Diary



August 31, 2009 =Mon=

リンゲブのスターブ教会 トロル人形
コペンハーゲンのホテルもそうだったが、リレハンメルのホテルでもネットが使えた。メールのチェックとウェブでニュースを見るために、今回の旅行ではPCを持ってきている。何しろ昨日は日本では衆院選の投開票の日なのだ。昨夜から、予想通り民主党の圧勝の結果が出ていたが、最終結果は今朝ネットにつないで確認した。民主党308議席、自民党119議席という結果は、思ったより自民も踏ん張ったなという感じだ。民主320、自民100割れという予測すら出たいたのだから。妻の知り合いの民主党候補者たちは軒並み当選。だが政権運営はこれからが大変だろう。

で、今日はリレハンメルをバスで出発し、リンゲブという町でスターブ教会を見る。スターブ教会とはヴァイキングの時代を過ぎた12世紀から14世紀ごろにかけて造られたノルウェー独特の木造教会で、1000近く建てられたが現在残っているのは30くらいとのこと。この教会、観光客が多ければ扉を開けるらしいが、今日はわれわれしかいないので扉は閉ざされたまま。教会は外から眺めればいいのだが、実はもう一つ切実な問題があった。教会だけでなく、外にある公衆トイレの扉も閉ざされていたのだ。添乗員のSさんが、トラクターで教会の周りの墓地の整備をしている管理人と交渉してトイレの扉だけは開けてもらう。次のトイレ休憩はオスロからの鉄道から分岐するラウマ鉄道の始発駅ドムバス近くの土産物店。店の前には大きなトロル人形がある。トロルというのはノルウェー民話に出てくる醜悪な妖精で森の中に住むという。この先、ノルウェーでどの土産物屋に行っても大小さまざまなトロル人形を売っている。ここでトロルの本(英語版)を買う。昨日のオスロ国立美術館では日本語版もあったのだが、買いそびれていた。

トロルなんて無邪気な子供向けのおとぎ話だろうと思っていたが、読んでみると結構残酷な物語もある。たとえばこんな具合。
 むかし、あるところにパン焼きのお母さんと少年が住んでました。少年は美味しい食べ物が大好きで、まるまると太っていたので、バターボールと呼ばれていました。彼らは犬を飼っていました。ある日、突然犬がけたたましく吠え始めました。「バターボールや、外に行って見ておいで。」バターボールは外へ駈けだすと、すぐに駆けもどってきました。「大変だよ。大きな婆さんトロルがやってくる。自分の首を脇に抱えて、袋をかついで。」「急いでパン捏ね台の下に隠れなさい。」
 「こんにちは」と婆さんトロルが家に入ってきて、お母さんに尋ねました。「バターボールは家にいるかね?」「いませんよ。お父さんと森に雷鳥を獲りに行ってます。」「そりゃあ残念だね。きれいな銀のナイフが手に入ったので、バターボールに上げようと思ったんだが・・」すると、「欲しいよ!欲しいよ!」とバターボールがパン捏ね台から飛び出してきました。「わたしゃ年寄りで腰が痛いんじゃ。自分で袋の中に入って取ってきな。」バターボールが袋にもぐりこむと、トロルは袋を担いで戸口から出て行きました。
 少し行くとトロルは疲れてきて言いました。「休憩所まであとどのくらいだね?」バターロールは答えました。「4分の1マイルほど先だよ。」それを聞くとトロルは袋を下ろし、森に入って横になり、眠ってしまいました。バターロールは袋からそっと這い出し、自分の代わりに大きな松の根っこを袋に入れました。目を覚ましたトロルが家に帰り、袋の中のものを見てカンカンに怒りました。
 翌日、また犬が吠え始めました。「バターロールや、外に行って見ておいで。」「嫌だよ。またあの魔物だよ。首を抱えて、袋を背負って。」「じゃあ、急いでパン捏ね台に隠れなさい。」そこに婆さんトロルが入ってきました。「バターボールは家にいるかね。」「お父さんと森に雷鳥を獲りに行ってますよ。」「そりゃあ残念。きれいな銀のフォークが手に入ったんで、バターボールに上げようと思ったんだが・・」バターボールが飛び出してきました。「欲しいよ!欲しいよ!」「わたしゃ年寄りで腰が痛いんだ。自分で袋に入って取ってきな。」バターボールが袋に入ると、トロルは袋を担いで戸口から出て行きました。
 少し行くとトロルは疲れてきて言いました。「休憩所まであとどのくらいだね?」バターロールは答えました。「2分の1マイルほど先だよ。」それを聞くとトロルは袋を下ろし、森に入って横になり、眠ってしまいました。バターロールは袋からそっと這い出し、自分の代わりに大きな石を袋に入れました。目を覚まして家に帰ったトロルは、大きな鍋を火にかけて湯を沸かし、袋の中のものを鍋にあけました。大きな石が転がり出て鍋に穴があき、お湯がこぼれて火が消えてしまいました。トロルは怒って、「あのガキめ、今度こそ捕まえてやるぞ!」
 三日目もトロルがやってきました。「今日はバターボールはいるかね?」「お父さんと森に行ってますよ。」「そりゃあ残念。きれいな銀のスプーンが手に入ったんで、バターボールにやろうと思ったんだが・・」「欲しいよ!欲しいよ!」「わたしゃ年寄りで腰が痛いから、自分で袋に入って取ってきな。」バターロールが袋に入ると、トロルは袋を担ぎあげて出て行きました。
 今度はトロルは途中で眠らずに、まっすぐ家に帰ると娘に言いました。「今夜はごちそうだよ。わたしゃこれから教会に行って仲間を呼んでくるからね。私がいない間に、お前はバターボールを袋から出して、殺して、鍋で煮てスープを作っとくんだよ。」娘は言われた通りにしようと思いましたが、どうやって殺したらいいのか分かりません。バターボールは娘に言いました。「そんなの簡単だよ。教えてあげるから、長椅子に横になってごらん。」トロルの娘が長椅子に横になると、バターボールは斧を掴んで、鶏のように娘の頭をちょん切りました。切り取った頭をベッドに乗せ、体の方は鍋に放り込みました。それから屋根によじ登り、松の根っこと大きな石を屋根に運びあげました。
 やがてトロル達が教会から帰ってきました。娘の頭がベッドにあったので、みんなは娘が眠っているのだと思いました。トロルは鍋のスープを飲み、「うん、美味しいね。バターボールのスープは。」と言いました。その時、煙突の上から声が聞こえました。「美味しいだろ?娘のスープは。」トロル達は「誰の声だろう?」といぶかりながら、ぞろぞろ家の外に出てきました。バターボールは松の根っこと石を投げつけ、トロル達をみんな殺してしまいました。それから彼は家に入り、そこにあった金銀財宝を手に入れ、大金持ちになってお母さんのところに帰りましたとさ。(抄訳)






























ラウマ鉄道のピヨリ駅 草屋根の家
ラウマ鉄道はドムバスから分岐するのだが、われわれはバスで少し先のビヨリまで行き、そこから乗車。この鉄道はヨーロッパ随一の景勝路線とのことだが、あいにく昨日までの晴天から打って変って今朝からは雨が降ったり止んだりの天気だ。雨でも確かに景色はいいのだが、車窓に流れる景観をカメラに収めるのは難しい。一時間後に終点オンダルネスに着くとバスがすでに先回りしている。ずっと山道だし、鉄道もかなりの速度で走っていたのに、バスの運転手ピーター氏の技術はなかなかのものだ。

昼食は屋根に草の生えたCamping & Gjestegardというオンダルネスのレストラン兼土産物店。この屋根はノルウェーを旅するとあちこちで見かける。白樺などの樹皮で葺いた屋根に土もしくは水藻を乗せ、種を蒔いて造るそうだ。ノルウェーの道路にはところどころに野生動物注意の標識が出ている。これは赤い三角の中に北欧特有のヘラジカの絵が描かれたものだが、この店の屋根にはヘラジカの代わりにトロルの絵が描かれた標識が掲げられている。「トロルに注意」という標識だ。もっとも標識の下には"TROLLSHOP"と書かれているが。ヘラジカというのは大きくなると体長3m以上、体重800Kg以上にもなる大型動物だが、標識に描かれている割にはお目にかかることはほとんどないそうだ。

午後はバスに乗ってオンダルネスからゲイランゲルに向かう。このルートは絶景の道なのだが、雨が本振りになってきた。前半の道はゴールデンルートと呼ばれ、トロルスティンゲン(トロルの梯子)の名をもつ、つづら折りの道路を進む。バス
トロルスティンゲンの滝
の席が後方だったのでつづら折りの様子はよく見えなかったが、日光のいろは坂をもっと大規模にしたもの。途中の山々からは幾筋もの滝が流れ落ちる。この道は8月いっぱいしか通行できず、今日がその最終日にあたる。今回はいつも使っているPanasonicのカメラの他にOlympusの防水仕様のカメラを持ってきたが、雨の中でこの防水カメラが活躍する。

展望台よりゲイランゲルフィヨルドを望む
リンゲというところでバスごとフェリーに乗り込み、10分ほどでフィヨルドの対岸に着く。ここからゲイランゲルまではイーグルロードと呼ばれる道。やがてゲイランゲルの町はずれに建つユニオンホテルに到着する。このホテルはゲンランゲルフィヨルドの眺望とホテル自体の歴史でも有名なのだそうだが、あいにくと部屋からは眺望はきかなかった。

このホテルには、以前、個人経営だった頃のオーナーの趣味で、クラシックカー立派なのコレクションが残されている。会議場の奥の方の分かりにくいところだが、1910年代あたりのクラシックカーが8台ほど展示されている。それを見た後、食事時間まで少し間があるので、サウナに行ってみることにした。北欧はサウナの本場だが、このホテルのサウナは私がスポーツジムでいつも入っているサウナと比べても狭く、暗かった。
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August 30, 2009 =Sun=

フログネル公園(↑モノリス、→「怒りんぼう」の像)
船は予定通り朝の9時半にオスロ到着。ここから丸4日間ノルウェーに滞在することになる。まずはフログネル公園。ここはヴィーゲラン彫刻公園とも呼ばれ、ノルウェーの彫刻家ヴィーゲランが制作した人生の様々な段階と様相を表す212体の大理石・ブロンズ像が32万㎡の敷地の中に置かれている。なかでも中央に聳えるモノリスと、怒った子供のユーモラスな姿を捉えた「怒りんぼう」像が人気のようだ。

オスロと言えばエドヴァルド・ムンク、ムンクと言えば「叫び」。その「叫び」を見に国立美術館へ。11時の開館を待って中に入る。ガイドのJ子さんの案内で、まずは姉の死を描いたとされる「病める子」など初期の作品を見た後、「叫び」「マドンナ」といった著名な作品を見る。この両作品だけはガラスで覆われているが、盗難に遭ったためという。だが、実はムンクは「叫び」は4点、「マドンナ」は5点を制作しており、盗難に遭ったのはこの国立美術館ではなく、少し離れたところにあるムンク美術館のものだ。

ここへ来る途中、J子さんが、遠くに見える丘をさして、あの丘が「叫び」の舞台になったところです、と説明していた。ムンク美術館のホームページを見ると、ムンク自身が次のように書いているという。

 I was out walking with two friends - the sun began to set - suddenly the sky turned blood red - I paused, feeling exhausted, and leaned on the fence - there was blood and tongues of fire above the blue-black fjord and the city - my friends walked on, and I stood there trembling with anxiety - and I sensed an endless scream passing through nature.

オスロ国立美術館 リレハンメルのスキージャンプ競技場
J子さんの指した丘はエケベルグという地域で、そこからはオスロフィヨルドとオスロ市街が見渡せるそうだ。絵の中で橋のように見えるのは道で、突然血のように赤く染まった空を見たムンクは、先を行く二人の友人から離れ、柵に寄りかかりながら、自然を貫く終わりなき叫びに耳をふさいだまま立ち尽くしていたのだろう。

個人的にはオスロをもう少し見てみたかったが、パッケージツアーでは決められた旅程に従うしかない。ノルウェーは今ではロシア、サウディアラビアに次ぐ、世界第3位の石油輸出国だが、もともとは水産と海運で成り立っている国だった。同じ海運国であるギリシャに住んでいたころ、アテネとオスロで毎年交互に海事博覧会が開かれていて、アテネでやるときはギリシャ神話の海の神の名前を取って「Posidonia国際海事博覧会」と称していた。(今も続いているらしい。)大学時代の友人で、今は長崎にある大手造船会社S重工業の社長をやっているM君は、別の商社で船舶営業を担当していて、確かその頃オスロに駐在していたはずだ。

という訳でオスロには一泊もせず、バスでリレハンメルに向かう。オスロを出てしばらくすると川沿いの道を走っているのかと思ったら、添乗員のSさんの説明ではこれは河ではなく、ミョーサ湖といってノルウェー最大の湖だそうだ。幅は広い所で17Kmだが、長さは117Kmでリレハンメルまでずっと続く。コペンハーゲン、オスロと市内観光には日本人ガイドが付いていたが、オスロを出てからは添乗員のSさんがマイクを持つ。

リレハンメルは1994年に冬季オリムピックが開催されたことで有名になったが、ミョーサ湖北端に位置する人口25千人の町で、スキーのジャンプ競技場くらいしか見るところはなさそうだが、こんな小さい町でも道路に電柱が見当たらない。オリムピックの効果もあってケーブルの地下化などインフラも整っているのだろう。
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August 29, 2009 =Sat=

コペンハーゲンの市内観光。まずは定番の人魚姫の像。有名な割に見てがっかりすると評判なのが、シンガポールのマーライオン、ブリュッセルの小便小僧、そしてこの人魚姫だという。これでその「世界3大がっかり像」をすべて見たことになるが、噂と違って人魚姫の像はなかなか趣のある像だ。グループの一人が像の近くで写真を撮ろうとして足を滑らせ、体のバランスを立て直した拍子に手に持ったカメラが落下して水の中へ。すぐに拾い上げたが、気の毒に、防水でない限りオシャカだろう。

アメリエンボー宮殿は熊の毛皮の帽子を被った衛兵が警護をしているが、あまり目立たない建物。日本の皇居のように広大な敷地を占めているわけでもなく、市民誰ものが近付けるようだ。この近くのフレデリクス教会周辺には、ガイドブックによればキェルケゴールの像もあるそうだが、残念ながらそこには行けなかった。この実存主義哲学の始祖が童話作家アンデルセンと同じデンマーク人だというのも面白い取り合わせだ。

写真左下のニューハウンの風景も、コペンハーゲンらしい景色だ。かつては航海を終えた水夫たちが集う、運河沿いの居酒屋街だった。

写真右下のストロイエで解散、自由行動となる。このあたり、建物は昔ながらの間口の狭いものが多いが、入って2階以上に上がると中は繋がっていて、ショッピングセンターのようになっている。その中でもコペンハーゲンを代表する陶磁器のブランド、ロイヤル・コペンハーゲンではツアー仲間でも大きな買い物をしている人もいる。

我々は買い物には興味がないので、外に出てベンチに座っていると、隣のおじさんが声をかけてきた。オスロから仕事で来ていて、これから会合があるそうだ。われわれが今晩の船でオスロに行くというと、彼も同じ船で今朝着いたとのこと。最近、思い立って英語を習い始めた妻がブロークンもいいとこの英語で話しかけようとする。どうやら北欧の税金と福祉のことを聞きたいようだ。「税金は高いけど、それに見合う給付があるから満足している。」といった答えを期待しているようだが、おじさんは「税金が高い」ことへの不満しか言わない。「ノルウェーではオスロの他にどこに行くんだ?」と聞かれるが、日程表をあまり良く読んでいないし、ノルウェーの地名は難しいので、「あちこち。そうだ、ベルゲンにも行くよ。」と言ったら、「ベルゲンか、あそこは雨だよ。」と。あのあたりは雨が多いらしい。

午後からはコペンハーゲンから北へ49㌔、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台として知られ、世界遺産にも指定されているクロンボー城へ。ちょうど英国の劇団が来ていて、夜には公演があるらしく、中庭に舞台と観客席が造られ、テントで覆われている。城門を入ったところにハムレットのレリーフが掲げられていて、ここに「
CONGESON AMLETH(王子アムレット)」の文字が見える。デンマークに伝わる話として、アムレット王子の悲劇があり、シェークスピアはこれを土台にして「ハムレット」を書いたそうだ。"HAMLET"の名は、"AMLETH"の最後のHをいちばん前に入れ替えたものだというのは初めて知った。このクロンボー城あたりはコペンハーゲン郊外の高級住宅地だが、その最も景観のいい場所に公営の老人ホームが出来ている。ここへの入居は所得には関係なく、要介護度の高い人が優先されるそうだ。さすがに福祉国家らしい。

午後5時前に港からDFDS Seawaysの客船"Pearl of Scandinavia"に乗り込む。この航路にはもう一隻船があって、それぞれが同じ午後5時にコペンハーゲンとオスロを出航、翌朝9時半にオスロとコペンハーゲンに到着するというシステムになっている。総トン数は4万トンと、以前南極クルーズで乗ったマルコポーロ号(2万2千トン)の倍近くあるが、マルコポーロの乗客定員870人に対してこちらは2千人だからパブリックスペースは少し劣る。船室は窓のある、海側の部屋。船で夕食と朝食をとったのだが、どんなものを食べたのか印象が薄い。(夕食のビュッフェではボイルしたざりがにが北欧特有のものらしかったが、子供のころ近所の沼地で獲れたザリガニと色や姿形が同じであり、食欲は湧かなかった。
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August 28, 2009 =Fri=

ヘルシンキ乗り換えでコペンハーゲンに着いたのは夕方の6時半頃。今日はホテルに入るだけで夕食も機内で済ませているので、ホテルから歩いて15分くらいというチボリ公園まで行ってみることにした。ホテルからは一本道だが、15分のはずが30分近くかかった。金曜日の夜で、公園内ではコンサートが開かれるせいか、入口には大勢の人の列が出来ている。そんな列に並んで入場するつもりもなく、公園の周りを歩いてみる。チボリ公園は19世紀中ごろにできた有名な公園だが、今は公園と言うより遊園地と呼んだ方がぴったりする。中には絶叫マシンがいくつもあるらしく、大勢の悲鳴が聞こえてくる。道路を隔てた反対側の市庁舎広場には、チボリ公園を愛したアンデルセンの大きな像が今も公園の方を見詰めている。

公園の近くのセブンイレブンに入って、ミネラルウォーターを2本とチーズを買ったら42クローネ。払うときはこれで100クローネ札が崩せたということしか考えなかったが、帰り道によく考えると1デンマーク・クローネは約20円だから、これが840円。バカに高いじゃないか、お釣りをごまかされたかな、と思った。しかし、スカンジナビアの国々は税金が、従って物価が高いのが特徴だ。どうやら水2本とチーズで42クローネは適正価格だったようだ。ホテルに帰ると9時過ぎ。時差もあることだし、早めに就寝する。
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August 23, 2009 =Sun=

一週間後には総選挙の投票日がくる。新聞の世論調査では日に日に民主党による政権交代の可能性が高まっている。民主党の獲得議席数は、新聞の見出しによれば「300に迫る」から「300を超える」、さらには「320に届く」と変化してきている。これでは前回の「郵政選挙」で自民党が獲得した議席を上回り、絶対単独過半数だ。参議院では単独過半数に届いていないから社民党などとの連立は必要だろうが、こんな状況になってくると「民主党にそんなに勝たせて大丈夫か?」という揺り戻しが出てきて不思議はない。

ま、どのみちわれわれは投票日には日本にいない。そこで今日、新宿区役所に行って期日前投票を済ませてきた。行ってみると、けっこう若い人たちも期日前投票に来ている。新聞予想のとおり、投票率はかなり高くなりそうだ。
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August 21, 2009 =Fri=

どうも一人の作家の本を読みだすとその作家に集中する傾向があるが、村上春樹の長編、短編はほとんど読みつくし、最近は紀行文に移っている。今日読み終えたのは「遠い太鼓」。彼が1986年秋から3年間、ギリシャとイタリアに住んでいた頃のものだ。特にギリシャに関する記述は私自身がそこに暮らしていたこともあって、非常に興味深く読むことができた。その時期、私は中米パナマで暮らしていたのだが、彼はこの3年間に、後に超ベストセラーとなる「ノルウェイの森」と、「ダンス・ダンス・ダンス」という二つの長編小説を仕上げている。欧米の作家では、作品に集中するために外国に滞在するというのはよくあるが、日本の作家でこのスタイルをとっているのは珍しい。彼は1990年代の「ねじまき鳥クロニクル」もニュージャージーのプリンストン大学で書いている。

私がギリシャにいたのは彼よりも10年ほど前の時代だが、彼が暮らしたり訪れたりしたエーゲ海の島々での記述を読むと、ああやはり本当に彼はそこで暮らしていたんだということがよく理解できる。会社勤めの私の場合、島で暮らすなんてことは考えられなかったから、ギリシャの島での生活という意味では旅行者として訪れるにすぎなかった我々よりもはるかに密な経験をしている。面白かったのは、彼が最初に居を構えたスペッツェス島に到着すると、ΠΑΣΟΚとかΝΔとか書いた垂れ幕があちこちにあり、何の事だか分からないまま夕食にワインを注文したところ、「今日は選挙の日だから法律でアルコールは売れない。」と断られた、という記述。私が1977年にアテネに着いたときも、当時の政権党ΝΔ(新自由党)と野党のΠΑΣΟΚ(汎ギリシャ社会主義同盟)とが争っていた。シンタグマ広場に面したオフィスで残業していると、窓の外で突然、いしだあゆみの「ブルーナイト横浜」の曲が流れだして驚いた。その夜、広場でΝΔの大集会があるのだが、そのためのスピーカーを調整していて、どうやらスピーカーが日本製で、テスト用に「ブルーナイト横浜」がおまけについていたらしい。1980年代にはΠΑΣΟΚの方が政権についていたようだ。ちなみにギリシャの政治情勢は現在もΠΑΣΟΚとΝΔが政権交代を繰り返しており、ΠΑΣΟΚのリーダーは当時のパパンドレウの息子、ΝΔのリーダーはやはり当時のカラマンリスの息子。日本でも世襲政治家が問題になっているが、民主主義の元祖であるギリシャでも世襲は根強いようだ。

「遠い太鼓」でもう一つ面白かったのは、長編小説「ダンス・ダンス・ダンス」で主人公が13歳の女の子を連れてハワイに行くシーンがある。このハワイでの描写がとてもヴィヴィッドなのだが、村上春樹がローマでこの小説を書いているとき、彼のアパートは暖房もきかずオーバーコートを着てワープロに向かわざるを得ない状況だった。寒さしのぎに奥さんと日本の温泉やハワイの話をして過ごした。「ダンス・ダンス・ダンス」にハワイが出てくるのはそのせいだという。
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August 20, 2009 =Thu=

むかし、妻が衆院選に出た時に、H大学関係者に支援の輪を広げる活動をやっていただいたK氏から電話で、ぜひ紹介したい人がいるからとのこと。5時に新宿西口で待ち合わせる。紹介したいというのはK氏が顧問をやっている静岡のIT企業の会長さんで、私と同年輩くらいの人。どうやら私がパソコンなどに詳しいと見込んだらしい。その会社はもともと飲食や小売などの中小企業向けPOSシステムを開発しているとのことで、POSとパソコン、携帯電話などを組み合わせたシステムが売りらしい。説明を聞くとなかなかコンパクトで良いシステムのようだが、残念ながら私にはPOSについての知識や経験はないし、販売先を紹介できるような立場でもない。それはK氏もわかっているようで、一度会って説明を聞いていてもらえば、いつか役に立つこともあるだろうとのこと。会長さんは娘婿がリビアの大使館勤務だとかで、最近リビアを旅行したとのこと。正直言ってPOSシステムの話よりもリビアの話の方が面白かった。
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August 14, 2009 =Fri=

私が住んでいる建物の一階は「マルショー」という食品スーパーだから、日常の買い物はとても便利だ。料理を作っている最中でも、何か足りないものがあればエレベータで下に降りれば手に入る。そんな便利な状況にあると、買い物なんかいつでもいいや、という気になってしまう。ところが、ある日突然スーパーが閉まってしまうとお手上げだ。今朝、10時になったからスーパーが開いているだろうと行ってみると、シャッターが下りている。見ると、「14、15、16日と休みます。」という張り紙がある。だいたい、昔から我が家はお盆で休むという習慣がない。お盆が何日から何日までだってことだって正確には知らない。いつも行くスポーツジムが、13、14、15日と休むってことはジムにアナウンスメントの張り紙があったから知っていたのだが、スーパーの方は、これも前から張り紙はあったのだろうが気が付かなかった。たしか正月だって2日から営業していたはずなのに、何でお盆で3日も休むんだ、と思うが致し方ない。3日間、乏しい食料を食いつなぐか、新宿のデパートの食品売り場まで行くかしなければならない。
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August 9, 2009 =Sun=

海からは少し離れた山の上にあるホテルをチェックアウトして、今度は違う海に行ってみる。所要のある娘は一足先に帰り、今日は一日私たち夫婦が双子の面倒を見ることになっている。タクシーの運転手に「昨日は守谷に行ったんだけど、子供たちを遊ばせるのにちょうどいい海水浴場はない?」と聞くと、「海中公園の近くに小さい浜があるから、そこでどうですか。」と言われ、それに従う。行ってみると確かに小さい浜辺があるが、あまり泳いでいる人はいない。その代り、地元の子供たちだろうか、小学生らしい一団が指導員のような大人たちと蟹を捕まえている。ここは波も少なく、海中を泳ぐ小魚や岩場を走る蟹を見ているうちに、昨日の「海が怖い」症候群は解消したようだ。子供たちは帰りの「わかしお」号の中で約1時間のお昼寝。我々もけっこう疲れた。
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August 8, 2009 =Sat=

急に千葉の勝浦に行くことになった。娘の夫が昨日から、こちらも急に海外出張になり、留守番の娘が子供たちを海水浴に連れて行きたいと言い出したのだ。まだオムツがとれない二人なのでホテルのプールという訳にはいかない。妻がいろいろ探して勝浦のホテルを見つけてきた。ネットで「わかしお」号の指定席を手配し、朝早く家を出て市ヶ谷の娘の家へ。総武線で錦糸町まで行き、そこから「わかしお」に乗る。天気は快晴とはいえないもののまずまずだ。10時過ぎに勝浦に着く。

ホテルへのチェックインは午後なので、とりあえずタクシーに乗って海水浴場へ。ネットで調べていたところでは、勝浦にあるいくつかの海水浴場の中で一番水質がよく設備も整っているのは「守谷海水浴場」とのこと。タクシーのドライバーに聞いてもやはり「守谷」がいいという。駅から車で15分足らず。駅から歩いていけるところには「勝浦中央海水浴場」があり、この近くではサーファーが波乗りをしている。守谷は確かに水はきれいだが、大きな駐車場があり、大勢の人たちが来ていて浜辺は満員状態。海の家でビーチパラソルを借りて場所を確保する。

娘が私の水着を見て「ダサい~」と顔をしかめる。私が穿いているのは比較的幅の狭い、競泳用の水着だ。いつも通っているスポーツジムではまったく違和感はない。去年の暮に行ったハワイでも普通だった。だが、この海水浴場で周りを見渡してみると、みんなトランクス型というかバミューダショーツ型というか、ゆったりとした形のもので、私のようなのを穿いているのはほとんどいない。女性はビキニが大半なのに、男性は膝までの長さなのだ。そう言えば日本の海水浴場に来たのは何年振りだろう。

娘一家は先日グアムに行ってきたばかりだから、まもなく二歳半になる双子たちも海はすでに経験済みだ。だから彼らを抱いて波打ち際まで行き、「ほ~ら、波が来るよ~」と言いつつ波が来た瞬間に抱き上げて波をやりすごしたりすると、キャーキャー言って喜んだ。ところが妻がこれをやって足を滑らせ、抱いていた双子の片方がまともに波を受けるとさすがに泣き出し、それからは波のそばに行くと怖がって抱きついて来るようになってしまった。「海を怖がるようになったらどうするのよ!」と娘に怒られる。
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August 4, 2009 =Tue=

会社での仕事を終え、4時半に丸の内の帝劇ビルにある出身大学のクラブへ。関西系の大学だが、このクラブの中に「東京オフィス」を設けており、同期のU君がコーディネーターを務めている。彼と、同期の同窓会の取りまとめ役であるY君と、ここで落ち合う。私は会社の懇親会と重なって出られなかったのだが、7月13日に「卒業45周年の集い」がこのクラブで行われた。その時の出欠通知から、東京周辺に住んでいる同窓生の住所やメールアドレスが確認されたので、それを整理してメーリングリストや住所録を整備してほしいという依頼をY君から受けていたのだ。この同窓会のメーリングリストは以前から私が管理している。ついでにY君がその「集い」で撮った写真や集合写真ををウェブサイトを作ってアップしてほしいとのこと。まあ、お安い御用と引き受ける。
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