Diary





September 29, 2007 =Sat=

「芸術の秋」に相応しい一日。朝、新宿東口の武蔵野館で本日封切りの映画「エディット・ピアフ~愛の賛歌」を観る。ピアフの父は大道芸人、母は街角に立つ歌い手。父の兵役のあいだ、母はピアフを自分の母に預けて失踪。父は娼婦館を営む自分の母にピアフを預け、彼女は娼婦たちに可愛がられて成長する。兵役を終えた父は大道芸人に復帰、ピアフにも何か芸をやれと命ずる。そこで歌った「ラ・マルセイエーズ」が観客の喝采を受ける。20歳になったピアフは父に反抗して友達と街角で歌い、小銭を稼ぐ。それをキャバレーの経営者に認められ、ピアフ(小雀)の名で店で歌うようになり人気を得る。ところが経営者が殺害され、彼女に共犯の疑いがかかる。無罪にはなったが世間からは指弾される。そこに現れた作曲家に厳しい指導を受け、本格的な歌手・エディット・ピアフが誕生する。一方で、若い頃、自動車事故にあったときからモルヒネを常用し、それが彼女の身体を蝕むようになる。妻子あるボクサーとの恋は、相手が飛行機事故で亡くなり、幕を閉じる。無理な公演スケジュールがたたり、舞台で倒れる。晩年は廃人のようになり、追想と幻想の中で死を迎える。そのとき夢に見たのは大道芸人時代、ピアフがじっと見つめていた通りすがりの店の人形を、後で買って来てくれた父の姿だった。ピアフが1963年に亡くなったのは48歳のとき。映画の中で背を丸めてサナトリウムに寂しく座るピアフの姿は70くらいにも見える。ピアフ役のマリオン・コティヤールは迫真の演技。

ルミネ・エストの「つな八」でランチを済ませ、メトロを乗り継いで乃木坂へまわり、駅から直結の「国立新美術館」へ。お目当てはもちろんフェルメールの「牛乳を注ぐ女(Milkmaid)」美術館に入ると、ちょうどアムステルダム国立美術館美術部長のターコ・ディビッツ氏の記念講演会が始まったところなので、1階の「『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」の会場を後回しにして3階の講演会場に直行。定員250人の会場はほぼ満席だったが後の方に座れた。Milkmaidを所蔵する美術館のキュレーターだけあって、講演内容は細部にわたる。途中から入ったのと、少し居眠りもしていたので全部を聞いたわけではないが、記憶に残る点を列挙すると次の通り。

  1. Milkmaidというのは、本来は村から街に牛乳を売りに来る女たちのことを言う。
  2. 後ろの壁にかかっている銅製のポットは、牛乳売りから牛乳を買うときに入れるもので、これから女が手に持っている陶器のジャーに移した。
  3. その牛乳を鍋に注いでいるのだが、これは固くなったパンと牛乳で(他に卵も使う)パン・プディングを作っているところ。
  4. X線検査によると、後ろの壁には暖炉か地図が描かれていた跡がある。女の姿を強調するために、フェルメール自身が塗りつぶした。
  5. 右下の暖房用の四角い箱のところにも、洗濯籠のようなものが描かれていた跡がある。
  6. 右下の、床と壁の境のタイルは、しっくい壁を湿気から守るためのもので、四角い箱の左のタイルには弓矢をつがえたキューピッド、右のタイルには杖をついた老人が描かれているが、一番右端のタイルの絵は何を描いたのか不明である。
  7. 左上のガラス窓の一部が割れている。これは大変重要で、この割れ目によりガラスであることが確認でき、また割れた部分から差し込む光が窓枠に反射している。これによりフェルメールは光の重要性を示している。
  8. 女の右手の上を中心に、厳密な線遠近法が採用されているが、テーブルの形が遠近法に反している。これはテーブル自体が四辺形でないことを示している。
  9. この頃の台所では女主人は白のエプロン、メイドはこの絵のように青色のエプロンをしていた。実際に仕事をしない女主人はエプロンも汚れないので白を、メイドは汚れの目立たない青を使っていたもの。
  10. このエプロンやテーブルに乗せられた布の青は、ウルトラマリンという顔料で、ラビスラズリという宝石を砕き、亜麻仁油を混ぜて作ったもので、黄金よりも高価だったという。
  11. ジャーから鍋に注がれる牛乳は、螺旋状に描かれ、実際に流れ落ちる動きをよく現している。
  12. パン籠やパンの明るい部分は点描で現される。
  13. フェルメール(1632-1675)が19世紀になるまで評価されなかったのは、彼がデルフト地域の画家で、しかもほとんどが一人の収集家の手にあったので、一般に知られる機会がなかったことによる。
  14. フェルメールの現存する作品は34点だが、メトロポリタン美術館所蔵の2点のみが木板に描かれており(他はすべてキャンバス)あまりにフェルメールらしい特徴が出すぎている。(贋作ではないかとのニュアンス)


美術館から電話で「Spyro's六本木店」を予約。16日に行った原宿のSpyro'sの姉妹店。美術館からあるいて東京ミッドタウンまできたとき、妻が「ここならHさんの家が近いはずだから呼び出そう。」と言って女性税理士仲間のHさんに電話。「六本木でギリシャ料理食べない?」と聞くとOKの返事。場所を説明して現地集合にする。店はドンキの角を曲がるとすぐの2階。こちらには店の名前でもある経営者のSpyroさんがいる。ポークスブラキをメインにしたコースと、Hさんの希望によりギリシャワインのロゼにする。



September 28, 2007 =Fri=

会社関係の会合で人形町の十四郎(とうしろう)へ。おかみが鳥取の出身とかで魚も鳥取直送。とくに「のどぐろ」の煮付けが美味。ビールも境港の地ビールで水木しげるの妖怪の図柄をラベルにしたもの。青竹の筒に入った「鷹勇」も鳥取のお酒。



September 26, 2007 =Wed=

昨日のメールトラブルについて、サポートから返事が来た。

As of this moment, you have already been migrated to the new email platform that we have here at web.com .

何だって?そんなこと聞いてないよ。と思ってハッと気がついた。ホスティング会社からの連絡はメールトラブルの場合そのホスティング会社のメールサーバは使えない(今回のように)ことがあるので、別のメールアドレスを登録している。この別メールアドレスはうちのアパートメントを建設した大手不動産会社直営のプロバイダが提供するものだが、あまりにスパムメールが多いし、普段使っていないのでメールソフトへの登録を外していた。ということは、ホスティング会社から「メールのプラットフォームを変えるから設定を変更しなさい。」というメールが来たとしても、私には読めなかったわけだ。言われたとおりにpopサーバとsmtpサーバの設定を変更したら今までどおり送受信できるようになった。

今回のトラブルで考えたのは、アメリカのホスティング会社を使うのもそろそろ限界かもしれないということ。私自身、アトランタかどこかにあるホスティング会社とパソコンの設定について英語でやり取りするのが面倒になったこともあるが、私が先に死んでしまったら、妻もメールを使えなくなってしまうということ。お互い、どちらが先に死ぬか、そんなことを日常の中で考えざるを得ない年齢になってきたようだ。ホスティングも、ドメインはそのままにして日本のプロバイダに頼む方法を考えてみよう。

大久保駅の裏口というか南口から小滝橋通りをつなぐ細い道は、昔から呑み屋が林立しているが、このところここもずいぶん国際的になってきた。夕食の準備が面倒になり、この道にあるいつものトルコ料理店に行くと珍しく満席状態だった。そこで、少し手前を地下に降りた小さなタイ料理店に行ってみた。カウンターに5席ほどしかない店で、店主兼コックのタイ人女性のほかに、客席にインド人が一人いる。聞いてみるとここは二週間ほど前まで彼が経営するインド料理店だったが、小さな店なので店員とコックが一人出なければ採算があわないが、コックはまったく日本語が話せない。そこでここをタイ料理店に変えて、ひばりヶ丘にある、やはり彼が経営するインド料理兼タイ料理店で働いていたタイ人女性にこの店を売ったのだそうだ。タイ人女性は彼の日本人の妻の友人で、ここの店が休みの週末は今もひばりヶ丘の店を手伝っている。インド人のほうはもう10年以上前から日本に住んでいるが、出身はデリー近くの砂漠地帯で、実家は35部屋ある豪邸に住む資産家だとのこと。

タイ料理店の隣の、スナックやショットバーが集まるビルの3階にアラビア料理店がある。予約すればベリーダンスショーを見ながら食事ができるというので、3階の店まで行って予約ができるかどうか聞いてみた。店には客は一人もおらず、チュニジア人の夫婦が暇そうにしていた。人の良さそうな主人と気さくそうな奥さんだ。ご主人は日本語がとても流暢だが、ベリーダンスの予約は10人以上の団体に限られるとのこと。たまには予約が無くてもダンサーを呼ぶこともあるというので、そのときはメールをくれるという。チュニジアには5歳になる娘がおり、おばあさんが面倒を見ているが、奥さんは一時的に手伝いに来ているだけで、そのうちに娘たちのところに帰るのだそうだ。



September 25, 2007 =Tue=

昨日までは何も問題がなかったのに、今日になって突然メールサーバにアクセスできなくなった。いつもはOutlookExpressに登録したメールアカウントに自動的にログインするのだが、ログイン名とパスワードを確認するダイアログボックスが現れる。パスワードを入れてOKボタンを押しても同じダイアログボックスが現れ、キャンセルすると"pop server currently inactive"とかのエラーメッセージになる。もしかしてクレジットカードの料金が引き落とされずにサーバを停められたのかと思って、歩スティング会社のサイトにアクセスしてBillingのページをチェックすると、料金はちゃんと支払われている。サーバ側の問題かと、サポートのページをチェックしてみると、「当社のサポートはチケット制になっています。」何かチケットを買わなければいけないのだろうかとページを繰ってみると、どうやらそうではないらしく、質問1件ごとにチケットナンバーが振られ、これをキーにして解決していくというシステムらしい。私のサイトの歩スティングは10年ほど前からアメリカのホスティング会社を使っている。当時は日本よりアメリカの方が料金が安かったからで、katayama.orgというドメインを取り、メールも同じ会社のサーバを使っている。最初はdigiwebという会社だったのが買収されてinteriantとかいう会社になり、それが更にinterlandとなった。日本のホスティングなら電話して聞けばいいのだが、アメリカのホスティングだと電話は1-800-xxxxという番号しか載っていない。これは日本の0120-xxxと同じでフリーダイヤルなのだが、アメリカ国内でしか使えない。そこで「チケット制」のサポートページを開き、順にトラブルの状況や質問事項を入力していく。回答メールをアクセスできない今のメールアドレスにしても意味が無いので、家からもアクセスできる会社のメールアカウントを指定した。最後に質問完了のボタンを押すと、数分して自動応答メールが来た。"We are working diligently to resolve or provide an answer to your issue and will notify you upon resolution of this ticket. "

日本は深夜だが、向こうはこれから仕事時間だから、こちらが眠っているうちに解決してくれることを祈る。



September 24, 2007 =Mon=

安倍晋三の記者会見。呂律の回らない口調で「総理は在任中は自らの体調のことは言わないものだと思ってました」とか何とか弁解にもならない弁解をうだうだ言っている姿には、「戦後レジームからのダッキャク~」なんで叫んでいた元気さはない。今のこの男の姿を見て悪口を言うのは、溺れかけた犬に石をなげるような気もするが、この犬は岸に這い上がるとまた人に噛み付く可能性もある。国会を空転させて莫大な税金を無駄遣いした責任を取って議員も辞職するのかと思ったら、「一国会議員として今後も活動していく。次回衆院選にも出馬する。」とのこと。あ~あ。



September 23, 2007 =Sun=

自民党総裁の福田康夫を選出。安倍晋三が無責任に政権を放り出してから10日あまり。この間、できレースの自民党総裁選を新聞やテレビがずっと追いかける。本来盛り上がらないはずの総裁選をマスコミが無理やり盛り上げようとしているかのようだった。これで自民党の支持率が回復でもしたら、まさに「焼け太り」もいいところだ。投票総数528、福田330、麻生197、無効1・・・無効の一票って、そういえば安倍晋三が病院で不在者投票したっていってた。

北海道から久しぶりに帰ってきた息子が、いつものように「フグを食べたい。」というので、双子の母である娘も呼んで歌舞伎町の「玄品ふぐ」でディナー。普通ならフグなんて冬のものだが、全国チェーンの「玄品ふぐ」では一年中ふぐをやっている。ゆびき(皮さし)、薄造り、唐揚げ、てっちり鍋、雑炊とふぐづくしのコース。

娘を新宿三丁目の駅まで送った後、もう一度玄品ふぐのある区役所どおりを北へ進み、稲荷鬼王神社の手前を右に入る。たしか、「風の蔵」というギリシャ料理の店がこの辺にあったはずだが、それらしき看板が無い。でも探してみると、電気は点いていないが、扉に「風の蔵」と書かれた店を発見した。扉には「2008年5月にまた会いましょう。」という張り紙がある。店舗改装にしては来年5月というのは長すぎる。もしかするとオーナーがギリシャに長期滞在しているのではと想像する。



September 19, 2007 =Wed=

会社にとって長年の懸案事項が解決したので、新橋の「をん」で担当弁護士を始め関係者の慰労会。烏森口からすぐのところなのだが、連れて行ってもらわないとなかなか分からない立地だ。ビルの谷間の路地のようなところにあり、反対側に「ON」というバーがあるので、同じ経営かと思ったら偶然なのだそうだ。それより、同じビルに「わ」という店があり、携帯電話のボタンの一つが「わをん」なので、「わ」と「をん」をそれぞれの店名にしたとか。店は正方形の二辺に四つずつ、計八席のみで店主兼板前さんが一人で切り盛りしている。アラカルトは夜遅くなってからだけで、原則としておまかせコースメニューのみ。それだけ丁寧で品格のある料理だ。以前行った世田谷の寿司屋「あら木」を想いだすが、あちらほど肩は凝らない。ブックマークしておいて、今度はプライベートで行ってみたい。



September 18, 2007 =Tue=

今度移った渋谷のオフィスは、駅からかなりの距離坂道を登らねばならないのに加えて、周囲にランチタイムに適当な店が少ないという欠点がある。弁当屋さんは多いのだが、どうしてこう弁当屋ばかりあるのか不思議に思っていたところ、ランチの店が少なく、あっても高いため、必然的に弁当屋が繁盛するのだという事情が分かってきた。先住者である合併相手の人たちも弁当を買ってきているケースが多いらしい。だが、周囲に様々な食べ物やがある神田から移ってきた我々の仲間は、難民よろしく適当な値段のランチの店を探してさ迷うことになる。今日もそうしてさ迷ううちに、飲み物付きで880円というランチを見つけた。黒板にチョークで書いた簡単なメニューが目を惹いたのだ。入ってみると、本来は夜のバーらしく、棚には洋酒のビンがたくさん並んでいる。だが、その棚の半分を占めているのは昔のSP版らしい、これも夥しいレコード盤だ。カウンターにはターンテーブルもある。どうやら夜はジャズバーになるらしい。ランチの飲み物はコーヒー、紅茶のほか、ビールもあるという。ビールを注文すると、小さなグラスの「ランチビール」ではなく、普通の大きさのグラスが出てきた。ランチの味も悪くない。店の人に頼んで夜のメニューを見せてもらった。驚いたことに、日曜日に「Spyro's」で食べた「ハルミチーズの鉄板焼き」がメニューに載っている。「珍しいものがあるね。」と店の人に言うと、「うちのシェフが以前ギリシャ料理店にいたものですから。」よく見ると「フェタチーズのギリシャサラダ」なんてのもある。だが、ギリシャ系の料理はその2点くらいで、あとはメキシコのチョリソだの、いろんな国のいわば無国籍料理のようだ。帰りに外に出てから店の名前を確認すると、ロシア語で「ИВАН」と書いてある。ローマ字に直すと「IWAN」だ。日本語やローマ字での併記はない。むかし、ロシア語をほんの少しだけ齧ったことがあるので何とか読めたが、普通の人で「イヴァン」と読める人は少ないだろう。なぜこんなところに、こんな名前のこんな店があるのだろう。私がこの渋谷のオフィスにいるのもあと1ヶ月余りだが、一度機会をつくって夜に行ってみたい。



September 16, 2007 =Sun=

六本木の「ざくろ」の向かいにあった「ダブルアックス」が閉店してから、都内のギリシャ料理店は渋谷の「エーゲ海」くらいしかないのかと思っていたが、ネットで探してみると他にもみつかった。一昨日、歌舞伎町を歩いて探したが見つからなかった「風の蔵」もそうだが、歌舞伎町には西武新宿駅のすぐ近くに「デカメロン」という店もあるらしい。(確かに語源はギリシャ語だが、何でギリシャ料理店の名前がイタリア文学のデカメロンになっているのか、よく分からない。)これらは今後征服することにして、今日は原宿の「Spyro's」に出かけた。山手線を原宿で降り、表参道を南へ、交番の手前を左に階段を降りると、少し日本離れした雰囲気の小路になる。左手のジャンクヤードビルの外階段を3階に上がると店に入る。着いたのは6時過ぎで、先客は一組しかいなかったが、20組ほどのテーブルはすぐに満席になる。2800円のコースはメインがスブラキ、3800円のはラムの香草焼き。最初なので高い方にしてみた。前菜に出てきたのはオリーブ3種、ドルマダキア、ハルミチーズの鉄板焼き、タラモサラダ、オリーブペーストを一皿に盛ったもの。タラモサラダとオリーブペーストはパンにつけて食べるのだが、それぞれこぎれいな小さいガラスの器に入っている。総じて、昔ギリシャにいたころに食べたものよりずっと洗練されている。日本でエスニック料理として出しているからなのか、それともギリシャ料理自体が30年経って洗練されてきたのだろうか。まあ、後者はありえないだろうが。それにしてもハルミチーズというのはそうしたものがあることも当時は知らなかった。もっともキプロス産だというから、30年前のギリシャではあまりポピュラーでなかったのかもしれない。次いで出てきたのは定番のグリークサラダ、フェタチーズがたっぷり入っている。次がムサカ、そのあとにバカリャロ(鱈の揚げ物、これも初めて)、最後にメインのラムが来てギリシャコーヒーで締める。

まだ入ったばかりというウエイターに聞いてみると、この店ができたのは2003年ごろで、オーナーのギリシャ人は今は六本木の店にいるとのこと。このウエイターは愛想がいいのだが、ウエイトレスたちの態度はいただけない。客席に目を配るよりも仲間内でおしゃべりしていることが多く、何か頼んでもマニュアル的な対応しかしてくれない。「サブディッシュをムサカかユベチから選べます。」というので「じゃあ二人で一つずつ。」というと「それはできません。」まあ、これは仕方ないのだが、「パンはお代わり自由です。」といいながら「食パンはいらないからフランスパンだけください。」というと「それもできません。」てのはどういう訳だ?

私が抱いているギリシャ料理のイメージからすると、少しお上品ぶっている感じはするが、味の方は悪くない。若いウエイター君が成長して、客席に目配りができるようになれば、もっといい店になりそうなのだが。

食事の後、すぐ近くの「表参道ヒルズ」に寄ってみる。地上3階から地下3階まで、エレベータやエスカレータもあるのだが、ずっとスロープで続いている。スロープに沿ってブランド店やスイーツの店が並んでいる。娘ならきっと飛びつくだろう。妻は仕事に使うカバンを探していたが、ウインドウショッピングしていて一番気にいたのがdan gentenという店の一枚革のもの。結局は買わなかったが、聞いたことのないブランドなので、「dan gentenってどこの国のブランド?」って店員に聞くと、「日本です。gentenは『原点に返れ』っていう、あのゲンテンです。」とのこと。比較的新しいブランドらしい。



September 15, 2007 =Sat=

アイランドタワーの本屋に立ち寄ったら、面白い本を見つけた。新宿区が出版した「新宿文化絵図」というもので、A4版220ページほどの本と現代・明治時代・江戸時代の重ね地図9組から成っている。本の方は「第一部・新宿まち歩き10コース」と「第二部・新宿万華鏡」から成り、第一部は新宿区を10の地域に分けて、それぞれの街の歴史的成り立ちや町名由来、関係者のエッセイなど、第二部は映画、近代文学等々の切り口からのエッセイ。わが家のあるあたりは「淀橋・柏木・角筈」の章にあるが、この近くも結構昔の有名人の旧居跡があるらしい。江藤新平、大町桂月、内村鑑三、西条八十、大杉栄などという人々がこの近くに住んでいたという。また、新宿ゆかりの人物についての解説もあり、それを観ると芥川龍之介、夏目漱石をはじめ、有島武郎、泉鏡花、内田百閒、江戸川乱歩、小川未明、尾崎紅葉、金子光晴、北原白秋、国木田独歩、小泉八雲、小林秀雄、佐多稲子、志賀直哉、島村抱月、竹久夢二、太宰治、田山花袋、壺井栄、坪内逍遥、徳田秋声、永井荷風、中野重治、中原中也林芙美子、二葉亭四迷、船橋聖一、正宗白鳥、三島由紀夫、宮本百合子、武者小路実篤、吉屋信子といった人たちが新宿に生まれ、あるいは住み、あるいはここで亡くなったりしている。たまたま昨日、歌舞伎町で島崎藤村の旧居跡に遭遇したせいか、こうした内容に惹かれ、一冊買うことにした。大判の本なので、また書棚のスペースに悩むであろうことを予測しつつも。

ページをめくってみると、いつも利用する大久保駅のすぐ近くに「俳句文学館」というのがあることを知る。時間ができたらこの本を頼りにいろいろと探索してみるのも面白そうだ。「重ね地図」の方もなかなか興味深い。わが家の建物があるのは、南北に走る小滝橋通りと東西に走る税務署通りが直角に交わる交差点の西側100メートルあたりから、60度の角度で小滝橋通りに斜めに走る道路で囲まれた直角三角形の西の角あたりにある。「重ね地図」で見ると、小滝橋通りも税務署通りも、そしてなんと直角三角形を形作る斜め道すらも、明治時代どころか江戸時代の地図にも同じ位置で載っている。



September 14, 2007 =Fri=

いつも行くスポーツクラブが来年3月で閉館することになったので、それに代わるクラブを探している。といってもわが家から歩いていける範囲のスポーツクラブは3箇所しかないことはすでに調べずみだし、今のクラブに入る前にも3箇所とも見学に行ってだいたいのことは分かっている。一つは大ガード近くの交差点にある、一階が大きなパチンコ屋のビルにある。ここは通勤でいつも通る順路であり、駅からも近くて一番便利なのだが、それだけに会員も多く、いつも混んでいるらしい。洗面台にも櫛や整髪料のサービスもなく、何か落ち着けない感じだ。もう一つは家からの距離は今のクラブとほとんど同じで、設備はもっと上らしいが、その分料金が多少高めになる。ここに入らずに今のクラブにしたのは、料金のこともあるが、ロケーションが大きな理由だった。今のクラブは西新宿の高層ビル街の中にあるのだが、このクラブは歌舞伎町のど真ん中。オフィス街か歓楽街かといいうのが大きな違いだ。だが、今度入るとすればやはりここになるだろうということで、今のうちにもう一度見学しておこうと思い、出かけてみた。そうしたらなんと現在改装工事中で休館になっていた。明後日の日曜に再開するとのこと。

仕方なく外に出てあたりを歩くうち、歌舞伎町の奥のほうに「風の蔵」とかいうギリシャ料理店があるはずだということを思いだし、せっかくだから今度来るために場所を確認しておこうと探し始めた。確か区役所通りを渡ったところのはずだと思うのだが、歌舞伎町の中で住所もはっきりしない飲食店を探すのは至難の業。見つからないまま職安通りに出る。そうしたらそこに小さな石碑が建っていて、「島崎藤村旧居跡」と書かれている。石碑に並んで新宿区教育委員会の由緒書きがあり、ここは藤村が暫く住んだ借家があったところで、彼はここで「破戒」を執筆したとのこと。しかし彼の生活は苦難の連続で、ここに暮らす間、まず次女を亡くし、ついで長女、三女も失ったそうだ。

夜、妻の友人で同業の女性税理士Hさんが突如来訪、ありあわせの夕食とスパークリングワインで三人でディナー。独身だが事業意欲旺盛な女性で、最近も虎の門の新築マンションを即決購入したという。政治にも興味ありそうな様子。



September 12, 2007 =Wed=

スポーツジムのランニングマシンには一台ずつテレビが付いている。だが、ウィークデイの昼間ではニュースショウくらいしかやっていない。仕方なく、川内康範がまた森新一を批判する手記を発表したとかいうつまらないニュースを見ながらランニングをやっていると、突然チャイムが鳴って担当アナが「緊急のニュースが入ったようです。」とアンカーに振った。アンカーは、「自民党関係者によると、首相官邸から安倍総理が辞意を洩らしたそうです。」と伝える。何?あのアベシンゾーがやっと辞める?あちこちチャネルを切り替えてみると、どこも安倍辞任のテロップが流れている。思わず{やった~!」と叫びそうになった。この国には他にもたいした政治家はいないとはいえ、この男ほど総理にふさわしくない人間はいない。総理になって一年弱のうちに、教育基本法を改悪したり防衛庁を省に昇格させたりと、小泉の郵政選挙から受け継いだ衆院の絶対多数を背景に横暴なことばかりやってきた。早く辞めさせないとろくなことにならないと思っていたが、参院選で惨敗しても示された民意を無視して続投を宣言した。選挙中、この男は、「ワタチは負けるわけにはいかないんです~!」と叫んでいた。年金問題や国民の生活など関係なく、この男の言う「戦後レジームからの脱却」と称する政策、つまり、曲がりなりにも守られてきた戦後の平和主義的体制を潰す作業を進めるためには「負けるわけにはいかない」というのだ。その選挙で惨敗後、続投を宣言したものの元気がないので、ひょっとすると?とは思っていたが、こんなに無責任なやり方で政権を放り出すとは誰もが思っていなかったようだ。

だが、一昨日の臨時国会で所信表明演説までやった上で、二日後の代表質問を控えての辞任表明とは、いくら無責任男とはいえ、何があったのかとの疑問が湧く。与謝野官房長官は聞かれもしないのに「健康上の理由」を挙げてフォローしていたが、健康は健康でも肉体状の健康ではなく精神上の健康、つまりいま話題の朝青龍と同じ解離性障害か何かかもしれない。あるいは、彼の辞任がシドニーで勝手にブッシュと約束してきたテロ特措法延長が難しくなったというのが直接の動機だが、アフガン戦争でのパキスタン艦船への給油活動を目的とするテロ特措法の給油対象が国民に知らされぬままイラク戦争に利用されていたことが民主党の国政調査権発動で暴露されそうになったことが原因なのか。「きっこの日記」では安倍自身の巨額脱税疑惑が週刊誌に報じられようとしているとの情報も伝えられている。

今日は妻は税理士会のゴルフに参加しているので、夕食は一人で家で済まそうかと思っていたが、気が変わって大久保のトルコ料理店へ行き、トルコワインとラク(ギリシャのウゾと同じ)で祝杯を上げた。




September 7, 2007 =Fri=

心に残るお通夜だった。商社での先輩であり、大学の先輩でもあるWさんの訃報が今日の午前中にメールで届いた。ご逝去は4日、今夜がお通夜で明日が告別式。今日の今夜なので少し迷ったが仕事を調整して東横線の妙蓮寺へ。駅名にもなっている妙蓮寺の斎場だというのでてっきり仏式の葬儀かと思ったが、無宗教形式で行われた。斎場には100席程度の椅子が用意され、親族と参列者が向かい合う形で座る。私は参列者席の最後の席に案内されたが、後から来る人たちは立ち席か斎場の外に並んでいた。明らかに参列者の数は関係者の予想を超えたようだ。式は、豪州から一時帰国されたご長女が挨拶と共に故人の経歴を紹介し、ニューヨーク時代に故人の部下であった商社の元常務が追悼の辞を述べた。それらによると、故人は1928年サンフランシスコの生まれ。いわば帰国子女の走りだ。商社の調査部長から三菱総研の会長を務めるなど学究肌の反面、世話好きで人望に厚く、退職後もスケジュール表の半分は飲み会の予定で埋まっていた。われわれも同窓会の常任幹事役としてお世話になった。食道癌と宣告され、最後は病床で点滴を受ける状態だったが、見舞い客とも明るく応対し、奥様や娘さんに葬儀のやり方等について細かく指示した。葬儀の参列者には「賑やかにやってください」と自筆の案内を残した。最後には自ら医師に点滴の中止を依頼し、文字通り慫慂として旅立たれた。故人と娘さんが選んで決めたというショパンの曲が流れる中、献花の列はいつまでも続いた。



September 6, 2007 =Thu=

大型台風が接近中。窓を閉めていれば台風とも思えないが、それでもベランダに面したガラス戸の前に立つと、吹き付ける風や雨の気配は強い。そうして夜の街を眺めていると、身体がふらふらする感覚に襲われる。ふと気付いてわが家の地震計、つまりピクチャーレールに下がった銅板画をみると小刻みに揺れている。「高層ビルは風でも揺れる。」と聞いたのを思い出した。確かに強風で建物自体が揺れているらしいのだ。まあ、風で倒壊することはあり得ないだろうが。

ところで、こんなニュースまでロイターで配信するんですね。



September 4, 2007 =Tue=

瀬島龍三という男が亡くなった。95歳。昭和天皇が太平洋戦争における自らの責任を、国民にも近隣諸国にもついに明確な言葉で謝罪することなく亡くなった後、その役割を引き継ぐのはこの男だと思っていた。しかし、大本営参謀としてガダルカナル撤退作戦で大きな犠牲を出し、自らの11年のシベリア抑留では日本人捕虜の労役について旧ソ連と密約を結んだのではないかとの疑いを受けたまま、彼だけが知っているはずの戦時中の暗部をついに公にしないまま老衰による死を迎えた。彼をモデルにしたといわれる山崎豊子の「不毛地帯」は、自分がその一員である商社業界に絡むこともあって興味深く読んだ記憶がある。それももう30年前のことだが、その後の彼は国士気取りで日本の政財界に暗躍してきた。本来果たすべき責任を果たさぬままに。



September 2, 2007 =Sun=

妻が端役で出演する「平成幕末世直し劇・草莽崛起!高杉晋作と騎兵隊」を見に日比谷公会堂へ。これはNPO法人グローバルネットワークが主催する政治家や財界人による演劇で、2年毎に行われ今回は5回目。妻は去年の「万延元年のベースボール」から出演している。「草莽崛起」というのは吉田松陰が「草の根の民衆よ、立ち上がれ!」と檄を飛ばした言葉で、高杉晋作が騎兵隊を立ち上げた際にもこの言葉を掲げている。本来は民衆蜂起による革命を呼びかけたものだと思うが、維新の志士たちのスタンスが尊皇攘夷であったことから、今は「民族派」と呼ばれる右陣営の連中が良く使っている言葉ではある。

今回は、目下落選中の元衆院議員(千葉県)Tさんが高杉晋作を演じたが、ほとんど彼の一人芝居。民主党や自民党、国民新党などの現役議員も出ているがいずれも脇役の印象だ。妻の役は、高杉を経済面で支えた豪商・白石正一郎の弟の妻という役どころ。短い台詞が二つ三つ程度。家ではほとんど練習もしていなかった。昨夜がゲネプロで、今日は昼と夜の二回公演。

妻の出番は休憩の後とのことだったので、12時開演のところ公会堂に着いたのは12時半ごろ。座席のうち半分以上は空いていた。座席指定だがみんな適当に座っているらしい。私も前列の座席券だったが中ほどの通路際に座っていた。1時過ぎに娘も合流。観客のほとんどは出演者の関係者だが、どうやらみな知人の出番の前に入場して、出番が終わると帰っていくらしい。それにしても去年はもう少し観客が多かったように思うが、今年は参院選の直後で有名な政治家があまり集まらなかったのかもしれない。

昨日買った10倍ズームのデジカメが役に立った。舞台での写真をいっぱいにズームして撮ると、手ぶれする場合もあるが、うまくいくときはかなり鮮明に撮れる。だが、今までのデジカメが160gの重さだったのに対して、今回のは257gというからかなり重いし、嵩もある。

劇が終わり、夜の部にも出演する妻を残して娘と公会堂を出る。sadaharu aokiのマカロンを買いたいというのに付き合って有楽町から丸の内仲通に入ると、見慣れない建物が建っている。「あ!ペニンシュラだ。」そうか、昨日が開店だったのだ。入ってみるとやはり開業当初の見物客でごったがえしている。ロビーのコーヒーショップではアフタヌーンティをやっていて、娘は行きたそうだったが順番待ちの行列が凄まじく、あきらめることにした。で、丸の内のsadaharu aokiでマカロンや抹茶味ケーキの品定め。双子の母親になってもこうしたところは変わらない。



September 1, 2007 =Sat=

今日は土曜日だが、オフィスの引越しがあるので午後から新しいオフィスに顔を出す。今行っている会社が親会社の意向で兄弟会社と合併する。実質的にはこちらの会社が歴史もあり実体もあるのだが、相手の方が親会社の名前を冠称していることもあり、こちらが吸収される形で、オフィスも相手会社がこちらとの合併を前提に今年5月に選定した渋谷になる。渋谷なら今の神田よりも近いのだが、駅からの距離は渋谷の方がかなり遠い。

引越しもそれに伴うパソコンやLANの設定も順調に進んでいるのを見届けて、渋谷の駅周辺を少し歩いてみる。これまで渋谷はあまり行く機会がなかったので、地理感覚が乏しい。今度のオフィスは東口から出て246号を渡り、クロスタワーを越えたあたりになる。これまで渋谷といえばだいたい西口方面に行くことが多かったから、まずはいったん西口に出て、改めて東口の方へ歩いてみたら、何となく方角間隔がつかめてきた。

新宿に戻り、家に帰ろうとしてふと気が変わり、ビックカメラに立ち寄る。屋久島の雨で壊れてしまったデジタルカメラの代わりを買おうという気になったのだ。壊れたのはPanasonicのfx-07というコンパクトな機種で、軽くて持ちやすいことと、広角が28mmというのが気に入っていたのだが、雨の中をやっと縄文杉に辿りついた所でパワーボタンが入らなくなってしまった。修理に出したが雨で濡れた場合は保証の対象外だという。パナソニックの修理担当者には「ちょっと雨に濡れたくらいで使えなくなるような物を売ってるのか!」と毒づき、「もうあんたのところの製品は買わないよ」と捨て台詞を浴びせたが、広角28mmというのは他のメーカーではあまり売っていない。

昔、ヨーロッパを家族旅行していた頃、大聖堂などをバックに写真を撮りたいのだが、道路の反対側ぎりぎりまで下がっても一部しかアングルに入らない。売っている絵葉書を見るとちゃんと全部入っている。妻が、「絵葉書の写真は全部写っているのに、どうしてうちのカメラじゃ入らないの?」と聞くから「絵葉書の写真は向かいの建物が建つ前に撮ったんだろ」などと答えていた。当時のカメラはギリシャ赴任に際して父がプレゼントしてくれたコニカのコンパクトカメラだ。正直言って広角レンズなんてものがあること自体知らなかった。

今度も、いっそのことデジカメ一眼レフにしようかと思ったが、やはりあの重くて嵩張るのを首に下げる気にはならない。買い替え用に目をつけていたのは、やはりPanasonicのTZ-3というやつで、広角は同じ28mmで、光学10倍ズームという機種。少し前までは4万円台だったと思うが、32,100円になっている。それに壊れた方のカメラを後で持ってくれば、下取り扱いで3000円値引きになる。雨には懲りたので、このカメラと合わせてオリンパスが出している防水仕様の機種を一つ買うつもりだが、これは12月のペルー旅行前に買えば良いだろう。





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