December 29, 2006 - January 12, 2007
Travel to Antarctica (南極旅行記)
December 28, 2006 =Thu=
明日、南極旅行に出発する。成田からデルタ航空でアトランタ乗継でブエノスアイレスへ。そこからアルゼンチン国内線で最南端の町ウシュワイア、それからクルーズ船で南極へ。ほとんどが飛行機と船の中なので、ネット接続は難しそうだ。船にはネット接続のできるPCがあるらしいが、日本語環境ではなく、利用も1分10ドルとかで、しかも衛星通信経由なので不安定とのこと。どうやら12日に帰国するまではこのDiaryの更新も難しそうだ。
December 27, 2006 =Wed=
今日が今年最後の出勤日。昨日の土砂降りの雨、昨夜から今朝にかけての雷雨が嘘のように上がったら、真冬というのに気温は摂氏20度という暖かさ。昼休みに見上げる神田の空は夏の面影さえ漂っていた。秋の訪れも遅かった今年、まだ都内でも公孫樹の葉が散り終っていないところもあり、この分では元日の街に公孫樹の葉が舞う光景も見られるかもしれない。もっとも、われわれはその頃、ウシュワイアから南極への船路についているはずなのだが。
December 26, 2006 =Tue=
先日、娘のところからノエルを預かるに際して、娘からいろいろと注意を書いたペーパーを渡された。その中に、「たまねぎ、葱は絶対に与えないこと。」というのがある。何でも、たまねぎを与えると血液がさらさらになりすぎて死んでしまうのだそうだ。われわれ中高年の人間の場合、生活習慣病で血液がどろどろになって脳血栓などの原因になるから、血液をさらさらにするのが良いと言われ、そのためにはたまねぎは有効な食物だと教えられ、なるべくたまねぎを食べるようにしている。ノエルのケースは、娘たちもどうせペットショップから聞いたのだろうが、本当に血液がさらさらになって死んでしまうほどの効果があるのなら、人間の血液さらさら効果も本物なのだろうと思って、ネットで少し調べてみた。そうしたら、ノエルの場合だけでなく、またポメラニアンの場合だけでなく、犬にたまねぎを食べさせてはいけないと言うのは常識であるらしい。たまねぎ(あるいは葱類)には犬の赤血球を溶解させる作用があり、貧血を起こさせ、下痢や、酷い場合には死に至ることもあるらしい。だから、これは人間の場合の血液さらさら効果とは別の現象なのだろう。
December 25, 2006 =Mon=
短い通勤時間に少しずつ読み進めていたペーパーバック「The Amber Room」(by Steve Berry)を読了。今年の7月に念願のロシア旅行を果たし、サンクトペテルブルグ郊外のエカテリーナ宮殿で、復元された「琥珀の間」を観たこともあって、この小説のタイトルに惹かれた。内容は単純な冒険活劇だが、その設定が面白い。
第二次大戦末期、ナチスドイツがレニングラードから引き上げる際にエカテリーナ宮殿の「琥珀の間」の琥珀パネルを略奪し、どこかの山中に隠したと伝えられる。主人公はアメリカ・アトランタに住む女性判事とその別れた夫。二人は離婚はしたものの、二人の子供たちを仲立ちに今も友人関係を続けている。ところが、この女性判事の年老いた父親が事故で亡くなるところからストーリーは展開する。父親は第二次大戦後にベラルーシから亡命した人物で、かつて旧ソ連の特殊機関で大戦中に失われた美術品の捜索に当たった経歴がある。その死は事故ではなく、チェコの富豪で美術品収集家に雇われた女性探索人による殺人だった。ストーリーが進むに連れて、判事の夫の両親がイタリアで航空機のテロによって亡くなったのも関連してくる。やがて浮かび上がってくるのは、ヨーロッパの富豪9人で構成する「遺失美術品収集クラブ」の存在だ。彼らはそれぞれ一人ずつ優秀な探索人を雇い、盗難や略奪で所在不明になった超一級の美術品を秘密裏に集め、自分のコレクションに加える。チェコの富豪に対抗して、ナチスに奪われた「琥珀の間」を探求しているのはドイツの富豪とその相続人の娘であり、彼らの手先である探索人も目的のためなら殺人も厭わない。女性判事と別れた夫は、父親の死のなぞを追ってヨーロッパに渡る。ここにもう一人、がさつな米国人で投資家から金を集めて「琥珀の間」の発見を狙う、一見山師のような男が絡んでくる。生死を賭けた戦いは、プロの殺し屋だったはずの二人の探索人や、悪人たちがすべて死んで、二人の富豪や秘密クラブによる違法収集品が表ざたになり、本物の「琥珀の間」を取り戻すことの出来たロシア政府の招きで判事とその元夫が復旧した「琥珀の間」のお披露目に呼ばれ、子供たち立会いのもとロシア正教会で再び結婚式を挙げるところでハッピーエンドになる。(この小説の邦題が「琥珀収集クラブ」となっているのはどうも合点がいかない。)
この小説の題材の通り、本物の「琥珀の間」は、ナチスドイツの略奪以来行方が分からず、私たちが7月に見たものはソ連時代に撮影された白黒写真に基づいてプーチン政権がサンクトペテルブルグ建都300年(2003年)を記念して復元したものだ。では、本物の「琥珀の間」はどうなっているのだろうか。著者は後書きで次のように書いている。
Like gold, amber can be reshaped, leaving no trace of its former configulation,
so it is possible that jewery and other amber objects sold throughout the
world today may contain amber from that original room.
But who knows?
As Robert Browning was quoted saying in the narrative:
Suddenly, as rare things will, it vanished.
How true.
And how sad.
December 24, 2006 =Sun=
ノエルを家に連れてきてから、日曜日の晩に娘夫婦が引き取りに来るまで、結構ノエルの世話で忙しかった。といっても一日二回の食事と一時間程度の散歩が主な仕事だが。幸い、土曜、日曜と穏やかな天気だったので、散歩にはかなり足を伸ばすことが出来た。娘夫婦が住む五番町と違って、我が家の周辺は落ち着いた散歩道などないのでどうしようかと思ったが、家の前の税務署通り(正式には放射5号線というらしい。)を、あまり行ったことのない中野方面に行ってみた。この通りは職安通りから続いているのだが、北新宿の交差点をこちらに渡ったところで税務署通りと名前が変わり、急に狭くなっていた。現在これを拡幅工事中なのだが、何年も前から立ち退かないいくつかの家があって工事が中断している。いずれは強制収用でもして中央分離帯を設けた広い道路になり、中野区との境あたりで青梅街道に合流することになる。その合流地点の方角に向うと、道路の両側に幅の広い歩道がすでに
出来ていて、比較的人通りも少ない。この道を滅多に行かない北新宿側を歩くと日当たりもいい。合流地点近くに行くと、「新宿村スタジオ」という建物群がある。どうやら劇団やミュージシャンの練習や公演用の貸しスタジオらしい。青梅街道に突き当たると、南側は高層ビル群が並んでいるのに、北側、つまり今歩いてきた方は道路工事中ということもあるのだが、マンション建設予定の看板が出た空き地が多い。もう一、二年もすればこちら側も同じようなビルが立ち並ぶのだろうか。合流地点の信号は「淀橋」という。少し行くと「中野坂下」その先は地下鉄丸の内線の駅のある「中野坂上」なのだが、「淀橋」と「中野坂下」の間あたりを神田川が流れ、ここにかかる橋が「淀橋」だ。橋の袂に由来を書いた案内板が設置されている。
『淀橋』の名は、江戸時代の三代将軍徳川家光が名づけたといわれています。
古くからあるこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていたといいます。このあたりで中野長者といわれていた鈴木九郎が、
自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。九郎と橋を渡るときには見えた人が、帰るときには姿が見えなかったことからその名がついたといわれます。
江戸時代の初めに鷹狩りのためこの地を訪れた将軍家光はこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じ、その名が定まったそうです。
この橋の名前から昔はこのあたりを淀橋区と称し、淀橋浄水場が造られ、その跡地が新宿新都心になる。ヨドバシカメラもその発祥地から名づけられた。中野長者の鈴木九郎が財宝を埋めたのは、今の新宿中央公園のあたりだという。もっともこの言い伝えにもいろいろあって、淀橋と名づけたのは家光ではなく吉宗だという説も有る。また、柏木、角筈、中野、本郷の四つの村の中間にあることから「四戸橋」と呼ばれ、これが「淀橋」に転化したという説もあるそうだ。

さて、「淀橋」から神田川に沿って「栄橋」「伏見橋」ときて大久保通りの「末広橋」までが歩行者専用の散歩道となっている。自転車は入れるが、あまり自転車で行き来する人もなく、ノエルを散歩させるにはもってこいだ。このあたり、神田川に沿ってソメイヨシノをはじめ、幾種類もの木々が植えられ、花の季節もよさそうだ。この遊歩道に沿って立ち並ぶ家々は、車を持つことはできないだろうが、そんなことには代えられない景観と環境を享受できているようだ。
末広橋から、大久保通りを進んで小滝橋通りを右に曲がれば我が家に帰り着くのだが、通行量の多いこれらの道を歩くのも面白くないので、途中で狭い道に入る。適当に道をたどっていくと、なにやら立派な建物が現れた。「創価学会 新宿池田文化会館」とあり、何人かで連れ立って建物に入っていく人たちがいる。そういえば我が家の周辺も含めてこのあたり、公明党の政治家のポスターがやたら目に付くが、創価学会の勢力が強いようだ。
ノエルを連れているおかげで、家の近所でも滅多に行かない道を散策し、周囲の地理もなんとなく掴めたここ二、三日だった。
December 21, 2006 =Thu=
25日を待たず、ノエルが我が家にやってきた。といってもノエルは娘の家のポメラニアン。週末預かってほしいというので、オフィスがすぐ近くの娘と待ち合わせて、五番町の娘の家によって連れてきたのだ。注意事項をこまごまと書いたメモも一緒に渡される。ペット用のキャリーバッグ、ノエル用のベッドや散歩用の首輪などの入った大きな紙袋、それに私自身の通勤用のかばんを持つとSuicaで自動改札を通るのさえ一苦労。いくら空いている総武線で市ヶ谷から大久保までたった6駅とはいえ、ペットを連れて電車に乗るなんて初めての経験だ。家に帰り着くと、ノエルはフローリングのつるつる滑る床を嫌がるので、あらかじめ娘が運んできていたコルク製のタイルカーペット(ポルトガル産のコルクを使っている。便利なものがあるものだ。)を組み合わせて床に敷き、ノエルはようやくキャリーバッグから開放される。ノエルもこの家には娘がたびたび連れてきているので不安はないようだが、いつものご主人がいないことに戸惑っている様子だ。
December 20, 2006 =Wed=
昔、商社の海外支店や駐在員事務所の経理や税務を統括する仕事をしていた。その頃の仲間のW君からメールが来て、同じ仲間のI君の見舞いについて年が明けたら打ち合わせましょう、とのこと。私がパナマに駐在に出た頃、ほぼ時を同じくしてW君はエクアドルに、I君はイタリアに駐在に出た。その後、W君はアルゼンチン駐在に移り、I君は一度日本での勤務の後、韓国に出た。韓国では支店の現地法人化など苦労したらしいが、駐在中にくも膜下出血で倒れた。かなり重篤だったが、日本に連れ帰っての手当てが効いて一命を取り留めた。会社を退職していた私がその話を聞いたのは去年の1月のことだった。2月に入院先の病院に見舞いに行ったが、それきりになっていた。先日、W君と飲んだ折に、またI君の見舞いにいこうという話になり、出向中だがまだ現役のW君にI君の近況を調べてもらうよう頼んでいたのだ。今日のメールによると、I君は退院はして自宅療養になったものの、仕事への復帰ができる状況にはなく、結局、準定年退職を選んだらしい。まだ頭部の治療も続けているそうだ。東大卒の彼は、たしか私より一回り若いはずだ。
そんなメールに接したせいか、明け方に奇妙な夢を見た。どうやら、定年で辞めているはずの私が、社用でソウルに出張し、そこにいたのはI君ではなくW君だった。彼に案内されてソウルの土産物店に寄った。薄暗い土産物店だが、前にも来たことがあるようだ。あるいは、ソウルの土産物店はどこも同じような造りなのか。何だか思い出せないが、とにかくある物を探しているというと、地下に降りてくださいという。気が付くと私の立っているのは地下へ続く階段の脇で、手摺もなく、うっかりすると階段下に転落しそうな場所だった。階段を降りると、どういう構造なのだろうか、そこには殺風景な市街が広がっている。するとその路上で、父親が息子の頭を切り開き、病巣を切除する手術をやろうとしている。児童虐待というのではなく、ここではそれが正当な治療なのらしい。気が付くと一緒にいたはずのW君はいなくなっており、さっきの土産物屋もどこにあるのか分からない。見知らぬ街で途方にくれているところで携帯電話の目覚ましが鳴った。
December 17, 2006 =Sun=
QBハウスで散髪をしたあと、その横の角を曲がって昨日の事件現場のほうに行ってみた。もともと人通りの少ない道だが、おばさんと男性が立ち話をしているほかは、少し向こうに男性が二人所在なげに立っている。おばさんと男性はやはり事件の話をしているようだ。男性二人のうちの一人が私のほうにやってきた。「ご近所の方ですか?J通信の××と申します。昨日の事件について伺いたいのですが。」「いや、私は何も。野次馬根性で現場はどの辺かなと思って見に来ただけですから。」「向こうに自転車が停めてあるでしょ。あの辺らしいですよ、事件現場は。このあたりはよく通られますか。」「滅多に通らないですね。いつも小滝橋通りを通ってますから。」「この辺で何か変わったことに気が付くことはありませんか?」「いや、だからこの辺はあまり通らないから。」そのうちにどこの局だか、マイクを構えた女性レポーターがテレビカメラを従えてやってきたので、これ以上巻き込まれては面倒と、さっさと現場を後にした。
December 16, 2006 =Sat=
小滝橋通りを新宿駅の方向に歩いていた。道路の反対側に大勢の人が列を作っている。そろそろお昼時だからいつものように麺屋武蔵のラーメンの順番を待つ人たちだ。だが、今日はなんとなく様子が違う。麺屋武蔵に並ぶ人々の列に沿ってパトカーが3台ほど停まっている。よく見ると小滝橋通りにもフジテレビの中継車が停まっている。その数台前にも日テレが、あと局名は確認できないがまだ中継車が見える。麺屋武蔵の行列付近に非常線も張られているようだ。行列の割り込みで喧嘩でもあったのかな、それにしては大げさだし、と思いながら次の信号まで歩くと、信号の先の線路際に行く道路が非常線で塞がれている。こうなると野次馬本性が顔を出す。用もないのに信号を渡り、非常線の番をしている警官に、「この道を通りたいんだけど、駄目なの?」と聞いてみる。「すみません。もうしばらく待ってください。」「何があったの?」「ちょっとした事件が。」ここで野次馬の一人が口を挟む。「首なし死体が見つかったんだよ。いま、テレビでもやってるよ。」後で読んだ新聞記事によると、現場は麺屋武蔵の奥、JRの線路沿いの普段はあまり人通りの少ない場所だ。昨夜の深夜から今日の早朝にかけて遺棄されたらしい。普通バラバラ死体の遺棄なんていうのはどこかの山中というのが決まりだろうに、いくら人通りが少ないと言っても何でこんな街中に捨てるのだろう。案外、殺人現場も近いのだろうか。我が家から5分、妻の事務所からはほんの2、3分のところでこんな事件が起きるなんて。
昨日、デジカメのSDカードがPCに認識されなかった件、今朝一番にPanasonicのサポートに電話しようとして、念のためにもう一度PCと繋いでみたら、今度は難なく認識された。まったくこれだからパソコンと言うやつは手に負えない。次世代OSのビスタでは、もう少し安定した昨日を発揮してもらいたいものだ。
December 15, 2006 =Fri=
朝、6時15分に家を出て、新宿センタービル裏手の集合場所に向う。我が家のある高層アパート
のグラウンドフロアには食品スーパーマーケットの「丸正」が入っているが、そのスーパーが抽選でお客を日帰り旅行に招待する催しが年一回行われ、妻がその抽選に当たったのだ。ただし招待されるのは当たった本人だけで、同伴者は9800円を自分で払って参加する。私はその自己負担による同伴者としての参加だ。行き先は駿河路。まず由比正雪の生家があると伝えられる由比町の桜えび直売所、次に日本平で食事をして三保の松原へ、そこから山梨に向かい、淡水真珠などを売るジュエリー店へ。あまり買い物はしなかったが、まあバスに乗ってお昼に寿司バイキングを食べ、みやげ物店を回る日帰りツアーと言ったところ。いかにもスーパーマーケットの抽選ご招待旅行ならではで、参加者はほとんどがおばさんたち。われわれのバスでは乗客約40人のうち、男は私と同じ同伴者らしき4人だけ。天気がよければ富士も見えるのだが、あいにく厚い雲が立ち込めていた。しかし夕方になってやっと富士はその山頂を見せてくれた。
ここまで書いて、ではその富士の姿を撮った写真を載せようと、買ったばかりのPanasonicのデジカメからカードを取り出し、アダプターに入れると、パソコン側に「カードがフォーマットされていません。今すぐフォーマットしますか?」というメッセージ。フォーマットなんかしたらせっかく撮った写真が全部消えてしまうじゃないか。そこでカードをカメラに戻し、USBケーブルで繋いで見るとPCはカメラは認識するのだが、やはり「フォーマットされていない」と言ってくる。実はこのデジカメ、昨日ビックカメラで買ったばかりなのだが、SDカードは16メガのしか付いてなかったので、キャノンのビデオカメラの静止画用に使っている1ギガのミニSDディスクを入れてみるとちゃんと使えた(だけではなく、そのミニSDに入っているロシア旅行で撮った写真もデジカメの液晶モニタで見られた。)から、これを入れていったのだ。同じJPEGとはいえ、他のカメラで使ったカードを使いまわしたせいでPCが正しく認識できないのかと思い、試しに付属の16メガSDカードでやってみたけど、やはり同じメッセージが出る。こうなったらPanasonicのサポートに電話するしかない。今まで使っていた富士写真フィルムのFinePixは、メディアはスマートメディアで、これはカメラでフォーマットする必要があったが、PanasonicのSDカードの場合はフォーマットは不要のはずだ。FinePixは結構長く愛用していたのだが、最近はスイッチオンした際に「フォーカスエラー」の表示が出て自動焦点が合わないトラブルが多く、シャッターチャンスを逃してばかりいるので、南極旅行を前に買い替えを決断した。南極へ行くなら、本当はデジタル一眼が欲しいところだが、性能と携帯性を比較してやはり持ち運びに楽な方を優先した。それも本当は望遠に強い機種がいいのだが、今後の旅行のことも考えると広角が欲しいときもあるので、28ミリの広角が可能な機種(浜崎あゆみがCMをやっている)のを選んだのだが。
December 14, 2006 =Thu=
教育基本法などの「改革」に際して政府が各地で「民意を聞く」と称して開いていた「タウンミーティング」で「やらせ質問」や意味不明の高額支出が相次いでいた問題で、噴飯ものなのは安倍晋三が総理大臣の給与から100万円を返すと表明したことだ。問題が発生したのが彼が官房長官の頃であり、タウンミーティングの主催者は官房長官であることから「政治的責任」を取ったのだという。そして国会審議で野党から「金で済ませようとしている。」と言われたのに対して「失礼じゃないか!」と憤慨して見せている。その一方で問題の教育基本法の方は与党の絶対多数で強行する姿勢を見せている。金を払ってのやらせ質問で世論を誘導し、それがばれたら給与を返上することで責任を取ったととりつくろい、肝心の法案のほうは税金を使っての世論誘導には目をつぶて押し切る。これでは「金で済ませようとしている」のではなく、「法律を金で買っている」というべきだろう。まあ野党の方も民主党が防衛庁の省昇格法案に賛成するなど、本気で安倍内閣の暴走を止めようとする気はないらしいから、行き着くところまで行ってしまうのかもしれないが。
December 13, 2006 =Wed=
今の会社の極めて有能なプロパー社員が今年一杯で退職する。理由は、彼のご家族に障害者がいて、彼自身、行く行くは障害者のための施設を運営することが夢だったのだが、社会福祉法人を設立して施設を建設する予算がついたと地元の市から通知があったためだ。本来はまだ一年以上先だろうと思っていたのが急に予算がついた理由は、どうやらあの悪名高い「障害者自立支援法」が原因らしい。あんな法律のもとではとても施設運営は出来ないと、手を挙げていた人たちが次々と計画を取り下げたため、繰上げで順番が回った来たのだという。会社としては大きな痛手だが、彼にはしっかりした計画とさまざまなアイデアがあるらしいので、頑張ってもらいたい。昨夜、彼の送別会が会ったのだが、私は別の予定が会って参加できなかったので、今日、個人的に送別会を行った。彼の上司としてこの7月まで一緒に仕事をし、親会社に戻ったS君も一緒。S君が戻った先は私の出身である監査部であり、古巣の話も聞けた。場所は私が選定したのだが、前に務めていた美容会社Y社の本社近くのスペイン料理店「エスペロ銀座三丁目店」白壁の内装がいかにもスペインのタベルナを思わせる店だ。彼も埼玉県の行田から通勤しているので、早めに切り上げてお開き。
送別会の時間に早く銀座についたので、有楽町の交通会館の書店でしばらく本を見ていたら、文芸雑誌のコーナーで『群像』をふと手にした。表紙の「大江健三郎」という文字に惹かれたのだ。ぱらぱらとめくってみると、600ページ近い雑誌が活字でびっしりと埋まっている。この頃読む本と言えば、英語のベストセラーのペーパーバックか逢坂剛などの軽い文庫本ばかりで、むかし親しんだ純文学系の雑誌を手にするのは久しぶりだ。1200円と決して安くはないが、迷った挙句やはり買ってしまった。大江健三郎が書いているのは、10月にフランクフルトで行った講演の全文であり、「大江健三郎賞」という文学賞創設を記念した講演だ。タイトルの"But
Rather of Their Folly"というのは、エリオットの"Do not let me hear/ Of the
wisdom of old men, but rather of their folly" (もう老人の知恵など聞きたくない。むしろ老人の愚行が聞きたい。)からとったという。日本の近代化の歴史を、明治維新により天皇制を復活させ、その天皇に軍隊の統帥権を与えたことで軍国主義に勢いを与え、広島・長崎の原爆による敗戦に至る前半期、民主主義と不戦、非軍備の憲法により現在に至る後半期と捉え、その憲法、教育基本法などを絶対多数を取った与党がすべて否定しようとしているのがこの2006年であるとしている。70歳を超え、こうした政府・与党の攻勢をまともに受ける戦後知識人の生き残り少数派としての彼が、自分ひとりで読み、自分ひとりで選考する、自分の名を冠した文学賞を創設すると言う「愚行」。これまで同時代の小説をよく読む部類の人間だった自分が、この作業を始めてから若い人たちの書く小説を読むたびに自分が拒まれていると感じ、また自分もこれらの本を拒んでいるのではないかと感じながら、生まれて初めて小説を読むことが苦役になった。そうした中で、友人であったエドワード・サイードが言った「すでに雑種的((hybrid)で、異種混淆的(heterogeneous)で、国境を横断し、こまかく差異化されてゆく文化の時代がきている。」と言う言葉の意味が理解できるようになり、自分の苦役とはそうした新しい文化が生まれてくる騒音に撹乱されているだけではなかったのかと気づいた。それからは、これらの若い作家たちならわが国の文化のアイデンティティと国家的アイデンティティが一つになったものには決して参加していかないだろうとの実感を持って、むしろ積極的にこれら独自の抵抗感ある文体に取り組むようになったという。
December 11, 2006 =Mon=
先日、知人の紹介で札幌の水産問屋に注文して数の子などを送ってもらったのだが、そのとき「鮭トバ」も一緒に注文した。鮭トバというのは皮つきの鮭の身を裂いて寒風に乾したもの。固いけれど噛むと鮭のうまみがじわっと口の中に広がる。以前、丸の内で勤務していたとき、近くの東京中央郵便局へ行くとときどき各地の物産展をやっていた。ある日、北海道の物産展でこの鮭トバをはじめて見て、少し高いけど美味しそうだなと思って買って帰ったが、それ以来病みつきになって、どこかで鮭トバを見ると買いたくなる。お酒のつまみにもいい。近頃あまり固いものを食べないので、たまにはこういうのを食べると歯にもいいように思う。郵便局の物産展で買ったのは大きくて形も不ぞろいだが豪快な感じだったが、今度買ったのは形のそろった、品質のよさそうな鮭トバだ。冷蔵庫に入れてあって口が寂しくなるとはつい手が出てしまう。
December 10, 2006 =Sun=
今年4月の道交法改正で始まったのだと思うが、民間駐車監視員という制度がある。駐車違反の摘発を民間委託でやろうと言うもので、講習を受け、試験で資格認定された駐車監視員という人たちがいる。胸と背中に蛍光塗料のような大きなXマークの入った服装をしている(制服は都道府県によって違うらしいが)のでやたら目立つのだが、このところ特によく見かける。今日も家からスポーツジムに行くのに、新宿警察までの5分程の間に2人組、4人組、4人組、2人組と計12人もすれ違った。必ず偶数なのは、仕事の性格上トラブルに巻き込まれることがあるし、独断で法令と異なる取締りにならないようにという配慮なのだろうか。だが、見ていると仲間内でおしゃべりをしながら歩いていることが多く、駐車している車に気を配っている気配はない。もっとも私の歩く狭い道は特に駐車禁止の標識が出ているわけでもないから、実際にはこんな狭い道で駐車されると迷惑なのだが、取締りの対象ではないのかもしれない。また、それぞれに担当の地域があり、新宿警察署に集合してこれから担当地域に向うところであって、担当地域以外で駐車違反を見つけてもそれに関わってはいけないことになっているのかもしれない。それはいいのだが、どうも彼らの態度が横柄な気がする。家から新宿警察署方面に続く道は、正式な歩道があるわけではなく、白ペンキで道の片側に歩道領域を示してあるのだが、警察署方面から歩いてくる彼らは二人が並んで歩道領域を占拠したままやってきて、すれ違うときにも道を譲ろうとはしない。今日など、四人組が車道領域を含めて四列横隊でやってきた。民間とはいえ、権力を背にすると態度が大きくなるのだろうか。
海外旅行用に使っているサムソナイトはだいぶ傷んでいる。実際に使うにはさほど問題はないのだが、宅配便を頼むと都度、「車輪部分が壊れているので確認してください。」といわれる。また、今度の南極行きは、日本や乗り継ぎのアトランタは真冬、ブエノスアイレスは真夏、そして夏とはいえ極地と気候の変化も厳しいので、いつものように二人でスーツケース一つと言うわけにはいかない。それで、この機会にもう一つスーツケースを買って、帰ってきたら古いほうはお払い箱にしようということになった。なにしろ二つ置いておくだけのスペースはないのだから。昨日、小田急百貨店のトラベルバッグ売り場を覗いてみたら、Protecaという高級そうなブランドのが並んでいたが、サムソナイトは見当たらなかった。売り場に人がいなかったので詳しく聞けなかったが、今日はヨドバシカメラの裏手にあるSELECTIONというかばん類専門のディスカウントショップへ行ってみた。店頭には名前も知らないメーカーの安い品しか置いてなかったが、店員に聞くと「二階にもっとあります。ご覧になりますか?」という。見せてくれというと「ちょっと待ってください」と鍵を取りに言った。二階といっても店の内部から階段があるわけではなく、店の裏手のちょっとみでは分からない扉を鍵で開けて、急な階段を上ったところに一流品のスーツケースが並べてある。どうも冷やかしの客には見せないシステムらしい。聞いてみると、サムソナイトというのは、日本の大手かばんメーカーのエースがブランド名を買って製造していたのだが、すでにその契約は切れていて、今はエースではサムソナイトは製造していない。エースの新しいブランドは、昨日小田急で見たProtecaなのだそうだ。店頭に並べてある安い品と、二回にある有名ブランドでは値段は倍違うが、耐久性も二倍以上違うらしい。また、最近では米国および英国では、テロ対策としてチェックインするスーツケース類は鍵をかけられず、透視によって不審物が見つかった場合、鍵がかかっていると当局者は鍵を壊して開ける権限を持っているそうだ。唯一TSAが認可したロックシステムを持っているスーツケースだと、鍵をかけておいても当局者がマスターキーを持っていて、それで開けて点検した上に、再び鍵をかけて返してくれる。従って米国方面に行く場合はTSAシステムを採用したスーツケースがお勧めだとのこと。念のためもう一度小田急百貨店と京王百貨店のトラベルバッグ売り場でも話を聞いてみたが、同じようなことだった。百貨店はいずれも定価販売なのに対して、ディスカウントショップは20%引きとのことなので、こちらで買うことにしようと思う。
December 9, 2006 =Sat=
10時半から新宿アイランドタワーのクラブツーリズムで南極旅行に関連してペンギンの勉強会。どうやら南極ではペンギンを見るのがメインのようで、そのための事前勉強をしようということだ。世界に生息するペンギンの種類は18種、うち、南極には7種がいるそうだ。今回の旅行で確実に遭遇するのはヒゲペンギンとゼンツーペンギンの2種。ペンギンはえさを追って回遊するので、運がよければそのほかの種類のペンギンにも遭遇するかもしれない。面白いのは、ペンギンと言う動物はカモメが進化して海に潜るようになったのだという。しかも卵を温めるペンギンを襲う天敵もやはりカモメなのだそうだ。
勉強会の後、いつものスポーツジムに行き、夕方に妻と待ち合わせて南極旅行用の買い物をする。100円ショップで手袋と防水用のレインコート、ユニクロでフリース(2着2990円)を買ったが、他に必要と言われていた耳まで被る帽子、リュックサック、防水手袋などは家を探せば何処かにあるはずとして見送った。その代わり、ビックカメラの家電売り場に寄った。もう20年以上使っている冷蔵庫が旧くなって、野菜室の引き出しの開け閉めが難しくなってきている。どんなのに買い換えればいいか見るだけの目的で来たのだが、目玉商品として展示されている89,800円の品物をみて衝動買いする結果となってしまった。東芝の製品だが、旧モデルで、新しいモデルと比べて機能の差はなく、デザインがちがっているだけ。特別に10台を目玉商品として今日限定で販売しているのだという。見ている前で8台目に売約済みの印がつき、残り2台のうち10台目は展示している現品になるという。それで展示現品以外の最後の品を急遽押さえたという次第。大きさも、今の冷蔵庫と比べて高さは高いものの幅や奥行きは同じくらいのようだから、設置場所に入らないことはないだろう。(家に帰って測ってみたら、幅と奥行きはそれぞれ今のよりも2〜3cm狭く、逆に高さは20cmほど高かった。)
December 8, 2006 =Fri=
昨日会ったばかりの娘が昼過ぎにノエルを連れて来訪。野菜中心の昼飯が食べたいと言うので冷蔵庫の中の有り合わせで拵える。この頃、我が家の料理担当は私になりつつあるのだ。
来年の年賀状のデザインを決める。7月に旅行したロシアでの写真を取り込む。妻と連名の年賀状をデザインしたが、これだと妻の税理士事務所として出すのには不適当だと言うので、税理士事務所用のもデザインする。連名の方はモスクワのワシリー寺院、税理士事務所のほうはサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館の写真を使った。
December 7, 2006 =Thu=
安定期に入って今週から週二日のペースで勤務先の税理士事務所に出勤を再開した娘から昼前に電話。オフィスがすぐ近くなので出勤前に昼飯を共にする。私は週三日、娘は週二日というグータラ勤務だ。昼は何にしようかと迷った挙句、インドカレーのMumbaiにした。先日、娘に頼まれて九段の千代田区役所に母子手帳を貰いに行ったとき、その近くにインド大使館があり、その更に近くに「インド大使館御用達」というMumbaiがあった。そのときはそこで昼食を取り、娘にその店を教えてやったら、あとで夫と二人で行ったそうだ。そのMumbaiが二三ヶ月前に神田にも店を出したのが、今日行ったMumbai神田店。カレーも美味しいが、大きなナンとデザートのマンゴラッシーがgood!
December 5, 2006 =Tue=
このDiaryもこのごろは一週間分を纏めて書いたり数日飛ばしたりと、いい加減になってきているが、いつも読んでいる他人のブログや日記がしばらく途絶えると気になるものだ。なかでも、「世に倦む日々」が10月末から途絶えているのはどうしたのだろう。11月には丸山真男に関する本を出版する予定と言っていたから、そちらで忙しくてブログにまで手が回らないのかもしれないが。あるいはこのブログの主は毀誉褒貶が激しいので、何らかのトラブルがあったのではとも心配している。これまでも、他人のブログや日記を読んでいると、ある日突然更新がストップし、そのままネットから消えてしまうという現象に何度かお目にかかったことがある。実際、突然の病気とか不慮の事故と言うようなことがあると、第三者である読者にとってはまったく予告もなくストップしてしまうのが、このネットの世界だ。
このDiaryにしたところで、妻のサイトの一部を使っているのだが、その妻のサイトを構築したのは私だし、妻自身はサイトに関する知識などまったくない。しかもこれをアップしているのは米国にあるレンタルサーバとの直接契約だし、ドメイン名も米国のドメイン管理会社に直に登録しているから、私が突然死んでしまったりしたら、妻のサイトも含めてドメイン名の権利が切れるかレンタルサーバの契約が失効するかのいずれか早い時点でネットから退場することになるのだろう。大学同窓のH君がネット上で綴っていた闘病日記も、いよいよ病状が最悪の事態を迎えた記述でストップしたが、彼の死後、ご長男の手でそのサイトの主が亡くなった通知が掲載され、それから半年後くらいにネットから消えた。このケースでは、彼の闘病の記録もご長男によって手厚く葬られたような印象だった。
December 4, 2006 =Mon=
3年前まで勤めていた商社の監査部のOB会の忘年会が12日(火)にあるという連絡を貰っていたが、12日はいろんな会合が重なっている。大学の同窓会も12回生ということでこの日に忘年会があるし、会社の同僚の送別会も12日だ。そのどれも欠席して、毎週火曜日のコントラクトブリッジ教室を優先することにした。なにしろ一回休むと分からなくなってしまうのだ。そのかわり、送別会の方は日を改めて個人的にやることにした。OB会の方は、世話役代表のS君に連絡し、忘年会とは別に一杯やろうという話をしていたところ、同じ監査部OBで私と同期のN君の絵画展があるので、そこで会おうということになった。京橋の東京近代美術クラブ。今の勤務先の神田の事務所を開くとき、いくつもビルを見て回ったが、第一候補に決めていたのが京橋の昭和通に面した弥生ビルだった。結局、第二候補だった神田のビルのアセットマネジメントをやっていたのが親会社出身者の経営するところで、その線で破格の好条件を提示され、第二候補が逆転したのだが、使いやすさやロケーションでは京橋のビルにやや未練が残っていた。今日の東京近代美術クラブはその弥生ビルのすぐ近くで、ビルを見に行ったときも、この近所には画廊が多いな、という印象を持った覚えがある。今日の絵画展は、商社の絵画部OBによる作品であり、N君は人物画と静物画を一点ずつ出展している。会場には繊維出身の先輩であるTさんも見えていて、Tさんのは抽象作品を二点出展されていた。昨年奥様を亡くされ、出展作品は奥様のご存命中に描きかけていたものをご逝去後に完成させたもので、「Memory」と題されていた。他にも経理の先輩で絵画部OBの世話役をしておられるというFさん、同期で中東での駐在経験を生かした題材のM君など、「あの人がこんな絵を描いていたんだ。」と驚き、かつ懐かしい絵がいくつもあった。私は絵画は鑑賞だけで、自ら絵筆をとる自信はないが、こうした趣味を持つ人たちは羨ましい。
体調があまりよくないというN君と別れ、絵画展に来ていた監査部OB組のS君、H君、T君と四人で近くの居酒屋へ繰り出す。
December 3, 2006 =Sun=
スポーツジムの帰りに新宿郵便局の隣にあるアオキに寄ってハーフコートとジャケットを買う。ハーフコートは、週三日勤務になったことだし、いかにもサラリーマンタイプのこれまでのコートから少しカジュアルに変えてみようと思ったため。また、ジャケットは南極クルーズの船上パーティ用のつもり。というか、ハーフコートand/orジャケットを2着買うと1着は1000円に値引きすると言うキャンペーンに乗ったというのが衝動買いの理由。同じくスラックスも2本買うと1本はただで差し上げます、というキャンペーンで3本買った。こちらはダイエットと運動のおかげで以前は92cmだった胴回りが85cmにスリム化したため、これまでのズボンがみんなだぶだぶになっていたので、必要に迫られたもの。「当店でお買い上げいただいた品なら、胴回りの調整もやらせていただきます。」というので、今日買ったスラックスのすそ上げが出来たときに、旧いのを一括して持ってきて直してもらうことにした。
アオキから小田急ハルクのビックカメラにまわり、昨日の説明会で勧められた双眼鏡を見る。8倍の固定レンズだが、Vixenの3950円のが一番の売れ筋とのことでこれを一つ購入。もう一台はもっとゆっくり検討してからにしようと買わずに帰り、探してみたら同じVixenので、型は旧いけどズーム式のがみつかった。自分で買った覚えはないので、もしかすると息子が置いていったのかもしれないが、ともかくこれで用は足せそうだ。
December 2, 2006 =Sat=
1時からアイランドタワー13階のクラブツーリズムで南極旅行の説明会。極地で着用するパルカは各人のサイズに合ったものを船側から支給され、上陸の際に履く長靴は貸与されるのだが、そのほかに帽子、手袋、防水ズボン、靴下等は各参加者が用意する必要がある。船が大きいので、難所のドレーク海峡を渡るときにも木の葉のように揺れる心配はないが、船酔いの薬も用意していった方がいいらしい。メールも使えることは使えるが、ログイン1分あたり0.9jかかり、日本語は使えない(ローマ字表記以外は文字化けする)とのこと。インターネットカフェなら15分100円が相場だから、かなり高い。しかもUSBは使えないとのこと。乗船中のメールはあきらめた方がよさそうだ。船内ではコーヒー、紅茶などは無料だが、アルコール飲料は有料。ウシュワイアあたりでお酒を買って持ち込んだら?と聞いたら、それは厳禁だそうだ。あと、一人に一台ずつ小型双眼鏡を持っていった方がいいとのこと。うちにはどういうわけか大型の双眼鏡なら2台もあるのだが、ビデオカメラも持つことだし、やはり小型の双眼鏡を買う必要があるかもしれない。
南極説明会からいったん家に帰り、早めの夕食を済ませて歌舞伎町のミラノ座へ。昨日見損なった「父親たちの星条旗」、クリント・イーストウッド監督作品だ。太平洋戦争末期の1945年、硫黄島に上陸した米軍海兵隊は日本軍の激しい抵抗に遭った。激烈な戦闘が続く中、米軍は擂鉢山の頂上に星条旗を立て、従軍記者がその写真を撮る。これが本国の新聞に掲載され、全米を熱狂に陥れる。旗を立てたとされる6人のうち3人は戦死、生き残った衛生兵のドク、伝令のレイニー、インディアン出身のアイラは本国に呼び戻され、英雄として熱狂的な歓迎を受ける。米国政府が彼らに求めたのは、戦費調達のための140億ドルにのぼる国債販売の宣伝活動だった。政府は国債を売るために「英雄」が必要だったのだ。だが、この写真がどのようにして撮られたかを知っている彼らは、周囲の英雄扱いに違和感を覚えながらも、政府の求めに応じざるを得ない。悩みぬいたアイラは酒におぼれ、海兵隊司令官の逆鱗に触れ、また自らも望んで戦地に戻る。やがて戦争が終わる。アイラは行き倒れ、レイニーは英雄時代の伝を頼って就職を求め歩くが、「過去の英雄」には誰も見向きもしない。ドクは硫黄島での真相には沈黙を守ったまま、老いても激戦の悪夢に脅かされつつ死期を迎える。そしてその息子によって、徐々に真相が明らかにされる。
クリント・イーストウッドは、「戦争に英雄はいない。英雄はそれを必要とする政治家によって作られる。そして、現在もなお、政治家たちの都合によって多くの若者が殺されている。」と言う趣旨のことを語っている。これはイラク戦争のことを指しているのだろうが、イラク戦争での英雄物語といえば2003年に起きた19歳の米軍女性兵士ジェシカ・リンチ上等兵の救出作戦が思い出される。イラクの軍事施設に捕虜になり、拷問で重傷を負っていたリンチを、海兵隊特殊部隊が救出に成功した。手詰まりのイラク情勢の中で、若く、可愛らしいリンチの救出劇は唯一の明るい話題として、帰国したリンチはたちまち英雄となった。しかしその後の調査で、リンチが重傷を負ったのは米軍車両が転倒した際の負傷であり、リンチが収容されていたのは軍事施設ではなく病院であり、イラク側はリンチを手厚く看護して、米軍に連絡を取り送り届けようとしたが米軍はこれを拒否、二日後に「救出作戦」を行ったということが判明した。
硫黄島から帰還した「英雄」たちが、本国で感じた戦地との落差感は共有できるものがある。1989年12月の米軍パナマ侵攻で周囲が戦場と化し、硫黄島のような状況でこそなかったものの砲声が響き、警戒に当たる米軍兵士から機関銃を向けられたりする中から、30日になってようやく10日ぶりに再開したパナマ空港から、民間航空の第一便でマイアミに脱出、そこで一泊してロスに飛び、日航機に乗り込んで帰国した。ところがこの日航機、成田着が元日になるのでスチュワーデスは和装でお屠蘇のサービスをしている。日本に着いても、家族も会社関係の連中も、「大変だったね。」とは言うものの、当たり前ながら、基本的には平和な中でそれぞれの生活を続けている。なぜか、「早くパナマに帰らなければ」と思ったものだ。
December 1, 2006 =Fri=
スポーツジムで、トレーニングルームからプールに行こうとしてふと気がついた。今朝、このあと妻と映画を見に行く約束をしているのだが、何か気になっていた。そうだ、今日は松戸会だった。それも私が連絡役で、みんなにファックスやメールで今日の忘年会への出席を呼びかけていたのだ。その当人がうっかり欠席では洒落にもならない。ジムを出るとあわてて妻に電話して約束を取り消す。映画は3時45分からで、それが終わってからでは6時の会合にはとても間に合わない。幹事なので早めに行かなきゃと、5時過ぎに着くようにでかける。場所は神田にある日立のクラブで、私のオフィスのすぐ近く。普通なら仕事が終わってから行くのだが、週三日勤務体制で今日は休みなのですっかり感が狂ってしまっていた。途中、主宰者のHさんと、メンバー最長老のKさんに出会い、一緒に会場に着く。出席者は、主宰者で元日本租税研究協会のHさんのほか、皆さんOBだが、S製鉄出身が2人、N証券2人、M商事が私を含め2人、N鋼管、M物産、M商社、N商社、合繊のT社、総合電機H社、M重工、M銀行が各1人、それに国税局OBが2人の計17人。Hさんは館山でやっていた身体障害者用宿泊施設は廃業したものの、現在も地元の松戸で心身障害者の面倒をみている。小泉内閣の置き土産である悪法・障害者自立支援法に苦しめられているという。