Diary


May 31, 2006 =Wed=

オフィスから歩いて5分とかからないところに小さな和菓子屋がある。看板には「二十二代木村庄之助最中」とある。かなり有名な店だと言うので会社帰りに立ち寄ってみた。店には上品な中年女性が進物用らしく買い物をしていたが、3人も入ると一杯になるほど狭い。60代後半くらいのおばさんが一人で店をやっている様子。先客が帰った後、軍配の形をした最中1個170円のを二つと、これも評判の高い赤飯・萬祝450円を買う。萬祝の方はおばさんがその場で塩と胡麻をふりかけてくれる。家に帰って妻と二人で食べてみると、評判どおり上品な甘みでけっこう美味しい。萬祝は、秋篠宮の婚礼のときや、皇太子夫妻の娘の誕生のときなどにも宮中から注文があったそうだ。

この店のホームページ(右のバナーからリンク)を見ると、二十二代木村庄之助は1994年に104歳で亡くなっており、この店は庄之助の息子がやっているという。しかし12年前に104歳の人の息子と言えば、どんなに若くてもいまや80歳を超えているはずだから、もう孫の代に移っているのかもしれない。現にホームページは孫がつくっているらしく、いかにも素人の手作りという感じでほほえましい。店のページだけでなく、「行司についてのミニ知識」とか「二十二代庄之助一代記」更には「庄之助・妻の物語」なんてのもある。Yahoo!で「木村庄之助 最中」といれて検索してみると315件もヒットする。だが、中には「すっかり切れちゃったみたいな朝青龍が今日も千代大海に負けてしまい、座布団が例のごとく舞いましたが、弓取式の最中にもまだ投げる客がいて、なんと立行司の木村庄之助に命中してしまいました。」なんてのもある。こちらは「もなか」ではなく「さいちゅう」と読む。


May 30, 2006 =Tue=

アパートのロビーに新聞が置いてある。朝日、毎日、日経、読売、産経の5紙が何時もそなえてある。最初は東京新聞があったのだが、いつの間にか産経に変ってしまった。良心的な東京新聞が、あの悪質プロパガンダの産経に取って代わられたのは残念だが、誰かが東京を追い出して産経を入れたのだろう。大学同期で産経新聞系列の日本工業新聞の役員をやっていた男に、「お前んとこはもともと経済紙なんだろ。何であんな偏向記事ばかり載せるんだ・」と言ったらきょとんとしていた。そんなわけで、大嫌いな産経新聞は滅多に読まないし、産経がラックの一番前にあると、いつも一番後ろに移し変えている。だが、昨日はたまたま一番前にあった産経の一面トップに、「君が代の替え歌流布 ネット上『慰安婦』主題?」という見出しが目に付いた。「君が代」そっくりの発音に聞こえる英語の歌詞で、従軍慰安婦や戦後補償裁判をモチーフにした替え歌がネット上に流れていて、これを歌っても口の動きなどが本物の「君が代」を歌っているように見えるという。産経の記事らしく、「国旗国歌法の制定後、正面から抵抗できなくなった人たちが陰湿な形で展開する屈折した抵抗運動だろう。」という御用学者のコメントが添えられている。

私は物心付いて以来、「君が代」を声を出して歌ったことはない。だいたい、自分が生まれる前から、自分より偉い人間が存在することなど認めたくはないし、戦争犯罪の最高責任者がその地位にあることなど論外だと思うから、天皇制を称える「君が代」など唾棄すべき存在だと思っている。といって、国歌なるものを否定するわけではない。映画「カサブランカ」で、酒場で我が物顔に振舞うドイツ将校たちに、レジスタンス運動の指導者がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を唄いだすと、居合わせた人々が一斉にラ・マルセイエーズを合唱する。それまでドイツ兵に媚を売っていた娼婦までが涙を流しながら歌う。これこそが国歌の姿だろう。日本を戦争と破滅にに追いやった張本人である天皇を称える歌を、なぜ戦後日本の国歌にしなければいけないのか、全く理解に苦しむ。

そんな私だが、息子や娘が通った私立中高一貫校では、入学式や卒業式に列席した父兄も起立して「君が代」を歌わせられることがある。そんなとき、あえて着席して目立つほどの勇気もなく、一応みんなと同じように起立するが、声は出さずに口だけを合わせて歌う振りをするのが精一杯だ。そんなとき、この歌があったらよかったろうにと思う。

Kiss me girl, your old one,
A tip you need, it is years till you are near,
Sound of the dead will she know?
She wants all to not really take
Cold caves know the moon is with whom mad and dead


これなら口の動きは本物の「君が代」を歌っているのとほとんど変らない。そしてその歌が政府や右翼どもが封殺しようとしている戦前日本の悪行を告発しているのだから、痛快だ。陰湿なのは「国旗・国家法」の立法過程では「強制するものではない」といっておきながら、法が成立すると陰に陽に人の心の中まで踏み込んでくる権力の側だ。折りしも、今日の新聞では、高校の卒業式で来賓に招かれた元教師が、「君が代」斉唱に参加しないように呼びかけたのが威力業務妨害に当たるとして罰金刑の判決を受けたと言う。この卒業式には土屋敬之という民主党都議が出席しており、こいつがとんでもない右翼都議なのだ。高校側もこの土屋を慮って元教師を告発したらしい。民主党も小沢が合流して以来、西村慎吾とかこの土屋とか変なのが増えている。板橋区選出の都議だが、地元でも「土屋を落選させる会」ができているという。


May 29, 2006 =Mon=

午後に不動産屋が契約に来ると言うので、朝、出勤途上に区役所に立ち寄って印鑑証明を取って来ることにした。家から新宿区役所まで歩いて20分ほど。朝の歌舞伎町は夜とはまた違って、何か気の抜けたような雰囲気だ。どういうわけか、狭い歌舞伎町の中にバッティングセンターが二つもあることを発見したりして9時過ぎに新宿区役所に着く。印鑑証明申請書と印鑑登録カードを窓口に渡して、もしかして本人確認の運転免許証を要求されるかもしれないと、ポケットを探ったら、定期入れ兼カード入れ兼財布が見つからない。しまった、家に忘れてきた。だが、印鑑登録カードを渡しているので別に本人確認書類は必要ない。まあいいかと思って、はたと気が付いた。印鑑証明は8通いる。1通300円だから8通で2400円。ポケットには小銭入れしかない。小銭をかき集めても2000円にも足りない。そうだ、近くの銀行でカードで引き出してこよう、と思ったがキャッシュカードもカード入れに入っているからだめだ。じゃあクレジットカードでキャッシングするか、と思ってもクレジットカードも同じくカード入れの中。そうこうしているうちに名前を呼ばれ、「すみません。財布を忘れてきたんだけど、お金はあとでってわけにいきませんよね?」印鑑証明は小銭の範囲で5通だけ受け取る。そうだ、今日不動産屋に契約書の印紙代を15000円用意するように言われていた。やはり取りに帰るしかないか、と区役所前からタクシーに乗る。だが、タクシー代もないことに気が付いた。「運転手さん。悪いんだけど財布忘れて取りに帰るんで、家の前で待っててくれる?」「いいですよ。よくあることだ。」これから現金とカードは分散して持つようにしよう。


May 28, 2006 =Sun=

大阪の不動産屋から電話があり、八尾の家が売れたので、明日、契約書と手付金を持って上京すると言う。大きすぎてこちらには持って来れない仏壇とか、父の日記だとかは「お炊き上げ」という業者に引き取ってもらい、ちゃんと供養してもらうことにしたが、そうしたものを除いても、家の中には家具や道具類、衣類、書籍類などがいっぱいだ。これらは処分屋に頼むしかないだろう。

スポーツジムから直行して妻の待ち合わせの玄品ふぐ(新宿三丁目)で食事。この店はこの間まで歌舞伎町のコマ劇場の裏あたりにあったが、最近新宿三丁目に引っ越したらしい。前の店よりだいぶ綺麗になったようだ。妻のところに誕生日の1割引の葉書が送られてきており、今月末まで有効となっている。こうした割引券が来るといつも大事に持っていて、使わないと損だというのが彼女の主義。マーケティングの標的としては非常にやり易いお客ではある。てっちり、てっさに、焼フグの付いたコースと、唐揚げの付いたコースとを注文。お勘定は約束どおり1割引で、そのほかに小さいブーケをくれて、ポラロイドで写真を撮ってくれる。


May 27, 2006 =Sat=

去年の11月、母が亡くなったときに娘の嫁ぎ先のご両親から頂いた白い蘭の花が、6ヶ月目の今、再び花をつけた。去年の6月に妻の母が亡くなったときも同じ白い蘭を頂いたが、それが再び花をつけたのも確か半年ほどしてからだった。蘭という花は、おそらく温室の中で季節と関係なく人工的に花を付けさせられるのだろうが、いったん最初の花が散った後も、大事に育てていれば半年後にはまた花を咲かせるものらしい。二度目の花は、最初と違って蘭自身が持つ植物としての生命力が花を咲かせるのだろう。母が蘇ってきたような気がする・・と言うのは少し無理があるかも知れないが。

ポスト小泉の自民党総裁選に向けて、安倍晋三がいよいよ名乗りをあげたらしい。この安倍という男、世論調査では次期総理として圧倒的な人気があるようだが、個人的には強い嫌悪感を感じる。靖国参拝と言う問題はあるものの、小泉の方がまだ親しみを感じるし、政策的にも共鳴しうるものもあるが、安部のほうは小泉の悪いところだけを引き継いでいる。だいたいこの男は、「昭和の妖怪」岸信介の孫に当たり、岸を尊敬すると言って憚らない。60年安保世代にとって、岸は許しがたい人間だが、それよりも先に、彼は太平洋戦争開戦時の商工大臣であり、開戦詔勅に署名している。満州傀儡政権を実質的に動かしていた二キ三スケ(東條英機、星野直樹、鮎川義介、松岡洋祐、岸信介)の一人であり、戦後はA級戦犯容疑で逮捕されながら、東西冷戦の激化から米国の占領政策の変更により東條らの死刑の翌日に釈放された。その後内閣総理大臣にまで上り詰め1960年に国論を二分した日米安保改定を強行する。こうした「妖怪」のDNAが安倍にも受け継がれているらしい。あの、人を馬鹿にしたような早口でしゃべるのを聞くだけで虫酸が走るが、こんな男が力をつけてから政権を握るより、早めに総理に着かせて、どうせ叩けば埃の多い身だろうから、早めに潰してしまった方が、この国のためにはまだましなのかも知れない。


May 20, 2006 =Sat=

朝から不動産屋が来て、家の売却の打合せ。そのあと、昨日整理したものを小さいダンボール箱3つに詰めて宅配便で自宅に送ることにした。送るのはアルバムから剥がした写真、昨日見つけた切手アルバム、私の大学の卒業証書と英検の認定証、戦前に発行された本(久保田万太郎「歌行燈その他」昭和16年1月発行、武者小路実篤「若き人々」昭和16年3月発行、川端康成「雪国」昭和14年6月39版発行、島木健作「生活の探求」昭和14年4月第98版発行など、いずれも父の蔵書)、最近妻が演劇に凝っているので、書棚にあった文学全集からシェークスピアやチエホフなどの戯曲集数冊(文学全集なんて古本屋も取ってくれない)、それから両親に生前プレゼントした「昭和歌謡曲全集」のCD全20巻がそのまま残っていたのでこれも家に送ることにした。残った家具や衣類、書籍、道具類など一切は、不動産屋に相談したら処分屋というのがいるのでそれに頼むことにした。処分するにも何十万円かかかるらしいが。ただ、仏壇とか父の日記などは処分屋に頼むのも忍びないし、処分屋の方もそういったものは嫌がるとのことなので、葬儀社からもらったパンフレットにある「お炊き上げ」というのに電話してみた。仏壇や故人ゆかりの品などを、敬意を払ったやりかたで処分してくれるというので、これも頼むことにした。父の日記の中で、私がパナマで戦争に巻き込まれたとき、息子が病気で入院したとき、阪神大震災のとき、妻が衆院選に出馬したとき、弟が癌で亡くなったときなどのページを切り取って、これもダンボールに放り込む。妹夫婦が車で来てくれて、ダンボールを積み、途中でコンビニによって宅配便を頼み、その足で京都に向かう。

もう一度来る機会があるかどうか。もしかすると八尾の家もこれが見納めになるかもしれない。日本橋茅場町の家を戦災で焼け出され、埼玉・深谷の叔母の家に疎開し、戦後になって父の知人である八尾のカメラ工場経営者を頼って工場内の6畳一間に家族6人が暮らした(妹はここで生まれた。)私が小学校4年のときに、大阪府の分譲住宅であるこの家を買って引っ越した。今から見ればタダみたいな値段だが、両親は永年かかってローンを完済した。当時は6畳、4畳半、3畳の板の間、それに台所と風呂場という平屋だったが、6畳一間の生活から抜け出した両親はとても嬉しかったろう。引越しの二三日前に母と二人で新居の掃除に来た。来る途中に買ってきた真桑瓜を、掃除が終わって二人で食べたのを今でも覚えている。その後、増築したり取り壊して改築したりして今の家になったのだが、私自身結婚するまでここに20年以上住んだし、祖母、父、母とみんなここで生涯を終えた。

京都では五条東山の大谷本廟・無量寿堂にあるお墓に参り、祇園石段下の「かに家」で遅めの昼食。天気予報では今日は大荒れの天気になるとのことだったが、昼過ぎからは雲も切れて陽が射していた。


May 19, 2006 =Fri=

昨年母が亡くなって、住む人のいなくなった大阪・八尾の家をそろそろ処分しなければならないため、一日休暇をとって大阪に行く。処分そのものは不動産屋に任せればいいのだが、家の中にあるいろんなもののうち、遺しておかなければいけないものを選別するのが今回の主な目的だ。駅前の西武百貨店で妹と待ち合わせ、軽く昼食をとって駅前の住友不動産販売で担当者と会う。母の生前、家を売って有料老人ホームに入居すると言うことでこの担当者に売却を相談したが、母の気が変って売らないことになった経緯があるので、担当者は物件のことを良く知っている。家を売るにはまず相続登記をやっておかなければいけないということで、司法書士を呼んで話すと、相続登記に必要な戸籍謄本とか印鑑証明とかは相続発生日(被相続人の死亡日)以降のものであれば、多少日付が古くても構わないという。預貯金の解約時にそろえた書類一式を持参していたのでそれを見せると、謄本などの日付は半年ほど前のものだが、これですべてOKだとのこと。謄本を一式揃えるのに随分手間がかかったので、これをもう一度揃えるのは大変だと思っていたので、助かった。

さて、妹と「木曽路」で食事をして家に戻り、物には全く興味がないという妹が帰った後、一人で整理を始めた。まずは写真のアルバムだが、母より3年先に亡くなった几帳面な父が整理していたアルバムが20冊くらいある。これを全部持って帰っても保管する場所もないので、目ぼしい写真を選んでアルバムから外し、父がアルバムに書き添えていた撮影日や注釈を裏面に走り書きして纏めた。戦前に撮った父や母の若い頃の写真とか、戦後の混乱期や私の学生時代の写真などを中心に選んだが、かなりの量になった。まあ、暇が出来たらこれらの写真をスキャナで電子化して保存することにしよう。この作業だけで12時近くになってしまったが、ほかに何かないかと思って、以前弟一家が住んでいた二階の、今は物置部屋になっている部屋の押入れの天袋を覗いてみると、置時計のダンボールケースがある。時計なんか要らないや、と思って一応中を確かめてみようと動かしたらずいぶんと思い。とても時計の重さではない。やっとこさ床に下ろして中を調べてみると、思いがけず私の書籍類だった。中には中学・高校時代に収集していた日本切手のアルバムも出てきた。大したものではないが、今では希少になった切手もあり、永年の間にどこかへ行方不明になったものと諦めていたのだが。また、私が昔、英検の1級を取っていて、履歴書など書くときには一応それを書いてはいるのだが、それを証明しろと言われたら困るな、と思っていたのが、英検1級の合格証明書も出てきた。まあ、いまさらこんな証明書が必要になることもあるまいが。そのほか、箱から出てきた本では次のようなものがある。
最初の6冊は大学時代の本だ。「都市の論理」もこの頃ベストセラーになったものだと思う。"De la Vie"はフランス語の独習をしようと思って読み始めたものだと思う。「挽歌」はたぶん私が高校生の頃のベストセラーだったと思うが、どうしてこんなのが入っているのだろう。まだある。高校生から大学時代にかけて、よく美術展を見に行っては展示品のカタログを買って帰ったのだが、それらもとってあった。
これらの本類はは量的にも嵩張るので、残念だが大部分は捨てることにした。整理が何とか終わったのは3時近くだった。


May 15, 2006 =Mon=

親会社である商社の、新しく管制した本社ビルで会議。丸ビルの皇居側に昔からあるビルを取り壊して建て替えたもので、今月の連休が引越しだった。建て替え前のビルで勤務していた頃、ちょうど旧丸ビルを取り壊して今の丸ビルを建設しており、その様子を写真に撮ったりしていたものだった。親会社の本社は品川にもあり、それと同様にこの丸の内本社でも会議室は4階に集中しており、社外人との会合はすべてこのフロアに限定される。執務室にはOBも含めて社外人は入れない仕組みだ。会議を終えて1階に降りると、社員の通用口は来客用とは別に駅の自動改札のようなゲートがあり、社員証をかざすとバーが開く仕組みになっている。私が持っている入館証を試しにかざして見たら、ちゃんとバーが開いたので、5階にある古巣の部の執務室を訪ねてみた。部員は60人くらいいるらしいが、今日は出かけている人が多くて閑散としている。一人一人がL字型のゆったりとした机に座り、L字が二つずつ並んだ形になっている。柱がほとんどない構造なので、かなり広く見える。同じフロアの皇居側が喫茶室になっており、全面ガラス張りの西側には皇居外苑が一望できる。今は新緑が美しいが、秋の紅葉も綺麗だろう。


May 13, 2006 =Sat=


この店の寿司を食べると人は不幸になる。なぜなら、他の店の寿司が食べられなくなるから。と言われる寿司の名店、「あら輝」に行った。世田谷区中町というのは、娘の嫁ぎ先の実家の近くになるが、田園都市線の用賀と大井町線の等々力のちょうど中間あたりになる。渋谷から乗り換えなしでいける用賀で降りたが、この駅は初めてなので、駅前のAmPmで中町4丁目の交差点の方向を聞いたが、教えてもらったのが全くの方向違いで冷たい雨の中を遠回りしてしまったが、予約の6時ぎりぎりに滑り込み。住宅街の中の商店街の並びにある店には看板もなく、暖簾に小さい字で「あら輝」とあるだけ。(画像は他所の人のHPから無断借用。乞ご容赦)

店内は白木のカウンターに13の椅子があるだけで装飾は一切なし。カウンターの上にはよく寿司屋にあるガラスのケースもない。寿司の名店と言うと気難しい寿司職人を想像したが、店主であり板前でもある荒木さんはまず丁寧な初対面の挨拶で出迎える。家族連れで来ている常連と思しき男性が饒舌にこの店の素晴らしさを褒めるのをも適当に受け流す。どうやら荒木さん、予約も難しい幻の名店と言う評判を鼻にかけないよう、自らに言い聞かせている様子だ。荒木さんは目黒で8年修行の後、銀座の当時の名店「きよ田」に2年間押しかけ修行、7年前にこの店を開いた。最近はテレビに引っ張り出されることも多く、われわれがここを知ったのもテレビ番組を見てだった。

魚の良さと味の良さは確かに評判どおり。まずは長崎沖で取れたむしかれいと、ひらめの縁側。続いて紋別の雲丹。さらに鮑、鰹、あおりいかの耳、軽く炙ったとり貝などなど、いろんな魚介がそれぞれ一工夫加えてでてきたあと、本番の寿司はまず鮪(赤身、中トロ、大トロ)から。他にはしめ鯖、あさり、海老などときて、最後は焼穴子。酒を余り飲まないという荒木さんだが、彼が自ら選んで置いているという日本酒も逸品。その後、干瓢巻きや手巻き鉄火を追加している人もいるが、このあたりで8時をまわる。われわれの予約は6時からだが、次の回の予約が8時半から。8時10分くらいになると次の回の人が入ってくるので入れ替わりに席を立つ。お勘定も決して安くはないが、それだけの価値は十分ある内容だった。こんな本も出ている。


May 11, 2006 =Thu=

4月30日のDiaryに、アイランドホール前のシックな並木道の雰囲気を打ち壊す東京スター銀行のけばけばしい看板のことを書いたが、思わぬところで東京スター銀行の前身である東京相和銀行の名前が出てきた。大の親日派として知られるフランスのシラク大統領が、東京相和銀行に自分名義の口座を持ち、自分が関与する文化財団からこの口座に47百万ユーロが振り込まれたと、フランスの週刊誌が報じたという。大統領筋はこの報道を否定したとのことだが、相撲観戦などに頻繁に日本を訪れていた大統領が、実は秘密口座の管理に訪れていたとすれば、日本の銀行もスイス並になったのだろうか。それにしてもなぜ東京相和なんだ?この話、フランスの中道右派政権内部でシラク大統領から事実上次期大統領の指名を受けていたドビルパン首相が、汚職捜査の絡んで政敵である右派のサルコジ内相の追い落としを図った中で出てきたらしく、若者の雇用制度を巡って反対運動の前に法案を撤回に追い込まれた首相がさらに窮地に立たされているという。ドビルパンも、外相時代に国連を舞台にブッシュのイラク開戦への反対演説を展開したときは格好よかったのだが。


May 10, 2006 =Wed=

経済同友会が小泉の靖国参拝について「中国等アジア諸国に少しでも疑義を抱かせる言動を取ることは、戦後日本の否定に繋がりかねず、日本の国益にとってもプラスにならないことを自戒すべきだ。」として、自戒を求め、民間人を含む戦争犠牲者すべてを慰霊する無宗教の追悼碑を国が建立することを提案したとの記事が出た。至極当然なことで、ようやく経済界からもまともな意見が出てくるようになった。先日、遊就館の不気味な展示を見てきたばかりで、これからどんな世の中になっていくのか不安が募っていたが、少しは安心できそうだ。経済同友会では前の代表幹事である小林陽太郎氏がやはり小泉の靖国参拝を批判し、その後自宅に火炎瓶が投げられたりしたそうだ。今の代表幹事である北城格太郎氏はIBMの社長時代、当時私が住んでいた町田の同じ住宅地に住んでいた。家も我が家とさして変らず、質素なものだった。今は引っ越したらしいが。ところでこの同友会の提言に対して、小泉は「商売と政治は別」と反発し、それに対して同じ連立与党の党首は小泉の姿勢を批判したという。暴力団や悪質な建設業者との癒着が囁かれる安倍官房長官だけが相変わらず小泉をヨイショしているが、政権内部からもいよいよ揺さぶりが出てきているらしい。


May 9, 2006 =Tue=

昨日の朝日新聞夕刊に、1月末にウガンダで交通事故で亡くなった清水孝君の追悼記事が掲載されていた。アフリカに魅せられ、アフリカに倒れた快男児の冥福を改めて祈る。


May 5, 2006 =Fri=

靖国神社の境内の中に「遊就館」というのがある。先日、韓国の盧武鉉大統領が小泉首相の靖国参拝を批判した際に、「訪日する機会があれば遊就館に行ってみたい。」と述べたと言う。日本の右翼陣営はこの発言に敏感に反応した。韓国の大統領が行けば当然世界の注目が遊就館に集まる。そして今は一部の人にしか知られていない遊就館の性格が世界に知れ渡る。そうなれば、小泉の靖国参拝を批判しているのが中国、韓国だけだとする政府・自民党の主張に反して、東南アジアの多くの国だけでなく、場合によっては米国にまで靖国参拝批判の動きは広がるかもしれない。

では実際に遊就館ではどのような展示が行われているのだろうか、ということで、見に行くことにした。市谷の駅から歩いて10分余りだから、家から30分そこそこで行ける。靖国神社の南門から入り、参道を横切った先にその建物がある。思いのほか立派な建物だ。ロビーに入るとまず目に飛び込んでくるのはゼロ式艦載戦闘機、いわゆるゼロ戦の実物で、早くも異様な雰囲気。館内は撮影・録音禁止だが、このロビーは禁止対象ではないらしく、みな写真を撮っている。大人800円の入場券は自動販売機で買うのだが、年寄りの客が多いためか、販売機には一台ずつ女性が付いていてお金を預って販売機に入れてくれる。入場券を自動改札に通してエスカレータで2階に上がる。順路はまず古代から第二次大戦(ここでは「大東亜戦争」と呼んでいる。)に至る2階の展示を見たうえで、1階の「大東亜戦争」を見ることになる。2階の日露戦争のコーナーでは東洋の一小国が大国ロシアを打ち破って世界を驚かす様子をビデオで流していたが、そのナレーションが北朝鮮のテレビのアナウンサーそっくりなのには苦笑させられた。1階はまさに「大東亜戦争」一色だ。自決した幹部将校の書や部下の戦死をその父親に知らせる将軍の手紙など様々な資料が展示されている。だが、高級将校や武勲を立てた将兵の遺品はあっても、名もなく果てた兵士についての記録は余り重視されていないようだ。展示の全体の流れは、「欧米列強の経済封鎖により資源を抑えられた日本が、米国からハルノートを突きつけられて已む無く開戦した。」「緒戦で日本が怒涛のごとく列強を制覇したため、敗戦で終わってもその後の世界で列強の植民地支配が崩れ、アジア・アフリカ諸国の独立が相次いだ。」というように、「欧米列強の植民地支配からアジアを解放する戦争」として捉えられている。西アフリカ諸国の独立まで、「大東亜戦争」の成果であるとでも言いたげな展示だ。余りに自己中心かつ牽強付会な論理は到底世界に受け入れられることはないだろう。ただ、心配なのはこのような論理が戦争を知らない若い世代の人たちに余り抵抗なく受け入れられているらしいことだ。遊就館でも夏休みには小中学生の入場料を無料にするなどして、この論理の浸透を図っているし、売店で売っている戦闘帽やゼロ戦図柄のTシャツなどを「カッコいい。」と思う若者もいることだろう。世の中全体が右傾化している中で、これに歯止めをかける動きは余りにも弱い。展示室には靖国の「英霊」たちの写真が何千枚も並べられているが、48番のパネルの中にA級戦犯として処刑された東條英機の写真があった。「絞首刑」ではなく「法務死」となっていた。写真は特別扱いではなく、大勢の戦没者の写真の中にそれとなく紛れ込んでいる形だが、再び国家主義の道を歩み始めたようにみえる日本の現状に、薄気味悪くほくそえんでいるように思えた。


May 4, 2006 =Thu=

新宿文化センターで「小松原庸子スペイン舞踏研究所第38回研究発表会」、妻の泥縄の、いや練習の成果発表。第1部、第2部合わせて29曲のうち、妻の出番は第1部の7番目。5人でアレグリアスを踊る。今年はアレグリアスが6回もある。新宿3丁目の伊勢丹で娘と3時に待ち合わせ、文化センターに着いたのは3時15分。ちょっと早すぎるからお茶でも飲んでいこうかと喫茶店を探すが近くには見当たらず、文化センターの中にもあったはずと、中に入るとロビーには3列の長い列ができている。係員が「最後尾はこちらです。」と言うのに「これ、フラメンコの列?」「そうです。」ということで喫茶店はあきらめて列に並ぶ。4時15分前くらいになってやっと会場へのドアが開く。必ずしも席は前の方から埋まるわけではなく、真ん中あたりの見やすい位置が人気らしい。こちらは写真を撮るには前の方がいいだろうと、5列目あたりの通路際を確保。やがて妻の番がきたが、娘はデジカメで動画モードを、こちらは写真を撮るのに集中し、二人とも踊りそのものは余り見ておらず、間違えずに踊れたかはよく分からなかった。第1部が終わったところで退席。メークと衣裳そのままで出てきた妻と少し話をして、娘と外に出る。

娘の夫を呼び出して、三丁目の居酒屋「火の音水の音」で3人で食事。実はこの店、どうせ文化センターの帰りに夕食になるだろうと思って予めぐるナビで候補を調べておいたのだが、入ってみると古民家のような雰囲気で従業員の態度もよく、鶏や馬刺しなどが美味しかった。この店、よく調べてみると、4月28日のDiaryに書いた「まいどおおきに食堂」と同じチェーンの別ブランドなのらしい。4年前にヘラクレスに上場、グループの店舗数が400店というからかなりの急成長会社だ。


May 3, 2006 =Wed=

ゴールデンウィークもカレンダーどおりなので、今日が連休初日となるが、本当に良い天気だ。だが、今年の連休はどこにも出かける予定がない。それというのも明日4日に妻のフラメンコの発表会があるのが理由の一つ。小松原庸子の高円寺の教室に通っていて、昨年も発表会に出たのだが、今年は前半休んでいたのに急に出ることになったものだから、このところ毎日ビデオを見ながら泥縄式の練習をしている。去年はセビジャーナスという曲だったが、今年はアレグリアスなのだそうだ。このDiaryを調べてみたら、去年は4月29日だった。

連休後半は関西に行って、墓参りと大阪の家の処分の打合せをするつもりをしていたのだが、連休中は不動産屋も休みだと言うので、連休が終わって5月の中旬以降に行くことにした。


May 2, 2006 =Tue=

いま、通勤電車の中で読み進めているペーパーバックはジョン・グリシャムの"The Broker"。通勤時間が短いのでなかなか進まないが、やっと全体の1/4くらいまで行った。アラスカ以外の全州を失うと言う地滑り的な敗北を喫した現職大統領が、新大統領の就任式を控えた前日に、二人の囚人に特赦を与える。その一人がワシントンの大手法律事務所のパートナーだったJoel Backman。この特赦にはCIA長官が絡んでいる。Joelは、謎の人工衛星に関する秘密プログラムを売り込んできたパキスタン人のロビー活動に手を染め、これが原因でスキャンダルに巻き込まれるが、事件に絡んで元上院議員が不審な自殺(ライブドア事件の野口某氏を想わせる)をすると、慌てて罪状を認め、20年の刑に服する。それが6年勤めたところで特赦になったが、それは監獄の中で安全を保障されていた彼にとって、自由と引き換えに安全壁を失うことでもあった。Joelは特赦を受けたその夜のうちにCIAの手によって国外に脱出させられ、イタリア北部の田舎町にとりあえず滞在する。ここで彼が支持を受けたのは、できるだけ目立たずに暮らしていくために、イタリア語と地元住民の慣習を身に付けることであった。彼の様子は逐一ラングレーのCIA長官に報告されている。一方、前大統領側近の補佐官で、Joelの特赦にも立ち会ったCritsは、補佐官失職後はそれまでの人脈を活かして軍需会社のぶろーかーとして年収20万ドルの口を確保しているが、その仕事に余り乗り気ではない。就職前に新しい雇い主のプライベートジェットでロンドンに休暇旅行に訪れたCritsは謎の人物から接触を受け、Joel Backmanの居所を教えれば100万ドルを払うとのオファーを受ける。早速CritsはDCの知り合いに片端から電話をかけ、Joelの様子を探るが、これもCIAに筒抜けになっている。

今までのところはこんな筋書きだが、Marcoという偽名とイタリアのパスポートを与えられたJoelがが必死でイタリア語や慣習を学ぶ場面が面白い。「今日は一人で軽食屋に入って自分でオーダーしてみろ」と言われたJoel。

 Marco gritted his teeth and entered the cafe, very alone. As he waited behind two young ladies he desperately searched the chalkboard for something he could pronounce. Forget taste. What was important was the ordering and paying. Fortunately, the cashier was a middle-aged lady who enjoyed smiling. Marco gave her a friendly "Buona sera," and before she could shoot something back he ordered a "panino prosciutto e formaggio" --ham and cheese sandwich-- and a Coca-Cola.
 Good ol'Coca-Cola. Tha same in any language.
 The register rattled and she offered a blur of words that he did not understand. But he kept smiling and said "Si," then handed over a twenty-euro bill, certainly enough to cover things and bring back some change. It worked. With the change was a ticket. "Numero sessantasette," she said. Number sixty-seven.

まさに、パナマに赴任した私が初めてスペイン語しか通じないデリに入ったときと同じだ。もっともJoelの場合は外国人と目星を付けられることが生死にかかわるのに対して、こちらは言葉だけの問題だったが。

 "Never order cappuccino after ten-thirty in the morning. But an espresso can be ordered at any hour of the day. Did you know that?"
 "I did not."
 "Only tourists order cappuccino after lunch or dinner. A disgrace. All that milk on a full stomach."

これは知らなかった。朝食のとき以外はカプチーノは頼まないことにしよう。



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