Diary





November 30, 2006 =Thu=

昨日、今日と出勤日。そして昨日も今日も新規採用の面接。このところの業容拡大で人の需要は増えているとはいえ、元来がこじんまりした会社なので、人選は慎重にならざるを得ない。二日続けて結論は採用見送りとなる。それにしても明日からはもう12月。今年もまもなく終わる。



November 28, 2006 =Tue=

娘が病院で、「もう安定期に入ったから普通の生活をして大丈夫。」と言われたそうだ。まだしばらくは大事を取る必要はありそうだが、昼前に電話すると、「新宿の小田急百貨店でブーツを見ている。」とのこと。じゃあ昼飯でもおごろうということになり出かける。来週あたりからは仕事に出かけるので、マタニティウェアとそれに合うブーツを買うのだそうだ。マタニティウェアの買い物に付き合うなんて、妻のときにも覚えがないが、結局勘定はこちら持ち。荷物が大変なので、食事の後市ヶ谷まで荷物運びと、そのついでにノエルの散歩も引き受ける。いったん家に帰って、片づけをしてから、今日も仕事で出かけている妻と四谷で待ち合わせてブリッジ教室。



November 26, 2006 =Sun=

今日で4日間連続の休み。しかも妻は仕事で出張しているので、時間は自由に使える。そこでこの4日間にやったことと言えば、自分の部屋の整理とスポーツジム通い。自分の部屋、書斎と言えば聞こえはいいのだが、机の上は書類が乱雑に積み重なり、机の木の表面が見えない状態になっていた。その書類を一つ一つ選り分け、不要なもの(が大部分なのだが)をシュレッダしながら、必要なものはスキャナでデジタル化してオリジナルがなくても支障のないものはこれもシュレッダ。そうこうしているうちに、ようやく机の表面が現れてきて、そうなると多少は加速度もついてきて、4日目の今日になったら一応机の上は片付いた。しかし、机の上にあったものが机の抽斗とか寝室の書棚に移っただけのものもあるし、この机にしたところで何日かすれば元の木阿弥に戻ってしまうのがこれまでの通例だ。だが、勤務が週三日になった現在、身の回りの整理整頓にかける時間も少しは取れるかもしれない。もう一つのスポーツジムの方は、瞬間風速でもいいから体重を60キロ切るところまで持っていく目標を立てた。いつもなら、エアロバイクを1時間から1時間半ほどやって体重が1.0〜1.5kg落とし、汗を吸い込んだトレーニングウェアを脱いでプールで少し泳ぐとまた1.3kgほど減って、最後に風呂とサウナで0.3kgくらい落ちる。併せるとだいたい一日で2.5kg〜3.0kgほど落ちて、その後水を呑んだり食事をしたりしてほとんど元に戻るのだが、ネット1kgくらいは減っている。休みに入る前が63〜64kgほどだったから、計算上は4日で60kgを割るのはできない相談ではない。だが現実そんなに甘くはない。4日間続くと思うとエアロバイクにしても1時間で切り上げてしまったりして、最終的には60kg切るところまではいけなかった。それでもかつては70kgを超えていたのだから、まあ良しとしよう。少なくとも63kg程度は巡航速度になってきたので、スーツのパンツの胴回りがだぶだぶになってきている。パンツだけでも新しく買う必要がありそうだ。



November 25, 2006 =Sat=

もう11月も末とあってだいぶ寒くなってきた。寒さに連れて、西新宿の高層ビルの谷間の木々もすっかり色づいてきた。先週の京都は、まだ紅葉には一週間早いと言う話だったが、テレビではまさに今、京都の紅葉が真っ盛りと伝えている。だがこの新宿では紅葉を見かけることはほとんどなく、木の葉も紅ではなく黄色が多い。街路樹にはイルミネーションの電飾の準備も終わっているようだ。

日本では崖から降りられなくなった野犬を救うために十数人の救助隊員が出動し、その様子をいくつものテレビ局が全国ネットで放映しているが、その間イラクでは宗派間の対立から生じた爆破テロで250人を上回る死者が出ている。ブッシュがあの馬鹿げた戦争を始め、ブレアや小泉が追従してから、何人の人名が失われたのだろう。さすがにブッシュは中間選挙で完全に敗北し、ブレアに至っては選挙資金を融資してくれた有力者を一代貴族に任ずるという見返りで検察が調査に乗り出しているという状況だが、小泉は無傷のままで、さらに悪質な安倍晋三に政権を引き継いでいる。イラクの現状はブッシュによる開戦時点で予想できるものであり、正当な理由もなく一つの国をこの惨状に追い込んだ彼こそがテロリストの謗りを受けるべきことは明らかだ。それであればブレアや小泉はテロリストに加担した責任をとらなければならないはずだ。しかし、日本の政治はその責任を追及するどころか、郵政民営化に反対した造反議員たちの自民党復党を認めるかどうかなんて詰まらないことが焦点になっている。



November 24, 2006 =Fri=

妻は昨日から仕事で下田に出かけている。行き先が下田と言うことで、温泉でゆっくりできるかもという下心も抱いて出かけたが、結構大変な仕事らしく、帰りは日曜日になるという。だったら四日間、一人で外食でもしようかと思ったのだが、会社の先輩の関係で北海道の水産会社(そこに先輩のご子息が入り婿状態らしい)に注文した水産物が昨日届いたため、冷蔵庫の冷凍室が入りきらず、冷凍食品をできるだけ消化するようにとの指示が妻から残されている。ということで、会社が非番の今日、久しぶりに銀座に出かけたが、用事が済むとどこにも寄り道せずに家に帰り、冷凍の鶏のから揚げ、冷凍の野菜、冷凍のご飯で夕食。



November 22, 2006 =Wed=

今日も市ヶ谷で降りて娘の家へ。娘の夫が遅くなると言うので、身重の娘のために妻と二人で寄っていっしょにキムチ鍋でも作ろうという趣旨。食事の後、ポメラニアンのノエルが、最近忙しくてあまり散歩に連れて行ってもらえないようなので、散歩に連れ出す。いつものように中央線沿いの公園を四谷駅まで10分ほど歩く、そこから橋を渡って更に10分ほどいくと、都心とは思えない静かな場所に着く。工事中の迎賓館だ。このあたり、タクシーでは通っても歩いたことがないので、地理は良く分からないが迎賓館を一回りしてやろうと歩き始めたのが大間違い。いくら迎賓館だって10分か15分も歩けば一回りできるだろうと思い込んでいた。遠くに見えていたニューオータニがすぐ近くに迫っても右方向に曲がる道はなく、高い塀が延々と続いている。ニューオータニを過ぎると人通りの少ない道が心持ち右にカーブしている。やがて広い道に出て、虎屋のビルが見えてきたあたりで、やっとこれで半周くらいしただろう、そのうち右に曲がる道があればもと来たところに戻るだろうと思いながら歩き続ける。右側は相変わらず高い土手と塀に囲まれており、その向こうはうっそうとした森のようだ。ところどころに警備員が立っているが、どうも道を聞く雰囲気ではないし、どうせそのうち角を曲がれば元の道に出るはずだ。更に歩き続ける。最初のうちは草むらに顔を突っ込んだりおしっこをしたりしていたノエルも、今は黙って歩き続けている。やがて地下鉄の駅が見えてきた。どこだろうと見ると、なんと「青山一丁目」。地理が頭に浮かばず、混乱してくる。何でこんなとこまで来てしまったんだ?交差点の角に地図がある。見ると、このまま行くと信濃町の駅に着くことになる。信濃町ったら市ヶ谷からJRで二駅もあるじゃない。仕方なく歩き続ける。もう一時間になる。次の交差点の向こうは明治記念館だ。もう限界。信号を渡ってノエルを抱き上げ、タクシーを捕まえる。タクシーはそのまま道なりに四谷駅をすぎ、市ヶ谷駅に着く。やっと娘の家に着いたら1時間20分ほどになっていた。

後で地図を見たらこんな風になっていた。私がノエルと一回りしたのは迎賓館だけでなく、赤坂御用地と呼ばれる広大な敷地で、その中には皇太子一家の住まいである東宮御所や、秋篠宮、三笠宮などの住居がある。迎賓館自体も、元は今の天皇が皇太子だったときの東宮御殿だそうだ。なるほど一回りするといくつか出入り口はあるものの、どれも固く門を閉ざされており、警備員が張り付いている。あまり関心がなかったから、皇太子とかその弟一家は皇居の中に住んでいるのだろうと思っていたが、こんなとこに住んでいるらしい。一般国民はオフリミットだが、この中にも何人もの使用人や宮内庁の職員もいるのだろう。そういう人たちはこの厳重な警備のなかで、どういった生活をしているのだろうか。思いがけなく長い距離を歩く羽目になったせいか、どれだけ税金を使ってんだ!と八つ当たりしたくなった。



November 20, 2006 =Mon=

たまたまチャネルを合わせたBS放送で、ルキノ・ヴィスコンティのフィルモグラフィをやっていた。ミラノの超名門の貴族の家に生まれながら、社会主義に共鳴し、ネオ・リアリズモの作品を残した。晩年は逆に退廃的な傾向が強まる。ホモセクシュアルとしても知られ、アラン・ドロンなどと関係があった。イタリアが王制と共和制を選択する国民投票の際、思想的に近しい社会党の党首が「ホモセクシュアルの国王のもとで暮らしたいのか?」とアジ演説をするのを黙って聞いていたという。プルーストの映像化を目指したが、実現できないまま生涯を終えた。

実はヴィスコンティの映画は題名こそ知っているもののまったく観ていない。以前、BSで『山猫』をやっていたので録画しておいたが、まだ観ていない。今月はヴィスコンティの生誕100年に当たるそうで、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』『白夜』『ベニスに死す』など6〜7本をBSで放映する。BSから録画してDVDに焼いた映画はもう100本以上になっているが、これでまた増えることになる。安倍晋三の脅しや総務大臣の命令に唯々諾々と従うNHKなんて普通は見たくもないが、衛星映画劇場だけは見逃せない。



November 19, 2006 =Sun=

朝8時過ぎの新幹線で京都へ。昨年亡くなった母の命日は21日だが、2日繰り上げての一周忌。京都駅から五条坂に向かう鴨川沿いの木々はかなり色づいている。そういえば満席だった新幹線の乗客もほとんど京都で降りていた。「京都の紅葉は今が見ごろなの?」とタクシーの運転手に聞くと、「いや、今年はまだやね。寒くなったのはここ一週間くらいで、それまではみんな汗かいていたもの。」この数年、紅葉目当ての観光客は減ってきているそうだ。「お寺さんがあんなことしてはあかんな。一軒一軒が拝観料だか入場料だか1000円も取るし、ちょっと回ったら一万円にもなりますやろ。昼と夜とで別々に取るとこもある。せめて東山なら東山、北山なら北山で、通しで1000円とかにせんと、お客さん来いしませんで。」だが、大谷本廟は特別のイベントがあるわけでもないのに大変な人出だった。妹夫婦が先に着いていて、お参りの手続きを済ませていてくれた。エレベータで我が家の納骨所で用意をしていると、すぐに現れたのはまだ若い、なかなか美人の女性のお坊さん(?こういう場合、尼僧というのだろうか)。お経を読む声も朗々として元気がいい。もしかして仏教関係の大学生ですか、と聞こうとしたが、失礼だと思い直してやめた。

一周忌を終えて外に出ると少し雨模様だったが、高台寺を経て円山公園まで歩く。途中、二度ばかり舞妓さんとすれ違う。妹が推薦の京料理の店に行くと、ちょうどお昼時で満席だったので、近くの「祇園睦巳」という、やはり京料理の店に入る。祇園豆腐という湯豆腐を中心の懐石料理を頼んだが、4200円と言う値段の割りにはサービスが今ひとつ。混んでいる時間帯だから仕方ないのかもしれないが、いかにもパートらしいおばさんが言われたことだけやってますという感じで決まった料理を運んでくるだけ。隣のテーブルで湯豆腐のガスコンロが点かないと騒いでいたが、われわれのテーブルもいったんは着火したもののすぐに消えてしまう。おばさんは、コンロが悪いのか、ボンベが空なのかと首をかしげつつ別のコンロを持ってくるが、お客に出すなら道具もちゃんと点検しておけよ。



November 17, 2006 =Fri=

先日不具合が生じて返品したミラーリング用ハードディスクの交換品がバッファローから昨日届いた。ハードディスクが一台の筐体に二つ入っていて、ミラーリングするから片方が壊れてももう片方が生きているから大丈夫と言うことだったが、買ってからわずか1ヶ月もたたないのに突然PCがこのハードディスクを認識しなくなり、一方のハードディスクのアクセスランプが異常を示す赤色点灯になってしまったのだった。幸い、ノートPCに繋いだら認識はしたので、データは別のハードディスクに退避させたが、ミラーリングに安心してローカルのハードディスクにはデータを保管せず、直接ミラーリングHDに書き込む設定にしていたのはやはりリスクが高そうだ。それで今回は、基本的にデータはローカルに保管し、そのバックアップをミラーリングHDに取ることにした。つまり同じデータが3つあるわけで、これならよほどのことがない限りデータを失う恐怖からは免れる。しかし、バックアップを手動でやっていたのでは、ついうっかりしてしまうことが多いのは過去の経験から十分身にしみている。そこでビックカメラに行って、オートセーブ2というソフトを見つけてきた。これだと、データをろーかるPCに書き込むと、ソフトがそれを検知して、自動的に外付けのミラーリングHDにバックアップしてくれるというもの。これならバックアップのし忘れもないだろう。



November 14, 2006 =Tue=

今朝も三越診療所へ行く。昨日で懲りているので、8時半に行ったのだが、それでも受付は3番目。前の一人が同じ医者を指名したた上、その人の診察が長かったので出社がだいぶ遅くなり、10時に予定していた監査法人との会合に遅れてしまった。出社は遅れたが、退社は4時過ぎ。四谷駅に行って、妻から頼まれていたJRの切符を買う。来週、スーパービュー踊り子号で下田まで行くそうだ。遊びではなく税理士の仕事で、何でもフラメンコの長嶺ヤス子さんの依頼で、その知り合いのお寺で住職が亡くなり、奥様から経理関係の事後処理を頼まれたらしい。駅ビルのアトレにあるスープストック東京で食事。このスープストック東京、私の出身会社が社内ヴェンチャーとして始めた会社で、最近かなり急速に展開している。スープだけで商売になるのかと思っていたが、結構女性に人気があるようだ。ここで食事をするのは初めてだが、スープ2種類とパンのセット(900円)で十分お腹いっぱいになる。スープと言っても具が多いのだ。今日は火曜日なので、例によってコントラクトブリッジ教室。



November 13, 2006 =Mon=

朝、9時15分前にエステック情報ビルの三越診療所へ行くと、受付開始前なのに番号札はもう15番目。毎月1回、コレステロール抑制の薬を貰いに行くのだが、今日はそれに加えてインフルエンザの予防接種もしてもらおうと思っていた。しかし先客がこんなにいたのでは、診察や予防接種、それに処方箋を貰って薬局まで行っていては10時までにオフィスには行けそうもない。月曜日は特に仕事が溜まっていて忙しいので、診療所は明日もう一度行くことにした。診療所へ行くので朝食は抜いていたから、ドトールコーヒーに寄ってクロックムッシュとコーヒーの簡単朝食を済ます。オフィスへ出るとやはり忙しい。採用面接のアレンジを2件やって、午後からの調停への準備。お昼は約束があったので丸の内オアゾのクリオンでランチ。そのまま地下鉄で霞ヶ関の簡易裁判所へ。終わってオフィスに戻り、調停のレポートを書いたりしているとすぐに5時を回ってしまう。一日5時間勤務の範囲で仕事を済ませるのはけっこう難しい。

ところでランチの時に面白い話を聞いた。1920年にロシアで発明されたテルミン(Theremin)という世界最古の「電子楽器」。木の箱に垂直方向、水平方向に取り付けられた2本のアンテナの間に手をかざすと、そこに形成される電磁波が微妙に変化し、発振器に作用していろんな音色を出す。家に帰ってからネットを調べてみると、テルミンという映画が製作され、そのホームページでテルミン演奏をバーチャルに体験もできる。1920年といえばロシア革命の後だが、これを発明したテルミン博士はその技術を軍事、諜報活動にも活用したという。このページを見ると、不老不死の研究を自らに活かしたのか、ロシア人には珍しく97歳まで生きた博士の一生は波乱万丈だったらしい。ソ連政府の派遣によりヨーロッパやアメリカで活躍したが、スターリンによる粛清でシベリアに送られ、西側には長く消息が不明だったところ、ゴルバチョフの時代になってアメリカ再訪を果たした。亡くなったのは1993年だから、帝政ロシアからソ連邦崩壊までの歴史を身をもって体験しているわけだ。日本におけるテルミン演奏の第一人者は竹内正実という人で、テルミンとマトリョーシカを組み合わせた「マトリョミン」を考案したのもこの人らしい。



November 12, 2006 =Sun=

バッファローのハードディスク、24時間が経過しても依然として二番目のディスクの赤ランプが点滅している。一番目のディスクの緑ランプも時々は点滅しているので、状況から見ると第一ディスクにアクセスしてはその内容を第二ディスクに書き込んでいるようにも見えるのだが、あまりにも時間がかかりすぎる。そこでまたサポートに電話した(ここのサポートは日曜もやっているのは感心)ら、今度の担当者も「それは何が何でも時間がかかりすぎですね。」という。「リビルドが終わったとして、第二ディスクに第一と同じ内容が書き込まれたことをどうやって確認するの?」と聞いたら「ランプの状態で確認する以外、方法はありません。」との頼りない返事。「リビルドができなかったら?」「こちらへ送っていただいて修理対応になります。」「買って1ヶ月にもならないんだから、修理じゃなしに新品と交換してもらうわけにはいかない?」と聞いたら、「少々お待ちください。」と電話の向こうでなにやら相談している様子。「わかりました。お送りいただいたら新品を発送します。」ということになった。だが、パソコンと言うやっかいな機械の世界で、こうしたハードディスクのトラブルは何時まで続くのだろう。



November 11, 2006 =Sat=

先月買ったばかりのBuffalo社のハードディスクがもう変調をきたした。一台の外付けハードディスクに500ギガバイトずつ2台のディスクが入っており、データが同時に2台のディスクに書き込まれるので、一方がクラッシュしてももう一方がデータを保持できるというミラーリング形式なので、安心してすべてのデータはc:ドライブの「MyDocuments」ではなくこのミラーリングHDに最初から書き込むように設定していた。異変に気づいたのは今朝、PCを立ち上げるとちゃんと立ち上がってはいるのだが、壁紙が表示されない。ミラーリングHDに保存してある画像を壁紙に設定しているのだ。エクスプローラでMyComputerをチェックすると、このミラーリングHDに割り当てられているドライブk:が認識されていない。一方、HDの方は普通はデータの読み書きをしている場合以外は消灯しているアクセスランプが2台とも点灯したままになっている。PCの電源を落としてもHDのアクセスランプは点灯したまま。HDの電源も落とすと当然ランプは消えるが、再びHDだけ電源を入れてみると2番目のディスクのアクセスランプが赤く点滅しだした。これはやばいと思ってバッファローのサポートセンターに電話した。しばらく待たされた後、担当者から「別のコンピュータに接続できるなら試してみてください。」と言われ、電話を切ってパナソニックのノートPCに繋いで見る。そうするとPCはHDを認識するが、やはり2番目のアクセスランプは赤い点滅を繰り返している。またバッファローのサポートに電話すると、別の担当者が「それは2番目のディスクをリビルド中なので、電源を切らないで置いて下さい。リビルドには半日から丸一日かかります。」とのこと。まあ、HDは認識しているので、別のHDを繋いでバックアップを取ることにした。



November 10, 2006 =Fri=

昨日・今日と非出勤日だが、昨日会社から伝言メッセージが携帯に入り、「松戸会」の主宰者Hさんから電話があったという。夕方になってメッセージに気づき電話してみると、12月1日予定の忘年会の案内を出したかとの確認。私が連絡役を引き受けているのだが、今までは幹事が集まって日時と場所を決めてから連絡を頼まれたのだが、そういえばこの前の暑気払いの集まりで次回忘年会の日取りと場所を決めていたのだった。名簿が会社のPCに入っているので、それを取りだす目的で休日出勤することにした。

その前に、都庁に寄って運転免許の更新を行う。定期健診で視力が少し落ちていたので気になったが、視力検査はまったく問題なし。流れ作業に乗って30分の講習を受け、5年の優良免許を手にした。免許証は来年1月からICチップを埋め込んだものに変わるという。だとすると、旧式の免許証は私のがほぼ最後に近い。つまり一番最後まで旧い免許証を使わなければならないわけだ。もっとも、最近は車を運転する機会はほとんどなく、免許証は身分証明書代わりに使うのが主な役目になっている。

会社に行くと、昨日も休みだったものだから、未決書類が山のように溜まっている。せっかく来たのだからとそれらを整理していると、結局「松戸会」の連絡業務を含めて4時間近くになってしまった。



November 8, 2006 =Wed=

会議のため朝から熊谷に出社。大宮から新幹線で一駅を、いつもはダブルデッカーの一階席(2階より1階の方が座席の座り心地がいい)にするのだが、今朝は天気もいいので二階席の左側窓際に座った。ここだと大宮から熊谷まで富士が望める。手前のほうはビル街から田園風景に変わっていくが、どこにでもある景色が続く。その向こうに秩父や多摩の山々を隔てて雪化粧した富士の山頂が覗く。こうした眺めを見ていると、なぜか、富士の大噴火によって手前にある日常の世界が突然断ち切られる日が来るかもしれないなどと、SFのような妄想が浮かんでくる。

今日も妊娠11週目で不安定なため外に出られない娘の希望で、妻と娘の家に行き、しゃぶしゃぶを一緒に食べる。妻がしゃぶしゃぶのたれを買ってくるのを忘れたので、私が探しに出るが、近くのコンビにではそんなものは置いてない。結局市ヶ谷の駅の反対側に15分ほど歩き、Pororoca(ポロロッカ)という食品スーパーに行く。Pororocaとは、アマゾン川の海からの逆流現象を指す言葉だが、スーパーの名前にしては変わっている。

昨日の米国中間選挙は予想通り民主党の圧勝。ようやく米国民もブッシュ政権の危険性に目が覚めたのかもしれない。英国のブレア政権も死に体だし、いまだにイラク戦争は間違っていないと公言し、今度は核武装論まで持ち出しているのは日本の戦争屋・安倍政権くらいなものだろう。



November 7, 2006 =Tue=

親会社の大会議室で日経新聞編集委員・滝田洋一氏の講演会。景気見通しとしては長期的には成長が続くものの短期的には踊り場になるだろうとのご託宣。先進国は欧・米・日おしなべて3%程度の成長だが、途上国は7%成長、世界経済はその中間の5%成長で、これを称して七五三理論というのだそうだ。講演会の後はこの前の経理OB会と同じ会場で懇親会。さすがにOB会よりも出席者の平均年齢は若いが、だぶっているメンバーも多い。懇親会を途中で抜け出して四谷のブリッジ教室へ。

ところで昨夜は寝つきが悪くあまり良く眠れなかった。妻は一睡もできなかったと言う。原因はすぐ分かった。「善庵」でスパイスの効いた料理を食べ、デザートルームで夜遅くにかなり強いコーヒーを飲んだせいだ。妻の仕事の関係で6時に始める予定が8時になったのが遠因。これから夜のコーヒーにも注意しよう。



November 6, 2006 =Mon=

社会保険庁から厚生年金の「老齢給付裁定請求書」なる書類を送ってきた。61歳で厚生年金の受給資格ができたのだが、この間ほとんどずっと仕事を続けていたため、実際に年金を受け取ったのは2ヶ月だけで、あとは支給停止になっていた。先月でフルタイムの勤務は辞めたので、今後は受給できるはずだが、いままでの支給停止になっていた年金は「老齢特別給付」というもので、65歳になると「特別」がとれて「老齢給付」と言うカテゴリーになり、改めて裁定を請求する必要があるらしい。

というわけで、明日で満65歳になるのだが、明日の夜は懇親会があるので、誕生祝の会食は今日にした。以前、小滝橋通りの大ガードを過ぎたところにあった「玄庵」が、ビルの取り壊しに伴って9月から移転し、名前も「善庵」と変えてより我が家の近くに来ている。一度行かなければと思っていたので、一昨日、今日の6時で予約をいれておいた。ところが昼ごろに携帯を見ると妻からのボイスメールが入っていて、「仕事の関係で6時に厚木に行かなければならなくなった。8時に変更できない?」先方に電話すると予約変更はOKだという。

店の周囲はどちらかというと一杯飲み屋風の店が多く、「善庵」のような高級感のある店にはそぐわない気もするが、地下に下りるとカウンターに9席。先客は5人で、われわれが座ってもまだ2席空いている。奥のデザートルームにも食事を済ませた数人の客がいるようだ。「玄庵」の時代からこの店で20年になるという岩本シェフが見事な包丁捌きで肉を切り分けている。「おまかせコース」だが、最初に出てきたのは「あん肝の柚子かけ」メインはステーキなのだが、和風の前菜が10品ほど出てくる。すべてを覚えてはいないが、「蟹味噌を鱧のすり身で固めたしんじょう」「雲丹の粉末をまぶした小芋と自家製のからすみ」「ヒラメのお造りと肝」「雲丹の茶碗蒸し」等々。メインに行き着くまでにお腹がいっぱいになりそうだ。今日の肉は宮城県産。あえてブランド肉は使わず、その日その日で最上の肉(サーロインの「A5」というクラスとのこと)を仕入れるのだそうだ。厚さ20ミリの鉄板で肉の裏表を軽く焼いたあと、脂身の部分を切り取り、サイコロ状に切り分けて目の前のお皿に取り分けてくれる。お皿にはこれも鉄板で軽く焼いた薄切りのトースト、からっと揚げた薄切りの大蒜、それにクレッソンが盛られている。ジューシーな肉を食べ終わると、さっき取り分けておいた脂身を細かく刻み、何度も鉄板の上で脂を搾り出した上で、お皿にあったトーストに大蒜、クレッソンと一緒に挟み、出してくれる。〆は栗ご飯と赤だし。食事が終わると別室に移ってデザートとコーヒー。

以前、「玄庵」ではマダムらしき人がいて、いろいろと気を配ってくれていたが、ここではアルバイトっぽい若い女性とパートっぽいおばさんがいるだけ。岩本さんに聞いてみると、あのマダムがオーナーで、ピーク時には飲食関係の店を10軒ちかくやっていたが、今はこの店を残して処分し、オーナーは飲食以外の仕事にかかわっているとのこと。前には勝沼にもレストランを持っており、その縁で今でも勝沼ワインを置いている。そういえばこの種のレストランにしてはワインの種類が少なく、メニューには勝沼ワインとオーストラリアワインしかなかった。味も雰囲気も最高なのだが、岩本シェフだけでなく以前のマダムのような気配りのできる人も置き、ワインをもう少し充実させるともっといい店になるだろうなと思う。



November 5, 2006 =Sun=

イラクのフセイン元大統領に死刑判決。ブッシュは「民主主義の勝利」だとかのたまわっているが、誰が見ても傀儡政権による米国中間選挙直前のやらせ裁判としか見えないだろう。ブッシュが開戦の口実とした大量破壊兵器はなかったことが明らかになったし、後付でこじつけた「テロとの戦い」も米国の情報当局自身がフセイン政権とアル・カイダとの間には何のつながりもなかったことを認めている。フセインがイラク国民を弾圧したことは事実だろうが、それは本来イラク国民自身が解決すべきことで、米国がイラクに侵攻する理由にはならない。この戦争が誤りだったことは米国内でも常識になりつつあるらしい。明後日の中間選挙の結果がどう出るか。



November 3, 2006 =Fri=

映画『ワールド・トレード・センター』を歌舞伎町の新宿プラザで。休日とはいえ朝一番の回だし、歌舞伎町で一番大きいプラザなので客数はまばらだった。オリヴァー・ストーン監督の描くWTCは、テロへの声高な非難は控え、タワーに取り残された人々を救出に向かう途中で崩壊に巻き込まれ、奇跡的に救出された港湾警察(そういえばWTCはニューヨーク港湾局の管轄だった。)のマクローレン班長とその部下のヒメノの実話に基づいたストーリーを再現し、死に直面した二人の会話、救出を待つ家族たちの不安を描いている。「無愛想なので出世が遅れた」というマクローレンは家では恐妻家で日曜大工で台所の修理をしている。ヒスパニックのヒメノの妻はイタリア系で、まもなく生まれてくる娘の名前で言い争いをしている。映画の最後のクレジットを注意してみていたら、製作コンサルタントとしてマクローレン夫妻とヒメノ夫妻の名前も出ていた。応答のない携帯電話に向かってマクローレンが救出を訴えるのに対して、ヒメノが「子供は妻の希望する名前にするよう伝えてくれ」という場面など涙を誘うところもある。WTCには何度も行ったことがあるし、9.11もその場に居合わせたわけではないが、その三日前にWTCに突入したのと同じ航空会社の同型機でケネディ空港を出発した身としては、9.11がらみの映画には無関心ではいられない。

映画の後、新宿三丁目の「玄品ふぐ」で「松茸つきで一人前1,980円という格安のふぐ鍋でランチ。食べながら北海道にいる息子とメールのやりとりをする。昼食後は花園神社の酉の市を覗いてみる。明日が一の酉で、今日は前夜祭。本格的に人が出てくるのは夕方からで、延々と連なる屋台や熊手売りの店は開店準備がやっと終わったというところ。熊手の店も、たこ焼き、お好み焼き、居酒屋、駄菓子屋などの屋台も、境内から周辺の道路まで数えきらないほど並んでいるが、商売になるのだろうかと心配する。しかしこの酉の市の人出は例年60万人とか。余計な心配は無用なのだろう。中にはまだ段ボール箱から熊手を取り出して飾り付けをしている店もある。その段ボール箱には"MADE IN CHINA"の文字も。お祭りの境内で売られる熊手までもが中国製という時代だ。

花園神社を出て靖国通りを新宿駅方向に向かう。途中、ドン・キホーテと新宿ペペの100円ショップで買い物。伊勢丹や三越、小田急百貨店ではなく、ドンキと100円ショップでというのがいかにも「下層社会」的だ。妻にそれを言うと、「だって、さっきふぐを食べたでしょ」

これから新宿住友ビルと新宿三井ビルに行くのだが、行き先の会社はドンキや100円ショップの嵩張る袋を持って入るような雰囲気のところではない。といって今から家に帰って荷物を置いてくるのも億劫だ。そこでハルクの横手の階段を降りて、丸の内線の改札近くで見つけた「4時間100円」と書かれたコインロッカーに荷物を預ける。3時間ほどで用事が終わり、新宿駅に戻って困ったのは、さっき預けたコインロッカーがどこだったか分からなくなってしまったこと。新宿駅の周りにはコインロッカーなどあちこちにあるので、預けた場所をしっかり覚えておかないといけないのだが、やはり年齢のせいか思い出せなくなってしまった。尋ね歩いてようやく見つけたのは最初に探した場所のすぐ近くだったのだが。

もう夕食の時間になったので、妻の希望で「思い出横丁」(むかしは「しょんべん横丁」と言った。)にある「すし辰」へ向かう。妻の通っているマッサージ店にこのすし屋の主人も常連で通っているのだそうだ。しかし今日は祭日のせいか、ほかの店はやっているのに「すし辰」は休み。そこで家の近所の「桂園餃子房」で夕食。朝から夜までずっと外出の一日だった。



November 2, 2006 =Thu=

明日も休みの日。私だけが休みかと思っていたのだが、夕刊を見て気がついた。明日は文化の日で休日だったのだ。休みが不定期だと休日感覚もずれてくる。夕刊と言えば、今日の朝日新聞夕刊に『ホントに武力で平和はつくれますか?』という二面ぶち抜き(といっても二面前面ではなく下の5分の1くらい)の意見広告が掲載されていた。ようやくこうした動きも出てきたのかな、と思ってほかの新聞も見てみたが、広告が掲載されているのは朝日だけのようだ。どのような組織がこの意見広告を出しているのかと探してみたが、広告自体には組織名は書かれていない。ただ、小さい字でURLと連絡先の電話番号が書かれているので、そのURL www.article-9.org を開いてみると、「Global Article-9 Campaign」とあり、これを運営しているのはピースボートGPPAC(Global Partnership for Prevention of Armed Conflicts) Japanという二つのNPOだと分かった。キャンペーンの趣旨は日本国憲法9条の精神を世界に広げるというもの。先日の太田光の『憲法9条を世界遺産に』というのとも通じるところがある。世界各地の新聞に日本国憲法9条を掲載する運動を進めている。少しでもこの運動に貢献できるよう、トップページにバナーを貼り付けることにした。





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