Diary




February 24, 2007 =Sat=

大江戸線の勝どき駅から歩いて5分ほどのところにサンシティ銀座EASTという建物がある。老人介護施設をもつ高齢者用のマンションで、普通ならもっと郊外の立地にあるのだが、ここは都心だ。4ヶ月前にオープンし、現在は約270戸のうち90戸が契約済み、40人ほどが入居しているという。ここのシステムは15年分の家賃を前払いすれば後は生涯家賃は不要で管理費と食費、水道光熱費だけ。もちろん家賃だから月々払ってもいいのだが、ほとんどの人は現在の住まいを処分して移ってくるので一括払いがほとんどという。今日はここの見学会なのだ。

建物は31階建てで、3階から6階が介護用の個室、7階から29階が健常者用のマンションで、1階と2階はロビー、図書室、喫茶室、娯楽室(囲碁、麻雀、ビリヤードなど)、理美容室、マッサージ室、大浴場、フィットネスクラブ、温水プールなどの共用施設、30階がレストラン、31階はホールがある。近くの聖路加国際病院と提携したクリニックもある。(私自身、生まれたのが聖路加国際病院だから、ここに入居できれば最初から最後まで聖路加で面倒を見てもらえることになるのだが。)施設が充実している分、料金も高額で、15年分の前払い家賃で6千万円台から1億円台、月々の管理費も一人だと20万円近く、二人だと30万円近くになる。月々の管理費は年金で何とかなるとしても、前払い家賃の方はいま住んでいる家のローンを返し終わって、他の資産も全部処分して・・と考えると、やはり宝くじにでも当たらないと難しい。だが、見学だけなのに30階のレストランで食事もつき、施設見学の後は31階のホールですでに入居している人たちとともに小松真知子のタンゴリサイタルを聴く。小松真知子はバンドネオン奏者として有名な小松亮太のお母さん。聴衆の年齢を考えてか、懐かしいメロディが多い。

この施設の経営母体は大手企業数十社が出資した資本金120億円の無借金経営だそうだ。帰りに出口のところで社長のMさんが声をかけてきた。説明会とコンサートでMさんが挨拶されていたときに関西訛りに気がついたので、「関西の方ですか?」と聞いたのだが、なんと大学の先輩だった。


February 23, 2007 =Fri=

双生児を妊娠中の娘が、来月には帝王切開の手術で入院することになりそうなので、もう余り外食の機会がない。それで北京ダックを食べたいというので、新宿三丁目の全聚徳(ぜんしゅとく)でランチ。知る限りでは北京ダックの店としてはここが一番有名なはず。北京の本店は、ニクソンだのブッシュ父だのといったアメリカ大統領も贔屓にしていたという。日本に店を出したのは新宿が最初で二年ほど前、その後銀座にも出店している。

コースよりも好きなものだけ食べたいという娘に合わせて、北京ダック、ふかひれ姿煮などを注文。ここの北京ダックは本場そのままなので、ダックの皮だけでなく肉もいっしょに巻いて食べる。料理人が一羽まるごとのダックから半羽分を切り分けてくれる。その中から少量だが最上級の胸の部分の皮に砂糖をまぶして食べるのが美味しい。

デザートは高野で、というのでタカノフルーツパーラーへ。当然名前は知っているが、ここに足を踏み入れたのは初めて。驚いたことに、大勢が列を作って入場待ちをしている。われわれは比較的スムーズに入れたのだが、その後順番待ちの列はますます長くなってくる。若い人たちもいるが、どうやら年配の人の比率の方が高いようだ。妊娠中とはいえ食べすぎは良くないらしく、娘はメニューの写真で比較的小さそうに見えるショートケーキを注文したが、出てきたのは想像の3倍を超える大きさだった。



February 21, 2007 =Wed=

国税庁の「確定申告書作成コーナー」で、プログラムミスで止まっていた譲渡所得申告書作成が、ようやく今朝の4時から復旧したというので試してみた。申告書や内訳書は仕方なく手書きであれこれ考えながら作ってあったのだが、このプログラムを使ってやればずっと簡単にできる。ということは国税庁のミスで余分な時間を取られたわけだ。結果は手書きのものと数字も書き方もピタリと一致。


February 20, 2007 =Tue=

派遣元の会社が慰労会をやってやるというので有楽町ビルの「牛や」へ。商社の経理サービス会社で、OBを活用して子会社へ派遣したりアドバイザーとして経理指導をさせたりしているので、そういうOBへの慰労なのだが、二、三週間前にも声がかかり、そのときは所用があって失礼したのだが、都合のつかなかったOBみ再び声をかけての二ラウンド目。本社の執行役員でもあるこの会社の社長の気配りはさすがと言おうか。かの「森伊蔵」とも肩を並べる芋焼酎の名品「魔王」の一升瓶が空になる。


February 18, 2007 =Sun=

自分の確定申告は数年前から国税庁のホームページにある「確定申告書作成コーナー」を使ってやっている。お役所が作ったにしてはなかなか良く出来ていると思っていたのだが、今年はとんでもないことになっている。私の場合、一昨年亡くなった母から妹たちと一緒に相続した大阪の家を昨年売却したので、この確定申告では譲渡所得の申告をしなければならないのだが、確定申告書作成コーナーで「土地建物等の譲渡所得」のところをクリックすると、

   確定申告書等作成コーナーの土地等の譲渡所得に係る計算機能については、プログラムの一部に
  誤りがあったことが判明したため、平成19年2月8日(木)からそのサービスの提供を一時休止し、
  メンテナンス作業を行っているところです。
   現在、2月21日(水)頃のサービス提供の再開に向けて作業を行っておりますので、ご不便をお
  掛けいたしますが、しばらくお待ちいただきますようお願いいたします。

というメッセージが出てくるのだ。冗談じゃない、15日からもう確定申告は始まってるんだよ。「確定申告はお早めに」なんて宣伝してるのはどこの役所だ。金曜日に東京国税局の税務相談室に譲渡所得の計算方法でよく分からない点を質問したら割りと要領よく回答してくれたのだが、ついでに「確定申告書作成コーナーではプログラムミスで譲渡所得の計算が出来ないようですけど。」と聞くと、「え?もう直ったと思ってましたけど。ちょっと調べてみますね。」と言った後、電話の向こうで「え!まだ直ってないの?こんなことうちも(電子申告を)じゃお客さんに宣伝できないよ〜」と嘆いている声が聞こえていた。



February 16, 2007 =Fri=


南極のポート・ロックロイ上陸のとき、正午までにパーサーズデスクに絵葉書と切手代2ドルを預けておけば英国の基地経由で基地から投函してくれるというので、息子と娘あてに絵葉書を買って出した。ついでに自分自身あてにも出しておいた。帰国してから娘に「絵葉書着いた?」と聞いて「着いてないよ」という答えを貰った記憶はあるのだが、2ドルをネコババさらたかな、と思っただけでその後すっかり忘れていた。今日、郵便受けにそのとき自分宛に出した葉書が入っていた。そうだ、先入観でエアメールだと思っていたが、当然船便だったのだ。しかしよく見ると、葉書にはマルコポーロ号のスタンプが押され、切手はBritish Antarctic Territoryの発行で額面記載はないが、Airmail Postcardと印刷されているではないか。さらに調べてみると、Port Lockroyの消印は1月20日付になっている。ということは、船側はちゃんと約束どおりに投函したのだが、Port Lockroyの英国基地がさぼって1月20日まで放置していたことになる。まあ、忙しい南極観測隊員たちが、片手間に外国人観光客の郵便物の処理までやってくれているのだから文句を言う筋合いではないし、第一、エアメールと言ったって飛行機の便も月に一度くらいしかないのかもしれない。

Travel to Antarcticaをようやく書き終えました。



February 14, 2007 =Wed=

昨夜テレビの衛星放送で「カサブランカ」を放映していたので録画しておいたのだが、今日になって誘惑に負けて再生ボタンを押してしまった。この映画、実に何度も繰り返し観ているが、観始めると途中ではやめられない。パナマで単身赴任している間も、レンタルビデオで借りてきたのをダビングして何度も観ていた。主な場面の台詞もほとんど空で覚えているくらいだ。ニューヨークに出張したときなど、本屋でシナリオがないか探したが見つからなかった。なぜシナリオを探したかというと、カサブランカの台詞は分かりやすいとはいえ、私のヒアリング能力では何度聞いても聞き取れない部分があったからだ。帰国して1年くらいたった時だろうか、八重洲ブックセンターで完全なスクリプトとスティール写真が載った本を見つけ、迷わず購入した。"The 50th Anniversary Edition"と銘打たれていた。この映画が製作されたのは私の誕生年の翌年なのだ。だから今はもう65年になるのだが、いまだに人を惹きつけてやまない。このスクリプトのおかげで、「君の瞳に乾杯!」という邦訳で有名なあの台詞が"Here's looking at you kid."だと分かった。その後すぐ、新宿のヨドバシカメラで見つけたのがやはり"50th Anniversary Celebration"と銘打ったビデオ2巻と本、スティール写真のセット。かなり高価だったがこれも即決で購入。ビデオが2本あるのは通常のものともう一つはcolorized version、つまりもともと白黒の映画をコンピュータでカラー化したもの。実はこのcolorized versionもパナマのケーブルテレビでやっていたのを録画して持っていたのだが、やはりちゃんとした製品版のビデオの方がいい。

カサブランカの台詞は何かのきっかけがあるとすぐに頭の中に蘇ってくる。私がパナマにいた当時は、貧困層を支持基盤にした軍事独裁政権とこれに反目する富裕層中心の反政府勢力とが一触即発の状況にあった。ある日、ユダヤ系の老弁護士を呼び出して昼食をとっていたとき、政治情勢に話が及んだとき、ふとカサブランカの中でシュトラッサ少佐がルノー警部に「お前はヴィシー政府とレジスタンス側のどっちについてるんだ?」という意味で"Which side are you on?"と問い詰めるシーンが浮かび、弁護士に同じ台詞で聞いてみた。その弁護士は可哀想にしばらく悩んだ挙句、「実は私は反政府の立場なんだ。」と答えた。あの状況の中ではあまり政治的な立場を鮮明にしたくなかったんだろう。悪いことをした、と後悔した。

今やインターネットの時代、カサブランカ・フリークのウェブサイトも探せばいくつもある。たとえばこんなところ。俳優たちの出演料もかいてあって、主演のハンフリー・ボガートは36,667j、イルザ役のイングリッド・バーグマンはまだ駆け出しだったためか、ラズロ役のポール・ヘンレイドと同じ25,000j、シュトラッサ役のコンラッド・ヴェイドも同じ25,000jなのにルノー役のクロード・レインズが22,000jと安いのは意外だ。もっと意外なのはこの映画で非常に重要な役柄であるピアノ奏者サムを演じるドーリー・ウィルソンが3,500jと、裏社会の顔役シニョール・フェラーリを演じるシドニー・グリーンストリートの半額以下ということ。ちなみに、マイケル・カーチス監督の報酬は73,400j。1942年のアメリカの物価水準はどの程度だったのだろう。この映画は、当初はルノーがシュトラッサを空港で迎えたときの台詞"Everybody comes to Rick's"をそのまま題名にしていたが、撮影が始まる頃にカサブランカに変えたそうだ。もとの題名のまま公開していたら、あれほどのヒット作になっただろうか。

Travel to Antarcticaを更新しました。



February 12, 2007 =Mon=

三連休だったが一週間ほど前からひいている風邪も治らないので、スポーツジムにも行かず家で確定申告などの仕事を続けていた。もっとも、ずっと仕事とはいいながら、余りやりたくない仕事なので気が向かず、気付くとテレビを見ていたりネットをブラウジングしていたりしていて能率の悪いこと夥しい。

一昨年、妻の母と私の母が相次いで亡くなったとき、娘の嫁ぎ先の実家から贈っていただいた鉢植えの蘭がまた花をつけた。妻が毎朝水をやり、日当たりのいい机の上に置いているためだろうが、とても元気だ。去年、このDiaryに同じようなことを書いたような気がして探してみたら3月2日だった。今年は暖冬のせいか蘭の花もだいぶ早く咲いたようだ。それにしても今年の暖冬は異常というほかない。東京ではまだ初雪すら降らない。妻がはじめて町田市の市会議員選挙に出た1994年には、大雪の中を一軒一軒歩いて政策ちらしを郵便受けに入れて歩いたが、場所によっては郵便受けのある門柱が雪に埋もれて近づくのにも苦労したほどだったし、運転する車が雪に突っ込み、エンジンをふかしても車輪が空回りしたり、慣れない手でスノーチェーンを巻くのに苦労したのが思い出されるが、それから13年でこんなに気候が変わってしまうのだろうか。そういえば一昨日の朝、テレビのニュースショーで温暖化を取り上げ、銀座四丁目でその前日に収録した市民の声を伝えていたが、たまたまそのテレビクルーのところを通りかかったのが妻と娘の二人連れで、妻が「この冬に南極へ行ってきたんですけど、氷河もあまりなくて大変だな〜、怖いな〜と思いました」なんてしゃべっているのが映っていた。まあ、南極はいま夏なんだからね。



February 10, 2007 =Sat=

南極旅行で一緒だった方々からいろいろと頂戴ものがある。宇都宮の歯科医の先生からは先月、向こうで撮った写真とともにご著書を送っていただいたが、那須のチョコレート工場主の方からはダンボールいっぱいのチョコレートが届いた。栃木県南部の町の独身の女医さんからはたくさんの写真を送っていただいた。どういうわけかみなさん栃木県の方ばかりだ。昨日、やっとそのお礼状を送ることが出来た。こちらからは数枚の写真以外に送るものもないので、ルメール海峡で撮った写真をパノラマに仕立て、そこに該当の方が映っている写真をセットしてA4版の写真用紙に印刷したものを送らせていただいた。



February 4, 2007 =Sun=

数年前、ソウル在勤中にくも膜下出血で倒れたI君を、昔の仲間二人とともに清瀬の病院に見舞う。この前見舞いに行ったのは1年以上前になる。いつだったかと思ってこのDiaryを検索したが見つからない。確か書いた記憶はあるのだが。前に見舞ったときは練馬の病院だった。そのときは一人で行ったのだが、こちらのことは分かるようではあるものの、ほとんど口を開くことがなかった。何となく病室を去るきっかけがつかめず、気まずい思いがした記憶がある。その後、いったん自宅療養に切り替えたが、一ヶ月ほど前に足の骨折が判明して今の病院に入ったとのことだ。前の病院は街中の個人病院で陰気な感じだったが、この病院は広い敷地の国立病院だ。病室に入り、「こんにちは」と声をかけると元気な声で「こんにちは」と返してくる。ところがその「こんにちは」が何度も何度も繰り返して出てくるのだ。こちらから何か話すと、確実に反応して返事を返してくるから、認識ははっきりしているのだが、返事が延々と繰り返されるのがなんとも痛ましい。I君は私より12歳若いはずなので、53歳になっている。昨年、準定年の手続きを取ったと聞いた。




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