Diary




July 29, 2007 =Sun=

安倍自民の大敗は、New York Timesでも出口調査の段階で報じられている。

But, he said, “To pursue reforms, to build a new country, I have to fulfill my duties as prime minister from now on as well.”
何だって?冗談じゃない。国民はお前の言うa new countryなんか造ってくれなんて言ってないじゃないか。You do not have to fulfill your duties as prime minister anymore!



July 28, 2007 =Sat=

11時に、歩いて15分ほどの東京ヒルトンホテルへ。今日の予定はHilton Grand Vacation Clubの説明会。娘が見つけてきて申し込んだのだが、われわれにも声がかかった。今日は娘の夫の誕生日なので、説明会のついでにヒルトンで食事をしようというもの。ヒルトン隣接のヒルトピアの地下にある説明会場に入ると、一組ごとにブースに案内される。少し遅れて娘夫婦も近くのブースに入る。例の派手なベビーカーに双子が並んで眠っているので、係の人たちが「わー!可愛い!」と集まってくる。どうやら娘はこうした声に会館を覚えて赤ちゃん連れの外出が増えているのかも・・・。説明会の趣旨は、ヒルトングループがハワイに建てているコンドミニアムを週単位のタイムシェアで購入すると、その購入した部屋の価格に応じたポイントが毎年渡され、そのポイントを利用して当該のコンドミニアムを利用したり、あるいはヒルトンが世界各地に持つ同様のコンドミニアムやホテルを利用することができるというもの。よくある会員制のリゾートクラブとの違いは、タイムシェア法に基づいて「物件名の第何週の所有権」という形で州政府に登記されるということ。ここを見ると、リセール市場もできているらしい。毎年決まった時期をハワイで過ごすなら、第何週というところを自分の希望の週にすれば確実にその週の利用権を押さえることができるが、年末年始など人気の高い時期は値段も高くなる。だが普通は登記される週とは関係なく、予約を入れて使うことになる。使う部屋も自分名義で登記されたものと必ずしも一致するわけではない。その辺は運営者のヒルトンが所有者から部屋ごと・週ごとの権利を受託して、それをポイントの形で調整するのだろう。自分が権利を持つ部屋よりグレードの高い部屋を、翌年のポイントを前借して使うこともできるし、逆に自分の持つ一週間分のポイントでグレードの低い部屋を二週間使うといったこともできるそうだ。いま建設中の新しいコンドミニアムで、オーシャンビューの2LDKだと販売価格が64,900㌦と、買えない金額ではないのでちょっと食指が動く。

だが、今日のもう一つの目的は、説明会参加者に渡される15,000円の食事クーポン券。タイムシェアを買うのではなく、説明会に出ただけでクーポン券をくれるというのは、核燃料廃棄物の埋め立てを受け入れるのではなく、その調査を受け入れるだけで地方自治体に交付される補助金みたいなものだが、これを使ってヒルトンの中にある中華料理店「王朝」で、中華料理のバイキングに行こうというのが娘の立てたプラン。バイキングといっても一人11,000円余りという豪華版で、自分で料理を取りに行くのではなく、オーダーして持ってきてもらう。つまり食べ放題というやつ。フカヒレの姿煮(単品メニューだとこれだけで8,600円)だけは一人一皿だけだが、その他は北京ダックでも燕のスープでも鮑のオイスターソース煮でも何でも食べ放題だから、とても割安感はある。それに四人でもクーポン券を差し引くと飲み物代を入れても18,000円ほど。娘の夫のブログによると、最近彼らの外食は期待はずれのケースが多く、娘のご機嫌があまりよくないようだが、今日はさすがの彼女も満足だったらしい。

明日は参院選の投票日。ヒルトンでのランチの後、妻は参院選の比例区に立候補している民主党候補の応援に鎌倉へ慌しく向う。



July 24, 2007 =Tue=

携帯電話を目覚ましにも使っているので、寝るときにはベッドに携帯を持ち込み、充電器を繋いで充電しながらネット接続し、その日最後のニュースをチェックする習慣である。ニュースは月額100円の朝日新聞ニュースと無料の毎日新聞。毎日新聞の方もお金を払えば詳しいニュースを読めるのだが、無料版だと一つのニュースにつき4~5行だから見出しに毛の生えた程度。それでも大体の内容が分かる。その毎日新聞のサイトに、『政党との相性診断』というのがある。参院選の各党候補者へのアンケートと同じアンケートに答えることにより、政党ごとの回答傾向と自分の回答との「相性」をパーセンテージで表示してくれる。「憲法9条を改正すべきだと思いますか。」の質問に対して「改正すべきである。」「改正すべきでない。」という二者択一の回答もあるが、「日本の核武装について」で「将来にわたって検討すべきでない。」「今後の国際情勢によっては検討すべきだ。」「国際情勢にかかわらず検討を始めるべきだ。」「核兵器を保有すべきだ。」のマルチ回答のものもある。同じ政党の候補者でもすべてが同じ回答とは限らないから、設問ごとの政党別回答傾向と自分の回答とをコンピュータが比較し、どの政党の傾向に近いかをパーセンテージで示してくれるというシステムらしい。回答を入力していくと、どうも民主党よりも社民党か共産党に近い数値が出るかなと思っていたが、結果を見ると一番近いのは、なんと「新党日本」だった。(自民党27%、民主党62%、公明党39%、共産党70%、社民党76%、国民新党46%、新党日本78%)



July 23, 2007 =Mon=

メールをチェックすると"Check out my photo..."というタイトルがある。ここ当分は下火になっているが、また海外サイトからのジャンクメールかと思って削除ボタンを押そうとして、もう一度タイトルを確認したら"...of Yokushima on Ringo"となっている。そうだ、屋久島の雨の中、デジカメが壊れたので防水カメラを持っていた三人組の女性に写真を撮ってもらい、あとで送ってもらうよう頼んだのだった。開いてみると、お願いした写真以外のも含めて30枚近くのサムネイルが並んでいる。"Ringo"というのはNTTがやっている"cocoa"のような、写真のストレージサービスらしい。

さっそくお礼のメールを出そうとして、先方のメールアドレスをチェックすると"capoeira"という言葉がアドレスの使われている。カポエイラ(カポエラとも言うらしい)は、ブラジルの黒人たちのダンスのことで、昔、ブラジルに行ったときに耳にしたことがある。「カポエイラをやってるんですか?」とメールで聞くと返事を頂いた。写真を撮ってくれたのはIさんという方で、Ringoにアップしてメールを送ってくれたのはFさんという人。そのFさんは案の定「ワーキングホリデーでオーストラリアに行っている時にカポエラにはまり、つい2年前までやっていたのですが現在は先生がブラジルに帰ってしまいお休み中です。」とのこと。

Ringoからダウンロードした写真には、延々と続くトロッコ道など、カメラが壊れなければ撮りたいと思っていた被写体を写したのが何枚もあった。Many thanks!



July 21, 2007 =Sat=

昨日に続いてわが家近くに新しくオープンしたお店の話だが、今夜はトルコ料理店「HIsar」。わが家からはJRの駅では新宿よりも大久保のほうが近い。大久保駅は北口の大久保通りに面した方がメインで、わが家に近い南口はいわば裏口で、小滝橋通りから南口に続く道はいかにも場末の盛り場といった風情。だが、新宿の北の方に勤務先がある人たちは新宿駅よりもこちらの方が近いので、ここを通る通勤客も多い。一杯呑み屋やラーメン屋、スナックその他怪しげな店も立ち並ぶこの通りの一角に今週の火曜日、小さなトルコ料理店ができた。オープン前から看板が出ていたので気になっていたが、今日初めて寄ってみた。

店は二人掛け、四人掛け、六人掛けのテーブルがそれぞれ一つと、あとは4人も座れば一杯のカウンターだけ。主人はトルコで20年ほどホテルのコックをやり、5年前に日本に来て六本木のトルコ料理店に勤め、今度独立したオスマンさん。18歳になるその息子が手助けをしている。オスマンさんは余り日本語がしゃべれないが、1年前に来日して日本語学校に通った息子の方はしゃべれる。もう一人、日本人のKさんがウェイトレスをしているが、保健所の届出などKさんの名前になっている。この場末の店にしては利発そうで感じのいいKさんだが、聞いてみると早稲田を出て大手銀行に就職したものの、インドへの憧れが強く、休職してインドに行き、銀行は辞めてしまったらしい。知人の縁でオスマンさんの仕事を手伝うことになったそうだが、どうやら実質的に店を切り盛りしているのは彼女らしい。Kさんの銀行時代の仲間が数人来ていて、一般の客とでテーブル席は埋まっているので、妻と二人カウンターに腰を下ろす。注文したのはトルコ産のEfesというビールとワイン、前菜盛り合わせのメゼ、それにメニューにないがオスマンさんお勧めのイスケンデル・ケバブ。メゼは皿の上にギリシャでもおなじみのドルマダキア、タラモサラダ、イェミスタ、フェタチーズ(いずれもトルコ語での名前が分からないのでギリシャ語表記)などが乗っている。トルコとギリシャでは料理も余り違わない。イスケンデル・ケバブは挽肉を固めて焼いたケバブにヨーグルトが乗っている。ギリシャ料理が余り合わない妻は、最初にメゼが出てきたときうんざりした風だったが、それでも結構食べていた。ギリシャ料理が好きな私にはなかなか美味しかった。

やがてオスマンさんと馴染みらしいトルコ人が二人入って来て、カウンターの隣の席に着いた。この店で出しているEfesビールを輸入しているという。最初は英語で話していたが、聞いてみると三軒茶屋に住んでいて奥さんは日本人だということで、会話は日本語になる。もう一人もこの近くでトルコ絨毯の卸をやっているとのことで、こちらも日本語は流暢だ。ビール輸入商の方はギリシャにも何度も行っているとのことで、我々が昔ギリシャにいたことを告げると会話にギリシャ語の片言が混じるようになる。大久保もなかなかの国際都市だ。ちなみに店名の「Hisar」はボスポラス海峡に面して立つ要塞の名前だそうだ。



July 20, 2007 =Fri=

このところわが家の近くに新しく食べ物屋が次々にオープンしている。どれも安い店ばかりなのだが、だいたいは妻がチラシで「開店特別価格で全品半額」などの情報を仕入れてくるのだ。

先週の金曜日、妻の事務所のすぐ近く、「新宿保健センター前」の五叉路を線路側に入ったところにできたインド料理店でランチ。一ヶ月ほど前に開店していたらしいが、近くなのに大通りから少し入るため気がつかなかった。店のショウウィンドウに大きな象のはりぼてが飾ってある。このあたり、最近特に小さなインド料理店が増えているが、この店は中に入ると思いのほか広く天井も高い。といっても豪華な広さではなく、倉庫跡のようなガランとした感じだ。ランチはほとんど単品メニューらしく、ネパール人のウエイトレスがシステムを説明してくれる。「まずこっちのカウンターで飲み物を取ってください。それからあっちのカウンターで食べ物を。」飲み物はラッシーかインド紅茶など。食べ物はもちろんカレーだが、カウンターには三種類ほどのカレーのメニューが書かれているので、そのうちから選ぶのかと思うとトレーに3種類のカレーを乗せてくれる。次にライスかナンを選ぶのかと思うと、トレーの真ん中にターメリックライスを盛りその上にかぶせるように石窯から取り出したナンを乗せる。「ナンもライスも、カレーもお代わり自由です。」要は食べ放題ということで、これで890円。陣頭指揮を執っている日本人の経営者をつかまえて聞いてみた。西新宿で他にインド料理店を3軒やっているんですが、ここは他とは違った形です。ビルの一階ですがもともと畳屋さんがあったところです。夜は広さと天井の高さを生かして、照明を落としてインドの戸外で食事をするような雰囲気にしています。」なるほど客席の四隅には街灯のような電気がぶら下がっている。「通りからちょっと入っているので、なかなかお客さんが気付いてくれないんです。」

月曜の休日は、夕食を作るのも面倒くさいと新大久保駅近くに開店した回転すし屋に。昨日の開店で、昨日、今日は湯飲みをプレゼントしてくれる。一皿130円が基本。開店早々というのでかなり混んでいたが、少し待って席に着く。私の右隣は若いアメリカ人の青年、妻の左には韓国人の一家。どこの国にいるのか分からなくなるのがこの一帯の特徴だ。流暢な日本語で板前さんに注文しているアメリカ青年に「どこから来たの?」「ジョージアです。」「アトランタ?」「いや、もっと北の方の小さな町」「日本には何年?「5年前に来ました。」一見、華奢な幹事なので、NOVAの英語講師でもやっているのかと思ったら「気合道の勉強に来てます。」とのこと。

そして今晩は大久保駅の隣にできた白木屋。店の前でチラシを配っている店員に「今、空いてる?」と声をかけると「今は満席なのですが、少しお待ちいただけると」というので二階の店に上がる。「相席でよろしければすぐにでも」というので窓に近い掘り炬燵形式の席につく。ここは靴を脱いで上がり、靴は昔風の差込錠のついた下足箱に入れる。店内は白木屋の店としてはさほど広くない。隣のテーブルのサラリーマン風の一団の話し声や笑い声がやたらやまかしい。ただ、全品半額というのが本当だったのか、勘定は二人合わせて2000円ちょっとという安さ。勘定を済ませて外で待っていても、妻がなかなか出てこない。不審に思って店に戻ると、下足箱の鍵が見つからないと騒いでいる。そういえば、私が妻に続いて席に上がり自分の靴を下足箱に入れようとしたら、鍵がついた箱なのに誰かの靴が入っていたので隣の空いた箱に入れた覚えがある。鍵を取り忘れたんだろうと、鍵のついたままの箱を順に開けてみたが見つからない。そのうち、店員がマスターキーを持ってきて鍵のかかっている箱も全部開けてみたが、妻の靴はどこにも入っていない。こんな店で他人の靴を持っていく客がいるとも思えないが、なんとも不思議なことだ。結局、家も近いことだし、店のサンダルを借りて家に戻った。



July 16, 2007 =Mon=

10時過ぎ、PCに向っていると何か身体が揺れるような気がする。地震かな、それとも気のせいか・・と思いながらわが家の地震計である壁の銅板を見るとカタカタと揺れている。やはり地震か、と思ううちにだんだんと揺れが大きくなってくる。そのうちに洗面所のあたりから何かがぶつかるような音が聞こえだす。心なしかミシミシというような音も混じる。テレビを見ると、ちょうど地震対策の番組をやっているのだが、まだ速報は出ない。暫くすると番組が中断され、地震速報になる。震源は中越地方で新潟県で最大震度が6強。東京23区は震度3とのこと。震度3でこれだけ揺れるのだったら、震度6強ってどんなだろうと思うが、揺れは一向に収まらない。高層ビルはそれ自体で揺れを吸収する構造になっているそうだが、高いところほど揺れるのではなく、真ん中あたりの振幅が大きくなることで上層部の揺れを押さえるらしい。やはり地上19階という中途半端な高さは一番揺れるのかもしれない。中越地方といえば3年前の中越地震で大きな被害を受けている。今回も大きな被害にならなければ良いが。



July 15, 2007 =Sun=

娘夫婦をたまには双子の赤ちゃんの世話から開放してやろうと、夕方から市ヶ谷へ。娘たちを送り出した後はわれわれ夫婦で双子の面倒を見るのだが、ミルクを飲ませ終わると二人ともすやすやと寝てしまう。昼間あんまり寝てしまうと、夜中になって泣き出して、また娘たちが眠れなくなるのだが、かといって無理やり起こすわけにも行かない。どうやら私は用がなさそうなので、後は妻に任せて先に新宿に帰る。娘たちはホテルオークラのハワイアンディナーに行ったのだが、まったく期待はずれでご機嫌斜めだったようだ。



July 14, 2007 =Sat=

連休を利用して旭川から帰ってきた息子に「何が食べたい?」と聞くと「いつもの食べ放題」という。彼が言っているのは新宿西口大ガード交差点にある「唐人凧」の「しゃぶしゃぶ、ふぐ鍋、ジンギスカンの三種食べ放題」というやつ。この前もここに来たのだが、「食べ放題」というのは彼には良くても60代後半のわれわれにはちょっとつらいものがある。それに、冬ならともかく夏の盛りに「ふぐ鍋」なんてやっているのだろうか。電話で聞いてみると案の定「今の季節、ふぐはやっていません。」そらそうだろう。それで小田急ハルクにある叙々苑を予約したのだが、個室は空いておらず、禁煙席のテーブルしかなかった。

ところが、息子は羽田から市ヶ谷の娘の家に直行、双子とのご対面をした。そこで娘も双子の一人を連れてディナーに合流するということになる。双子のもう一人は夫が面倒を見てくれるそうだ。そこでやはり個室の方が良いだろうと、同じ叙々苑だが、歌舞伎町にある游玄亭に予約を変更した。6時に我々がついたときには、息子と娘が先に来て待っている。双子は結局二人とも夫に押し付けてきたらしい。息子が喫煙者なので、赤ちゃんにタバコの煙を吸わせたくないというのが娘の意図のようだ。ともあれ家族四人で食事をするのは久しぶり。



July 13, 2007 =Fri=

朝から妻の事務所でパート職員の抜けた穴埋めの仕事を手伝う。夕方5時過ぎに市ヶ谷の娘の家に行く。明日、旭川から息子が来るので、娘のところの双子のお宮参りの写真を見せてやるため、写真を受け取りに行くのが目的。部屋に上がるとたまたま目を覚ましていた長男の方を「はい!」と渡される。「おい!大丈夫かよ」「大丈夫だよ」この子達が生まれてから、私の手で抱くのは初めてだ。「ちょっとクリーニング屋に行ってくるからね」と娘が出かけてしまうと、何かあったらどうするんだ・・・戻ってくるまでの15分ばかりが心許ないが、そのうち何とか慣れてくるものだ。写真は①赤ちゃん二人のもの、②赤ちゃんと両親の四人のもの、③両方の祖父母が加わった8人のものと、三枚の写真が台紙におさまった立派なもの。



July 11, 2007 =Wed=

また妻からSOSが入る。税理士事務所でパートで雇っている事務員たち3人が、いずれもそれぞれ個別の事情で相前後して辞めてしまうのだという。経営者に反発して一斉にやめるというわけではなく、個人的な事情がたまたま重なったのだが、根底には給料が安いこともあるのだろう。所長である妻はコンピュータに詳しくない上、税理士会の役員などをしているため、こうした急場になると必ずこちらにSOSを発疹、いや発信してくるのだ。しばらく落ち着いていたのでもう大丈夫かと思っていたのだが。会社の方は週三日の勤務とはいえ、休みの日にやりたいことはいくらでもある。だが、この様子では・・・



July 8, 2007 =Sun=

朝はゆっくり寝て、9時に民宿を出発。高速船乗り場に近い「屋久島観光センター」でレンタルしていた妻のトレッキングシューズとリュックを返却。二泊三日で借りたのだが、昨日の帰りが遅くなってしまい、3泊4日になってしまった。だが、料金はそのままで良いと言ってくれる。妻は観光センターの二階にあるレストランのコーナーに電動マッサージ椅子があるのを見つけ、一時間ばかり座っているという。私は歩いて5分ほどの港へ行き、高速船の搭乗手続きを済ませることにする。港へ行こうと外に出ると、朝方は止んでいた雨が本降りになっている。雨の多い屋久島なので、観光センターには無料の貸し傘が置いてある。島内なら誰でもどこへ行くのにも使って良いとのこと。それを借りて港に着くと雨は上がっていた。高速船で鹿児島港に着き、さて飛行機の出発までどうしようか。妻が鹿児島特産のものを食べたいというので、鹿児島中央駅に隣接するアミュプラザの「いちにいさん」、で黒豚のしゃぶしゃぶにする。ここは、もともとがそば屋さんなのでしゃぶしゃぶも蕎麦湯仕立になっている。銀座や日比谷にも見せがあるらしい。

食事に腰を落ち着けすぎたので、飛行機の出発時間が迫ってきた。アミュプラザの向かいにある空港行きバスの乗り場に急ぎ、ちょうど来たバスに乗り込む。道が混むとやばいかな?と思ったが、日曜日だけあって道も空いていたらしく、45分で空港まで着いた。搭乗手続きを済ませ、出発口に来るとアナウンスが聞こえる。「屋久島空港は天候不良のため、出発を見合わせていた屋久島便は欠航となりました。」確かSさんは今日の飛行機で屋久島から鹿児島に移動するはずだった。無事帰れたのだろうか。羽田行きの便は定時に出発し、定時に到着した。



July 7, 2007 =Sat=

朝4時に今村さんが迎えに来る。同じ民宿に泊まる一人旅の30代前半くらいの女性Sさんも同行。後で聞いたのだが、Sさんは群馬から来た会社員で元ネイリスト。われわれと同じ一昨日に到着したが、鹿児島から飛行機で来たそうだ。昨日はダイビングに行き、われわれが昨日行った白谷雲水峡は明日、今日と同じくらいに出発して昼ごろの飛行機で鹿児島に発つのだという。さらに温泉のある楠川集落にまわり、そこの民宿から3人の同行者をピックアップする。こちらは広島から来た20代後半くらいの女性3人。同じ会社に勤めているらしい。ガイドの今村さんを含め、みんな30歳前後の中にわれわれ夫婦だけが60代。体力的についていけるか、少し不安が過ぎる。まだ暗い道を、車は縄文杉登山の出発点まで約1時間走る。前方に赤いテールランプが見える。「あの車も縄文杉登山組?」「この時間に走ってる車は他にはいません。今日は多いかもしれませんね。」途中、未明の中に営業しているお弁当屋さんで、頼んであった昼食を受け取る。朝食は民宿のおばさんがお弁当を用意してくれている。お弁当屋さんで車を停めている間、同じように登山客の乗った車が次々に停まり、ガイドが弁当を受け取っている。今日の登山客は今村さんの言うとおりかなり数が多いようだ。

やがて車は荒川登山口に到着。例によって今村さんからの注意事項と準備体操の後、トロッコ道に入る。トロッコの軌道の真ん中、枕木の上を延々と歩くのだ。トロッコ道に入ってすぐ、道端に放置された壊れたトロッコに苔が生え、そこに高さ10.センチほどの杉の子が生えている。太さは数ミリほどだろうか。これで12年経っているのだそうだ。これとの比較でも、樹齢1000年を超える屋久杉の時間の悠久さが思われる。トロッコ道は手摺のない橋を4つばかり渡る。妻は先頭を行く今村さんにぴったりくっついて歩を進めている。妻以外の女性陣にも高度恐怖症の人がいるので、私がしんがりを勤める。途中、小杉谷集落のあった場所の、小学校跡地に残る石段に腰をかけて朝食の弁当を開く。昨日の白谷雲水峡もそうだが、屋久島の森ではあちこちに水場があり、美味しい水が飲める。島全体が花崗岩なので地下水が山の地中のミネラルを含むこともなく、超軟水、というか限りなくH2Oそのものだ。もちろん島の水道も山の水を水源としているのだが、水道だと法律上消毒薬を入れなければならないので、山の水の方がはるかに旨いという。

やはり妻の歩みが一番遅いらしく、後ろから来るパーティに何度か道を譲りながら、約3時間かかってようやくトロッコ道の終点、大株歩道入口に着く。ここでトイレを済ますはずだったが、なんとトイレが故障していて使えない。屋久島では森の中でも道端で用を足すことは許されない。次のトイレは縄文杉の先になる。今村さんの大きなリュックの中には携帯トイレも入っているというが、どうやって使うのだろう。われわれのパーティには若い女性が4人もいるのだが。朝方は小康状態だった天気だが、ここに来て雨も降り始める。

歩道に入ってすぐ、ウィルソン株がある。前のパーティが見学しているので、帰りに寄ることにして先に進む。この道は歩道といっても木で階段を組んだ場所とか、道のないところの小岩を登っていくところとかがある。ところどころにピンクのリボンを結んであり、これが歩道の目印となる。こういう道を歩くと、やはり妻と若い人たちとでは年の差が出てしまう。岩の上をバランスをとって歩くのではなく、手で支えるものを求めて歩くので、どうしても遅くなってしまうのだ。と言いながら、こちらの足取りもだんだんと重くなってくる。大王杉、夫婦杉のあたりまで来ると雨脚もますます激しくなる。だが、目指す縄文杉まではあと一息のはずだ。木組みの階段が続く。今村さんが、「上を向くと疲れるから上は見ないように」と声をかける。やがてテラスのようなところに出る。「みんな、ここから今来た下のほうを見て」わけが分からぬまま今来たほうを見下ろす。全員が揃ったところで「はい、いっせいに後を向いて!」そこに見たのは7000年以上と言われる樹齢を重ねてきた縄文杉。雨の中、カメラを向けてシャッターを切る。

だが、苦行はここで終わらない。トイレを使うためにはこの先の高塚小屋まで岩の道をもう15分ほど登らねばならないのだ。高塚小屋も人が多い。今村さんがビニールシートを敷いて何とか7人分の場所を確保する。雨を凌いで昼食を取れるのはここしかない。昼食を済ませてからトイレを使う。男女兼用のトイレが一つだけ。お世辞にも清潔とはいえないが、山小屋では贅沢はいえない。一休みの後、雨の降りしきる中を再び縄文杉まで戻る。縄文杉が「発見」されてから、急増する観光客に踏みつけられて。根が弱ってしまったため、テラスを設けて観光客が縄文杉に近づけないようにした。また、テラスから見えるよう、周囲の雑木が伐り払われた。雑木がなくなったことで縄文杉に直接日光があたり、幹が白く変色した。いま、周囲の雑木を復旧するため、若木を植えているが、新芽が出ると鹿が食べてしまい、なかなかうまくいかないようだ。この縄文杉、夜景も素晴らしいそうだ。といっても別にライトアップをしているわけではなく、青い月の光を浴びた縄文杉、または星空を背にした縄文杉の光景を指す。夜にどうやってここまで来るのかを聞くと、さっきの高塚小屋で一泊するのだそうだ。

そんな説明を聞きながら、もう一度縄文杉をカメラに収めようとすると、カメラの電源が入らない。電池を換えてみたがやはり同じ。同行のSさんもカメラが壊れてしまったと言う。どうやら雨の中で酷使したせいで駄目になったようだ。ここまできて写真が写せないのは情けないが、広島の女性が防水仕様のカメラを持っていたので、頼み込んで撮ってもらう。後でメールで送ってもらうことにした。

帰り道がまた難行の連続。縄文杉を出発する頃もだいぶ遅れていたが、帰り道でも後続のパーティに次々追い越された。先ほど素通りしたウィルソン株まで来ると、誰もいない。ウィルソン株の中は洞穴になっている。入ると10畳敷き位の広さがあるが、天井は筒抜けで雨宿りにはならない。洞穴の一角に祠が祀ってあるのに、帰路の無事を祈って掌を合わす。何とかトロッコ道の終点まで来たが、ここのトイレは修理中のまま。ここからまだ3時間の道のりが残っている。雨の中、枕木の上をひたすら歩く。今村さんは妻に気を使ってくれるのか、時折休憩を入れる。トロッコ道の右側を流れる急流は、雨のため水嵩を増して激流となって流れ下る。山道にはすでに暗さも忍び寄り、足元の軌道も山から谷へと流れ下る水に覆われる。ベテランガイドの今村さんがいるから良いが、もし我々だけだったらパニックに陥っているかもしれない。ようやく荒川登山口に着いたとき、車は今村さんのワゴン以外一台も残っていなかった。帰り道、帰りの遅いのを心配した宮之浦荘の主人から今村さんの携帯に電話が入る。

宮之浦荘に帰り着いたのは夕食時間をとっくに過ぎていたが、民宿の夫婦は先に風呂に入るよう勧めてくれる。私が先に、妻とSさんが後に入る。女性たちが風呂から上がるまで、屋久島の焼酎「三岳」を呑む。口当たりがすっきりして美味しかった。



July 6, 2007 =Fri=

朝8時に民宿までガイドが迎えに来る。民宿のおばさんが2人分のおやつを渡してくれる。今日は白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)のトレッキング。明日の縄文杉登山に比べれば足慣らしのようなもの。ガイドの今村さんは大阪の出身で6年前に屋久島に来てその魅力に惹かれて住み着いた。まだ30歳前だが、モス・ガイド・クラブという合資会社(!)を立ち上げ、1500坪ほどの土地にコテージや宿泊施設も備えたアイ・ビレッジをオープンした。屋久島の自然を愛することにかけては人後に落ちず、われわれのトレッキングに際しても、まずは自然を守る心得から入り、準備運動に続いて山に入るのにまずは山の神様に拍手を打って一礼する。同行は東京から来た一人旅の男子学生T君。彼は昨日、今村さんのガイドで縄文杉に行ってきたそうだ。

屋久島は一ヶ月に35日雨が降ると言われるほど、雨の多い島だ。まだ梅雨の明けないこの時期、今日も降ったり止んだりの天気。100円ショップで買ったビニールのレインコートを持っていったのだが、「明日はそんなものじゃ駄目ですよ」と今村さんから注意される。案の定、レインコートは半分も歩かないうちに破れてしまった。

屋久島の杉の中でも、推定樹齢1000年以上のものを屋久杉という。昔、島の人たちは杉を神聖なものと崇め、伐ることはなかったが、地形上米作が難しいこの島は、島津藩への年貢に苦しんでいた。島出身の儒学者が島民の苦境を救うため、米に代えて杉板を年貢として納めることを提案した。このため、江戸時代に多くの杉が伐採された。伐採されるのは根元から2メートルくらいから上の、柾目の通った部分だから、切り株は残される。その切り株に杉の種が着床し、そこから新たな杉が生える。これを二代杉という。また、杉が楢などのほかの樹木を跨いで生えることがある。楢が腐ってなくなると、そこに空洞ができる。こうしてくぐり杉と呼ばれる杉ができる。屋久島は火山岩が隆起してできた島。この白谷雲水峡では、岩に苔がつき、苔は腐って土となり、そこに羊歯類が生え、さらに針葉樹が生まれ、そして広葉樹に進化する過程を見ることができる。だが、土は火山岩を薄く覆っているだけだから、本土のように樹木が地中深く根を伸ばすことはできない。そこで根は吸盤のように岩にしがみついて幹を支える。雨が多いから、根は土の中に伸びなくとも、空中に気根を伸ばすことで水分を吸収できる。

白谷小屋に着いたとき、雨は小康状態。室内は電気もなく暗いので、屋外のテーブルで昼食にする。朝、今村さんから手渡された弁当は握り飯に鳥の唐揚など。竹の皮に包んだのを小さい風呂敷に包んである。この風呂敷、モス・ガイドクラブのマークが入っているが、もともとはアメリカで無農薬で育てた綿から作られている。どこまでもエコにこだわっている。小屋から少し行ったところに、「もののけ姫の森」がある。アニメ「もののけ姫」の制作に当たって、日本の森の原風景を求めてやってきた宮崎駿監督がここを舞台に設定したと言う。ここを「もののけ姫の森」と命名したことで観光客が増えたらしい。宮崎駿作品は「風の谷のナウーシカ」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」しか見ていないので、今度は機会があれば「もののけ姫」も観てみよう。

宿に帰り着いたのは4時ごろ。また昨日の温泉に連れて行ってもらう。



July 5, 2007 =Thu=

屋久島に着いたのは午後。羽田からJALで鹿児島空港、そこからバスで鹿児島中央駅へ。高速船の出発時間まで2時間近くあるので、市内の名所を巡るバス「シティビュー」に乗る。バスの料金は180円。600円払えば運行間隔30分のバスに一日何回も乗ったり降りたりできるらしいが、出発時間を考えると一箇所でも降りたら次のバスでは間に合わなくなりそうだ。西郷隆盛や大久保利通ゆかりの場所をバスの中から眺めながら45分ほどぐるっト回ってドルフィンポートという停留所で降りる。ドルフィンポートというからイルカでもいるかと思ったら、どうやら飲食店や土産物屋が並んだ観光地によくあるショッピングセンターらしい。この隣に高速船「ロケット」の乗り場がある。この高速船はジェットフォイルというやつで、ジェットエンジンを利用して海上を飛ぶような形で走り、鹿児島港から屋久島・宮之浦港を1時間50分で結ぶ。だから乗客も普通の船のように甲板を動き回るようなことはできず、飛行機と同じように座席にシートベルトを着用して座っている。宮之浦港に着くと雨が降り出した。民宿「宮之浦荘」までは歩くと20分はかかるというのでタクシーに乗る。

民宿「宮之浦荘」の主人は日焼けして老けて見えるが50歳。「雨だから港に迎えにいこうと思って電話したんだが、留守電になってたよ」そう、羽田に着く前に気がついたのだが、携帯を家に置きっぱなしにして出てきてしまったのだ。「夕食までまだ間があるから、温泉にでも行くかい?鄙びた温泉だけど」ということで車で連れて行ってもらう。島の周囲を囲む道を15分ほど走って山に少し入ると、「楠本温泉」と書いた小屋のような建物がある。言葉どおり本当に鄙びた温泉だ。温泉といっても、冷泉をボイラーで沸かしている。ゆっくりと温泉につかり、上がってから休憩所の机の上にある屋久島の郷土冊子を見ると、この島は円形なのだが中央は山岳地帯でほとんど人は住まず、集落は島の周囲の沿岸部に点在していることがわかる。



July 3, 2007 =Tue=

出身商社のOB会。毎年株主総会が終わった頃開かれる。会場はいつものように水天宮前のロイヤルパークホテル。5時半開始のところ15分ほど早く行ったのだが、もう会場は満員状態。社長の挨拶によると今日の出席者は1400人近いとのこと。業績が好調なだけあって挨拶も勢いがある。こんなに満員では知った顔に出会っても遠くから手を振るくらいで話もできないのではと思うが、そこは良くしたもので、挨拶が終わって立食パーティともなると人の流れもスムーズになってくる。本当に久しぶりに顔を合わす人も多い。出席者が多い割には料理も豊富で、巨大な本マグロを丸ごと一本解体して職人さんが切り分けていたりする。



July 2, 2007 =Mon=

中途入社で採用した部下の歓迎会。中央線のガード下にある”El Chateo del Puente”。チャテオとはバルをはしごする、という意味。プエンテは「橋」で、ここが昌平橋のたもとにあるから。最近できた店らしいが、この前は時々通るのに気がつかなかった。ガード下にしてはシックな感じだが、やはり時々線路上を走る列車の音が気になる。



July 1, 2007 =Sun=

息子は昼過ぎに仕事で稚内に出発すると言うので、朝から彼の家に寄り、暫く話した後で空港に向う。今回の旭川往復はJALのシルバー割引を利用したので、原則的に時間の変更はできないのだが、予約した便より早い便で、シルバー割引の枠が空いていれば変更可能だという。JALに聞いてみると、予約したのは夕方の便だが、午後1時過ぎの便でまだ枠が空いているという。ただし電話では変更は駄目で、直接空港で手続きしてくれと言う。

市内から乗ったタクシーの運転手は女性で、話しているうちに彼女がサハリンの出身だとわかる。「サハリン出身といっても、向こうのことはぜんぜん覚えてないんですよ。戦争が終わって1ヵ月後に生まれて、それから引き揚げてきたんですから。」旭川は第三の故郷だと言う。「父が引き揚げてから留萌にあった昭和炭鉱で働いていましてね。炭鉱町は今はダムの底になっています。でもあそこに行くと落ち着くんですよ。年に二三度は行くんです。」運転手さん。お元気で。




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