August 31, 2007 =Fri=
昨日、郵便受けに一通の封書が入っていた。いつも行くスポーツクラブからのもので、表面に「重要なお知らせ」と赤いスタンプが押されている。どうせいつものように「新しく会員を紹介してくれた方に特典を差し上げます。」の類だろうと思って開けてみたら、タイトルはなんと「ドゥ・スポーツプラザ新宿閉館のお知らせ」とある。新宿住友ビルに付属したこの施設は1974年4月に開業したそうだが、来年3月で閉館するという。
最近は経営が苦しいらしいことは感じていた。私がここに入会したのは2003年1月だが、その頃パウダールームには資生堂とかカネボウの男性化粧品が置いてあった。しかしいつの間にかそれらも無名ブランドの化粧品に変わり、年配の会員が「ここに合わせて家でも同じものを使っていたのに」とこぼしていた。また、入会前にスポーツクラブを体験するためにレンタルウェアを含めて2100円の体験チケットを売っていたのだが、やがてこれは体験だけでなく一般に売るようになり、それも何回分かまとめて割引し始めた。プールなんかでも小中学生相手のレッスン教室が開かれ、一般会員の方が肩身が狭くなることもあった。今年はロッカールームとパウダールームの間にあったスナックが閉鎖され、自動販売機に変わってしまった。スタッフの数も減っているようだ。それもこれも経営難を乗り切るための努力らしいことはうかがい知れていた。
そうした中で、このスポーツクラブの機械室の天井に、アスベスト含有建材が使われていることが判明したという。差し迫った危険は無いようだが、アスベストの存在を知りながら運営することは今の世の中では納得を得るのは難しく、かといってこれを除去するためには約半年の休館と2億円の費用がかかる。会員は高齢者が多く、休館中には退会者も続出するだろうし、これ以上経営を続けることは不可能との結論に至ったらしい。
今日のロッカールームや風呂場では古参の会員たちが「来年3月でお終いですか。寂しくなりますな。」などという会話を交わしている。私が入会したときはキャンペーン期間中とかで「入会金、預託金なし」ということだったが、20年近く前は入会金20万円、預託金50万円という時代もあったらしい。今回、閉館に当たっては預託金だけでなく入会金も返金することになったらしく、「良心的だ」と会員たちの受けもいいらしい。
だが、ここが閉館してしまうと、体調管理をどうするか、それにここのサウナや風呂も気に入っていたのだが。
August 26, 2007 =Sun=
娘夫婦に子育ての休日を与えるため、お昼から五番町の彼らの家に行く。リビングの天井の電球が切れたが天井まで届く台がないというので、我が家から脚立を担いでいく。娘の家に着くと、先に着いていた妻がミルクの与え方など娘から引継ぎを受けている。娘たちは今日は恵比寿のウェスティンホテルでブッフェの昼食。娘の双子の赤ちゃんは、生まれて今日でちょう
ど4ヶ月目。帝王切開で本来の予定日より1ヶ月早く出てきたのだから、実質は3ヶ月というところだろうか。長男の方はもうちゃんと頭が座っている。娘たちが出かけ、赤ちゃんたちに妻と二人でミルクを飲ませると、彼らはすぐにすやすやと寝てしまった。
彼らの母親である娘が、私の赴任地であるアテネに着いたのは生後6ヶ月のときだった。当時、JALは南回り便というのがあって、羽田(成田空港が完成したのは私がアテネに在任中だった。)からバンコック、ニューデリー、カラチ、カイロと停まって26時間かけてアテネに着いた。北回りでロンドンとかパリを経由した方が楽なのだが、運賃の関係で会社の規定では南回りしか認められなかった。妻は2歳の息子と6ヶ月の娘を連れて26時間の旅程に耐えた。着いた年の暮れ、正月休みにエーゲ海のロードス島に行った。予めロードス島のホテルに電話して、disposal
diaper(紙おむつ)を用意しておいて貰った。ギリシャの中で始めての旅行だし、三流ホテルなので、ちゃんと用意されているか不安だったが、チェックインのときフロントから紙おむつの大きな袋が渡された。そのときの紙おむつに比べると、今の紙おむつはずいぶんとコンパクトに、機能的になっている。
四時ごろになって、外の暑さもやや治まったのと、彼らが目を覚ましたので、散歩に出かける。息子がプレゼントした例の派手なベビーカーに二人を乗せて。中華学校から雙葉学園の前を通り四ッ谷駅に出る。四谷見付の信号を左に行くと、都心とは思えない静かな場所に出る。高い樹々は夏の葉に覆われ、その中から蝉の声が響く。正面には改装中の迎賓館が見える。まだ暑さは残っているが、樹々を吹き抜ける風が涼しい。赤ちゃんたちもベビーカーの中で二人並んでご機嫌の様子だ。
四谷見付に戻り、信号を待つ間あたりを見ると、ちょうど角の所にトンカツの店がある。われわれもここで早めの夕食を済ませていこうということになり、ベビーカーを押したまま店に入る。少しむずかりだした彼らを膝に抱いて、ヒレかつ定食と生ビールの夕食。
娘たちはホテルバイキングのあと、六本木や麻布の方を散策して久しぶりの開放感を味わったらしい。
August 20, 2007 =Mon=
いつもは原則として水曜と金曜が休みなのだが、今週は金曜に大事な会議があるので月曜を休むことにした。月曜の休みというのは週三日勤務体制になってからでも珍しい。先週末に暴落した株価がニューヨークや欧州での反騰を受けて同動くのか見ていた。本当なら先週末に買えばいいのだが、余力が全くなくて持っている株が下がるのをただ眺めているだけだった。今日は午前中こそ大きく上げていたが、午後になってスポーツジムから帰ってみると、何か中途半端な終わり方になっていた。その午前だが、株価の合間にニュースを見ると那覇空港での中華航空機爆発炎上のショッキングな映像が飛び込んできた。いつも飛行機に乗っていて、着陸時に車輪ががががぁーと着地する感触で「ああ、無事に着陸した。」とほっとするのだが、無事に着陸してタクシイングして、駐機場にとまり、ドアが開く時になって炎上することもあるのだと思うと寒気がする。今回は乗客乗員とも全員無事だということは何よりだが。
August 19, 2007 =Sun=
銀座の「スナック裕」のママから手紙をいただく。「衝撃的な出会い」を綴ったこのDiaryの2004年10月27日のとこ
ろをコピーしてくれている。何でもご夫君がネットで私のDiaryを見つけてくれたそうだ。それと併せてママの父上が支配人をし、私の両親がその部下として職場結婚した戦前の茅場町にあった「東洋ホテル」の絵葉書写真を同封してくれている。これは昨年の暮れにヤフオクに出品されていて、一足遅れで買えなかったそうだ。右の写真は、そのときの出店写真をダウンロードしてプリントして送っていただいたのを、さらにスキャンしたもの。私も「東洋ホテル」の名は父や母から聞いていたが、写真を見るのは初めてだ。当時としては大きな建物だったのだろう。「茅場町」「東洋ホテル」をキーに検索してみると、「わが町・八丁堀」という記事がヒットした。八丁堀の町会の方々が、町会50周年を記念して作られたらしい。その中で、「東京市日本橋区茅場町で日用品販売の赤札屋の次男として生まれた」田村さんという方が次のように書いておられる。
家の右隣りから順に見ていくと、まず床屋「ケガイ」、張り物屋「木村屋」、通りの角が酒屋「新川屋」、通りの向かいは白壁でひときわ大きな中華料理店「偕楽園*」。ここには夕方になると高級外車が来る。降りる人は小説家の菊池寛、吉屋信子、丹羽文雄、久保田万太郎等々――夜な夜な文士が盃を重ねたことと思う。その隣りは、市場通りまで続く大きなホテル「東洋ホテル」。
また、座談会で同じ田村さんは次のように語っておられる。
私は、昭和20(1945)年3月9日の晩にぜんそく発作を起こし、9時に医者が帰った。そのときは「警戒警報」でした。10時半ごろ「空襲警報」になり、付近一帯の避難場の東洋ホテル(今の金商)へ逃げました。(中略)長寿庵の一角は前年の11月に焼けて焼け野原になっていて、そのホテルにいた人は助かった。
幸い、茅場町界隈に死者は出なかったですね。
こうした写真や記事を、父や母が存命中に見せてやれたらどんなにか懐かしがったことだろう。そういえば、この不孝な息子は今年のお盆にも何も供養をしていなかった。今年の11月は母の三回忌、来年1月は父の七回忌。忘れないようにしなければ。
August 16, 2007 =Thu=
今日は午後2時20分に岐阜県多治見市で、同42分に埼玉県熊谷市で、それぞれ日本の最高気温となる40.9度を観測した。これは1933年7月に山形市で記録された40.8度を74年ぶりに更新する記録だという。勤務先の会社が熊谷駅前で運営するショッピングセンターではこの夏、熊谷気象台発表の気温が38度を超えたら先着200名様にアイスクリームを無料進呈というキャンペーンをやっており、今日初めて38度を超えて約束どおりアイスクリームを配った。その様子をNHKやテレビ朝日が取材に来ていたとの報告を受けていたが、そんなニュースはどこかに吹き飛んでしまうほどの猛暑記録だったようだ。
午後8時ごろ、妻と夕食をとろうとして窓の外を見ると、新宿プリンスホテルの右側、南南東の方角に花火が上がっている。食卓を見やすい位置に動かしての夕食になった。距離のある遠花火なので、頭上に華開くような迫力はないが、ネオンの海の上方に様々な色の花火が打ち上げられるのを見るのもなかなか乙なものだ。食事をしながらだと、目の位置の関係からベランダの手摺が少し邪魔になるのだが・・・などと思っていると、亡父の句が想いだされる。
遠花火見るには稲架(はさ)が少し邪魔 春宵
稲架は稲の刈り取りが終わったあと、稲藁をかけておく台をいう。広々とした田畑が広がる夕暮れ、遠くに花火が上がる。それを見るには稲架がすこしだけ邪魔になる。足許にはまつわりつく蚊を追い払うため、蚊取り線香がか細い煙を上げているのかもしれない。たぶん、花火は今見ているのよりずっとシンプルなものだろう。
窓の外の花火は9時前には終わったが、どこでやっていたのだろうと、ネットで調べてみた。今日やっていた大きな花火大会は、「日刊スポーツ主催・神宮外苑花火大会」と出た。地図で調べてみると、確かに神宮外苑の方角だった。そういえば、この前の土曜日にもベランダから花火が見えた。それは今日のよりもっと遠くで、音も小さかった。方角は今日と違って新宿プリンスの左側。同じくネットで見ると、11日土曜日は「東京湾大華火祭」だ。ということは、四年前に屋形船で見に行ったやつだ。つまり場所はお台場。まさか東京湾のはなびが新宿から見えるのだろうかと、今度も地図で調べてみると、やはり方角は合っている。
August 12, 2007 =Sun=
眼鏡屋に行き、修理のできた眼鏡を受け取る。新調の方はまだ日数がかかる。眼鏡が壊れてから、机の引き出しにしまってあった旧い眼鏡を使っていたのだが、やはり勝手が違う。壊れた方の眼鏡が遠近両用というのも、使っている間はほとんど意識していなかった。いや、ただの近視用眼鏡と思っていた。だから旧い眼鏡をかけて新聞を読もうとすると、今までだとスムーズに読めたのが全くだめで、眼鏡を外して顔を新聞に近づけないと読めない。それに、軽いプラスチックレンズに慣れてしまっているからガラスレンズの眼鏡はやはり重い。それともう一つ、眼鏡屋で過去の記録を教えてもらったのだが、近視が僅かながらではあるがだんだん改善されてきているらしい。壊れた眼鏡は旧い眼鏡より近視の度が緩いし、今度新しく作った眼鏡は壊れたやつよりも少し緩くなっている。そのせいか、旧い眼鏡の度数は何かしっくり来ない感じがする。そんな思いで過ごしていて、修理のできた眼鏡をかけてみると、やはり目に馴染んだ感じがする。
眼鏡をかけかえてスポーツジムに行った後、アイランドウィングにある旅行会社クラブツーリズムに行く。昨夜ネットで予約しておいたペルー旅行の説明会に出席。今年は夏は忙しいので夏の海外旅行は見送りにして、冬に南米ペルーのマチュピチュ遺跡か、アフリカのサファリのいずれかに行こうという計画だ。南極旅行でも説明会に参加したが、そのときの参加者は10人程度だった。南極の場合はいろいろ分からないことが多いので、事前に説明会に参加する意味もあるが、ペルーくらいで説明会に集まるのはあまりいないのではないか、と思っていたら、広い会場がほぼ満席だった。50人以上はいるのだろう。そのうち三分の一ほどの人たちはすでに参加申し込みをしているらしい。このところマチュピチュはずいぶん人気が出てきているようだ。マチュピチュというか宿泊地のクスコが高地にあるので、高山病に関する説明や質問が多かった。私自身はもっと高地のラパスやキトに行ったことがあるし、キトではゴルフもやったことがあるから、高山病の心配はあまりしていない。それよりも、クスコは冬は雨季になるので、この前の屋久島の経験からもそれが心配だが、アンデス高地の雨季は一日中降り続くことはなく、午後から二三時間スコールのような雨が降るのだという。9日間のコースだとマチュピチュ観光は午後一回だけだが、10日間コースだと午後と翌日の午前の二回マチュピチュに行くので、雨で観光ができないということはまずないとのこと。
で、今日も外食ということになり、妻が他人から聞いてきた「とんかつ茶漬け」の店に行く。歌舞伎町一番街の入り口角にある店で、最近テレビで紹介されてから行列ができているらしいが、今日は早い時間のせいかそれほど混んでいない。鉄格子のような扉を開けて二階に上がる。店の名は「新宿すずや」で、1954年の創業というから結構老舗である。ここのお勧めは「とんかつ茶漬け」だが、「まぐ茶」や「鯛茶」と違って、「とんかつ」と「茶漬け」という組み合わせがどうもしっくりこず、私は普通のヒレかつ定食にした。ここのとんかつも悪くないし、キャベツも他のとんかつ屋のようにキャベツだけでなくレタスや人参を混ぜているなど工夫を凝らしているのだが、やはりとんかつでは「さぼてん」のさくさくした食感が好きだ。
August 9, 2007 =Thu=
今日は品川にある親会社のオフィスで役員会。終わって親会社を交え懇親会ということになる。で、19階のエレベータホールに向いながら首に下げた入館証を外そうとすると、入館証の紐が眼鏡に触れて眼鏡が落ちそうになる。ここまではよくあることだが、慌てて押えた眼鏡を見ると、なんと片方しかない。「ん??」と下を見ると、急に裸眼になった近視の目に絨毯の上に眼鏡の片割れが落ちているのが滲んで見える。急いで拾うものの、眼鏡は左右のレンズを結ぶブ十時の部分で真っ二つに割れている。何しろ裸眼視力は昔から0.0いくつなので、眼鏡が無ければ何もできない。といって、真ん中から二つに割れた眼鏡では、たとえ眼鏡屋が近く似合ったとしても応急処置もきかないだろう。眼鏡と共にもう半世紀以上生活してきて、眼鏡の弦の部分が壊れたことはあってもフレームの真ん中から二つに割れるというのは初めての経験だ。ともあれ同僚に今夜の懇親会は欠席する旨の言伝を頼む。
オフィスから品川駅まではぺディストリアンデッキを歩くのと同僚が一緒なのとで問題ないが、駅の改札を入ってからは盲目に近い状態で新宿まで帰り着けるだろうかと、やや大げさに自ら不安感を煽ってみたりしたが、まあ慣れた道筋なので山手線の外回り電車に乗り込み、新宿駅の中央西口改札から地下に出た。この間、周囲は映画のぼかしシーンが流れていくような状態。視力が弱いといっても、流石に人の形が分からないほどではないので、不便ではあるがまったく生活できないほどではない。その証拠にといつも寄るベーカリーでパンを買ってみたりする。小田急百貨店のエスカレータで地上に出ると西口広場は夕方のラッシュ。いつもは、派手に肌を露出した若い女性につい目を奪われるが、今日はそれも靄のかかった背景に流れる色でしか判別できない。信号の青や赤はちゃんと目に入るし、周りの人の動きもあるので、大ガードの信号も無事渡って、件の眼鏡を3年ほど前に買った眼鏡屋に入る。フレームが真ん中から二つに割れた眼鏡を見せると、「あ、こういうことよくありますよ。」と事も無くいなされてしまう。
30分ほどかけて視力や乱視の検査をして、結局、壊れたフレームはレンズを生かして新しいフレームに入れることと、もう一つ新たに眼鏡を新調することにする。小学生の頃から海外在住時代を含めてずっとガラスレンズの近視用眼鏡を使っていたのだが、今度壊れた、3年前に買ったのはプラスチックレンズで遠近両用だ。実は遠近両用ということすら忘れて使っていたが、プラスチックなので軽いのは良いが傷がつきやすく、そろそろ替え時だろうとは思っていた。今度も勧められて遠近両用にする。検査の結果によると、近視の方は僅かながら改善されているという。それは老眼が進んだということなのかもしれない。壊れたのを新しいフレームに入れ替えるのに2日、新調の方は1週間かかるという。眼鏡屋を出て家に帰り着き、机の引き出しから古い眼鏡を取り出してかけたら、とたんに世界が正常に戻った。
August 7, 2007 =Tue=
火曜日の夜は四谷の日本ブリッジ連盟でブリッジ教室に出る。時間があればアトレのPAULでサラダとワインで夕食。ここはベーカリーを兼ねているのでサラダを頼んでもパンが付いてくる。このパンが美味しい。時間の無いときはPAULの向かいのスープストックトーキョーで簡単に済ます。今日は早めに着いたのでPAULでペーパーバックを読みながら一人で食事。妻は仕事帰りに回転寿司で三皿か四皿つまんで合流する。ブリッジの方は入門コースは卒業し、初級Ⅰも終えて初級Ⅱの次あたりに入っているのだが、家で復習や予習をやる時間などさらさら無いので一向に上達しない、というより基本すら理解できていない。
四谷からの帰り、10時近くに大久保駅で降りて呑み屋街を家に向うと、トルコ料理店「Hisar」の前でオスマンさんが暇そうに外を見ている。われわれが通り過ぎるのを見かけると会釈されて、「お茶でも」と店内に誘ってくれる。土曜日にも行ったので、もう顔なじみになったようだ。土曜日は「開店から三週間で初めて休みました。」という「店長」のKさんも今日は店に出ている。妻は、早稲田を出て三井住友銀行に就職したが休職してインドに行き、そのまま銀行を辞めて今の仕事をしているというKさんを気に入っているようだ。「お盆は休まないの?」と聞くと、オスマンさんが日本で5年間トルコ料理店で働いていた経験からすると、お盆時期は日本のレストランがみんな休みになるので、却って書入れ時なのだそうだ。
August 5, 2007 =Sun=
またしても妻の事務所からのSOSで自分の時間がとれず、Diaryの更新も遅れている。原因は事務所に勤務していた3人のパートさんたちが相次いで辞めてしまったこと。病身の姉の介護とか、兼務している自分の仕事が忙しくなったとか、それぞれに理由はあるのだが、やはり余り待遇が良くないのが一番の原因だろう。いままでにもこういう事態は何度も発生し、その都度こちらにお鉢が回ってくる。税理士事務所だから、お客さんのデータを預って帳簿記帳を代行するのだが、当然コンピュータ処理なので、事務員任せのコンピュータ音痴の所長先生にとってはお手上げの状況なのだ。
そんなことで、夕食もいつも外食になる。一昨日はこの前も行ったインド料理Hatti、昨日はやはり二度目になるトルコ料理のHisar、そして今日は妻の事務所のすぐ近くの焼肉料理店「牛の達人」
で、突然話が変わるのだが、むかし、広い家に住めたら平凡社で出しているような大百科辞典を書棚に並べたいと思っていたことがある。しかし今ではそんな嵩張るものを買おうとは思わない。なにしろあの30冊余りにものぼる大百科辞典が一枚のDVDに収まってしまう上に、検索もずっと容易になったのだから。この変化の激しい時代、新しい情報を集録するのもDVDのほうがよほど早いことも言うまでも無い。ところが、エンカルタなどDVDによる百科辞典よりももっと便利なものがある。インターネット上のWikipediaという百科事典だ。誰もが編集に参加できるという方式のため、必ずしも正しい情報、偏らないが掲載されているとは限らないという批判はあるものの、その威力は凄まじい。昨年9月26日、間もなくその寿命が尽きるであろう安倍内閣の組閣で民間から入閣した大田弘子という人について、どんな経歴かとWikipediaを開いてみた。そうしたらその時点ですでに「2006年9月26日、経済財政政策担当大臣に就任」といいう記述になっていた。先月30日に亡くなったミケランジェロ・アントニオーニ監督については、その翌日には(Michelangelo Antonioni、1912年9月29日 - 2007年7月30日)となっていた。(それにしても彼の傑作"L'eclipse"=日蝕に「太陽はひとりぼっち」なんて題名を付ける日本の配給会社のセンスはどうなんだろう。)
で、話が戻るが、「牛の達人」でカルビを注文して、カルビって牛のどの部位なんだろう?と疑問が生じた。そこで家に帰るとYahoo!の検索画面から「カルビ
wikipedia」とやってみた。まさかwikipediaに「カルビ」という独立した項目があるとは期待していなかったのだが・・・あった!「カルビ(galbi)は、朝鮮語で肋骨(あばら)を意味し、その周辺に付いている肉、つまりの事を言う。」とあるだけでなく、カルビの歴史や朝鮮語でのスペルまで書かれている。因みにエンカルタでは「カルビ」なんて項目はない。ものはついでと「ロース
wikipedia」とやってみたら、これもあった。「ロース、あるいはロース肉(ロースにく)とは、牛肉、豚肉、羊などの食肉の背肉の部分をいう。」と、ここまでは良いとして、それに続く記述はショックだった。「一見して欧米語と思われがちであるが、roast(ロースト;
焼く)から転訛した和製英語であり、「ローストに適した肉の部位」を指す言葉。英語ではloin(ローイン)がこれに相当するといわれるが、必ずしも英語でのローインと日本語のロースは一致しない。」サーロインがロース、テンダーロインがヒレというくらいは知っていたが、ロースが和製英語だってことは今まで気がつかなかった。