Diary


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June 30, 2009 =Tue=

今朝も双子の一人を保育所に送るが、今日は迎には行けない。出身の商社が毎年株主総会終了後に行っているOBパーティに出席するからだ。場所はいつもと同じ、水天宮前のロイヤルパークホテル。出席者は1300人を超えたそうだ。この3月期の決算は純利益3700億円とはいうものの、前年比では1000億円近くの減益。リーマンショック以前だった昨年のOB会と比べると社長のあいさつにも心なしか元気がない。だが、年金の原資には心配ないとの保証に拍手がわくのもOB会の特徴だ。毎年この回に来ると多くの人たちと久しぶりに会うのだが、気のせいか知った人の数が少なくなっているような気がする。あまりに大勢の出席者と広い会場に、知った人が来ていても会えないことも多いのだが、年々あらたにOBに加わる人が増える一方、先輩や同期の人たちは体の具合が悪かったり、亡くなったりで出席者が減りつつあるのかも知れない。会場を後にしてからは、大阪で一緒だったTさん、Kさん、同期のN君と四人で人形町の居酒屋に。TさんとN君はナイジェリアのラゴス駐在経験仲間であり、Kさんは1969年に設立して私が出向したショッピングセンター開発会社D社での後任者だ。このD社も合弁パートナーによるTOBで一昨年吸収合併され、今はない。
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June 29, 2009 =Mon=

このところ、娘のところの双子が交代で熱を出し、娘は熱を出した方を見なければいけないので、私の勤務時間が保育所の送り迎えにちょうどいいことから代役を仰せつかることが多い。朝9時前に市ヶ谷の娘のところへ行き、熱を出していない方の手を引いて電車に乗り、次の飯田橋で降りる。雨が降っていればタクシーの方が楽なのだが、子供が「でんしゃ、デンシャ」と言って電車に載せないと機嫌が悪くなる。この時間、市ヶ谷から飯田橋までの電車はそれほど混んではいないが、両駅とも通勤で降りる人たちでかなりごった返しているから、子供を護り、かつ人の流れに迷惑をかけないよう結構気を遣う。娘の家から市ヶ谷駅まで、飯田橋駅から保育所まで、大人の足だと5分もかからない距離だが、子供の手を引いてだとこれも時間の予測がつかない。途中でいろんなものに興味を示すからだ。保育所に着くと着替えをどこに入れて、エプロンをどこにしまってとか、いろんなルーティーンワークがある。迎に行った時にも汚れ物を入れた袋を取るとかいろいろある。保育所の保母さんたちにも顔を覚えられたようだ。やや『クレーマー・クレーマー』状態だ。
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June 22, 2009 =Mon=

村上春樹の「1Q84」を読了。本当はもっとゆっくり読みたかったが、読み始めると止まらないのでついついペースが速くなってしまう。発売からまだ1ヶ月経っていないが、あちこちのブログなどでは「1Q84」の読後感が発表されている。わたしもできればそうしたいが、村上作品を読み始めたのは昨年の8月以来。まだ1年足らずの読書歴ではまとまった感想を言うには躊躇を覚える。いや、「1Q84」はありきたりの読後感を書くのに躊躇を覚えさせるだけの重みがあるというべきか。読後感を書くには、もう一度時間をかけてじっくり読み返してからだ。

で、以下は読後感ではなく単なる事実関係で気付いた点だが、村上作品にしばしばみられる「料理」の場面が「1Q84」にも頻出していること。たとえば次のような場面だ。

(「184Book 1 p.139
「いまなにをしてた」とふかえりは天吾の質問を無視して尋ねた。
「夕ご飯を作ってた」
「どんなもの」
「一人だから、たいしたものは作らない。かますの干物を焼いて、大根おろしをする。ねぎとアサリの味噌汁を作って、豆腐と一緒に食べる。きゅうりとわかめの酢の物も作る。あとはご飯と白菜の漬け物。それだけだよ」
「おいしそう」

(「184」 Book 2 p.95
 天吾はたくさんの生姜を包丁で細かく刻んだ。そしてセロリとマッシュルームを適当な大きさに切った。チャイニーズ・パセリも細かく刻んだ。海老の殻をむき、水道の水で洗った。ペーパータオルを広げ、そこに兵士たちを整列させるように、海老をひとつずつきれいに並べた。枝豆が茹で上がると、それをざるにあけてそのまま冷ました。それから大きなフライパンを温め、そこに白ごま油を入れ、まんべんなく延ばした。刻んだ生姜を細火でゆっくり炒めた。(中略)刻んだセロリとマッシュルームをフライパンの中に入れた。ガスの火をいちばん強くし、フライパンを軽くゆすりながら、竹のへらで中身をこまめにかき回した。塩と胡椒を軽く振った。野菜に火が通り始めたところで、そこに水切りしておいた海老を入れた。もう一度全体に塩と胡椒を振り、小さなグラスに一杯の日本酒を注いだ。ざっと醤油をかけ、最後にパセリをまぶした。それだけの作業を、天吾は無意識のうちに進めた。まるで飛行機の操縦モードを「自動」に切り替えたみたいに、自分が今どんなことをしているのか、ほとんど考えもしなかった。もともとが複雑な手順を必要とする料理ではない。手だけは的確に動いているが、彼の頭は一貫して青豆のことを考えつづけていた。

(「184 Book 2 p.261
 天吾は米を洗い、炊飯器のスイッチを入れ、炊きあがるまでのあいだにわかめとネギの味噌汁を作り、鯵の干物を焼き、豆腐を冷蔵庫から出し、ショウガを薬味にした。大根をおろした。残っていた野菜の煮物を鍋で温めなおした。かぶの漬け物と、梅干しを添えた。大柄な天吾が動き回ると、小さな狭い台所は余計に狭く小さく見えた。しかし天吾自身はとくに不便を感じなかった。そこにあるもので間に合わせるという生活に、長いあいだ慣れていた。 

(「1Q84」 Book 2 p.381)
 天吾は「マザーズ・リトル・ヘルパー」や「レディ・ジェーン」を聴きながら、ハムときのことブラウン・ライスを使ってピラフを作り、豆腐とわかめの味噌汁を作った。カリフラワーを茹で、作り置きのカレー・ソースをかけた。いんげんとタマネギの野菜サラダも作った。料理を作ることは天吾には苦痛ではない。彼は料理を作るりながら考えることを習慣にしていた。日常的な問題について、数学の問題について、小説について、あるいは形而上的な命題について、台所に立って手を動かしていると、何もしていないときよりうまく順序立ててものを考えることができた。 

Book 1、Book 2合わせて4ヶ所も料理場面がレシピを含めて出てくる小説というのも、そうしたテーマの小説なら別だが、珍しいのではないだろうか。村上春樹は一時ジャズ喫茶を経営していたというから、店で簡単な料理を作っていたのかも知れない。「1Q84」は三人称の小説だが、彼の作品に多くみられる一人称小説の場合、「僕」と称する主人公はどれもまめできちんとした性格だ。「海辺のカフカ」の「僕」は、15歳になったばかりの中学生だが、家出をして高松に来てからも、暇があれば市立の体育館に通いサーキットトレーニングで体を鍛える。夜になるときちんと歯を磨き、シャワーを浴びて体を清潔に保つ。村上春樹自身、トライアスロンや水泳で体を鍛え、規則正しい生活を送っていると聞く。一昔前の無頼派の作家たちとは明確に一線を画している。(だが、「それもメタファーかも知れない」なんてことを言う15歳の少年なんているのだろうか?)

料理場面で言えば、「ダンス・ダンス・ダンス」でも上巻、下巻それぞれ二ヶ所、料理場面が登場する。たとえば次のように。

(「ダンス・ダンス・ダンス」(講談社文庫・上)p.269)
 僕はセロリを齧ってしまってから、夕食に何を食べようかと考えた。スパゲッティにしよう、と僕は思った。にんにくを二粒太めに切ってオリーブ・オイルで炒める。フライパンを傾けて油を溜め、長い時間をかけてとろ火で炒める。それから赤唐辛子をまるごとそこにいれる。そしてそれもにんにくと一緒に炒める。苦みの出ないうちににんにくと唐辛子を取り出す。この取り出すタイミングがけっこう難しい。そしてハムを切ってそこに入れ、かりっとしかけるところまで炒める。そこに茹であがったスパゲッティを入れ、さっとからめてみじん切りにしたパセリを振る。それからさっぱりしたモツァレラ・チーズとトマトのサラダ。悪くない。

私も最近は自分で料理することが多い。炒飯を作るのに、いつもにんにくを炒めていて焦がしてしまうことが多かったのだが、「ダンス・ダンス・ダンス」の上の文章を読んでからは、フライパンを傾けて油を溜め、にんにくを炒めてからいったん取り出すという手法を活用している。
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June 19, 2009 =Fri=

「1Q84」も大分読み進めてきたが、この小説で重要な役割を演じているのがヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という曲。iTune storeに「シンフォニエッタ」と「グレゴル・ミサ」のヤナーチェクの2作品を収めたアルバムがあったので早速iPodにダウンロードした。これまでクラシックを聴くという習慣は余りなかったのだが、iPodを買ったあとに、手元にあったモーツアルトのピアノコンチェルトをいくつか入れて聴いているうちに満更でもなくなってきた。「シンフォニエッタ」は小説の冒頭、青豆の乗ったタクシーが首都高速で渋滞に巻き込待得る場面で出てくる。あまり有名な曲ではないのに、青豆はなぜかその曲がヤナーチェクが1926年に作曲した「シンフォニエッタ」であることがわかる。小説のもっと後の方で、天吾が高校生の時に突然欠員が生じたブラスバンド部に引っ張り出され、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」を演奏したこと、さらにもっと後の方で、彼が朝の早い時刻に「シンフォニエッタ」を聴くことが習慣になっていることが描写される。

ついでだが、「1Q84」の中で、天吾の住むアパートは高円寺に設定されている。青豆が「仕事」を終えて一時身を隠し、天吾と接近するのも高円寺だ。駅の南、環七の近くという設定になっている。高円寺南には数年前に二年ほど住んでいたことがあり、設定の場所に近いかもしれない。「ふかえり」が天吾に電話して来る。「今どこにいるんだ」「マルショウという「みせのいりぐち」マルショウは私が今住んでいるアパートの一階にあるスーパーだ。新宿を中心に30店ほどの店があるが、高円寺にはない。だが1Q84年、いや1984年当時にはあったのかも知れない。ともかくこの小説、難解なテーマであるにかかわらず、意外と身近なシチュエーションが登場する。
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June 16, 2009 =Tue=

娘のところの双子の孫の片方が風邪で熱を出し、もう一人の保育園への送り迎えが困難になった。双子を育てることはつくづく大変なものだ。昨日は携帯に娘からメールが入り、会社帰りに迎えに行ったのだが、今日は試しに朝も送って行ってみた。10時出勤、4時退社という私の出勤スケジュールだと、ちょうど送り迎えに間に合うことがわかった。妻も結構忙しいので、これからはお鉢が回ってくることが多くなりそうだ。娘の家は最寄駅が市ヶ谷だが、保育園は隣の飯田橋駅の近く。母親のそばを離れたがらない孫を、「電車に乗りに行こう。」と言って連れ出す。そう言った手前、タクシーで行くわけにもいかない。このところ電車に強い興味を示している彼に、「ほら、タクシーが来たよ。これに乗って行こう。」なんて言うと、「デンシャ!デンシャ!」と泣きわめく。仕方なくまだラッシュアワーの名残の残る駅に行って電車に乗る。あぶないから抱いてやらなければならないこともある。映画の「クレイマークレイマー」をやっているみたいな気分になってくる。
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June 15, 2009 =Mon=

11日からWHOは豚インフルエンザの警戒レベルを最高の6に引き上げ、パンデミック状態を宣言した。しかし、先月中ごろの大騒ぎに比べれば世間の反応はぐっと落ち着いている。思えばあの頃が異常だった。ネズミ男、じゃない厚生労働大臣が躁状態で深夜までテレビに出まくり、「国民の皆さんは冷静に行動してください」と叫びながら自ら危機を煽っていた。勤務先でも10日分のマスクが配布され、執務中もマスクを着用、執務室に入る前には消毒薬で手洗いを強制された。それが今では執務室でのマスクは見かけないし、消毒薬も入り口の脇の方に置いてはあるもののあまり使われていない。トイレに置かれていたうがい用の紙コップも撤去されている。

Swine fluとはあまり関係ないが、警戒レベルで思い出すのは1989年のパナマ危機だ。アメリカとパナマの関係悪化で、米軍放送は在パナマの米国人に対して5段階のレベルでの警戒を呼び掛けていた。確か、アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、エコーというレベルだが、何のことはないA、B、C、D、Eに単語をあてはめただけだ。"PML Alpha is now in effect."などのテロップが米軍放送のテレビ画面に現れる。PMLとは、"Personnel Movement Limitation"の略だ。アルファは「外出時には注意しましょう。」、ブラボーは「特定の地域は危険だから近づかないように。」、チャーリーは「不急の外出は控えて自宅に居るように」、デルタになると「原則として外出禁止。」、エコーは「戦争状態。米軍基地内に避難せよ。」といった意味だったと思う。緊張が高まり、チャーリーの日々が続いたいたが、ある日、デルタが発動されると有線テレビから米軍放送が映らなくなった。数日して、アンテナを調節してテレビが映るようになると、アラーとはエコーに変わっていた。
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June 14, 2009 =Sun=

新幹線「ひかり」で11時前に京都駅に着く。60歳以上を対象にした「じぱんぐ倶楽部」の30%割引を利用しているのだが、JRの高齢者優遇というのもしみったれていて「のぞみ」には適用されないのだ。今日は1977年に亡くなった祖母の33回忌。といっても参加者は私と妹夫婦の3人だけ。妹夫婦が車で駅まで迎えに来てくれていた。京都・東山五条の「大谷本廟」(これ、続けて打ちこんで変換キーを押すと「太田日本病」と出てきてしまう。)祖母は私がギリシャに転勤になってすぐ亡くなったから、私は葬儀には出ていない。早くに連れあいを亡くし、女手一つで父を育てた祖母は生粋の江戸っ子だった。東京では都池坊という流派の生け花の師匠をしていて、かなりお弟子さんもいたらしい。戦災で焼け出され、知人を頼って大阪に移った父とともに大阪に来たが、そこで生まれた妹を背負いながら「いつになったら東京に帰れるんだろうね。」といつも呟いていた。信心深く、毎日神棚と仏壇に手を合わせていた。神棚に燈明を上げようとして踏み台から落ち、腰を打ってから寝たきりになった。私はそれから日本の「神」というやつを信じないことにしている。あの頃、夢で祖母が起きて歩いている姿を見て、ああ良かったと思い、目が覚めて夢だと知ってがっかりした覚えがある。亡くなるまで3年くらい寝たきりだっただろうか。
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June 13, 2009 =Sat=

石川県で、空から小魚やおたまじゃくしが降ってくるという怪奇現象が話題になっている。竜巻で巻き上げられた魚やおたまじゃくしが空中で漂った挙句に落ちてくるとか、鷺などの鳥が水田で小魚やオタマジャクシを呑み込み、空中でとんびか何かに襲われて驚いて吐き出したのだとか、テレビのニュースショーなどでもコメンテーターが面白おかしく解説している。これに似た現象は、いま「1Q84」で話題の村上春樹の前作、「海辺のカフカ」にも登場している。猫と会話ができる「ナカタさん」が中野区野方の交番を訪れ、警官に「明日、このあたりに空からイワシが降ります。アジも混じっているかも知れません。」と予言し、翌日本当にイワシとアジが降ってくる。ナカタさんは殺人事件を犯したと自首してきたのだが、その言動の奇妙さから警官はどうせ頭のおかしい老人の妄想だろうと調書を取ることもなく帰してしまい、翌日本当に魚が降ってきて真っ青になる。「ナカタさん」は翌日、東名高速の富士川サービスエリアでヒッチハイクのトラックを探しているうちに暴走族の喧嘩に遭遇し、大量の蛭を空から降らせる。このエピソードはかなり印象的なので、コメンテーターの誰かが石川県の現象に関して「海辺のカフカ」に触れるかと思って見ていたが、誰も言及しない。いま、村上作品があんなに話題になっているのだから、このエピソードを覚えていれば何か言うはずなのにと思うが、誰も読んでいないのだろうか。

ところでその「1Q84」だが、奇妙な題名の意味がやっとわかった。1巻の半分くらいまで読んだのだが、主人公の「青豆」が、周りの世界が自分の記憶と微妙にずれていることに気づく。そのことの納得できる説明として、今自分のいる世界がSFでいうパラレルワールドに入ったのではないかという仮説を立てる。その仮説を前提に、今の時代1984年を「1Q84年」という別の時代と名付ける。「Q」は"question mark"の頭文字だそうだ。この小説、発売前には題名しか公表されず、内容は一切極秘扱いになっていたため、どんな内容かという推測が飛び交っていた。ある学者は、村上氏が最近中国に強い関心を寄せていることから、「1Q84」発売前の4月に上海で行った講演で、「1Q84」の"Q"は魯迅の「阿Q正伝」のQを意識したものであり、「1Q84」の「1」は数字の「1」でなく英語の"I"、すなわち「私はQ」という意味だと「予言」していた。
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June 4, 2009 =Thu=

昼休みにOAZOの丸善に行ってみて驚いた。先月28日には山積みになっていた村上春樹の「1Q84」が全くなくなっている。やっと見つけたらBook1、Book2のうちBook2が少しだけ。Bok1は完全に売り切れている。分厚いから旅行には持って行けないので、帰ってから買おうかとも思ったのだが、早く買っておいて正解だった。旅行には「羊をめぐる冒険」を持って行って読み切った。以前に「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだ。それに出てくる「ジェイ」とか「鼠」という人物は「1973年のピンボール」にも出てきたが、「いるかホテル」「羊男」「いわしという名のネコ」などは、読者が既に知っているように描かれていることに違和感を覚えた。しかし私は読む順番を間違えていたらしい。「1973年のピンボール」→「羊をめぐる冒険」→「ダンス・ダンス・ダンス」の順番に読むべきだったのだ。ともあれ、平易な文章で奥深い村上春樹の世界は「1Q84」ではどんな展開を見せるのだろうか。
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June 3, 2009 =Wed=

ソウルで乗り換え、成田には予定より少し早く、11時過ぎに到着。飛行機の中では眠れず、睡眠不足。まずは例によってエアポートリムジン降り場のすぐ下にある「沼津港」で鮨をつまむ。
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June 2, 2009 =Tue=

Ta Prohm遺跡
3日目の今日がアンコール遺跡観光の最終日。朝から天気はまずまずなのだが、ガイドのサムナン君の元気はよくない。昨日まで彼は「晴れ男」をを自任していて、事実そのとおり雨は降っても夜中か移動中、あるいは休憩時間中で、観光は極めて順調だった。だが、今日は午後のアンコール・トム観光のころには雨になる可能性が大とのこと。昨日の朝、朝日ツアーのため早起きしたことで「晴れ男」が寝不足になり、パワーが落ちたらしい。

で、今日の一つ目の観光スポットはタ・プロム遺跡。ここは1186年にJayavarman七世によって建立された仏教寺院(兼大学)で、15世紀にクメール王国が滅亡して以来放置されてきた。アンコール・トムと同じような様式だが、周辺の遺跡がそれぞれ復元されて
Ta Prohm遺跡
いるのに対して、この遺跡は昨日のベンメリア遺跡と同様、復元作業を行わず、発見された当時の状態のままにされている。20世紀初めにアンコール遺跡の復旧作業が行われた際、フランス極東学院がこの遺跡はあえて復元せず、発見当時の状況のまま保存すると決めたらしい。もっとも観光客のアクセスを確保する程度の整理や、現在以上に森林による遺跡への浸食が進行しないような保存作業は行われているらしい。ここですごいのは、遺跡の建物にガジュマル(榕樹)の気根、板根が絡みつき、どこまでが植物でどこまでが遺跡かの区別がつかないほど、熱帯ジャングルと遺跡とが文字通り融合していることだ。

この遺跡、実は2001年制作のハリウッド映画「トゥーム・レイダー」の舞台となったところ。アンジェリーナ・ジョリー主演のアクション映画は同名の人気ゲームを映画化したものだが、残念ながらまだ観てはいない。Wikipediaでプロットを見ると、冒頭場面はエジプトの王墓で始まるらしい。それはたぶん3月に行ったルクソールの王家の墓だろうから、われわれは奇しくもこの映画の場面を2か月ほどの間隔で訪れたわけだ。

次はすぐ近くにあるニャック・ポアン遺跡。Jayavarman七世により12世紀末に建造されたものだが、一辺が70mの大きな池の中に浮かんでいる。池といっても今日は水が涸れていて中央の祠堂まで歩いていける。ここはヒマラヤにあるといわれるAnavatapta (漢字では阿那婆達多)という伝説の湖を模したもので、その湖の水は万病を治すという。池の四方に小さな池があり、中央の大池から水を供給される仕組みになっている。四方の池はそれぞれ人体の構成要素である水・地・火・風を現し、池に入ることによってこの四要素のバランスを回復し、病気が治ると言われる。

祠堂のそばには奇妙な馬の像があるが、これは観音菩薩(Bodhisavatta<=菩薩> Guan Yin<=観
Neak Pean遺跡 Prea Khan遺跡
Ankor Thom (Bayon) Ankor Thom (Bayon)
Ankor Thon (South Gate) Apsara Dance
音>)が馬に化身したもので、何かの伝説があるそうだ。

ニヤック・ポアン遺跡への参道には地雷で足を失くした人たちが観光客が通りかかると民族楽器を演奏している。観光客が通り過ぎると演奏をやめる。帰り道でもやっていたので1ドルを寄付する。また、マンゴーを売っている露店もある。昨日、マダムサチコの店で「マンゴーかき氷」をシェアした女性二人組がお返しにとまとめ買いしたマンゴーを一つくれる。

次もすぐ近くなのだが、プリア・カン遺跡。この仏教寺院を1194年に建てたのもニャック・ポアンと同じJayavarman七世。シャムとの戦いに勝利した記念に建てられたらしい。この遺跡の一画に、珍しい二階建ての建物がある。二階の柱は角柱だが、一階部分は円柱を積み重ねた、ギリシャ建築を思わせる柱だ。アテネのアクロポリスの入口近くに建つアテナ・ニケ神殿を思わせる形だ。

今日の午後、アンコール・トム観光を最後に、夜中の飛行機で発つのだが、ありがたいことにホテルのチェックアウトは3時まで延長してあるので、今日も午後の観光まで休憩時間がある。荷物の整理(といってもスーツケースは持ってきておらず、機内持ち込み可能なキャリーバッグだけなのだが)があるのでそんなにゆっくりもしていられないが、それでもプールサイドでジントニックを飲みながら本を読むゆとりがあった。

アンコール・トムに出発する時になって、今朝のサムナン君の心配が現実になった。先ほどまでの晴天が曇り空に変わり、やがてバスの窓に雨が叩きつけられるように降り始めた。バスは広大なアンコール・トムの敷地のうち、南大門の手前までしか入れない。傘をさして南大門をくぐると電気自動車が何台か停まっている。座席は四列8人乗りだ。電気自動車には「中国湖北省人民政府贈」の文字が。これに乗ってバイヨンに急ぐ。バイヨンに着いたらまだ雨は降っているものの青空が覗いてきた。だが、何時また降り始めるかも知れないと駆け足の観光となる。ここもJayavarman七世が12世紀末に建立した仏教寺院。観世音菩薩の四面像があちこちにあるし、回廊には物語性に富んだレリーフが飾られている。。

四面仏像の前で写真を撮っていると空が雨雲に覆われ、遠雷も聞こえだす。やがて本格的なスコールがやって来る。祠堂に逃げ込んで雨宿り。午前中まではカメラはLumixのTZ-3を使っていたが、午後からはOlympusのμ795SWに切り替える。この頃、ある程度の期間の旅行に行くときはカメラを2台持っていくことにしている。μ795SWは水中10メートルまでに耐える防水仕様だ。以前、屋久島に行った時に雨でカメラを1台駄目にしてしまって以来、雨に合いそうだとこの防水カメラを使うことにしている。今回も持ってきて無駄だったかなと思っていたが、やはり役に立つことになった。

雨が小降りになるのを見はからって次のスポットへ移る。雨の中をかなりの距離歩くので、途中で「もうやめてバスに戻ろうよ」と言い出す人も出てくる。だがサムナン君は決められたコースをすべて律儀に巡るつもりらしい。ピラミッド型のヒンドゥー寺院ビミアナカスや象のテラス、ライ王のテラスなどをめぐり、やっと再び電気自動車に乗って南大門に戻る。まあ、雨季にアンコールに来たのだから、一度くらいはこういう雨に会っても仕方ないだろう。

帰りの飛行機はシェムリアップ発が23時30分という遅い時間なので、他の人たちが泊まっているエムプレス・アンコール・ホテルに行き、フット・マッサージを受ける。その後レストランシアターでアプサラダンスを見ながら夕食。
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June 1, 2009 =Mon=

高床式住居 Beng Mealea遺跡の入り口で
Beng Mealea遺跡 Beng Mealea遺跡
Angkor Wat Angkor Wat
Angkor Wat Angkor Watのレリーフ
朝起きてみると、前夜の雨が嘘のような晴天。朝日観賞をスキップしたのはやはり間違いだったようだ。だが、そのおかげで前日からの寝不足は解消できた、というのは負け惜しみになるかも知れない。ツアーの他のメンバーは全員朝日観賞ツアーに参加したようだ。ガイドのサムナン君は「眩しすぎて写真も撮れませんでした。」というのだが、これはせっかくのチャンスを逃した我々への同情なのだろう。

で、午前中のスケジュールは、シェムリアップからバスで東へ1時間半のベンメリア遺跡。昨日見たアンコール遺跡群はすべてアンコール・ワット周辺に集まっているのに、この遺跡は遠く離れている。往復のドライブではカンボジアの高床式の民家をよく見かける。

ベンメリア寺院はアンコール・ワットを建てたのと同じSuryavarman二世によって12世紀初頭に建立された。昨日の10世紀の遺跡群は建てられた年が明らかになっているのに、それより新しいアンコール・ワットやベンメリアの建立は12世紀というだけで正確な年代が不明なのも興味深い。

ベンメリア遺跡は森の中に埋もれたままと言っていい。長方形に切られ、レリーフを刻まれた砂岩が、あるいは苔に覆われ、あるいは樹木の根に絡みつかれたまま放置されている。観光客の歩行用に固い木で階段や通路が造られているものの、遺跡そのものは復元されてはいない。この地方には地震はないのだが、地盤沈下によって建物が崩壊してしまったらしい。森の中で樹木から遺跡の石の上に落ちた種子は、芽生え、水を含んだ砂岩から養分を受けて成長する。根は砂岩の内部にまで浸透しなくとも水分を吸収できるので、石を破壊することなく、むしろ崩壊せずに残った建物は樹木の根によってそれ以上の崩落から守られているかのようだ。石は崩落した時のままの状態で残っているので、人でさえかければ復元も可能のように思えるが、むしろこのままの方が森の中で発見された遺跡という印象を強く残すことになるだろう。

朝は雲もほとんどないくらいの青空だったが、ベンメリア遺跡からシェムリアップに戻る頃から空模様が怪しくなってきた。午後は今回の旅行のメインイベントであるアンコール・ワット観光なので、天気が気になる。昼食を取っている間に本降りとなり、昼食が終わった時にはいったん上がったものの、ホテルに帰っての休憩中はまた激しく降り始めた。この雨ではホテルのプールに行くわけにもいかないので、休憩時間は昼寝で過ごすことにした。

よくしたもので、アンコール・ワット観光に出発する頃には、晴天とは言えないまでも雨は上がっていた。アンコール・ワットの姿はやはり美しい。堀の水は少し波立っていたが、アンコール・ワットの姿を逆さに映し出している。

アンコール・ワットは、Suryavarman二世がヒンドゥーのVishnu神に捧げるとともに、新たな都として、また国家寺院として12世紀全般に建設した。Suryavarman二世の死後、アンコールの地はクメール人にとっての長年の敵、チャンパ(ベトナム)人に奪われるが、Jayavarman七世がこれを奪還し、アンコール・トムに新たな首都と寺院を建設する。13世紀に入り、ヒンドゥー教徒である国王Jayavarman八世は息子のSrindravarmanに追放されるが、Srindravarmanはそれまでスリランカで仏教の僧侶として暮らしていたため、王位につくとカンボジアの宗教をヒンドゥーから仏教に改める。それ以来、アンコール・ワットは小乗仏教の寺院として使われている。

アンコール・ワットは、その全体の姿の美しさだけでなく、デバターと呼ばれる女神像や回廊に施された薄浮彫(bas-relief)でも知られている。ガイドのサムナン君が特に気合いを入れて説明してくれたのは、東面南側の「乳海攪拌」(Churning of the Sea of Milk)の伝承を現したレリーフだ。

「乳海攪拌」はVishnu伝承の一つで、神々(devas)と悪魔(asuras)とが不老不死の薬を求めて協力するという話。大蛇をロープ代わりにして乳の海で亀の背中に乗った浮かぶ聖なる山(Mandara山)に巻きつけ、頭の方を神々が、尻尾の方を悪魔たちが引っ張る。そうすると山が回転して乳の海が攪拌され、不老不死の霊薬が生み出されるというもの。レリーフには大勢の神々と大勢の悪魔たちが山を巻いた蛇を引っ張り合っている図が描かれている。因みに、仏教では阿修羅は守護神だが、ヒンドゥー教では"a"が否定の意味を持ち、"sura"は「天」を表すことから、悪役とされているらしい。

パッケージツアーで海外に行くと、必ず土産物店に連れて行かれるのだが、今日アンコール・ワットの後で案内されたのは「アンコール・クッキー」の店。"Madam Sachiko"という名前が付いている。幸子さんという日本女性が単身カンボジアに渡り、日本語学校の教師として働きながら、カンボジアの材料を使い、カンボジア人の自立を助けるため、観光土産としてアンコール・ワットの形をしたクッキーを開発、事業としても成功している。店の前には直営のカフェがあり、ここで出している「マンゴー入りかき氷」は質・量ともに逸品。
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