Diary





June 30, 2007 =Sat=

昼過ぎの飛行機で旭川へ。空港に迎えに来ていた息子に頼んで富良野の「かんのファーム」へ寄ってもらう。去年8月に来たときは、ラベンダーもほとんど枯れていたが、6月末ではまだあまり色づいていない。その代わり元気に花をつけているのがルビナス。今年はじめに南極へ行ったときに地球最南端の町ウシュアイアに咲いていたのと同じ種類だが、ウシュアイアの赤に対して富良野のそれは鮮やかな青色。「あれ、ノボリフジって言うんだよ」と息子。「え?登り富士?」と聞き返して、「あ、昇り藤か」と納得する。藤の花が垂れ下がるのに対して、ルビナスはまっすぐ上に伸びるのだ。

駅前の安いホテルに泊まるつもりだったが、「どこも満員なので」と、予約してくれたのは旭川グランドホテル。どうやら旭川では一番いいホテルのようだ。最上階のレストランで父子差し向かいでディナー。それから隣のバーで暫く話し込んだらもう11時過ぎ。彼を送って外に出たついでに、あたりを一回りしようと夜の街に出てみたが、東京と違ってこの時間開いている店はコンビに一軒ない。Tシャツにジャケットを羽織っているが、やたらと寒い。いくら旭川といっても、明日は7月だというのにこの寒さはどうだろう。ホテルの周りを一回りしただけで、ほうほうの体で部屋に戻る。



June 29, 2007 =Fri=

丸の内線でいつもとは逆の方向。西新宿から新高円寺で降りる。青梅街道を少し戻り、右に曲がると10分ほどで堀ノ内斎場へ。同期入社のO君の葬儀に出席。大阪入社の私は、彼と初めて会ったのは20数年前にシドニーに出張したときだった。健啖家で、オーストラリアにはふんだんにあるステーキをよく食べていた。それが災いしたわけでもないだろうが帰国後何年かたって糖尿病を患っていた。定年になってからだと思うが、会社の近くを歩いている彼をみかけた。見違えるほど痩せて、おぼつかない足取りで一歩一歩あるく姿は異様に感じた。しかしその後は元気を回復したと聞いていたのだが。

葬儀には会社関係者も何人か出席していたが、同期の仲間はM君と二人だけだった。他の連中は昨夜のお通夜に参加したのだろう。M君も定年後の勤めを今日で終了。昨夜は送別会でお通夜に出席できなかったそうだ。今は浦安に住んでいるが、高円寺南中学校の出身で蚕糸の森公園あたりが懐かしいと言うM君と、帰り道は新高円寺ではなく東高円寺の方にむかう。妻が杉並から衆院選に出馬した頃、われわれも東高円寺駅前のアパートを借りて住んでいたのだ。昔ながらの駅前商店街は今もほとんど変わっていないようだ。



June 28, 2007 =Thu=

親会社の品川本社で、今の勤務先の株主総会と役員会をすませ、親会社関係者とこちらの幹部社員を交えての懇親会。品川本社のあるグランドコモンズのなかで、一番駅に近いビルの「」という店。今日はあちらこちらで株主総会が開かれ、懇親会も多いのでどこも満員らしい。ここはなかなか落ち着いた雰囲気の店だが、本来は女性たちが好む店で、おじさんたちばかり十数人というのは本来の姿ではないらしい。



June 25, 2007 =Mon=

以前勤めていた商社で、定年後も嘱託として、今の私と同様に週三日勤務していたN氏が、その嘱託勤務からも引退するというので、リタイアメントの祝賀会。集まったのはやはり定年後に商社の関連の鉄鋼商社で隔月勤務をしているH氏とM氏。幹事役のM氏から「どこかいい場所を提案してくれ」と言われたので、明治生命ビルの「はげ天」なんかどう?とメールを入れたのだが、結局はTOKIAの「菊亭」となった。そんなつもりはなかったのだが、「はげ天」の名前は幹事役のプライドをちょっとばかり傷つけたらしい。「菊亭」は以前、三菱電機ビル(現在の丸の内仲通ビル)の地下にあったのが、TOKIAに移った。ここも天麩羅が主体。

N氏は、油絵、陶芸、合唱など趣味も多彩なので、引退後も結構忙しいようだ。彼も私と同じ65歳。こちらもそろそろ考えなければ。



June 17, 2007 =Sun=

先週の天気予報では、関東地方も梅雨入りし、金曜日から週末にかけて雨模様の日が続くはずだったが、実際は三日間とも梅雨が明けたような夏空だ。ペルー沖ではエル・ニーニョではなくラ・ニーニャ現象が発生していると言うし、世界的な異常気象が始まっているらしい。

夏の陽を浴びながら街を歩いていると、眩しさのせいか、風景が個性を失ってしまうような錯覚に陥る。遠くに停めてあるオートバイの部品や行き交う車のボンネットがキラキラと輝き、歩道を歩く人の姿すら人格を持たない点景のようだ。イヴ・タンギーの絵に描かれたかのような無機質の世界。そしてなぜか猛烈な既視感(デジャ・ヴ)に襲われる。



June 16, 2007 =Sat=

今日は娘のところの双子ちゃんのお宮参りに付き合う。「ちゃんとした格好してきてよ」との娘の言いつけに従って、「父の日」のプレゼントに娘から貰ったシャツに昨日アオキで買った夏用のジャケットを羽織る。ついでに靴もくたびれていたのでちょうど買い替え時と近くの安売り店で買う。「旧い靴はおいてっていい?」と聞くと、「いま下取りセールをやってますので、500円で下取りします」儲かったような気がする。そのままスポーツクラブに行き、4時前に赤坂見附の改札で妻と合流。妻の方はセンチュリーハイヤットで友人と会食してきた。プルデンシャル・タワーの前を通って少しいくと大きな鳥居があって「日枝神社」と書いてある。そこで暫く待っていると双子の赤ちゃんを抱いた娘夫婦がタクシーで到着。私がベビーカーなど荷物の運搬役になり、エスカレータで境内に上がると、お舅さんご夫妻が先に着いていて、受付をやっていただいている。お宮参りなんて、たしか30数年前に息子のときはやった記憶があるものの、まったく要領など分からない。控え室で暫く待っていると、隣の祈願所の扉が開き、巫女が案内してくれる。座る位置や何かを指示され、言われるままに立ったり頭を下げたりするうちに、祝詞と神楽が終わる。お舅さんご夫妻、そして多分娘夫婦もカトリックなのだが、こうした時だけは日本の慣習に沿って行事を済ませるようだ。

一仕事なのはその後の写真撮影。境内にある写真質で、集合写真の次に赤ちゃんだけの写真を撮る。長男の方は終始ぱっちりと大きく目を開け、カメラ目線(な訳ないか)をしっかり保っているのだが、次男の方はすやすやと寝てしまっている。一生残る写真だからと、写真やさんのアシスタントに二人のお祖母ちゃんも加わって音の出る玩具を鳴らしたり、おでこに濡れたハンカチを当てたりして目を覚まさせようとするのだが、本人はそんなことにお構いなく爆睡状態。最後は「まあ、寝顔も可愛いから」と妥協する。

所用のあるお舅さんご夫妻と別れ、われわれと娘夫婦に双子の6人で、神社から歩いて10分ほどのところで夕食。娘たちが予約していたレストランは赤坂ツインタワー1階にあるLawry's。聞いたような名前だなと思ったので、席に案内してくれたウェイトレスに「ここ、ロスのLawry'sとは関係あるの?」と聞いてみたら、案の定「はい。系列店です」とのこと。なるほど、メニューにもそう書いてある。ロスのLawry'sには、初めてアメリカに行った1970年、いまからもう37年前に行ったことがある。ここでは氷の上に乗せたボウルをスピンさせながらサラダを作ったり、カートに乗せたプライム・リブを注文に応じて切り分けるなど、ショーの要素も取り入れている。ほとんどプライム・リブの単品メニューだが、娘や妻が注文した厚さ1センチくらいの「東京カット」私が注文した2センチほどの「カリフォルニアカット」から、娘の夫が挑戦した5~6センチ厚のダイヤモンドカットまでいくつかのランクに分かれている。もっともダイヤモンドカットは骨付きなので、それほど凄まじい量ではないようだ。



June 11, 2007 =Mon=

昨日も書いたのだが、シンガポール・マレーシアへの旅行途中に読み終えたのがSteve Berryの"The Romanov Prophecy"前作の"The Amber Room"に続く二冊目で、去年の年末に南極旅行の途中、アトランタ空港の本屋で買ったものだから、ほぼ半年近くかかってようやく、といったところだ。

"The Amber Room"は題名の通り、ナチスドイツがサンクトペテルブルグから略奪し、山中に隠したと言われる「琥珀の間」を捜し求めるミステリーだが、"The Romanov Prophecy"は人間を捜し求めるミステリー。ソ連邦崩壊後のロシアではマフィアがのさばり、不正と腐敗の混乱を収めるにはロマノフ王朝を再建し、王政復古しかないという結論に達した。ロマノフの血をひくという自薦他薦の候補者の中から皇帝を選ぶ委員会が組織される。主人公のマイルス・ロードはアトランタの法律事務所に所属する黒人弁護士だが、ロシア語が流暢で、上司と共にこの委員会の顧問格でロシアに滞在している。彼の法律事務所もバックアップする皇帝候補が有力になっているが、図書館で記録を調べていたロードは、1917年にエカテリンブルグでボルシェヴィキに殺害された最後の皇帝ロマノフ二世とその家族のうち、皇太子アレクセイと皇女アナスターシャが虐殺を免れた可能性があることを知る。もしその子孫が見つかれば、ニコライ二世の直系として間違いなく新皇帝の資格があることになる。ところがロードがそれに気付いた直後、彼はなぞの襲撃を受け、辛くも生き延びる。その後も次々に襲われるうちに、ラスプーチンの予言に従って一歩一歩ロマノフ直系の子孫の足跡を辿ることとなる。読者には、彼が一番信頼している法律事務所の上司が実はマフィアと組んで有力候補を後押ししていることが分かるのだが、彼自身はそれに気付かない。革命の混乱の中、アメリカに逃亡したらしいアレクセイとアナスターシャを追って、ロードもアメリカに戻り、ついにノースカロライナの田舎町で弁護士を開業しているアレクセイの子孫にたどり着く。

設定が設定だから共産主義政権を悪、帝政を善と捉えているのは仕方ないが、ロシアの混乱を救うのに帝政を復活されると言うのは、いくらなんでも突飛な発想だろう。だが、そうした状況では傀儡の皇帝を裏で操って利益を得ようとする裏社会の存在が台頭してくるであろうことは、十分予想されるのかもしれない。

旅行中に読んだもう一冊(上下巻だから二冊)は幸田真音の「日銀券」。これは文句なしに面白かった。主人公は妻に先立たれた後、日銀の審議委員に指名された62歳の経済学者。就任挨拶を兼ねて欧州各国の中央銀行を訪ね歩いた後、プライベートで訪れたビクトリア瀑布からヨハネスブルグに向う豪華列車の旅で、やはり一人旅の30代後半とみえる日本人女性と出会う。彼女との知的な会話や他の乗客とのブリッジでの勝ちに盛り上がり、一夜を共にするが、その直後彼女は突如列車からいなくなる。アフリカへの旅から戻った主人公は日銀での審議委員の業務を開始するが、二人いる副総裁のうち一人が病に倒れ、その後任人事に関心が集まっている。下馬評では財界人の起用が有力だったが、審議委員の前に総裁が紹介したのは日銀史上初めての女性副総裁、それも海外の大学から帰国したばかりのまだ39歳の教授だった。その顔を見たとたん、主人公は息を呑む・・・。小説は、短資会社の部長と新米社員とのやり取りを通じて日本の金融政策の仕組みを解説しながら、やがて女性副総裁の仕掛ける世界的規模の事件へと発展していく。

この小説を面白く感じたのには、以前の勤務先の副社長で仕事上の付き合いもあったK氏が最近日銀の審議委員になったこと、いま習いつつあるブリッジがプロットの中に登場すること、そしてこれを読んだのがシンガポールからマラッカに向う国際列車の中という、豪華さでは劣るものの小説の舞台と少し重なる状況であったことなどの要因もある。だが、「傷」「日本国債」「凛冽の宙」などの経済小説を得意とする幸田真音の筆がますます冴えてきているのが原因だろう。



June 10, 2007 =Sun=

ずいぶんと更新をさぼってしまった。書くネタがないわけではない。先月29日から今月3日まで、シンガポールからマラッカ、そしてクアラルンプールと列車で移動する旅をした。その間、この前の南極への旅行の途中のアトランタ空港で買ったスティーブ・ベリーの"The Romanov Prophecy"を読了し、さらに成田空港へ向う途中の東京駅の売店で買った幸田真音の「日銀券」も読んだ。いままでなら即座に旅行の記録を書き、読後の感想などを書いたものだが、どうも筆が進まない。忙しいことは忙しいのだが、週三日という勤務形態は守っているので時間がないわけでもない。

もともと、このDiaryを始めたのは、日々の出来事や心の動きを記録にとどめておくのもさることながら、多少は自信のあった文章を書くという能力や習慣を維持することに目的があった。別に将来、自分の文章を書物にして発表するというような予定があるわけではないが、むかし高校時代に文芸部に所属していたこともあり、文章で自分を表現するという手段だけは失いたくないと思っていたのだ。だが、毎日時間を見つけてはその日の出来事を書きとめるというDiaryの形式は、だんだんと文章を雑にしてきたような気がする。今、こうして書いているときもそうだが、文章を練って思いを正確に表現するという気力には乏しく、PCの画面にただ文字を打ち込んでいるに過ぎない。もしかして、これも「老い」の始まりなのだろうか。人は、こうして肉体的にも精神的にも「老い」を迎えるのだろうか。

ま、ともあれシンガポール、マレーシアへの旅行を記録しておこう。

5月29日、午前中だけ出勤して、午後からは成田へ。夕方のJALで成田を発ち、深夜12時前後にシンガポールに着く。HISのモニター・ツアーというやつで、いつものように妻が安いのを見つけてきた。だからホテルもシャビィなのかと思ったが、ロケーションは良くないもののホテル自体はまずまずだった。チェックインは深夜だが、翌朝には市内観光。シンガポールにはもう何度も来ているが、いつも仕事での出張なので観光はほとんどやっていない。シンガポールのシンボルであるマーライオンも、じっくり眺めたのは今度が初めてだ。

HISの旅行はいつもそうだが、添乗員はおらず、成田のカウンタで航空券を受け取り、目的地に着くと現地スタッフが迎えに来ていてホテルまで送ってくれる。団体旅行というより個人旅行に近く、市内観光もいくつかの違ったコースの参加者が組み合わせによって一緒になると言う形。市内観光以外は自由時間になっているのだが、今回は別に現地で知人を訪ねる計画もなく、自由時間もすべてオプションを入れていた。初日のオプションはナイト・サファリで、猛獣類などを放し飼いにしたサファリパークを夜だけ開放し、トロッコ電車で一周するもの。猛獣類は夜行性が多いので、アイデアはいいのだが、やはり夜では見えにくい。「夢を食べる」と言われるバクを初めて見たのは収穫と言えよう。

翌31日はマレー鉄道でマラッカへ。一等車なら個室なのだが、二等なので普通の座席で周囲はシンガポールの祝日を利用して物価の安いマレーシアへ買い物に行く家族連れや、シンガポールに出稼ぎに行っているマレー人など。行列に並んでいるアメリカ人らしい年配の女性が"BIOBANK"というロゴの鞄を肩にかけているのを見て声をかけてみた。やはりアメリカ人で、一、二週間おきにカリフォルニアとシンガポールを行き来しているという。Biobankというのは遺伝子関係の研究団体だそうだ。

今回の旅行のうち、マラッカだけは初めて訪れる町だ。Tampinという駅で列車を降りる。マラッカ海峡がすぐ近くに見えるのかと思ったが、駅は山中の町のような感じだ。それでも迎えに来た案内人によると、すぐにマラッカ海峡が見えるらしい。なるほど、フランシスコ・ザビエルの墓があるという、丘の上の教会に着くと海が望める。たしか、大仏次郎の「帰郷」という小説の冒頭、マラッカの街の情景が描写されていたのを想いだす。われわれが今夜泊まるのを含めて、新しいホテルなどが次々に出来ているから、街の様子も「帰郷」の頃とは大きく違っているのだろうが、中心部の中国人街などを歩いてみると、旧い町並みが何となく懐かしい雰囲気に包まれている。ホテルが建っているのはマラッカ海峡に面した埋立地だが、その先もあらたに埋め立てられた岬が突き出し、そこには新しい回教寺院とまだ開業していないホテルが並んでいる。

マラッカで一泊の後、観光バスでクアラルンプールに向う。観光バスといっても、客はわれわれ夫婦のほか世田谷から来た未亡人二人連れの計四人だけ。未亡人の一人はもう70歳を超えているが、信州の白馬でスキー客相手のロッジを一人で切り盛りしているというとても元気なおばさんだ。

前にクアラルンプールに来たのは20年ほど前になる。たしかヒルトンに泊まったのだが、ホテルのすぐそばに今やクアラルンプールのシンボルになっているツインタワーがまだ建設中だった。ここでは市内観光の後、郊外に蛍を見に行くオプショナルツアーに参加。同じマレーシアだが、この前ボルネオのコタキナバルに行ったときも蛍を見に行った覚えがある。

6月2日がマレーシアでの最終日、午前中は郊外観光ツアーに参加、272段の階段を登ってヒンズー教の聖地になっている鍾乳洞を訪れる。ここに参拝するヒンズー教徒は、子供の頭を剃り、そこにウコンの粉を塗りつけると幸運が授かるという信心があるらしい。ウコンを塗った双子の子供(4ヶ月くらいとのこと)がいて、4月末に生まれた双子の孫を想いださせる。

聖地のふもとには参詣客相手のインド料理店が並んでいる。料理店といってもここではバナナの葉の上にご飯を盛り、そこに野菜の入ったスープをかけて手づかみで食べるというもの。手は必ず右手で、左手は使わない。一人300円くらいの値段だ。食べてみると思ったより美味しい。

お決まりのコースであるピュータ工場を見学して、クアラルンプールに戻り、ペトロナスのツインタワーに付属するショッピングセンターで妻のブランド品ウィンドウーショッピングに付き合う。それから、クアラルンプールでもっとも格式の高いと言われるカルコサ・スリ・ネガラでハイティ。ここは2階建てのホテルだが、客室は7室しかない。ちょうど空いている一室を見せてもらったが、豪華さはなかなかのもの。ハイティを終えて庭園に出ようとしたら、逆に庭園からサロンに入ってくる人とすれ違う。マレー人だがすらりとして背が高く、非常に垢抜けしている。トルコ帽を被った青年と一緒だ。どうやら王族らしい。

帰りは夜中の飛行機になる。いったんホテルに戻って足裏マッサージで時間を潰し、空港に向う時には猛烈な雨になった。普段、スコールはすぐに止むのだが、このスコールはなかなかおさまらない。道路はたちまち河のようになり、低地なのかそれとも溝に落ちたのか、乗用車が水につかっていた。われわれの乗った車も、運転手がどうもエンジンから変な音が聞こえると言って道路わきに車を停め、点検を始めたのでやばいな、と思ったが、何とか無事に空港にたどり着いた。空港の書店で、来るときの飛行機で読み終えたのと同じスティーブ・ベリーの新作"The Templar Legacy"を買う。



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