Diary



September 27, 2009 =Sun=

今月初めには北欧にいたのだが、なぜかいま、アフリカに来ている。今度は仕事での出張だ。20日に羽田から関西空港経由のエミレーツで日本を発ち、ドバイ経由でエチオピアのアディスアベバ。月・火とアディスで仕事をして水曜日にケニヤ航空でナイロビに。木、金とナイロビでの仕事を終え、週末の今はナイロビからプロペラ機で1時間弱、マサイマラ国立保護区に来ている。夕方の飛行機でナイロビに戻り、夜遅くのケニヤ航空でタンザニア・ダルエスサラームに向かう。日本には30日の夜に帰国予定だ。去年の10月から11月にかけても、同じようなルートを出張した。2月の北アフリカ出張、3月のエジプト観光を合わせると、この1年で4回アフリカ大陸に来たことになる。去年はナイロビに着いた日、アメリカの大統領選挙でオバマの当選が決まったため、ケニアでは翌日が臨時の祝日となり仕事が出来なかった。このため、その日はナイロビから日帰りでナクル湖国立公園に行ったのだが、今回は土日がほぼまるまる空いたので、マサイマラまで一泊旅行をすることにした。

ナイロビからはサファリ・リンクというローカル航空会社の12人乗りのプロペラ機。砂漠の上を飛び1時間足らずでマサイマラに着く。着くと言っても空港があるわけではなく、エア・ストリップと呼ばれる滑走路があって、予約しているホテルによってどこのエア・ストリップで降りるかが決まるようだ。われわれは最初に停まったKichwa Temboというエア・ストリップで降ろされる。この飛行機でナイロビに帰る人たちもいるらしいが、われわれはガイド兼運転手の出迎えを受け、サファリ用のランドクルーザーでホテルに向かう。

マサイマラ保護区の面積は大阪府と同じくらいだが、タンザニア国境の向こうはセレンゲティ国立公園に続いている。こちらは東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県を合わせたより大きい。もっとも動物たちにとっては国境など関係なく、自由に往来している。ホテルは右の地図で左上の12.と表示されているムパタ・サファリ・クラブ。何でも日本の雑誌「ソトコト」の編集者がオーナーだとかで、着くと日本人女性が出迎えてくれて、ホテルの施設やサファリの説明をしてくれる。ケニアに来て10年になるというこの女性、Iさんは、あとで話していて分かったことだが、私が勤めていた商社の子会社で社長秘書を務めていたそうで、私と同期の友人が彼女の上司だったそうだ。ホテルは一室が一戸のロッジになっており、五つ星というだけあってなかなか心地よい。環境に負荷をかけないため、発電機を動かすのは朝晩だけというのだが、自然を求めてやってきたと思えば昼間電気がなくても気にならない。夜なかにトイレに行くには懐中電灯を灯す。夜は冷えるのだが、ベッドに湯たんぽが入っていたのには感動した。食事は昼も夜も三國シェフ監修のフレンチ。ただ、20室以上あるのに泊まっていたのは我々を含め5組だけ。翌日、Iさんと交代にやってきた日本人男性Sさんの話では、2007年末の大統領選挙で暴動が発生し、ケニアへの観光客が激減した。騒ぎが収まって環境客の足も戻りかけたところに燃油サーチャージの高騰でまた客足が落ち、原油価格が下がったと思えば新型インフルエンザと、弱り目に祟り目が続いているそうだ。「今は動物の数も多くて、普通なら日本のお盆あたりから満室状態のはずなんですが、今日なんかお泊まりのお客さんは2組だけです。」

保護区へは地図左上のオロロロ・ゲート(Oloololo Gate)から入る。ゲートと言っても形ばかりのもので、ランクルにとって道はあってないようなものだから、運転手が見張りに手を振ってゲートの横を迂回するようなこともある。サファリは動物の動きが良くなる朝と夕方に行われる。ここに数日腰を据えて、毎日サファリを楽しむ人もいるが、われわれは一泊だけなので、到着の日の夕方と翌日の朝のサファリ。昼間は昼寝したり、ホテルの中の図書室で日本の本を読んだりして過ごす。マサイ族の村を訪ねるツアーもあるが、この出張中、咳が途切れないこともあり参加は見送った。以下、文章は省略して写真だけを掲載する。
ムパタ・サファリクラブのロッジ室内 白犀のペア キリンはあちこちで姿を見せる
軽やかに飛び跳ねるインパラ 木の上では鷲が目を光らせる サバンナに昇る太陽
気球による空からのツアーもある 独りで歩いて来た駝鳥 水に潜むカバ
百獣の王も満腹のときはおとなしい ライオンのおこぼれに与る鳥たち 嫌というほどみかけるヌーの群れ
左の象は妊娠中らしい 運転手兼ガイドのシャドラック・ムイア君
後ろの小屋は唯一の空港施設
操縦士が食事に行って帰ってきたら機体の下にライオンが
7頭いて、出発できなかったこともあるとか

September 17, 2009 =Thu=

7月3日のDiaryで予想したとおり(といってもおそらく誰もが予想していたように)、村上春樹は「1Q84」のBook3を執筆中だといういことが公表された。来年の出版になるそうだ。楽しみが出来た。
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September 6, 2009 =Sun=

土曜日の昼過ぎにストックホルムを発ち、ヘルシンキで乗り換えて、今朝成田に到着。例によってリムジンバスを新宿西口で降りてすぐの地下にある「沼津港」で回転寿司をつまむ。最近、海外旅行はどちらかというと途上国が多かったが、今回の北欧旅行は久しぶりに豊かな文明国の旅だった。北欧四カ国はどこも治安が良く、水が豊富で人々は物質的にも精神的にも豊かに暮らしている。われわれ旅行者にとっても安心して動けるし、どこへいってもインターネット(だいたいが無線LAN)が無料で使えるのはありがたかった。
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September 4, 2009 =Fri=

ストックホルム市庁舎の中庭 ノーベル賞晩餐会が行われるホール
晩餐会のセッティング ノーベル賞記念メダルを象ったチョコレート
朝はゆっくりして昼前の飛行機でストックホルムへ。一時間ほどのフライトだが、時差が1時間あるのでやはり昼前に着く。ここでもそのまま市内観光で、最初はストックホルム市庁舎。市庁舎と言ってもここは日本の市役所のように小関登録などの市民サービスをやる場所ではなく、市議会の会議場と貸ホールが主なもの。とくにこの市庁舎が有名なのは、ノーベル賞授賞式のパーティや晩餐会が行われること。

市庁舎はなかなか荘重で趣のある建物で、ラグナール・エストベリの設計によるスェーデン・ナショナル・ロマンティシズムの象徴ともいえる。設計者自身の像も設置されている。晩餐会が行われる「青の間」の会談ではなぜかシェフとおぼしき人があたりを睥睨していた。部屋の一隅にはノーベル賞授賞式晩餐会のテーブルセッティングも展示されており、そこにはノーベル賞のメダルを象ったチョコレートも置かれている。実はこのチョコレート、あとで訪れるガムラスタンにあるノーベル博物館に行くと市販されている。たしか一枚15クローネ(約200円)だが、10枚まとめた袋入りは一袋100クローネと割安になる。なんでも昨年物理学賞を受賞された益川先生はこのチョコレートを数百枚お土産に買って帰られたとか。

市庁舎を出てフィエルガタンの展望台へ。ここからはガムラスタンをはじめ、ストックホルム市街を一望できる。オープンカフェに座っていた老夫婦が声をかけてきた。「台湾からかい?」「いや、日本人です。」「そういえば日本にも行ったことあった
元タンカー船長
な・・・カオシュン(高尾)とか。」「それって台湾でしょ。」「ああ、そうだったか。」「どんな仕事してたんですか?」「タンカーに乗ってたんだよ。」「船員さん?」「船長だったんだよ。」「いまは?」「もちろんリタイアしてるよ。」てな感じで、とても人懐こい船長さんだ。われわれのバスが出発する時には、カフェのテーブルを離れてバスの入り口までやってきて"Have a good day!"と手を振ってくれた。

王宮 王宮の衛兵
このあとはストックホルムの旧市街ガムラスタン。"Gamla Stan"とは文字通り「旧い町」の意味。ストックホルム自体、北欧のヴェニスと言われるように、複雑に入り組んだ水路に浮かぶような街だが、その発祥地であるガムラスタンも小さな島だ。この島に壮大な王宮と、中世そのものの町並みが残る。スエーデンのグスタフ国王にはミュンヘンオリンピックのコンパニオンだったシルヴィア王妃との間に上から王女(32歳)王子(30歳)王女(27歳)と3人の子がいるが、王位継承権を持つ長女が今年、スポーツジム経営者と婚約、次女も弁護士と婚約したそうだ。

ガムラスタンでいっとき自由時間があったので、裏通りをぶらつく。何でか自分でも理由は分からないが、とある骨董店に足を踏み入れる。ウェッジウッドなどを置いてある、まったく特徴のない骨董店だ。店番をしている女性は一見東洋人のようだ。妻が「日本の方ですか?」と声をかけると、「はい、そうです。」スエーデン人と結婚した日本女性で、この店は夫の母親がやっていたのを引き継いだとのこと。「むかしは地元の人相手の商売だったんですが、今はお客さんは観光客と地元の人と半々くらいです。」というが、果たしてこのような店で観光客が何を買って行くんだろう。妻は例によってこの国の税制はどうだの、社会保障はどうだのの質問を矢継ぎ早にぶつけている。店主も日本語をしゃべる機会が少ないためか、いくらでも話していたい様子だ。あとでノーベル博物館のカフェで授賞式晩餐会で出るのと同じというアイスクリームを食べようと話していたのだが、妻と店主との話が弾むうち、集合時間が来てしまった。

北欧旅行最後となるホテルは"Scandic Infra City Hotel" 早めのチェックインだったので、例によって夕食前にサウナへ。普通、サウナと言えば暗い部屋にあるが、このホテルのサウナ、驚いたことに大きな窓に
ノーベル博物館 ガムラスタンの広場で
面している。窓からは隣のスーパーマーケットに買い物に行くツアー仲間の姿も見える。明るくていいのだが、入ってみてまた驚いたことには、全然熱くないのだ。温度計を見るとなんと36℃。これじゃあサウナなんて言えないんじゃないの。当然誰も入っていない。仕方なく水を汲んできて焼け石にじゃぶじゃぶかけてからプールに行く。プールでは幼い子供を二人連れた夫婦が泳いでいる。しばらくプールで泳ぎ、サウナに戻ると、やっと50℃近くになっている。もう一度石に水をかけ、プールに行く。何度か繰り返しているうちにやっとサウナらしい温度になってくる。そうこうしているうちにさっきプールにいた夫婦の夫の方がサウナ室に入ってくる。子供たちは奥さんが面倒を見ているらしい。「熱くなってる?」と言いながら戸を開けてくるのに、「やっと熱くなったよ。さっきはずいぶん温かったけど。」頭は薄くなっているけど、まだ若そうだ。「どこから来たの?」と聞くと、「スエーデン人なんだけど、ずっと北京に住んでるんだ。一時帰国でこのホテルに泊まってる。」とのこと。「外交官か何か?」「いや、ビジネス。北京で携帯電話を売ってる。」やはり携帯電話か。スエーデンならエリクソンなのだろう。「北京にはどのくらい?」「もう5年になる。おじいちゃんやおばあちゃんが早く帰ってきてくれって言うんだけど、なかなか帰れそうもないんだ。」と話す顔を見ると髪の毛は薄くなっているものの幼さを残している。
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September 3, 2009 =Thu=

ブリッゲン地区の倉庫街 魚市場ではクジラの肉も
コペンハーゲンで会ったノルウェー人から「ベルゲンに行くの?あそこはきっと雨だよ。」と言われたほど、ベルゲンという街は雨の多いことで有名なはずが、ベルゲンで朝を迎えるとこれが昨日とは打って変わった晴天だった。

中世、ハンザ同盟の主要都市として名を馳せたこの街は、ブリッゲン地区の木造倉庫街が世界遺産に指定されている。ブリッゲン地区に続く埠頭には、朝から魚市場が立つ。買い物を兼ねてこのあたりを自由散策中、妻が「トイレに行きたい。」と言い出す。添乗員のSさんから聞いていたトイレの場所は11時にならないと開かない。魚市場の人に「この近くにトイレは?」と聞いてまわるが、「この裏手のカフェにあるよ。」と教えてくれるものの、そのカフェも閉まっている。ふと通りの向こうを見るとレストランらしい店があり、店員の姿が見える。こんな時間にレストランが開いているのもおかしいのだが、「あそこでコーヒーでも注文してトイレを使わせてもらおう。」と道を横切り店に飛び込む。どうやら深夜営業を終えて片づけを終えたばかりの店長らしい人が、「店は閉まってますよ。」「トイレを使いたいんだけど。」「どうぞ」ということでやっと解決。妻に続いて私も入ろうとすると「トイレは一つしかないからここで待ってなさい。」と言われ、店に張ってある写真(戦後のポーランド映画のような雰囲気の写真が多い。)を眺めていると、店長がコーヒーを淹れてくれる。「ここ、何料理なんですか?」「アジア料理だよ。シェフはベトナムから来てるんだ。」帰りがけにコーヒー代を払おうとすると、「いいよ。私の奢りだ。」握手して別れる。

11時半のFinairでヘルシンキへ。各国の首都では日本人ガイドがつくのだが、だいたいは女性ガイドだ。ところがヘルシンキのガイドは男性でTさん。あとで話していて知ったのだが、このTさんは常時ヘルシンキに
ヘルシンキ・オリンピック競技場 シベリウスの像
住んでいるのではなく、家は東京・町田にあって日本とフィンランドを行き来しているとのこと。ガイドだけでなく音楽関係の仕事もしているそうだ。妻と共通の知人がいることも判明。

ヘルシンキと言えば、1952年に第二次大戦後初めて日本が参加したオリンピックが開かれた場所。私はその頃小学校の5年生くらいだったろうか、わずかな記憶が残っている。実はこのヘルシンキオリンピック、幻の五輪となった1940年東京オリンピックとの因縁がある。1940年オリンピック開催地は東京、ローマ、ヘルシンキで争われ、日本はムッソリーニに働きかけてローマを辞退させ、ヘルシンキとの争いの結果、東京に決まった。しかし日本は日中戦争にのめり込み、軍部を中心にオリンピックなどやっている場合か、という風潮が強くなった。軍需物資である鉄をオリンピック施設に回すことなどもってのほかで、「造るなら木造にしろ。」とまで言われたそうだ。国外からも日本での開催に反対の声が上がる一方、国会でも河野一郎を中心にオリンピック返上論が優勢になり、1938年になってオリンピック返上の閣議決定を行った。この結果、1940年オリンピックはヘルシンキでの開催となったが、第二次大戦により結局開催は見送られた。1944年オリンピックはロンドン開催と決まっていたが、これも戦争で開催できなかったことから、戦後初めての1948年はロンドン、次の1952年がヘルシンキとなった。なお、1940年の東京オリンピック返上の中心人物となった河野一郎は、戦後、池田内閣のもとで建設大臣となり、1964年の東京オリンピック担当大臣を兼務することになる。

フィンランといえば思いつくのは作曲家シベリウス、漫画キャラクターのムーミン、それに携帯電話のノキアといったところか。ヘルシンキにはシベリウスの名を冠した公園があり、気難しそうな顔の像がある。ムーミ
テンペリアウキオ教会の内部 ヘルシンキ大聖堂
ンは正式にはムーミン・トロールというそうで、ノルウェーのトロールとも関係があるのかも知れない。シベリウス公園のあと、岩をくりぬいて造られたテンペリアウキオ教会を見て、市内中心の元老院広場へ。ここにはヘルシンキの象徴たる大聖堂が立つ。テンペリアウキオ教会は歴史的に古いものではなく、1969年の完成。住宅街の中に一見奇妙な形で建てられているが、岩盤をくりぬきながら外光を効率よく取り入れている。テンペリアウキオ教会、大聖堂ともに福音ルーテル派。

今日のホテルは"Scandic Hotel Continental"で、フィンランドと言えばサウナ。で、食事の後サウナに行ってみる。プールから入る形で男女別サウナがあるが、本場とはいえとくに変わったものではない。「サウナでは水着着用不可」の表示が出ているので、サウナから水着をつけてプールへ、プールから戻ると水着を取るという繰り返し。サウナで出会ったのはフィンランド人らしい親子連れとアメリカ人らしい旅行客。どういう訳か、北欧に来ているのに日本のツアー仲間はあまりサウナには興味がないようだ。
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September 2, 2009 =Wed=

フィヨルド沿いの町 ラルダールの古い木造建物
昨日の雨で、今日バスが通る道路で土砂崩れがあったらしい。だがさすが先進国だけあって、こうした場合でもちゃんと代替ルートが確保されているらしい。運転手のピーター氏が調べて、フェリーを乗り継いで進み、逆に少し予定より早く着いたらしい。ラルダールトンネル(24.5Kmと、自動車用トンネルとしては日本一の関越トンネルの2倍以上あり、世界一長い。)を通り抜け、ラルダールという町に着く。

時間が余ったからと、この旧い町を予定外の見学。毎年3回は北欧に来ているという添乗員のSさんも、この町は初めてだという。(それにしてもSさんは本当に北欧が大好きらしく、事情にとても詳しい。)この町は昔の古い建物がそのまま残っており、人も生活しているのだが、建物には手を触れないようにとのこと。道路標識には「アンティーク通り」書いてある。ピーター氏によればここも世界遺産だというが、世界遺産リストには載ってないので、たぶん重要文化財か何かに指定されているのだろう。

バスはここからグドヴァンゲンまで走り、ソグネフィヨルドの遊覧船に乗る。グドヴァンゲンからフロム(ノルウェー語ではFlamと書くが、"a"の上に小さい○が付いている。○がつくとアではなくオとなるらしい。)までは両岸に切り立った崖と滝を眺めながら2時間余りの船旅となる。ソグネフィヨルドと言っても、ソグネフィヨルド自体は全長200Km以上あり、われわれの船はその支流であるアウルランフィヨルドとネーロイフィヨルドを通る。ネーロイフィヨルドは世界遺産に指定されている。

ソグネフィヨルド フロム駅
この旅行で一緒になった、元M銀行にお勤めだったKさんご夫妻と、船のサロンの6人用テーブルを確保していたら、これまでも時々一緒になったドイツ語を話すグループのおばさんが「ここ、座っていい?」と英語で話しかけてきた。「いいよ。ドイツ人?」と聞くと、「スイス。旅行業者の団体なの。」このグループ、スイスの旅行業者がノルウェー側から招待を受けてのツアーらしい。もうヨーロッパ人の北欧観光もシーズンオフに入るので、「これまでお客を送りこんでいただいてありがとさん」という趣旨らしい。そのうちもう一人おばさんが加わった。前のおばさんが、「この人、SASの人よ。」と紹介してくれる。SAS(スカンディナヴィア航空(SAS)のスイスの代理店だという。むかしは、北欧の飛行機と言えばSASが一番ポピュラーだった。今度われわれが日本から来たのはフィンランド航空。北欧内での移動もフィンエアーだ。添乗員のSさんの話だと、SASはもともとスェーデン、ノルウェー、デンマークのスカンディナヴィア3国政府の共同出資だったが、今はこれが3つの別々の会社に分かれ、そのため日本から北欧の一都市経由で他の都市に行く場合でも最初の都市で荷物をいったん受け取り、改めてチェックインしなければならなくなったという。で、「おたく、会社が分裂して不便になったそうね。」と聞くと、「そうなの。SASスェーデン、SASノルウェー、SASデンマーク、それにSASインターナショナルの4社に分かれたんだけど、年内には再合併することになってるわ。」とのこと。

実は私はこのSASには少し思い入れがある。むかし、アテネ駐在の頃、妻の両親、そして私の両親を日本から招いたことがある。こうした場合に一番安い料金(エジプト航空とかパキスタン航空とかを除けば)を出してくれるのがSASだったのだ。ただしこれには仕掛けがあって、海運国のギリシャでは船会社が世界のあちこちに就航している自社の船から、乗組員を交代させ
ショッスの滝 右は滝に現れた妖精(私のカメラの望遠ではこれが限界)
るために船員を送り込んだり連れ戻したりする必要がある。SASはこうした船員の交代需要を取り込もうと、特別の船員割引制度を設けていた。当時のアテネのSAS代理店は、そうした船員割引のチケットをこっそりわれわれに回してくれていたのだ。アテネの代理店にお金を払い込み、日本の代理店からチケットを受け取る。妻の両親の時は何も問題なしに事は運んだのだが、私の両親が日本の代理店にチケットを貰いに行ったら「船員手帳を見せて下さい。」と言われてしまった。アテネの代理店は販売促進のつもりで売っているのに、生真面目な日本の代理店は、船員割引チケットを売る場合は相手が船員であることを確認する、というルールを守ったのだろう。まあ、その時はアテネから日本に直接電話して抗議したら恐縮してチケットを渡してくれたが、本当は理は先方にあったはずだ。

もう一つ話が逸れるのだが、パナマにいたころ、邦銀S行(今はM行と合併した方)の支店長が創元社推理文庫のプリンス・マルコシリーズ(ジェラール・ド・ヴィリエ)が好きで、よく回してもらって読んでいた。このプリンス・マルコの表記がS.A.S. Marco Lingeといい、このS.A.S.はフランス語の「殿下(Son Altesse Serenissime)」と英国特殊部隊(Special Air Service)をかけたものなのだが、この小説の中で主人公マルコはしばしばスカンディナヴィア航空(SAS)を利用し、その着陸技術が「まるでそっとキスをするようだ。」と褒めちぎっている。それとシャンパンのモ・エ・シャンドンも素晴らしいシャンパンとして頻繁に出てくる。これはテレビコマーシャルと同様、人気作家のシリーズに両社(SASとモ・エ社)が宣伝費を出しているに違いない。

閑話休題して、フロムで船を降りるとフロム鉄道に乗り換える。スイス人のグループは隣の車両だ。フロム鉄道はオスロとベルゲンを結ぶベ
ルゲン鉄道の支線だが、人口500人のフロムの町は毎年夏になると世界中からの観光客であふれるという。標高2mのフロムから標高866mのミュルダールまで20km。通常の軌道を走る鉄道としては勾配のきつさは世界一という。この車窓からの風景すばらしいが、圧巻はミュルダールに着く少し前に5分ほど停車するショッスの滝(KJOSFOSSEN)。本は水力発電所だったというが、すごい水量の滝が迫ってくる。風が滝の方角から吹いているので、びしょぬれになりそうだ。轟々たる滝の音に逆らうように音楽が鳴ると、滝の中腹の岩場に青い服を着た妖精が現れる。妖精は人間による自然環境の破壊に警告を与えているとか。

ミュルダールでベルゲン鉄道に乗り換え。スイス人グループはそのままベルゲンまで行くらしいが、われわれは途中駅のヴォスで降りてバスに乗る。途中スティンダールの滝に寄って、滝の裏側に入る。ただし滝の裏側というのは、ナイアガラの滝でもそうだがただ水が目の前を流れ落ちているだけで何も見えない。

21世紀は、資源・食料もさることながら、水の争奪戦になると言われている。経済の成長とともにどうしても必要となるのが水だからだ。特にアフリカなど途上国の水不足は深刻だ。だが、このノルウェーという国には水があふれかえっている。旅行中、どこにいってもすぐ近くに水がある。それは海であり、フィヨルドであり、滝であり、湖であり、川であり、とにかく水、水、水なのだ。世界第三位の石油輸出国でありながら、電力供給は100%水力発電だ。石油の枯渇に備えて、国家予算には石油収入はカウントせず、石油輸出による収入はすべて(必ずしもすべてでもないらしいが)基金に積み立てているという、今どき珍しくも羨ましい国だ。

今日はベルゲンの空港近くのホテル。到着が遅いのでサウナはスキップする。
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September 1, 2009 =Tue=

ユニオンホテルよりフィヨルドをのぞむ ゲイランゲルフィヨルドのフェリー
ノルウェーの旅の目玉がフィヨルド観光にあるなら、今日と明日がハイライトなのだろう。今日はゲイランゲルからフェリーに乗ってヘッレシルトまでの約1時間、ゲイランゲルフィヨルドを遊覧する。相変わらず天気は悪く、ゲイランゲルフィヨルドには低く雲が立ち込めている。

フィヨルドとは、数万年にわたって積もった雪が数千メートルの厚さの氷河を形成し、それが自らの重みで年数百メートルのスピードで流れ落ちる際に、底部を侵食し、U字谷を形成したところに、氷河時代の終わりとともに海水面が上昇し、現在の形になったものである。岩手県などに見られるリアス式海岸と同じようなものかと思っていたが、リアス式海岸は氷河とは関係なく、普通の山地が海に沈んで形成されたものだから底がV字型になっている。フィヨルドは底がU字型であるほかに、リアス式海岸などと比べて奥行の距離が長いことが特徴だ。日本には氷河期がなかったので、リアス式海岸はあってもフィヨルドは存在しない。また、南半球にはフィヨルドの例は北半球に比べて非常に少ない。

ゲイランゲルフィヨルドを進むにつれて、フィヨルド独特のの風景が展開する。一番奥のゲイランゲルでは町が広がっているが、途中は両岸とも切り立った山で、高さは1000メートルほどありそうだ。ほとんどそのままフィヨルドの海に落ち込んでいる。海面に近い当たりでは樹木も生えているが、上の方はほとんど植物の姿もない。その山から幾筋もの滝が流れている。ほとんど人家は見られないが、そんな中にもわずかに平坦な土地もあるらしく、かつて農場だった跡地も残っている。
ブリクスダール氷河
七姉妹の滝

フィヨルドのハイライトは「セブンシスターズ(七姉妹の滝)」と呼ばれる七筋の滝。この向かい側には「求婚者の滝」と呼ばれる滝もある。七姉妹に求婚して次々に断られ、しまいには自棄酒を飲んでばかりいたという滝で、徳利のような岩が見えるというが気が付かなかった。

ヘッレシルトに着くと、またバスに乗ってブリクスダール氷河を見に行く。雨はほぼ止んでいるが、レインコートが必須とのこと。われわれのは100円ショップで買ったレインコートだ。8人乗りのオープンカーのジープで氷河に向かう。途中の滝で物凄い水しぶきを浴びる。レインコートが必要というのは必ずしも雨だけが問題ではなかったわけだ。ジープはジグザグの道路を上がっていくが、氷河のそばまでは行けず、徒歩となる。冷たい水の川に沿って登っていくとやがて氷河が見えてくる。途中で看板が出ていて、昔はこのあたりまで氷河だったとある。それに比べると、やはりかなり後退しているのが分かる。以前、南極へ旅行した時に、パタゴニアの氷河を見に行ったが、その時も氷河は大きく後退していて、氷河の近くには行けなかった。今回はその時に比べればかなり近くまで接近できたと思う。動画で撮った画面を見ると、氷河が細かい崩落を起こしているのが分かる。

氷河からジープに戻る途中、林の中に毒々しい色のキノコが傘を開いていた。Sさんによればベニテングダケという名前だそうだ。童話だと森の小人たちがその周りで踊っているようなキノコだ。

今日のホテルはバレストランドという町のクビクネス(Kviknes)というホテル。このホテルでは部屋からフィヨルドが望めた。レストランで食事の後、別の部屋でピアノコンサートがあるという。一番最初に入ると、ピアノ奏者が紙を持ってきて、この
クビクネスホテルの窓から
中からリクエストしてくれという。100曲くらいの曲名が書いてある。その中から"As time goes by"、"Danny boy"それにご当地のグリーグのピアノ曲と、もう一つ何か忘れたが計4曲をリクエスト。最初だったからリクエストが少ないと奏者が気の毒だと思って多めにリクエストしたが、その後もリクエストは続き、われわれは早めに出たのだが、10時過ぎまで続いていたという。

コンサート会場から出て少しホテルの周りを散歩してからサウナに行く。このホテルのサウナはプールの奥にある。普通は男女別の脱衣室の続きにサウナがあり、サウナでは水着を着ず(「水着ご遠慮ください」と書いていあるところもある。)、そのあと水着をつけてプールに行くのだが、ここは脱衣室からプールへ、その奥にサウナなので、サウナも男女共用で水着のまま入る。そのせいもあって昨日のホテルよりサウナも広く明るかった。フランス人らしいビキニの若い女性もいた。
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