November 29, 2007 =Thu=
6時にタクシーで新宿パークタワーへ。この37階に「新宿サミットクラブ」という住友商事関係の施設があり、そこで「エーゲ会」という会がある。出席するのは初めてだが、昔、ギリシャに駐在していた人たちの会。我々の登録住所が以前住んでいた杉並のままになっており、案内が来ていなかったところ、妻がギリシャ時代の友達からこの会があることを聞き、案内状をファックスしてもらうと、どうやら幹事のIさんはむかし私も存じ上げていた方らしく、「出席してもいいですか?」と聞くと「どうぞ、大歓迎」と言われて参加した。
パナマ時代と違って、ギリシャ時代は代表者でもなく、ゴルフもやらず、子供たちも小さいので学校関係の付き合いもなく、親しくしていた日本人は同じ会社以外では限られており、どちらかというとギリシャ人やギリシャ人と結婚した日本人妻たちの方が親しかった。だから最初は会場に入っても幹事のIさん以外に知った顔がほとんどいないと思ったのだが、だんだんと挨拶を聞いたり話したりしているうちに、同じ時代にギリシャに駐在していた人たちの顔を思い出してきた。
私と同じ会社にいたFさんの奥様が最後に挨拶され、ご主人は名古屋の大学に講義に行っていて今日は欠席だが、奥様が幼少時代の第二次大戦中、ご両親と共にフランス、ドイツに滞在され、ナチスドイツ陥落後にシベリア鉄道経由満州へ脱出した経験などを本にまとめられ、講談社出版から出されたというお話があった。「戦争をくぐり抜けた少女の、ごきげんようパリ」というタイトル。旅行から帰ったら読んでみよう。
November 28, 2007 =Wed=
朝一番に銀行に行ってドル現金を購入する。来月はじめからのペルーへの旅行には、一人400~600ドルを小額紙幣で持っていくよう旅行会社から言われているが、これまでの使い残しもあるので二人分で800ドルを買うことにした。いまはドルも両替機で円と交換するのだが、金種を選べるのではなく100ドルなら20ドル札で3枚、10ドル3枚、5ドル1枚、1ドル5枚がセットになっている。100ドルと300ドルの二種類だが、300ドルセットには50ドル札が3枚入っている。ペルーで50ドル紙幣を使うことはまずないだろうから、300ドルセットは一つだけにして、100ドルセットを5つ買った。1ドル111円31銭の換算。今日のレートは109円台だが、キャッシュとなると大分高くなる。それにしても手許のドルと合わせると1500ドルくらいになるが、これだけのお金を小額紙幣でとなるとかなりのボリュームになる。どうやって持って行くのかも考えなければならない。
銀行からすぐ目の前のビックカメラへ行く。今日発売のP905iという携帯電話を買うためだ。先月、会社契約だった携帯を個人契約に切り替えたとき、いったんは904iという機種を買ったのだが、そのわずか三日後に905iが発表された。これから海外旅行に行く機会が多いので、海外で使える携帯がほしいと言ったのだが、904iは海外も一部でしか使えない。何でも国によって3GというのとGSMというのと二つの方式があり、大部分の904iではGSMにしか対応していないのだそうだ。3GとGSM両方に対応しているのは韓国のLG電子製かアメリカのモトローラ製しかなく、どちらも使いにくい上故障が多いという。それでやむを得ず富士通の904iにしたのだが、その3日後に発表された905iでは日本メーカーのすべての機種が3GとGSM両方に対応していると言う。それでドコモショップに文句を言って、904iの契約を解除し、905iの発売まで待っていたというわけ。パナソニック製のP905iは事前にビックカメラに予約してあるので売り切れの心配はないが、機種変更の手続きに時間がかかるだろうからと早めに売り場に行った。10時の開店直後だったが売り場のカウンターはすべてふさがり、順番待ちの列の3人目に並んだ。私が並んだ直後、列ははるか先まで長くなった。ようやく機種変更の手続きを終えたのは11時前。それでも新機種に開通するのには4時間かかるという。
そこでいつものスポーツジムで一汗流し、サウナにも入って5時間ほど後に売り場に行ったら、まだ開通は終わっておらず、いつになるか分からないという。一時間後に来るからそれまでには開通するようにしてくれと念を押していったん家に帰る。夜の会合のため着替えて再度売り場に行き、ようやく新機種が手に入った。
会合は、神田須田町の「佐和」で、先月まで勤めていた会社の送別会。お互いに忙しく、1ヶ月遅れの送別会だが、当事の仲間7人が集まってくれた。みんな今は合併した渋谷の会社にいるのだが、合併前の神田が懐かしいからと場所は神田ということになった。合併でいろいろと大変らしいが、それでもみな元気で明るくやっているようなので安心する。イースター島に新婚旅行に行っていたかつての部下からはモアイ像のレプリカをお土産にもらう。
November 25, 2007 =Sun=
娘を双子の育児から半日だけ解放して、出張帰りの夫とのデートをさせてやるため、11時に五番町に行き、引継ぎを受ける。ちょうど双子は眠ったところ。娘がこまごまと書き残していったスケジュールに従えば、12時15分頃からミルクの用意を始め、12時半から飲ませるはずが、一向に目覚める気配が無い。結局予定より30分ほど遅れてミルクの時間が始まる。うまいことに一人だけ先に目が覚めたので、順に飲ませることができた。もうかなり手馴れた世話ができるようになった。二人ともまだ這うところまでは行かないが、今にも這い出しそうな様子で、結構動き回るようになった。午後の散歩は定番どおり四谷駅を通って迎賓館までの往復。ゆりの木の葉が黄色く色づいて、風に散っている。このところ、他人の詩を引用してばかりだが、中学校の頃、校内放送で朗読させられたこんな詩の記憶が蘇ってくる。
あかしあの 金と赤とが 散るぞえな
かはたれの 秋の光に 散るぞえな
片恋の 薄着のネルの わがうれひ
曳船の 水のほとりを ゆくころを
やはらかな 君の吐息の 散るぞえな
あかしあの 金と赤とが 散るぞえな
(北原白秋)
November 24, 2007 =Sat=
朝風呂に入って食事をとったあと、遅めの出発。信州りんごの直売店、「おぎのや」の
釜飯の昼食に続いて、川中島古戦場へ。山本勘助が討ち死にする川中島第4次決戦を再現するという。ふだん観ていないのだが、NHKの大河ドラマで「風林火山」をやっており、それにちなんでの催しのようだ。どうやらこのバスツアーは、このイベントに合わせて企画されたらしい。場内整理に当たっている県庁職員らしい人に聞いてみると、イベントの費用は県内の商工会議所や宿泊施設、土産物店など観光関係の業者のほか、県も15百万円ほど出しているとのこと。出演者は一応プロの人たちで、貸衣装代も馬鹿にならないが、もし雨が降ったら貸衣装を洗って返すのに借り賃とほぼ同額がかかる。一昨日までの予報では今日の降水確率70%とのことだったが、好天になってほっとしているとのこと。イベント開始に当たって、NHKの「風林火山」で山本勘助を演じる内野聖陽が勘助の衣装を着けて登場、イベントの勘助に激励の言葉をかける場面もあった。合戦場面の「再現」はいささか拍子抜けの面もあったが、最後に長野市内の小学生たちが詩吟に合わせて演ずる剣舞が可愛らしかった。
弁清粛々夜河を過る
暁に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年一剣を磨き
流星光底長蛇を逸す
(頼山陽)
帰路はまた渋滞の関越道をのろのろと走るが、それでも7時半にはわが家に着いた。
November 23, 2007 =Fri=
「松茸のお土産つき」という宣伝文句に乗せられた妻が、信州への一
泊バス旅行を申し込んでいたのだが、来月初めからのペルー旅行の準備もあるし、仕事も忙しくなりそうなのでキャンセルを申し入れたところ、キャンセルできないと言うのでやむを得ず今日の出発となった。正直、行き先は信州と言うことしか頭になかったのだが、朝9時過ぎに新宿を出発したバスが渋滞する関越道から上信越道を経て、上田城址に寄ったあと、最終的に着いた先は長野の善光寺。私が先月まで属していた会社が運営しているショッピングセンターは善光寺への参道の続きにある。もちろん、善光寺にも出張のついでに寄ったこともある。ますます、わざわざ来るんじゃなかったかなと思いつつバスを降りる。善光寺は日没と共に閉まるが、渋滞のため着いたのは閉門の30分ほど前。やっと間に合ったと言う感じだ。団体なので、善光寺の中にある常智院というお寺の若い僧が慌しく説明をしてくれる。やはりこうした説明は出張ついでの参拝では聞けない。
善光寺を開いたのは1300年ほど昔の本多善光なる人で、その名前が寺の名前となった。この寺は日本の仏教がいくつもの宗派に分かれる前の寺と言うことで宗派に関係なく、あらゆる宗派を受け入れるが、中心となるのはいずれも善光寺境内にある大勧進という天台宗の寺と大本願という浄土宗の寺で、大勧進の貫主と大本願の上人が善光寺の住職を兼ねる。このほか境内には院と呼ばれる25の天台宗の寺、坊と呼ばれる14の浄土宗の寺で構成される。案内をしてくれる常智院も天台宗の寺の人だ。山門には「善光寺」の文字を刻んだ大きな額が掲げられているが、この文字の中の「善」の字の上の二つの点、「光」の左右の点、そして「寺」の左下の点の部分がそれぞれ鳩の形になっていて、「鳩文字」と呼ばれる。また、「善」の字は見方によっては牛の顔を現しており、「牛に引かれて善光寺参り」の伝説とも符合しているそうだ。
夕食を「ビアンデ信州中野店」というところで取ってから志賀高原のホテルへ。「ビアンデ」は、観光地に多くある、一階がお土産屋で2階が団体用の食堂と言う変哲のない店だが、もともと馬肉の専門店らしく、夕食の馬肉、牛肉、豚肉三種しゃぶしゃぶの食べ放題はこのようなバス旅行の食事としてはなかなかのもの。ホテルは冬のスキー宿をオフシーズンに観光客に開放しているらしいが、着いたらすでにホテルの周りは積雪50センチ。単純硫黄泉の温泉があり、露天風呂もついているが湯は少しぬるかった。早めに就寝。
November 21, 2007 =Wed=
いつものようにスポーツジムでランニングマシンを走っている時のこと、汗を拭こうとした拍子に右足がベルトを外れてフレームに乗ってしまった。流れるベルト上の左足とのバランスが崩れ、うつ伏せに倒れこむ。以前はTシャツにクリップで留める安全装置をつけていたのだが、最近は面倒になってつけていない。安全装置が働けばベルトはすぐにストップするのだが、安全装置がないから倒れてもベルトは止まらない。インストラクターのMさんが飛んできてベルトを止め、助け起こしてくれた。頭を打ち付けたと思ったのか、Mさんは氷袋を取り寄せて冷やすなど、親切に介抱してくれる。だが、頭は打っておらず、ベルトで擦った額に少し血が滲む程度。トレーニングはそこそこに切り上げた。
November 18, 2007 =Sun=
東京を7時35分に出る「ひかり」で京都に向う。65歳(女性は60歳)以上を対象にした「ジパング・クラブ」の割引を使うには「のぞみ」には乗れないのだ。京都駅で神戸から来る妻と待ち合わせ、タクシーで五条坂の大谷本廟へ。運転手に「京都の紅葉はどう?」と聞くと、「さあ、まだ青いところも多いし、もう赤くなっているところもあるし」とはっきりしない。だが、はっきりしないのが本当のところなのだろう。温暖化の影響か、最近まで暑い日が続いていたと思ったら、今日はずいぶん冷え込んできた。大谷本廟の受付で妹夫婦と弟の未亡人と落ち合う。今日は母の三回忌なのだ。いつものように、いわゆるマンション式お墓のわが家の区画のところに行き、僧侶に読経してもらう。
三回忌のあと、所要のある弟の未亡人とわかれ、われわれと妹夫婦で食事となったが、妹たちの提案で黄檗山万福寺の前にある普茶料理の店に行ってみようということになる。宇治の万福寺までは少し距離があるが、妹夫婦は車で来ているので便乗する。万福寺の向いに白雲庵という由緒のあ
りそうな料理屋がある。予約はしていないので、聞いてみると40分ほど待つらしい。その間、万福寺を覗いてみることにした。
万福寺は、いまから350年余り前、中国福建州から来た隠元禅師により開山された寺で、禅宗三派(臨済、曹洞、黄檗)の一つ、黄檗宗の総本山。確か、中学生の頃、学校の遠足で来た記憶がある。境内は広く、奥までいくととても40分では戻ってこれなそうだし、時おりポツリポツリと雨が落ちてくるので、用心して三門から天王殿、大雄宝殿あたりまでで引き返す。ちょうどこの日、朝日新聞社主催の撮影会が行われており、お寺のあちこちに舞妓さんが立って写真愛好家たちがシャッターを切っている。参加者たちは胸にリボンを付けているので、部外者が撮ってはいけないのかもしれないが、せっかくなので数枚をカメラに収めさせてもらった。だが、もぐりなので、ここに掲載するのは遠慮して後姿のものだけにしておこう。
時間になったので白雲庵に引き返す。靴を脱いであがり、待合室で待っていると、順番が来てもう一度靴を履き、別棟の大広間に案内される。広間には朱塗りの座卓が四人分ずつ並んでいる。普茶料理というのは初めてだが、黄檗宗と一緒に隠元禅師が伝えた精進料理なのだそうだ。この白雲庵とは別に、万福寺の中でも普茶料理が出されるそうだが、こちらは予約が必要。妹夫婦は母が元気な頃、万福寺の中の普茶料理に連れて行ってくれた。お寺の料理の方が白雲庵より質実な感じだそうだ。妹夫婦は車の運転があるので、私だけがビールを注文する。万福寺の入り口には「葷酒不許入山門」と書いた石柱が立っているが、お寺の中でもビールは注文できるようだ。
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精進料理ということで、はじめは正直そんなものでお腹の足しになるんだろうかという気がしていた。単菜(メニュー)を見ると、澄子(蘭茶・前汁)、蔴腐(胡麻豆腐)、雲片(吉野煮)、冷拌(和合物)、笋羹(菜煮の盛合せ)、油○(味付天麩羅・○は食偏に滋のつくり)素汁(後汁)、醃菜(香の物)、行堂(季節御飯)の9種類となっており、写真上の段の中と左で最初の4つが出てきているので、残りもすぐ終わるだろうと思っていた。ところがここからが大違いで、5番目の盛合せが一皿目、二皿目、三皿目と出てくる。そしてそのあとにまだ天麩羅と御飯、デザートがあるのだ。しかもそれぞれが手の込んだ仕上げとなっており、とても野菜だけの食事とは思えないほど。
中国から伝わったと言うだけあって、なるほど少しは中国風のところもあるが、これほど細部にわたり手の込んだ料理はまさに日本の食文化といっていいのだろう。これまで、精進料理というのはただ単に肉や魚を使わないだけのベジタリアン料理と思っていたが、ここまで進化したものであるとはと、認識を改めた。もちろん量的にも十分すぎるものだった。
食事の後、また妹夫婦に京都市内まで送ってもらい、高台寺を散策。去年の一周忌のときもこの辺を歩いたが、今日は帰りの新幹線まで少し時間もあるので、高台寺に入ってみた。このお寺はやはり禅寺で、こちらは臨済宗。豊臣秀吉の正室・ねねが建立し、その晩年をすごした寺だ。この季節は紅葉で名高いが、案の定まだ少し早く、紅葉はところどころに見られる程度。方丈には、ねねやその兄夫婦のゆかりの品々が展示されている。臥龍池を回りこんで石段を登ったら傘亭、時雨亭という二つの茶室がある。伏見城から移築されたもので、千利休が愛用したもの。茶室の説明をしていたスタッフに聞くと、やはり来週の連休頃が紅葉も盛りで、観光客も殺到し、お寺のスタッフは僧侶も含めて地獄状態になるそうだ。5時の日没と共にライトアップが始まる。紅葉には少し早いとはいえ、ライトアップされた樹々は見事だが、残念ながら写真には収め難い。方丈の前の石庭もライトアップされ、ここでは砂の築山にサイケ調のライトが走り回っているが、少しやりすぎではと思う。ライトアップされてから、ますます観光客の数が増えてくる。われわれは新幹線の時刻もあるし、雨も心配なので早めに外に出ると、そこにはこれから入場を待つ人たちの長い列ができていた。知恩院の前まで歩き、そこからタクシーで京都駅へ。
November 17, 2007 =Sat=
今日は妻がお墓参りを兼ねて中学時代の同窓会のため神戸に行っている。大久保駅から家への帰り道、夕食はどうしようかなと思いながらトルコ料理店「HISAR」の前を通りかかるとシェフのオスマンさんと目が合ったので店内へ。先週の日曜に妻と来たときはお休みだった店長のKさんもいる。奥のテーブル席はふさがっているし、カウンターには外国人が一人。この店もだんだん繁盛してきているようだ。だが、オスマンさんの顔色がよくない。Kさんによれば、先日、オスマンさんが珍しく休暇を取って日帰りで温泉に行ってから風邪を引いたらしく、今日はとくに具合が良くないようだ。何かお勧めはない?とKさんに聞くと、「メニューにはないんですけど、ギョズレメなんかいかがですか」ともかくそれを注文する。オスマンさんは準備だけして息子のエルデム君に引継ぎ、早退していった。カウンターの外国人はユーゴスラヴィア人でモスレムだという。「日本で仕事してるの?」と聞くと「いや、日本にいる友達を訪ねてきたんだ。」それにしては片言の日本語もしゃべるようだが。ギョズレメというのはチーズを包んだクレープのようなもの。チーズ好きの私には美味しい。今日の夕食はこれとラクを2杯。
Kさんからニシオギハウス展の案内をもらう。西荻のアパート?で集団生活をしていた3人の女性による展示で、一人は環境に配慮した海老のトレードを、一人はインド医学を専攻し、もう一人Kさんは自然素材による手作りの布を得意とし、それらの展示ということらしい。KさんによるHISARの新しいブログも教えてもらった。
November 11, 2007 =Sun=
日頃から忙しくて時間がないとこぼしている妻だが、こういうイベントを見つけるとわざわざ主催の大久保地域センターまで足を運んで申し込んでくる。新宿に住んで5年以上になるのだが新宿御苑には足を踏み入れたことがない。今日は大久保地域センターが主催して、新宿御苑を散策するというイベント。参加費は一人200円だが、新宿御苑の入園料がそもそも200円で、さらにお弁当がついて、専門のガイドが案内してくれると言う。朝から少し空模様が怪しかったが、9時に御苑の新宿門に集合。家から歩いて20分の距離だ。黄色いジャンパーを羽織ったボランティアの人たちが世話をしてくれる。巨木コース、ばらコース、菊コース、母と子の森コースなどに分かれているが、われわれは「ゆっくり散策コース」に参加する。
コースには2人のガイドが付いて説明してくれる。ガイドさんもボランティアで、普段は第一・第三土曜日にガイドをされており、今日は日曜なのに特別に参加してくれている。メインのガイドの漆原さんは、新宿御苑の歴史から園内の樹々などについて、豊富な知識を伝授してくれる。新宿御苑の歴史などは、御苑のホームページやWikipediaを見れば読めるのだが、やはり現地に行って現地で説明を聞かないとなかなか頭に入らない。
豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸に入場する際、先遣隊の役割
を果たしたのが譜代の家臣である内藤清成だった。当時の江戸はまだ治安が悪く、特に甲州街道や鎌倉街道の起点である、現在の新宿二丁目付近は軍事的にも要衝であり、内藤氏はこの地の平定に尽力した。これを高く評価した家康は、内藤に白馬を与え、この馬が一息で走り回る土地を授けると約束した。白馬に跨った内藤は、北は大久保、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷に至るまでを駆け巡り、白馬は疲れて死んでしまったが、彼はその広大な土地を授かった。内藤家はその後7代清政のときに信州高遠の藩主となったが、家の格に比べて余りに広大な土地を与えられたことを妬まれ、徐々に土地を幕府に返納した。それでも明治維新の時には10万坪が内藤家に残されていた。新宿御苑は、この内藤家中屋敷の土地と、すでに幕府に返納されていた隣接地を合わせた約18万坪(58ha)を占める。もともとは農業振興を目的とした植物園として、外来植物の試験場の位置づけだった。一時は動物園としても使われていたが、その後動物は上野に移された。大正時代には皇太子(後の昭和天皇)が9ホールのゴルフ場を作らせ、ここで特訓を受けた後に英国を訪問し、英国王室とゴルフをプレーした。戦後は国民公演として解放され、現在は環境省が管理している。
秋が遅いせいか、まだ紅葉には早すぎるようだ。しかし、公孫樹、ユリノキなどは黄色く染まっている。大木戸門を過ぎて玉藻池のあたりまで来たとき、突然漆原さんの説明が途絶え、静かにするようにと身振りで伝えてくる。池の中に立つ杭に翡翠(カワセミ)が停まっているのを発見したのだ。木陰の暗い水面に、その名の通り青い姿が美しい。
園内には幾何学的なフランス式庭園、開放的な英国式庭園、それに回遊型の日本庭園があり、三種類の庭園が一箇所にあるという珍しい公園になっている。フランス庭園と英国式庭園の間に芝生も植えられていない空き地がある。ここは明治天皇によりベルサイユを模した宮殿が立てられる予定だったが、予算の関係で断念したと言われる。この位置から眺める英国式庭園は、樹の並びや大きさから実際以上に広く見える設計になっている。
フランス式庭園には六列のプラタナス並木が植えられている。枯葉が並木道を覆い、本物の秋を感じさせる。道の片側に並ぶベンチに腰を下ろし、バイオリンの音でも聞こえてきたら、パリの公園にでもいるような気分になるかもしれない。
泣き笑いして わがピエロ 秋じゃ! 秋じゃ!と 歌うなり
オーの形の 口をして 秋じゃ! 秋じゃ!と 歌うなり
月のようなる 白粉の 顔が涙を 流すなり
見すぎ世すぎの ぜひもなく おどけたれども わがピエロ
秋はしみじみ 身に滲みて 真実涙を 流すなり (堀口大学)
日本庭園では、ちょうど菊花壇展が開かれている。新宿御苑の菊花展は、
毎年11月1日から15日までと決まっているそうだ。この時期に合わせて咲くように、前年から準備をするのだろう。断崖の岩間から垂れ下がる花をイメージした「懸崖作り」や、一本の菊を1年がかりで枝分かれさせ数百輪の花を半球状に咲かせた「大作り」など、菊作り技術の粋を集めた花壇が七つ、日本庭園の中に配置されている。盆栽もそうだが、どうも日本人は自然に人工の手を加えることに文化を見出してきたらしい。
日本庭園を出たところで、主催者の方からお弁当を貰って解散となる。約3時間の散策。わが家の周囲には緑がほとんど見られないが、ここに来ると新宿の都心にこんなに広い、緑に溢れた自然の世界があるなんて信じられないほどだ。四季折々にまた来てみたい。
蛇足だが、新宿という街は今や全国的に有名だが、もとは南豊島郡内藤新宿町といった。その前は、江戸の元禄の頃、日本橋を出て甲州方面に行くには最初の宿場が高井戸であり、その距離が遠いため、中間に新しく宿場を作ったのが内藤家の中屋敷のあった新宿二丁目あたり。内藤にできた新しい宿場なので内藤新宿と呼ばれた。それが今では新宿御苑のあたりが「新宿区内藤町」になり、「内藤」と「新宿」が逆転してしまっている。内藤町には今でも内藤家の末裔が住んでいるらしく、このあたりで「内藤さん!」と呼びかけると「はーい」と返事が返ってくる?そうだ。
散策を終えたらまた現実に戻り、妻の税理士事務所の仕事の手伝い。一番大口の顧問先の決算があるところに持ってきて、事務員が最近代わったばかりだし、来月の海外旅行を控えているので、助けてやらざるを得ない事情もあるのだ。
November 7, 2007 =Wed=
66回目の誕生日で会社も休みの日だが、朝から結構忙しく過ごした。近所の医院の紹介で妻が若松河田にある東京女子医大病院で診察を受けることになり、本人は税理士会の仕事があるからと私が予約を取りに行った。今日の午後、娘が双子の6ヶ月健診で同じ病院に予約を取っており、時間を合わせるのに一苦労だった。うまい具合に午後2時半の予約が取れ、携帯で電話を入れようとしたら携帯から電話帳が消えている。先月末に機種変更をしたのだが、今月末に海外でも使える機種が出ることを知り、それを教えてくれなかったドコモショップに抗議して機種変更を白紙に戻してもらった。それでそれまで使っていた機種に戻したのだが、電話帳は抜いたままだったのだ。うろ覚えの電話番号でかけたら見事通じたのだが、いったん家に帰って「軽快電話」でバックアップしてあった電話帳を再インストールする。それから今度は五番町の娘の家に行き、6ヶ月健診に付き合う。いつもなら娘の夫か私の妻が手伝うのだが、夫は海外出張中、妻は仕事が重なっているのでピンチヒッター。というより、先週末もヘルプに駆り出され、赤ん坊の世話もかなりノウハウを仕込んでいる。市ヶ谷から東京女子医大病院まではタクシーで10分程度なので、大した距離ではないのだが、タクシーの乗り降りなどやはり娘一人では大変だ。仕事を終えた妻と病院で合流。双子の健診が終わり、自分の診察を受ける妻を病院に残して、再びタクシーで娘の家へ。そこでしばらく赤ん坊にミルクを飲ませたりして、改めてまたタクシーで新宿三丁目の全聚徳へ。診察を終えてやってきた妻と再合流し、私の誕生日ディナー。双子連れなので個室を予約している。豪華版の中華料理もさることながら、双子の孫を傍らにおいてのディナーはバースディプレゼントとしても最高。
小沢一郎が辞意を撤回したそうだが、もうそんな猿芝居に付き合ってはいられない。
November 5, 2007 =Mon=
大学の同窓生で日本ペンクラブ会員であるエッセイストの植村君がこんなブログを始めた。どうやら普通のブログではなく、文章の達人たちがそれぞれのテーマの下に書き下ろしているらしい。第一回のエッセイに敬意を表してコメントを付けてみた。
November 4, 2007 =Sun=
先月まで使っていた携帯電話は前の会社から支給されていたものだったので、先月29日に渋谷のドコモショップに行って契約を個人に変更すると共に、新しい機種を買った。というのも、もともと前の会社に着任したとき、自分のと会社のと二つも携帯を持つのは面倒なので、会社支給の機種を自分のもともとの番号に変更する手続きを取っていたので、今回は契約を個人に変更する一方、携帯そのものは会社に返却する必要があったからだ。新しい機種は海外でも使えるものにしたかったので、「World
Wing」の表示のあるF904iと言う機種を選んだ。だが、説明をよく読むと、World WingといってもこのF904iを含めてほとんどの機種は3Gという方式にしか対応しておらず、この方式を採用する主としてヨーロッパやアジア地域でしか通用しない。南北アメリカやアフリカ地域で使うためにはGSM方式に対応していなければならない。ドコモショップの担当者の説明では、3GとGSM双方に対応しているのはモトローラ社か韓国のLG電子が出している機種しかなく、これらは使いにくいし故障が多いとのこと。「日本のメーカーで3G+GSMを作っているところはないの?」と聞くと、「ありません」との返事。故障が多いのでは困るので、やはり最初に決めたF904iにすることにした。これはワンセグ付きでテレビの視聴ができる。
ところが今日になってたまたまドコモのホームページを見たところ、11月26日に905iシリーズと言うのが売り出されるとのことで、このシリーズではほとんどが3GとGSMに対応しているではないか。905iシリーズの発表は11月1日付となっている。冗談じゃない、私が渋谷のドコモショップで日本メーカーでは3G+GSMは作っていないと聞いてあきらめた3日後に、まさにその機能を搭載した機種が発表になっているのだ。こんなに人を馬鹿にした話はないので、早速ドコモショップに電話して抗議した。しかし、電話に出てきた副店長と名乗る女性は「新機種は11月1日に発表されたもので、それまでは私どもでもどんな機能の機種が発売されるのかわかりません。」との返事。だが、よくよくネットで調べると、ドコモが3G+GSMの機種を開発中だというニュースは今年の春ごろから流れており、10月29日には11月26日に新機種が出ることもドコモのホームページで予告されている。今日は日曜でドコモ本社は休みだと言うので、月曜日にまた文句を言ってみよう。
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午後、民主党の小沢代表が辞意を表明。昨日の福田首相との密室「党首会談」で自民・民主の大連立を打診され、乗り気になって党に持ち帰ったら役員全員から反対されたため、これを自分に対する不信任と受け止める、というのが辞任の理由らしい。小選挙区制の下であり得るはずもない大連立でその気になること自体がおかしいが、自分の考えが容れられないと壊しにかかるこの男らしいやり方だ。こうして細川「非自民」政権を壊し、自社さ政権を壊してきたような男を代表に担ぐ民主党が間違っている。たぶん、前原誠二とか長島昭久とかを連れて党を割り、自民党との小連立を画策することになるのだろう。
November 1, 2007 =Thu=
月が替わって、今日からは勤務先が丸の内になる。この会社は元勤務先の商社の財務・経理部門をスピンアウトした会社で、今まで私はこの会社と雇用契約を結び、ここから同じグループ企業であるショッピングセンター開発・運営会社に派遣されていたのだが、先月1日の合併を機会に派遣契約を終了して派遣もとの会社に帰ってきたことになる。といっても、派遣元のオフィスに勤務するのはこれが初めてなので、実質的には転勤したようなもの。元の商社には定年後も1年半ほど嘱託でいたので、2003年の7月までいたのだが、その後銀座の美容関係の会社に約2年、それからショッピングセンターの会社に移って熊谷、神田、渋谷とオフィスを移ってきたから、丸の内に戻るのは4年と数ヶ月ぶりになる。商社在勤中も、大阪や海外、それに関連会社への出向などもあって、丸の内の本社勤務は通算12年くらいに過ぎない。だが、今までそんな気持ちになったことはないのだが、今回ここに戻ってきたら何だか故郷に帰ってきたような気分になるから不思議なものだ。しかし、丸の内の雰囲気もビルが生まれ変わり、またブランドショップなどが軒を連ねて、昔とは様変わり。