Diary


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March 31, 2008 =Mon=

一昨日、若い人たちで溢れかえる竹下通りを歩いた時、若者向けのブティックなどには興味がないので、100円ショップのダイソーに入ったら、面白いものを見つけた。「かんたんタイ・ベトナム・ヘブライ・ギリシャ・アラビア語会話」という会話教科書とそれに対応したCD。もちろんどちらも消費税込みで105円。ダイソーの企画商品らしく、英語、中国語、フランス語などのメジャーなもののなかに、どういうわけかこれらマイナー言語が一冊にまとめられている。本とCD合わせても210円だからともかく買ってみた。

地縁のあるギリシャ語でさえ片言しか話せないのに、いまさらヘブライ語やアラビア語を習うつもりもないのだが、本の方をめくってみるとローマ字表記のベトナム語を除いて、タイ、ヘブライ、ギリシャ、アラビアの各語はちゃんと文字もそれぞれ独特の字で印刷されている。ヘブライ文字なんて読めるわけもないが、すべてカタカナで読みが併記されているから、発音さえ気にしなければ旅行の時などに役に立つのかもしれない。少しはわかるギリシャ語のフリガナを見てみると、それほどいい加減な読み方ではないようだ。5ヶ国語合わせて140ページ余りだから、内容としてもごく基本的な会話しか載っていないのだけれど。

巻末に「基本単語」として、数、曜日、月、食べ物などの単語が5ヶ国語でまとめられている。その中の「月」を見て気が付いたのだが、アジア言語であるタイ、ベトナムは別として、1月から12月の呼び方がギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語で共通している。たとえば1月のJanuary(英語)、janvier(フランス語)、enero(スペイン語)、Januar(ドイツ語)などヨーロッパ言語ではいずれも同じ語源であり、ギリシャ語でもΙανουαριοσ(イアヌアリオス)でやはり同じ系統だ。だが、これはギリシャ・ローマに端を発するヨーロッパ諸国のみのことと思っていたのだが、この本によるとヘブライ語でもヤヌアル、アラビア語でもジェンヌワリーとなっており、同じ語源と思われる。因みに2月はヘブライ語でフェブラル、アラビア語でフェブリール、3月はそれぞれメルスとマーレスとなっている。

もともと、紀元前713年以前のローマ歴では、3月が年の始まりで、ローマ神話の軍神マルスからMartiusと呼ばれた。4月は美の女神を現すラテン語からAprilis、5月は豊饒の女神マイアからMaius、6月はローマ神の王ジュピターの妻・ジュノーからJuniusと呼ばれ、7月以降は5番目の月(Quintilis 7月)、6番目の月(Sextilis 8月)、7番目の月(September 9月)、8番目の月(October 10月)、9番目の月(November 11月)、10番目の月(December 12月)となっていた。このときの1年は304日で、12月が終わると年の始まりの3月まで61日間は月日のない期間だった。冬で農耕がないのでこの間は暦も不要ということだったらしい。紀元前713年にローマ皇帝ヌマ・ポンティウスがこの空白の期間に今で言う1月(入り口の神ヤヌスに因んでJanuarius)、2月(ローマ神フェブルウスに因んでFebrarius)を付け加えた。2月が閏年なのは、1年の一番最後の月で日数を調節したことによる。その後、紀元前44年にジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)がユリウス暦を作り、ついでに5番目の月(7月)を自分の名前に因んでJuliusと変えてしまった。彼の後任のアウグストスも6番目の月(8月)をAugusutusと変更した。その後のローマ皇帝たちも自分の名前に因んで月の名前を変えさせたが、その皇帝が亡くなると元の名前に戻ってしまい、結局定着したのはJuliusとAugustusだけだったという。ローマ帝国の版図は西欧だけでなくヘブライ民族やアラブ地域にも及んだので、これらの地方でも暦の月の呼び方はローマに従ったのだろう。
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March 30, 2008 =Sun=

今まで通っていたスポーツクラブがいよいよ明日で閉館になる。機械室の天井にアスベストが使われていることが判明したというのが閉館の表向きの理由だが、やはり根底にあるのは経営不振なのだろう。33年の歴史のあるクラブだが、私が入会したのは2003年の1月だから5年あまり通ったことになる。明日は出勤日で行けそうにないので、私にとって今日がこのクラブを利用する最後の日となる。もっともこのところ腰を痛めているので、ジムには行かず、プールとスパだけを使う。もともと水泳は苦手で、25メートルのプールを泳ぐのがやっとだったが、最近は我流ながら25メートルなら比較的楽に泳げるようになっていた。プールサイトのジェットバスやスパのサウナ、水風呂、ジャグジーなどもお気に入りだった。このクラブが閉館になるとは思っていなかったので、将来身体が弱くなってジムやプールが使えないようになったとしても、スパだけは利用したいとさえ思っていたのだが。事実、ここのメンバーにはそうした形で利用しているお年寄りもかなりいるようだ。私は来月から別のクラブに入会する予定だが、お年寄りのメンバーたちにとっては新しい環境で一から始めるのはかなり苦痛だろうと想像する。いつもはほとんど手ぶらで行くのだが、今日は大き目の紙袋を持って行き、ロッカーに預けてあった運動靴や水泳用ゴーグル、トレーニング記録などを回収して持って帰った。
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March 29, 2008 =Sat=

去年より少し早めの開花となった桜だが、明日の日曜は天気も下り坂らしいので、今日見に行かないと今年は見る機会を失うかもしれないと、お花見に出かけることにした。新宿御苑にしようかとも思ったが、朝のNHKで代々木公園の桜を映していたのでそちらにした。新宿から山手線で二駅、原宿に着くと改札口から凄い人波だ。少し時間もあるので、まず明治神宮へ寄ってみる。ここには桜は一本もないのだが、東京に来て四半世紀になるのにまだ明治神宮には一度も足を踏み入れていないことに気が付いたのだ。今日は大安に当たるらしく、赤ちゃんを連れたお宮参りの人たちもいれば、結婚式を挙げているカップルもいる。

明治神宮の南参道から大鳥居に向う途中に、右の写真のような立て札がある。「この地には代々樅の大木が育ち、『代々木』という地名が生まれました。この前の名木『代々木』は昭和20年5月の戦火で惜しくも焼失しましたのでその後植え継いだものであります。」

神戸生まれ、神戸育ちの妻が、初めて東京生活を始めた1981年に、税理士登録をしようと東京税理士会に行こうとして、最寄り駅の代々木までどの電車に乗ればいいのか分からなかった。「代々木」の読み方を知らない妻は、駅員に「ダイダイギってどう行けばいいの?」と訪ね、駅員は暫く首をひねっていたという。この話は、その後何度も笑い話として出るのだが、この立て札を読んだ妻は、わが意を得たりと胸を張った。「代々の木だから代々木。だったらダイダイギで正しいんじゃないの。」

さて代々木公園だが、こちらは本当に大変な人出だ。原宿駅近くの入り口からかなり歩かないと桜は咲いていないのだが、桜のないところでも芝生にシートを広げて宴をしているグループも多い。おそらく桜の下には席が取れなかったのだろう。トイレには男女とも長い行列ができている。

桜のあるあたりにたどり着くと、思っていた通り満開の花の下でたくさんのグループが集っている。代々木公園と言う場所柄だろうか、外国人が結構目に付く。日本人グループの中に一人あるいは数人の外国人が混じっているだけでなく、外国人だけのグループがブルーシートを広げていたりする。花見と言う行事が彼らの間にも定着してきているのだろうか。われわれも池のほとりのベンチに腰を下ろし、買って来たおにぎりとおはぎで簡単な昼食にする。

こう言っては代々木公園の桜に気の毒かもしれない。綺麗に咲いていることは確かなのだが、人出の多さに較べると何となく物足りないような気がする。去年、わが家から少し足を伸ばしたところにある神田川沿いの桜の方が、期待しないで見に行った分だけ満足度も大きかったように思ってしまう。

帰り道、原宿駅の改札はものすごい人で埋まっている。これではなかなか入れそうもないので、代々木よりの改札に回ろうとして、ついでに竹下通りを覗いてみたら、ここも右の写真のようにずっと先まで人で埋め尽くされている。桜に酔うより人に酔ってしまった一日。

朝の通勤ラッシュでもこれほどではないような混雑の中、やっと山手線に乗って新宿に戻る。まだ腰痛が完全には治らず、コルセットに頼っている身としては少し疲れた。やや早めだが、小田急ハルク地下の「銀座ハゲ天」で天麩羅の夕食。
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March 28, 2008 =Fri=

第二次大戦末期の沖縄で起きた集団自決に関する、大江健三郎さんの「沖縄ノート」の記述に対して、座間味島などの守備隊長だった人たちが「名誉毀損」と訴えた訴訟に、大阪地裁は「軍の関与」を明確に認め、原告の訴えをすべて棄却した。当然の判決だが、この訴訟を理由に教科書から集団自決に関する記述を削除させようとした文部科学省の歴史改竄指向も否定されたことになる。語り継がれ、伝えられるべき歴史の真実に対して、この国の政府はなぜ国民の目を逸らせようとばかりするのだろうか。

高校時代に「死者の奢り」を読んで以来の大江文学の愛読者だが、右よりの連中の中には戦後民主主義の原点とも言えるノーベル賞作家を忌避しようとする勢力がある。もう10年以上前のことだが、妻が市会議員選挙に初めて立候補した時のこと、支援者の一人がある宗教団体を紹介してくれた。その団体の本部に向うバスに夫婦で同乗してくれればバスの中で信者たちに候補者を紹介すると言う。その宗教団体は名前は以前から聞いたことがあったが、教義なども知らず、興味もなかったので気が進まなかったものの、支援者の顔も立てなくてはならずバスに同乗した。バスには世話役のような人がいて、いろんな話をしていたのだが、何の脈絡もなく突然、大江さんの批判を始めた。その年はノーベル文学賞受賞の翌年だったかと思うが、日本政府が大江さんに文化勲章を贈ることを決めたのに対して、大江さんは受章を辞退した。世話人は外国の賞は受けて日本の賞を拒否すると批判したのだが、私は大江さんのそれまでの言動から見て受章辞退は極めて自然な流れと思っていた。思わず反論しようと思ったが、どうやらその宗教団体自体の思想が大江さんとは相容れないものであったことが底流にあると推測され、選挙のために参加したこちらの立場も考えてじっと我慢したことを、今になっても悔しい気持ちで思い出す。
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March 26, 2008 =Wed=

地下鉄神保町の階段を上がると共立女子大の前の桜も満開だった。その隣、共立講堂で瀬戸内寂聴尼の講演会がある。題は「私の源氏物語」。今年は紫式部によって源氏物語が書かれて1000年にあたるとのことで、京都を中心に「源氏物語千年紀」が行われ、源氏物語の現代語訳を出している寂聴尼も各地で講演を行っているそうだ。今日の主催は東京商工会議所で、会議所会員である妻のところに案内が来たので申し込んだ次第。約2600席ある共立講堂は満員で、立ち見はもちろん、会場に入れずにスピーカーを通して聴く人が出るほどの盛況。源氏物語の現代語訳は、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子等によって行われたが、寂聴尼はまず与謝野源氏によってこの世界に魅せられたといいう。尼によれば、与謝野源氏は面白くないところは飛ばして読みやすいが、高名な歌人だけあって和歌の部分は解説しなくても当然分かるはずだと言う前提で訳しているという。一方、谷崎源氏は東大出の優秀な文学者だけあって、原文に忠実かつ流麗な文章であり、その分膨大で読破するのにエネルギーを要する。円地訳は原文にないセックス場面などを創作して付け加えるなど、翻案部分もあるそうだ。尼は、円地が現代語訳の作業をしているのに立ち会っているが、自らの現代語訳は大先輩である円地からクレームがつかぬよう、円地の死後に作業、発表した。私も寂聴訳の源氏物語は立ち読みでページをめくった程度だが、青空文庫で読める与謝野源氏と較べてもはるかに読みやすい。今は文庫版も出ているので、時間が取れるようになったら一度通読してみたい。(時間が取れるようになったら読んでみたいという本がいくつもあって困るのだが。)寂聴尼が外国記者クラブで講演をした際、外国人記者から「われわれは日本に派遣されることに決まった時、源氏物語を読まないと日本人の心情が理解できないと言われ、赴任前に懸命になって源氏物語(Arthur Waley訳"The Tale of Genji")を読んだのに、日本に来てインテリジェンスのある人たちと話をしても源氏物語を読んだと言う人が一人もいないのは何故か?」と聞かれて返答に困ったのだそうだ。
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March 25, 2008 =Tue=

わが家の回りには緑が少なく、今の季節の主役である桜も少ないのだが、大久保駅に行く途中、一本だけ桜の木がある。いつもそこを通るわけではなく、信号の関係でその木を眺めることなく通り過ぎることもある。今朝、出勤途上に気が付いたのだが、その僅か一本の木の桜が満開になっていた。昨日は別のルートを通ったのか、桜には気が付かなかったのだが、ここ二三日で開花したらしい。いよいよ本格的に春がやってきた。

そういえば3月もあと数日で終わる。わが家の前の道路拡張工事もいよいよ最後の追い込みに来ているらしい。おそらく年度の関係で今月中に完成させる必要があるのだろう。以前は狭い通りだった通称「税務署通り」だが、半年前に最後まで居座っていた数軒の家が撤去されてから、本格的な拡張工事が始まっていた。道路拡張と言っても、単に道幅を広げるだけでなく、電線を地中化したりガスや水道の配管を新しくしたりと結構大変な工事になる。新しい道路はかなり広く、何車線の道路になるのかと思っていたら、結局車道は片道2車線、往復4車線だった。その代わり歩道部分が植え込みも含めてやたらに広く、歩道の幅は5メートルくらいあるだろうか。我が家の建物自体が3メートルほどセットバックしているのでなお更広く感じる。おそらく他のところで既存建物の関係で狭くなっているところがあるため、車道が片道2車線以上にはならないのだろう。
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March 24, 2008 =Mon=

ちょっと変わったものを食べた。インド料理店でのカレー鍋。わが家の近くで、西新宿保健センターの信号を東に入ったところにあるHATTIと言う店。ここにはこれまでも二三度来ている。ビルの一階で、このビルの持ち主である元畳屋さんが畳問屋をやっていたところを借りた店で、畳屋さんだけあって天井も高いので、夜にインドの屋外で街灯の下で食事をする雰囲気の内装になっている。その店が冬季限定で始めたという鍋料理を薦められた。本来は冬季限定でもう終わっているはずだったのが、テレビで紹介されて予約がいっぱいになり、その後も細々とではあるが5月くらいまで予約が入っているので、止めるに止められなくなったのだという。「こんな鍋料理ってインドでもあるの?」「ありませんよ。彼らは手で食べる食文化はあっても、箸で鍋をつつくなんて習慣はありません。」ということで、店のオリジナルらしいが、内容は日本の鍋というよりまったくのインド風。鍋にサラダオイルを入れ、それにクミンシードスパイスや大蒜を加え、馴染ませたところにカレースープを入れる。器に入ったチキンとマトンのそれぞれミンチ肉をつみれのような団子にしていれる。それにキャベツ、玉ねぎ、ナス、オクラ、ポテトなどの野菜、さらにタンドリーチキンなども入れる。「野菜でもレタスとクレソンだけは入れたらすぐにあげてください。」後は雑炊まで付いているが、これも日本の鍋とは全く違ってチーズやアーモンドスライスなどが入る。

もう一つ勉強になったことがある。といってもマスターの話が本当だとしてのことだが。カブリナンという、ナッツやレーズンの入った甘いナンを出してきてくれた。このカブリナンの語源だが、マスターによれば(アフガニスタンの首都である)カブールのナンという意味なのだという。ナンといえばインド料理で出てくる、あの一方がぐーーんと伸びたやつを思い浮かべるが、もともとナンはアフガニスタンに起源があり、本来は円形なのだそうだ。円形のナンはしゃがんで焼いていたのだが、それでは疲れるので立って焼けるような窯が考え出された。その窯から今のナンの形がうまれたとのこと。
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March 21, 2008 =Fri=

今日は休みの予定だったが、いま関与しているプロジェクトのパートナーM社の東京事務所で打ち合わせがあり、その東京事務所というのがわが家から徒歩3分という距離にあるので、午前中これに出席。午前中で終わったので本社から出席していたY君を誘って大久保のトルコ料理店HISARでランチ。「今日はこれから会社に出ます?」と聞くので、「いや、今日は歌舞伎を見に行く予定だから。」Y君は上智のラグビー部の出身だが、彼の先輩で大学を出てから関西歌舞伎の役者になった人がいるという。ラグビーの猛者が女形を演じている姿は想像しにくいのだが。

今日の歌舞伎を見に行こうと思ったのは1月下旬。テレビで3月公演は市川団十郎と坂田藤十郎という東西人気役者の共演と知り、これは是非と思った。歌舞伎は初めてなので、ネットで調べてみたら予約開始は2月中旬から。「歌舞伎会」の会員になれば一般より一日早く予約が取れるというので、まずこれに入会した。予約開始と同時にネットで申し込み、席を確保したが、そんなに慌てなくても席はとれたようだ。一等席15,000円。

夜の部は4時半開演だが、入場できるのは4時頃になる。隣接の歌舞伎茶屋で幕間に食べる弁当を買う。歌舞伎茶屋と入り口の間に大勢の人が列を作っているが、これは一幕見席(四階にある自由席で、昔は立見席と言ったが、今は椅子席もあるのでこのように呼ぶそうだ。)の列。旅行者らしい外国人も多い。昼の部が終わり、正面玄関からいっせいに観客が出てくる。多くが地下鉄東銀座駅へ向うので、地下鉄の入り口が人で溢れるが、その人波が引いた頃、夜の部の入場となる。開演まで少し間があるので、座席に荷物を置いたまま売店を冷やかしてみる。職人が人形焼を焼きながら売っていたりする。650円払ってイヤホンガイドを借りる。

今夜の演目の最初は「鈴が森」。白井権八を中村芝翫、幡随院長兵衛を中村富十郎が演じる。二人とも人間国宝だ。芝翫は雲助たち相手に立ち回りを演じるが、富十郎は後半になって花道から駕籠に乗って登場し、例の「お若えの、お待ちやせえやし。」「待てとおとどめなされしは、・・・」となる。白井権八、幡随院長兵衛ともに実在の人物だが、イヤホンガイドによると二人の生きた時代は異なり、このような会話を交わすことなどあり得ない。二人とも江戸庶民の人気者であったから、「松阪を長島、王と対戦させたい。」「白鵬と双葉山の取り組みを見たい。」といった庶民の希望を鶴屋南北が実現させた。因みに「鈴ヶ森」の舞台は、真ん中に「南無妙法蓮華経」と彫られた大きな石碑が建っているほかは藪だけの殺風景な刑場だが、本当はこの石碑もずっと後の時代になって建てられたもので、時代考証という点では滅茶苦茶だが、歌舞伎とはそんなことは気にしないものだとのこと。なお、富十郎は1926年の生まれで、66歳の時に33歳の女性と結婚し、69歳で長男、74歳で長女をもうけている。芝翫も1928年の生まれ。

今日の目玉は「坂田藤十郎喜寿記念」と銘打った「京鹿子娘道成寺」。幕が開くと背景は紅白の祝い幕、中央やや右手に天井から大きな鐘が吊るされている。花道から大勢の所化(修行僧)たちが「聞いたか聞いたか」「聞いたぞ聞いたぞ」と登場してくる。娘道成寺は安珍清姫伝説の後日談で、大蛇に化身した清姫の怨念が、中に隠れた安珍ともども道成寺の鐘を焼き尽くしたため、寺には暫く鐘がなかったが、ようやく新しい鐘ができたので、鐘供養が行われる。所化の中に一人幼い子供が混じっている。藤十郎の孫の中村虎之介だ。それだけではない。藤十郎の長男の翫雀とその長男の壱太郎、藤十郎の次男で虎之介の父である扇雀も所化として出ている。そこへ花道から山城屋坂田藤十郎の白拍子花子が登場する。時々鐘の方に目をやりながら舞う姿は、喜寿の老人とは思えない。所化と奇妙な問答を交わし、一端舞台下手に下がり、烏帽子をつけて再び登場したあとは、ほとんど藤十郎の一人舞台。後見の介助で舞台の上で一瞬のうちに衣装を変える「引き抜き」などの技法を織り込んだ踊りは実に艶やか。やがて花子は本性を現し鐘の中に入ってしまう。捕り手たちが現れて「とうづくし」というテレビCMなどを織り込んだコミカルな自己紹介の後、鐘を引き上げるとそこには花子が変身した蛇体が。花道から紅筋隈を施し、大青竹を抱えた成田屋市川團十郎の大館左馬五郎が登場し、藤十郎との間での「押戻」がクライマックスとなる。われわれの席はちょうど花道から本舞台にかかるあたりなので、この場面はすごく迫力があった。なお、藤十郎の踊りの中で客席に手拭を投げ込む場面があり、その後サービスで所化がさらに手拭を投げるが、その一つを見事にキャッチした。

三つ目の演目は「江戸育お祭佐七」。佐七は尾上菊五郎、芸者小糸が中村時蔵。今日の舞台には芝翫、富十郎、藤十郎、菊五郎と四人の人間国宝が出ているが、70代後半の三人にくらべ、菊五郎は私より年下だ。描かれているのが神田明神のお祭りで、舞台は現在の神田須田町から淡路町にかけてだから、私の以前のオフィスのあたりということになる。「鈴ヶ森」「娘道成寺」に比べてストーリーがはっきりしているだけに、廻り舞台を活用して場面展開も多い。一本気な鳶職の佐七と小糸は互いに惹かれ合っているものの、芸者である小糸は加賀藩の侍に買われている。嫌いな侍の元から逃げ出した小糸を佐七は自分の家に匿い、夫婦気取りとなるが、小糸の強欲な養母は佐七の親方に泣きつき、騙して小糸を連れ戻す。佐七にとって加賀藩の供頭が親の敵であることを聞きつけた養母は、二人を別れさせるために一計を案じ、小糸の実の父は加賀藩の供頭だと告げる。会いに来た佐七に、小糸は自分が佐七の親の敵の娘だと分かり、これ以上一緒にはいられないというが、佐七は自分と別れたいがための口実と激昂する。その場は引き下がるものの、可愛さ余って憎さ百倍の佐七はお堀端で小糸を見つけ、持っていた包丁で刺す。小糸が読んでほしいと訴えていた手紙に目を通した佐七は、小糸が自害しようとしていたことを知り、慌てて抱き起こすが、小糸は既に息絶えていた。

テレビではなく歌舞伎座で見るのは初めてだが、やはり本物は違う。歌舞伎では人気俳優が登場したり所作が決まったタイミングで、よく大向こうから声がかかる。どんな人が声をかけるのだろうと思っていたが、今日も「成駒屋!」「天王寺屋!」「山城屋!」「音羽屋!」と声がかかっていたが、一番多く声をかけていたのは私の席(2列目)の真後ろの人だった。
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March 20, 2008 =Thu=

米国によるイラク戦争開戦から今日でちょうど5年になる。5年前のこの日、オーストラリア出張から帰る飛行機の中で、スチュワーデスが席に来て、「機長からお知らせすることがございます。」と囁いた。何だろうと思ったら、「先ほど、米軍がバグダッドを攻撃し、戦争が始まりました。」その一週間ほど前、出張先のオフィスから見下ろすシドニーのオペラハウスの屋根に、"NO WAR"のペンキ文字が書かれた。アメリカ、イギリスと共に対イラク主戦論の先鋒であったオーストリアのハワード政権に対する抗議だった。

あれから5年、ブッシュは宿敵フセインを捕らえ、処刑することには成功したが、戦争の大義とされていた大量破壊兵器は最初からイラクに存在しなかったことが明らかになった。この大義なき戦いで死亡した米軍関係者は4000人近くに昇り、9/11におけるWTCとペンタゴンでの犠牲者約3000人をはるかに上回った。イラク人の死者は8万人を超えたと言われ、そのほとんどが罪もない一般市民だ。米軍占領下のイラクはシーア派とスンニ派の宗派対立で泥沼化し、テロが後を絶たない。ブッシュに追随した各国首脳たちも、ハワードは昨年の選挙で現職首相でありながら議席を失い、彼が率いる保守連合は労働党に政権を明け渡した。英国のブレアも日本の小泉も表舞台を去り、一人残ったブッシュも今年11月の大統領選、来年1月の任期満了を前にレイムダックとなっている。

この大統領は、もう心はホワイトハウスにはなく故郷テキサスが懐かしいらしい。記者団とのパーティで、カウボーイハットを被った大統領は「思い出のグリーングラス(Green Green Grass of Home)」のメロディに乗せて替え歌を歌ったそうだ。

To the tune of "Green Green Grass of Home," Bush sang about his life ahead — on the ranch, with his dog, and without the meddlesome media around.

"As I step down from the plane and there to meet me is my mama and my papa, down the lane I look and here comes Barney, heart of gold and breath like honey," Bush sang.

"Yes, you're gonna miss me, the way you used to quiz me," he sang to the reporters. "It's good to touch the brown brown grass of home."
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March 16, 2008 =Sun=

今回の旭川行きの目的は息子と1年ぶりに会って話をすることだが、昨日でその目的は果たしてしまったものの、時間変更のできない格安チケットなので今夜8時20分旭川発のJAL便まで丸一日ある。旭山動物園の入場券もセットされているのだが、動物園は前に行っているし、椎間板ヘルニアを抱えた身ではあの広い動物園を歩き回るのは心許ない。夏なら富良野あたりをドライブするのもいいのだが、この季節では雪道しかない。ホテルのチェックアウトタイムは11時。どうやって時間を潰そうかと困ったが、このホテルのレストランのランチとスパをセットしたメニューがあり、2200円のスパ料金と1500円のランチが合わせて2000円という。そこでチェックアウトタイムぎりぎりまで部屋にいて、ロビーで新聞を読んだりインターネットで時間を潰し、最上階のイタリアンレストランでランチにした。さすが最上階は見晴らしがよく、すぐ近くの常盤ロータリー、常盤公園、石狩川にかかる旭橋などが一望できる。先週までは町中が雪に覆われていたが、今週に入って気温が上がり、主要な道路では雪はほとんど溶けている。今日の最低気温は零度。最高気温は7度くらいになる。だが、このまま春になるわけではなく、4月にかけてまだ雪が降るのだそうだ。ゆっくりじかんをかけてランチを済ませ、またゆっくり時間をかけてスパでくつろぐ。ドライサウナ、ミストサウナ、ジャグジー、水風呂など。ゆっくりしすぎたせいで、本でも読もうと思ってラウンジに入ったときは、夕食と空港への出発時間までに1時間もなかった。夕食はこれまた息子のお気に入りの、ネタがとてもいいという回転寿司。ベスト電器とマックスバリュのショッピングセンターに併設されているのだが、着いてみると大変な人気で席が空くまで30分ほど待たなければならなかった。
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March 15, 2008 =Sat=

旭川上空は曇っていて地上の様子は見えなかったが、滑走路に滑り込むと回りは単色の世界だった。昨日は会社に出勤し、会議で品川まで行ったが、椎間板ヘルニアの方は何とか我慢できる程度だったので、今日は前から予定していたとおり、息子のいる旭川にやってきた。羽田から旭川まで、正規料金だと片道だけで38,300円もするが、旅行者のパッケージ料金で往復の航空券と旭川のホテル一泊、それに旭山動物園の入場券が付いて33,000円。ただし、飛行機の時間が朝一番の出発で帰りは最終便。割引チケットなので便の変更が利かないし、マイレージも片道しか登録できない。息子のアパートに寄り、その後ホテルにチェックインして、ホテルのレストランで食事をしながら話をする。個室なので落ち着いて話ができたが、その分ゆっくりしすぎて3時まで話し込んでいた。夕食までホテルのスパで時間を過ごし、夕食には息子がお勧めのすき焼き三光舎。創業が大正6(1917)年という老舗だ。割り下に練った味噌を入れるのが特徴らしい。1917年といえば、現在は35万人余りの旭川の人口が、まだ6万人余りだった頃だ。泊まったのは一昨年の8月に来た時と同じ。だが、そのときは旭川パレスホテルという名だったが、去年名前が変わってロワジールホテル旭川となっている。
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March 13, 2008 =Thu=

今週は月曜日に出社したが、先週来の椎間板ヘルニアが悪化したのか、会議で丸の内から品川まで往復するのが辛かった。電車で座っている間はほとんど何ともないのだが、少し長く歩いたり立ち続けたりすると痛みが来る。帰宅するのに新宿駅から自宅まで10分余りの道がこんなに遠く感じたのは初めてだった。左脚がずきずき痛み、道端に座り込みたくなるのを何とか我慢しながら自宅にたどり着く。エレベータを待つ間も辛い。ようやく自宅の扉を開け、ソファに倒れこむ。

火曜日は特に急ぎの仕事もないので会社を休み、先週と同じ外科医院に行って診てもらう。脚を上げたりつま先を押したりしたが、それだけでは痛みも出てこない。念のためMRIとX線写真のコピーを貰う。椎間板ヘルニアというよりも椎管狭窄症というとの診断で、前よりも強い薬を処方してもらったが、今日に至るも余り良くならない。

痛みは炎症から来るのだろうから、今日は一日中安静にしていた。だが、何もしないでいるというのは貧乏性の性格か、どうしてもできない。そこで、今読んでいる"Confession of an Economic Hit Man"の翻訳を試みる。いつも読むのは通勤電車の中だから、分からない単語があっても大体の意味が分かれば読み飛ばしてしまう。それを最初に戻って辞書ソフトとWordを立ち上げ、本を広げて訳文をWordに書き込んでいく。この本、翻訳本はもう出ているのだから、いまさら訳す意味はないのだが、だんだん錆びついていく英語読解と文章能力のブラッシュアップにはなるだろう。
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March 9, 2008 =Sun=

私が通っている、新宿住友ビルのスポーツクラブは今月末で閉店となる。2月まで会員を続けた場合、3月分の会費は無料にするとの琴だから、今ここに来ている人たちは原則として無料会員ということになる。だが、さすがに閉店を控えて会員たちは櫛の歯を引くように減っていっているらしく、今日などプールもサウナもとても空いていた。そろそろ代わりのクラブの入会申し込みをしなければ・・・。
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March 7, 2008 =Fri=

午後から仕事で取引先の工場へ。新幹線で小田原まで行き、小田急で新松田まで戻る。そこからタクシーなのだが、タクシー乗り場には何人かの先客が並んでいる。同行者によると、こんな時間、タクシー乗り場に人待ちができるのは珍しいらしい。原因は近くに掲げられた看板で判明する。「松田さくら祭り」・・この近くの公園に、早咲きの桜260本があって、ちょうど満開を迎えている。本当は今週いっぱいなのだが、気温の低い日が続いて開花が遅れたため、一週間延長するらしい。
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March 6, 2008 =Thu=

わが家のリビングルームのTVは、いまだにブラウン管式だ。そして数年前にこのTVを買ったとき、それまで使っていた旧いTVは、妻の寝室兼書斎のデスクの上に乗っている。カラーTVをそんなに近くで見ると目によくないからよせと言っていたのだが、捨てるのももったいないからとアドバイスに耳を貸さなかった。だが最近になって、どうも目があまり調子よくないのと、良性ではあるが喉に腫れもののできる橋本病と診断されたこともあり、TVを至近距離で観ているのが原因ではないかと思うようになった。そこで考えたのは、妻のパソコンにTVチューナーをつけて、パソコン画面でTVを見るようにすれば、ブラウン管を至近距離に置くよりはいいのではないかということ。で、さっそくビックカメラに行ってチューナーを買ってきた。

TVをパソコンモニターで観るには、エンコードという作業が必要だが、このエンコードをチューナーに組み込んだハードウェアでやるか、それともソフトウェアでやるかによってチューナーの値段が違ってくる。ソフトウェアエンコードならチューナーは1万円未満であるが、ハードウェア方式だともっと高くなる。妻のパソコンは性能が低く、ただでさえ動きが遅いので、ソフトウェア方式ではパソコン本体に負担がかかり、上手く作動しないかもしれないので、多少高くてもハードウェア方式を選ぶ。だが、買って帰ってからパソコンにセットするのが一苦労。あまり周辺機器はつないでいないとはいえ、パソコンの裏側は電源コードやUSBケーブルなどが複雑に絡み合っている。ブラウン管式TVから引っこ抜いたアンテナケーブルをチューナーに差込み、USBでパソコンにつなぐ。パソコンの裏側は暗いので、USBの空きがどこにあるのか探し当てるだけでも大変だ。だが、ソフトウェアを組み込み、チューナーの電源を入れると案外簡単にTV画面が出てくる。TVの視聴だけでなく、ハードディスクに録画することもできるし、メールチェックなどパソコンを使いながらTVを観ることもできる。

妻もこのパソコンモニターでのTVに満足したらしいが、後一つ問題が残っている。今まで使っていたブラウン管TVの処分だ。重たいTVを抱え上げ、何とか玄関まで持ってきたが、ブラウン管TVは家電リサイクル法の対象になっており、簡単に処分できないはずだ。これから処分方法を調べなければならない。
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March 5, 2008 =Wed=

椎間板ヘルニア、つまりぎっくり腰は以前から持病みたいなもの。だがここ二三日、左足が付け根から足首にかけて軽い痺れが走るようになってきて、これはひょっとするとやばいのではと思い始めた。そこで近所の外科病院に行く。この病院では昨年4月に同じ椎間板ヘルニアでMRIを撮り、神経の圧迫を抑える薬とコルセットをもらい、そのうち症状が治まったので通院しなくなっていた。今日もX線とMRIを撮る。MRIは、機械の中に入って20分ほどじっとしていなければならないのだが、10分もするとうとうととしてしまう。結果はすぐに出て、去年のMRIから進行している様子はないらしい。それで今回も薬をもらうだけで、暫く様子を見ることになる。

いったん家に帰って、出かける支度をする。今晩は神田で「松戸会」の会合。常連メンバーのYさんが、やはり椎間板ヘルニアの悪化で欠席。この会のメンバーも高齢化する一方だから、だんだん身体の不調での欠席者が多くなる。
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Maruch 4, 2008 =Tue=

先月25日の続きで、今日もリサイクル工場を訪ねる。今日は東西線の行徳にある工場。どうもこの方面は土地勘が無いので、工場に向うタクシーの中で、同行者に「このあたりも市川になるの?」と聞いたら「ここは東京都ですよ。江戸川区。」と言われて頭をかく。江戸川を渡るまでは東京都なのだ。この工場で作っているのは、産業廃棄物のプラスチックを利用した燃料用のペレット。石炭と一緒に燃やすのだが、プラスチックだけだと石炭よりカロリーが高くなってしまうので、布団や畳などを混ぜて使うのだそうだ。
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March 1, 2008 =Sat=

一昨日、「梅の香り」なんてことを書いたせいか、梅を見てみたくなって、今日は昼過ぎから小石川後楽園に出かけた。家を出てから新宿西口で地下鉄大江戸線に乗り、飯田橋で降りて後楽園に入るまで、30分もかからない。だが、この後楽園に来たのも今日が初めてだ。入園料は300円だが、われわれはシニア料金の150円となる。園内は適度の人出だ。ここはむかし水戸徳川家の上屋敷であり、二代水戸光圀の時代に完成した庭園。入り口のところに衣桁のようなものがあって、水戸黄門(光圀)の衣装がかけてある。それを自由に羽織って写真を撮るという仕組み。ご丁寧に頭巾や杖まで揃っている。野外ステージからは琴と尺八の音が流れている。広大な園内には神田上水から引いた川もあり、大きな錦鯉が泳いでいる。梅は紅梅、白梅ともに満開。足許を見ると福寿草も小さな花を開いている。一回りしたら少し休みたくなって、園内の涵徳亭にはいる。昼過ぎで少し混んでいたが、窓際の席がとれた。抹茶と和菓子で一服する。

後楽園を出て、再び大江戸線に乗って上野御徒町で降りる。大江戸線の駅は地下深い位置にあって階段やエスカレータをいくつも登らなければならないことが多いが、この駅はかなり地表に近い。地上に出ると、春日通の角に上野広小路亭の寄席がある。一階が安売り衣料店のビルの2階にある寄席は、10年くらい前にできた新しいものらしく、若手落語家や芸人の発表の場になっているらしい。

その湯島通りを5分ほど歩くと、湯島天神(天満宮)がある。ここも梅の名所で、ちょうど「梅まつり」の最中だ。境内に入ると、同じ梅の名所と言っても小石川後楽園よりずっと狭いだけあって、人の数ははるかに多く感じる。ちょうど受験シーズンでもあり、合格祈願の絵馬が山なりに吊るされたその上に、紅梅、白梅が咲いている。本殿の前には合格祈願だろうか、参詣客の列ができている。

ここも訪れたのは初めてだが、泉鏡花の「婦系図」の舞台であることくらいは知っている。だが、実は昨日ネットで調べるまで、御茶ノ水にある湯島聖堂とこの湯島天神をごっちゃにしていた。調べなければ、御茶ノ水駅から聖橋を渡って湯島聖堂に行くところだった。だが、ここが「婦系図」の舞台と書いたが、実は「婦系図」には湯島の湯の字も出てこない。後に泉鏡花自身が「湯島の境内」という戯曲を書き、有名な「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉。いっそ死ねと・・」という台詞も「湯島の境内」に出てくる。

湯島天神の梅まつりは明日が最終日らしい。ここの梅は十分開いている花もあるが、まだ蕾のものもある。木の種類によって咲く時期も違うのだろうか。境内にしつらえられた舞台では、法被を着た若い女性たちによる湯島白梅太鼓の演奏が終盤を迎えている。今日は昨日と違って風邪が北よりになり、陽射しも鈍いので、そろそろ寒くなってきた。

湯島天神の境内を出て、湯島通りに掲げられた地図を見ると、すぐ近くに旧岩崎邸があるので寄ってみることにした。正門に着いたのが4時半。5時が閉園なので30分しかないが入場券を買って入る。ここもシニア料金が適用される。御茶ノ水のニコライ堂や品川の開東閣と同じ、ジョサイア・コンドルの設計による洋館は現代の水準から言っても贅を凝らしたもの。ここは岩崎弥太郎から数えて三代目の久弥の住居だったところで、久弥は9人家族で使用人は60人を超えていたという。てっきり三菱財団が所有・管理しているのかと思ったが、国の所有で重要文化財に指定されているそうだ。

夕食はネットで見つけた湯島121という店を予約していたが、予約時間は7時。岩崎邸を6時に出て、不忍池あたりを歩いて時間を潰そうと思ったが、歩いているうちに寒さが強くなってきたので、電話をして一時間繰り上げてもらった。千代田線湯島駅から上野広小路に向けた湯島通りを二つ目の角を右に入り、さらに二つ目の角。昨年12月にオープンしたばかりの店だが、民家を改造し、何処かの神社から運んできた古材を使った内装はかなり凝っている。料理も美味しいが、調理場が間に合わないのか、料理と料理の間隔が開きすぎるのが少し減点。
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