October 31, 2006 =Tue=
仕事で久しぶりに熊谷に行った後、内幸町に戻って富国生命ビルの日比谷聘珍楼へ。私の派遣元であるMC*Jの慰労会。対象は私と同様にOB活用策の一環として関連会社に派遣されたりMC*Jで関連会社の経理などの業務を担当しているひとたち、つまり高年齢者ばかり。この前の経理部OB会とかぶっているメンバーも多いが、30人くらいのシッティングなのでゆっくり食事ができた、というか、また飲みすぎ、食べすぎ。
October 27, 2006 =Fri=
元の勤務先である商社の経理部OB会。今年新築された丸の内の本社ビル最上階にある「三菱クラブ」が会場。配られた名簿によれば出席者はOB135名に現役28名。対象OBの数は600人くらいいるそうだが、必ずしも関東圏にばかり住んでいるわけではないから、出席率とすればまずまずといったところ。大阪から出てきた人たちも数人いる。新しい本社ビルを見に来るという目的もあるようだ。CFOの挨拶では、「31日に発表予定の中間決算について触れるとインサイダー情報になってしまうので」ということだが、全体的にはまだまだ強気の感触。一年前にはまだ残っていた年金基金の積立不足も、株価の上昇などで1000億円ほど改善し、いまでは600億円程度積立過剰になっているとOBを安心させることも忘れない。この会合では出席者の3分の2以上が顔見知りなので、なかなか話が尽きず、ブッフェスタイルの食事をとる機会が少なくなる。散会後、OAZOの喫茶店で同期のN君とお茶にする。彼を含め、悠々自適を楽しむ仲間も増えている。
October 26, 2006 =Thu=
娘に頼まれた書類を取りに九段下の千代田区役所に行く。昨夜も妻と娘のところに行き、安静を要する娘の代わりに「ノエル」を散歩に連れ出し、JRの市谷駅から四谷駅までを往復した。九段下から市谷までは地下鉄で一駅だ。JRの一駅よりも短いだろうと思い込み、靖国通りを市谷方面に歩き出した。インド大使館の近くを通りがかると、「ムンバイ」という名のインド料理店がある。神田のオフィスの近くに最近オープンしたインド料理店があって、やはり「ムンバイ」という。その店の看板に、「インド大使館御用達」と書いてあるが、どうして神田のちっちゃなインド料理店が大使館御用達なのかと思ったら、大使館の近くにある本店が大使館御用達なのであって、神田にできた店はその支店なのだそうだ。だとするとこの靖国通りに面した店が「大使館御用達」の本店なのだろうと思って、お昼もまだ食べてないしと入ってみた。中は結構広く、もう1時半近いのにほぼ満席。お客の半分以上はインド人やコーカシアンだ。ランチメニューは800円で高くはない。日替わりのカレーを注文。すぐに出てきたのはカリフラワーとチキンのカレー。大きなナンが付いている。これが結構おいしい。さすがは大使館御用達だけのことはある。ランチ注文のお客さんには200円で飲み物サービスとある。マンゴラッシーを頼んだが、これがまた素晴らしくおいしかった。レジの女性に千円札を出すと「200円のお釣です。」「あれ、マンゴラッシーも頼んだんだけど」と言うと、「レジに打ち忘れたから、いいです。」だって。「ここ、最近神田にも出したよね。」と聞くと、「ええ、神田が5店目です。四谷と本郷と、あともう一軒・・どこだか忘れちゃいました。」
娘の家から今日もノエルを散歩に連れ出す。いつもは夜だが、今日は初めて昼間のお散歩。五番町の三年坂に面したマンションから坂を下るといつもの散歩コースである線路際の遊歩道に出る。ここは昼間でも人が少ない。時々、同じように散歩中の犬に出会うとノエルは興奮して吼え始める。だがそのほかのときはおとなしい。この遊歩道、昼間だといっそういい感じだ。遊歩道は四ッ谷駅まで続き、駅で橋を渡ると線路の反対側、迎賓館方面から来る通りに平行して車の通らない散歩道が外堀公園に向けて下っている。テニスコートや野球場を過ぎると靖国通りに沿って市ヶ谷駅に向かう。駅に付く頃には1時間くらいが経過しているが、ノエルは長い散歩に疲れたのか、駅前の雑踏に驚くのか、人通りの多いこのあたりで立ち止まって動かなくなってしまう。これは昨夜も同じだった。
October 24, 2006 =Tue=
火曜日は四谷の日本コントラクトブリッジ連盟で初心者コースを受ける日。これまでは7時の開始に滑り込み、9時過ぎに終わってからその近くで夕食を取っていたが、今日は一日5時間勤務のおかげで5時半には四ッ谷駅のアトレで夕食の後、教室に出ることができた。10時前に夕食では体にも良くない。今日は体験教室で一緒だったAさんご夫妻との対戦で、最初は負け続けていたが終盤にダブルをかけたのを機会に点数ではわれわれが圧倒できた。それにしてもコントラクトブリッジというゲームも覚えることが多い。
October 23, 2006 =Mon=
先週木曜日から週3日、一日5時間勤務になったのだが、木曜は休み、金曜は長野へ出張だったので、実質的には今日がはじめての5時間勤務。10時に出社して4時には帰る予定だったが、見なければいけない書類はいっぱい溜まっているし、会議があったり来客があったりで、やはり結局は終業は6時過ぎになってしまった。いきなり仕事を部下に押し付けるのも気の毒だし、まあ徐々に新しい体制を作っていくしかないのだろう。
October 22, 2006 =Sun=
昨夜、以前からある外付けHDに退避させていたデータを、新しく買ったミラーリングHDに移す作業を始めたが、ここでちょっとしたネックになったのが、私のパソコンではUSBのホストコントローラがまだ1.1であること。後で買ったノートパソコンのほうはUSB2.0に対応しているのだが、いままでUSBメモリなどとデータをやり取りする程度ではそのスピードの違いにはほとんど気づかなかった。しかし今回、HDのデータをほとんど丸ごと移し変えることになるとその差は歴然だ。昨夜、既存HDからミラーリングHDにこぴーをはじめ、そのまま寝てしまったのだが、朝起きてもまだ3分の2ほどしか終わっていない。パソコンとHDは夜中も律儀にコピー作業を続けていたようなのだが、なにしろ物理的なスピードが遅いのだから仕方がない。朝食を終わってもまだあと2〜3時間はかかりそうなので、そのままにして外出。

神仏などには縁遠い妻が、水天宮に行こうと言い出した。誰に聞いてきたのか、安産祈願のお守りを貰いにいくというのだ。妻も浜町のほうに用事があるので、4時に水天宮で待ち合わせ。私の本籍登録をしているのが水天宮のすぐ近くにある中央区役所日本橋出張所なので、戸籍謄本を取ったりするのに地下鉄の水天宮には何度も来ているが、水天宮の境内に足を踏み入れることは滅多になかった。安産祈願で有名な神社なので、戌の日のほうが人出も多いらしいが、それでも妊婦らしい夫婦やお礼参りの赤ちゃん連れの人たちが結構きている。腹帯とお守りのセットになったのを3000円で頂く。祈祷済みの腹帯だそうだ。だけど、娘のところはクリスチャンだから、こんなお守りは渡していいんだろうかという疑問も生じる。
せっかくここまで来たのだからと、人形町の今半で夕食をとる。ここの一階はステーキハウス、二階がすき焼きやしゃぶしゃぶなど鍋物や会席料理のお座敷になっているが、われわれは二階ですき焼きにする。土・日・祭日限定メニューで8400円と少し高いが、肉は今半だけあっておいしく、仲居さんがついて全部作ってくれる。今日の肉は宮崎産ということで、すき焼きの肉は一律120グラム。値段の違いは肉質の違いによるものだそうだ。今半は明治28年創業だが、後に創業者の長男が浅草今半を継ぎ、次男が人形町今半を継いで現在に至っている。今日もカロリーを摂りすぎたようだ。
October 21, 2006 =Sat=
妻の事務所で8月に光回線を入れてようやくインターネット接続ができるようになった。いまどき税理士事務所でインターネットなしでやってこられたのが不思議なくらいだが、本人が使えないのではどうしようもない。だが、家でインターネットを少しは使えるようになり、また顧問先からもデータをインターネット経由で送りたいというところが出てくると、やはり入れなければということになった。どうせ入れるなら光だが、事務所の入っているビルはKDDIの回線は来ているがNTTやYahoo
BBは来ていないので、KDDIの回線を入れて、ついでに電話もKDDIの光電話に変えた。本人はそのあたりのことがよく分からないので私が手続きを行ったのだが、後になるとNTTからKDDIに変えたことでいろいろと不都合も出てきたようだ。たとえばNTTの電話帳のタウンページに事務所の電話が載らないというような。もう一つ、今まではNTTで着信転送の付加サービスを契約していたのだが、KDDIに変更してこの付加サービスを申し込んでいなかった。KDDIでは付加サービスの申し込みや設定をネット経由でできるのだが、それに必要なIDやパスワードの通知書がどこにあるのか分からなかったりで、大騒ぎしたが、何とか探し出して設定を完了した。
私のパソコンの復旧作業は先週の土曜日から一週間かかってやっと何とか完了したが、ハードディスクのクラッシュによるデータ消失リスクには懲りたので、この問題の根本的解決を図る必要がある。一番簡単なのは外付けハードディスクにバックアップを取ることだが、今までだって外付けHDは接続しているのにバックアップ作業を行っていなかった。自動的にバックアップが取れる方法はないかと考えていたら、ビックカメラで格好の品を見つけた。Buffaloから出ているミラーリングタイプのハードディスクだ。2台合計で500GBから1.5TBのハードディスクが一つの筐体に収まっていて、たとえば500GBのものなら@250GBx2台のドライブとして使えるほか、A二つを合わせて500GBの一ドライブとしても使えるし、B250GBのハードディスクとして使い、ここに書き込んだデータはもう1台の方にも同時に書き込まれる(ミラーリング)という使い方もできる。各アプリケーションのデータ書き込み場所をこのHDに設定しておけば、バックアップのことを忘れていても自動的にバックアップされることになり、内臓HDのクラッシュはもちろん、このHDの片方がいかれてもデータはもう片方に残っているというわけ。店員に「これ、OSがVistaになっても使える?」と聞くと、「さあ、まだXPまでしか確認されていません。多分大丈夫だとは思いますが、現時点では不明としかお答えできません。」まあ、そりゃそうだろう。Vista移行のリスクを考えて一番小さい500GBのにしておこうかとも思ったが、思い切って1TB(500GB+ミラー500GB)のを購入した。値段は59,800円に「本日限り10%引き」で53,820円、それにポイント還元が18%あるので実質的には44,000円くらい。大事なデータを保護するためには決して高くはないと思う。なにしろテラバイトなんだから。むかし、1GBのHDを4万円くらいで買ったとき、HDもずいぶん安くなったと感心した覚えがあるが、今回は同じ値段で容量は1000倍。
October 20, 2006 =Fri=
朝8時25分新宿発の湘南新宿ラインで大宮、新幹線「あさま」に乗り換えて長野へ。長野もまだ暑いくらいだが、さすがに冬の訪れは早いとのこと。仕事を済ませて3時10分発の「あさま」で東京に戻る。往復とも自由席でかなり混んでいたが座っ
ていけた。自由席は1号車から4号車、この場合普通は3号車が喫煙車になるのだが、「あさま」は全席禁煙。新幹線全部そうしてくれればいいのだが、というのは15年前に禁煙に成功した元ヘビースモーカーの勝手な言い分。
市谷で降りて、五番町の娘の家に。動けない娘に代わって「ノエル」を散歩に連れて行く。昔、町田に住んでいた頃に飼っていた雑種犬の「チャロ」と違って、「ノエル」の場合は扱いがとても難しい。マンションなのでエレベータ内は抱いていなければならないが、外に出て地面に下ろすときもそっと気をつけて下ろしてやらないと、飛び降りて足の骨を折ってしまうそうだ。ポメラニアンは骨が細いらしい。JRの線路沿いに、四谷駅にかけて狭いけれど落ち着いた遊歩道が整備されている。コンクリートやアスファルトで固めた道路でなく、車も通らない、都心とは思えない道だ。あたりは隻葉学園とか東京中華学校とかで静かな雰囲気。犬の散歩には絶好の場所。もう暗くなっていたが、明るいときに散歩するのもよさそうだ。
October 19, 2005 =Thu=
今日から週三日勤務で、原則として月・火・木曜日の勤務ということに決めたので、本来なら今日は出勤日だが、金曜に長野に出張する用件があるので今日は休みにした。ウィークデイに休みというのは旅行とか用事があって有給休暇をとる場合以外は、去年の5月にそれまで勤めていた美容の会社を退職して以来。その際は、結局は2ヶ月半ほど後には今の仕事に就くことになったので束の間ではあったが、仕事のことは何も考えないでいいという意味での開放感はあった。スポーツジムに通うにしても、回りがオフィス街なので、みんなが働いているときに、こちらはサンダル履きでジムに行くことに心を擽られるような優越感?を感じたりしたものだ。しかし、今回はまだ半分は仕事の世界に身を置いているわけだから、開放感に浸るというわけにはいかない。
October 18, 2006 =Wed=
今の勤務は派遣契約だが、これまでのフル勤務は今日で終わり、明日からは週三日勤務になる。少しゆっくりしたいし、年金も貰いたい。今のままだと企業年金は入るが厚生年金は支給停止になっている。厚生年金を受けるためには週三日、それも一日5時間程度に勤務時間を制限する必要があるらしい。勤務をやめれば問題はないのだが、いきなりやめたら同僚たちに迷惑がかかるし、何も仕事をしないで悠々自適というには少し早いかな、とも思う。
ところで、今日付けの「きっこの日記」で、耐震偽装問題に絡んで別件逮捕された藤田社長の「爆弾発言」として、アパグループの耐震偽装マンション告発があった。藤田社長の第一審判決が出るタイミングで、この日、判決後の記者会見で藤田社長自身もこの告発を報道各社に配布したという。しかし、新聞にもテレビにもこのニュースはまったく触れられていない。アパグループといえば、アパホテルの「私が社長です」という台詞でおなじみの女社長は、昨年9月の「平成世直し劇」で妻とも競演しているのだが、同グループのホームページを見ると、その総帥は女社長のご亭主で、彼のエッセイでは安倍晋三を持ち上げている。それもそのはずで、この男は安倍晋三の裏後援会である安晋会(沖縄でなぞの死を遂げたライブドア元幹部の野口氏も安晋会の理事だった。)の副会長なのだ。藤田社長が記者会見で「きっこの日記」に紹介された文書を配布したことは、このアパグループが今日、ホームページに反論書を掲載し「藤田氏を名誉毀損で告訴することを検討する。」としていることからも間違いはない。本来ならマスコミが飛びつくはずのニュースを、ほとんどすべてのメディアが無視を決め込んでいること自体が、この国の政治の闇を感じさせる。
October 17, 2006 =Tue=
四谷のブリッジ教室のあと、妻と五番町の娘の家に寄る。今日は娘の夫が出張中で、昼間は妻が妊娠中の娘の手伝いに行っていた。妻は娘と夕食を済ませてブリッジ教室に来たのだが、私の夕食はは娘のところで残り物でいいだろうということになった。JRで一駅の距離ではあるが、四谷から歩いて15分もかからない。娘の家には彼女の親友の「みっきー」さんが来ていた。「みっきー」は娘の中・高校時代にテニス部で一緒だったのだが、いわゆる帰国子女で、今はニューヨークでグラフィック・デザインの仕事をしている。今度、勤め先を替わるので、少し休みがとれて帰国したらしい。ちょっと日本語が怪しくなっているところもあるが、最近のニューヨークの話など聞かせてもらった。新しい勤め先は、私がいた会社のニューヨーク現地法人本社のすぐ近くのようだ。
娘の家に行くとポメラニアンの「ノエル」が纏わり着いてくる。今日は珍しく来客が多いので「ノエル」も興奮しているようだ。
October 16, 2006 =Mon=
『憲法九条を世界遺産に』(太田光・中沢新一)を読む。太田光は漫才コンビ「爆笑問題」のガキっぽい顔をしたお笑い芸人だと思っ
ていたが、この本を読んでその素晴らしい感性と知性に頭が下がる思いがした。次のような文章が「お笑い芸人」の言葉と思えるだろうか。
「人間同士も、相手を愛するためには、自分なりに相手の像をつくりあげて、理解しあおうとする。勝手に相手の像をつくりあげるわけだから、これもひとつの擬人化行為ですよね。先ほどのテリー・ギリアムの作品に対する僕の「誤解」も擬人化です。(宮沢)賢治のように、人間や動物、自然への愛情が深い人ほど、擬人化の思想にのめり込んでいく。その先にあるのは何だろうか。強烈な愛情ほど、人を深く傷つける可能性を含んでいる。深い愛情をもって、人を殺すということが起こり得るのではないかと、考えてしまうわけです。賢治が宗教的思想に傾倒したのは、愛が深かったゆえの業ではないかと。
平和のもんだいというのは、最終的には、人間の持っている愛とは何かという問題に突き当たると思うんです。愛が人類を破滅させる危険も十分にある。愛がなければ、戦争も起きませんからね。」
「天皇を日本文化の中心とみるが、右翼ではなく、同時にレーニンを崇拝するが、共産主義者ではなく、さらに憲法九条を肯定的に見るが、梅原猛らに連なる戦後民主主義者ではない(Wikipedia)」といわれる中沢新一の発言は論理の飛躍が大きすぎてついていけないことがあるが、太田光の方は大衆相手の「お笑い芸」の世界に身を置くだけあってとても分かりやすい。二人の対談は宮沢賢治のことから始まる。「あれほど動物や自然を愛し、命の大切さを語っていた賢治が、なぜ田中智学や石原莞爾のような日蓮主義者たちの思想に傾倒していったのか、そこがわからない。僕は賢治の作品を信頼するけれど、戦争は否定したい。そこが相容れない。」という太田は、さらに「だから、僕は、ここで過去に起きた戦争を一回肯定してみるひつようがあるんじゃないかと思います。宮沢賢治も、田中智学も、そして石原莞爾でさえ一度肯定してみる必要があると思うんです。すると、今までふたをして隠してきたもの、見えなかったものが見えてくるんじゃないかと。」と続ける。そして、日本人の内にある宮沢賢治的なものと、日本国憲法のあり方が、深い根っこでつながっている。
「戦争をしていた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか。」「僕は、日本国憲法というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇跡だと思ってるんです。この憲法は、アメリカによって押し付けられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそうは思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。」「その奇跡の憲法を、自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で、変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。」
安倍政権が成立し、世の中「右へ習え」の風潮が蔓延している中に、ようやく太田光のような人物が出てきてくれたことは嬉しい。そういえば、最近は書店でも『井上ひさしの子供につたえる日本国憲法』など、平和憲法を守ろうという本も結構見かけるようになってきた。改憲派が小林よしのりのように漫画を通じて若者を惹きこんだのであれば、太田光のような人物がマスメディアを通じて護憲の立場を若い人たちに広めてくれるかも知れない。
この本を読んで、太田光という人間に興味を抱いたこともあって、彼のことをWikipediaで少し調べてみた。面白いのは、彼の漫才コンビである「爆笑問題」をマネージしている事務所「タイタン」の代表・太田光代が彼の奥さんで、太田・田中のコンビがもともと所属していたプロダクションから独立し、そのいざこざで仕事を干されたとき、田中がコンビニ店員のアルバイトで、奥さんがパチンコで生活費を稼ぎ、太田はゲームに熱中していたという。太田・田中コンビが二人とも下戸で酒を飲まないのだが、奥さんは酒豪だそうだ。この奥さんが嫉妬深くて、太田が浮気をしている夢を見ただけで太田をとっちめる。そうすると太田は「君がそんな夢を見たのは僕が悪いからだ。」と謝るという。
October 14, 2006 =Sat=
デルから交換用のハードディスクが届いた。一昨日、宅配業者の不在者票が入っていたのだが、平日は受け取れないので今日朝の配達にしてもらった。スポーツジムから帰ってから作業を始めたのだが、どうも億劫だ。昔ならパソコンのケースを開けて中をいじることに他の下を感じた頃もあったのだが、今は億劫な思いしかない。データは外付けハードディスクに退避させたのだが、もしかすると"My
Document"や"Desktop"以外のところに大事なデータが残っているかもしれない。だが、そんなことを気にしていても前に進まないのでともかくパソコン本体を取り出した。ずっと動かしていないパソコンデスクの背後には、雑然とした何本ものケーブルの間に埃が溜まっている。埃以外にもいろんなものがデスクの背後に落っこちていたりする。ケーブル類を取り外し、掃除機で埃などを取り除く。本体を抱えてリビングのテーブルに横たえ、カバーを開く。内部はほとんど埃はたまっておらず綺麗だ。デルからはOSやドライバの再インストールについては手順書を送ってきているが、ハードディスク自体の交換については何も説明書もついていない。昔やったハードディスク交換を思い出しながら、既存のハードディスクから電源ケーブルとIDEケーブルを外し、両側についているプラスチックのガイドごと引っ張りぬく。ガイドについているねじ止めを外し、ガイドを新しいハードディスクにつけ直す。これをさっき引き抜いたところに差込み、電源ケーブルとIDEケーブルをつけ直す。IDEはプライマリの方のマスターを差し込む。後はケースを閉めて元の位置に戻し、各種ケーブルをつないで電源を入れる。CDドライブに再インストール用のOSを入れ、BIOSが立ち上がる途中でF12を押してまずCDドライブを読みにいくようにする。手順どおり進んだが、一度躓く。ハードディスク認識のところで、OSが250ギガバイトのハードディスクを認識し、アクセス不能との表示が出た。本来ならここで未使用のハードディスクを認識し、ハードディスクのフォーマットが始まるところだ。デルのサポートに電話すると、「周辺機器を何か繋いでませんか?」そうだ。キーボードとマウス、モニター以外はこの段階で繋いではいけなかったのだ。すべて外してやり直すと後は順調に進む。しかし、ハードディスクのフォーマットは時間がかかるし、ドライバのインストールも何度も再起動を要求される。アプリケーションソフトに至ってはほとんどがアップグレード品なので、旧バージョンのCDを要求されたり、ひどいのになると旧バージョンをいったんインストールしないとアップグレード版がインストールできないのもある。後から付けた周辺機器はドライバを失くしてしまって、サイトから改めてダウンロードしなければならなかったりする。一晩かかっても終わらない。いまやパソコンなしでは暮らせなくなってしまっているが、こんな面倒な作業は願い下げにしてもらいたい。
October 10, 2006 =Tue=
デルからファックスでハードディスク交換の見積もりが届いた。送料・消費税込みで12,180円だからそんなに高くはないが、自分でパソコンの蓋を開けてハードディスクを取替え、OSの再インストールやドライバの再設定をするのも億劫だ。データの救出には成功しているので、パソコンを取りに来てもらってメーカー側で取り替え作業をやってもらえないかと電話してみた。費用は1万円ほど高くなるが、引き取り作業も可能とのこと。しかし、取りに来る時間帯は平日の午前か午後かの指定しかできないという。夜の時間帯といっても5時から8時までとのことで、必ずしも私が家に居られるとは限らない。作業と往復の配送で一週間程度はかかるという。引き取ってもらうにしても周辺機器の取り外しなどの作業はどうせ必要なんだし、と思いなおして、やはり自分で取り替えることにしてファックスで注文書を送った。
先日の日記でハードディスクの不具合を書いたのを読んでいただいたらしく、大学先輩のSさんからメールでアドバイスを頂いた。SさんはPCでも大手のN社のご出身。久しぶりにSさんのサイトを見せていただくと、ブログになっていた。この日記もいま流行りのブログに移行した方がいいのかなと思うが、ブログにつきもののトラバとかコメントとかが何か億劫な気がする。ここの掲示板ですら、少し目を離していると海外からの商品宣伝やポルノサイトからの書き込みで目茶目茶になっていて閉鎖せざるを得なかった経験があるのだから。
夜、四谷のコントラクトブリッジ教室を終えて、近くで何か腹ごしらえをしようと探していたら、珍しい店を発見した。四谷見附から新宿通りを3丁目の方向へ少し行ったビルの2階奥。大声の英語が店の外にまで聞こえてくるのにつられて入ると、客はカウンターに二人、テーブルに6人ほどの英国人がたむろしている。日本人客はいない。カウンターの後ろにはマダムが居て、これは日本人の顔だが言葉はネイティブの日本語ではない。"The Rising Sun" まさに本物の英国式パブだ。ハーフ・アンド・ハーフと料理を注文する。厨房に別に人が居るわけではなく、マダムがカウンターの英国人の相手をしながら一人で料理を作っている。料理を運んできたマダムに「一人で大変だね。」と声をかけると、「今日はまだお客さんが少なくて平気です。ここが一杯になることもあるんですよ。だけどうちは常連さんが多いから、みんな親切で忙しいときには中に入って手伝ってくれます。」今来ている英国人たちも常連さんだということだ。マダムは英国人と日本人のハーフかと思ったら、マレーシアから来ました。留学生で来て日本人と結婚して、この店でもう11年になります。」店のオーナーは英国人だが、数年前に心臓病で急逝し、他のオーナーは余り経営に関心がないので、このマダムが中心になって店を切り盛りしている。「今日はいないけど、アルバイトも雇ってます。うちは英語と日本語と両方出来ないとだめだから、旧英国植民地出身の学生が多いんです。」頼んだ料理はフィッシャーマンズ・パイとグリルド・ソーセージ・コンボ。正直言って日本人の口には余り素晴らしいとは言えないが、本場英国風であることには間違いない。
October 9, 2006 =Mon=
雲ひとつない秋晴れ。回数券を消化しなけりゃと、珍しく妻もスポーツジムに同行するが、入り口でためらう。「こんなにいいお天気なのに室内で運動するの?」というわけ。「といってもどこへ行く?新宿中央公園?代々木公園?新宿御苑?明治神宮?」と考えると、これといったあてもない。「まあ、入り口まで来たんだから」と予定通りスポーツジムへ。その代わり、暑いから終わったらカキ氷を食べに行こうとなった。ジムの男性用更衣室には軽食堂が付いていて、ビールや軽食が出るし、カキ氷もあるが、女性用には何もない。だから夫婦で一緒にとなると外で食べるしかないのだ。3時間ばかり運動して更にサウナに入ったりして汗を流すと喉も渇く。カキ氷なら小田急ハルク一階の喫茶店でやっている。そう思ってハルクまで来ると、いつもは掲げてある「氷」の旗が見えない。「あれれ〜」と思って店の人に聞いてみると、「カキ氷は9月いっぱいで終わりました。」そうか、もう10月なんだ。だが、食べたいと思うとどうしても我慢できない。「都営新宿線の方へ行く地下街にもカキ氷をやっている喫茶店があったよ。」そういえば私もその喫茶店に「氷」の旗がかかっているのを見た覚えがある。同じ新宿駅周辺でも、北にあるハルクと南の都営線新宿駅では随分離れているが、60代半ばの夫婦が揃ってカキ氷を求めてさ迷い歩く。だが、目指す喫茶店でもカキ氷は9月までで終わっていた。仕方なく地上に出て家を目指すと、西口で号外が配られていた。「北朝鮮、核実験を実施!」
October 8, 2006 =Sun=
実は昨日の朝から事件がおきていた。一昨日まで順調に動いていたパソコンが急に立ち上がらなくなったのだ。というか、Windowsそのものは立ち上がって、ログイン画面までは普通に行くのだが、そこでログインアイコンをクリックしたところで固まってしまう。朝はそんなことでパソコンが使えないまま出かけたのだが、上野から帰ってきて今度こそはと思ってスイッチを入れてみたものの、状況は変らない。「終了」ボタンも利かないから、スイッチを切るのは電源ボタンを長押しするしかない。何度かやってみると、ログインボタンを押してから3分ほどしてやっとパスワード入力のボックスが出てくる。ここにパスワードを入れてリターンキーを押すと、そこでまた停まってしまうが、さらに3分後に「ようこそ」というWindows起動画面になって、それからさらに5分後に「個人設定を読み込んでいます」との表示が出る。そこから先は30分ほど待ってみたけれど何も変らない。つまり、病人にたとえれば、生きてはいるのだが植物人間状態に近い。ハードディスクのせいなのか、ウィルスか何かのいたずらなのか。起動時にBIOS画面で「F12」キーを押して「Diagnostics」を起動し、その状態で昨夜は寝てしまった。
朝起きると、パソコンはDiagnosticsの途中でエラーが出て停まっている。「System
Locks Up」の検査項目で「Error Code 0f00:0244 Msg: Block58828812 Unconnectable
data error or media is write protected. The given error code can be used
by DELL Technical Support to help diagnose the problem.」との表示。一応エラーコードと問題のブロックNo.を控えて「continue」を押すと、すぐにまた停まって別のブロックNo.が表示される。これを繰り返すと、結局「IDE
Disk Read Test」と「IDE Disk Verify Test」でそれぞれ7ブロックでエラーが生じている。よく分からないがどうやらハードディスクの問題らしい。日曜日だし、繋がらないだろうなと期待せずにデルのサポートに電話すると、思いがけなく一度で繋がった。状況を説明すると、「多分ハードディスクが壊れていると思いますが、もっと簡単な方法で調べてみましょう。」サポートの女性の指示にしたがって、またBIOSのF12から「IDE Test」を行う。数分で結果が出て「Fail」の表示。「ハードディスクがだめですね。」と冷たい宣告。覚悟はしていたものの、このところハードディスクのバックアップはとっていない。まず念頭に浮かんだのが、住所録ソフトの「筆まめ」のデータをバックアップしていないこと。住所録がなくなってしまったら年賀状も出せないことになる。去年は「喪中」だったので今年の年賀状は来ていないし。「ハードディスクの交換は仕方ないとして、交換後に今のハードディスクをIDEのセカンダリーに繋いでデータを移せないかしら」と聞くと、「当方ではそれは出来ませんが、ハードディスク交換には二通りあって、一つは当社にパソコンを送っていただいて交換する方法。これだと今のハードディスクは当社で処分しますのでデータを取り出すことは出来ません。もう一つは、新品のハードディスクをお客様にお送りして、ご自身で取り替えていただく方法です。この場合、二三日後に古いハードディスクの回収に伺いますので、その間にお客様でデータを取り出していただくことができるかもしれません。だけど、データを取り出せる可能性はかなり低いです。」少しでも可能性を追求してみようと、自分でハードディスクを交換する方法を選んだ。
ここまでやってスポーツジムに出かけたのだが、エアロバイクを漕いでいるうちに大変なことに気が付いた。ここ2年ばかり、デジカメの写真をパソコンに取り込んだまま全く整理していなかったのだ。それまでのものはCDに焼いているのだが、あとはパソコンのハードディスクに置いたままだ。ということはハードディスクがクラッシュしたとなると、トルコやロシアに旅行したときの写真も、母親の葬儀の際に撮った写真も、一切残らないことになる。また、写真以外にもハードディスクに入ったままバックアップしていない大事なデータに次々と気が付き出した。これは困ったことになった。何としてもデータを復活させる手段を探さなければ。ハードディスクのクラッシュは、実は6年ほど前にも経験している。この時は妻が衆院選に出ていた頃で、選挙関係のデータでパソコンに入れていたものが消失した。選挙関係は選挙事務所のパソコンにも入っていたので、決定的な損失にはならなかったが、それ以外の個人データは失われたままだった。考えてみればそのときもデルのコンピュータだったが、その経験からバックアップの重要性は分かっているはずなのに、喉もと過ぎれば熱さを忘れてしまっていた。
ハードディスクがクラッシュした場合のデータ復旧サービスというのがあるが、確かかなり高額な費用がかかるし、データが復旧できるかどうかも保証の限りではないと聞いていいる。だが、診断の結果はエラーがあるのは7ブロックだけだ。よく分からないが、診断中の表示では243百万ブロックあるうちの7ブロックということだ。こんな微々たる数字で動かなくなるのも不思議だが、残りの99.9999%はエラーじゃないということであれば、データそのものはほとんど無傷で残っているはずだ。ただわずか30億分の一のエラーでハードディスクがうまく動かず、Windowsがちゃんと起動しないために、無傷のデータが取り出せない。それであればハードディスク以外からWindowsを起動させ、それでCドライブのハードディスクが認識されれば、その中のデータを外付けハードディスクなどに移せばいいはずだ。ビックカメラの書籍売場で何かないかと探したら、「パソコン完全復活マニュアル」というのが見つかった。目次を見ると「起動しないパソコンからデータを取り出す」方法がいくつか紹介されている。まさに現在の状況にぴったりだ。特に気を惹いたのは付属のCDに入っているLinuxのフリーソフトKnoppixをCDドライブから起動してデータを取り出すという方法だ。本代の2000円を惜しむ状況ではないので早速これを購入。
家に帰って、奇跡でも起きていないかともう一度パソコンのスイッチを入れてみるが、やはり奇跡は起きなかった。そこでさっきの本を開いてみると、Knoppixの前に、「セーフモードでデータを救出する」という項目がある。どうしてこれに気が付かなかったのだろう。だが、このデルのパソコンでは、BIOS画面で「F2 セットアップ」「F12 Diagnositics」の表示はあるが、セーフモード起動の表示はない。デルのユーザーマニュアルにもセーフモードについて触れていない。昔のWindows98の頃はよくセーフモードを使った記憶があるが、そういえばXPになってからセーフモードなんて使ったことがない。XPにはそもそもセーフモードってあるんだろうか。ともかくもう一度スイッチを入れなおしてF8キーを押してみる。そうしたらやっぱりセーフモード起動画面が現れた。セーフモードで起動すると、ちゃんとログオン画面が現れ、今度はノーマルモードのときのように固まらず、順調に起動する。むかしのセーフモードはいかにも緊急避難用という感じだったが、XPのセーフモードは壁紙が表示されないことを除けば一見ノーマルモードとほぼ変わりない。エクスプローラを起動してみると、嬉しいことにMyDocumentoがすべて表示される。外付けHDドライブもちゃんと認識している。MyDocumentは全体で9GBほどになるが、200GBの外付けHDはほとんど空いているので、MyDocument全体を丸ごと外付けHDにコピーすることにした。これで一安心、ともかくデータは救出できた。だが、デルのサポートはどうしてこの方法を教えてくれなかったのだろう。いやその前に、セーフモードで起動できるということは、ハードディスクは本当にクラッシュしているのだろうか。セーフモードでも、スキャナやプリンタとのやり取りこそ出来ないものの、ワードやエクセルを開いたり、テキストの読み書き、画像の表示なども問題なく出来る。ネットへの接続も可能だ。このDiaryも、昨日の分も含めてセーフモードで書き込んでいる。
とにかく、昔に比べてパソコンは確かに進化してはいるが、クラッシュという落とし穴はなくなっていないこと、データ量が多くなっているがゆえに、クラッシュの被害も大きいこと、そして何よりも、日頃からのバックアップが大切であることを十分認識した次第。
October 7, 2006 =Sat=
上野の森美術館に着いたのは3時ごろ。サルバドール・ダリの生誕100年を記念しての回顧展が行われている。先月から始まっていて、来年の1月4日までだからそんなに混んでいることはないだろうと思って出かけたのが誤算だった。当日券売場に十数人の人が並んでいる。結構来てるんだなと思って列に並ぶと、係りの人が「今からだと入場までに45分くらいかかりますが、よろしいですか?」と聞いてくる。「え?」と見ると、当日券売場の列と反対方向に長い列が出来ている。まあ、せっかく来たんだから、と一人1500円の入場券を買って列の最後尾をめざす。ところが行っても行っても列が切れない。やっと最後尾に並ぶ。来ているのは案に相違して若い人ばかり。カップルも多い。われわれくらいの年齢はほとんど見かけない。今の若い人にダリなんて人気があるのだろうか。
私がダリを知ったのは、たしか中学校の美術の教科書に載っていた「記憶の固執」の小さな写真だった。シュールリアリズム絵画を紹介する記事で、ダリのほかにキリコの「トリノの憂鬱」それに題名は忘れたがタンギーの作品がそれぞれ小さな白黒写真で添えられていた。この三作品に衝撃を受け、高校に入ってからは古本屋に行ってシュールレアリズムの絵画集(といっても今から見れば印刷も粗悪な、薄っぺらなものだったが)を買い求めた。社会人になってからも、ニューヨークに出張する機会が増えると、マジソンの53番地にある店からすぐ近くの近代美術館に暇を見つけては通い、二階にある「記憶の固執」をはじめ、デルヴォーやマグリッドの作品を眺めていた。
45分といっていたが、思ったより早く中に入れた。だが中も満員で作品の前の列がなかなか進まない。暫くすると慣れてきて、列に並ぶのではなく目をつけた作品の前の人ごみの後ろにつけて、隙を見て前列に割り込むようにした。パンフレットや入場券では、「記憶の固執」から20年余り後に描かれた「記憶の固執の崩壊」や1941年(私の生まれた年だ)の「焼いたベーコンのある自画像」などが目玉になっていたから、これらを含めてせいぜい20点くらいだろうと思っていたのだが、実際は初期作品から晩年まで60点余りが展示されていて、中には「ミレーの『晩鐘』の考古学的記憶の増大」「見えないヴォルテールの胸像」など有名な作品も多く、一番最後には妻のガラを描いた大作「世界宗教会議」もあったのには驚いた。会場の一角では、ルイス・ブニュエルとの共同制作映画「アンダルシアの犬」も上映されていて、すべて見ていると閉館時間の6時になってしまった。
上野に来たついでにどこかで晩飯を食べようといくつかレストランを調べてきたが、近いところで丸井の中にあるロシア料理店「マトリョーシカ」にした。ここはロシア料理なのになぜかチーズフォンデュもやっていて、ネットで調べたらロシア料理とチーズフォンデュを合せた特別コースが4200円である。ところがメニューを見ると、ロシア料理のコースやチーズフォンデュのコースはあるのだが、両方をセットにしたコースは見つからない。ウェイターに聞くと、これでしょうかと持ってきたメニューは2500円で少し違う感じ。「他には?」と聞くと、やっと持ってきたのがネットで見たメニュー。「これ、お願いします。」というと「えーと、できるかな、ちょっと聞いてきます。」と厨房に確かめに行き、「大丈夫、できます。」とのこと。前菜はグレープフルーツとハーブのサラダ、次にサーモンときのこのキッシュ、それにボルシチが出て、ロシア料理の壷焼、それからチーズフォンデュ。ここらで結構お腹いっぱいになり、「このあと何があるの?」と聞くと「次がメインで鶏肉のコラーゲン煮です。」最後のデザートが苺、キーウィフルーツ、マシュマロなどで、そのまま食べるのかと思ったらまたフォンデュ鍋が来て、何とチョコレートフォンデュにして食べるのだという。最後はロシア紅茶。これにグルジアワインが二人でキャラフ一杯付いて4200円だから、味も値段も量も大変満足。というかまたカロリー摂り過ぎだ。
October 3, 2006 =Tue=
オフィスを少し早めに退社して四谷の日本コントラクトブリッジ連盟へ。今日から週一回のペースで3ヶ月の入門コースに入ることにした。先月受けた体験コースでは、「ミニブリッジ」という形での「プレイ」の練習だったが、今日からは「オークション」が加わる。たまたま組み合わさった4名のうち、少しは心得のあるのは妻だけだっで、私を含め全くの初心者だったが、プレイしてみるとどうしても勝てず、8トリックのうち一つも取れなかった。やってみると結構奥深いものがあるようだ。気が付けばすぐに9時半。晩飯も食べていなかったので、近くの「長崎県産業支援センター」にある「出島厨房」で食事。メニューの焼酎のところを見ると「佐藤」の黒があったので、「これこれ」と注文したら「申し訳ありませんが佐藤は切れています。」代わりに薦められたのが「甕雫(かめしずく)」これもなかなかいける。「佐藤と同じメーカーです。」とのことだが、これはどうも怪しいんじゃないかな?