Diary



August 30, 2006 =Wed=

逢坂剛の小説「牙をむく都会」(上・下 講談社文庫)。岡坂神策シリーズのエンターテインメントだが、前半は大手広告代理店が企画したハリウッドのマイナーな映画を集めた映画祭と、大手新聞社主催のスペイン内戦シンポジウムの両方からコンサルタント契約を受けた主人公が映画とスペイン内戦についての薀蓄を傾ける。両方とも逢坂剛のお得意分野であり、そもそも主人公自体が作者の分身みたいなものだから、その知識の深さとマニアックな会話が心地よいテンポで進む。しかしこれら大企業にはふさわしくない採算度外視の企画の背後には、シベリア抑留体験を持つ二人の大物財界人が絡んでいる。この大物財界人というのが瀬島龍三をモデルにしているのかと思ったら、瀬島は実名で出てきて、大物の一人は瀬島とともに大本営参謀としてソ連との停戦交渉に当たった人物、もう一人の大物は元駐独大使館付の武官でなぜかソ連に抑留され、スパイの噂もある。そこに更にもう一人の老人が登場するが、こちらはやはりシベリア抑留組で、日本兵が多数ソ連に抑留されたのは停戦交渉での密約があったからではないかと追求している。対ソ密約説は現実に昔からあるが、当事者である瀬島が一切沈黙を守っていることから、戦後史の大きな謎とされている。こうした舞台設定は逢坂剛のお手の物だが、この作品の結末はいかにも尻すぼみだ。米軍機が誤ってスペインに原爆を落下させたと言う史実に基づいた「燃える地の果てに」のラストの大逆転ドラマに比べれると余りにお粗末と言わざるを得ない。それにしてもあの瀬島龍三という人物、もう95歳前後になるはずだが、まだ亡くなったという話は聞かない。山崎豊子の小説の中でモデルとして英雄扱いされたり、中曽根内閣時代に国士気取りで政治に関与したりしていたが、戦中戦後の責任を追及されるべき最後の人物であるに違いない。

いま読んでいるエリザベス・コストヴァの"The Historian"は英語がかなり難しく、ページが進まない。それで合間に「牙をむく都会」などを入れたのだが、本当は同じ逢坂剛でも「イベリアの雷鳴」「遠ざかる祖国」に続くイベリアシリーズの「燃える蜃気楼」を読みたかったのだが、まだ文庫本になっていない。いくら逢坂ファンであってもハードカバーを買っていたのでは本箱がすぐに一杯になってしまうので、文庫になるのを待つしかない。それで"The Historian"は少し休みにして、他の本を探そうと思い、丸ビルに行ったついでに丸善を覗いてみると"The Amber Room"というペーパーバックが目についた。作者はスティーブ・ベリーという余り聞きなれない名前だが、先月ペテルブルグへ行って「琥珀の間」を見てきたばかりなので、つい手が出て買ってしまった。最初のところをめくってみると、ドイツの捕虜収容所に入れられているロシア人が出てくる。ペテルブルグの「琥珀の間」は、ナチスが占領した際に持って行かれ、未だにその所在が分からない(現在の「琥珀の間」は最近再建されたもの。)ということなので、これを題材にしたミステリーのようだ。"The Historian"よりは読みやすそうなので、当面はこちらを読むことにしよう。


August 27, 2006 =Sun=

朝9時45分の新宿湘南ラインに乗ると10時半過ぎには大船に着く。少し早すぎるかなと、駅にあるドトールコーヒーで時間を潰してから11時頃にタクシーに乗ったのだが、「横浜霊園まで。どのくらいかかります?」「さあ、道が空いていれば20分でいけますよ。」しまった。約束の時間は11時半。道はそこそこ混んでいて、しょっちゅう信号に引っかかる。2000年の8月30日に癌で亡くなった弟の7回忌なのだ。もっとも集まるのは大阪に住む未亡人と、その息子つまり私の甥と、3人だけ。甥は相模原に住んでいる。電話で、「もしかすると少し遅れるかもしれない。」と甥に連絡。彼らはもうお墓の掃除をしているという。だが、何とか11時25分には着いた。

私のところのお墓は京都の大谷本廟で集合住宅のような墓だが、弟のところは横浜霊園に立派な御影石造りのお墓が建っている。もっともこの横浜霊園自体は一度経営破たんしたこともあるらしい。お墓には缶ビールが供えてあるので、「これ、持ってきたの?」と聞くと、「いや、誰かが供えてくれたようです。」お花を供えたり水を掛けたりしていると、お坊さんがやってきてお経を上げてくれる。このお坊さん、結構親切なのか話し好きなのか、仏典の意味や人と人との別れをいろいろと噛み砕いて説明してくれる。

弟は大阪の食品問屋に入社した。その会社が合併を繰り返して今では日本でも一二を争う食品商社となったが、かれは東京に天気にしてから十年以上も健康診断を受けなかった。大阪時代に社長だった人といっしょに、健康食品を扱う部署にいたのだが、そのせいか健康には自信があり、医者に行くのを好まなかった。だが、その一方で健康診断を受けて何を宣告されるのかが怖かったのかもしれない。仲間とゴルフをやっていて途中で目の前が真っ白になったこともあったらしい。当時、神奈川の海老名にいたが、そこの病院で胃癌の宣告を受けた。もう末期で、膵臓も癒着していた。手術も無理だといわれたが、駄目もとで手術を受けたいと言い、妻の衆議院選挙が終わった頃だったが、伝を頼って都立豊島病院に転院させた。ここには胃癌の手術ではかなり有名な医者がいて、紹介状を差し出すと「やってみましょう」と言ってくれた。しかし、手術ができるまで体力が回復しないまま、最後のときを迎えることになってしまった。その夜、遅くまで病室にいたが、甥たちが来たこともあり、また妻の選挙の報告書を選管に出す期限も迫っていたので、後ろ髪を引かれながらいったん東高円寺の家に引き揚げた。夜中、寝付いたとたんに携帯が鳴った。甥からで、「いよいよ駄目なようです。」服を着てアパートを出た。青梅街道の向こうにタクシーが停まっている。タクシーに乗ろうとして、信号が赤だったことに気がついた。深夜の青梅街道は車がスピードを出している。気づかずに赤信号をわたるとき、もし車が来ていれば弟より一足先に私があの世に行っていたかも知れない。病院に着いたとき、すでに弟の意識はなかったが、臨終に立ち会うことはできた。90歳近い両親に電話で知らせるのは、夜が明けてからにした。七回忌ということは、あれからもう満6年が過ぎたことになる。

法要を終えて、霊園近くの会席料理屋で三人で食事をし、甥の車で戸塚の駅まで送ってもらい、再び湘南新宿ラインで戻る。

夜、仕事から帰った妻と、今日も外食ということになる。昨夜はフランス料理、今日の昼は法要の会席料理なので、おなかも空いていないが、歌舞伎町の「つるとんたん」といううどん料理の店にする。これも例の「東京ウォーカー」に出ていた店だ。新宿コマから風林会館の方へ歩いた、歌舞伎町でもかなりディープなところにある。予約はできないというので行ってみると店の中の待ち合わせソファに数人の先客が待っている。ここはうどん屋といっても普通のうどん屋とは雰囲気が全く違う。座席は大きくゆったりしており、奥にはステージがあってライブをやっている。本の紹介によると、昔の歌手・夏木マリがプロデュースをしている店で、大阪や六本木にも店があり、この歌舞伎町の店は今年6月にオープンしたばかりらしい。うどんチェーンのオーナーとか経営者とかいうならともかく、プロデュースとはどういう立場なのかよく分からない。従業員に「夏木マリさんは来るの?」と聞くと「二三日前もそこのステージでカラオケをやってました。」

うどんは単品でもいいのだが、初めてなのでコース料理を注文。飲物はメニューを見ると芋焼酎「佐藤・黒麹」があったので少し高いけれどこれにする。まず先付けに竹の容器に入った少量の細うどんが出る。これが美味しくて、「お代わりもできます。」というので追加を頼む。米茄子の煮物とモッツアレラチーズの湯葉巻きなどが出て、お刺身は鮪、鯖のタタキ、秋刀魚の三種類だがこれが絶品だった。メインはやはりうどんになるのだが、これは単品メニューから選ぶ。(ただし、1500円以上のものを除く。)私は「おろし天麩羅うどん」にする。冷うどんに天麩羅、それに縦半分に切った大根と大根おろしが出てきて、自分で大根をおろして天麩羅とともに出汁をかけたうどんを食べる。うどんは一玉〜三玉を選べる。私は今日はおなかが空いていないので一玉にしたが、妻は二玉を頼んでさすがにもてあましていた。うどんはかなり腰が強い。コースの4800円は決して高いとは思わないが、きつねうどん680円でも食べられる。直径50センチくらいの巨大な丼に入って出てくるし、単品でも一玉〜三玉選べるので、コストパーフォーマンスはかなり高そうだ。


August 26, 2006 =Sat=

12日に買った「大人のウォーカー」新宿特集に出ていたレストランを一つずつでも制覇して行こうと(いう訳でもないけど)、今夜はその中の一つ、クレッソニエールを予約。ここは渋谷のコンコンブル、表参道のレ・クリスタリーヌの姉妹店になる。場所は新宿三丁目、伊勢丹の向かいにあるセゾンプラザの地下1階。わが家からなら歩いて20分ほど。店構えからは余り大した店ではなさそうな感じを受けるが、注文したコース料理はなかなか本格的なもの。まずは人参のサラダ、パルマの生ハム、鶏レバーのペーストなど5種類の前菜。パンにつけて食べるとたちまちのうちにパンがなくなる。ちょっとこわもてのギャルソンに、「余り美味しいのでパンがなくなっちゃったよ。」というと、苦笑して「本当はパンの追加は600円なんだけど、まあサービスしときましょう。」続いて真鯛のソテー、口直しのシャーベット、そしてメイン。私はメインは鴨料理を選んだ。デザートはチョコレートとアイスクリームとタルト。ワインは妻が余り飲まないので、フルボトルは無理だからハーフボトルはない?と聞くと「じゃあこのキャラフでどうでしょう?」正直言って「キャラフ」って何か分からなかったが値段が安かったので「よし、それ。」出てきたのは陶器製のデカンタで500mlの量。このコースで一人3800円、二人でワインも入れて一万円行かないというのはとても良心的だ。まったく気取らないビストロで、しょっちゅう来て見たいと思わせる店だ。ランチはワンプレートで1000円とのこと。ところでデカンタ(decanter)とキャラフ(carafe)の違いは何なんだろうか。

クレッソニエールを出たのは9時過ぎ。われわれとしては少し遅めだが、この時間にしたのはクレッソニエールから一本先のとおりにある末広亭で9時半から始まる深夜寄席を聞きに行くためだ。角を曲がるともうかなり行列が出来ている。並んだところはちょうど立ち飲みの「日本再生酒場」の前。女性客も多く、新宿の熱気が伝わってくる場所だ。やがて開場。列に並んだ割には中の席も多いので一番前の席を確保。深夜寄席は毎度曜日、9時半から11時半まで、若手落語家が噺をするもので、入場料は500円。今日の噺家は三遊亭亜郎鈴々舎風車柳家三之助三遊亭窓輝。みんな二つ目だが、それなりに面白い。それにしても新宿と言う街、12時近くになっても人の減る気配はまったくない。


August 22, 2006 =Tue=

昨日の昼食時、「松戸会」の会場となるH社の「神田クラブ」の所在地を確かめておこうと錦町の方まで歩いていった。オフィスからせいぜい10分程度の距離だが、場所を確認して、ついでに近くで昼食を済ませていこうと思い、この近辺で気に入っていた内神田の「創作料理Rio」に入ったらちょうど満席だった。仕方なくそこを出て、さてどこへ行こうかと思ったら、すぐ隣に「Le Cafe du Coin」という控えめな看板が目に入った。小さなビルの2階で、余り期待せずに入ったのだが、これが当たりだった。「Rio」の方はヨーロッパの田舎町の大衆レストランという感じで、テーブルの数も多いが、「Coin」はずっと小ぶりだが洗練されている。メニューも「本日のキッシュ」800円、「クロックムッシュ」800円、「クロックマダム」900円、「本日のお料理」950円と、900円均一の{Rio」より安いくらいだし、飲み物も付いている。コーヒー、特にカプチーノにはこだわりが感じられる。オフィスでは、新しく良い店を見つけると社内ネットの掲示板に書き込んで紹介しているが、この店は当分紹介せずにそっとしておきたい。

昼飯の話ばかりだが、今日の昼は娘に手渡すものがあり、地下鉄の駅前で待ち合わせ。夜にご馳走を食べるため昼は軽く済ませたいと言うので、「万惣」に行ってホットケーキで昼食に代える。


August 21, 2006 =Mon=

恒例、「松戸会」の暑気払い。今回から私が連絡役を引き受けさせられた。一番若いメンバーでも60歳くらいだから、連絡はメールでなくファックスで行っている。中にはリタイアして自宅にファックスもなく、郵送か電話でしか連絡の付かない人もいる。しかし、どうせメールは使っていないだろうと言う思い込みがあるのかもしれないと、出欠の返信ファックスに「メールアドレスを持っている人は書いてくれ〜」と付け加えて出したら、返事のあった35人中22人がメールアドレスを書いてよこした。年寄りだって3分の2はメールを使っているのだ。これからの連絡はメールとファックスを併用すれば多少とも楽になる。というわけで私が集めた出席メンバーは20人。どたキャンもなく全員が揃った。場所はオフィスから歩いて7〜8分、大手家電H社の神田錦町にある寮。ここは初めてだが料理もなかなかいい。例によって各自の近況報告に続いてM物産出身のIさんによる替え歌披露。何でも「丘灯至夫作詞、古関裕而作曲、藤山一郎の昭和28年の歌で『緑の雨』という歌」の替え歌でこの「松戸会」の歴史を歌っているのだが、元の歌を誰も知らないのが玉に瑕。気が早いにも程があるけど、今年の忘年会を12月1日に同じ店でやろうと決まり、予約を入れた。


August 19, 2006 =Sat=

新宿アイランドウィングビルにある旅行会社クラブツーリズムで、南極旅行の説明会があるというので、家の近くでもあるし、ひやかしがてら出かけた。説明会場は13階の会議室。ここからだと真正面にわが家が見える。南極旅行は、まず米国経由でブエノスアイレスまで行き、そこから南米大陸最南端のウシュアイアに飛んで、ここからクルーズ船で一週間前後かけて南極大陸からドレーク海峡に突き出した半島の先端を見るというもの。南極が夏を迎える1〜2月の短い間だけが観光に開かれる。南極大陸への船はウシュアイアのほか、オーストラリアのタスマニア島から、あるいは南アフリカのケープタウンからのコースもあるそうだが、これらは2000kmから3000kmの船旅となり、南米ルートが一番短い。それでも1000kmはあるとのこと。今回販売しているのは、バミューダ船籍のディスカバリー号を使う17日間のコースが来年2月3日発、それにバハマ船籍のマルコポーロ号を使う15日間のコースで、今年12月29日発と来年1月6日発、同14日発。しかし来年1月出発の二つはもう売り切れていて、今年12月のと来年2月のしか空きがない。船はディスカバリーが2万トン、マルコポーロが2万2千トンで、値段はディスカバリーが948,000円〜1,080,000円、マルコポーロの12月発が998,000円〜1,290,000円。ディスカバリーの方がツアー期間が長いのに値段が安いのはシーズンの違いが主だという。

説明によると、南極観光は自然保護の観点から年々制限が厳しくなってきており、現に今年からはかつて捕鯨基地でもあったポートロックロイが観光客の立ち入りが禁止となった。だから早く行かないと、将来は南極観光そのものが出来なくなる恐れもあるとのこと。だが、われわれはもう一つの観点、つまりなかなか行けないところは早く行っておかないと夫婦の片方が病気にでもなったら行けなくなるという問題の方が身近である。それで説明会が終わるとすぐにマルコポーロ号の一番安いのを仮予約した。安いのは船の客室が内側で窓がないのだが、アッパーデッキの特別室ならともかく、下のデッキでは外側の窓付きと言ってもどうせ嵌め殺しの小さな丸窓だけだし、普段はデッキやロビーに居て船室には寝に帰るだけだろうから、安い船室でいいだろう。出発が12月29日なので、15日間といっても休暇をとる日数は6日間で済むというのも魅力だ。

ところでこのクラブツーリズムという旅行会社だが、先月、ロシアに行ったときもこの会社だった。今までこれは近畿日本ツーリストの一部門か子会社だと思っていた。しかし、新宿アイランドウィングにある本社に行ってみると、16階建てのこのビルをほぼ全棟丸借りしている。子会社にしては規模が大きすぎると思ってネットで調べてみると、近ツリの会社案内ではグループ企業のところにクラブツーリズムの名前がない。それでクラブツーリズムの方のページを見ると、もともとは近ツリの一事業部門として渋谷営業所が中心になっていたらしいが、1980年代中ごろに今も送ってくる「旅の友」という旅行雑誌を創刊、これを別会社組織にし、この会社がクラブツーリズムに社名変更、さらに2004年にこの会社が近ツリから営業譲渡を受けたとある。この時点でMBOが行われたのかもしれない。上場会社でもないのになぜか「IR情報」として2004年から2006年の3月末のB/Sが掲載されているが、2004年3月期では資本金30百万円、利益剰余金100百万円と小ぶりなのが、2005年3月期は資本金25億円、資本剰余金24億円、利益剰余金▲13億円と大きく変化し、営業権149億円が計上されている。

南極旅行の説明会の後、すぐ向かいのスポーツジムに行き、7時前に新宿駅で妻と待ち合わせて渋谷へ。文化村通りの東急本店の脇を入ったあたりのビル4階に「お好み焼き 川中」がある。演歌歌手の川中美幸のお母さんがやっているお好み焼き屋さんだ。前に住んでいた町田市三輪緑山のわが家から30メートルほどの距離に川中美幸の家があった。その一帯は野村不動産が開発した住宅地だが、川中家は普通の家の四区画分を占める豪壮なもの。そして住宅地内の商店街にお母さんが「お好み焼き 川中」を出していた。われわれも時々そこに関西風のお好み焼きを食べに行っていた。お母さんが川中美幸のカセットテープや公演チケットをくれることもあった。少し前、緑山に行った妻が、「お好み焼き 川中」が閉まっているのでどうしたんだろうと心配していたが、渋谷に新たに開店したと聞きつけて行って見たら、おかあさんが相変わらず元気でやっているのを確認したので、今日は二人で来た次第である。お母さんは「旦那さんも変らへんなあ」と出迎えてくれたが、お母さんの方こそ今年で80歳になるというのに顔のつやもいいし、緑山の頃と少しも変っていない。妻は焼きそばの乗った「モダンミックス」、私はおかあさんが考え出したと言う、お餅とチーズの入った「モンチッチー」を注文。われわれの席に着いたお母さんが自ら手際よく焼きながらいろいろ話をしてくれる。川中一家は大阪に居たときは大阪環状線の鶴橋のとなり、桃谷に居たそうだ。小柄なお母さんだが、役者を目指したときもあったらしい。この店は表通りからは引っ込んでいるが、近くのNHKのアナウンサーだとか、芸能関係の有名人も結構やってくるらしい。「みんな美幸ちゃんのお陰やわ。」とおかあさん。


August 18, 2006 =Fri=

ホテルJALシティ長野の朝食は最上階16階のレストランでのビュッフェなので、なかなか眺めが良い。長野の店は夜は遅い代わりに朝は10時半開店だし、歩いて10分もかからないので、ゆっくりして10時前にチェックアウト。四時過ぎまで仕事をして4時48分長野発の「あさま540号」で直帰。


August 17, 2006 =Thu=

会社の出張で長野へ。今回の出張の主な目的は、会社そのものの経理ではなく、長野の店が関与している任意団体の経理を、現在の手作業処理からパッケージソフトを使っての処理に変更すること。実務を行うのは経理には素人の連中なので、余り経理知識がなくても使えるようにと、JDLの「出納帳」というソフトを導入することにした。これなら現場と本部の両方のパソコンにソフトを入れておけば、インターネット経由でデータをやり取りしてチェックすることも出来る。ただ、本来は企業会計用のソフトなので、任意団体の会計とは勘定科目なども違うし、カスタマイズが必要になる。データ量はたいしたことないので、前もって元データを送らせ、本部サイドでカスタマイズとデータ入力を行い、そのデータを長野に送って導入したソフトに読み込ませるという予定だった。ところが、実際にやってみるとデータや勘定科目はちゃんと送られるのに、本部サイドでカスタマイズした「摘要」などの変更が反映されない。本部に電話連絡して何度も送らせたが同じこと。JDLのサポートデスクに聞いても首を傾げるだけなので、現地でもう一度カスタマイズ作業を行わざるを得なかった。

こんなことを書いても関係のない人には何のことか分からないが、要はそういった事情で予定していた時間内に出張目的が果たせず、今日は長野で一泊することにした。この前の旭川もそうだったが、このお盆の季節、東京は人が少なくなるのに反して、長野あたりはむしろお盆の帰省で帰ってくる人のほうが多く、ホテルも混んでいるようだ。長野の店から近くのホテルJALシティ長野を予約してもらったが、「何だか予約担当の人が新人なのか頼りなさそうなので、何か問題があったら電話してください。」といわれた。8時ごろにチェックインしようとすると、案の定「あのう、ご予約はいつごろ伺いましたでしょうか?」ときた。会社に電話して「やっぱり予約が通ってなかったみたいよ」と言うのと入れ違いにマネージャーらしいのがメモを持って出てきて、係りの人に「これじゃないの?」と言っている様子。予約のメモが担当者にちゃんと渡ってなかったらしい。

会社の連中はまだ仕事があるようなので、一人で長野駅近くの居酒屋に行き、カウンターで逢坂剛の近作「牙をむく都会」を読みながら鹿児島産の芋焼酎「晴耕雨読」のロックを呑む。


August 15, 2006 =Tue=

61年目の終戦記念日。この日の朝、小泉のバカ殿は内外の批判に逆らって靖国神社に参拝した。こうなれば彼にとって戦没者や遺族の複雑な思いや外交上の国益など眼中になく、任期切れを目前に自分の意地を張り通すことしか考えていないのだろう。その跡を継ぐのがあの昭和の妖怪で戦犯容疑者の岸信介を尊敬する、孫の安倍信三ときてはこの国もお先真っ暗だ。彼らのために日本人全体が他国民の感情を理解しない恥知らずの国民だと思われるのは悲しいことだ。

小泉は広島・長崎の平和記念式典には出席こそしたものの、その挨拶は官僚の書いた文章を棒読みするだけの、本当に嫌々ながら出席したという気持ちを隠そうともしないものだった。そんな彼には、8月7日付の「きっこの日記」を読ませたい。もっとも小泉や安倍なら、ここに出てくる俳人・松尾あつゆきの句などに涙することもないだろうが。


August 14, 2006 =Mon=

やはり旭川まで来たら、美瑛・富良野は行ってみたい。本当は来年のラベンダーの見頃の季節に行くつもりだったが、急な用事で来たのでお盆と重なって飛行機やホテルは取り難い上にラベンダーはすでに盛りを過ぎている。仕事でこのあたりはしょっちゅう車で通っていると言う息子の運転で、午後から美瑛・富良野を訪れる。もっとも彼は観光目的で通っているわけではないので、道路沿いのところしか知らないと言う。そのお勧めは、旭川から国道237号を南下、美瑛町を通り過ぎた辺りにある「かんのファーム」。なるほどここなら国道から見える。駐車場に車を止めて花畑の方に行ってみると、赤や青紫のセルビアをはじめとして色んな花が縞模様を織り成している。しかしお目当てのラベンダーは案の定、色を失った枯れ草のような状態だった。まあ、ラベンダーもセルビアも同じしそ科なので似たようなものではあるのだろうが。ラベンダーはやはり7月中、遅くとも8月はじめまででないとだめらしい。

「美瑛も富良野も、どこへ行っても同じような景色だよ。」と息子は言うのだが、やはり個々まで来たからには一箇所だけで引き揚げるわけにはいかない。この近くに「四季彩の丘」というのがあると聞いて、少し道を戻り、美瑛町の中に入る。JR富良野線の踏み切りにひっかかる。北海道で踏み切りに引っかかるのはとても稀なことだそうだ。なにしろ一時間に一本あるかどうかの列車なのだから。踏み切りは列車が通過するよりかなり前から降りている。やがて単線をやってきた列車はノロッコ号という観光用の列車らしい。すぐに見つかった四季彩の丘は、「かんのファーム」よりも規模は大きいものの、基本的には息子の言うとおり同じような感じだ。ここもセルビアやジニア、向日葵などが遠くまで色鮮やかな縞模様を見せているが、ラベンダーは枯れ草状態であることに変りはない。四季彩の丘を散策中に空模様が怪しくなってくる。やがてポツリポツリと降り出した。夕立になりそうなので車に逃げ込む。

富良野へ行っても同じようなもんだよ、というが、もう一箇所だけ行ってみようと、中富良野の「ファーム富田」に向かう。途中雨が強くなったり弱くなったり、しかし時々青空も覗く。ファーム富田の手前でまた踏み切りにひっかかる。今度は列車をビデオに納めようと車を降りて踏み切りのところで構えていたら、何と列車が後ろ向きにやってきた。この頃には雨もあがっている。

ファーム富田は富良野でも一番ポピュラーな観光スポットで人も多い。ここのホームページにはラベンダー畑のライブ映像が見られるようになっており、出発前にみたところでもラベンダー特有の青紫色でなく、枯れたような色だったので最初から期待していなかった。でもずっと奥のほうに行くと、小さな区画ではあるが遅咲きの種類なのだろうか、まだ枯れていない畑が残っていた。

ファーム富田の売店でメロンを食べ、出発したのは午後四時過ぎ。もう一箇所、ワイン工場くらいは行けるよ、というが、帰りの飛行機は8時20分発。夕食の時間を考えるとそんなにのんびりしても居られないので切り上げて旭川に戻る。帰りの道はさすがにやや混んでいる。

息子が車の中から予約したのは御座敷居酒屋「大舟」。ここも先日のテレビの旭川特集で紹介されていた店で、旭川随一の繁華街三六、すなわち三条通六丁目にある。週末は休みの店で、テレビで紹介されてから今日がはじめての営業だとかでお客が多い。厨房の手が足りないのか注文の品がなかなか出てこず、本来はもっとゆっくりしたい店だが、飛行機の時間が迫っているので落ち着いても居られず、料理の味わいもそこそこにタクシーに乗り込む。この店の箸袋には旭川の薀蓄がぎっしりと書いてあった。


August 13, 2006 =Sun=

朝8時羽田発のJALで札幌千歳空港へ。先日発覚したロンドンでの航空機テロ計画の影響で国際線は機内への手荷物持込が全面禁止になるなど大混乱だが、国内線はそこまで厳しくはないものの、搭乗時の手荷物検査はかなり厳しくなっている。新千歳空港からJRで札幌経由旭川。札幌までの快速エアポート103号が札幌からはそのまま特急スーパーホワイトアロー9号になるのだが、札幌で列車の向きが変わり、それまでの先頭車両が最後尾となる。旭川まで直通で2時間余り。旭川まで飛行機だといいのだが、ちょうどお盆の混雑期。旭川行きの飛行機が満席だったため、やむなく羽田・札幌間1時間半より長い時間をかけて札幌から旭川まで移動することになった。そこまでしてこの混雑期に旭川まで出かけるのは、急に息子とあう用事ができたためだ。

旭川には昼過ぎに着いたが、息子との約束の時間は夕刻なので、少し時間をつぶす必要がある。

駅からホテルまで15分、熱い日差しの中なので、タクシーにしようかとも思ったが、さすがに北海道の夏は熱いといってもじとじとしたところがないので徒歩にした。旭川の道筋は、駅に近い方から順に一条通、二条通となっておりホテルがあるのは7条通。これらと直角に交差する道路にも名前がついていて、ホテルは昭和通に面する。そして昭和通の駅を背にして左側が6丁目で、ホテルは七条通六丁目と碁盤目状の街なのでとても分かりやすい。因みに三条通六丁目、通称「三六」が旭川一番の繁華街というか歓楽街なのだ。

ホテルにチェックインしたあと、旭川ラーメンの老舗「蜂屋」に。ここはホテルから駅よりに少し行った五条七丁目。駐車場の奥の安っぽい平屋だが、十人余りが並んでいる。いつもなら並ぶことはないと聞いていたのだが、一昨日の夜、テレビの旭川特集で放映されたことで観光客が押しかけているらしい。中は結構広いので、回転は速いだろうと列に並ぶ。案の定、15分ほどで入れる。醤油味と味噌味を注文。「こないだのテレビ、見たよ」と店員と言葉を交わすジモティもいるが、やはり観光客の方が多い。ラーメンが出てくるまでに少し時間がかかる。スープはトンコツを基本に魚の出汁を利かしたこってりしたもの。麺はやや太め。味はまずまずだが、比べればやはり家の近くの麺屋武蔵の方が上だろうと思う。

蜂屋を出てタクシーを拾い、旭山動物園へ。いい歳をして動物園もないものだが、この動物園、近頃とくに名を上げている。美瑛・富良野へのツアーには大概この旭山動物園が組み込まれている。タクシー運転手との会話。「旭川の景気はどう?」「悪いですね」「どんな会社があるの?」「東芝系でテレビなんか作ってるホクト電子って会社がありますけど、ほとんどタイに移っちゃったしね。昔は山陽国策パルプなんか代表的な会社だったんだけど。」「その会社、どこかと合併したんでしょ?」「ああそうでした。」「何かいい分野はないの?」「そういえば病院だけはいいですね。旭川医大病院、旭川赤十字病院、旭川市立病院と有名な病院が三つもあって、どれも遠くから受診に来ます。」「観光は?」「美瑛・富良野なんか観光客は多いけど、旭川空港から直接行っちゃって、市内にはあまり来ませんね。」「他に元気なのは?」「旭山動物園くらいですかね。」

その旭山動物園には、お盆で道が込んでいるから40分くらいかかると言われていたのに、道はすいすい走れて20分くらいで着いた。園内は確かに人の数が多いが、東京の感覚から言えばそれほど込んでいると言う感じではない。この動物園の人気の原因は、動物を見せるのにいろいろな工夫と手間を凝らしていることだ。ペンギン館では、普通なら池のある檻にいるペンギンを外から眺めるだけだが、ここではガラス張りの池の下を人間がくぐり、泳ぐペンギンを仰ぎ見るとか、オランウータンが観客の上30メートルほどの空中に渡したブリッジを渡って餌をとりに行くとか・・。

夕食は久しぶりに合った息子たちとしゃぶしゃぶの店へ。


August 12, 2006 =Sat=

二三日前に、通勤の帰り道の書店へ寄ると、こんな本が並んでいた。「東京 大人のウォーカー」9月号。9月号と言うからには月刊誌なのだろう。特集が「美味しい新宿みつけました」この「新宿」という文字を大きく目立つように印刷している。ということは月によって「銀座」とか「渋谷」とかの特集を行い、その地域での売上げを狙っているのかもしれない。そしてご当地新宿の書店には今月号が堆く積み上げられているというわけだ。一冊580円と少し高いので迷ったが、まあいいか、と購入した。

タイトルの通り、どういう基準で選んだのか40ページ近くにわたって新宿の飲食店が紹介されている。ほかにも20ページの別冊が付いていて、これも新宿の飲食店の紹介記事だ。別冊の方には私がよく行く小田急百貨店14階の「なだ万賓館」にある天麩羅「まつ井」や寿司「清水」も載っているが、ほかは行ったことのない店がほとんどだ。しかし、本文の方のラーメン特集には「実は大激戦!新宿のラーメン」として歌舞伎町と小滝橋通りのラーメン店が紹介されている。小滝橋通りは私が毎日通勤のために家から駅まで歩く道だ。ここで紹介されているのはかの有名な「麺屋武蔵」のほか、「蒙古タンメン中本」、「はなび屋」「もちもちの木」「つけそば黒門」の5店。麺屋武蔵にはいつも長い行列が出来ている。どうかすると道路を跨いで列が出来るので、道路幅で列が切れる。それで列に割り込まないよう、店員が列の切れたところで番をしている。麺屋武蔵の独特のスープは、実は店で作っているのではなく、うちのアパートの裏手を出たところにスープ専用の厨房があってそこで作っている。出来たスープをドラム缶のような容器に入れて店員が台車で店に運ぶのに出会うことがある。これらのラーメン店のうち、麺屋武蔵以外は行ったことがない。ラーメンは嫌いではないのだが、カロリーが高い。スポーツジムでエアロバイクを1時間やって、ご飯2杯半分のカロリーを消費すると、画面に「=ラーメン一杯」と出てくる。これを見るとラーメンを控える気持ちになってしまう。だが、せっかく近くに有名なラーメン店が多いのなら、たまにはここに紹介されている店を回ってみようかと思う。

August 11, 2006 =Fri=

ロンドンでの航空機テロ計画摘発で英国・米国路線を始め国際航空路線が大混乱している。スポーツドリンクなどに見せかけた液体物質を機内で合成して爆発させる計画だったとかで、機内への液体持込が一斉に規制されたうえ、パスポートと財布、搭乗券以外のものも機内持ち込みが禁止されているという。液体の規制は徹底していて、飲み物だけでなくコンタクトレンズの洗浄液、化粧水、飲み薬なども原則禁止。液体だけでなくクリーム状、ジェル状のものもダメで、練り歯磨きやクリームもだめ。もちろんノートパソコンや携帯電話も持ち込めない。まあ、こんな状態がそういつまで続くとも思えないが、安全のためにはやむを得ないとはいえ、これでは飛行機を利用すること自体、いや、海外へ渡航すること自体が億劫になる。ブッシュは例によって「イスラムのファシストども」という表現で怒鳴り散らしているが、こうした態度こそがイスラム社会の反発を招き、テロをエスカレートさせているのが分かっていないのだろうか。いや、今年11月の中間選挙で米国下院で共和党が過半数割れになり、あと2年の大統領任期がレイムダックになるところだったのに、今回のテロ未然摘発で戦争屋ブッシュへの支持が回復することを狙っているとすれば、イスラム過激派を挑発することこそ彼の計算どおりなのかもしれない。


August 6, 2006 =Sun=

岡山のホテルを出て「ひかり」で京都へ。京都駅で落ち合った甥と4人で五条坂の大谷本廟へ。少し遅れてきた妹夫婦と合計6人で、昨年亡くなった母の初盆の供養をする。ここはいわゆる「お墓マンション」で、社務所で手続してエレベータでわが家のお墓の区画に行き、売店で買ってきた小さい生花を供えながら、待っていると、若い僧侶がやってきて、専用の仏壇に電池式の蝋燭をつけ、電熱式のお香をセットする。僧侶がお経を上げ、途中で仏壇の正面を外すと、参列者が順に焼香する。終わると生花を取り、造花と入れ替えて仏壇を閉める。お香の残りは火事にならぬよう、指定された場所に捨てる。生花は外に出て明著堂というところに献花する。何かいかにも形式的に済ませる感じだ。

法事の後の食事をどうするか、決めていなかった。今日はお盆前の週末で混雑が予想されるため、この大谷本廟の駐車場は使用禁止になっている。いつもは妹の車を使うのだが、今日は全員電車できている。母の生前、ここに参ったときにタクシーに乗るのにずいぶん時間がかかった経験があり、足の便がないとどこに行くにも不自由だ。しかし今日は時間が少し早いせいか、タクシー乗り場の列は短い。外国にはよく行くくせに京都は初めてだという娘が、「お寺はいいけど、どこか京都らしい町並みのあるところに行きたい。」というので、前に行ったことのある祇園花見小路の「やげんぼり」に電話してみた。6人だというと「二階の個室が空いています。」というのでタクシーに分乗して花見小路へ。一力茶屋の前で降りて向かいの角を曲がると「やげんぼり(薬研堀)」の暖簾が見える。二階に案内されるとちょうどいい広さの掘り炬燵式の個室だった。5000円程度のミニ懐石だが、料理一品ごとに板前さんが説明してくれる。ただ、ちょっと時間がかかるのが難点だが、これも京都らしさだ。やげんぼりには米国人の版画家クリフトン・カーフの作品が多く飾られているのだが、この個室にはコースターの絵柄を除いて版画がなかったのが少し残念。

食事を終えて妹夫婦や甥と別れ、花見小路近辺を散策する。娘はこの町並みが気に入ったようだ。しかし表通りは車がうるさいので、建仁寺に突き当たったあたりで一本裏の西花見小路に入る。この通りは静かで、一見では入れない敷居の高い店が並んでいる。その中に娘が、店の前にパンフレットを並べた、「丸梅」という店を見つけた。舞妓さんを囲んで写真を撮ったり話をしたりできるという。一人4800円を払って中に入ると、やがて若い舞妓さんが到着。お客は母娘らしい3人組と、ニューヨークから来た娘連れの夫婦とそのガイド、それに私たちで計10人。会話をしながら抹茶を点ててくれる。舞妓さんはまだ16歳。去年中学を出て、「仕込み」期間を終えて舞妓になったばかり。年季勤めが5年あるそうだ。未成年だからお酒の席にはつけないはずだが、舞妓は特別だそうで、未成年者飲酒禁止法なんてのはここ京都では伝統が優先する。「警察の偉いさんのお席でも、杯をくだはります。」完全に京都言葉だが、出身は関東で、言葉から勉強したと言う。「祇園小唄」を舞ってくれたが、踊りは井上流で、この流儀は能から発しているので、舞っている間能面のように表情を動かさないのが特徴なのだそうだ。


August 5, 2006 =Sat=

朝8時36分東京発の「ひかり」で妻と娘と共に福山に向かう。途中、岡山で乗り換えて福山に着いたのが午後1時過ぎ。「ひかり」にしたのは高齢者用の「じぱんぐクラブ」の割引を使うためだ。福山からタクシーで30分。海の中をくの字に曲がった内海大橋を渡ると田島という島に入る。そのまま海沿いの道を進み、隣の横島へ渡る睦橋の手前を左に道をとると古い集落に入る。タクシーの運転手には目印として「田島ホテル」のとなり、と告げてあるのだが、このホテルは廃業しているらしい。タクシーは少し道を迷ったが、やがて目指す家の前に停まる。その家には「金光教田島教会」とある。玄関を入ると、そこは大勢の人が出入りする目的の建物らしく、右手にオープンの下足入れがある。妻が「こんにちは」と声をかけると、奥から小柄な老人が出てくる。袈裟のようなものを纏い、どうやらこの教会の神主さん(というのだろうか)らしい。

話は今から57年前に遡る。この田島という瀬戸内海の島で、妻は9歳の頃、数ヶ月を過ごした。小学生のときに結核に罹り、12歳までは持たないと診断された。周囲でも結核に冒された子供たちが次々に亡くなっていった。戦後の食べるものにも事欠く時代、両親は六甲の山手の自宅周辺に持っていた伝来の土地を切り売りし、そのお金で手に入りにくい高価な薬を買い求め、贅沢な食事を幼い妻に与えつづけた。しかし彼女には食欲がなく、食事の時間が苦痛ですらあった。一向に好転しない病状に業を煮やした両親は、最後の頼みと母親の姉(妻の叔母)が金光教会を運営している田島に連れて行き、叔母に彼女を託した。この叔母が金光教の教会の主になる前には、大変な辛酸のドラマがあったらしいが、それはさておく。目の前の海で遊び、食べ物と言えば海で獲れる小魚に畑で取れる野菜。少し慣れると今までなかった食欲が旺盛になり、病魔はあっけなく退散した。

12歳までしか生きられないはずだった妻は、現在66歳。田島に行って見たいと口癖のように言っていたのが、今日実現した。ここに来る計画を立てるに当たって、金光教のホームページを覗いて、各地の教会の電話番号を調べたが、田島教会というのは載っていない。叔母はとっくに亡くなっていて、叔母の身内も教会を継いでいないと聞いていたので、教会との音信も途絶えている。もしかしたらもう廃止になったのかも、と適当に見当をつけて近くにありそうな教会に電話してみると、田島教会の電話を教えてくれた。ようやく連絡が取れた教会の神主は、妻とは血の繋がりはないものの、妻の家族のことを良く覚えていた。妻の母が昨年5月になくなったこともどこから連絡があったのか知っていて、少し遅いが一周忌のお祈りをしてあげようと、母のこと、父のこと、弟妹のことをいろいろと聞いてきた。驚いたことに40年前に亡くなった妻の妹のことまで覚えていた。

神主は、初対面の挨拶もそこそこに、烏帽子を被った正式の装束に着替え、玄関の横にある神殿に入った。われわれ3人が折りたたみ椅子にかけ、神主は神殿に向かって語りかける。金光教は神道の一派なので、自然の営みを神と見て、その神に人々の悩みや苦しみの訴えを取り次ぐのが神主の役割らしい。見ていると、折りたたんだ奉書にびっしりと毛筆で書かれた文章を読み上げているのだが、その内容が妻の両親のこと、弟妹のこと、加えて夫である私や娘のことまで含まれている。電話で聞いてきたことがすべて古文体の文章になって神様に取り次がれている。神殿は正面にあり、神主はまず神殿に向かって取次ぎを行い、次にその左側にある先祖の霊を祀った「霊前」にも語りかける。「霊前」にはこの教会の創設者である妻の叔母の写真が掲げられている。終わると正面右側に柵で囲った小さなスペース(これを「結界」といって取次ぎを行う神主の座である。)に戻り、われわれに話しかける。

一通りお祈りが済むと、叔母が眠るお墓に参ることにする。編み笠を被った神主が先頭に立ち、家々の間を抜けると少し山道になる。そこここに近隣の人たちが耕す畑があり、トマト、きゅうり、ゴーヤ、西瓜、茄子などが栽培されている。海を一望しながら夏の日に照らされた道を進んでいくと、蝉の声が耳を聾するほどに沸きあがる。一本の木の下を通りがかると、数十匹の蝉がいっせいに飛び立って、蝉などほとんど見たことのない娘を驚かせる。やがてついた墓地の一角に、比較的大きいものの質素な墓石が二つ並んでいる。一基が教会創設者である叔母の墓、その隣の一基は金光教信徒の墓だ。墓石に水をかけ、神主が祈りを捧げる。金光教の儀式では一礼、四拍手、一礼という形式を踏む。

もと来た道を戻り、教会に帰り着くと、今度はわれわれは近くの海に泳ぎに行くことにする。隣の横島に行くと立派な設備の整った海水浴場もあるそうだが、妻は子供の頃に泳いだ教会のすぐ前の海に行きたいという。神主の奥さんが軽自動車で案内してくれる。福山からのバスが一日に数本しかないこの島では、車は必需品だ。妻が泳いだ海はコンクリートの護岸で囲まれ、昔の面影はない。それでそこから10分ほど行った、地元の人しか行かない浜に連れて行ってもらう。横田漁港の近くで、ここも護岸工事はなされているが、コンクリート壁とテトラポットの向うに小さいけれど砂浜が広がっている。地元の親子連れが二組ほどいたが、われわれと入れ替わりに帰って行き、貸切り状態になる。水は温かく、波はほとんどない。沖縄の海ほどではないが、海水の透明度は高い。浜辺近くの海を泳ぎまわる小魚の群れを眺めながら二時間ほどを過ごす。

教会に戻ってシャワーを浴びると、すごいご馳走が待っていた。奥さんが手作りで拵えた、地元で獲れた魚や野菜を主体の料理だ。妻の命を救った質素な料理と同じ材料かもしれないが、手が込んだ分、ずっと豪華だ。蝦蛄(この地方の方言では「どんばる」という。)の酒蒸、「ねふと」と呼ばれる小魚のフライ、名も知らない魚の煮付け。何ともいえないいい味の味噌をつけて食べるもぎたての胡瓜。手作りの漬物。食べきれずに小魚のフライと漬物は残りをタッパウェアに入れて持って帰ることになった。奥さんに軽自動車で福山駅まで送ってもらい、新幹線で岡山に戻る。岡山駅近くの超格安のビジネスホテルに一泊する。

金光教という宗教、普通ならその施設で数ヶ月を過ごしたおかげで死の病から助かったのなら、一家を挙げて入信するというのが図式だろう。ましてやその教会の創設者の身内でもあるわけだから。しかし、妻もその両親も全くそんな気はなかったようだ。そして教会の側も入信を強制するようなことはしなかったらしい。今回の訪問でも、何も知らなかった私は、入信の勧誘でも受けるのではないかと思っていたが、全くそんな気配はない。神主や奥さんの話では、昔は90人くらいの信徒がいたのだが、みんな高齢者でだんだんと亡くなり、その子供たちが信徒になることもなく、今は30人くらいだという。神主一家の生活も厳しいのだろう。「金光教はおとなしいから・・」と帰りの車を運転しながら奥さんが呟いていた。


August 3, 2006 =Thu=

昔の仲間2人とオフィスの近くの「みますや」で。この二人、私よりそれぞれ7歳、9歳若い友人でどちらもW君という同性。漢字で書くと少し違うのだが、Wh君とWj君。このイニシアルの意味は、一緒に仕事をしていた当時、服装の派手なほうを「ハデW」地味な方を「ジミW」と読んでいたことに由来する。若いWj君のほうはもう数年前に会社を辞め、江ノ島の方で庭仕事や畑仕事をしながら文字通り晴好雨読の暮らしをしている。Wh君のほうはまだ現役で、ベラルーシでバレーをやっていたお嬢さんが白ロシア人の男性バレリーナと結婚し、いま日本に帰っていて、チェルノブイリの子供たちを支援するチャリティコンサートをやるそうだ。Wj君は、今日の場所が神田の「みますや」だと連絡したら、「居酒屋評論家」太田和彦氏の著書をコピーして持ってきてくれた。太田氏によると、「東京の居酒屋は「みますや」に始まり、「みますや」に終わる。」そうだ。こうした古い建物で昔の仲間と飲んでいると時代がタイムスリップしたような具合で、少し呑みすぎたようだ。


August 2, 2006 =Wed=

月に一度の幹部連絡会のため久しぶりに熊谷に出勤。熊谷のショッピングセンターの土地建物の権利関係が複雑になっているのだが、その関係で世話になっている弁護士が、一度実地に見ておかないとイメージがわかないというので、この日に合わせて来てもらうことになっていた。昼過ぎに弁護士が到着したので、会議を抜け出してショッピングセンターを案内。熊谷には昨年7月から今年の2月まで居たのだが、デスクワーク中心で建物、とくに立体駐車場などには足を踏み入れたことがなかった。権利関係が複雑なのはこの駐車場関係なので、弁護士も店舗よりここに興味があるらしく、立駐や屋上駐車場を中心に見て回ったが、こちらにもとても参考になった。

妻の事務所でインターネットを導入することになった。今頃になってやっと、と言う感じだが、以前、私が導入を進めたときには乗り気でなかったくせに、コンピュータの入れ替えを行ったのを機に導入を決めると、自分ではちんぷんかんぷんなのでこちらに頼んできたのはいいのだが、今度は早く早くとせきたてられる。いろいろ調べてみると、事務所のあるビルにはKDDIの光回線は入っているがNTTは入っていないので、KDDIでやるのが早いということがわかった。KDDIであっても電話も光回線に変えて従来どおりの電話番号を継続することも出来るらしい。しかし、申込から開通まで1ヶ月から1ヶ月半はかかるとのこと。


August 1, 2006 =Tue=

昨日に続いて今日も涼しい、と思ったら9月の気候だという。梅雨が明けたら夏を飛ばして秋になってしまうってことはないだろうが。そして昨日に続いて今日も娘と昼食を共にする。「お蕎麦が食べたい。」と言うので、12時を過ぎたばかりだし少し待つのは覚悟で「藪そば」に行ったら全く待つことなしに席につけた。二人とも「せいろ」と「天たね」で、「せいろ」はさすがに一枚では足りず、もう一枚追加して半分ずつ。帳場で「せいろう〜〜にま〜い〜」と独特の調子で注文を取り次いでいるのは、今日は大女将と思しき年齢の女性。この前きた時は若女将らしい人だったが、お腹が目立っていたのでお産で休んでいるのだろう。娘は「お蕎麦にしちゃ高いね。私には土風炉のお蕎麦のほうが美味しい」そうだ。娘夫婦は私たちがロシアに行っている間、タイに行ってたが、「今度はモルディブとドバイに行きたい」と。モルディブはともかく、ドバイなんて、むかしは観光で行くようなところではなかった筈だが。




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