Diary


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April 27, 2008 =Sun=

今月初めに麹町の公務員宿舎で美味しい手打ち蕎麦を食べに連れて行っていただいたHさんから、今度は自宅近くに美味しい焼肉屋があるからと誘われ、大江戸線で麻布十番へ。行列のできる店とかで、早い時間でないと予約していても取り消されることもあるので、5時半のスタート。店の名はそのものずばりの「焼肉苑」。わが家の近くも韓国焼肉店などの本場だが、この麻布十番も焼肉店が多い。真っ赤に熱した炭火コンロにかけた網に、かなり厚い肉片を載せて焼く。三人で上カルビ6人前、タン塩2人前を平らげる。8時過ぎに店を出たときには、地下にある店に下りる階段に、本当に長い行列ができていた。それも土地柄か、並んでいる人たちの3分の2は欧米人だった。
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April 26, 2008 =Sat=

娘のところの双子の孫が、今日ちょうど満一歳の誕生日を迎えた。残念なことに娘の夫はこのところ仕事が忙しいらしく連日出張先で泊り込みで、帰ってくるのは今日遅い時間になる。それでも何とか子供たちの誕生日にはぎりぎり家に帰り着きたいらしい。明日は、夫とその実家の人たちで誕生日のお祝いをするというので、われわれは夫婦と娘とで今日、内輪のバースディパーティをすることにした。といっても、妻は昨夜から娘のところに泊り込んで孫たちの面倒を見ている(娘の夫が留守の時は、時々こうしてやらないと、双子に交互に起こされて娘が不眠に陥ってしまうのだ。)から、今日は私がバースディケーキを見繕って持って行くことになった。

アルバムを繰ってみると、息子の満一歳の誕生日にはバースディケーキを前にした彼の姿が映っているので、バースディケーキを買ったのはたぶんそのときが最終だろう。娘は一歳の誕生日はギリシャで迎えている。ギリシャ滞在中には、息子や娘の誕生日になると、その頃は専業主婦だった妻が手作りでバースディケーキを焼いていた。で、バースディケーキなんてどこで買うのがいいのか分からなかったが、今はインターネットと言う便利なものがある。「バースディケーキ」「新宿」と入れて検索すると、まさにズバリ、「新宿でバースディケーキを買うのはどこがいいか?」という質問に何人かの人が答えている掲示板がヒットした。それによると伊勢丹の地下にあるC(シーキューブ)というお菓子屋さんが評判がいいらしい。伊勢丹なら新宿三丁目から都営新宿線に乗れば娘の最寄り駅である市谷まですぐだ。さっそくCに行ってケーキのチョコレート板にメッセージと名前を入れてもらう。双子だからチョコ板も2枚になる。

一歳を迎えた双子の孫、Y君とS君も、だんだん個性を明らかにし始めている。母親の胎内から1分だけ遅くこの世に誕生したS君は、行動がすばやく、今ではリビングルームの端から端まで自力でよちよちと歩くことができるようになった。非常に愛嬌があり、機嫌さえ良ければ誰にも愛想良く笑いかけるし、そばに行くと纏わり付いてくる。離乳食を食べさせると、本当は食べたくなくてもスプーンが口のそばに来れば条件反射的に口を開くので食べさせやすい。これに対して兄のY君は対照的だ。笑顔は見せるがS君のように誰にでもと言うわけではない。S君が大人に纏わり付いているときでも、気にせずクールに一人で遊んでいたりする。自力で立つことはできるが、歩くのはこれからだ。離乳食が気に入らないと、口を固く閉ざしてスプーンを受け入れようとしない。その分、食べる量が少なく、娘は成長がアンバランスになるのではと気を揉んでいる。行動の敏捷さとは裏腹に、S君が遊んでいる玩具をY君が黙って取り上げ、S君が泣きべそをかく様子が時々見られる。やはり1分差の兄貴分の貫禄があるらしい。
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April 25, 2008 =Fri=

フロッピーディスクの処分は一応峠を越えたが、今度はZipディスクだ。今のパソコンにはフロッピーディスクドライブは搭載されているが、Zipは外付けドライブがないとデータの中身を確かめたりハードディスクに移すことができない。CD-RやUSBメモリーが普及した現在、ZipドライブやZipメディアはほとんど姿を消しているが、1.44MBしか記録できないフロッピーディスクしかなかった時代に、100MB(後に250MB)まで記録できるZipは可搬媒体としてとてもありがたい存在だった。20枚くらいあるZipメディアの内容を残すため、Zipドライブがないと困ると探したところ、ケーブル類を突っ込んでいた段ボール箱の奥のほうにあるのが見つかった。電源ケーブルは付いているが、USBケーブルはない。USBケーブルなら先日旧いものは処分したが新しいのなら残してある。それを使おうとして「あっ」と思った。USBケーブルは、パソコン側の端子(A端子)は同じでも、デバイス側(B端子)は普通のB端子とミニB端子という小型のものとがある。ミニB端子はデジカメなどの小型機器用なのだが、先日処分した旧いケーブルはみんな普通のB端子で、残ったのはすべてミニB端子のものだった。Zipドライブは普通のB端子なので、昨日捨てたのと同じケーブルをビックカメラで580円出して買う羽目になった。

今晩は妻が娘のところに泊まりこむという。娘の夫が出張で不在のとき、双子の面倒で疲れた娘を休ませるため、ときどき泊まって夜の面倒を見てやっているのだ。まだ少し風邪気味なので、スポーツクラブのサウナにだけ入ってから、久しぶりに大久保のトルコ料理店「ヒサル」に行く。店長のコヤスさんの勧めで、オスマンさん特製の「マントゥ」をいただく。1日2食限定(?)の裏メニューだそうだ。名前の通り中国からトルコに伝わった水餃子のようなもの。とても美味しく、表に出したら人気メニューになるだろう。コヤスさんは7月からまたインドへ、今度は向こうのヴァラナシとかいう町の大学に留学するそうだ。彼女の不在の間、代理を務めるミホさんは東アフリカの民族布「カンガ」などを紹介する仕事だとか。
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April 23, 2008 =Wed=

昨日からなんだか猛烈に鼻水が出るようになった。多少熱っぽいので風邪を引いたのかなと思うが、もしかすると花粉症デビューかもしれない。スギ花粉は盛りを過ぎたが、今はヒノキ花粉のシーズンなのだそうだ。今日は休みの日だがスポーツクラブへ行くのはやめて、一日中例のコンピュータ買い替え作戦の一環としての書斎整理に費やした。今日はフロッピーディスクの処分に加えて、昔からいずれ何かの役に立つかもととっておいたケーブル類(電源ケーブル、LANケーブル、電話ケーブル、USBケーブルなど)の整理だ。これらも以前、選挙事務所を設けていた頃は非常に役に立った品物だが、今はほとんど必要がないので、比較的新しいものだけを残して思い切って不燃ごみとして処分した。
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April 21, 2008 =Mon=

火曜と木曜の出勤日には、私と同じように会社を定年退職後、今の会社で週に2・3回勤務している仲間と昼食を取るのだが、月曜は出勤しているのは私だけということもある。今日もそうだったし、天気もいいので一人で久しぶりに銀座まで脚を伸ばした。銀座二丁目で勤務していた頃、すずらん通りと並木通りの間の道を、みゆき通りから六丁目側に入ったところにあるギンザワインハウスによく昼食を食べに行った。この店には夜にも二三度行ったことがあるが、リーズナブルな価格で雰囲気も味もいい店だった。銀座には珍しく一軒家で、半地下から四階まであったと思う。懐かしいこの店で久しぶりに昼食を、と思って行ったのだが、建物は取り壊され、工事中の幕が張られていた。考えてみると、私が銀座の勤務を終えてから、今月でちょうど丸三年になる。その後は、過去のDiaryを読み返してみると、2006年2月8日にこの店を訪れている。そのときはここの昼の880円のランチが、以前と変わっていなかった。夜もワインは別にすれば、一人3000円か4000円だったと思う。昼も夜も同じ従業員がいて、夜に行くと顔見知りのウェイターやウェイトレスが挨拶してくれたものだ。三年のブランクがあって馴染みとはいえないけれど、なじみの店が消えるのは寂しい。後でネットで調べると去年の12月29日に閉店していて、開業は1984年、23年間の営業だったそうだ。

仕方なく、隣のビルの地下にある「花大根」という店に入る。ギンザワインハウスはフレンチだったが、こちらは純和風レストランだ。山菜蕎麦を注文すると、割り箸ではなくちゃんとした新品の木の箸が出てくる。「この箸はお持ち帰りください。」そういえばこの「花大根」の入っているビルの一階は「銀座夏野」という箸の専門店だ。外国人観光客などがよく土産洋の箸を物色している。山菜蕎麦はなかなか美味しく、デザートにアイスクリームとコーヒーがついて1050円。帰りには、持ち帰りの箸とは別に、もう一つ引換券をくれて、これを同じビルの5階の夏野の店に持って行くと箸一膳を貰える。
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April 20, 2008 =Sun=

自分の部屋の整理を始めた。いまさらこんなことを始めたのには理由がある。パソコンを新しく買い換えようと思っているのだ。今使っているデルのDimensioon8250は、普通に使っている分には支障はないのだが、ビデオカメラで撮った映像の編集をしようと思うとデータをほとんど読み込めない。ビックカメラのビデオカメラ売り場の店員に状況を話すと、「それは、パソコンの方をアップグレードする必要がありますね。」とあっさり言われてしまった。

私のDimension8250は、CPUはインテルのペンティアム4の2.52GHz、メモリーは768MBにハードディスク1.5GBを積んでいるので、それほど性能が低いはずはないと思うのだが、確かに最近のパソコンはCPUにコア2デュオとかいうマルチコアを採用しているし、メモリも1ギガとか2ギガとかになっているらしい。それで同じビックカメラのパソコン売り場にあるデルのリアルサイトに行って聞いてみると、「動画編集をするならコア2デュオよりもコア2クアッドをお勧めします。」といわれてしまう。つまり、コア2デュオはパソコンのCPU(中央演算装置)をこれまでの一つから二つに増やしたものだが、クアッドとなるとそのCPUが4つになるというのだ。そりゃあ、三人寄れば文殊の知恵というから、CPUも4つも寄ればシングルコアに較べてはるかに高度な演算が可能であろうことは容易に推測できるが、四人の文殊菩薩をうまくコントロールして仕事を振り分けるのはハードだけの問題ではなく、ソフト側にもそうした機能が必要なはずだ。だから、ハードだけいくら高機能のものにしてもそれに見合うソフトがなければ意味がないように思うのだが。

しかし、一方、妻が使っているDimension2400Cがこれまためちゃ調子悪いのだ。CPUはセレロンの2ギガ、メモリーは256MB、ハードディスクは120ギガで、メモリーが少ないことは事実だが、アプリケーションのアイコンをクリックしてから暫くは何の反応もなく、忘れた頃に立ち上がるし、アプリを閉じる場合も、さっと閉じるのではなく、徐々に消えていくという感じでまだるっこしいこと限りがない。そこで、私はコア2クアッドのパソコンを買い、私が使っているのを妻に払い下げることにしようと思う。だが、ここでもう一つ問題は、デルのコア2クアッドを搭載したパソコンの筐体がバカでかくて、今のDimensionを置いているスペースには入りきらないのだ。

二日前に、無用の長物であり、故障していたコピー機を処分したことを書いたが、これも実はパソコン買い替えの布石なのだ。わが書斎は、窓に向けて両袖机があり、左手にパソコンラック、その左にさっきのコピー機のスペースがあり、右手にはA3版がが印刷できるキャノンのレーザープリンタを乗せたもう一つのパソコンラック、その右にスライド式書棚がある。右手のパソコンラックをコピー機のスペースに移し、そこに新しいパソコン(コア2クアッド機)を置こうというのが、今回のパソコン買い替え計画における設置場所解決案なのだ。そしてそのためにはいろいろと溜まった不用品の処分など、書斎の中の整理が必要なのだが、これがまた厄介な話。というのも、妻の衆院選、参院選や、それ以前の町田市議時代からのデータを納めたフロッピーディスクやZipディスクなどが山のようにある。それらの中身を一応確かめて、必要あるものはパソコンのハードディスクに格納し、フロッピーやZIPのデータを消去して廃棄する。といっても実際はどれを残し、どれを捨てるかを一つ一つ判断できないし、重複しているデータも多数あるけれどそれをいちいち確かめてもいられないので、とにかくすべてハードディスクにコピーする。フロッピーだけでも数えたら100枚近くあった。
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April 19, 2008 =Sat=

昼過ぎからスポーツクラブに行った後、新宿住友ビル47階の住友クラブへ。出身大学のESS(英語研究会)東京同窓会の新人歓迎会がある。関西系の大学なので、東京に就職した後輩たちの面倒を見ようという趣旨だ。この東京同窓会を立ち上げた頃は、先輩方に誘われて私も幹事の一人に加わっていたが、同期の連中も最初は私の顔を立てて出席してくれたものの、だんだんと遠ざかり、私自身も次第に足が遠のいていた。だが、今回は一年先輩のSさんからメールを頂いたこともあり出席することにした。

出席して驚いたのは、これまで新人歓迎会といっても歓迎される新人はせいぜい数人だったのに、今年は16人もいたことだ。それだけ母校から東京に就職する人たちが増えているのか、あるいは関西の地盤沈下で、新入社員はともかく東京に配属させようという傾向があるのだろうか。新人の自己紹介の中で、一人私が感動を覚えたのは、「イオンモールという会社に就職しました。」という女性だった。イオンモールといえば、40年近く前に私が立ち上げに関与したダイヤモンドシティを昨年吸収合併した会社だ。イオンモールは文字通りイオングループのショッピングセンター開発・運営会社、ダイヤモンドシティはイオングループと私が在籍した商社との合弁で立ち上げた、同じくショッピングセンター開発・運営会社。どちらも東証一部上場で規模も同じくらいだったが、イオングループとしては全く同じ分野に二つの企業が張り合っていたのではやり難かったのだろう。TOBに出て、商社側もこれに応じたのだ。当の女性は就職面接はダイヤモンドシティで受け、就職が決まってから会社が合併されることになったそうだ。

会の出席者は、Sさんが最長老で私が二番目、東京同窓会会長のSさんは私より一年下ということで、この3人が長老組みを構成する。ということで閉会挨拶のお鉢が回ってきた。ワインを大分飲んでいたので何をしゃべったのかよく覚えてもいないが。
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April 18, 2008 =Fri=

私の書斎には、とても家庭には相応しくないコピー機があった。コニカユービックスの機械で、三段のトレーとコピー用紙収納ボックスを備えた、幅、奥行、高さがそれぞれ65-65-100㌢もある、完全にオフィス用のタイプだ。もともと妻の税理士事務所で使っていたのだが、2000年の総選挙、2001年の参院選に妻が出たとき、その選挙事務所で使い、税理士事務所のほうはその後別に中古機械を入れたので、このコピー機は以来ずっとわが家の一角を占めてきていた。だがそれも1年くらい前からは故障で動かなくなり、別に使えなくても不便はないし、お金をかけて修理するほどのものでもないということで、無用の長物となっていた。だが、狭い書斎に無用の長物を置いておくのも馬鹿らしいので、粗大ごみとして引き取ってもらうよう区役所に電話したら、「産業廃棄物の扱いになるので、粗大ごみとしては引き取れません。」とのこと。そこで産廃業者に何件か当たってみると、「お伺いして見積もりをさせて頂かないと。最低でも1万円以上になると思います。」などという回答が多かったが、一軒だけ「8000円で処理します。」というところがあったので、そこに頼むことにした。間もなく業者がやってきて、引き取って行ってくれた。今使っているパソコンのすぐ隣に、少なくともこのアパートに越してきてからずっと存在感を主張し続けてきた物がなくなると、何か寂しいような、それでいてすっきりしたような気分を感じている。
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April 16, 2008 =Wed=

11時過ぎに五番町の娘の家に行く。今日は双子の孫がポリオの予防接種に行くので、そのお手伝い。いつもなら妻が付き添うのだが、今日は妻は税理士としての顧問先に税務調査が入ったため、立ち会わなければならず、こちらにお鉢が回ってきた。何しろ双子でそろそろ伝い歩きもするようになっているので、娘ひとりというわけには行かない。離乳食を食べさせたあと、大型の乳母車に載せて出かける。市谷駅近くでタクシーを拾う。この大型乳母車をどうするのかと思ったが、案外簡単に分解できて、車輪部分はトランクに積み込める。予防接種を受ける場所は神田錦町の千代田保健所で、私の以前の勤め先に近い。1時半からのところ、1時前に着いたのだが、それでも順番札は4番と5番。やがて待合室は子供づれのお母さんでいっぱいになる。さすがに双子は他には居ない。熱を計り、小児科医の診察を受けてからワクチンを飲ませるまで、10分とかからない。

帰りは娘が買い物をしたいと言うので、靖国神社の近くでタクシーを降りる。双子がいると娘もなかなか外に出にくく、出たとしても目が離せないので、今日は私に二人を預けて久しぶりに買い物を楽しめたようだ。
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April 13, 2008 =Sun=

今朝はチェックアウトを忘れることもなく無事出発。だが、ミステリーツアー最終日の予定は、東京駅着が午後10時56分ということだけしか知らされていない。おそらく新幹線が最終列車しか取れなかったのかもしれないが、どこから乗るにしても3時間もあれば東京に着くだろうから、8時前後まで時間を費やさなければならない。どうやってそれまで時間を持たせるのだろうかと思っていたら、まずは天童からすぐ近くの山寺(立石寺)に向う。

まずは山寺の全体を遠景として望む「風雅の国」へ。ここには芭蕉記念館や和風レストラン、甘味処や工芸館などがある。遠くから全体像を掴んだ上で登山口から根本中堂、芭蕉句碑を経て、山門をくぐる。ここから奥の院まで、石段の数は1015段あるそうだ。だが、途中に芭蕉の「閑けさや巌にしみ入蝉の声」の短冊を収めた「せみ塚」や、山寺の様々な建物が見られるので、さほど苦痛には感じない。風雅の国から望んだ時はあんな高いところまで登れるだろうかと思ったが、いざ登ってみれば何のことはない・・・と感じたのは当日のこと。このDiaryを書いている2日後には脹脛のあたりが痛くて仕方ないのだが。

山寺から再び天童に戻り、昼食を済ませると、高畠ワイナリーの醸造所見学とワインの試飲。小さなグラスを渡されて幾種類かのワインを試飲するのだが、このワイナリーはかなり寛容らしく、一通り試飲を終えた後に勝手にグラスに注いで飲み続けてもいやな顔をしない。それをいいことに、クオーターボトル一本分くらいは空けてしまう。そこから先は、あとはただひたすらに時間を潰すだけとなる。こうした旅行で時間を潰す定番はお土産屋。みんな一軒寄る度に買い物が増えるとこぼしているが、われわれは例によって何も買わない。

旅行中、バスガイドの説明で面白いなと思ったことをメモしておこう。

①鳥居には、下の横木が縦の柱の両側に突き出たものと、突き出ていないものとがある。突き出ていない(たとえば靖国神社)のは神だけを祀った神社で、突き出たのは神仏混仰の神社である。
②むかし、貧しい東北では女の子が生まれると働き手にならないので間引くことがあった。間引かれた赤子を供養するために作られたのがこけし人形であり、「こけし」は「子消し」から名付けられたという説がある。
③「匂い優しい白百合の・・・」で始まる北上夜曲は、親に結婚を反対された高校生が北上河原で農薬を飲んで心中し、男だけが生き残った事件の後、女子高校生の母校である白百合学園の生徒が鎮魂歌として作ったといわれる。5番の歌詞に「僕は生きるぞ、生きるんだ。君の面影胸に秘め・・」とあるのがその証拠である。

ただ、これらはなるほどと思う反面、かなりいい加減なところもあり、①の鳥居の形は、ネットで調べてみると何種類もあり、神仏混仰かどうかで違うと言う説明は見当たらない。②については、Wikipediaでは「こけし=子消し」説は戦後にハードボイルド小説あたりから言い出された俗説と否定されている。③に至っては、北上夜曲には菊池規という作詞者、安藤睦夫という作曲者がおり、二人ともまだ10代だった1940~41年、太平洋戦争直前の暗黒の時代に作られた歌だということが分かっているから、バスガイドさんの説明はガセネタだろう。
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April 12, 2008 =Sat=

旅館を9時半に出発するのだが、添乗員が首を傾げながら私のところへ来て、「鍵はフロントへお返しになりましたか?」ポケットを探ると鍵が入ったまま。ということは・・・チェックアウトを忘れていた。昨夜の夕食の時のお酒代の精算もまだだった!海外旅行ではこんなことはないのに、日本だとつい気が緩んでしまうのだろうか。慌ててフロントに戻り、チェックアウトを済ませる。

今日も行き先はミステリー。だが、昨日とは逆に東北自動車道を南に戻る。今夜の旅館に着くまでにも温泉に入るかもしれないからタオルを持ってくるようにとの話だったので、焦点はどの温泉地に寄るかだ。バスはやがて宮城県に入り、古川インターで降りて国道47号線を西に向う。このまままっすぐ進めば新庄を経て、むかし仕事で行ったことのある酒田だ。この道筋だと途中に鳴子温泉があるが、そこは通り過ぎた。鳴子温泉の少し先に、中山平温泉がある。バスはそこの「琢秀」という温泉旅館に停車。ここには風呂場は3つあるがどれもあまり大きくない。昼食もここで取るというので、われわれは先に昼食にした。そのほうが、空いてから風呂に入れそうだ。暖かい蕎麦を食べると、食堂の隅にコンロがあってこんにゃく玉の鍋がかかっている。こんにゃく玉4つを串に刺して煮ている。1本100円の串を二人で食べる。この先、このこんにゃく玉はあちこちに見かけることになる。食事の後、三つの風呂のうち一番奥の風呂に行く。いったんスリッパから下駄に履き替え、更衣室から露天風呂に出る。ここの湯は「うなぎ湯」というだけあって、風呂の中で身体に触るとぬるぬるした感触がある。このぬるぬるに美肌効果があるそうで、女性に人気の湯なのだそうだ。

中山平を出発したバスは、さらに山形県に向っているらしい。まだ時間も早いので、今日の宿(どこか分からないが)に着くまでに、もう一箇所寄るのかもしれない。妻は、「山形なら「銀山温泉」に行ってくれればいいのに。」という。私は聞いたことのない名前だが、以前、妻が山形で講演をした際に、窓口になってくれた山形の税理士が銀山温泉に宿をとろうと言ってくれたのだが、満員で取れなかったことがあったそうだ。バスは山道に入り、どの方角に向っているのか分からなくなってきたが、あたりはまだ雪がかなり残っている。どうやら豪雪地帯として有名な尾花沢あたりらしい。川沿いの道路でバスが停まる。ガイドが言う。「ここが大正ロマンの銀山温泉です。」予想外だった妻が嬉しそうな顔を見せる。残念ながらここで泊まるわけではないらしいが。銀山温泉街には大型バスは入れないので、バスの停まったところから歩く。

最上川の支流の一つである銀山川の流れをはさんで、両側に木造旅館が続く。どれも時代と風情を感じさせる佇まいだ。旅館の建物ごとに橋がかかっている。まだ昼間だが、夜になってガス灯に灯が入り、旅館の窓にも明かりが灯れば風情はさらに増すことだろう。靴よりも下駄で歩いた方が似合いそうな街だ。私は知らなかったのだが、テレビドラマの「おしん」で、泉ピン子が演じたおしんの母親が働きに来ていたのがこの銀山温泉なのだそうだ。立ち並ぶ温泉旅館はどれも規模が小さく、団体で泊まるということは余りなさそうだ。宿泊料金は一万円余りのところが多く、トイレも共同だったりするらしいが、一番新しく建替えられたという「藤屋」は例外で、一泊3~5万円。青い目の女将として有名とのこと。

旅館街が途切れるあたりに銀山滝が飛沫を上げる。そこから温泉街の入り口近くに戻ってくると足湯がある。靴下を脱いで足湯につかると、確かに気持ちはいいが、少し雨模様になり、寒くなってきたし、出発時間までにまだ30分ほどあるので、温泉街中ほどにある共同浴場に飛び込む。男湯と女湯の暖簾が下がる横に小さな木箱が吊り下げられ、入浴料200円を入れる仕組み。かなり熱い温泉が湧いている。短い入浴だが気持ちいい。

銀山温泉を出発したバスは国道13号線を南下。将棋の町・天童に着く。今日の宿は天童の温泉旅館「いちらく」。二泊目の宿は「日本の名旅館百選」に選ばれた旅館と聞いていたのでそれなりに期待していたのだが、一泊目の花巻温泉の宿と較べると建物の造り、露天風呂の広さ、朝食の質など、花巻の方が上だったような気がする。
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April 11, 2008 =Fri=

税理士である妻が先月17日の確定申告締め切りが過ぎたら旅行に行きたいと言っていたので、今日から三日間の「ミステリーツアー」を申し込んでいた。朝9時10分に東京駅の日本橋口に集合というだけで、どこに行くのかは知らされていない。乗車したのは東北新幹線の9時40分発郡山行き「なすの253号」。グリーン車の座席番号を書いた紙を渡されたが、どの駅で降りるのかは直前まで分からない。11時5分に新白河で下車。福島の矢吹交通の観光バスに乗り換える。ツアーは「名湯・名旅館でくつろぐミステリーツアー3日間」というタイトルなので温泉に行くのは間違いないのだが、添乗員とガイドを除いて、30数名の参加者は誰も行き先を知らない。ほとんどが年配客だが、結構乗りのいい連中も居て、バスが東北自動車道を北上し、インターチェンジを過ぎるごとに「ああ、○○温泉じゃなかった!」と声を上げる。バスは福島県から宮城県に入り、村田ジャンクションで山形自動車道に入るかと思わせながらそのまま北上。東京ではもう散ってしまった桜も、このあたりではまだ三分咲きくらい。沿道には桜のほかに梅、ハナモモ、リンゴ、こぶしなどの花が咲いている。古川から鳴子温泉方面へも向わず、宮城県を通り過ぎて岩手県に入る。やがて平泉前沢で降り、中尊寺に立ち寄る。

奥州平泉に栄華を誇った藤原氏が滅亡して500年後、奥の細道の旅の途中でこの寺を訪れた芭蕉が、「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだ金色堂は鞘堂の中にその優美な姿を納めているが、堂内は撮影禁止。同じく芭蕉の「夏草やつわものどもが夢の跡」もここ中尊寺で詠んだ句だ。後世に建てられた芭蕉像を横に見て、阿弥陀堂、鐘楼、大日堂、峯薬師堂、本堂と続き、月見坂を下る。古木が鬱蒼とした雰囲気を醸している。国道に出る手前のエスカレーターからバスの待つ駐車場へ。

東北自動車道に戻ったバスはさらに北上を続け、北上ジャンクションも過ぎて花巻南でようやく降りる。どうやら今日の宿は花巻温泉らしい。妻は以前、娘とねぶた祭りを見に行ったときに中尊寺に寄った記憶があるらしいが、私は岩手は初めてだ。花巻温泉峡の中の山の神温泉・幸迎館という宿に着く。ガイドが「『千と千尋の神隠し』の『湯屋』のような建物」と言っていたが、確かに瓦屋根のどっしりとした建物だ。だが建物はかなり新しく、中央の本館の左右に二階建てのこじんまりした建物がいくつか、それぞれ渡り廊下で繋がっている。われわれの部屋は本館の向って左側の弐番館だが、更に左に進んでいくと露天風呂付きの浴場がある。アルカリ性単純泉の源泉かけ流し。露天風呂も広く、なかなかいい旅館だ。ただ、花巻温泉にかけて、「花が渦巻く雅の宿」と謳っている割には周囲の木々に花は少ない。盛岡にも近いこのあたりでは、桜にもまだ早いようだ。
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April 9, 2008 =Wed=

昨日は双子の面倒を見るために娘の家に泊まりこんだ妻に代わって、私が手伝いに行くことになったが、娘から「4時過ぎでいいよ」とメールが来たので、それまで歌舞伎町のスポーツジムに行く。今日が二度目だが何とかようやく勝手がわかってきた。初日にインストラクターから指導してもらったメニューに従っていると、あまり腰に負担はかからないようだ。しばらくはこれで続けていこう。

娘の家に着くと、さっそく双子の弟の方がまとわりついてくる。二人とも今月26日で満一歳の誕生日を迎えるのだが、弟の方が活発で自分で立てるようになった。だが兄の方はクールに一人で遊ぶことも多いのに、弟の方は甘えん坊なのか、愛想良く纏わりついてくることが多い。玩具の中に電池仕掛けの小さな犬のぬいぐるみがあって、そのままだと平気なのにスイッチを入れて犬が鳴き声を上げながら動き出すと、どういうわけか二人とも怖がって泣き出す。その時、活発なはずの弟の方が兄の後に隠れるように回り込むのが面白い。
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April 8, 2008 =Tue=

四谷駅「アトレ」にあるベーカリー「PAUL」。このベーカリーに附属した同名のレストランがある。四谷のブリッジセンターへ行く時、時間があればここで夕食をとる。夕食と言ってもたいがいは1000円前後のサラダとグラスワインだけ。というのは、ベーカリー経営のレストランだけあって、パンは付いてくるし、お代わりも自由なのだ。今日は何ヶ月ぶりかでブリッジセンターに出かけることにしたのだが、会社は4時までだからたっぷり時間がある。丸ビルの本屋で「蛇にピアス」の英訳版をみつけて立ち読みで時間を潰し、5時半ごろから一時間近くかけてパンのお代わりも頼みながら一人で食事をする。妻も来る予定だったのだが、娘が風邪を引き、双子の赤ちゃんの面倒を見るのがきついようなので、娘のところで夕食を済ませてブリッジセンターに直行するという。一人の食事で一時間も時間をかけるのはどうかとも思ったが、今読んでいる"Confessions of an Economic Hit Man"のページをめくっていると、ちょうど米軍パナマ侵攻のあたりが書かれているため、時間のたつのも忘れるほどだった。

私が現場で体験した1989年12月の米軍パナマ侵攻。その当時、この本の筆者であるパーキンスはパナマにはいなかった。

Torrijos was dead, but Panama continued to hold a special place in my heart. Living in South Florida, I had access to many sources of information about current events in Central America. Torrijos's legacy liven on, even if it was filtered through people who were not graced with his compassionate personality and strength of character.

そして彼は "who were not graced with his compassionate personality and strength of character"の典型的な人物であるノリエガ将軍の次の言葉を引用している。

"I want to made it very clear: the destabilization campaign launched by the United States in 1986, ending with the 1989 Panama invasion, was a result of the U.S. rejection of any scenario in which future control of the Panama Canal might be in the hands of an independent, sovereign Panama--supported by Japan."

これはちょっと違うんじゃないかなという感じだ。この通りだとすると、パナマと日本が組み、アメリカと対抗していたことになる。だが、あの当時、「パナマ運河代替案検討委員会」というのはパナマ、アメリカ、日本の三国政府から派遣された委員で構成され、三国の企業で構成されるいくつかのグループが代替案を提出していた。私も日本の政府委員の人たちとは親交があったし、アメリカの政府委員の一人とも彼の家に招待されたりしていたが、それぞれ国益を背負った委員たちの間でどんな議論がされていたかは知らないまでも、日本がアメリカのパナマ侵攻の一因になるような雰囲気ではなかったと思う。現にパナマ侵攻の際、日本の大使はアメリカへの配慮からか「パナマ政府に不快の念を示すため」日本に帰国していたほどだ。アメリカ側の委員とゴルフをした際、彼がパナマ人のキャディに向って、自分がパナマで運河に関する検討委員としてやっている仕事について慣れないスペイン語で説明しているのを目にして、アメリカ人の誠実さを感じたものだった。

どうもこの本を読んでいると昔のことを思い出してしまう。で、一時間ほどしてブリッジセンターに向う。今日は朝から凄い風雨で、まさに春の嵐が吹き荒れたため、ブリッジセンターの初心者サロンの出席者は少なく、やっと一組できる人数だった。もともとブリッジ講習を卒業したと言ってもいろんな技を会得するには程遠い上、何ヶ月かまったくカードにも触っていないため、オポーネントとの実力の差がありすぎたが、やっているうちに何とか少しずつプレーを想いだしてはきたようだ。
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April 6, 2008 =Sun=

新たに入会したスポーツクラブに初めて行った。入会したときに一通り説明は聞いたのだが、実際にやるのは今日が初めてなので手探り状態だ。いろんな面でこれまでのクラブとは勝手が違う。チェックインにしたところで、いままでは受付で会員証を示してロッカーの鍵を貰うのが、今度は会員証を機械に読み取らせるだけ。ロッカールームに行くと鍵のついた、つまり空いているロッカーはいろんな大きさのがあるが、好きなのを選び、ロッカーの鍵の裏側に会員証を差し込んで、暗証番号を入れた上で鍵を回す。鍵をなくしても、暗証番号を知らない他人が鍵を開けることはできない仕組みだ。フィットネスジムに行くと、たまたま挨拶をしたスタッフにオリエンテーションを頼む。どうやら彼はフロアマネージャーだったらしい。前のクラブでは勝手にプログラムを組んで、すこしやりすぎた結果、腰を痛めてしまったので、今度はスタッフの指示に従って運動をすることにした。まず体重と体脂肪の状況を測定する。結果は、筋肉量は標準なのだが、予想通り体重過剰、脂肪率も過剰であり、過剰体重を計算に入れると筋肉量も不足となる。どういう仕組みなのか、筋肉料というデータは右腕、左腕、右脚、左脚、胴体、とそれぞれについて数字が出ている。あと、初心者コースのトレーニングメニューに従い、マシンの使い方を説明してもらう。

プールは、前のクラブでは25メートルの7コースあったが、こちらは4コースと少ない。その代わりマッサージプールやジャグジーはこちらの方が大きい。ほかに屋外(ビルの屋上)に通じているプールもあり、その先には露天風呂ならぬ露天ジャグジーもある。サウナは前のクラブの3分の2くらいの広さしかないが、その代わりミストサウナがある。残念ながらサウナの後の楽しみだった水風呂はこちらにはない。いろんな点で今までのクラブと比較してしまうが、較べてよくなった点、悪くなった点が錯綜して、どちらがいいとは言い難い。ただ、全体の雰囲気としては、前のクラブは高齢者が多く、家族的な感じだったのが、こちらは若い人が比較的多く、反面、ビジネスライクな感じと言えよう。
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April 5, 2008 =Sat=

予定通り朝から神田川沿いの花を見に行く。拡張工事が一段落してやたら広くなった家の前の道路を10分ほど歩くと神田川にかかる淀橋に行き当たる。その少し下流から川沿いに桜並木が続いている。思ったとおり、桜はもう満開を過ぎ、ところどころ葉桜になっているが、神田川は桜の花びらを流れに乗せ、川の両側には花びらが積もっている。風が吹くたびに文字通り花吹雪が降り注ぐのも優雅なものだ。朝食は家では食べずに出てきたので、途中のコンビニで買って来たお握りやパン、それに缶チューハイで朝食に代える。

妻の女性税理士仲間のHさんから、お昼にとても美味しいお蕎麦をごちそうするからと電話がかかってきていたので、小滝橋を過ぎたあたりの「寒天工房 讃岐屋」で求肥のセットを買って手土産にする。11時半に四谷駅で待ち合わせとのことなので、急いで大久保駅に向うが、着いてみると総武線の電車が遅れていて、次の電車はいま三鷹をでたところだという。これでは約束に間に合わないと、急遽そこから5分ほどの新大久保駅に走り、山手線で新宿に行き、中央線に乗る。中央線も遅れている様子で満員。四谷でHさんと落ち合い、「どこの蕎麦屋?」と聞くと、蕎麦屋ではなく知人の家だと言う。よく意味が分からずについていくと、麹町あたりの国家公務員宿舎に入っていく。訪ねたのはTさんというお宅で、Hさんの陶芸のお師匠さんなのだそうだ。Tさん自身は権力者ではないが、国家中枢の権力者に極めて近いところで仕事をされている。間もなく定年を迎えるが、大変な趣味人で、陶芸だけでなく、蘭の栽培(陶芸を始めたのは蘭に使う植木鉢を造るためだった。)だのミツバチ(普通は西洋ミツバチだが、Tさんが飼うのは日本ミツバチ)を飼って蜜を採集するなど幅広い。もちろん公務員宿舎でミツバチを飼っているわけではなく、奥様の実家に近い静岡県に定年後の住処を確保しておられるそうだ。そのTさんが最近得意とされているのが自家製の蕎麦。北海道から取り寄せた純国産の蕎麦粉に、少量の小麦粉をつなぎに入れただけで大きな木の鉢で捏ねるところから見せていただく。この辺は陶芸で粘土を捏ねるのに通じるところがあるのかもしれない。のし棒で伸ばし、重ねて重い刃物で細く切っていく。手際よく、ものの20分ほどでできあがる。Tさんの役割は蕎麦を切るところまでで、それを茹でて冷水に通し、ざるに盛り付けるのは奥様になる。HさんはTさんの蕎麦をご馳走になってから他の蕎麦は食べられなくなったほどで、その感激を伝えるためわれわれを呼んでもう一度ご馳走していただくようお願いしてくれたのだという。Hさんの言うとおり、これでは神田やぶ蕎麦も真っ青になるほどの素晴らしい味、素晴らしい食感だ。それにしても、Tさんご夫妻の中睦まじさにも感心することしきりだった。

Tさん宅を辞し、これから仕事で人に会うという妻と別れる。ここから五番町の娘の家まではすぐだ。娘の夫は先週欧州出張から帰国したばかりだが、この二三日、疲労のせいか高熱を出して寝込んでいる。何か手伝うことは?と電話すると、案の定、来てほしいという。双子の赤ちゃんに離乳食を食べさせる時に使うテーブル付きの椅子を買ったのだが、夫が寝込んでいるので組み立てられないとのこと。四谷駅から線路沿いの遊歩道を市谷方面に向う。ここも桜並木で、降り注ぐ花吹雪の下、ブルーシートを広げた花見客が名残惜しそうにまだ残っている。娘の家に着くと、さっそく双子たちがまとわりついてくる。その相手をしている間に、娘は台所の片付けや部屋の掃除。それが終わると例のテーブル付き椅子の組立てを始める。木製でけっこう重く、組立てにかなり時間がかかったものの何とか完成。二人が眠ったのを見計らって娘の家を後にする。

今日の夕食はこの人と。「旺徳福」と書いて「ワンダフル」と読ませる中華料理店は彼が選んだ。わが家からすぐ近くだが、木の扉の店は中国人である彼の推奨がなければわれわれだけではちょっと入りづらい雰囲気だ。
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April 4, 2008 =Fri=

毎月一回の医者通いで三越診療所に行く。今日は血液検査のため朝食を抜いていったので、終わってから三井ビル地下のドトールで朝食兼用の昼食をとる。外に出ると三井ビル前の広場で、まだ昼前の時間だが、多くのテーブルでは近くのオフィスのビジネスマンやOLが弁当を広げている。ちょうど一つテーブルが空いたので、腰を下ろしてドトールでも読んでいた"Confessions of an Economic Hit Man"の続きを読む。ちょうど1989年の米軍パナマ侵攻の場面なので、その頃パナマに居た当事者としては興味のあるところだ。

その前の章では、パナマの実力者トリホス将軍が1981年に飛行機事故で死亡する場面がある。著者のジョン・パーキンズは、自らの仕事を「アメリカの世界帝国実現のために、エコノミストとして発展途上国のインフラ整備の経済効果に極めて楽観的な分析報告を行い、世銀や米国国際開発庁(USAID)から巨額の援助資金を貸し付け、結果として米国のエンジニアリング企業を儲けさせるとともに、相手国に返済不可能な債務を負わせ、これによりその国の資源を米国がコントロールし、国連などでの投票動向を米国の意に添わせる」ことを目的としたエコノミック・ヒットマンと定義している。彼は良心に苛まれつつもその仕事で頭角を現し、所属するコンサルティング企業のパートナーにまで登り詰めるのだが、その彼が、自分の地位や懐を気にする途上国指導者たちの中にあって、本当に貧しい自国民を第一に考える指導者として尊敬の念を示すのが、エクアドルのハイメ・ロルドス大統領とパナマのトリホス将軍だった。ロルドス大統領はエクアドルの石油資源に対する米国石油資本の権益排除を打ち出す中、1981年5月24日に彼の乗った飛行機がペルー国境付近で豪雨の中墜落する。その僅か2ヶ月あまり後、1981年8月1日に、トリホス将軍の乗った小型機が山中で消息を絶ち、数日後に爆破された機体と乗客全員の遺体が収容される。両方の事件に関して、米国CIAの関与が公然と囁かれたが、真実は明らかになっていない。トリホスは米国のカーター大統領との間でパナマ運河返還条約を締結し、1999年12月31日を期して米国管理下にあるパナマ運河と運河周辺の「運河地帯」の主権をパナマに返還することを取り決めていたが、カーターは1980年の大統領選挙で再選されず、米国の政権はレーガンに移っていた。米国保守派の中には運河返還を認めない動きもあり、また日本が提案した第二パナマ運河構想にトリホスが積極的であったことから、米国産業界には権益を奪われることへの反発があった。その間の事情をパーキンズは次のように書いている。(p.187)

The Bechtel Group, Inc., whose senior officers included George Shultz and Casper Weinberger, was a prime example of the cozy relationship
between pribate companies and the U.S. government. I knew Bechtel well; we at MAIN often worked closely with the comapny, and its chief architect became a close personal friend. Bechtel was the United State's most influential engineering and construction company. Many people in high positions at Bechtel despised Torrijos because he brazenly courted a Japanese plan to replace Panama's existing canal with a new, more efficient one. Such a move not only would transfer ownership from the United States to Panama but also would exclude Bechtel from participating in the most exciting and potentially lucrative engineering project of the century.

ジョージ・シュルツはレーガン政権での国務長官、キャスパー・ワインバーガーは国防長官だが、前身はシュルツはべクテル社の社長、ワインバーガーは副社長というコンビだ。MAINというのは著者のパーキンズがエコノミック・ヒットマンとして在籍したコンサルティング会社。このべクテルという会社、そしてこの書物にも頻繁に登場するストーン・アンド・ウェブスター(Stone & Webster)という会社は、私もパナマにいる時に若干の付き合いがあった。トリホス将軍の死から5年後の当時、第二パナマ運河構想は米国・日本・パナマの三国政府の委員会が検討を進め、そのフィージビリティスタディを国際入札にかけたが、この2社と日本企業、それにパナマの企業がコンソーシアムを組んで落札することになる。

結局、2006年にパナマのトリホス大統領(故トリホス将軍の息子)はパナマ運河拡張案(大西洋側、太平洋側に現行運河から新たな水路を引き、より大型の船が通過できる閘門を建設する。)を国民投票にかけ、圧倒的多数で承認された。ここに、スエズ運河と同様の海面式第二運河を建設する構想は消滅するに至る。

       * * *

"Confessions of an Economic Hit Man"に触発されて昔のことを思い出しているうちに、昼食時間になって広場が混んできたので、昼食組に席を譲り新宿中央公園に向う。本当は神田川沿いの桜を見に行きたかったのだが、今日は仕事で出かけている妻も神田川の桜を見たいというので、そちらは明日にすることにして、より近い中央公園にした。ここでも近隣のオフィスから来たらしい人たちが昼食を兼ねて花見のシートを広げているが、肝心の桜はすでに「落下盛ん」の状態で、風が吹くたびに花びらが舞い散っている。花の間にはすでに緑の葉も出始めている。この分では明日の神田川も満開を過ぎているかもしれない。
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April 2, 2008 =Wed=

一週間前に都庁に行ってパスポートの更新を申請していたのだが、今日再び都庁に行き、新しいパスポートを受け取ってきた。このところ海外に旅行すると青い表紙のパスポートを持った日本人を見かけるので、最近のいわゆるICパスポートは青色になったのかと思っていたが、それは間違いで、青色は5年物、赤色は10年物ということだ。私のは10年で申請したので今までと同じ赤色。これにはほっとした。何故かというと、中南米や中近東あたりを旅行すると、入国審査などでパスポートをいったん取り上げられることがある。自分だけでなく周りの外国人たちも同じように取り上げられるのだが、赤色のパスポートという国は少ないらしく、よく目立つ。自分のパスポートがいまどの係官の手許にあるのかがよく分かるのだ。これが青色だと、同じようなパスポートが多くて埋没してしまい、自分のがどこに行ってしまったのかと不安に思うことになる。もっとも今までのパスポートも10年だったから、赤は10年、青は5年と言うのは、私が知らなかっただけで昔からそうなっていたのかも知れないが。

左が新しいパスポート、右が”VOID"のパンチを受けたこれまでのもの。新しい方の下にあるマークはICパスポートを意味するのだろうか。中身で違っているのは、パスポート本来の目的である「日本国民である本旅券の所持人を通路支障なく旅行させ、云々」の記載と外務大臣印のあるページと所持人の写真や生年月日等のページが、従来は見開きであったのが新しいパスポートでは別のページになったこと、査証欄が2ページ増えてパスポートのページ数が48ページから50ページになったことなどあるが、一番の相違点はICチップを埋め込んだ右のようなページが挿入されたことだ。このページはパスポートの中ほど、26ページと27ページの間にあり、厚さ1ミリほどでこの中にICチップが入っているらしい。パスポートを受け取る際に係員がこのページを機械にかざすと顔写真のページがそのままのイメージでモニターに映し出される。

パスポートを更新すると、新しくなるのはいいのだが、今までの渡航記録が昔のものとなってしまう(当たり前だが)感じで、何か寂しい気持ちになる。今までのパスポートの査証欄をめくってみると、チリ、パナマ、香港、シンガポール、台湾、フィリピン、アメリカ、ドイツ、マレーシア、オーストラリア、ペルー、インド、トルコ、中国、アルゼンチン、インドネシア、韓国、パキスタン、ロシア、ブラジル、モロッコなどの入出国記録が見られる。ビジネスで出張したものもプライベートな旅行のものもあるが、今後10年はプライベート旅行だけになるので査証の数はもっと少なくなるだろう。

都庁でパスポートを受け取った後、妻が修理に出していたサングラスを新宿駅東口の眼鏡屋で受け取り、それから歌舞伎町の「東急スポーツオアシス」で入会手続きをした。これまで通っていた西新宿の「ドゥ・スポーツプラザ」が3月末で閉館になり、東急に移籍する場合は2か月分の会費が無料になるという特典がある。東急の方が設備も新しく、規模も大きいが、「ドゥ」がビジネス街にあるのに対してこちらは歓楽街の真っ只中。家からの距離は東急の方が若干近いようだ。入会月は会費は日割り計算というので、5日からの入会ということにし、今日は手続きだけで帰ってきた。
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