Diary


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April 30, 2009 =Thu=

いつも愛読している「きっこの日記」に、「鳥インフルエンザはいつまでんも鳥インフルエンザだが、豚インフルエンザはアメリカの農務長官が豚肉輸出への影響を懸念して『豚インフルエンザ』の呼称は好ましくない。」と発言したとたん、日本政府もマスコミも豚インフルエンザから新型インフルエンザに呼び名を変えてしまった。」と書いてある。確かに新聞でもテレビでも少し前までは「豚インフルエンザ」と言われていたのが数日前からは「新型インフルエンザ」に変わってしまっている。それでNew York Timesをチェックしてみると、ここでは今でも"swine flu"と書かれている。農務長官の発言にもかかわらず、本家の方ではちゃんと「豚インフルエンザ」と呼んでいるのだ。つまりアメリカのマスコミは政府がなんと言おうと自分の判断で「豚インフルエンザ」と書いているのに、日本のマスコミも政府も米国政府のご指示に素直に従っているということになる。ちなみに豚インフルエンザって"pig flu"というのかと思っていたが、"swine (=豚の)"という単語を使うらしい。また、鳥インフルエンザは"bird flu"とも言うが、NY Timesで見る限り"avian flu"と書かれている。"avian"は「鳥の」という形容詞で、もしかしたらaviation(航空)はこれが語源になっているのかも知れない。

それにしても麻生太郎って政治家はまったく運の強い男らしい。あれだけ国民から見放されていたにもかかわらず総理の座にしがみ付いている間に、ライバルの小沢一郎が西松建設事件でミソをつけ(麻生が裏で手をまわしたのか、霞が関の官僚が自分たちの権益を守るために検察を動かしたのかどちらかだろうが)、敵失による支持率回復を招いたと思ったら豚インフルエンザ騒ぎ。このような危機が発生している状況では、たとえうんざりしてはいても、この時点で政権交代をさせようという機運は盛り上がらないだろう。そのためか、あの鼠男、じゃなくて厚生労働大臣がやけに張り切って、豚インフルエンザの水際作戦にいかに行動力を発揮しているかをアピールするため、さかんに危機を煽っている。
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April 25, 2009 =Sat=

朝起きて外を見ると案の定雨になっていた。露天風呂に行ってみると湯に雨粒が飛沫をあげている。早々に上がって部屋に戻るとフロントから電話で、われわれが乗る予定の15時50分発のジェット船が欠航と決まったとのこと。その前の15時発のジェット船が13時10分に繰り上げになる。9時になると東海汽船の事務所が開くので電話して予約変更をしてほしいという。時計を見るとまだ8時前。もしかして誰かが来ているかと東海汽船の元町営業所に電話してみたが、やはりテープ音声の応答しかない。これは9時になったらすぐに電話しないと予約は取れそうもないと思うが、ふと思いついて同じ東海汽船の竹芝営業所にかけてみる。昨日乗った船は8時半出発だったから、竹芝なら8時前でも開いているかも知れない。案の定、すぐに応答があった。予約変更を頼んだが、繰り上げの13時10分発は1席しか空いていないという。だがこの船は神津島から式根島、利島などを周ってくるので、そちらからのキャンセルが出るかもし
れないという。ではとりあえず1席だけでも確保してくれと頼むと、「ちょうどいま、空きが出ました。」ということで無事予約完了。

前日から、どうせ今日は雨だろうからと島内一周の観光バスを予約していたが、船が繰り上げになったのでこの観光バスに乗ったら間に合わないからキャンセル。だが、船までは中途半端に時間があるので、フロントに頼んで観光タクシーを手配してもらう。観光タクシーの運転手さんは、昔はバスを運転していた。1986年の三原山大噴火の際、彼も車で近くまで見に行ったそうだ。やがて危険が迫り、約1万人の島民全員が島を離れることになった。最初は自衛隊の船で、年寄りや病人が優先して乗ったのだが、旅客用の設備を備えた船ではないため、苦労したらしい。その後一般島民は東海汽船が提供した船で脱出したが、こちらの方が快適だった。そのとき溶岩が流れた跡を見、元町の火山博物館を通って地層切断面を見る。雨が激しいのでいずれも車の中からの観光だ。

大島に来たら見ておきたいのが波浮港。小説「伊豆の踊り子」や野口雨情作詞・中山晋平作曲の「波浮の港」で有名な港だが、元町港や岡田港と違って定期船が入るような港ではなく、漁船などが利用する小さな港だ。

  磯の鵜の鳥や日暮れにゃ帰る
  波浮の港にゃ夕焼け小焼け
  明日の日和はヤレホンニサなぎるやら

時間がないし雨も本降りだったので丘の上から波浮港を一望するスポット(たまたま運転手さんの奥さんの実家である土産物店の前)から眺めるだけ。このあたりには与謝野鉄幹、晶子夫妻をはじめ、島を訪れた文学者の歌や句の碑が数多く建てられている。

大島の船の発着は元町港と岡田港のどちらかだが、天候によってその日の朝に決まる。着いたのは元町港だったが今日の出発は岡田港。港近くの椿油の製油工場(ここのご主人も運転手さんの同級生だとか)を見学して船の待合所に行く。売店で昼食代わりに食べた地のりをまぶしたお結びが美味しかったので、地のりを一袋買う。ジェット船は利島からの到着が遅れたため、繰り上げ時間より30分ほど遅れたものの、無事竹芝桟橋に到着。
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April 24, 2009 =Fri=

朝8時に竹芝桟橋へ。伊豆七島に定期船を運航している東海汽船という会社の主催で、65歳以上の定額給付金を狙った伊豆大島へのセット旅行。往復の高速ジェット船と大島温泉ホテルの特別室をセットにして一日一組限定2万円という。まあ正規料金ならジェット船の運賃だけで片道6390円だから割安といえば割安だ。ジェット船は8時半出発で大島・元町港まで1時間45分。まずはレンタサイクル店で自転車を借りて海沿いのサイクリングロードを走ってみる。私も妻も自転車は久しぶりだが、私はすぐに自転車の勘を取り戻したが、妻はかなりよたよたしている。少し平衡感覚が衰えてきたのかも知れない。大島のシーズンは椿の季節と夏の海水浴シーズン。今はどちらも外れているので典型的なオフシーズンだからサイクリングロードを走っている人は他にほとんど見かけない。だから少々よろよろしても誰にも迷惑にはならない。

1時間半あまり自転車を転がした後、レンタサイクル店に自転車を返し、昼食にいい店を聞く。紹介してくれたのは港の向かいにある南東館という店。ひらがなで「なんとうかん」と書いてある。昔は旅館だったらしい。いかにも漁港の食堂らしい、何となく懐かしさを感じさせる店だ。焼き魚定食とビールを注文。魚は「たかべ」といって、このあたりでとれる高級魚だとか。

食事の後は路線バスに乗って三原山頂口へ。路線バスと言っても一日3便しかなく、今日は13時50分発のこれが最終便。乗客はわれわれ二人だけ。山頂口
から三原山頂まで45分、山頂の火口を一周する「お鉢めぐり」に45分、そこから裏砂漠コースをたどってホテルまで1時間、あわせて2時間半と見当をつけるが、山頂口の土産物店などみんな閉まっているし、自動販売機さえ電源が切れている。駐在所があるもののお巡りさんの姿は見えない。バスの運転手の話では携帯の電波も届かないというので、こんなところで事故でも起こったら誰にも助けを求められないかも知れない。軽い不安を感じながら歩き始めたら、バス停の近くに一台のバスが停まり、大勢の人たちが下りてくる。貸し切りバスの団体らしい。これで少なくともわれわれ二人だけではないようだと安心して歩き始める。妻の足は遅いので、やがて団体の先頭の人たちに追いつかれる。聞いてみると、千葉の道路工事会社の人たちで、全社員を二組に分けての慰安旅行とのこと。ホテルも我々と同じだ。やがて団体の全員に追い抜かれ、火口見学口にたどり着いたときはまた二人だけ。あたりにガスが立ち込めてきたように見えるのは噴火口から立ち上る煙のせいだけだろうか。

ペースが予定より遅れ気味なので、お鉢めぐりは諦めてホテルに向かう裏砂漠の方へ向かおうとしたところ、岩陰から3人の男性が現れる。もうみんな引き揚げたと思っていたさっきの団体の人たちだった。火口を一周してきたらしい。われわれが裏砂漠からホテルへ向かおうとしているのを見て、止めた方がいいという。大きな岩があって女性では無理だという。彼らは山頂口からさっきの貸し切りバスでホテルに向かうので、それに同乗したらと誘われる。われわれだけで山道をホテルに向かうのに不安を感じ始めていた妻は早速その提案に飛びついた。山頂口まで戻り、待っていたバスに席を空けてもらって乗り込む。バスならホテルまで10分ばかりで着く。

部屋はこのホテルで一番大きい15畳の和室。部屋から三原山が望める。15畳の部屋はこの隣とそれに廊下を隔てた反対側の2室の計4室だが、反対側は部屋に風呂がない。この部屋と隣は部屋の中に源泉かけ流しの檜の温泉が付いていて、そこからも三原山が眺められる。だからこの2室が「特別室」ということになるのだろう。明日は天候が崩れて海も荒れるらしい。露天風呂に行ってみるとさっきの団体グループがいて、明日の船が出るか心配していた。「船が欠航になってもう一泊することになると、わが社始まって以来の2泊3日の社員旅行になるな・・」とか。
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April 22, 2009 =Wed=

御徒町の「月の雫」で、Hさんを中心にした「松戸会」の幹事会。Hさんと私以外の参加者は、元鉄鋼メーカーS社のYさん、元繊維素材メーカーT社のSさん、それに元商社M社のIさん。前回の松戸会はマグレブ出張のため参加できなかったが、Iさんも当日うっかり予定を忘れて欠席だったそうだ。いつもは会のときに創作詩吟を披露するIさんが、本来は先月の総会で披露するはずだった詩吟を小人数の幹事会で詠う。
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April 19, 2009 =Mon=

2月から3月にかけて一緒にマグレブに出張したO君がドバイに転勤になるので、その送別会を丸ビルのCITA・CITAで。彼は英語は生粋のバイリンガルだから不自由しないが、最初の転勤がアラビア語の世界では戸惑うことも多いだろう。だが、若くて体力もあるので活躍を信じたい。
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April 18, 2009 =Sat=

昨夜の泊まりは勝浦温泉のホテル浦島という有名旅館。海に浮かぶ一つの島(正確には島ではなく一部が陸に繋がっているらしいが、ホテルには船で渡って行く。)ランクアップのため、別館の「日昇館」に案内されたが、こちらはその名の通り東の海から太陽が昇るのが見られる部屋。しかし今日は曇りで残念ながら日の出は見られない。このホテル、収容人数3000名という巨大ホテルで、今も2000名ほどが泊まっているらしい。風呂もこのホテルの売りである「忘帰洞」をはじめ、本館、日昇館、なぎさ館、山上館と4つの建物に全部で8つくらいのふろがある。各館は渡り廊下やエスカレーターで繋がっているのだが、このホテルのキャンペーンなのか、それぞれの風呂の入り口にスタンプが置いてあって、ホテル側が配る紙に3つ以上のスタンプを押すと「粗品」が貰えるというので、宿泊客が渡り廊下を右往左往してスタンプ集めに躍起になる仕組みをとっている。「粗品」は本当に粗品で、入浴剤を一袋くれるだけだから、そんなつまらない行事は無視すればいいのだが、あいにく配偶者はこの種のイベントに弱いので、付き合わされることになる。宿泊客の中にはスタンプを集めるのが目的で、
風呂にはちょっと浸かるだけというのもいて、何かのんびり温泉を楽しむという雰囲気ではない。売り物の「忘帰洞」にしてもさほど素晴らしいものでもない。というわけで、この巨大ホテルの評価は「B」クラスがせいぜいのところ。

で、今朝はまず那智大社を訪ねる。昨日行った大門坂や那智の滝に近いのだが、今度は467段の石段を登っていく。467段というのは会談の数を「読むな」という語呂合わせに通じるそうだが、段を数えながら登ったところ、数え間違いがなければ3百数十段しかなかった。神社にたどり着くと、ちょうど何かの定例行事の日に当たったらしく、神主や巫女が儀式をやっており、やがて列を作って本殿の方に歩いてくるのにぶつかった。那智大社の隣が青岸渡寺。どうも神道や仏教についての知識が乏しいので理解に苦しむことが多いが、熊野権現というように熊野信仰には神仏混交のところがあり、日本古来の神は仏が姿を変えて現れたものという考えらしい。ちなみに「権」と書いて「ゴン」と読ませる「権大納言」とか「権僧正」とか言うのは、その字面からいかにも権力者のように思えるが、本来は「仮の」とか「定員外の」というような意味があるらしく、「権現」は「仮に現れたもの」、「権大納言」は現代風に言えば「大納言代行」、「権僧正」は「准僧正」と言った意味になる。

熊野古道の旅のメインはここまでで、あとは付け足しのようなものだが、その最初は串本の橋杭岩。弘法大師がここに橋をかけようとしたとき、天の邪鬼が出てきて大師と賭けをする。朝までに橋が出来れば大師の勝ち、出来なければ天の邪鬼の勝ち。ところが夜のうちに架橋工事はどんどん進む。これでは賭けに負けてしまうと焦った天の邪鬼は鶏の鳴きまねをする。さすがの弘法大師もこれに騙され、「もう朝か。私の負けだ。」と橋の杭だけを残して去って行った、という伝説。この橋の杭のような岩の列は、浸食作用によって岩のやわらかい部分が削られ、固い部分が残ったもの。

串本からまた白浜へ。一昨日泊まったホテルシーモアの前も通る。ここで訪れる白浜の名所は三段壁と千畳敷。三段壁ではエレベーターで三段壁洞窟に降りる。三段壁は「自殺の名所」となっていて、「白浜バプテストキリスト教会」の名前で「重大な決断をする前にいちど是非ご相談ください。連絡おまちしています。」との看板が立てられている。

帰りの飛行機は伊丹ではなく関西空港から。午後9時20分発という遅い飛行機なので、空港のお好み焼き屋で夕食にする。家に帰りついたのは12時を回っていたが、ツアー客の中には遠くから来ていて、都内で一泊するという人も多かった。
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April 17, 2009 =Fri=

朝起きてさっそく朝風呂。露天風呂の「梅樽の湯」とは写真のようなもの。このような樽が段差を変えて8つくらいある。もちろん源泉かけ流しだ。部屋と同様、西の海に面していて、夕陽が見られるのだが、今朝は少し曇り気味だ。

今日のメインは熊野古道ウォーク。熊野古道というのは熊野山中の細い道かと思っていたが、実は右の地図(Wikipediaより借用)のように広範囲にわたっている。現在でいえば、大阪府、和歌山県、奈良県、三重県にまでまたがっている。今日は地図で黄色で示されている中辺路の滝尻王子の付近から山に入る。このツアーは「語り部と歩く」という謳い文句が入っている。30人のツアー客が2グループに分かれ、それぞれに「語り部」がつく。滝尻王子の「王子」とは、京の貴人たちが熊野詣でを行うに際して、宿所と祭祀場所を兼ねたもので、九十九王子と言われるように紀伊路、中辺路のあちこちにあったらしい。滝尻王子の近くには熊野古道館があり、往時の熊野詣での絵巻や、生涯に34度も熊野詣でを行った後白河院のお付きの熊野詣で日記などの資料が展示されている。

また、瀧尻王子の近くには、奥州藤原秀衡夫妻が熊野詣での途上で産気づき、洞窟で子供を産み落としたという伝説がある。熊野権現が枕元に現れ、子を洞窟に残して熊野詣でを続けるよう指示する。秀衡夫妻はその教え通り熊野詣でを終えて戻ってくると、赤子は岩から滴り落ちる乳を飲み、オオカミに守られて育っていたという。何やらローマ建国伝説のロムルスとレムスの物語に似ている。

語り部さんの説明を聞きながら古道を歩いていくと、身長50センチくらいの、牛と馬に乗った人物の小さな石像がある。牛馬童子像といわれ、中辺路のシンボルとなっているが、それほど古くからあるものではなく、作られたのは明治時代らしい。平安時代に藤原氏の策謀によって皇位を追われた花山天皇が都落ちする姿をイメージしたものと言われ、花山帝はこの像の建つ峠で食事をしようとして箸が折れてしま
ったため、萱の枝を折って箸代わりにした。その萱から赤い露が滴り、帝は追われる身を嘆きつつ「これは血か露か」と問うた。このため、この峠を箸折峠、下の村を「近露(血か露)の里」と呼ぶようになったという。

われわれに語ってくれた「語り部」さん、「どのくらいこの仕事をされてるんですか?」と聞くと、「6年前、勤めていた会社を定年退職してからです。」とのこと。地元の方かと思いきや、「鹿島のコンビナートに勤めていました。定年後、女房の故郷であるこの地に来て、ボランティアでやってます。」人生、いろんな生き方がある。

語り部さんと別れ、熊野大社を訪ねた後、那智山中腹の大門坂へ。ここも熊野古道のメインスポットで、夫婦杉のところまで石畳の坂道をしばらく歩く。そこから那智の滝へ。この滝は昔、中学校の遠足や会社の仲間達の旅行で来たことがある。

さて、今回は近くを通っただけだが、那智勝浦に補陀洛山寺という天台宗のお寺がある。この寺では、9世紀から18世紀にかけて補陀洛渡海という慣習があった。遠くインドに観音菩薩の住む補陀洛という地があるとして、その地をめざして僧侶が小舟で海を渡るのだが、舟に設けられた小屋には四面に鳥居が立てられ、僧が入った小屋は出入り口が釘で打ちつけられ密室となる。僧には30日分の食料と明かりとりの油が与えられ、小舟は海を漂った挙句、水没してしまう。これは捨て身の修行と言われるが、熊野信仰が薄れ、参詣する人たちが少なくなったことから信者へのアピールのためにこのような捨て身の行為を行ったとも言われる。この補陀洛山寺の名や補陀洛渡海という言葉は今回の旅行で初めて知ったが、補陀洛という言葉は亡き父の俳句によって知っていた。

補陀洛へこの道つづくつくづくし 春宵
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April 16, 2009 =Thu=

朝の全日空で羽田から伊丹へ。世界遺産・熊野古道を歩くツアーだ。伊丹からは観光バスで一路高野山に向かう。途中、大阪市内から堺、泉南の各市を通っていく。昔の勤務先やら子供時代に両親に海水浴に連れて行ってもらった浜べやら、建売住宅を買おうと見に行ったあたりやらと、懐かしい地帯なのだが、それらを通り過ぎて和歌山に入る。高野山というと昔は女人禁制の聖地であり、何やら秘境じみたイメージがあるが、現実には和歌山県伊都郡高野町という町で、メインストリートには喫茶店や消防署に郵便局、それに銀行も南都銀行、紀陽銀行と二行もある、普通の町だ。別に高野山という山があるわけではなく、八つの峰々に囲まれた盆地を高野山と称する。言わずと知れた弘法大師(空海)が開いた真言宗の総本山だ。入口にはまだ桜が咲いている。空海が入定(死んだのではなく、今もそこに生きているとか)したといわれる奥の院に通じる広大な墓地には有名無名の個人の墓のほかに、さまざまな企業の慰霊碑が建てられている。案内人のおばさんがユーモアたっぷりに解説してくれる。建設関係の慰霊碑に並んでそれとは敵対関係にあるシロアリの供養碑があるとか、シャープ株式会社の社員慰霊碑は液晶テレビの形をしているとか・・・。ここの墓所が設けられているのは、上杉謙信と武田信玄、徳川家康と豊臣秀吉、織田信長と明智光秀などまさに呉越同舟。浄土宗の開祖法然や浄土真宗の宗祖親鸞なども祭られており、真言密教の聖地ではあるが宗派にもとらわれないのが特徴とか。このあたりは墓地なので写真は遠慮する。真言宗の総本山金剛峯寺は檜皮葺。燃えやすいので屋根の上には天水桶があり、梯子が立て掛けてある。火事になったら僧侶が梯子で屋
根に上り、天水桶の水で消火作業をする手筈だが、今は消防署があるし、消火作業ができる僧侶もおらず、天水桶は底に穴が開けてあって水は入っていないとか。


高野山を見た後は、高野龍神スカイラインを通って南紀白浜へ。白浜へはむかし大阪に住んでいた頃に何度か来た覚えがある。バスの窓から白浜のシンボルと言われる円月島を眺める。日没には少し早いが、逆光に浮かび上がる円月島はなかなか趣がある。

宿泊はホテルシーモアというホテルで、通された部屋はソファのある洋室と13畳ほどの和室の広々とした部屋。実は追加料金でホテルのランクアップを頼んでいたのだが、30人くらいの同じツアー客の中でランクアップわわれわれだけっだらしい。広い窓からは正面に夕陽が沈むのが見られる。大浴場と梅樽の湯という露天風呂も落ち着いていていい。夕食はランクアップの我々だけ個室での懐石風料理となり、ゆったりと味を楽しむ。食事の後、もう一度温泉に入り、マッサージを頼んで就寝。
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April 4, 2009 =Sat=

エジプトに出かける前は暖かかったので、今年の桜は旅行中に終わってしまうだろうと諦めていたが、帰国以来もう四月に入ったというのに寒い日が続く。おかげでこの週末が桜の見ごろとなった。我が家から一番手近なお花見は神田川沿いの遊歩道だ。桜はまさに満開。去年のDiaryを見ると、4月5日に神田川の桜を見に行っているが、そのときはすでに葉桜になっていて、川の両側には花びらがつもっていたのだが、今日はそれより1日早いだけなのに花弁はまだほとんど落ちていない。土曜日なので、遊歩道のあちこちではブルーシートを広げて花見の宴を開いている人たちもいる。われわれは隣の「中村屋」で買ってきたいなり寿司とおはぎが昼食代わりだ。それに缶チューハイというやや奇妙な取り合わせ。

これも去年と同様だが、小滝橋を通り過ぎたところにある「寒天工房讃岐屋」に入って蜜豆を食べ、求肥を買う。大正3年創業というこの店、目立たないにもかかわらず、この時期、ひっきりなしにお客が入ってくる。
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April 2, 2009 =Thu=

以前勤めていた美容関係の会社から電話があり、私が担当していた頃の海外子会社とのやりとりで分からないところがあるので教えてほしいとのこと。この会社、銀座2丁目にあったのだが、最近本社を新川の方に移転した。新しい社屋も見てみたいので会社帰りに寄ってみた。新社屋は地下鉄の茅場町から5分ほど歩いたところ。やや小ぶりなビルだが、一棟まるごとが社屋になっている。私が担当していた総務・経理関係は人もすっかり変わってしまっている。このあたり一帯はむかし霊岸島と言った。江戸時代に埋め立てて造成した島で、寛永元年(1624年)に完成したが地盤が軟らかいのでこんにゃく島という名が付いた。霊岸寺というお寺を立て、参詣客が地面を踏み固めた。霊岸寺は明暦の大火で焼失、深川に移転した。その後このあたりは越前松平家の下屋敷になったそうだ。私の祖母は霊岸島尋常小学校の卒業と聞いた。そういえば今年は祖母の三十三回忌になる。
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