Diary



November 27, 2009 =Fri=

昨日はテヘランからドバイ経由で返ってきたが、それを追いかけてきたかのように今日はドバイショックが為替・株式市場を襲った。例の人工島などを手掛けているドバイ政府系企業が金融機関に返済猶予を申し入れたとかで、欧米の通貨が軒並み下落、円だけが独歩高で1㌦84円台をつけ、それを受けて株式市場も輸出株中心に急落した。あのバブル振りをまさに目の前に見てきただけに、ドバイショックの意味合いはよく分かる。だが、いくら世界一の建造物をじゃんじゃん造っているからと言って、あの中東の小国が世界の金融市場にどれほど大きな影響を与えるのだろうか。
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November 26, 2009 =Thu=

月曜日の朝、ドバイを発って約2時間のフライトでテヘランに到着。イマム・ホメイニ空港でのイミグレーションは少し緊張したが、案に相違して係官は日本語の片言を使って愛想良く話しかけてくる。もっとも同行者で7年前までイランに駐在していたH氏によれば「あれは本当に日本人かどうか確かめてるんです。日本の偽造パスポートを使った東洋人でないかを。」とのこと。空港からオフィスに直行したが、遠いのと市内に入って道が混んでいるのとで2時間くらいかかった。

イランでは丸二日半の滞在だが、ずっと仕事で街を観光する機会はなし。まあ街中で観光するようなところもないのかも知れないが。だが、ホテルの窓からはもう冠雪した山々が望める。テヘラン自体、エルプルズ山脈の麓にあり、高度1200m。緯度から言えば東京都とほぼ同じだが、高い分だけ冬は温度が低い。夏だと40度を超えることもあるそうなのだが。5000m級のエルプルズ山脈の向こうはカスピ海であり、北からの湿気はこの山脈で遮られ、雨の少ない砂漠地帯になる。

改めてイランの位置を地図で見てみると、東はパキスタン、アフガニスタン、トルクメニスタンと国境を接し、カスピ海を挟んで西側はアゼルバイジャン、アルメニア、トルコ、イラクと陸続きである。さらにペルシャ湾を隔ててクエート、サウディアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンと対峙している。こんなところで核開発などやられたら周辺の国々は気が気ではないだろうが、こんなところだからこそイラン自身も身を固めたくなるのだろう。

自由なドバイと違って、イスラム原理主義が支配しているこの国では、もちろん公共の場で飲酒などはもってのほかだ。オフィスの人たちに連れて行ってもらったラムチョップの店では、料理はとても美味しいのだが飲物はダイエット・コークだった。

ペルシャ語なんてとてもじゃないが読めないが、数字を扱う仕事柄、アラビア語の数字だけはうろ覚えで覚えている。アラブの国にいて渋滞に巻き込まれた時など、車のナンバープレートを読むことでアラビア数字の練習と時間つぶしをしているのだが、ここペルシャの数字もほぼアラビア数字と同じ。4と5と6だけが心持違っているようだ。で、ここでもまた大渋滞に巻き込まれた。しかも帰りの飛行機に乗るべく空港に急いでいるときにだ。運転手に言わせると"Tehran is a big parking place!"なるほど空港に通じる高速道路はぎっしりと車が詰まっていて動かない。うまいこと言うな、と感心したが、出発時間まであと1時間半もないのにいつ動き出すか分からないという状況では感心ばかりしてもいられない。飛行機はエミレーツでビジネスクラスだから多少は融通はきくだろうが、出発30分前に駆け込んで搭乗を断られたという話も聞く。ナンバープレートによるペルシャ数字の勉強は十分できたが、ぎりぎり滑り込んで搭乗券を貰った時はさすがにほっとした。
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2 November 22, 2009 =Sun=

バージュ・アル・アラブ バージュ・アル・アラブの吹き抜け
昨夜、関西空港発のエミレーツでドバイへ。この中東のハブ空港では、これまでアフリカへの往復で都合4回、トランジットで買い物やラウンジを利用しているが、降りたのは初めてだ。まだ夜も明けきらぬ午前5時半に着いて空港から15分ほどのホテル"The Palace"にチェックイン。少し仮眠を取ってホテルの隣の建物にあるオフィスで打合せ。今年の2月に一緒に北アフリカへ出張したO君がこのオフィスに転勤してきている。打合せとフリーゾーンの見学の後、O君の案内でドバイの見どころを周る。

ドバイのランドマークと言えばあの7つ星ホテル、バージュ・アル・アラブ(Burj Al Arab)だろう。船の帆を象った外観も目立つが、中に入るとまさにバブルの象徴のようだ。ロビーへのエスカレーターが左右にあり、その中央には趣向を凝らした噴水に水が飛び交い、エスカレータに沿った壁面は全面が水槽で無数の魚が泳ぎまわる。エスカレーターを上がって上を見ると巨大な吹き抜けになっている。エレベーターで上層階の会議室の空き部屋に入り込むと、窓からは例の、パームの形をして海に浮かぶ人工住宅地も見える。パーム型のほかに、世界地図を象った人工島も造成中だとか。リーマンショックはこの地にも及んでいるはずだが、本当に大丈夫なのだろうか。
イランからの買い出し船?
噴水ショー(動画はこちら

ドバイは必ずしも近未来都市の側面ばかりではない。クリークの渡し船を借り切って30分ほどクリークをクルーズしたが、クリークの片方の岸は昔ながらの旧市街。クリークに停泊している船も豪華なクルーザーや瀟洒なディナークルーズ船だけでなく、イランあたりからの買い出し船も係留されている。木造のオンボロ船だが、旧市街の市場でしこたま買い込んだ品物を満載してペルシャ湾を渡る。イラン側では当然正規の通関はしないのだろう。

金にあかして何でも世界一を造るのがドバイ。今年開業したショッピングセンターのドバイ・モールは総面積111万㎡、店舗数1200日。本最大のイオンレイクタウン越谷が25万㎡、565店舗だからスケールが違う。ショッピングセンターの中にオリンピックの公式競技もできるスケートリンクがあるし、沖縄の美ら海水族館を思わせる巨大な水槽に鮫を含む無数の魚が泳いでいる。ショッピングセンターを通り抜けると、世界最高の超高層ビル、ブルジュ・ドバイ(824m、東京タワーの2.5倍)が聳える。こちらは外観はほぼ完成しているものの、ビル自体は年内完成とのことで、夜になると内装の突貫工事をやっているのかビル全体の窓に明りが点されている。ブルジュ・ドバイの足元にはこれも世界最大であろう噴水がある。こちらも
Grand Hayatte "Antar"でのベリーダンス
今年の開業で、時間が来ると壮大な噴水ショーが行われる。

ドバイでのディナーはグランド・ハイヤットでのレバノン料理。ホテルのレストランなのは酒が飲めるから。いくら自由なドバイと言えども、そこはイスラムの国だからホテル以外では公然と飲酒することはできない。だが、女性の肌の露出に厳しいイスラム国のはずだが、ベリーダンスは別らしい。そういえば新宿アイランドタワーのレバノン料理店でもベリーダンスをやっていた。

このドバイと言う町、19世紀までは小さな漁村だったのが、地の利から商業都市として発展、20世紀半ばに原油も発見されたものの、同じアラブ首長国連邦のアブダビと違って埋蔵量も少なくすぐに枯渇した。1980年代にフリーゾーンの建設やナショナルフラッグであるエミレーツ航空の就航により中東の金融、商業、物流などの中心地としての地位を確立、21世紀に入って爆発的な発展を遂げた。

しかし、フリーゾーンの見学に行った際に体験したが、中心部から少し車を走らせるとそこはもう砂漠であり、近代的なドバイの町は映画のセットか砂漠に浮かぶ蜃気楼のように思える。近未来都市の建設資金は一昨年の資源高騰などを背景にドバイに流れ込んだオイルマネーに支えられているはずで、リーマンショック以降ドバイでも建設計画の先送りなどが相次いでいるという。この繁栄ももしかしたら砂漠の蜃気楼かも知れない。
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November 14, 2009 =Sat=

8日の日曜日に成田を出て深夜にホーチミンシティに到着。月曜から水曜の午前中までホーチミンの事務所で仕事をして、午後のフライトでハノイへ移動、昨日深夜にハノイを発って、今朝成田に帰国した。ベトナムは初めてだが、週末が挟まっていないのでホーチミンでもハノイでも空港とホテル、ホテルとオフィスの移動だけで、観光に類したものは一切なし。オフィスのローカルスタッフとホテルの従業員以外には、現地の人たちとの接触もほとんどなかった。だが食べ物は美味しかった。出張に来てベトナムほど食事が美味いと思ったことはない。レストランにはあちこち連れて行ってもらったが、たとえばここここ。とくに帰国する日の昼に行ったAshimaのきのこ鍋は絶品で、ハノイでチェーン展開しているようだが日本に持ち込んでも人気になるだろうと思う。

ホーチミンシティのホテル(Hotel New World)では、特別サービスとして毎日3点に限りランドリーが無料だった。今回は一週間だけだし、寒いところでもないので、スーツケースは持たずに機内持ち込みのキャリーバッグと着替えのスーツ(こちらはAOKIで買ったときのハンガー付きビニール袋のまま)だけだった。だからシャツや下着は最低限しか持っていかなかったので、このランドリー無料サービスは有難かった。試しにスーツのドライクリーニングはこの3点に入るの?と聞いてみたが、さすがにそこまでは無理。このホテルにはクリントンやブッシュも泊まったという。ブッシュの時はこことシェラトンを全館借り上げ、車も同じナンバーのものを2台用意してカムフラージュしていたが、本当に本人が泊まったのはこちらだそうだ。

ハノイのホテル(Melia Hanoi)では予約していたクラスの部屋が満室とかで、スイートルームにアップグレードしてくれた。いわゆるセミスイートではなく、リビングは広いし、洗面所やトイレもベッドルームだけでなくリビングにもついている本格的なもの。ホーチミンではインターネットは有料だが、こちらはチェックインの時にパスワードをくれた。着いたのは夕方だが、ホーチミンからの機内でばっちり夕食が出たので、会社の人からの夕食の誘いは辞退して、同行者とホテルのラテン・バーに行く。時間が早いのでほかに客はおらず、ショーが始まってもわれわれだけ。日本から来たと言うとテレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』などを演奏してくれる。

ホーチミンでは気温は30度前後。ハノイは1000Km以上北にあるし、ホーチミンを発つときにも「ハノイはもっと涼しいよ」と言われていたのだが、着いた日はホーチミンと変わらない暑さだった。だがこの気候は少し異常だったようで、翌日には肌寒く感じるようになった。出張中、わずかに市民生活を垣間見るのはホテルからオフィスまでの車からの眺めだが、ハノイではこれが5分とかからない。だが、ホーチミン、ハノイいずれもバイクの数がやたらと多い。交差点などで自分が被っているもののほかにもう一つヘルメットをもってバイクを停めているのは「バイクタクシー」。乗客はヘルメットを着けて後部座席に跨るのだが、車から見ていると本当に怖い。これではとてもじゃないけれど自分で車を運転する気にはなれない。
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November 6, 2009 =Fri=

金曜日は休みの日だが、出張が今週から来週に延びたため来週のアポイントを繰り上げたこともあって午後から出社。午後からと言うのも、11時半から東京会館で経理部門のOB会があるのでこれに出席してからの出社となる。OB会の出席者は150人くらいか。当然のことながら懐かしい人たちとも顔を合わすが、会えるかなと思っていた人たちが来ていないというケースも多い。私自身はまだ半ば現役だが、定年後8年を経て同期の仲間もほとんどが引退し、中には身体を悪くしている人もいる。このOB会も、以前は夜にやっていたが、夜の外出を控える人も多いという理由で昼の開催になったそうだ。9月にアフリカで会ったIさんの元上司で、同期のO君が来ていたら渡してやろうと、Iさんと撮った写真を持って行ったが、やはり会えなかった。

夜は品川で、仕事関係の集まり。
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November 1, 2009 =Sun=

新宿ピカデリーで映画「沈まぬ太陽」を観る。山崎豊子の小説は、「華麗なる一族」「不毛地帯」「二つの祖国」は読んだことがあるが、「沈まぬ太陽」は読んでいない。だが、全5巻にわたるこの小説が日本航空を舞台にしたものであること、組合運動を理由に海外僻地を転々とさせられた実在の人物をモデルにしていることは知っていた。10分のインターミッションを挟み3時間半にわたる大作は、なかなか良くできた映画だった。主人公が僻地勤務をさせられるのはカラチ、テヘラン、そしてナイロビである。カラチは私も以前出張で行ったことがあり、ナイロビは先月行ったばかり、そして来月はテヘランに出張が決まっている、ということで何となく共感するものがある。

もちろんフィクションと断ってはいるが、ほとんどの登場人物にはそれと分かるモデルがある。国民航空(日本航空)のジャンボジェットがが御巣鷹山で事故を起こし、時の利根川総理(当時の総理は中曽根康弘)は元大本営参謀だった財界人(当然、瀬島竜三がモデル)を仲介役に、三顧の礼をもって関西紡績(カネボー)社長の国見(伊藤淳二)を国民航空の会長に迎える。正義感に燃える国見は、経営陣の画策により四つに分断された労働組合の融和が再建のポイントと見抜き、かつての組合委員長で同社初のストを打ったことから僻地に左遷され、ジャンボ機墜落後は遺族の世話係に回されていた恩地元(モデルは小倉寛太郎)を会長室に引きあげる。しかし、国見会長は国民航空の内情を調査するうちに、巨額の為替予約に係る不正にたどり着く。この為替予約は総理及び竹丸幹事長(当時の自民党幹事長は竹下登→金丸信)につながる金脈だった。国見会長は再び件の財界人を通して総理から解任を告げられ、恩地は再びナイロビへの転勤を命ぜられる。

日本航空が経営危機の瀬戸際にあり、政権交代を経て政府主導による再建策が検討されている時期に、この映画が公開された意味は大きい、と思う。
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