さんが入院したらしい。」急いで妹に電話すると、すでに病院にいて、「玄関で転んで股関節の骨を折ったらしい。手術をしないと寝たきりになるらしい。」とのこと。本人に電話を代わると案外元気そうで、「新聞を出しにいこうとして転んじゃった。」なにしろ92歳。手術の日程が決まったら連絡を貰うことにした。来週の連休に行くことになりそうだ。

小泉首相の靖国参拝に大阪高裁が違憲判決。当然だろう。普通に憲法を読めばどう考えたって違憲の結論が出るはずだ。それを私的参拝だのと言ってごまかしているが、首相と言う行政府の長がその肩書きで行くのがどうして私的と言えるのか。小泉首相は国会答弁で、「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ。」などと言っているが、憲法判断は行政府の長のやることではなく、司法が判断すべきことだ。この答弁自体が憲法違反なのではないか。


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