Diary





April 29, 2007 =Sun=

昨日のDellサポートへのメールに対して返事が入っている。周辺機器を全部外して試してみろとか、SP2をもう一度SP1に戻して試してみろとか書いてあり、いずれも時間がかかるので日を改めてやってみよう。まあ、連休中でも返事が早いのは評価できる。

スポーツクラブで少し泳いでから小田急新宿駅へ。大手百貨店T社に勤めていた学生時代の友人Ma君が東京に出てくるので、「今生の名残に」東京在住の昔の仲間と会いたいと、6人ほどが集まることになっている。Ma君の息子さんが昨年関西から東京に転勤し、成城学園に住んでいるので、そこから来ると言う。だったら新宿駅に迎えに行こうということになったが、約束の時間より少し早く現れた彼は、ご家族と一緒に東京ミッドタウンや六本木ヒルズに行ってきた帰りだと言う。会合場所は赤坂のANAインターコンチネンタルホテルなので、それなら向こうで待ち合わせたほうがよかった。わざわざ新宿まで戻らせてしまった。外資系製薬会社の日本法人社長をやっているUe君も合流し丸の内線で赤坂見附下車、銀座線の電車を待っていると偶然幹事役のOk君も合流。ANAインターコンチは以前の赤坂全日空ホテルであり、かつて勤めていた美容会社がここにも美容室を出している関係もあって何度か来ている。食事には早いのでロビーで一杯やっていると、商社から転じて一部上場の造船会社の社長になっているMo君、新聞社を退職したNo君、そして最後に今は名前の変わったY信託銀行の常務をやっていたIi君と全員が顔を揃える。

神戸の大学を出てから今年で43年。仲間のうちで関東に住んでいるのは半数弱くらいだろうか。会社の同期生などでは物故した人もいるが、幸いこの仲間はみな健在だ。しかし、Ma君は昔ながらのスマートさを失っていないものの、心臓にはペースメーカーを埋め込み、数年に一度は手術でバッテリーを交換しなければならないそうだ。そのため携帯電話も使えない。集まった7人のうち、現役はMo、Ueの両社長、私は半現役、あとの4人は悠々自適といったところ。Ii君などは園芸の資格を取ってボランティアで公園の樹木選定などをやっているそうだ。もと信託業務をやっていた彼によれば、日本人男性の平均寿命は78歳前後だが、平均寿命と言うのはゼロ歳児が何歳まで生きるかの平均であり、すでに66~67歳まで生きてきたわれわれにとっては平均余命という概念で捕らえるべきで、それによると85歳ていどまでは生きる覚悟が必要だと。

夕食は同ホテルのCascade Cafeでブッフェ。幹事のOk君によればウェイターがメンバーの中に65歳以上の方はおられませんか、と聞いてきたそうだ。65歳以上は割引料金になる。もちろん全員が割引料金適用だ。



April 28, 2007 =Sat=

このところ妻のパソコンが不調で、ヘルプを求められている。どうせ使い方が悪いんだろうと思っていたが、調べてみるとどうやら事態は深刻なようだ。まず電源を入れて立ち上がるまでは特に大きな問題はないのだが、その後アプリケーションを起動するとやたら反応が遅い。まるでMS-DOS時代のパソコンでWindowsを動かしているような感じだ。なかなか動かないのでアプリケーションを終了しようとしても反応しない。ようやく反応しても画面が切り替わりが時間をかけて少しずつ変わって行くという感じだ。それならまだ良い方で、固まってしまってまったく動かなくなったり、画面が壁紙だけになってアイコンもスタートボタンも表示されない状態になり、電源スイッチを長押ししないと電源オフもできないことがある。WindowsXPを上書きインストールしたり、SP1からSP2にアップグレードしてみたりしたが事態は変わらない。

Dellのサポートに電話したが、受付時間外だとのこと。そういえば今日は土曜日だ。そこでサポートにメールを入れる。「素人考えだがCPUかメモリの不具合ではないか?」と書いておく。



April 27, 2007 =Fri=

出産後初めて娘を病院に見舞う。途中、娘からメールが入り、「もう(ICUから)個室に戻ってます。」とのこと。病室には夫が付き添っている。連休でもあり、谷間の日も休みを取ってずっと付き添ってくれるらしい。赤ちゃんたちの方は未熟児用のNICUに入っている。NICUとはNeonatal Intensive Care Unit(新生児集中治療室)のこと。ここには両親だけ、それも一定の時間しか入れない。だから娘は出生直後のまだ麻酔から醒めきらないときにご対面して以来、まだ会っていないとのこと。夫の方も同じだ。娘は点滴のユニットを引っ張りながら夫と共にNICUに入っていく。われわれは外で待つこと30分くらい。やがてNICUと外の廊下との間の窓ガラスからカーテンが上がり、ガラス越しのご対面となる。娘が長男を、夫が次男を抱いている。腕に副え木を付けているので驚いたが、別に怪我をしたわけではなく、点滴の管が外れないようにしてあるそうだ。二人とも薄く目を開け、欠伸のように口をあけている。可愛いが、ガラス越しではまだ実感は伴わない。



April 26, 2007 =Thu=

会社では採用面接や会議の連続だが、どうも落ち着かない。娘の手術は午後2時ごろ、もしかすると早くなるかもしれない、と聞いていて、結果は娘と夫からメールしてくるはずだが、3時近くなっても連絡がない。妻からも電話でまだ連絡がないかと聞いてくる。ないと答えると、「私のほうもいま、虎ノ門病院で健康診断が終わったから、これからタクシーで病院に行ってみる。」その妻からも病院に着いたはずの時間になっても連絡がないので電話を入れると、「あ、ごめん。娘婿のお母さんと話していて連絡できなかった。さっき生まれた。二人とも元気。」とのこと。娘の様子を聞くと「まだ手術室から出てきていない。確認できたら連絡するけど、大丈夫でしょ。」その後、妻からは連絡が入らず、携帯に電話しても留守電になっている。ようやく繋がったのは7時ごろ。娘も元気だったので安心してしまって連絡を忘れ、そのまま税理士会の会合に出席してしまったとのこと。ったく、自分が安心すればそれでいいと思ってるんだから。

後で聞いたところでは、妻がタクシーで病院に駆けつけ、3階の病室に行こうとして間違えて2階でエレベータを降りてしまった。病院のエレベータは動きが遅いので、エレベーターホールで待っていると、保育器に入れられたかわいい赤ちゃんが連れられてきた。娘の赤ん坊は双子で小さいはずだし、その赤ちゃんは普通の大きさに見えた。まもなく、もう一人同じような赤ちゃんが運ばれてきて一緒にエレベータに乗って3階に上がった。3階のナースステーションに来ると、看護婦が「Dさん」と声をかけ、娘の夫とその母親が飛んできた。妻「え!これ、うちの赤ちゃん?」ということになったとのこと。

夜になって娘の夫からメールで二人の写真と共に詳細を知らせてきてくれた。双子にしては大きい方だが2500g未満のためしばらくは病院に滞在することになりそうだ。でも健康そうで何より。



April 25, 2007 =Wed=

明日出産予定の娘を病院に見舞う。先月末に入院したときは東京女子医大通りにも桜が咲いていたが、今はもう躑躅に代わっている。娘は昨日から個室に移っていて、部屋に入るとちょうど看護婦さんから出産前後の説明を受けているところ。明日に出産を控えていても、食欲は旺盛のようで、看護婦さんに質問するのも食事はいつまでできますか?手術後は何時から普通の食事に戻れますか?なんてことばかり。身体も動かしたいらしく、用があって私が一階に降りるときも大きなお腹を抱えながら付いてくる。



April 21, 2007 =Sat=

昨日の夕食は私がポトフを作った。フランスの家庭料理であるポトフ(pot-au-feu 火にかけた鍋)は、ギリシャ時代に近所に住んでいたメーカーの駐在員でフランス駐在の長かった方の奥さんから妻が教わって以来、我が家の定番になっている。といっても我が家流に手抜きをしているため、非常に簡単で、肉の塊りと人参、ジャガイモ、玉ねぎを大きいまま鍋で半日くらい煮込み、鍋の煮汁とケチャップ、醤油を混ぜたドレッシングをかけるだけ。簡単な割には美味しく、大きい鍋を使うためどうしても二回分くらいを一度に作ってしまう。それで今晩もポトフということになるが、さすがに二日続けて同じ夕食を食べるのはどうもということで、ポトフは明日にまわし、今日は外食と決めた。

久しぶりに天麩羅が食べたくなり、近所の天麩羅の店をネットで探すと、京王プラザの「天麩羅しゅん」と大ガード近くの「天秀」の評判がよさそうだ。「天秀」は前から一度行ってみようと思っていたのですぐに電話で予約。裏手は常円寺という由緒ある日蓮宗のお寺、隣は怪しげなフーゾク店という微妙な位置関係にあるが、店は一軒家の落ち着いたたたずまい。中は6席ほどのカウンターと10人くらいの掘り炬燵式の座敷、それと暖簾で仕切られた二人用の座敷だけ。われわれの席は二人用の座敷だ。おまかせのコースを注文する。われわれに続いて10人席に入ってきたのは5人ほどの一家とその連れの三人のオーストラリア人。会話から想像するに、一家の娘さんがオーストラリアにホームステイし、そのお礼にホームステイ先の家族を招待した?様子。そのほかカウンターに二人連れ。食事の方はお通しに続いてお刺身など数点、そこから天麩羅に入る。海老、帆立、鱚、稚鮎、穴子などの魚介類に楤の芽、アスパラガス、エシャレットなどの野菜類、いずれも季節感が溢れている。油も厳選しているらしい。

帰りに店の外に見送りに出てくれた店主と話すと、ここに店を出して19年。小田急ハルクにある「天兼」は父親の店だそうだ。



April 19, 2007 =Thu=

やはり耄碌してきたのだろうか。妻が、シンガポール・マラッカ・クアラルンプールを巡る格安ツアーを見つけてきて、申込書を書いてくれと言うので書類を作った。パスポートの記載のところでふと気がついた。確か11月でパスポートの期限が切れるはずだ。出発は5月末だから、パスポートの有効期間は6ヶ月を切ることになる。シンガポール入国には残存期間6ヶ月以上のパスポートが必要だ。念のためパスポートを確かめると、確かに有効期限は11月になっている。パスポートの更新申請は都庁の地下で受け付けているし、そこまでは歩いて15分もかからない。スポーツジムに行くついでに寄って、申請書類を作成し、今のパスポートと一緒に差し出すと、係員が、「有効期間、まだ1年以上ありますね。」という。「え?」と見ると、そうだ、有効期限は「2008年11月x日」となっているではないか。申請書類に現在のパスポートの発行年月日を記入する欄があるが、そこに「1998年11月x日」と書いたときにも気付かなかった。

椎間板ヘルニアと診断されてからしばらくスポーツジムを休んでいたら、体重がリバウンドしてズボンのウェストがきつくなてきた。持っているズボンはすべて胴回りを縮めてもらってしまったので、これで元に戻ったらはけるズボンがなくなってしまう。腰の痛みもなくなってきたので久しぶりにジムに行ってみた。少し休んでいる間にトレーニングマシンが入れ替わっていて、新しいマシンが並んでいる。マシンの数も増えたようで、トレーニングルーム全体が狭く感じるほどだ。ランニングマシンは一台ずつテレビのモニタが付いている機種もある。だが、腰に負担のかかるトレーニングはできないので、ランニングマシンを15分ほどやっただけでプールに移った。これからはプールの方をメインにしようと思う。



April 18, 2007 =Wed=

日本では現職の長崎市長が選挙中に暴力団組長に拳銃で撃たれ、一夜明けた今朝死亡。アメリカではバージニア工科大学で韓国人学生の乱射により学生ら32人が死亡、イラクではバグダッドを中心に連続自爆テロで200人以上が死亡。長崎市長のケースでは思想的背景はなさそうだが、民主主義のプロセスである選挙最中に候補者を銃撃すると言う異常行為に対して、安倍晋三は「捜査当局が厳正に捜査を行っている。」とそっけないコメント。政治資金収支報告に虚偽記載が明らかな松岡農相の弁解を「法に従って適正に報告しているとおっしゃっている。」と庇うのと同じ口調だ。

それはともかくとして、アメリカの事件では、これを機に銃規制の動きが盛り上がるかと思いきや、共和党の支持基盤である全米ライフル協会は、「学内で銃を持った人間がいれば犯人の乱射を防げた。」と主張しているらしい。民主党の方も、これまでこのような事件が起きるたびに銃規制法案を出しているが、そのことごとくが廃案になった実績から、今回は規制法案提出に及び腰らしい。

確かに、外国では銃の規制が厳しくないところが多い。私が1989年の米軍パナマ侵攻に巻き込まれたときも、パナマ軍が米軍によって壊滅させられ、それまで軍と警察が一体だったことから警察機能もなくなり、無政府状態になったとき、それを実感した。米軍侵攻の前、貧困層を基盤にしたノリエガ政権は、正規軍以外の民兵たちにも銃を配った。米軍や反政府勢力が権力を握ったら武器を持って抵抗しろという趣旨だ。オフィスからの帰り道、ストッキングで覆面をして民兵が銃を構えて家の近くを巡回しているのに出くわすことも日常だった。住まいのある高級住宅地は反政府系が多く、それに対する威嚇の意味があったらしい。現に米軍侵攻の夜、私の住んでいるアパートから米国人が民兵に連行され射殺されるという事件もあった。そしてパナマ軍が壊滅し無政府状態になったとき、サン・ミゲリトという貧民街の人たちが大挙してわれわれの地域に押し寄せつつあるという情報が流れた。そのとき、アパートごとに自警団が組織され、どこからともなく拳銃やライフルが提供された。住民が交代で銃を持って見張りをするというのだ。私も参加を打診されたが、銃なんて触ったこともないし、「東京から電話があるので部屋で待機している必要があるから」といって断った。幸い貧民外の住民による襲撃は行われず、二日後には占領して米軍が警察機能を代行して治安は回復したが、民兵に流れた銃はその後も強盗事件の頻発という弊害をもたらした。

アメリカは、建国時代から自分のみは自分で護るという思想が根強く、現在の憲法でも銃の所持を認めているが、21世紀の今日でもその権利に執着せざるを得ないというのは、あの国の抱える病の深さを示しているようだ。しかし日本でも戦力の不所持を謳った憲法を変えようという動きが加速し、「小さいものなら核爆弾を持ってもよい。」と発言する男が最高権力者の座に着いている。



April 14, 2007 =Sat=

一ヶ月ほど前に、観たい映画のリストを作ったとき、アル・ゴアの「不都合な真実」を候補に挙げていたが、見に行く機会がなかったところ、今頃になって妻が「あの映画、どこかでまだやってない?」と言い出した。一ヶ月前なら歌舞伎町でもやっていたのだが、ネットで調べてみると今やっているのは六本木ヒルズのTOHOシネマズくらいしかない。それで今日はヒルズで映画を見て食事をすることにした。だが、せっかく六本木まで行くのなら、最近できた東京ミッドタウン国立新美術館も覗いてみようということになり、午前中に家を出る。

大江戸線の最寄り駅は新宿西口だが、六本木に向うにはいったん都庁前まで戻って逆回りの電車に乗り換えるか、20分近くかかる大江戸線新宿駅まで歩かなければならない。そこで都庁前駅まで歩いてそこから乗ることにした。いつも行くスポーツジムの少し先だから15分くらい。乗れば12分で六本木に着く。ただ大江戸線の厄介なのはどの駅も地中深くにあるので地上まで出るのに時間がかかることだ。だが、東京ミッドタウンは六本木駅から直結している。週末だけあってかなりの人出だが、混みあってどうしようもないと言うほどでもない。開業したのが3月30日だから三度目の週末だが、ヒルズや丸ビルの開業当初と比べて人の出足はどうなのだろうか。まあ、広くてビルの数もいくつもあるから一概には言えないだろうが。広いと言えば初めてで不案内なこともあり、どこがどうなっているのか全体像を掴みにくい。予約制の「東京ミッドタウンツアー」なんてのもあるらしいが、そのツアーのリーフレットを貰ってツアールートを辿ってみる。ビルの外の庭園に出ると、外れのほうに「21_21 DESIGN SIGHT」という奇妙な建物があり、これもツアーに入っているので行ってみた。するとそこで建築家・安藤忠雄の展示会が開かれており、ちょうど安藤忠雄本人がこれからスピーチをするというので入場料1000円を払って中に入る。地上は平屋建てだが、地下が広く、イベント会場になっている。すでに安藤忠雄が100人くらいの入場者を前にトークを始めている。ほとんどが20代くらいの若者で、関西弁の安東は、「今の日本は70代くらいの人たちが頑張って造り上げてきた。今の若者たちは親べったりで、自分はあと5年もしたら日本は沈んでしまうと思っている」などとユーモアを交えながら若者たちを挑発している。トークショーのあと、21_21の別のイベント会場で12時から有名な振付師によるダンスショーがあるというので並んでいたが、ダンサーが急病とかで中止になってしまった。

お昼時でどうせ食べ物屋はいっぱいだろうからと、ミッドタウン内のスーパーで弁当と飲み物を買い、庭園のテーブルに腰を下ろして昼食にする。その後、歩いて5分くらいの国立新美術館へ。ガラスの曲面に覆われた建物が、これも完成したばかりの政策研究大学院大学と並びあっている。ここでは現在、「異邦人たちのパリ」と題したポンピドー・センター所蔵の作品展と、モネの回顧展をやっているが、時間も余りないのでポンピドー・センター展のほうだけ切符を買って入る。美術館の中は1階から3階までがいくつかのギャラリーに分かれているが、ギャラリーごとに入り口があるので、建物の内部を見るだけなら切符を買う必要もない。建物は先日の都知事選で金に飽かした奇妙なパーフォーマンスを演じた黒川紀章で、内部から見るとガラス越しに六本木ヒルズの建物が見える。ポンピドーセンターの作品展は、この美術館の開館を記念したもので、藤田嗣治、シャガール、モディリアーニ、ピカソ、カンディンスキー、ミロ、荻須高徳など、質・量ともかなりの作品が揃っている。よくぞこれだけのものを一度に貸し出したものだと思うほどだった。また、絵画だけでなく、写真や映画なども数多く展示されている。ここも人の数は多いものの、去年の10月に上野の森美術館で見たダリの回顧展の混雑振りに比べるとかなりゆっくりと鑑賞することが出来た。

美術館を出て、六本木ヒルズまで無料のシャトルバスがあるはずと場内整理の人に聞いてみると、出発時間はまだだが、さっき出たばかりだという。28人乗りの小型バスなので、定員いっぱいになると時間前でも発車してしまうのだそうだ。ヒルズの森タワーは目の前に見えているし、歩いても大した距離ではないので歩くことにする。ものの10分も歩けばヒルズの入り口に着く。東京ミッドタウンに比べると六本木ヒルズの方が中の建物の配置などが分かりやすい気がする。TOHOシネマズの建物に入り、切符売り場で「不都合な真実」の切符をシニア料金で2枚買う。4時45分からの上映というので、あと20分くらいだなと思ったら、妻が「まだ1時間以上あるじゃないの。」という。時計を見ると確かにまだ3時半になっていない。時間を1時間勘違いしていたのも老化の証拠だろうか。

「不都合な真実」("An Inconvenient Truth")は、2000年のアメリカ大統領選でブッシュに敗れた前副大統領のアル・ゴアが、ライフワークとして取り組んでいる地球温暖化問題に関する講義をまとめた映画だ。あの選挙では、ゴアは全米の総得票数ではブッシュを凌駕しながら州ごとの"Winner takes all"の選挙人方式により、それもブッシュの実弟が知事を務めるフロリダ州での疑惑の開票により敗北したのだが、あの時ゴアが勝利していたら果たして9.11は起こったのかと言う疑問がある。また、ゴアが勝っていれば、先進国中アメリカとオーストラリアだけが批准していない京都議定書の問題も違った展開を見せ、地球温暖化対策への世界の取り組みは確実に今とは違ったものになっていたはずだ。アフガニスタンやイラク、パレスチナの人たちの人生も、数千人のアメリカ兵の生命も、今とはまったく違ったものになっていたはずだ。「今からでも決して遅すぎると言うことはない。」と言い切るゴアの説得力はいまなお力強いものがある。

夕食は、けや木通りを渡ったところの2階にある"Il Mulino New York"で。重々しいドアを開けると中は薄暗い。店内はかなりの広さがあるのだが、照明は各テーブルに揺れるオイルランプの明かり以外、天井からは数箇所のダウンライトがある程度。予約したテーブルに着くと、そこにはすでにパンの入った篭とズッキーニの空揚らしいオードブルが用意されているが、注文もとらないうちにウェイターが一抱えもありそうな半球状のものをトレイに乗せて持ってくる。大きなパンかと思ったが、聞いてみるとチーズだった。ウェイターはそのチーズを削り取って皿に入れる。別のウェイターがムール貝とトマトのオードブルを取り分けてくれる。これらはすべてメニュー外のオードブル、いわば突き出しなのだ。これだけで満腹になりそうな量だ。ワインリストを見ると1万円以下のは数えるくらい。中には6桁のものも。もちろんそれは敬遠してグラスワインをオーダー。さらにウェイターはメニューに載っていないパスタ、魚料理、肉料理を説明する。「どのくらいの量なの?」と訊くと、「当店はボリュームが半端でないのが売りですので、一品ずつ取られてシェアされるのがいいと思います。」とのこと。そこでメニュー外のものからパスタはラビオリ、肉は子羊のグリルを注文する。確かにウェイターの言うとおり、ラビオリも子羊も最初から半分ずつに取り分けて持ってきてくれたにもかかわらず、それぞれが一人に十分なボリュームがある。これを一人で一人分注文していたら大変だった。もし肉と魚を両方とも注文するのなら、3人くらいでシェアする必要がありそうだ。どの料理も味は濃厚で、私は気に入ったが、妻は味が塩辛すぎると不満を漏らしていた。値段を聞くともっと不満になったようだが。



April 13, 2007 =Fri=

一週間前からの腰痛は先週末ほどのひどさはなくなったものの、ベッドから起きるときや座ったときにまだ痛みが残る。今日は休みの日なので近くの「春山外科」に行ってみた。小滝橋通りから大久保駅南口に向う角にあって、よく救急車が停まっている。個人病院だろうと思っていたら内部はかなり大きな病院で病棟もあり、医師の数も多そうだ。大分待つのだろうと思っていたが、案外早く名前を呼ばれ、若いが優秀そうな医師がてきぱきと診てくれた。ベッドに仰向けになって医師が両足の親指を抑え、「親指を反らせて見てください。」と言う。「左の親指が右より力が入らないのが分かりますか?」と訊かれる。確かにそういわれればそうだ。レントゲン室でX線撮影を行い、その写真を見ながら、「軽い椎間板ヘルニアから坐骨神経が圧迫されているらしいが、時間があれば念のためにMRIを撮ってみますか。」今日は別に予定もないので、1時間後に予約を入れる。いったん家に戻って1時間後に出直すと、すぐにMRI室に案内される。20分くらいのMRIが終わると、今度は脊椎の輪切りや立て切りの鮮明な写真が並んでいる。MRIを撮ったのは、腫瘍や出欠がないかを診るためだが、そうしたものはなく、やはり軽度の椎間板ヘルニアによる坐骨神経痛で、鎮痛剤と消炎剤を処方してもらう。



April 11, 2007 =Wed=

小田急百貨店地下の食品売り場で妻と待ち合わせ、弁当を買う。行き先は娘が入院している東京女子医大病院。着いたのがちょうど12時で、配られたばかりの昼食トレイを持った娘と三人で待合室というか、廊下の片隅に椅子とテーブルの置かれた場所でお昼にする。日曜日のフラメンコ発表会のため、妻は娘が入院してからまだ病院に見舞いに来ていなかったのだ。娘のお腹はもうはちきれんばかりに大きくなっているが、お腹の中の子供の体重はまだ1.85kgx2なのだそうだ。この週末には外泊許可を貰って夫とパークハイアットホテルのニューヨークグリルで食事をしてきたとのこと。

帰りはちょうど病院発新宿西口行きのバスが停まっていたので、地下鉄大江戸線でなくバスに乗ってみる。大江戸線若松河田駅を左に曲がれば一本道で職安通りを通って我が家の方に行くのだが、バスは逆に右に曲がり、若松町から大久保通りに入る。戸山ハイツの前を通って明治通りを左折し、東新宿、日清食品前を経て靖国通りを右折し新宿西口まで約20分。地下鉄より時間はかかるものの地上の様子を眺められるのがいい。



April 9, 2007 =Mon=

ニューヨークタイムズ(4月8日付ネット版)は石原都知事再選を"Nationalist Wins Tokyo Governor's Race"(国家主義者が東京都知事選に勝利)という見出しで報じている。

TOKYO (AP) -- Tokyo's outspoken nationalist governor was re-elected Sunday despite his waning popularity, signaling Japan's acceptance of its resurgent right wing.

Shintaro Ishihara, once seen as a contender for prime minister, is known for his criticism of China, North Korea, foreigners, immigrants, women -- and even the French language. He has ignited outrage by ordering public school teachers in Tokyo to sing Japan's national anthem at school functions or face punishment.

''Tokyo residents' good sense brought this result,'' a beaming Ishihara told supporters at campaign headquarters after Japanese media reported he was certain to win citing exit polls, securing his third four-year term.

Ishihara, 74, received 50.1 percent of votes, while the runner-up was trailing at 30.3 percent with 99.22 percent of the total votes counted as of early Monday, the Tokyo Metropolitan Government said on its Web site.

Sunday's vote came ahead of nationwide parliamentary polls in July and was seen as a test of support for Prime Minister Shinzo Abe, also known for his hawkish and nationalist stance.

Since taking office in September, Abe's conservative government has bolstered Japan's international military role and amended the constitution to require schools to teach patriotism.

Tokyo was among the 13 regions that held gubernatorial elections Sunday.

Three newcomers backed by Abe's ruling Liberal Democratic Party won, public broadcaster NHK said, giving a boost to Abe's popularity, which has been slipping recently.

Though he won, Ishihara's take in the vote was smaller than the 70 percent he garnered in 2003, underscoring voters' discontent amid allegations of cronyism and expense fund abuse. But the LDP and its coalition partner, New Komeito, gave him support during the campaign while Shiro Asano, his major rival, was backed by the opposition Democratic Party.

Some voters said they preferred to stick with Ishihara rather than choose someone new.

''There were some scandals during his eight years,'' said Akinori Otake, 32, an engineer who said he voted for Ishihara. ''But he didn't do anything so terrible, either. It's better to keep things as they are now, rather than taking a chance with another person.''

この記事を読んで、東京都民として「恥」を覚えざるを得ない。発言を引用された大竹さんとか言う人、"But he did'nt do anything so terrible"って、何を見てるの?



April 8, 2007 =Sun=

腰痛のためこの週末はスポーツジム通いはお預けにした。その代わり何をやったかというとこれまた凝り性な性格が丸出しなのだが、いままでに撮りためた「衛星映画劇場」のDVDタイトルをエクセルにまとめる作業だ。放送予定を見てこれはと思う映画はハードディスクにどんどん録画し、それをDVDにダビングしているのだが、このDVDが250枚ほどたまってしまった。著作権の関係もあるのか、NHKのBSでは最近同じタイトルを何度も放送するので、このタイトルはすでに録画したのかどうか分からなくなってしまう。それでエクセルの表を作ることにしたのだ。まず「邦題」「原題」「制作年」「制作国」「監督」「主演者①」「主演者②」という分類をつくり、これにそれぞれのタイトルを当てはめていく。邦画はYahoo!の「映画」を、洋画はIMDb (The Internet Movie Databse)で検索する。その結果、250枚のDVDのうちダブって録画したのが30枚ほどあった。

エクセルでの作業は案外簡単に済んだので、ついでにDVDの中からブリジット・バルドーの「ドン・フアン」を観る。副題の”Si Don Juan etait une femme.."(もしドンファンが女だったら)からも分かるように、悪女が男を次々に誘惑し、破滅させていく物語。監督はBBのご亭主だったロジェ・ヴァディム。1973年の映画だが、このとき50-60年代のセックスシンボルもすでに39歳。ヌードシーンもふんだんに出てくるが、身体はともかく顔の表情などには老いの影が見える。

午後からは東京都知事選の投票。あの傲慢な男を何としても失脚させたいと念じて元宮城県知事に一票を投じるが、まったく風も弾みも感じられない。またこの先4年間、目を瞬かせながら人を人とも思わない不遜さを隠さない男を知事に抱えていかなければならないようだ。夜、勝利会見をしているのをテレビで見たが、選挙期間中さすがに押し隠していた傲慢さは、当選確実が決まったとたんに早くも復活させている。そういえば、投票所の中学校を出たところに「東京再起動」と書いたあの男の大きなポスターが貼られていた。投票所の周囲には公営掲示板以外にポスター掲示は認められないはずだが、現職知事には東京都選管も物言いをつけられないのだろうか。

投票を終えて、中野の「なかのZERO」大ホールへ行く。「小松原庸子スペイン舞踏研究所第39回研究発表会」つまりフラメンコ教室の発表会に妻が出演するので見に来るようにとの厳命を受けていたのだ。いつもは新宿の文化センターなのだが、今年は改装工事中のため中野に変更になった。いつも買い物に行くホームセンターの向かいになる。4時の開演で、3時半の開場と同時に入り、前方の席を確保。だが彼女の出番はプログラム一番最初の「ファンタンゴス」で、すぐに終わってしまい、ろくに写真を撮る間もないくらいだった。練習期間が確定申告時期と重なったことなどあって、素人目にも余り周りと息が合っているようには見えなかった。



April 7, 2007 =Sat=

二三日前から腰痛が出ていたが、今日はかなり酷くなってきた。立って歩いたり、仰向けに寝ているときはほとんど痛みは感じないのだが、寝ていて起き上がるときとか、腰を屈めたりすると腰の左側から左足にかけて耐え難いほどの鈍い痛みが走る。仕方なく以前ぎっくり腰をやったときに買ったコルセットを引っ張り出して腰に巻く。

原因はほぼ見当がつく。スポーツジムでエアロバイクやステッパーなどをやりすぎたのだ。自分自身の性格として何か始めるとのめりこむところがあり、エアロバイクである程度減量に成功すると、そればかりをやってしまうのだ。エアロバイクで160㌔カロリーを消費するとご飯一杯分という表示が出るのだが、最初は一杯分だったのが二杯分になり、エアロバイクは1時間で電源が切れてしまうので、1時間で480㌔カロリー(ご飯3杯分)消費できるように負荷を上げ、さらに1時間経過してもしばらく休息してさらにご飯1杯分を追加したりする。エアロバイクをやり続けて腰が痛くなったので最近はステッパーに変えたのだが、やはり同じ傾向だ。年齢も高くなってくるのだから、この凝り性な性格は何とかしないと・・・



April 6, 2007 =Fri=

先日の日曜日に桜を見ることの出来なかった妻と再び神田川沿いを歩く。今週は寒い日が続いたので、日曜日に満開だった桜もまだ残っているだろうと思ったが、実際に目にしたのはすでにかなり緑が目立つ葉桜だった。小滝橋まで歩き、「いなげや」でパックに入った巻き寿司や缶チューハイなどを買って神田上水公園に入ったのだが、ウィークデイの昼下がりだけあって神田川沿いの遊歩道は行き交う人影もまばら。時折、犬を連れた夫婦連れが通る。この頃見かける犬はチワワとかトイプードルとか、小型で血統の良さそうなのがほとんどで、昔我が家で飼っていた中型の雑種犬などついぞ見かけない。公園の管理人らしい老人が路上に積もった花びらを箒でかき寄せている。春の名残の葉桜をゆっくりと眺めながら歩を進め、この前とは逆に淀橋まで歩く。淀橋近くになると桜と辛夷(こぶし)が交互に植わっていて、同じような色の花を付けていた。



April 4, 2007 =Wed=

二三日前の暖かさが嘘のような寒さ。3時ごろスポーツジムを出ると外は暗くなって今にも降り出しそうな気配。寄り道をやめて家に帰り着いたと同時に猛烈な雷雨が襲来。妻は今日は税理士会のゴルフであきる野市の立川国際CCに行っているのだが、この寒さと雷雨では途中中止だろう。ニュースを見ると、なんと都心の一部では雪が降ったという。だが、雷雨はともかく、この寒さでは今度の週末まで桜も持つかもしれない。



April 1, 2007 =Sun=

フラメンコの練習に行くという妻をおいて、神田川の桜を見に行く。家の前の「税務署通り」を10分ほど歩くと青梅街道に突き当たる。その数十メートル先に神田川にかかる「淀橋」があって、これが中野区と新宿区の境になる。ここから神田川を下流方向に向う。2キロほど先の小滝橋まで、川の右が新宿区、左が中野区だ。川の両側は車が通らない遊歩道になっている。淀橋から遊歩道に入ったあたりの桜は、満開だが枝ぶりは少ない。栄橋伏見橋と進むと桜の枝ぶりはかなり良くなってくるが、歩いている人のほとんどは犬を連れて散歩したり、ジョギングをしたりと、大半がジモティだ。

末広橋まで来ると、その先は少し桜の木が途絶えている。今日は桜を少し見てからスポーツジムに行こうと思っていたので、ここらで引き返そうかと思いつつ先に再び見えてきた桜の木に惹かれて歩みを続ける。この判断は正解だった。次の柏橋のあたりから桜の枝ぶりはぐっと良くなる。川の両側から川面に張り出した桜は無数の花をつけ、重く垂れ下がる。神田川の流れに花びらが浮かび、淀みには花びらが集まっている。遊歩道に面するのは一般の民家で、このあたりに住む人たちは二階が絶好のお花見場所になっている。

川の両岸はやや無粋な柵で囲まれているので、橋が絶好の写真スポットになる。次の新開橋では車椅子の老婦人を連れた夫婦が写真を撮りあっていたので、シャッターを押してあげる。

万亀橋からは桜の背後を中央線の高架が走っているのが見える。高架をくぐって大東橋に至ると、ここからは神田上水公園に入る。公園といっても神田川沿いの遊歩道が多少広くなっているだけだが、さすがにこのあたりからは両岸の桜は見事だ。公園だけあって、本格的にシートを敷いてお花見をしている人たちも多い。だが、まだ早いせいかシートだけ敷いて場所を確保し、「2時から使います。それまではご自由に。」などと書いた紙が貼られているところもある。公園は、南小滝橋、亀齢(きれい)橋を過ぎ、小滝橋まで続く。

満開の桜は人を酔わせる効果があるようだ。酔ったついでに小滝橋たもとの「いなげや」でキリンチューハイ「氷結レモン」の500ml缶を買う。小滝橋を右に曲がって小滝橋通りをたどれば我が家に戻れるのだが、もう少し行ってみようと信号を渡る。小滝橋を過ぎると神田川の左側も中野区ではなく新宿区で、川の右側が高田馬場、左が下落合となる。

遊歩道に面して、「株式会社讃岐屋」と書かれた看板を見つけた。クラシックな看板でありクラシックな店だ。その証拠に「創業大正三年」とあり、「求肥、寒天、黒みつ製造卸」とある。店を覗くとプラスチックのカップに入ったあんみつなどを売っている。だが「求肥」ってなんだろう?と考えて「あ、『ぎゅうひ』って読むんだ。」と気がついた。昔、甘いものの好きだった父が「ぎゅうひ」といってなにやらもちもちしたものを食べていたのを思い出す。てっきり「牛皮」と書くのかと思っていたが、「求肥」だったのか。だが、お酒を飲めない父と違って、甘いものも嫌いではないがどちらかといえば左党の方の私には求肥は縁がない。

「神田川青春ウォーク」と書かれた紙を背中のリュックに張った一団の人たちに出会う。文字に反してか高齢の人が多い。一人遅れて歩いているおばさんに声をかけてみた。町田の成瀬から来たのだが、井の頭公園に集合して神田川沿いを歩いてきたそうだ。この少し先の「せせらぎの里」で昼食休憩の後、御茶ノ水まで歩くのだという。

次の久保前橋を渡ったところに落合中央公園がある。ここも桜が満開かもしれないと寄って見る。中央公園に行くには歩道橋を上がって下水処理場を跨ぐ必要がある。歩道橋を上がると、いままで歩いてきた神田川沿いの桜を上から見渡す形になる。中央公園には桜は何本かあるが、この公園はどうやら体育会系の公園らしく、野球場やテニスコートが配置されている。

川沿いの遊歩道に戻り、少し行くとせせらぎ橋のところに先ほどの「青春ウォーク」の人が言っていた「せせらぎの里」がある。入ってみたがここは別に桜の名所ではないようだ。淀橋からせせらぎ橋まで、2.5kmほどはあるだろうか、桜はまだ続いているが、このあたりで引き返すことにした。

小滝橋まで戻っても我が家へ帰る道筋を辿る気にはならず、再び神田上水公園に入り、さきほど買った「氷結」を一気に飲み干すと、お酒と桜の酔いにまかせてまた淀橋に向う。公園の反対側、中野区側の遊歩道を歩くと、こちらは花見客の喧騒もなく、静かな道を辿りつつ満開の桜を堪能する。そのまま淀橋を経てスポーツジムに向う。

今日はたっぷり6kmほど歩いたので、その分ジムでの運動は少なめにしてジムを出ると、携帯に妻からの着信記録。私がジムに入った頃の時間だ。電話を返すと、フラメンコの練習から帰って事務所に出たが、いい天気だし仕事をする気になれないのでお花見に合流しようと思って電話したがつながらないので仕方なく仕事をしているとのこと。お気の毒でした。




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