Diary





March 31, 2007 =Sat=

文部科学省の教科書検定により、今年の高校の教科書から第二次大戦末期の沖縄戦での「集団自決」の記述から「日本軍の強制によって」という言葉がすべて削除された。文部科学省が理由に挙げるのは、大江健三郎の「沖縄ノート」で日本軍の強制によって住民が集団自決に追い込まれたという記述に対して、当時の日本軍の守備体調が「名誉毀損」の訴えを起こしたことに配慮したという。まだ判決すら出ていない訴えに配慮して教科書まで書き換えさせるという文部科学省(=安倍内閣)の姿勢は、「従軍慰安婦は国家が強制的に行ったという証拠はない。」という安倍晋三のそれと軌を一にするものだ。政治と金の問題に絡んで、松岡農水相だけでなくアパグループの耐震偽装との関連で安倍本人にも疑惑が及び、何時崩壊するか分からない内閣が、自分たちの権力が通じるうちに歴史の改竄を出来る限りやってしまおうとしているように見える。同じ日、日の丸、君が代に不起立で意思表示した東京都の教師たちに対する処分が今年も発表された。こうした処分を次々に打ち出す都の役人たちは、今の都知事が失脚して日の丸、君が代の強制を否定する知事が当選したら、公務員の権力乱用常習犯として処分対象になるのだろうか。



March 30, 2007 =Fri=

昨日、東京女子医大病院に入院した娘の様子を見に行く。家から都営地下鉄大江戸線の新宿西口まで6分、そこから2駅目の若松河田まで4分、地上に出て5分も歩けば病院に着く。足し算すれば15分くらいで行けるのだが、大江戸線の駅は深度が深いので地上とホームまでの縦方向に時間がかかる。とはいえ、ゆっくり行っても30分はかからない。東京女子医大病院は、以前お見舞いで一度行ったことがあるが、今回行ってみてその巨大なのに改めて驚かされる。若松河田の駅から「女子医大通り」に入るとまず数軒の調剤薬局が並んでいて、その先は道路の両側の大きな建物はすべて女子医大と病院だ。道路の左手が医大と研究施設、右手が病院と見当をつける。面会時間は1時からと聞いていたが、まだ1時前なので病院を通り過ぎ、すこし先にある「レストランふじ」に入る。建物も内装も思いっきりレトロな店だ。メニューもレトロな、昔ながらの洋食だが、どれもとてもボリュームが多そう。ウェイトレスのおばさんに「何か軽いものない?」と聞くと、「どれもけっこうボリュームありますよ。」とメニューを渡して行ってしまった。チーズサンドイッチとアイスラテを注文するが、このサンドイッチも相当のボリューム。「レストランふじ」の名前は10年前までこの地にフジテレビの本社があり、その名残らしい。

病室に行くと娘は思い切り暇を持て余している。もともとお産で病気ではない上に、今朝までは何度も検査があったが午後からは何も予定がないとのこと。昼間のテレビも面白くないし、病院だから携帯電話も原則禁止。パソコンが使えるようなら私のを持ってきてやるつもりだったが、電源を取るにも許可が要るらしいし、ネット接続などできそうもないのでやめにした。12階にコインランドリーがあって自分で洗濯ができるらしいから見に行こうというので付き合う。自分で洗濯をしたいというより、そんなことでもしてせめて病院の中でも歩き回りたいらしい。そのあとは一階の売店でカットフルーツのパックを買う。食欲は十分あるらしい。これまで主治医は赤ちゃんの性別を教えてくれなかったが、今度の検査担当の医師はあっさりと「二人とも男の子ですね。」と言ったとのこと。男の双子って、育てるの大変だろうな。



March 28, 2007 =Wed=

明日から入院する娘が、「出産前に桜を見てみたらし団子を食べたい。」というので、娘の家から歩いて15分くらいの靖国神社へ。本当は九段下にあるホテルグランドパレス23階のレストランから桜を見下ろしながらのランチブッフェを考えていたのだが、今夜は夫とニューオータニで入院前最後の夕食を共にするので昼は軽くすませたいというのが本音らしい。靖国通り沿いの桜は満開に近かったが、境内の桜はまだ三分咲きといったところ。花より団子と屋台を探すが、南門から境内に入ったので境内を出て参道の方へ向う。まだ花見には少し早いせいか、屋台は並んでいるが人の入りは今ひとつ。たこやき、鮎の塩焼き、おでん、お酒と同じような屋台が並んでいるが、娘のめざす団子の店は見当たらない。だが、本人は平然として「お団子の店は一軒しかないんだよ。」聞くとここ数年お花見のシーズンにはここに来ているが、いつも団子屋は一軒しかないのだという。妻と娘はたこやきに甘酒、私は鮎の塩焼きに缶チューハイをつまみつつ、参道を往復すると、確かに娘の言う場所に団子の店があった。

娘の家に戻るとノエルが待っている。ここ二三日、散歩に連れて行ってないというので私が連れ出すことに。いつものように四谷に向うJR線路の上の土手路を歩く。いつもは人通りも少ない道なのだが、ここも桜の名所の一つなのか、青いシートを敷いて花見をするグループも見える。区のほうも心得ていて、仮説トイレやゴミ箱も設けられている。だが、肝心の桜は一部の樹を除いてまだせいぜい三部咲きといったところ。本格的な花見が楽しめるのはこの週末以降だろう。桜よりも、土手の公園に咲いている椿の方に目が行ってしまう。

娘の家から帰ってから、夫婦それぞれしばらく仕事をして、さて夕食はと考えて、今日は外食にした。我が家からスポーツジムに行く途中、青梅街道を新宿警察署前の信号で渡るのだが、その信号のそばに「Table for one」という店が二年ほど前から出来ているのだが、一度行ってみようと気にとめていた。食事のあとスポーツジムへ行こうと、少し早い時間だったが入ってみた。プリフィクスコースで3,500円と手ごろな値段。前菜にカマンベールチーズをまるまる一個使ってその中をくりぬいたチーズフォンデュなど、かなり凝った料理もある。ウェイターもとても感じがいい。落ち着いて食事が出来る雰囲気の店だ。



March 27, 2007 =Tue=

植木等さん死去。享年80歳。植木等といえば思い出す人物がいる。パナマで一緒だった千代田化工の設楽さん。植木等の物真似が得意だっただけでなく、植木の生き様に心酔していると言って憚らなかった。パナマを中心に中南米での駐在は15年以上に及び、大統領に就任前のフジモリ氏とも交友があった。帰国後は在職の傍ら明治学院大で中南米経済を講じ、退職後もJETROの仕事などで中南米との関わりを続けていた。1991年には『21世紀のパートナー ラテンアメリカ』という著書をJETROから出版している。植木等の死去に当り、「高度成長期に『無責任男』の役割を演じた、非常に真面目で責任感の強い人物」という評価がなされているが、設楽さんが植木の生き様に心酔するのもそうしたところなのかも知れない。



March 26, 2007 =Mon=

3月24日付ワシントンポストの社説を翻訳してみた。

ワシントンポスト 2007/3/24 社説

安倍晋三の二枚舌
彼は、北朝鮮による日本の拉致被害者には情熱を燃やす・・が、日本自身の戦争犯罪には目をつぶる。

今週の北朝鮮に関する「6ヶ国協議」で一番恐慌なのは、金正日政権が要求した25百万jの引渡しで無様な争奪戦に巻きもまれたブッシュ政権ではなく、日本だった。日本は、10年以上前に北によって拉致されたとされる17人の日本人に関して北朝鮮が情報を提供するよう求め、その回答を受け取るまでは両国関係の改善を一切拒否している。この一本調子の政策について、安倍晋三首相は高度に道徳的な問題としているが、彼は13歳で誘拐されたとされる少女を含め、拉致被害者たちを低迷する支持率回復に利用している。

安倍氏は平城の妨害に対して文句を言う権利はある。だが、奇妙な、そして不快なのは、彼がそれと並行して第二次大戦中に数万人の女性に対して行った誘拐、強姦そして性的奴隷行為の責任を認めることに反論するキャンペーンを行っていることだ。公式謝罪を求める米国議会の決議案に対して、安倍氏は今月、日本軍が女性の誘拐に携わった証拠書類はないとの声明を二度にわたって発表した。先週の閣議で決定された文書は、いわゆる従軍慰安婦に対する日本の残虐行為を認めた1993年の政府声明を弱めるものであった。

事実、この件に関する歴史上の記録は、北朝鮮が日本人を誘拐し、そのうち何人かを教師や通訳として使ったという証拠と同様に明確である。歴史学者によれば、朝鮮、中国、フィリピン及びその他アジア諸国から20万人にのぼる女性が奴隷化され、日本軍兵士がその誘拐に関与していた。最近議会で証言した3名を含め、生き残った多くの人が恐怖の体験を語っている。日本政府が彼らの苦しみを完全に認めず、補償も行っていないことは不公正であり、安倍氏が以前の政府声明から後退しようとしているのは主要民主主義国のリーダーとして恥ずべきことである。

安倍氏は、誘拐への日本政府の直接の関与を否定することで、北朝鮮から回答を求めるにあたり道徳的権威を強めると思っているのかも知れない。だがそれは逆である。安倍氏が日本人拉致被害者の消息を知ることについて国際的理解を求めるのであれば、まず日本自身の犯罪責任を率直に認め、彼が名誉を傷つけた被害者に謝罪すべきである。



March 25, 2007 =Sun=

朝9時40分頃、ソファで横になったままテレビを見ていたら、「あ、地震!」という妻の声。横になっていたのですぐには気付かなかったが、ピクチャーレールから吊るしてあるギリシャ工芸品の三枚の銅版がカタカタと音を立てて揺れている。この銅板、我が家でもっとも感度の高い地震計なのだ。夜中に地震があったときなど、寝ていて揺れそのものには気がつかなくても、寝室の隣の部屋で銅板がカタカタと鳴る音を聞いて「あ、地震だ。」と目を覚ますことがある。ソファから起き上がってみると、確かに大きな揺れがかなり長い間続いていた。震度は2か3くらいかな、とテレビを見ると、「能登で震度6強」とのテロップが流れる。「6強」というのはかなり激しい地震だ。最初のうちはテレビのニュースなどで見る限りあまり大きな被害はなかったようだったが、様子が分かるに連れて倒壊家屋や死傷者の情報が流れてくる。だが、これだけ大きな地震で亡くなった方が一人だけというのは、ご本人には気の毒だが、まずは幸いと言うべきか。能登方面はずっと昔に行ったことはあるはずだが、あまりよく覚えていない。日本海の鉛色の海というイメージに惹かれて、もう一度行ってみたいと思っていたところなのだが。



March 23, 2007 =Fri=

隔週金曜日に東京女子医大の産婦人科に通う娘に妻が同行し、そのあと私が加わって会食するというのが通例になっている。双生児なので早めに入院する必要があるとのことで、前回も会食するのはこれが最後と言っていたのが予想外に順調で入院はもうしばらく先ということになった。だが今日は入院が決まるかもしれない。娘の要望に沿って新宿の小田急ハルクにある「叙々苑」の個室を予約していたが、案の定入院が決まり、その手続きや何やらで遅れるとの電話。「叙々苑」には予約を30分遅らせるよう頼んで12時半に私一人で入って待っていたら、妻から携帯で更に30分遅れるという電話が入った。仕方なく一人でユッケとキムチをつまみにハウスワインを傾けていたら、ようやく到着。「妊娠中はお腹の赤ちゃんの分まで食べなきゃいけない、というのは昔の話で、体重をコントロールするのが大事なんだよ。」なんてことを言いながら、一番食欲があるのは当の娘で、ランチコースの他に注文した「壷漬けカルビ」「特選薄切りロース」まで半分以上を一人で片付けた。仕事のある妻が先に帰ったあと、コースのデザートを終えてからも、卓上のメニューに「メロンシャーベット」とあるのを見つけて「これ注文しよう。」シャーベットを食べて暫く話をしていたら、「お父さん、メロンシャーベット半分食べない?」お腹を冷やしてはいけないんじゃないか?と心配するのをよそにメロンシャーベットをもう一つ注文、言葉とは裏腹に自分で全部食べてしまった。ほんとにそんなに食べて大丈夫なのか・・・



March 21, 2007 =Wed=

今から38年前に、私がその創業期に携わったあの会社が合併で解散することになった。去年の4月にイオンからTOBを受けたときからそうなることは予想されていたが、若い頃の一時期、心血を注いだ会社がなくなるのはやはり寂しい気がする。もっとも業績が悪くて解散するわけではなく、業容、業績ともにピークのときに同規模の姉妹会社と合併するのだから、企業が消滅する形としては一番ハッピーなケースと言えるだろう。

商社に入社して5年目の1969年。それまでなじみのなかったスーパーマーケットチェーンが雨後の筍のように生まれ、それらが合従連合を繰り返す中、アメリカから持ち込まれた郊外型ショッピングセンターを開発しようと、スーパーと商社が折半出資で合弁会社を設立した。スーパーはその直前に四日市の岡田屋、神戸のフタギ、大阪のシロが合併して誕生したJapan United-chain Store Company、ジャスコだった。ジャスコの本社は阪神電車の野田駅の近くにあった。5階建ての建物で1〜3階がジャスコの野田店、4階が京阪神営業本部で、5階が本社。合弁会社のわれわれは総勢6名で、一人を除いて親会社二社からの出向者だった。合弁会社社長を兼務するジャスコの岡田卓也社長の社長室の前に衝立で囲った机を並べた。当時のジャスコの幹部たちとは顔なじみだったが、当然ながらいまのイオンにはその頃の人は誰も残っていない。私は財務担当者として、今で言う貸し渋りが行われる中で当時としては巨額の億単位での資金調達に奔走した。大阪の東住吉、名古屋の西区、奈良の西大寺、それに大阪府下の藤井寺と四つのショッピングセンター開発を同時に手がけ、私が出向から商社に戻るまでの二年間に東住吉と名古屋がオープンした。ケンタッキーフライドチキンが日本で第一号店を出したのは、この名古屋のショッピングセンターだった。その間にペガサスクラブという流通業者の研究団体主宰の米国西海岸ショッピングセンター視察ツアーに参加し、これが私にとって初めての海外出張となった。等々、この会社にまつわる思い出は尽きないのだが・・・



March 20, 2007 =Tue=

こんなジョークを見つけた。

The Bush Stamp
The Postal Service created a stamp with a picture of President Bush. The stamp was not sticking to envelopes. This enraged the President, who demanded a full investigation.
After a month of testing, a special Presidential commission presented the following findings:
1) The stamp is in perfect order.
2) There is nothing wrong with the applied adhesive.
3) People are spitting on the wrong side
.

ブッシュ切手
米国郵政省はブッシュ大統領の肖像画入りの切手を発売した。ところがこの切手は封筒に貼っても貼り付かないという苦情が相次いだ。大統領はこれに怒って徹底的な調査を命じた。
一ヶ月の調査の後、大統領特命調査団は次の報告書を提出した。
1) 切手そのものには異常はない。
2) 裏面の糊にも問題はない。
3) ただ、この切手は反対側に唾をかける人が多い。



March 19, 2007 =Mon=

昨日の「華麗なる一族」の最後の場面で、猟銃自殺した長男・鉄平の血液型がB型と知らされて万表大介が愕然とするシーンがある。親子の葛藤の遠因は、鉄平が大介の本当の子供か、それとも祖父が大介の妻に手をつけてできた子供かがはっきりしないことにあった。祖父はA型、大介はAB型。妻はO型。そして鉄平はA型と思われていた。A型ならその父親が大介とも祖父とも確定できない。A型というのは戦時中の検査で判定されたものだ。死亡診断書に書かれていたB型について、警察は「検死官が調べたもので間違いはありません。」と断言する。B型ならA型の祖父から生まれることはあり得ず、鉄平は大介の本当の子供だったことになる。それを知らされた大介は、「なんと言う残酷な・・」と絶句する。

この戦時中の血液検査の間違いというのは結構多かったようだ。というのも、私自身がそうだったから。私も中学生時代までは、自分の血液型がA型と聞かされていた。戦時中の検査でA型と判定され、胸に着けていた名札にもそう書かれていたそうだ。ところが、確か中学校の理科の実験で自分の血液型を調べることがあり、何度やってもB型だった。先生に、「小さい頃にやった検査でA型だったんです。」と言ったら、「戦時中はよく間違えられたんだよ。」と軽く答えられてしまった。その後、献血などの際に調べてもやはりB型に間違いはない。今は、私も妻も、長男も長女も、みんなB型だから、万表家のような悲劇は起こりようもない。だが、亡くなった私の父と母は何型だったのか、とうとう聞かずじまいだった。



March 18, 2007 =Sun=

我が家の前の通りは「税務署通り」という名前がついている。この通りに面して、歩いて2、3分のところに新宿税務署があるからだ。この税務署通りは、南北の小滝橋通りと直角に交わって、その先の「職安通り」に続いている。(どういうわけか新宿には役所の名前をつけた通りが多い。)職安通りは広いのだが、税務署通りになると片側1車線の狭い道になる。2002年1月にここに引っ越してきたときから、税務署通りを拡幅して片道3車線の広い道路にして、青梅街道に合流するという計画があり、土地の確保を進めていたのだが、我が家の正面に数件の旧い木造家屋が残っていて、拡幅がなかなか進んでいなかった。そのうちの一軒は床屋で、最後まで営業を続けていた。きっと、他に移るところもなく、夫婦でここにしがみついて営業を続けているのだろうと同情していたら、ある日郵便受けに「建築計画のお知らせ」という印刷物が入っていた。見ると、拡幅後の道路の反対側に、その床屋が13階建てのビルを建てるという。以前からそこに土地を持っていたらしい。そのビルはもう完成し、床屋はそのビルの一階で営業している。床屋が店を閉め、建物を取り壊したあとも、数件の建物は無人のまま残っていた。とにかく旧くて汚い建物だが、かつては一膳飯屋だったり、ナイトクラブで働く女性たちの着る派手な衣装や下着を売る店だったりしたのだが、店を畳んでもう3年位にはなるだろう。ひところ、その一軒の壁には公明党の選挙ポスターが張ってあったから、このあたりで勢力の強い創価学会系の人たちの持ち物なのかもしれない。それが数日前からようやく取り壊しが始まった。木造建築なので撤去は簡単に終わるのかと思ったが、中の家具類や畳、椅子など、外に運び出した廃棄物が堆く積まれていて、その撤去に何日もかかっている。これでようやく道幅が広くなるようだ。

TBSでやっていた「華麗なる一族」が最終回を迎えた。山崎豊子のこの小説は、1970年代はじめに週刊誌に連載された。私は当時、創業したばかりのダイヤモンドシティ(現・東証一部)に出航し、財務を担当していたので、小説のモデルとされた当時の神戸銀行とも付き合いがあった。阪神特殊鋼は、私が社会人になった翌年に倒産した山陽特殊鋼をモデルにしている。事実、その頃三菱銀行と第一銀行との合併が画策され、第一銀行の行内の反対から話が潰れると、第一銀行と日本勧業銀行が合併して都銀同士の合併第一号となった。当時、私の出向元の商社は、大阪支店を三菱銀行大阪支店の15階建てビルの上半分に置いていたが、そのビルは、本当は第一銀行と合併した三菱銀行が丸ごと使う予定だったという。第一、三菱の大阪支店はすぐ近くにあったが、由緒ある第一銀行大阪支店を潰すわけにはいかないので、そこから少し離れた場所にビルを建て、大阪支店を移したのだという。しかし、合併が破談になったので半分を商社に使わせることにしたという話がまことしやかに流れていた。そんな状況から、この小説がとても身近なものに感じられた覚えがある。当時もテレビドラマ化されて、今回より長く続いたと記憶している。万表大介役が山村聡、鉄平が加山雄三、高須相子が小川真由美、美馬中が佐藤慶と、非常に的確なキャスティングだった。これに比べると今回の北大路欣也の大介は力が入りすぎているし、木村拓也の鉄平は軽すぎる感じがする。



March 17, 2007 =Sat=

確定申告期限の15日が過ぎて、妻の仕事も一段落し、その手伝い人であるこちらもようやく落ち着きを取り戻しつつある。昨日、今日と久しぶりにスポーツジムに出かけたら、更衣室に続く休憩室の様子が一変していた。ここには飲み物や軽食を出すカウンターがあったのだが、それが撤去され、反対側の壁面に缶入りやペットボトル入りの飲み物、それにサンドイッチなどの自動販売機がずらりと並んでいる。つまり人手を要する軽食カウンターを止めて、自販機だけにする、一種のリストラなのだろう。このスポーツジム、4年余り前に加入したときは、男性用化粧品も資生堂とかカネボーのが置いてあったのが、いつの間にか無名ブランドの品物に変わっていたり、手洗い用の液体石鹸が出なくなって固形石鹸に変わるなど、少しずつサービスの質を落としてきている。結構混んでいるときもあるのだが、経営的には苦しいのかもしれない。ジムとプールを済ませ、風呂を浴びてから、カウンターに設置されている給水器から氷入りの冷水をグラスに注いで飲むのが楽しみだったが、これもペダル式の水飲み器に変わってしまった。カウンターがなくなって一番残念なのは、ここでは一年中食べられたカキ氷がなくなってしまったことだ。

高田馬場での会合に出かけていた妻と西武新宿駅で待ち合わせ、歌舞伎町のミラノ座で映画『蒼き狼』を観る。7時からの最終回ということもあって映画館は人もまばら。普段は指定席になっている中央の赤いシートの最前列に座れた。日本映画も外国を舞台にしたスペクタクルを撮れるようになったのだ。



March 16, 2007 =Fri=

早朝、東京に観測史上最も遅い初雪が舞ったらしい。私が起きたのは8時過ぎだから、雪の痕跡も見られなかったが。だが、もし今日雪が舞わなかったら、観測史上初めて東京に雪が降らない冬だったことになる。いずれにせよ地球温暖化の証左には違いないのだろう。

ライブドア・堀江元社長の判決が懲役2年6ヶ月の実刑。過去の判例に照らして妥当なのかどうか。粉飾決算は事実らしいし、それを社長である堀江自身が知らなかったという言い分が通らないのは言うまでもない。だが、資本取引をファンドを通じることで利益に付け替えるという手法が、10年前の日本で行われたら果たして犯罪行為として刑事訴追されただろうか。それだけ企業に求められるコンプライアンスのハードルが高くなってきていると言えばそうなのかも知れない。しかしそれなら、金額的にはもっと巨額の日興コーディアル証券のケースでは刑事訴追どころか上場廃止さえ見送られたのはなぜなのだろう。



March 9, 2007 =Fri=

確定申告時期とて、税理士稼業の妻は仕事で夜も日もない有様で、当然私もそれに巻き込まれているのだが、隔週金曜日だけは娘が東京女子医大病院の産科に通っているので、何があっても妻はこれに付き合い、午前中の診察を終えるとランチの電話がかかってくる。前回の北京ダックもそうなのだが、間もなく入院・出産となると外食の機会もほとんどなくなる(初めての子供である上に、双生児ということで)ので、それまでに美味しいものはできるだけ食べておきたいという娘の要求に是も非もなく付き合うわけだ。もっともこの娘の要求はわれわれにだけでなく、娘の夫のブログをみると、彼の方にも、また彼の実家の方にも向けられているようで、出産前の美食行脚は続いているらしい。で、今日のランチはイタリアンがご希望とのことで、東京女子医大病院から大江戸線で直行でき、我が家からも歩いていける京王プラザホテルの「フォルトゥーナ」ということになった。双生児で帝王切開も必要ということで、今日は病院で入院の手筈を打ち合わせると聞いていたのだが、診察の結果、経過がとても順調なのでまだ入院しなくても大丈夫ということになり、再来週の金曜日もまた通院ランチが出来そうとのこと。



March 1, 2007 =Thu=

恒例の「松戸会」が神田の日立クラブで。このところ私が名簿管理と出欠確認を担当しているので幹事役なのだが、一番近くにオフィスがあるのに打ち合わせが長引き、少し遅刻をしてしまった。主宰のHさんは私より数歳年上だが、未だに身体障害者や知的障害者の面倒を見ている。遅刻といえば、この会の中心メンバーであるIさんがなかなか現れない。自宅に電話すると奥様が出て、「松戸会に行くといって4時過ぎに出ました。」とのこと。もう時刻は6時半になっている。「何かあったんじゃないか。」とみんなで心配していたら、7時前になってやっと現れた。地図も案内書も持たずに家を出たため、「神田の日立クラブ」というだけしか分からず、交番で聞いたり、あちこち歩き回ったりした挙句、ようやくたどり着いたという。私より1歳上のIさん、携帯も持たない主義だが徘徊老人の気配も出てきたのでは。


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