Diary



April 30, 2006 =Sun=

新宿警察署裏の大きな交差点からアイランドタワーの前を通ってヒルトンホテルに向かう歩道は、欅並木が一斉に新緑を身に付けている。住友ビルにあるスポーツジムへの行き帰りにいつも通るこの歩道は、アイランドホール前に人工池があったりしてとても良い雰囲気なのだが、それをぶち壊しているのが「東京スター銀行」のけばけばしい看板だ。この銀行はアイランドタワーの一階に店があるのだが、タワー前の広場を隔てた歩道に大きな立看板を出している。前身の銀行がもともと看板を出す権利を持っていたのかも知れないが、公共の道路に、それも周辺の雰囲気とは不釣合いなけばい看板を出して自らイメージを壊していることに気づかないのだろうか。

この銀行、もとは東京相和銀行と言った。さらに前は東京相互銀行という第二地銀だったが、相銀の普銀転換により東京相和となった。しかし、創業者の私的な関係企業への情実貸付などの乱脈経営でバブル崩壊とともに1999年に経営破綻し、公的資金8000億円が注ぎ込まれた。確か創業者は逮捕されたはずだ。その後、2001年に米国のファンドであるローンスターが設立した東京スター銀行に営業譲渡された、というより東京スター銀行そのものが東京相和から営業譲渡を受けるために設立された銀行である。日本の銀行で初の外国人頭取を擁し、今でこそ余り珍しくなくなったが、銀行窓口を従来の邦銀スタイルからラウンジ風に変えたことでも知られている。そんな銀行なら尚更のこと、昔の第二地銀のイメージを脱してクールなイメージを作るためにも、あんな看板は撤去して欲しいものだ。


April 28, 2006 =Fri=

神田という街は本当に面白い。オフィスを出て外堀どおりを南に歩き、司町2丁目の交差点を過ぎ、千代田小学校の前にある小さな公園に入る角に、「神田司町食堂」という何の変哲もない食堂がある。昼も1時半を過ぎていたので、ランチタイムが終わっている店も多いので、ここに入ってみた。名前からして特徴がないが、店も焼き魚や惣菜の小鉢を選んで、ご飯と味噌汁をよそってもらい、いくつかの大テーブルに並んで食べるという、まさに大衆食堂だ。店の暖簾には小さな字で「まいどおおきに食堂」と書いてある。関西系チェーンのフランチャイジーらしい。唯一つ目を惹くのが、店の奥の壁一面に食堂の写真が焼き付けてあることだ。今の店構えとは随分違うが、この店の昔の姿であろうことは一目で分かる。今はなくなった木の電柱、傾いだトタン屋根の店に「食堂」の看板が出ている。「江戸前握り、和洋料理、丼物、仕出し承ります、等々」「神田司町食堂」という今の名前も個性がないが、写真の看板はまさに「食堂」というだけで固有名詞は付いていない。その店の前に、父子が並んで写っている。聞くと、写真は昭和30年頃のもので、写っている坊やが今の社長だそうだ。父の代から神田で続いてきた食堂を、「まいどおおきに」という関西系のチェーンに加盟することには、さまざまな葛藤もあったのではないかと、余計な想像までしてしまった。

近頃、不動産の証券化が流行で、うちの会社でも昨年、熊谷のショッピングセンターを証券化し、新たなオーナーとなった特定目的会社(SPC)からマスターリースを受ける形になっている。そのほかのショッピングセンターについても、証券化というわけではないが、マスターリース元が他所に売却したり、他所の会社から買収したりと言う動きが出ている。その都度、ショッピングセンターのテナントとの間で地位承継の書類を取り交わしたりと面倒な手続きが必要になるのだが、今度はわれわれが借りている神田のオフィスビルがオーナーチェンジになった。つい先日、前のアセットマネージャーからは、新オーナーがどこなのかはまだ申し上げられませんと言っていたのに、今日、新オーナー側のアセットマネージャーとプロパティマネジメント(PM)業者を連れてやってきて、新オーナーとの地位承継書類に捺印してくれと言ってきた。新オーナーがどういう会社なのか、会社案内も持ってきていないと言うのでムッときたが、ともかく会社案内を受け取ってから検討すると返事をしておいた。後でPM業者の名刺をよく見ると、住所が新宿の我が家と同じ西新宿7丁目で番地まで同じになっている。番地は同じでも号とビル名は違っているので、帰りにそのビルを探してみたら、何といつも利用しているサイゼリアの入っているビルだった。1階がサイゼリアで2階から12階までは小さいオフィスが幾つも入っているが、最上階の13階だけはこのPM会社がワンフロア全部を占めているらしい。


April 27, 2006 =Thu=

元ライブドア社長・堀江貴文容疑者が保釈。逮捕されたときと同様、マスコミは小菅で待ちうけ、六本木ヒルズまでヘリで車を追跡。所詮、ジャパニーズ・ドリームとはあんな形でしか実現できなかったということか。ということは、今現在、個人で数百億の金を動かしている人物は、多かれ少なかれ彼と同じような軌跡を経てきているのかもしれない。


April 26, 2006 =Wed=

20日の「松戸会」のときに飲んだ焼酎がとても美味しかったので、銘柄を思いだして調べてみたら、やはりかなり幻の銘酒っぽいお酒だった。鹿児島県姶良郡牧園町の佐藤酒造という会社が造っている「佐藤」という名前の芋焼酎。そのうちでも「佐藤 黒麹仕込」という一番高いやつだ。1800ml瓶の希望小売価格は関東地区で2,990円となっているが、神楽坂の「安曇野庵」のメニューでは一万円以上していたと思う。税務署出身のHさんが、「絶対これだ!」と言って注文し、お酒なら税務署が言うのに間違いはあるまいとみんなが同調した。案の定美味い酒で、結局2本空けてしまった。14人だったが、余り呑まない人もいるから、焼酎で2升とはかなりの量になる。それよりも思いがけなく酒のウェイトが高くなり、幹事が勘定に苦労したのかも知れない。値段が高いのはプレミアムが付いているらしく、人気の高まりに生産が追いつかず、製造元で出荷調整をいているということだ。どう美味しいのかと聞かれても、酒の味を言葉で表わすほどの文章能力はなく、やはり実際に呑んでみたら、と言うほかはない。


April 25, 2006 =Tue=

今日のニュース番組で「共謀罪」に関する報道をやっていた。大変な法律がいつの間にか成立しそうになっているのに、これまでマスコミも余り取り上げてこなかったのだが、ようやく問題に気づいたのだろう。こんな法律が出来て一番困るのはマスコミのはずだ。日本政府の説明によれば、2000年11月に国連で採択され、日本も署名した「国際組織犯罪防止条約」(正式名は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(Convention against Transnational Organized Crime)」が、重大な犯罪の共謀、マネーロンダリング、司法妨害などを犯罪とするよう締約国に義務付けたことから、これに従って国内法を整備するためという。具体的には、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」という法案で、この法案では第一条で刑法を、第二条で刑事訴訟法を改定し、さらに第三条で「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」を改定しようとしているのだが、その第三条の中に「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」第六条の次に第六条の二を追加する、という件がある。

 (組織的な犯罪の共謀)
 第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
  一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
  二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
 2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。

法律は専門ではないので素人判断だが、日本の刑法は、例えば殺人罪と殺人未遂罪というように、実行行為を罰すると同時に実行行為に着手し、結果的に未遂に終わった場合もこれを罰するという構成であるものの、その行為を相談しただけで実行に着手していない場合は罪にならないと言うものであるはずだ。共謀罪はこれを根底から覆すもので、相談しただけで罪に問われる可能性がある。しかも、国際的に活動する暴力団やテロリスト集団、麻薬業者などを対象とした「国際組織犯罪防止条約」のためと言いながら、その適用範囲はこうした悪質な集団に限定されるわけではなく、一般の市民団体などにも及ぶ。法律が成立すると、法案審議段階でどんな議論があっても法律が一人歩きするのは「国旗・国歌法」の制定時に政府高官が「人の心の中までは踏み込まない。」と言っておきながら、いざ法律が施行されると、執拗にかつヒステリックなまでに国旗・国歌を強制する東京都教育委員会の事例がある。ましてやこの共謀罪は、戦前の日本をあの戦争に追いやるのに国家権力に大きな力を与えた「治安維持法」と同じ効果をもたらす。なにしろ、共謀罪が適用される範囲はこんなに広いのだから。小沢民主党も千葉7区の補選勝利で浮かれているだけでなく、こんな法案を廃案に追い込む努力を払って欲しいのだが、与党側の審議強行に抗議するのが関の山といったところ。これを審議している法務委員会の委員長はあの石原伸晃だ。


April 23, 2006 =Sun=

早朝に間違い電話がかかってきて目が覚めて眠れない、だから今晩は夕食を作る元気がないという妻の訴え(変な論理だが)により、今日は外食にしようと言うことになる。さてどこにしようかとなって、前々から気になっていた店を思い出した。スポーツジムの帰りに新宿駅の方へ行くのに新宿センタービルの後ろを通るのだが、ここにセンタービルのアネックスのような円形の二階建ての建物があり、「板前ごはん・音音」と看板が出ている。他にもいくつか候補はあったのだが、日曜日が定休というところも多く、ここは年中無休というので電話して予約した。5時までがティータイムで、ディナーは5時からとなっているので、早いけど5時の予約。私はそれまでスポーツジム、妻の方は美容室ということに。なかなか凝った造りで、円形の建物の周囲の沿ってテーブルがあり、二階には個室がある。円の中心部は厨房になっているようだ。ネットでメニューを調べるときに見つけたクーポンを印刷して持っていくと、地酒かワインをサービスしてくれる。コースメニューでは音音コースで「壱のごはん」が4000円、以下、「弐のごはん」「参のごはん」と2000円ずつアップしていく。単品もあるが面倒なので一番安い「壱のごはん」をオーダー。料理内容もちゃんと説明してくれるし、味も接客もまずまず合格ラインと言って良いだろう。


April 22, 2006 =Sat=

午後からスポーツジムに行き、その後、同じビルの47階にある東京住友クラブで会合。神戸大学時代に所属していたESS(英語研究会)のOB・OGの集まりで、今年の卒業生のうち東京地区に就職した人たちの歓迎会。去年の卒業生で東京へ転勤してきた連中も合わせると10人近くになる。やはり東京一極集中の影響か、年々東京で就職する割合が増えているようだ。若い人たちの就職先も、商社や銀行よりも情報系が多くなっているらしい。気が付くと、こういう会でも出席者のうち3番目の高齢者になっていたりする。5年ほど後輩で、こんなブログを運営している人もいる。


April 20, 2006 =Thu=

今日は、うちの会社がイオンから買い取った宮城県石巻のショッピングセンターのリニューアルオープンで、われわれ経理部門以外はみんな石巻に行って留守だった。イオンと言えば、私が入社5年目で出向を命じられ、創設に携わったダイヤモンドシティと言う会社。イオンの全身であるジャスコとの折半出資だった。本社は当時、四日市の岡田屋、大阪のシロ、神戸のフタギというスーパーが合併して出来たばかりのジャスコの本社の中に間借りしていた。本社と言っても大阪の野田阪神という駅の近くのジャスコの店の5階。1階から3階までがジャスコ野田店で、4階がジャスコの関西本部、5階がジャスコ本社。近くには蝋燭ショーで有名な一条さゆりを擁するストリップ劇場があった。そのジャスコ本社の社長室の前に、いくつかの机を置いてパーティションで区切った一角がわれわれの本社だった。そのダイヤモンドシティはまだ日本に馴染みの薄かった郊外型ショッピングセンターを手探りで、土地の買収から始めて一気に4箇所も造っていた。私は1969年に初代の経理・財務担当として送り込まれたが、金融引き締め期で、特に不動産金融は制限されていて、規制をかいくぐっての資金調達に辛酸を味わった。今はダイヤモンドシティは東証一部上場を果たし、経常利益100億円の会社となっているが、つい先日、イオンがダイヤモンドシティへのTOBを発表し、当のダイヤモンドシティも、もう一方の大株主である私の出身母体もこれに応じることが決まった。イオンは傘下にイオンモールと言うやはり東証一部上場のショッピングセンターディベロッパーを持っており、将来は両者の統合を目指している。つまり、私が36年前に苦労して土台を構築した会社がやがて消え去ることになるのだ。時代の流れとはいえ、寂しさが募る。

浜野さんを中心とする「松戸会」。今日は神楽坂の安曇野庵で。場所の設営を頼まれ、20人くらいでと予約していたが、集まったのは14人。昔、様々な企業で税務関係を担当していた連中の集まりだが、元気の良いのは税務当局OBで税理士をやっている二人。民間企業組は私を含め一部を除いてリタイア組がほとんど。「佐藤」という鹿児島の芋焼酎が美味しかった。


April 15, 2006 =Sat=

ホテルの前には海が広がり、海面には牡蠣筏が浮かんでいる。と思ったらこれは海ではなく湖なのだそうだ。加茂湖と言って、もともとは淡水湖だったのだが明治時代に船の退避港にするため海と繋げ、そのために淡水と海水の入り混じった湖になった。昨夜の夕食にもここで採れた牡蠣が出ていた。

佐渡の金山では昔の金鉱で働く罪人たちの重労働を象った精密な人形が有名だが、資料館には12.5kgの本物の金塊がプラスチックケースに入っていて、ケースの穴から片腕だけ突っ込んで金塊を穴から出せたら記念品を進呈と言うのがある。トライしたが穴から出すどころか持ち上げることも出来ない。こんなところにも外国人の観光客が居て、個性の強そうな数人の団体はパリから来たという。もう一組、顔つきは東洋人だが英語をしゃべっている陽気な一団はハワイから来たそうだ。これから鬼怒川温泉に行くとのこと。帰りのフェリーの中で日本語で話しかけてきたのは台湾の人たち。70歳代中ごろなので終戦時まで日本の教育を受けた人たちだ。しきりに教育勅語を賛美していたが、台湾独立運動についてこちらが質問すると言葉を濁していた。中心人物は貰った名刺によると「花蓮縣總工會顧問」とあった。花蓮(Hualien)と言えば台湾の東海岸にあり、西表島や与那国島に一番近いところだ。

帰りも交通渋滞はなく、8時過ぎには新宿に着く。昼にフェリーの中で弁当を食べただけなので、帰り道に夕食をと、小滝橋通りの「わたみん家」「鳥元」と覗いてみたがどこも満席。結局家の近くに最近出来た餃子屋に行ったら空いてる上に味の方もなかなか良かった。焼餃子、水餃子、ほうれん草のニンニク炒め、紹興酒で1700円。


April 14, 2006 =Fri=

安いパッケージツアーに乗っかって佐渡へ。東京では桜は盛りを過ぎたが、佐渡ならこれからだろう。朝6時40分集合と早い出発だが集合場所は歩いて10分のところ。読売旅行という会社のキャンペーン企画だそうだが、添乗員は定年前に事務部門をリストラされて現場に回されたようなおじさんで、何とも要領が悪い。だが土曜日で道路は空いているので、バスは関越道を一路北へ。全長11Kmの関越トンネルを抜けると雪国だった。川端康成の「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」は、それに続く「夜の底が白くなった。」という一節にあるとおり、夜の光景だ。こちらは昼間に、列車でなくバスで高速道路のトンネルを抜けたのだが、残念ながら車窓から見える雪は排気ガスをたっぷり浴びて黒く煤けていた。さすがにもう四月中旬だから、新潟も平野部に入ると雪は残っておらず、桜も満開に近くなっている。新潟港からバスごとフェリーに乗って佐渡の両津港へ。そのまま朱鷺の森公園に行き、朱鷺を見る。鳥インフルエンザの影響で朱鷺も放し飼いでなく遠くから鳥舎にいる朱鷺を双眼鏡で観察する。両津港近くの椎崎温泉のホテル青木にチェックイン。ホテルといっても日本旅館だ。まだ明るいうちに温泉に入り、夕食後は佐渡の真ん中の括れ部分を横断した真野で桜祭りがあるという。

夜桜って、さっきの説明では佐渡の桜はまだ蕾だけと言っていたけど・・と思いながら一応参加した。現地に着くとライトに照らされた夜桜は満開とは言えないものの三分咲き。今日になって急に開花したという。ちょうど満月で、夜桜の向こうに煌々と冴える月が出ていた。この催し、実は読売旅行社の主催で、東京からはわれわれのバス1台だけだが、そのほかに関東一円のあちこちの営業所から合計20台くらいのバスを仕立てて、合計1000人くらいを佐渡に送り込んだらしい。佐渡は昨年3月に市町村合併で全島が一つの市になったが、その佐渡市も観光が目玉だから全面協力ということらしく、商工会が中心になって舞台の上で郷土芸能の鬼太鼓や佐渡おけさを演じ、周りでは地元の酒造メーカーが樽酒を振舞う。酒を二杯ほど飲ませてもらったものの、流石に夜は冷える。文字通りの花冷えで、ホテルに帰ったら早速もう一風呂浴びて床に就く。


April 12, 2006 =Wed=

丸の内の国際ビル地下にある東京凌霜倶楽部で、定例の「むしの会」。神戸大学の1964年卒業なので64をもじって「むしの会」と呼んでいる。12回生ということで毎月12日が定例会なのだが、熊谷に通っていては出席できなかったが、オフィスが神田になったので久しぶりに出席した。もうみんなリタイアしたか、比較的暇な地位にいるらしく、早めに集まっているが、こちらは3月決算の数字を固めなければいけなかったりで、着いたのが7時過ぎ。それから一時間ほどでお開きになる。何か話題ももう一つ合わない感じもする。


April 9, 2006 =Sun=

昨日、テレビのグルメ番組を妻と観ていて、月に一度くらいは少々高くても美味しいものを食べに行こうということになった。前にも一時そうしていたのだが、ついついどちらかが忙しくなると途絶えてしまうのだ。しかし、二人ともそろそろ歳だし、どちらかが病気で倒れたらできなくなるので、旅行や食べ歩きにいくなら今のうちにしないといけない。テレビでやっていたのはここここだが、うちのオフィスの近くにも有名店がたくさんあるよ、ということで、まず手始めに日曜でもやっている藪蕎麦に行くことにした。(1日に撮ったのは門が閉まった写真だったので、今日は門が開いて中が見える写真を掲載した。→)

JRを御茶ノ水で降りてニコライ堂を見たあと、藪蕎麦に着いたのは4時前。このくらいの時間ならそんなに待たされることもなかろうと思ったが、まさに正解。店内は混んではいたが、待つこともなく席に案内される。とりあえずせいろ二枚と、穴子の白焼き、そば寿司にビールを注文する。注文を受けて独特の口調で調理場に注文を取り次ぐのは若女将とおぼしき臨月間近の女性。ビールがあいた頃、その声が聞きたくて日本酒を注文する。「おさけ、いちご〜お、ひやで〜、おちょこはふたつ〜」つい調子の乗って春野菜の天麩羅も注文する。以上で〆て6300円。そば寿司も、穴子も、天麩羅も、そして最後のしめのせいろも、まずは期待通りの味だった。

隣の席では韓国人の二人連れが、日本語が読めないらしく英語のメニューと格闘していた。"Junsai-soba"の"junsai"って何?と聞いているのだが注文取りのおばさんには答えられない。といってこちらも「蓴菜」の何たるかを英語で説明するだけの知識はない。"vegetable"の一種だよ、と言ったら、「じゃあ、それ」と注文していた。二人のうち一人はスキーのインストラクターで、もう一人はその生徒でホテルのマネジャー。観光で初めて日本に来たという。インストラクター氏のスキー場は「冬のソナタ」の舞台にもなったところだとのこと。

まだ明るいうちからのビールと日本酒で、量はそんなに飲んでないのに結構回ってきた。


April 8, 2006 =Sat=

マイケル・クライトンの"State of Fear"を読み終えた。というか、読み終えたのは大分前になるのだが、その感想を纏めてみようと思って要所要所を読み返してみたのだが、何しろペーパーバックで717ページという長編なので、気になったところを探すのにメッチャ時間がかかる。何とかできないかと思ってeBooksのサイトを見たら電子書籍が7.99ドルで売られていた。ペーパーバックを読んだ後で電子書籍を買うのももったいないような気もするが、ハードカバーを買うよりは安いのですぐに注文した。前にダン・ブラウンの"Angels & Demons"をeBooksで買っていたので、そのときのIDとパスワードを入れたら、クレジットカード情報を改めて入力しなくてもその場でpdf版をダウンロードできる。これなら、気になった箇所の単語を入れて検索すればすぐに見つけることが出来る。また、ペーパーバックと違って目次が付いているので、それをクリックすれば目的の章に飛ぶことも出来る。e-bookではこんなふうに最新のベストセラーでも電子版を入手できるのだが、日本の本ではどうして出来ないのだろう。

"State of Fear"について、どうして感想をまとめてみる気になったかというと、これがこれまでのマイケル・クライトンの小説とはある意味でまったく違っているからだ。小説の筋立て自体はそんなに違うわけではない。だが、これは小説それ自体よりも、マイケル・クライトンの主張が前面に打ち出されている。学術書であるかのように、表やグラフが多用され、それらの出典が注記されている。それだけでなく、巻末にはペーパーバック版で42ページに渡って著者のメッセージが掲載されている。

テーマは"global warming"、「地球温暖化」だ。ホットな話題を小説のテーマに取り込む点はマイケル・クライトンの従来からの手法だ。パリで、津波の波動を研究している大学院生が女に誘惑され、筋肉弛緩剤のようなものを注射された上セーヌに落とされ、殺害されるところからストーリーが始まる。その後、マレーシアで、ロンドンで、あるいはバンクーバーで、奇妙な機材や資材を調達する連中が現れる。そんな中、東京の慶応大学三田校舎の一室で、後にこの小説で重要な役割を果たす米国人ケナーと、そのアシスタントでネパール人のタパは、人見教授から過激派による世界的規模の企みが進行中である兆候を告げられる。

と、ここまでが導入部分で、メインの主人公は若い弁護士のエヴァンズ。彼は法律事務所に属しているが、その仕事の大半は億万長者で環境保護団体への多額の寄付で知られる実業家モートンの顧問弁護士としての仕事である。モートンが援助しているNERF(National Environment Resouce Fund)は、太平洋の小さな島国ヴァヌツが、地球温暖化によって海面下に没する危機に直面していることに関し、温暖化対策を怠っている米国政府に対する訴訟計画を支援している。

ところが、先ほどのケナーとタパ(二人はマサチューセッツ工大の学者であると同時に米国諜報機関の人間でもあるらしい)がモートンを訪ねてきた後、彼はNERFへの援助打ち切りを発表、その後謎の自動車事故で消息不明になってしまう。ここからエヴァンズと、モートンの美人秘書サラは「環境テロリスト」との戦いに巻き込まれていく。

つまり、マイケル・クライトンによれば、地球温暖化は必ずしも科学的に検証されていない。だが、組織の肥大化した環境保護団体は、自らの組織を維持するために地球温暖化やこれに伴う異常気候など「恐怖の存在」"State of Fear"を作り出しているというのだ。そして人々の目を惹きつけるために、彼らの集会に合わせて津波やハリケーンなどの自然災害を人工的に作り出そうとする「環境テロリスト」たちが暗躍しているという。

ケナーたちは、エヴァンズをはじめ環境派の市民が、いかに表面的な知識と先入観によって地球温暖化を信じ込まされているかを、「科学的数値」や表やグラフを使いながら「教育」していく。これは同時に、著者が読者をも「教育」しているのに他ならない。ニューヨークでは確かに平均気温は上昇しているが、郊外では低下している。ニューヨークの気温上昇は地球温暖化によるものではなく、都市のヒートアイランド現象によるものではないのか。1988年に温暖化現象を指摘したハンセンは、その後10年間に平均気温が摂氏で0.35度上昇すると予測した。実際に10年後に上昇したのは0.11度だった。ハンセンの説には300%の誤差がある。等々。

ケナーやエヴァンズたちの決死の戦いによって「環境テロリスト」たちの企ては辛うじて阻止されるのだが、このスリラー大作の展開は、これまでのクライトンの小説群に比べて必ずしも成功しているとはいえない。事故で死んだと思っていた大富豪のモートンが、食人族のいるニューギニアで生きていたり、突然現れた教授が大演説をぶったりと、不自然な筋立てが多すぎる。これも単なるスリラーではなく、一種のプロパガンダにしようというクライトンの意図のなせる業かもしれない。

クライトンは、最後の"Auther's Message"の中で、”Atomospheric carbon dioxide is increasing, and human activity is the probable cause."と認めてはいる。しかし、"Nobody knows how much of the present warming trend might be a natural phenomenon. Nobody knows how much of the present worming trend might be man-made"と、温暖化の原因については人為的なものか自然現象かは分からないとのスタンスを示している。

確かに、彼の主張するように、温暖化現象の原因については先入観によることなく、科学的実証に基づいた究明が必要であることは間違いないが、今の時点でクライトンがこのような小説を発表したのは、京都議定書への署名を拒否しているブッシュ政権の正当化という政治的意図があるのではとの疑いが拭えない。

それにしても、いかにも科学的実証を重視しているように思えるこの小説だが、本当にそうなのだろうかと疑いたくなる部分もある。表面的知識しかなさそうな環境主義者のご婦人にケナーが質問している。
 「京都議定書の効果は何だと思いますか?」
 「誰だって知ってるわ。2100年までに地球温暖化を減らすことよ。」
 「どのくらい?」
 「知らないわ。何が言いたいの?」
 「知らないんですか。京都議定書は2100年に摂氏0.04度だけ温暖化を下げるんですよ。たった100分の4です。」
 「それは、アメリカが署名しないからでしょ。」
 「いや、わが国が署名したとして、それだけなんです。」
だが、京都議定書は2012年までの枠組みを決めたもののはずだ。2100年のことなんか、議定書で言っているんだろうか。

いや、読んでいたらもっとひどい文章もあった。
タパがコンピュータ画面でフロリダ沖の天気図をモニターしている場面。

"A large high-pressure mass was beginning to rotate, forming the ragged beginnings of hurricane."
(ペーパーバックで552ページ)

おいおい、ちょっと待ってよ。ハリケーンったら台風みたいなもんだろ。だったらhigh-pressure mass(高気圧)じゃなくて低気圧じゃないの?


April 7, 2006 =Fri=

民主党の代表はやはり小沢一郎。代表選前の演説では、「党を変えるためにはまず私自身が変らなければ」と一見殊勝なことを言っていたが、所詮この男が「変る」のは権力を手に入れるまでの取り繕いに過ぎない。その点、「人はそんなに変われるものじゃないと思いますけどねぇ。ふ、ふ」と言っていた小泉の方が正しい。まあ、あとは心臓に持病を持っている小沢のことだから、民主党がまともになるには彼が倒れるのを期待するしかないかも。もっともそれまでに民主党がばらばらに壊れているかもしれないが。

同僚と昼食に神保町まで足を伸ばしたついでに、三省堂に寄った。5階の洋書売場でジョン・グリシャムの新作"The Broker"を買ったのだが、1階に降りたら「江戸・東京コーナー」というのがあった。覗いていると、江戸時代の東京の地図に半透明の現代の地図を重ねたものがあった。前に買った千代田区の江戸時代と現代の電子地図みたいなものだ。ところが同じ出版社の本で、江戸時代に代えて「昭和30年代」「昭和16年」などというのがあった。昭和16年(1941年)といえば太平洋戦争の始まった年、というか私の生まれた年だ。両親が元気な頃にこの地図を買ってあげたら、さぞ懐かしがっただろうにと思った。


April 6, 2006 =Thu=

昨夜は1日のDiaryに紹介した「みますや」で同僚たちと焼酎を飲む。辛うじて相席で座れたが、ほとんど満員状態で、誰かが出て行ってもすぐに次のお客が入ってくる。店員たちもきびきびしているというか愛想がないというか、注文にまごまごしていると「以上ですね。」と打ち切って行ってしまう。そんな愛想のなさが却って好ましい気がしてくるから不思議だ。おつまみで推奨品は「上刺身」まぐろの中トロを分厚く切ったのが6切れで1000円。4人で芋焼酎4号ビンを2本。

そして今日の昼は、1日に写真も撮りそこなった「まつや」で「大もり」蕎麦700円。少し時間が遅かったこともあるが、ここもかなり待たされるかと思ったが、すぐ奥の席に案内してくれた。つなぎに鶏卵を使った蕎麦で、結構美味しかった。


April 5, 2006 =Wed=

民主党代表選。新聞などではどうやら小沢一郎が優勢らしい。権勢欲と策謀の人物。政策的には本来最も右側に位置するはずの彼が権力を得るために政策をオブラートに包み、これに騙された旧社会党グループまでが小沢支持に回っているという。小沢vs菅の争いなら、まだ「腐っても鯛」というか、賞味期限が切れてはいてもまだ腐るまではいってないだろう菅直人の方が望ましいのだが、ここに来てまた変なのが出てきた。末松義規。実はこの人、うちの娘の結婚式に新婦側主賓として来て貰ったことがある。新郎新婦ともに一橋大の出身、というか新婦の方はまだ現役の二年生、新婦の母、つまり私の妻は当時社会人入試による一橋大学院生、披露宴開場が如水会館という一橋ずくめの中で、当時町田市議だった妻が同じ一橋出身の衆院議員である末松氏に主賓を頼んだのだった。後でビデオを観てみると、披露宴の間中、末松氏は同席していた菅直人夫人、新郎側の招待客である日本マクドナルドの故・藤田田氏と三人でずっと立ち話していた。その彼も、最近は何か新興宗教に凝っているとかいう噂も聞こえていたし、言動からもそんな感じもしていたが、いきなりの代表選だから驚いた。まあ、小沢・菅を相手では歯が立たないだろうし、第一20人の推薦人を集めるのも難しいだろうけど。


April 4, 2006 =Tue=

家の近所には桜の木はないのだが、朝の通勤途上、どこかのお寺の境内の桜だろうか、風に吹かれてビルの谷間に吹き溜まり、そこに小さなつむじ風が起きて花びらの渦ができていたりする。数日前からコートを着ずに通勤しているが、風の強い夜など凍えそうだった。しかし今日は夜になっても肌寒さもなく、すっかり春の陽気が定着したようだ。

オフィスの並び、歩いてものの3分とかからないところにトンカツの名店・「勝漫」がある。藪蕎麦や竹むらのように由緒或る建物でもなんでもなく、平凡な店構えに内部は一辺に3人が辛うじて座れる正方形のテーブルと、あとは4,5人がやっとのカウンターがあるだけ。何時も待っている人がいて入れないのだが、今日は同僚と二人でいったら待っているのは3人だけ。やがて6人くらいがいっぺんに出て行ったのでカウンター席に座れた。ここの名物は大かつどん(1600円)と聞いていたのでそれを注文した。出てきたのは大きな丼に肉厚1.5センチくらいのカツが載っている。値段も昼食二日分だが、カロリーも二日分はありそうだ。それなりに美味しく、すんなり腹に収まったが、もともと丼ものは余り好みではないので、ヒレカツ定食にした方が良かったかもしれない。(右の写真は自分で取ったのではなく、人様のページから無断借用。ご免なさい。)


April 1, 2006 =Sat=

昨日が会社の決算日だが、監査法人が3月末の現金の実査や残高確認依頼書の発送などを決算日の翌日にやりたいというので、土曜日だけどその立会いに出勤した。今日も天気が良いので、朝少し早めに出て秋葉原で降り、オフィス近辺にある食べ物屋さんの由緒或る建物を見てまわった。

まずは神田須田町一丁目の鮟鱇鍋の名店「いせ源」。ホームページによれば創業は1830年(天保元年)、11代将軍家斉の頃だというから凄い。創業当初はどじょう料理だったが、大正時代に四代目があんこう料理の専門店にしたという。昔の建物は関東大震災で焼失、今の店は1930年(昭和5年)の建築。東京都の歴史的建造物に指定されている。もう20年近く昔になるが、パナマから一時帰国したときに誰かに連れて行ってもらった記憶があるが、どんな味だったか忘れてしまった。

「いせ源」の筋向いに、同じくらい古い建物がある。「竹むら」というこの店は、何を食べさせるのか知らないままその風情に惹かれてカメラに収めたが、ネットで調べてみるとお汁粉などで有名な老舗の甘味処で、やはり1930年の創業、建物も東京都の歴史的建造物指定を受けている。揚げまんじゅう、栗ぜんざいといったのも名物だとか。

ここから神田郵便局のほうへ50メートルも行くと、住所が神田須田町一丁目から神田淡路町二丁目に変ったところに、あの余りにも有名な「やぶそば」がある。まだ朝早い時間なので門扉も閉まっていて庭の様子も見えなかったが、昨日の昼にこの前を通ったときはかなりの人が順番を待っていた。神田藪蕎麦に浅草の並木藪蕎麦、上野の池之端藪蕎麦を称して藪蕎麦御三家と呼ぶらしいが、御三家の中でも一番格の高いのがここ神田藪蕎麦であるらしい。もちろんここも東京都の歴史的建造物に指定。大正12年というから関東大震災の年に出来た建物だ。

靖国通りを渡ってわがオフィス側に来ると、もう二度ばかりお昼を食べに来た「みますや」がある。ここは1905年(明治38年)の創業、建物は昭和初期ということだが、「いせ源」「竹むら」などと比べてもずっと庶民的に過ぎて風格に欠けるのか、歴史的建造物指定は受けていない。だが、外観だけでなく中の様子も非常に味のある、懐かしさを誘う建物だ。

もっとわがオフィスに近いのが「栄屋ミルクホール」こちらは歴史的建造物というよりも、1945年にできた、戦後のレトロな雰囲気を漂わす店。いまだにこんな感じの店が東京に残っているのかというのが正直なところ。創業当初は名前の通りの業態だったらしいが、今では名前とは全く関係のないラーメンとカレーライスの店。一度お昼にカレーを食べたが、テーブルも昔ながらの安食堂のまま。

最後のミルクホールはともかくとして、「いせ源」「竹むら」「藪そば」はぜひ行ってみたいし、「みますや」も夜の居酒屋の時間に行ってみたいと思う。このあたり、東京の中心でありながら戦災を免れたためにこうした古い建物が残っているようなのだ。

仕事は昼過ぎまでに終わり、帰り道に所用があって総武線・飯田橋で降りた。神楽坂は毘沙門天にかけて大変な人出。このあたり、トレンディな雰囲気で最近とくに女性たちに人気があるようだ。飯田橋駅西口の橋の上も大勢の人たちが行き来している。橋から眺める神田川の両岸は桜が満開。これを観に来た人たちも多いのだろう。

ここから地下道を500メートルほど歩いて都営大江戸線の飯田橋駅へまわり、都庁前で降りていつものスポーツジム。今日は妻も友人たちとお花見で遅くなるとのこと。


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