Diary


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January 31, 2009 =Sat=

歌舞伎町の映画館でミュージカル映画「マンマ・ミーア!」を観る。同名の舞台ミュージカルの映画化。映画の中でもミュージカルはあまり好みのジャンルではないが、舞台がギリシャのエーゲ海ということに惹かれた。といっても、エーゲ海の小島で安ホテルを経営するアメリカ人母娘と、その娘の父親かも知れない3人の男性、母娘の友人たち、いずれもアメリカ人とイギリス人で、ギリシャ人は背景に映る程度だ。母の方が主役だから、女優達の年齢は高く、お世辞にも美人と言えないが、その分、歌やダンスはうまい。最後はハッピーエンドで盛り上がる。

映画の後、同じ歌舞伎町で、いつも行くスポーツジムの隣のビルにある「ルクソール」というエジプト料理店で夕食。古いビルの5階で、裏口かと思うようなドアを呼び鈴を押して開けてもらうのだが、中は凝ったエジプト風の内装。6時の開店直後は空いていたが、すぐに満席になる。聞いてみると今年が開店7周年だそうだ。3500円のコースを注文。サラダ、野菜スープに続いてナイルパーチ(スズキの一種)の煮込み、ラクダ肉のコフタ(ミートボール)、コシャリ(混ぜご飯)、アイスクリームとかなりの量になる。最後にコースとは別にシーシャ(水たばこ)を注文。この店、エジプト料理という珍しいジャンルで前から気になっていたのと、来月後半にエジプトを旅行する予定であることから試してみたのだが、私はともかく、妻はこういった中東風の料理はあまりお気に召さないようだ。
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January 27, 2009 =Tue=

昨夜に引き続いての新年会。今夜のメンバーは関西の同じ大学を卒業した同期生。今夜の会合では、やはり同じ大学を2000年に卒業したジャーナリスト小林美希さんを講師に呼んで、今や社会問題化している非正規雇用についての話を聞く。私などは彼女の説に賛同することが多いのだが、17名の出席者には現役の一部上場企業の社長をはじめ、経営側の立場でこの問題に取り組んでいる人たちも多いので、かなり議論が活発になる。「同一労働、同一賃金」ということについては両者の意見が一致するのだが、正規・非正規の別なくレイオフを容易にしたいというのが経営に軸足を置く人たちの主張。かつての「日本型経営」で雇用を守りぬくという経営姿勢はすでに過去のものとなったということか。

昨夜のグループも今夜のグループも、その連絡網はYahoo!のグループを作り、その維持管理を私が引き受けている。このグループのアドレスにメールを流すとグループのメンバー全員に配信される仕組みだ。ところがどういうわけか、今夜の大学グループのメールが、近頃こともあろうに管理人である私のところにだけ配信されなくなってしまっている。どうやら私のメールサーバがアメリカに置かれているため、このサーバが同グループのアドレスをスパムメールと見做してしまっているらしい。まあ、メールはグループのホームページで見ることはできるのだが。
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January 26, 2009 =Mon=

オフィスのある丸の内仲通りビルの隣、丸の内マイプラザ地下の中華料理店・煌爛で会合。今日のメンバーは45年前に同じ商社の大阪支社に入社した同期生たち。全部で30名余りだが、そのうち東京圏に住んでいるのは半分程度、そのうち今夜は11名が出席。私は1月下旬に海外出張を予定していたので欠席の連絡をしていたのだが、出張が繰り延べになったので幹事に頼んで入れてもらった。30名あまりといっても、この歳になるともう物故者が3人いる。かつて「アフリカの星」と呼ばれ、会社を辞めたあともナイロビで仕事をし、一昨年ウガンダで交通事故で亡くなったS氏もその一人だ。話題は資本論からユダヤ人論まで広がるが、やはり齢のせいかみんな酒の量は少なくなってきたようだ。
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January 17, 2009 =Sat=

旭川で仕事をしている息子が久しぶりに帰京したので、娘も呼んで歌舞伎町のふぐ料理屋で会食。娘のところの双子たちは夫とそのご両親が面倒を見てくれている。北海道にも、いや旭川にもふぐ料理屋はあるはずなのに、なぜか息子は帰ってくるとふぐ料理屋に行きたがる。彼のお気に入りは新宿大ガード西の交差点に立つレストランビルの「唐人凧」という、ふぐ鍋、しゃぶしゃぶ食べ放題という店だったのだが、いつも出勤途上に見かけるこのビルから「唐人凧」の看板がなくなっている。ネットで調べてもあまりヒットしない。だが電話番号は分かっているのでかけてみたら、全然別の名前の店が出た。この名前の店、銀座店はやっているようだが、新宿は閉めて別の店に変わったらしい。それで、ときどき行く歌舞伎町の「玄品ふぐ」にした。旭川といえば気象庁の公式記録でマイナス41度という最低気温の日本記録(1902年)を観測したところだが、今日の東京は晴天で比較的暖かく、寒冷地からの訪問客にはよい贈り物となった。
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January 8, 2009=Thu=

妻も私も仕事を持っているので、家の掃除は月に二回ほど人を頼んでいる。これまで区のシルバー人材センターやハローワークを通じて、高齢だが元気な女性に来てもらっていたが、高齢者だけあって家庭の事情や健康上の理由で仕事を辞め、長続きしない。今度も妻がハローワークに求人を出したところ、すぐに応募してきたのが20歳の中国人。大丈夫だろうかと面接してみたら、釈由美子に似た可愛い女性で、杭州から3か月前に来日し、日本語学校で勉強中、将来は日本で美容師の勉強をして故郷で美容院を開きたいという。実家は玩具工場を経営していて、小学生のころから学校の寮生活ということで、若い割に考え方もしっかりしている。今週からお願いすることにした。

昼過ぎから総武線に乗って新小岩へ。年末に整理したのだが、亡くなった父が生前買い集め、その後甥が譲り受けた記念切手。これを売却処分してくれと頼まれていたのだが、期待とは裏腹に、今は記念切手なんて額面の半額程度でしか換金できない。そこで少しでも高く買ってくれるところをネットで探したのが、この新小岩の金券ショップ。郵送でもいいのだが、額面で数十万円にもなるので、直接出向いた。金券ショップで切手を売るなんてのは初めてのことなので、何かトラブルでも起こるかと心配したが、案外簡単で、束にした切手を預け、1時間ほど駅前の喫茶店で時間をつぶしたところに電話がかかってきて、「検品が終わりましたので店へどうぞ。」当方の分類と少し違っていたところがあったが、買い取り金額はこちらで計算したのと200円ほどしか違わず、即座に支払ってくれた。あとはこれを甥の方に送金してやれば手続き完了。

ちなみに、買い取った切手をどう捌くのか聞いてみたところ、案の定、郵便局で普通切手に換えるのだそうだ。確か1枚5円の手数料がかかるが、金券ショップが纏めて持ち込むと手数料も大口割引があるのかも知れない。事実、私が店にいる間に、郵便局から御用聞きに来ていた。郵便局(日本郵便)の方はといえば、受け入れた記念切手を再販売するのではなく、消却してしまうのだろう。一枚一枚は少額だが、郵便局にとって切手とは旧郵政省から郵便事業公社を経て引き継いだ社債のようなものだから、一般の会社が社債を買入消却するのと同じことだ。そうすることによって過去に大量発行し、希少価値のなくなった記念切手の流通量を減らし、希少価値を上げることによって、切手ブームの再来を狙っているのかも知れない。収集家が退蔵する切手の発行は、民営化された日本郵便にとって非常に美味しい商品だが、旧郵政省時代に大量発行によって記念切手の希少価値を無くし、自らその商品価値をなくしてしまったので、いまはその回復作業の一環として過去の切手の償却に励んでいるのだろう。であればこちらも金券ショップを通さずに郵便局で普通切手に交換すればいいのだが、交換した普通切手の処分ルートを持っていないので、また金券ショップに持ち込むことになり、結局は最初から金券ショップに売るのと変わりなくなるのだ。
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January 3, 2009 =Sat=

双子の世話に明け暮れる娘夫婦を、正月の一日だけでも解放してやろうと、朝から妻と二人で育児の肩代わりに出かける。いつものように、昼食を食べさせ、昼寝をさせ、散歩に連れ出し、帰って夕食を与え、風呂に入れる。とくに大変なのが食事だ。少し体調が悪いこともあって、なかなか進まない。諦めて食事テーブルから下ろし、エプロンを取った後で、試しにもう一度食べさせてみると今度は食べ始めたりする。今日も天気がよかったので陽のあたるうちに散歩をさせたかったのだが、昼寝が長引いたため、ベビーカーで北の丸公園に着いたころにはすっかり陽は陰ってしまっていた。公園の芝生には、愛犬家たちが犬を連れてきている。子供たちにはこれにとても興味をひかれるようだ。陽が陰るとさすがに寒い。子供たちには十分厚く服を着せているので心配ないが、薄着のこちらの方が凍えそうだ。
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January 2, 2009 =Fri=

年末からの晴天は年が変わっても続いている。一昨年の新年は南極旅行への途次、アルゼンチン最南端の町ウシュアイアで迎え、昨年はモロッコへの出発準備に追われたが、今年はどこにも出かけず家で過ごすことになった。それというのも、1月下旬にアフリカへの出張を予定したいたからだが、担当者の手違いから先方と日程調整ができず、出張は3月以降に延びそうだ。1日、2日とスポーツジムも休みなので、テレビでも見て過ごそうかと思ったのだが、いつもどおり年始のテレビ番組にはろくなものがない。まあテレビ局も休みの間はあらかじめ撮り溜めたバラエティなどでお茶を濁したいのだろう。で、年末から録画しておいたテレビ番組を見る結果となった。ひとつは「李香蘭」の生涯を描いたドラマ、もう一つは第二次大戦開戦に至る近衛内閣から東条内閣への時代を描いたもの。「李香蘭」の方は、やはり先日見た「川島芳子」のドラマと重なる。日本人・山口淑子として生まれながら中国人歌手・女優として喝采を浴びた李香蘭、逆に清王朝の家系に生まれ、日本人の養女となって関東軍のスパイとして活動した「男装の麗人」。この二人には交流もあったのだが、終戦とともに二人とも中国人でありながら祖国を裏切った「漢奸」の容疑で逮捕・拘禁される。結局、李香蘭は日本人であることが証明され、帰国が許されるが、川島芳子は銃殺刑に処される。ただ、銃殺されたのは替え玉だという説も消えない。「東条」の方は、日本国民を塗炭の苦しみに陥れた総理大臣が、陸軍の出身でありながら「統帥権の独立」という旧憲法のもと、陸軍参謀本部など軍令部の前に無力であった様子を描いている。東条英樹役のビートたけしが本物そっくりであるばかりでなく、その無力さを好演している。あの戦争から60数年を経たいま、この種のドラマが多く放映されるのはなぜだろう。そういえば、先月のハワイ旅行でわれわれも初めて、それも日米開戦の日にパールハーバーを訪れたのだった。
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