Diary


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June 29, 2008 =Sun=

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』歌舞伎町の新宿プラザで。食わず嫌いもあってスピルバーグ監督作品は「ジョーズ」と「カラー・パープル」くらいしか見ていないのだが、大学の先輩のSさんから「この映画は君が旅行したペルー辺りが舞台になっているから」とメールを頂いたので、今朝一番の上映を見に行った。(スピルバーグ作品が食わず嫌いだったのは、パナマにいた頃、"Amazing Stories"のCMが余りにしつっこかったというだけの理由なのだが。)雨にも関わらず、というか、雨だからなおさら、というか、朝一の上映なのにかなり観客が多かった。

ペルーに関しては、ナスカの地上絵の写真が少し出てきただけだが、最初から最後まで激しいアクションシーンの連続はストレス解消にはもってこいだ。だが、主役のインディ・ジョーンズを演じるハリソン・フォードは私より一歳若いだけの65歳。前期高齢者の彼があんなアクションシーンを演ずるのは、見方によってはお気の毒とも思える。そういえばインディの昔の恋人であるマリオン役のカレン・アレンだって56歳。この二人がシリーズ第1作で共演した時は38歳と29歳だから、そのくらいの歳なら派手なアクションシーンも安心して見ていられるのだが。それに核実験シーンで爆心地にいながら家庭用冷蔵庫に隠れて難をのがれるというのも、アメリカの認識はその程度?と突っ込みを入れたくなるところだ。悪役であるKGBの女性大佐役が「バベル」に出ていたケイト・ブランシェットというのは意外だったが、21世紀の今日、水晶の骸骨の正体が地球外生命体のものであったという設定で映画を作るのに、なんでマッカーシー旋風の1950年代を舞台にしなければならないのだろう。

映画の後は同じ歌舞伎町のスポーツジムで過ごし、夕食はこれまた歌舞伎町の「世界の山ちゃん」で手羽先。
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June 27, 2008 =Fri=

日経新聞の朝刊を広げると、若い友人のコラム記事が目に飛び込んできた。現在の原油価格高騰を、「世界の人々の大量生産と大量消費を戒め、エネルギー転換や省エネ、自然志向の生活への回帰というパラダイムシフトを迫るメッセージと理解している。」という視点が斬新だ。

書いているのは住友商事の高井氏で、大学の同じクラブの後輩だ。数年前に東京でのクラブOB・OGたちの組織を立ち上げようと彼が呼びかけ、私も少し手伝いをしたが、その組織も今やかなり根付いてきた。彼は大学の先輩後輩と言うだけでなく、私や妻が入社したときに部の庶務を担当されていたのが彼のご母堂で、われわれも大変お世話になったという縁がある。何年か前、今も大阪でご健在のご母堂が上京されたとき、彼から声がかかって我々夫婦もご母堂を交え会食したこともある。

彼はいまや金融事業本部長として業界でも有名人であり、金融庁で講演をやったり、大学で講座を持ったりもしているようだが、名前が売れてくるとネガティブ攻撃の対象にもなってくる心配がある。半年ほど前、私がいつもチェックしているサイトで、彼の発言が攻撃されていたことがある。そのときの話題も原油価格の動向についてだったが、その後の原油価格の動きは彼の予想通りになっているのだが。
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June 25, 2008 =Wed=

この頃、休みの日には娘からのヘルプ要請で双子の孫たちの面倒をみることが多い。今日も朝からスポーツジムへ行き、大久保駅近くのヒサルでトルコ・ランチを済ませた後、総武線で市ヶ谷へ。娘が所用で出かけるときのベビーシッター役なのだが、今日は梅雨の晴れ間でまずまずの天気だったので彼らをベビーカーに乗せて散歩に出かける。これまでは四谷駅を経て迎賓館前の公園に行くことが多かったが、最近は靖国神社が定番コースに加わった。何かと話題の多い靖国神社だが、五番町の娘の家からベビーカーを押して20分だからちょうどいい距離だし、遊就館の前の石畳はよちよち歩きの彼らを歩かせるのに最適なのだ。今日は、南門から入って、拝殿の方へは向かわず、左手の砂利道を塀に沿って進むと本殿裏側の日本庭園に出た。都心の一等地とは思えないほど緑にあふれ静かな場所だ。だが、このあたりで彼らをベビーカーから降ろすと、砂利を拾って口に入れそうなので、いつものように遊就館の石畳で遊ばせる。しかしこのあたりも、何か祭事が近いのか、仮設工事をやっていたりするので長い間遊ばせるにはちょっと危険な感じがする。

そこで今度は、靖国神社を出て靖国通りをわたり、市ヶ谷方向に少し行って左に入ると東郷公園がある。ここは日露戦争の頃の元帥・東郷平八郎の屋敷跡だそうだが、いまは千代田区立の公園になっていて、子供づれのお母さんたちで賑わっている。

双子の孫たちも1歳と2ヶ月になる。二人とも元気に育っているが、だんだんとそれぞれの個性がはっきりしてくるのが面白い。
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June 24, 2008 =Tue=

わが家のパソコンも新品にアップグレードしたが、会社のパソコンも一斉に新しくなった。こちらもOSはVistaでなくXPのまま。機種はNECだ。今の会社は親会社の分身みたいなものなので、システムも親会社のそれと統合されており、機種や標準ソフト、セキュリティなども親会社と全く同じ。親会社の方は昔はIBMを採用していたが、私がまだ親会社にいる頃に、一斉更新の都度、入札によりメーカーを選定する方式に切り替わり、その時は富士通が採用された。今回も同様の入札が行われたのだろうか。機種はともかくとして、セキュリティ、特にデータの外部流出には非常に神経質になっており、標準搭載ソフト以外のソフトを許可なくインストールすることは禁じられているのはもちろん、これまでは可能だったUSBメモリへのデータ書き出しができなくなった。USBのコネクターは装備されていて、USBメモリからのデータ余も込みはできるのだが、書き込みはできない仕組みが組み込まれている。どうしても書き出しがしたい場合は、許可を取って特別仕様のUSBメモリを貸与してもらわなければならない。セキュリテイ対策が厳しくなるのは世の流れだが、それだけ不便になることもやむを得ないのだろう。

日比谷の聘珍樓で、ベトナムの自動車会社に転勤する人の送別会。以前、この会社に出向していた人たちと一緒の職場だったことはあったが、ベトナムは東南アジアの中でまだ行っていない国のひとつだ。アジアの国のうち、行ったことがないのはベトナム、ラオス、カンボジア、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、ブータン、ブルネイ、それに北朝鮮といったところだろうか。機会があればぜひ行ってみたい。
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June 14, 2008 =Sat=

朝の8時40分ごろ、書斎でパソコンに向かっていると、リビングで付けっ放しにしていたテレビから「緊急地震速報です」という緊迫したアナウンスが聞こえてきた。テレビを見ると東北地方の地図が映し出され、「間もなく強い揺れがきます。倒れやすい家具などからは至急離れてください。」その直後、画面は「東北地方で地震がありました。」に変わった。震度6という表示もある。東北でこんなに大きな地震なら、関東も少しは揺れたのかな、と思っていると、まもなく我が家も揺れ始めた。31階建ての高層アパートは、我が家のある19階あたりの中層階が揺れが一番大きいと言われるが、ギーコ、ギーコという嫌な音を伴いながら、かなり長い間揺れていた。地震の直前の波動をとらえて緊急速報を出すという話は聞いていたが、本当に発動されたのは今度が初めてではないだろうか。震源地近くでは速報も間に合わなかったらしいが、死者も出ているとはいえ、マグニチュード7.2にしては被害が限定的だったのは速報がある程度役に立ったのかもしれない。それにしても先日の中国四川省の地震をはじめ、このところ大きな地震が多くなっているのが気になる。
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June 10, 2008 =Wed=

新しく買ったパソコン、デルのXPS630のセットアップがやっと終わったので、今度は今まで使っていたデルのDimensionを妻用にセットアップする作業に取り組んでいる。妻が使っている同じくデルのInspironが余りに劣悪な環境で、立ち上げに5分くらいかかったり、画面が変わるのに2~3分もかかったりするので、私のお古ではあるがDimensionのほうがまだましだからだ。いったんハードディスクを初期化し、CDドライブから立ち上げてWindowsXPを再インストールし、必要なソフトもインストールしなおした。だが、このDimensionにはメモリが128MB2枚と256MB2枚の、合計768MBしか積まれていない。せめて128MBの方を512MBの2枚に換えてやれば、合計1.5GBになり、使いやすくなるだろう。そう思ってビックカメラのデルのリアルサイトに行って店員に「Dimension8250に合うメモリを探してよ。」と言うと、店員はなにやら一所懸命探していたが、「申し訳ありませんが、この企画のメモリは在庫がありません。互換性のあるサードパーティものも探してみましたがないようです。」どうやらDimension8250に搭載されているPC1066 RDRAMというのは特殊な規格のメモリであるらしい。メモリなんて最近では1GBのものでも安いのは4000円前後で有る筈だと思っていたのだが、「このメモリは古い規格なので、たとえあったとしてもかなり高くなるかも知れません。」とのこと。

家に帰って今度はデルのサポートに電話してみた。さすがサポートの方が詳しいようで、「Dimension8250のメモリを増設したいんだけど」と言うと、すぐに答えが返ってきた。「申し訳ありませんが、そのメモリは今はどこでも製造していませんし、うちでも在庫がありません。ネットで探せばあるかもしれませんが、あったとしてもかなり高くなります。」このDimensionを買ったのは2003年の4月だった。5年ちょっとでどうしてそんなことになったのか聞くと、当時はこの規格のメモリは最先端だったのだが、規格競争に負けて生産停止に追い込まれたらしい。

まあ、妻ならパソコンをメールとインターネット検索以外に使うことはほとんどないのだから、メモリ増設しなくても大丈夫だろう。
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June 8, 2008 =Sun=

秋葉原の歩行者天国に2トントラックを運転する男が信号を無視して突っ込み、数人をはねた上、さらに運転席から降りた男はダガーナイフで逃げ惑う通行人を無差別に刺し、7人が死亡、十数人が負傷するという事件が発生した。最近でこそあまりアキバには行かないが、事件現場となった付近は以前よく買い物に行っていたあたりだ。犯人の男は中学生までは成績優秀だったが、青森県の名門進学高校に進んでからは成績も落ち、岐阜県の自動車整備の短大に入学、その後は派遣社員として自動車関係の仕事を転々としていたようで、学歴コンプレックスと挫折感に固まっていたようだ。通り魔の被害にあって突然に命を奪われた犠牲者とそのご家族は気の毒というほかないが、犯人の両親の心中も察して余りあるところだ。いくら人生に挫折したからと言って、無関係の人たちを犠牲にする犯人の身勝手さは糾弾されてしかるべきだが、この事件の背後には小泉・安部政権から生まれた格差社会、非正規雇用の問題が暗い影を落としていることも忘れてはならないだろう。
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June 6, 2008 =Fri=

ホテルで見るテレビのチャネルは、本土に比べて数が少ないが、その中で一局、一日中この地方の天気予報ばっかり流しているところがある。昨夜は激しい雨が窓ガラスを打つ音が聞こえていたが、朝起きてみると雨は止んでいた。だが天気予報チャネルでは依然として雷雨注意報を流している。

まずは、またも高速船で10分の竹富島にわたる。竹富島でまず訪れたのがカイジ浜、別名を「星砂の浜」・・・西表島にも「星砂の浜」と呼ばれる浜辺があるらしいが、いずれも星の形をした砂が拾える。この星砂は幸福をもたらすのだとか。むかしは星砂もたくさんあったのだが、今は見つけるのが少し難しくなったそうだ。本当はもっと潮が引いたときに砂に掌を押し付け、手に付いた砂の中から星砂を探し出すのだが、時間的にもまだ引き潮ではなく探しにくい。その星砂っていったい何かというと、その正体は海藻に付着して生活している原生動物「有孔虫」の抜け殻で、2~3ミリの大きさ。星砂といっても鉱物質の砂ではないのだ。よく見ると確かに星の形をしている。浜辺では星砂を小さな瓶に入れて200円くらいで売っているが、後でバスの中で添乗員からみんなに小さなビニール袋に入れた星砂が配られた。

浜からバスに戻り、島内を一回り。その後今度は水牛車に乗ってゆっくりと回る。この竹富島の特徴は、この地方の伝統的町並みを守っていること。石垣島などでは台風に強い鉄筋コンクリートの建物が主流になってしまっているが、竹富島では島民たちが協力して、赤瓦屋根の建物とサンゴ石を積み重ねた石垣、それに白砂を敷き詰めた道路という街並みを維持している。建物を新築、改築する場合でも、赤瓦屋根の平屋建てにし、ガラス窓もすだれ等で覆って外から見えなくしなければならない。そのおかげで、この島は町並みそのものが観光資源になり、多くの観光客を惹きつけている。ひところ流行った、というか政府から半ば強制された市町村合併ブームのときにも、石垣市との合併話が出て、石垣市側は賛成する市民が多かったものの、竹富町では住民投票で否
決されたそうだ。ある意味、地方分権のモデルとも言えそうだ。もともと珊瑚礁でできた島だから、石垣に使うサンゴ石は土を掘ればいくらでも出てくる。石垣はサンゴ石をただ積み上げただけで、さわるとぐらぐらする。石と石の間に隙間がある。実はこの隙間にこそ意味がある。何しろこのあたりでは台風も半端ではない。瞬間最大風速が70メートルを超えることもある。この石垣がコンクリート塀のようだったらその風圧をまともに受けて倒壊してしまう。ただサンゴ石を積み重ねただけの、隙間だらけの石垣は、その隙間から風を逃がし、猛烈な風圧をやり過ごすのだそうだ。

集落のまんなかに、「なごみの塔」と呼ばれる展望台がある。塔といっても高さはせいぜい5メートルもないくらいなのだが、少し高台にあって、周りの建物も平屋ばかりだから集落がよく見渡せる。コンクリート製の階段が急で、一度に一人しか登れない。階段の途中で登るのを諦めて引き返す人もいる。

ここの水牛車の御者は由布島と違って若い人なので、聞いてみると東京生まれでこの島に住み着いたのだという。

竹富島から石垣島に戻り、昼食を済ませて川平湾に向かう。どうやらここまでは天気も持っている。昨日の不動産屋さんで、川平湾という言葉がよく出てきたので、「どこですか?」と聞くと、「石垣島にきて川平湾に行ってないの?」とあきれられた。勉強不足なのだが、ここは日本百景のひとつにも指定されている、石垣島でも最高の観光スポットなのだ。本当はここでグラスボートに乗り、海中の珊瑚や魚たちを見る予定だったのだが、昨夜来の雨で海水が濁り、グラスボートの運航がキャンセルになっていた。その時間、浜辺に降りて写真を撮ったりしていたのだが、乗るはずだったグラスボートの船長と立ち話をした。彼も30代半ばくらいで東京出身。スキューバをやる大阪出身の奥さんとここに住んでいる。石垣島にきて、TSUTAYAもあり、マックスバリューも3軒あるのを知り、これなら暮らせると思ったそうだ。両親も将来はここに来てもいいと言っている。島人たちから同じ仲間と認知されるようになると生活も楽しくなってくるとのこと。

話しているうちに集合時間近くになり、まわりにツアー仲間の姿が見えなくなった。集合場所はどこだったかしらと思案していると、グラスボートの船長は「むこうの黒真珠館じゃないですか。みんなあっちへ行ったようだし。」で、5分ほど歩いて黒真珠館に向かうが人が集まっている様子はない。と、さっきの船長が走ってきた。「すみません。さっきバスを降りたところが集合場所でした。」わざわざ迎えに来てくれたのだ。

グラスボートのキャンセルで時間が余ったので、予定にない塩工場の見学が追加になった。その名も「石垣の塩」どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、昨日、「塩屋」で買った塩の生産現場だ。30前後の若者が出てきて、「皆さん、海辺に来てください。」工場は海のすぐ近く。海からパイプで海水を汲み上げて大釜で煮詰め、塩にするのだから、海に近いのは当然だ。「ここは観光地ではありません。みなさん、時間が余ったからうちに来たんでしょうが、特に見る物もありませんから、海辺のいい空気でも吸ってください。」どうやらうちの息子と同じ年齢らしいが、話を聞いていると、塩の製造だけでなく、環境問題などにもなかなかの見識の持ち主だ。

1985年に日本専売公社が民営化され、日本たばこ産業が設立されたが、塩の専売も同社が継承したものの、1997年に塩専売法が廃止され、塩の製造が自由化された。それから各地で独自の塩が製造されるようになったのだが、彼も家族とともに10年前に石垣の海水による塩の製造を始めた。「社長さん?」と聞くと「まあ、そんなもんです。」沖縄の塩として売っているものの中には、原料表示に「天然塩」とか「天日塩」とか書いてあると、福建省あたりから輸入した塩を加工したものがあるそうだ。工場では、塩から不純物を手作業で取り除く作業をしている。塩と言ってもかなりの手間暇をかけて製造している。これを「手塩にかける」と言うのだそうだ。

最後に、「唐人墓」を訪れたが、あいにく大がかりな補修工事がおこなわれており、足場と工事幕で見ることはできなかった。ここは、19世紀半ば、福建省から米国に連れて行かれる苦力(クーリー)たちが、船中での虐待に耐えかねて反乱をおこし、米国船の船長らを殺害した。船は石垣島に座礁し、400人近い苦力たちが上陸した。島民たちは彼らを救助、小屋を建てて援助したが、米国と英国の海軍が報復に訪れ、山中に逃げ込んだ苦力たちを殺害した。島民たちは生き残った苦力を助け、170人ほどを福建省に送り届けた。この墓は、殺された苦力たちの慰霊のために建てられたという。日本本土ではペリー来航に幕府が慌てふためいていた頃の話である。
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June 5, 2008 =Thu=

石垣島の天気予報は、今日は曇り時々雨。まあこの季節、沖縄は梅雨なのだからある程度の雨は仕方ないだろう。だが、今日は予報に反して時々晴れ間も覗いている。朝九時過ぎにホテルを出て石垣港から高速船で40分、西表島の大原港に着く。港からすぐ近い仲間川をクルーズ。このあたり、マングローブの林だが、この景色はちょうど4年前、マレーシアのボルネオ島に行った時に見たのと同じだ。だが、仲間川を遡り、折り返し点の船着場から少し歩いたところにある巨木には驚かされた。サキスマスオウノキというアオギリ科の熱帯植物で、その根が板のように地上に盛り上がっている。板根の高さは最大3メートル以上もある。昔はこの板根を船の舵に利用したそうだ。

クルーズの後はバスで美原に移動。今回の旅行のハイライトはここから水牛車に乗って潮の引いた海を渡り、対岸の小島、由布島にわたる。日本の一部とも思えないほどのんびりした情緒ある光景だ。ここで働く水牛たちは、もともと台湾から連れてこられた「大五郎」「花子」という名の一番いが繁殖したとのことで、最初の夫婦から現在の水牛たちに至る「家系図」もある。由布島まではその気になれば10分くらいの距離だが、水牛のゆっくりした歩みに、御車のおじさんも「お~い、お客さんがゆっくりでいいってよ。二時間くらいかけて行こうか。」などと声をかけ、自ら奏でる三線(さんしん)に合わせて唄いながら20分ほどかけて進む。

  でいごの花が咲き 風を呼び嵐が来た
  でいごが咲き乱れ 風を呼び嵐が来た
  繰り返す悲しみは 島わたる波のよう

  ウージの森で あなたと出会い
  ウージの下で 千代にさよなら

  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ私の涙

  でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
  ささやかな幸せは うたかたの波の花

  ウージの森で 歌った友よ
  ウージの下で 八千代に別れ

  島唄よ風に乗り 鳥とともに海を渡れ
  島唄よ風に乗り 届けておくれ私の愛を

  海よ宇宙よ神よ命よ このまま永遠に夕凪を

由布島は、どうかすると地図にも載らないほど小さな島だが、全体が熱帯植物園になっている。蝶の館だのブーゲンビリアの館だのが点在している。蝶の館は5年ほど前に沖縄本島で見たのとほぼ同じ。飛んでいる蝶も同じ種類のようだ。人を恐れることもなく、手を出すと手のひらに止まったりする。管理棟から出てきた男性をつかまえて話をする。この島に定住している人はおらず、植物園を運営する会社の従業員が20人ほど、島内にある寮に住んでいるだけだそうだ。

帰りもまた水牛車に乗って西表島に。そこからまた高速船で石垣港に戻る。港からホテルへは、来た時と同じバスもあるのだが、歩いても大した距離ではないので歩いて帰る。というのも、別の目的があったからだ。帰路、商店街で沖縄塩の専門店、その名も「塩屋」という店を見つけ、宮古島産の「雪塩」と石垣島産の「石垣の塩」を買う。このところわが家の料理担当を自認している私だが、塩には割とこだわりを持っており、トルコのパムッカレで買ってきた塩、ペルーのアンデス山地でとれた赤い塩などを使い、いまはやはり沖縄産の「ぬちマース」という粉のような塩を使っている。

「塩屋」で近くの不動産屋さんを教えてもらう。別の目的というのは、ちょっと訳があって石垣島で土地つきの家を買うとどのくらいするのかの目途を知りたかったのだ。不動産屋の店員と話していると、社長に代わってくれていろいろ親切に教えてくれた。この社長さん、ロータリークラブの地雷対策の副委員長をやっているとかで、昨日まで東京に行っていたという。東京はどこへ?と聞くと、西新宿のハイアット・リージェンシーとのこと。じゃあ、うちのすぐ近くじゃないか。石垣島の不動産事情は、当然のことながら場所によってさまざま。ただ、建築費は本土に比べかなり割高になるらしい。

今日の夕食は、ホテルの隣にある「あじ彩」というレストランシアターで琉球舞踊を見ながらの食事。八重山地方の明日の天気予報は、「雷を伴って激しく降るでしょう。」いったいどうなることやら・・・
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June 4, 2008 =Wed=

羽田を12時30分のJAL917便で発ち、那覇で日本トランスオーシャン航空便に乗り換えて石垣空港へ。那覇空港はトランジットだったが、以前来た時よりずいぶん立派になった感じだ。現在の空港ターミナルビルは2000年の沖縄サミットに合わせて1999年に完成したものだが、最後に沖縄に行ったのはいつだっただろうか。息子が沖縄にいたのは1996年から2004年にかけてだから、たぶん2000年以降も行ったことがあるはずなのだ。

今回のツアーは沖縄本島は素通りで、石垣島西表島の観光。西表島からは水牛車でわたる由布島に行くし、石垣島からはオプショナルツアーで竹富島にも行くので、八重山諸島のうち4つの島に行くことになる。今日は石垣空港に着いたのが夕方近くなので、みんさー工芸館鍾乳洞だけ見て,鍾乳洞のそばのレストランで八重山会席の夕食を済ませ、ホテル日航八重山に入る。大浴場での風呂の後、頼んでおいた指圧マッサージを受ける。マッサージ師はおばさんだが、なかなか力が強くよく効く。先ほど、土産物屋で買った一合入りの泡盛古酒を半分だけ、同じ所で買ったゴーヤチップや黒糖のかけらをつまみながら飲んで、早めに就寝。明日も同じホテルなので、泡盛の半分は冷蔵庫にしまっておける。だが、すでに梅雨入りしているこの地方、明日の天気予報は曇り時々雨、明後日は一日雨となりそうだ。

だが、この石垣島、県庁所在地である那覇とは410Kmも離れている。東京大阪間の直線距離に相当する。だから同じ沖縄県といっても天気だって必ずしも沖縄と同じとはいえない。距離で言えば台湾とは270Kmくらいだから、県庁へ行くよりも台湾のほうが近いことになる。地理的には、沖縄全体を指す南西諸島のうち、一番西側にある宮古諸島、八重山諸島それに中国、台湾と領土問題でもめている尖閣諸島を「先島諸島」といい、尖閣諸島も行政上は石垣市に属する。八重山諸島は有人、無人の20以上の島々からなり、行政上は石垣市、八重山郡竹富町、同与那国町の一市二町からなる。なお、石垣島、与那国島以外の島はほとんどが竹富島に属するが、竹富町の町役場は竹富島ではなく石垣島にある。従って、石垣島には石垣市役所と竹富町役場が存在する。
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June 1, 2008 =Sun=

1時過ぎに百人町のNakid Loftへ。着くともう行列ができている。今日は短歌の歌人・辰巳泰子の朗読ライブがある。一番前の席が取れたが、ぎゅうぎゅうに詰め込んで約50席の椅子はすぐに満員。入口で入場料4000円と引き換えに辰巳さんのDVD「聖夜」をもらう。今日のライブはこのDVD発売記念とのこと。DVDの定価が3500円で、ワンドリンクが付いているから入場料はただみたいなもの。今日のライブ、数日前の「きっこの日記」に紹介されていた。 場所も家から10分で行けるところなので、すぐに予約したのだ。

まずは、辰巳さん、枡野浩一さん福島泰樹さんと、歌人三人によるトークショー。いかにも素人っぽい進行が好ましかった。少し遅れて到着した福島さんが参加してようやく鼎談らしくなる。福島さんは絶叫短歌の雄。私より二つばかり下だが、学生運動を引きずってそのまま老年になったような人。だが、トークの中で、「60年安保から全共闘に到る運動が挫折に終わり今は見る影もないのは、あの頃の若者が軍歌ばかり歌う上の世代を無視しすぎたからかも知れない。自分たちもともに軍歌を歌ってみる余裕があればもっと違う展開になった可能性がある。」と言っていたが、考えさせられる。これに対してまだ40歳前後の枡野さんは「かんたん短歌」というジャンルを切り開いてきた人。トークショーでお互いに節度を保ちながらちくちく遣り合うのが面白かった。

福島さんが、寺山修司の告別式の時の追悼文などを絶叫した後、辰巳さんが「リンゴの唄」を口ずさみながら着物姿で登場。辰巳さんによれば、この歌はもともとは「もっと明るい軍歌を作ろう」という趣旨で「軍歌」として作られたが、「あまりにも軟弱」として大本営の検閲を通らなかった。それが戦後、GHQの検閲は問題なくパスして戦後の社会に流行した、という背景があるそうだ。と、これはさっきの福島さんの「軍歌」発言にひっかけたもの。短歌の朗読ライブというのは初めてだが、思ったより味わい深い。辰巳さんの「生」を見つめるしっかりした姿勢と正直な言葉のなせる技なのだろう。DVD収録の短歌を無断で引用させてもらう。

  子を抱き往けば坂ある道と知るいつも通りて過ぎ来し道を
  電飾が樹木をさらに暗くした もともと暗い いのちといふは
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