Diary


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February 25-28, 2009

今回の出張で唯一マイナーな航空会社の飛行機に乗るのが、アルジェからカサブランカへの移動だ。マイナーな航空会社というのはアルジェリア航空。他にもチュニス航空とかロイヤル・モロッコ航空とかもあるのだが、なぜか日本からは予約が手配できなかったのだ。アルジェリア航空について事前に聞かされていたのは、まず間違いなく予定の時間には飛ばないということ。飛行時間は2時間弱なのに、5時間や6時間遅れは普通だし、キャンセルになることもある。エールフランスでパリ経由のほうが余程確実だと聞かされていた。ところが、いざ乗ってみると、定時出発の定時到着。大幅遅れは全くの杞憂に終わり、アルジェリアよ、なかなかやるじゃない、という感じだ。

カサブランカは、ほぼ1年前、昨年の1月のモロッコ観光の際に来ている。その時は、初日はカサブランカ空港からそのままバスでフェズに行ってしまったし、帰りはマラケシュから列車でカサブランカについて一泊しただけだったが、だいたいモロッコ観光でもカサブランカなんて旧市街(メディナ)とハッサン二世モスクくらいしか見るところがない。あの時は、ホテルにチェックインしてから夕食までの合間に、妻と映画「カサブランカ」の舞台を模したRick's Cafeに行ったのだった。滞在中、駐在事務所のモロッコ人の女性(40代と20代)とディナーをともにする機会があったが、「カサブランカって映画見たことある?」と聞いてみたら、意外なことに二人とも「そんな映画、聞いたことない。」との返事だった。まあ、そういえばあの映画はフランス植民地時代の作品だし、あくまで西欧の目で西欧社会を舞台に撮った作品なのだから、現代のカサブランカの住人たちが興味を示す理由はないのだろう。

アルジェリアでは、閉鎖経済のため金融危機の影響は余り大きなものではなかったが、ここモロッコでも影響は欧米・アジアなどに比べれば少ないようだ。その証拠に海辺のアイン・ディアブ地区では大規模リゾートの開発が進行中で、昨年泊まったメリア・リヤド・サラム・ホテルは工事の影響で閉館していた。今回泊まったのは、中心街のル・ロイヤル・マンスール・メリディアンで、出歩くのにも便利なところにある。
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February 22-25, 2009

マグレブ3国のうちでもアルジェリアは、かつての社会主義政権の影響があること、石油や天然ガスの産出があり観光収入に依存する必要がないことなどから、外国人の受け入れにはモロッコやチュニジアほど積極的ではない。だから3国の中でも唯一入国ビザが必要だし、入国手続きも煩雑だと聞いていた。入国に際してはCurrency declarationも要求され、出国の際、申告内容と矛盾があると所持金を没収されることもあるとか。で、さっそく通貨申告のブースにいったもののブースには人影がない。でも申告用紙は置いてあるので、それに記入していると、係官が鼻歌を歌いながら現れた。「それ、シャンソン?」と声をかけると「そうだよ」とご機嫌な答えとともに、申告用紙の内容も確かめずにサインしてくれる。O君などは、申告書にまだ所持金の金額を書いてないのに、ブランクのままサインしてくれる。あとで、駐在員から「その申告書、貴重だよ。好きな金額を書きいれればいいんだから。」と言われる。荷物の通関もスーツケースを開けることもなくパス。

着いた日は日曜日だが、イスラムの戒律が厳しいこの国は、休日は木曜と金曜で、土日は仕事日なので、飛行場からオフィスに向かいすぐに仕事にかかる。アルジェ市内は多発するテロに備えて警戒が厳重で、街中そこここに機関銃を持った警官がいる。彼らは交通警官も兼ねているようで、街には交通信号というものがほとんどなく、警官たちが交通整理をしている。オフィスやホテルも警戒厳重で、この国の最大の産業は石油だが、その次は警備産業だという説もあるほどだ。泊まったホテルは格式の高そうなホテル・エル・ジャジールだが、ここも門を入ると車の検査があり、曲がりくねった道をかなり進んでやっとホテルの玄関に着く。

市内にはレストランもあるにはあるのだが、最近は政府が酒類提供免許の更新を認めず、廃業に追い込まれることも多いそうだ。こうしたところの駐在員は苦労が絶えないが、単身赴任の長いわが駐在員宅に行くと、むかし同僚だった彼自身、すぐれたシェフになっていて、手料理をご馳走してくれる。キチンにはフランス料理の手引書が2冊も置いてあり、鶏肉のクリームソース煮込みという本格的なものだ。

アルジェといえばカスバ。思い浮かぶのはジャン・ギャバンの名作「ペペ・ル・モコ(望郷)」だが、カスバは今や、というか昔からなのか、とても外国人が入れるところではない。日本からアルジェのカスバを訪れるツアーもあるようだが、駐在員の勧告ではうかつに足を踏み入れない方がいいようだ。その代り、「ペペ・ル・モコ」の舞台になったホテルで昼食を取る。このホテルも今や老朽化して格が落ちたせいか、ランチの客も見たところ地元の人たちばかりで、外国人の姿は見かけない。もっとも、この街の中心部で外国人が歩いている姿はほとんど見られない。だが、ホテルのレストランからは「望郷」の舞台である港の風景が目の前に見える。あの有名なラストシーンで、ペペがギャビーの名を呼びながら縋りつく鉄柵も、近年、テロ防止の名目で無粋な鉄板に置き換えられていた。
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February 21, 2009 =Sat=

成田空港のラウンジで朝食を済ませ、午前の便でパリへ。JALのビジネスクラスに乗るのは久しぶりだ。確か2003年にオーストラリアに出張した時が最後だと思う。あの時は帰りの便でスチュワーデスが席にやってきて、「ただいま、米軍のイラクへの攻撃が始まったとの連絡が入りました。」と伝えてくれた。ブッシュの泥沼戦争の始まりだった。シドニーでは、出張先のオフィスから見下ろす位置にあるオペラハウスの屋根に誰かが”NO WAR"の文字をペンキで書いた。ブッシュを支持して戦争協力を早々と打ち出した豪政府への抗議だった。それはともかく、JALのビジネスクラスのシートはずいぶん快適になった。シートがシェルの中に納まる形になっているので、後ろの席に気兼ねせずシートを倒せるし、ほとんどほとんど180度フラットにまで倒すことができる。13時間ほどのフライトで、午後4時前にシャルル・ド・ゴールに到着する。この空港には今回の出張中何度も世話になることになる。

空港からヒルトン・アーク・ド・トリオンフまでタクシーでチップを入れて40ユーロ。ユーロはこの前クロアチアに行った時の使い残りだ。パリに来るのもずいぶん久しぶり。この前に来たのは1996年頃。通貨はまだフランだった。今回の出張に同行のO君は入社6年目で高校まで米国で過ごした帰国子女だが、パリには子供のころに来たもののほとんど記憶がないというので、凱旋門からシャンゼリゼを歩いてみる。なにしろ泊まっているホテルはその名の通り凱旋門のすぐ近くなのだ。ついでに、会社のフランス法人のオフィスもこの近くだったはずなので、寄ってみると確かに記憶通りの場所にあった。今日は土曜日だから休みだけれど。凱旋門へ通じる地下道には東欧系と思しき観光客が大勢いたが、季節外れなのか日本人はほとんど見かけなかった。

シャンゼリゼをコンコルド広場まで歩き、地下鉄に乗ってエッフェル塔へ。夜空にライトアップされた塔の下では、展望台へのエレベーターを待つ人たちが長い列を作っていたが、そろそろお腹が空いてきたので引き返す。30年以上むかし、子供連れでこのエッフェル塔に来た時は、塔の下の屋台でクレープを食べたのを思い出した。

地下鉄でエトワール広場に戻り、地上に出るとそこはAvenue de Wagramの一角。近くに並んでいるイタリア料理とフランス料理の店のメニューを見ると、フランス料理店のメニューはフランス語だけだが、イタリア料理店は英語併記のメニューなので、足はそちらへ向かう。サラダとパスタだけで済ませるも、予想通り量はかなり多い。明日からはマグレブで仕事なので、早めにホテルに戻り就寝。

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February 13, 2009 =Fri=

家の近くにチュニジア料理の店がある。ネットで口コミ情報を探るととても評判がいい。チュニジア人夫婦でやっている店で、昼食時にいくと空いたテーブルで小学生の子供がゲームで遊んでいたりする。今晩8時に予約を入れていたのだが、行ってみると手違いで満席。30分ほど近くのコンビニで週刊誌を立ち読みしてから戻ると、恐縮したご主人からチュニジアワインのフルボトルを差し入れられた。何でも土曜、日曜はメインシェフである奥さんが大阪で講演をやるとかで、予定しているマグレブへの出張前にチュニジア料理を試してみるには今日しかないのだ。

去年旅行で行ったモロッコの料理と同じようなものだろうと思っていたが、シェフの腕がいいせいか、こちらの方がずっと口に合う。だからこそこんなに満席になっているのだろうけれど。チュニジアワインも口当たり良く、二人でフルボトル一本空けるのは無理かと思っていたが、結局全部飲んでしまった。残念だったのは店主夫婦が忙しすぎてほとんど話ができなかったこと。
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February 6, 2008 =Fri=

香港から高速フェリーで約1時間。マカオは面積28.6平方Km、ガイドの説明では渋谷区と同じというが渋谷は15平方kmしなかい。正確には千代田区と新宿区を合わせたくらい。ガイドに言わせると、「マカオ、人口53万人。観光客3000万人。マカオのガイド冷たいヨ。時間に遅れたらバイバ~イ。後は自分で帰るヨ。ヨロシク。」

マカオのシンボルともいえる聖ポール大聖堂跡。大聖堂は今に残る正面のファサードのみが石造りで、他は木造だった。度重なる火災で木造部分は焼け、ファサードのみが残った。聖堂の建設には中国人のほか徳川幕府の弾圧を逃れた日本人教徒も加わったという。ファサードに彫られた聖母マリア像の下に縮こまっているのは家康の像だとも言われる。カジノからの上りで財政豊かなマカオ政府が、あえて大聖堂を復元しないのは、ファサードだけが残ったこの姿が観光客を惹きつけるからで、全体を再建してしまえば普通の教会と変わりなくなってしまうからだとのこと。

マカオにはキリスト教会と並んで道教寺院も多い。ポルトガルの影響を受けた美しい広場もある。それらを見て回ったのち、338mのマカオタワーに登る。展望台は233m。ツアーの中にいた若者2人がここからバンジージャンプに挑戦するという。展望台の一部は床がガラス張りになっていて、その上に横たわると地上233mの空間に浮かんでいるような、というか足もとがむずむずする不安感に駆られる。二人ともバンジージャンプは成功したようだ。もっとも、成功しなければ大変だが。

マカオは、言わずと知れたカジノの街。われわれが入ったカジノは、規模は大きいがほとんどがスロットマシン。ルーレットのテーブルもあるが、見ているとディーラーはおらず、チップも液晶画面にタッチして賭けている。スロットもコインを使うのではなく、画面に持ち点や賭け金が表示される仕組み。奥の方にはちゃんとディーラーのいるテーブルがあって、ブラックジャックやルーレットをやっているらしいが、そちらは会員制のようだ。今度の旅行、日数も短いのでジーパンとシャツにカーディガンという服装だったから、カジノに入るのに何か言われるのではと心配だったが、マカオのカジノではドレスコードなんて全く気にしないらしい。


マカオから九龍のフェリー発着所に戻る。ここは超大型ショッピングセンターのハーバーシティの隣なので、ホテル送迎のバスを断り、ハーバーシティのブランドショップを覗いて歩く。夕食は同じショッピングセンターの中で、鮑入りお粥とワンタンで済ます。ハーバーシティから香港文化中心、そごう、新世界中心を経て海に面したプロムナード、Avenue of starsを散策しながら対岸の香港島の夜景を楽しむ。陸橋を渡って尖東駅に行こうとしたが道が分からず、犬を連れたおばさんが向こうからやってきたので、尖東駅と紙に書いて見せる。首を傾げながらも、同じ方向だから着いてこいと歩きだす。駅に着いたら何のことはない、新世界中心から地下道を通って来れるのだった。

3泊4日といっても、実質は二日だけの香港、マカオへの旅。コストパーフォーマンスはまずまずといったところだった。
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February 5, 2008 =Thu=

昨夜遅くにキャセイ航空便で香港着。九龍のRoyal Plaza Hotelこと帝京酒店に投宿。香港はほぼ10年ぶり。いままで何度か来ているが、仕事だけで観光に訪れたのはこれは初めてだ。この10年で、Two IFCをはじめ、香港にはさらに多くの超高層ビルができたようだ。30年以上前に初めて香港に来た時は、九龍の啓徳空港だったから飛行機は人家の密集する上をビルすれすれに着陸した。しかし新空港ができたおかげで九龍地区の高度制限も撤廃され、今は九龍側にも415mのTwo IFCを超える高さのビルが建設中だ。だが九龍も少し奥に入った、表通りに面していないところでは旧いビルが煤けた外壁を剥き出しにしている。帝京酒店はショッピングセンターの新世紀廣場(Grand Century Place)に続く立派なホテルだが、九龍でもやや奥まったところにあり、尖東駅から東鐵綫で二駅の旺角東駅と結ばれている。

観光は初めてということで、定番の市内観光に参加。まずは香港島の南側にある浅水湾(Repulse Bay)。冬だから人はあまりいないが、きれいに整備された砂浜が広がっている。背後の山に建てられたマンション群は家賃が月数十万円の高級住宅地。さらに上にはジャッキーチェンの住居だという邸宅も見える。少し先に進むとけばけばしい色彩を施された天后廟がある。頭から足の先までなでると金運がつく像とか、一度渡る度に三日長生きするとか、ご利益の分かりやすい寺だ。むかし、ジェニファー・ジョーンズとウィリアム・ホールデンが演じた映画「慕情」(原題 "Love is a many-splendored thing")の舞台になったのがこのあたりのはずだが、中国人のガイドはそのことに触れない。あとで、「日本で『慕情』ってタイトルで公開された映画の舞台はこのあたりじゃないの?」と聞いてみると、中年のガイドは、「そうなんです。だけどこの頃の若い人に「慕情」のことを話しても全然わかりませんから。」言われてみればツアーの一行には若い人たちが多い。ビクトリア・ピークに上り、上から香港島と九龍半島を一望する。ピークトラムの山頂駅付近で、ガイドが「あの建物も『慕情』に出てくるんですよ。」と私だけに教えてくれる。


飲茶の昼食を済ませ、九龍に戻って香港最大の道教寺院である黄大仙へ。正月明けで人は少ないというのだが、それでもかなり多くの人たちが三本の線香を持って参拝している。三本の線香は過去、現在、未来を表すのだそうだ。ここは占いが有名だそうで、占ってほしいことを念じながら100本くらいの筮竹の入った筒を振り、最初に出てきた筮竹の番号を占い師に告げて占ってもらうというシステム。

今晩の夕食は特に決めていないので、ガイドの勧めでビクトリア湾のディナークルーズを申し込む。これにはオープントップバスによる市内ドライブと女人街の散策がセットになっている。まずはオープントップバスで海岸部を走る。街はすでに夕闇に包まれ、ビルの外壁には照明が踊る。バスはネイザンロードを北上、女人街に入ったところで徒歩散策に移る。クルーズに行くのは別のバスになるので荷物を持って降りなければならない。先ほど免税店で買った大きな買い物袋をぶらさげて人ごみの中を散策するのは少しつらい。約30分の散策の後、バスで港へ。クルーズ船に乗船したのは8時少し前。8時からビクトリア湾を挟んで、香港島、九龍の海岸部に立つ高層ビル群からレーザー光によるショーが行われるので、食事は後にしてデッキに出る。レーザーショーは8時15分まで続く。フィナーレに何か派手な演出でもあるのかと、皆が船室に降りて行ったあとも最後までデッキに残っていたが、特にパーフォーマンスもないままショーは終了。


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