Diary



January 31, 2010 =Sun=

バラナシ駅の跨道橋にて
バラナシの街角で
案の定眠れないままバラナシに二時間余り遅れて到着。駅にはポーターが来ているが、彼らの荷物の運び方に驚く。スーツケースを二個重ねて頭の上に載せ、そのまま長いホームを端まで歩き、さらに跨道橋の階段を上り、さらに降りてバスまで運んで行く。私のスーツケースは二人で一つだし、妻がミネラルウォーターやペットボトルのお茶、インスタントのお粥などを詰め込んでいて、ゆうに20Kgを超えている。そんなのを二つだから、一人は40Kg以上。バランスを取るだけでも大変だ。とてもじゃないけれど真似は出来ない。

バラナシ、正確にはヴァーラナースィ(Varanasi)は聖なる街。ガンガー(ガンジス川)の流れるこの街で死んだ人は輪廻から解脱できるとか。人々はガンガーで沐浴し、ここの火葬場で荼毘に付され、遺灰はガンガーに流される。一昔前は幼児らの遺体はそのまま川に流されたそうだ。

遠藤周作の「深い河」という小説では、学生時代にプレイガールの美津子に弄ばれた初な青年・大津がフランスでカトリックの修道士となり、かつ官僚的なカトリックの上司たちからは異端として破門され、ここバラナシに流れ着いている。彼は、貧しい巡礼者が行き倒れた死体や、カースト制度の下の人たちの死体を運ぶ手伝いをしている。バラナシで再会した美津子に彼が語りかける。「ガンジス河を見るたび、ぼくは玉ねぎを考えます。ガンジス河は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰をのみこんで流れていきます。玉ねぎという愛の河はどんな醜い人間もどんなよごれた人間もすべて拒まず受け入れて流れます。」「玉ねぎ」というのは二人の間ではキリストを意味する。この小説では、美津子のほか、それぞれの過去を持つ登場人物がバラナシへのパッケージツアーに参加し、それぞれの思いでこの河を眺める光景が描かれている。
ダメーク・ストゥーバ ムールガンダ・クティー寺院の壁画

だが、そうした聖なる街、魂の街でありながら、現実のバラナシは喧騒と砂埃の街でもある。リクシャやオートバイや人が行き交い、牛も行き交う。とくにオートバイの警笛が自己主張をしているようで凄まじい。

駅からいったんホテルに入り、朝食。荷物を置いてバスでバラナシの北東にあるサールナートの観光に出かける。インドの観光地の多くがヒンドゥーかイスラムの遺跡であるのに対して、このサールナートは仏教遺跡だ。仏教はもちろんインド
サイクルリクシャ
が発祥だが、インドにおける仏教は6世紀以降衰退し、現在インドの仏教徒は0.8%程度だそうだ。しかしサールナートは釈迦が初めて説法を行った場所として、仏教の聖地とされている。ダメーク・ストゥーバは高さ45メートルの巨大な仏塔で、「卒塔婆」の語源はここから来ているらしい。また、ムールガンダ・クティー寺院の、釈迦の生涯を描いた壁画は、戦前、日本人画家が描いたもの。このあたりには毎年日本から僧侶たちの団体が訪れるという。

リクシャから見たバラナシの喧騒 火葬の火が燃えるマニカルニカー・ガート
夕方、サイクルリクシャに乗ってガンガーに向かう。リクシャは人やオートバイ、オートリクシャなどで込み合う道路を巧みにかき分けながら進み、やがてダシャーシュワメード・ガートに着く。ここから手漕ぎの船に乗り、右手に並ぶガートを見ながら上流へ進む。火葬用の薪を積んだ船とすれ違う。やがてSita Guest Houseの看板が見える。実は今回の旅行で、バラナシに住むある人に会う予定をしている。彼はいつもこのSita G.H.の近くにいるというのだ。

ダシャーシュワメード・ガート
わが家の近く、大久保駅南口にある小さなトルコ料理店HISARの店長であるNさんは、有名私大を出てメガバンクに就職した才媛だが、入社1年目でインドに旅行しすっかりはまってしまい、飲食店で仕事をしながらバックパックでインドを含めあちこち旅をしていたらしい。去年は一年ほどバラナシの大学に留学していたが、その間にバラナシのヒンドゥー教徒であるS君と結婚した。二人とも将来はバラナシに住む予定だが、2年くらい日本で働いてお金を貯めようと、今年初めに日本に戻ってきたが、インドどころかバラナシを出たこともないS君、一か月もたたずに体調を崩し、バラナシに帰った。Nさんも今月後半にはバラナシに戻るのだが、私がバラナシでもし会えたらと、写真とメッセージを託されたのだ。S君は英語が余り通じないかも、(Nさんは大学でヒンドゥー語を学んでいる。)というので、バラナシへの列車の中で現地ガイドのシェルマ君に事情を話し、S君の携帯電話に電話してもらうことにしていた。Sita G.H.の看板を見てシェルマ君も思い出したらしく、電話をかけてくれたらすぐに通じて、ダシャーシュワメード・ガートで船に来てくれることになった。

ダシャーシュワメード・ガートでは夜の祈りが捧げられるため、これを見ようとわれわれ同様観光客の乗った船が船べりを接して並んでいる。今日は7人の僧侶(バラモン)がそれぞれ大きな傘に覆われた台座に立ち、篝火に照らされながら歌うように説法を行っている。やがて船から船を伝ってS君がやってくる。比較的小柄な彼はまだ24歳と初々しい。英語もそこそこ通じるし、以前日本料理店で働いていたため日本語も少しは話せる。彼には後でホテルに来てもらい、Nさんから託された写真とメッセージ、日本から持ってきたお土産を渡す。彼の方からもシルクのショールを頂いた。彼はいま、バラナシのシルク店で働いているのだ。
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January 30, 2010 =Sat=

クトゥブ・ミナール(世界遺産) フマユーン廟(世界遺産)
インド門 ラージガード(マハトマ・ガンジー慰霊碑)
ラール・キラー(Red Fort: 世界遺産) デリー駅(バラナシ行きの夜行列車)
人口11億人のインド。2040年には現在13億人の中国を抜くと言われている。BRICSの代表として低迷する世界経済の成長を牽引する。特にIT産業の成長は著しい。10年前に出張で訪れた時も、アメリカのエンジニアリング会社が夕方電子メールで指示を出すと、翌朝にはムンバイやバンガロールの子会社から完成された設計図が送られてくるというシステムに感心した。時差と英語圏という特質を見事に活用したシステムだった。あれから10年。インドの経済発展を伝えるニュースは途絶えることがない。しかし・・・

確かに活気はすごい。恐ろしくなるほどだ。出張で一流ホテルとオフィスの間を往復するときとは違った活気。だがその活気には相変わらずの貧しさから吐き出される息が濃厚に交じっている。外国人旅行者のグループとみれば、身体の不自由な、あるいは幼い乳児を抱えた物乞いたちが群がってくる。交通ルールなどないように走り回るオートリクシャとオートバイ。ぼろ布と泥で固めたような家々。凹凸の激しい道路からは猛烈に埃が舞い上がる。本当はそんなインドを写真に撮りたかったが、帰ってから整理してみると、ちゃんと映っているのは静かな観光地の写真ばかりだ。街の活気を写したと思った写真は、その活気の故か、みなピントが外れてしまっていた。

第二次世界大戦後、インドは英国領から独立したが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立からイスラム勢力の強い東西地域は東パキスタン(現在のバングラデシュ)、西パキスタンとして分離し、ヒンドゥー勢力圏がインドとなったことから、インドにはイスラム教徒は少ないと思っていた。確かにインド人口の80%以上はヒンドゥー教徒だが、13%余りはイスラム教徒だ。13%といっても分母が大きいので、イスラム教徒の数はインドネシア、パキスタンに次いで世界で3番目なのだそうだ。

インドのイスラム勢力は、16世紀から18世紀にかけて栄華を誇ったムガール帝国の流れを汲む。だから左の写真の世界遺産もすべてムガール帝国時代のイスラム建築だ。クトゥブ・ミナールに至っては、イスラムがヒンドゥーに勝利した記念碑だという。インドとパキスタンの間にはカシミール紛争など緊張関係が絶えないが、少なくともインド国内では宗教的対立はないのだろう。

たまたま今日1月30日は、非暴力・不服従で知られるインド独立運動の父、マハトマ・ガンジーがヒンドゥー原理主義者の凶弾に倒れた命日である。その儀式が行われていたようだが、われわれがガンジーの慰霊碑であるラージガードに着いたときにはすでに終わっていた。

バスがデリー駅に着いて荷物の積み下ろしを待つ間、両脚のない物乞いが身振り手振りでしきりに食べ物と飲物をくれと言ってくる。妻がホテルから持ってきたパンを、私が飲み残しのミネラルウォータをやるとそれを食べ、飲み、終わると今度は手に持った小銭をかざしてお金をくれと寄ってくる。周りはすごい人ごみで、その中を自動車がかき分けて進んだりするのだが、われわれが場所を移しても物乞いはどうやって動くのか、両脚がないとは思われぬ素早さで回りこんでくる。気の毒だがこんな状況で財布を取り出すわけにはいかない。

二段ベッドの寝台車でバラナシへ。日本との時差は3時間半と、たいしてないのに昨夜はデリーのホテルで眠れず、今夜も狭い寝台車では眠れそうもない。

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January 29, 2010 =Fri=

11時半成田発のJALでデリーへ。10日前に会社更生法適用を申請し即日受理されたナショナルフラッグに乗ったのは、「日本航空で行くインド7つの世界遺産の旅」というツアーに参加するため。ツアー申し込みの時点ですでにJALの破綻は目前だったが、それでもあえてJAL指定のツアーにしたのには理由がある。去年、出張が多く、だいたいがJAl利用だったので、JALのfly onポイントというのが50,000ポイントを超え、サファイアというステータスを獲得したからだ。このサファイア・カードが威力を発揮するのはエコノミークラスに乗った時だ。サファイア・カードをもらうとアップグレードポイントが付いてくるので、これを使えばビジネスクラスにアップグレードできるのだが、アップグレードは使わなくても、いくつかビジネスクラス並みのサービスを利用できる。だから、出張でビジネスクラスを利用するときにはあまり効果がない。一番ありがたいのは空港でビジネスクラス用のラウンジが使えることだ。それも同行者一人まで同伴できる。今日のように朝のチェックインだとラウンジでちゃんとした朝食を取ることができるのだ。クレジットカード会社のラウンジでは、クロワッサンとコーヒーがせいぜいだ。会社更生法申請で提供される食事の質も落ちているのではと思ったが、だいたい前と変わっていないようだ。このほかのサファイア特権としては、ビジネスクラス用のチェックインカウンターが使えること、荷物がプライオリティ扱いになり、重量オーバーも大目に見てもらえること、優先搭乗ができること、機内でFAが席まで挨拶に来てくれることなど。

10時間半のフライトでデリーに着いたのは夕刻。インドはこれが二度目で、この前来たのはちょうど10年前の今ごろ。米国ノースカロライナの事業投資先に出張し、その会社の子会社がインドにあるので、帰りにロンドン経由でムンバイに入り、ムンバイとバンガロールの子会社をまわり、デリーから日本に帰った。これが初めて地球一周の旅となった。その時は出張だったのでほとんど観光はしていないが、今回はデリー、バラナシ、カジュラホ、アグラ、ジャイプールと、おもに北の方を回る予定だ。
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January 20, 2010 =Wed=

何か変だなと思うこと。身の回りにもいくつかある。わが家のある高層アパートの二軒ほど隣のビルの前に「自由の女神」が立っている。このビルの地下に昨年開店した中華料理店が、なぜか看板代わりに「自由の女神」像を店の前に置いているのだ。中華料理と「自由の女神」の取り合わせはさて置くとして、この「自由の女神」、有刺鉄線か茨の蔓で全身を巻かれ、自由を奪われているように見える。本当は夜間の電飾のための豆電球と電線が体に巻かれているのだが、電飾が光らない昼間に見ると「有刺鉄線で巻かれ、自由を奪われた自由の女神」に見えてしまうのだ。この中華料理店、ランチに一度入ったことがあるが、値段の割に内容が充実していて、近隣の勤め人たちにも人気が高く、いつも繁盛しているようだ。

スポーツジムに通うとき、中央線のガードと山手線のガードを潜るのだが、そのガードとガードの間、私が通るのとは反対側に「ACQUA」というバーがある。夜はバー、昼はカフェのようだが、入ったことはない。これと同じ店が、歌舞伎町にあるスポーツジム近くの、西部新宿線新宿駅北口の前あたりに、これも昨年オープンした。この店にもまだ入ったことはないのだが、入口に大きく「NO TAX. NO CHARGE. NO HOLIDAY.」と書かれている。さて、どういう意味だろう。「NO TAX」は、たぶん消費税のことだろう。空港などならともかく、日本国内で営業している以上、消費税法の対象になっているはずで、消費税法に違反しているのでなければ「NO TAX」はおかしい。前々年度の年間売り上げが1000万円以下であれば免税事業者となることができるが、チェーン店らしいので年間売上が小さいとも思えない。おそらく、内税表示を採っているということなのだろう。最後の「NO HOLIDAY」はたぶん「年中無休」と言いたいのだろう。それなら「OPEN THROUGHOUT THE YEAR」とでもすべきだろう。一番分からないのは真ん中の「NO CHARGE」だ。この店で飲み食いしてもすべて無料なのだろうかと首を捻りたくなる。だがそうではなくて、これもどうやら「NO COVER CHARGE」という意味らしい。もっとも飲食店の世界では「NO CHARGE」といえばカバーチャージを取らず、注文もしない「お通し」なども出さない明朗会計という意味で一般に使われているらしい。

やはりスポーツジムの近くだが、街路灯に「歌舞伎町2丁目」の文字がローマ字で表示されている。「KABUKICHOU 2CHOUME」このローマ字表記に違和感を覚えるのは私だけだろうか。私なら「KABUKICHO 2CHOME」と書く。確かに、パソコンで「歌舞伎町」と打とうとすれば、「かぶきちょう」となるように「町」は「CHO」でなく「CHOU」と打たなければならない。だが日本語としての音声の感覚は「カブキチョー」だ。この「OU」という表記はワープロが普及してからだと思う。たとえば「佐藤」さんのメールアドレスは、昔は"sato"または"satoh"が普通だったが、最近は"satou"とする人も多いようだ。ちなみにパスポートでは"sato"が原則で、"satoh"とすることもできるが、その場合は「非ヘボン式ローマ字表記等申出書」というのを提出しなければならない。この「申出書」には、「旅券面の氏名を上記の表記として頂きたく、申し出ます。なお、今後は如何なる理由があろうとも上記の表記を変更しないことを誓います。」という誓約文言が印刷されている。「申出書」の区分欄には「非ヘボン、長音、別名併記」のいずれかを選ぶことになっており、"satoh"の場合は「長音」だからということなのだが、「非ヘボン」を選べば"satou"も認められるのだろうか。そういえば、以前いまのOAZOの辺りにあった「JTBビル」に勤めていたとき、隣の丸の内ホテルとの間に連絡通路があった。この通路に「MARUNOUCHI HOTEL」と書くべきところを「MARUNOCHI HOTEL」と書かれた看板が掲げられていた。外国人が「MARUNOUCHI」を読むと「マルヌーチ」になってしまうかも知れず、それなら「マルノーチ」の方が日本語の発音に近いからと、あえて「MARUNOCHI」にしたのかと、丸の内ホテルの正面の看板を見たら、「MARUNOUCHI HOTEL」となっていた。「KABUKICHOU」の方は、後ろから2文字目の「O」がハートマークになっているところが御愛嬌。
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January 15, 2010 =Fri=

娘と双子の孫に付き合って、彼らを市ヶ谷に送り届けたのが3時過ぎ。これから茗荷谷に行く用事があるのだが、茗荷谷なら丸ノ内線という頭があったため、ほとんど何も考えずに市ヶ谷から総武線に乗って四谷へ。丸ノ内線に乗り換えて、車内の路線図を見て「しまった!」と気付く。だから東京の地理が頭に入っていないんだ。市ヶ谷からなら南北線に乗って後楽園で丸ノ内線に乗り換えれば茗荷谷まで15分もかからない。いや、JR市ヶ谷の駅に入ってからでも、総武線の反対方向に乗って御茶ノ水で乗り換えるという手もあった。それをわざわざ四ツ谷まで戻り、霞が関、銀座、東京と大回りして行くなんて・・・ニューヨークからロンドンに飛ぶのにマイアミ、サンパウロ、ヨハネスブルグ、ローマと回っていくようなもんだ。ま、乗ってしまったものを今から変えるわけにもいかず、茗荷谷に着いたのは4時15分前。歩いて5分ほどのインド・ビザセンターに閉館10分前に駆け込む。今月末からツアーでインドに行く予定なのだ。

インド・ビザセンターはインド大使館からビザ発給受付業務を請け負っている民間企業らしい。だから手数料も観光ビザの場合1200円だが、これにセンターの手数料73.5円が加わる。私と妻の申請書はホームページからダウンロードし、必要事項を記載していったし、写真も今朝、CDに焼いていた証明写真を55ステーションで規程の大きさにプリントしてもらった。だが受付カウンターのところに、「申請書に加えてこれにも記入して下さい。」という紙が置いてある。身内にパキスタン国籍を取った者がいるかとか、過去10年以内に訪れた国をすべて記載しろとかある。「10年間に訪れた国すべて・・?」去年いった国だって咄嗟には加須れられないのに・・。ま、思いつくままいくつか書いて、あとは"etc."としておいた。最終である私の受付番号は141番。窓口は4つ開いているが、今の処理番号は110台。結局、書類を受理してもらったのは4時半になっていた。中には必要書類などで(多分、単純な観光ビザではなく商用ビザなどなのだろう。)係員と揉めている人もいる。欧米人らしいが日本語が流ちょうだ。係員もインド人だが日本語を話す。外国人同士が日本語で揉めているのを見るというのもおかしな気分だ。ビザは来週火曜日に発給される。

茗荷谷から今度は丸ノ内線で東京に戻る。これから6時半まで時間をつぶさなくてはならない。丸の内OAZOの丸善で、大江健三郎さんのサイン会があるのだ。昨年末に刊行された大江さんの最新作「水死」を記念してのサイン会。昨年のうちに買って、整理券をもらっていた。OAZO一階の喫茶店で同書を読みながらコーヒー一杯で粘り(この喫茶店は照明が暗く、本を読むには適していない。)、6時10分ころに丸善の二階に行くと、もう40人くらいの人が並んでいた。6時半を少し過ぎたころ、行列の前のほうで拍手が起こる。大江さんが到着したらしい。順番が回ってきたのは7時半ころ。大江さんに「写真を撮らせていただいていいですか?」と聞くと、「どうぞ」と顔をあげてくれたが、私がもそもそとカメラを取り出している間にまたサインのほうに戻ってしまった。見かけたところ、かなりお疲れの様子だ。それはそうだろう、私の後にもまだ60人くらいの人が順番を待っているし、この人のブログによれば、昨日も池袋でサイン会があったらしい。ご老体にもかかわらず連日サイン会をこなしておられるのは、それだけ読者を大切にしているからだろうが、その様子を見ていると少し失礼な連想が浮かんできた。小説「水死」の中で、大江さんの分身である長江古義人が、故郷の四国に帰ってきて永年構想を温めてきた「水死小説」を断念したとき、故郷の家にいる長江氏の妹が東京にいる長江氏の妻と電話で話したことを長江氏に報告する場面。妹は「大きい仕事を放棄するのじゃ経済的に大変だろう」との心配を持っている。これに対して妻は、「外国からの版権からの収入も、文庫本の売れ行きも冷え込んでいるけれど、新聞にエッセイを連載しているのと、地味な場所にずっと考えて来たことを講演に行くと、記録を載せてくれる雑誌があるから」という。そして「こういうのが純文学の作家の生活の、それこそ「晩年のスタイル」だという気がする、とも・・・」大江さんは多少自虐めいたジョークとして挿入したのだろうが、確かに今の時代、大江文学の人気というのは1960年代頃と比べればずっと勢いがないようだ。今日のサイン会にしても、限定100人とのことだが、整理券は当日まで残っていたらしい。その証拠に、列に並んでいる人の中には丸善の青いビニール袋から「水死」を取り出している、つまり明らかに今日買ってから整理券をもらって列に並んだらしい人が結構いる。私自身も、大江さんの作品は初期の「奇妙な仕事」「死者の奢り」から名作「万延元年のフットボール」など読み続けてきたが、「燃え上がる緑の木」三部作や「治療塔惑星」など、本は買ったものの書棚に積んであるだけのものも多い。いずれ引退して読書に集中する時間が取れるようになってから、との思いは常にあるのだが・・。しかし、村上春樹のように時代うけしてはいないとはいえ、やはり大江文学の愛好者はしっかり根付いている。
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January 1, 2010 =Fri=

当たり前だが年末は慌ただしい。その慌ただしい中で、31日のスカイマークで旭川へ。どうしても年末年始に(12月の初めにも行ったのに、また)旭川に行く用事が出来た。大晦日の朝に羽田を発って、元日の夕方に旭川を発つ。数日前から天気予報をチェックしていたが、この時期、旭川は暴風雪の予想。一番困るのは行きの飛行機が飛んで帰りが飛べないという事態だ。大晦日発、元日帰りという無茶苦茶なスケジュールを立てたのも、帰省ラッシュでこの二日しか飛行機が空いてないからだ。もし元日に飛べなければ、あと6日くらいまでどの飛行機も満席だから、7日位にならないと帰ってこれないことになる。まあJRを乗り継いでという手もないわけではないが・・・。

ところが大晦日、旭川に着くとなんと快晴といっていいくらいの天気だ。もっとも予報ではこれから荒れると言っている。行きは飛んで帰りが飛べないという最悪のケースもまだ可能性は残る。だがもう来てしまった以上、気をもんでも仕方がない。旭川グランドホテルは前にも泊まったが、なかなかいいホテルだ。チェックインは午後1時、チェックアウトは午前11時と、普通のホテルよりお客にとって便利だし、インターネットも無料(日本なら当たり前か?)。しかも空港行きのバスはこのホテルが始発だ。フロントも親切だし、レストランの接客もいい。

大晦日の夜は旭川の知人宅で歓待を受ける。元日はこちらがホテルのレストランでお返し。聞いたところでは旭川の空港は比較的雪の少ないところに造ってあり(だから市内から40分以上かかるが)、新千歳が雪で飛べないときでも旭川空港は大丈夫なことが多いという。元日の朝からは雪が降ったり止んだり。降る時は遠くの景色が見えなくなるほど。だが、空港へ着いた頃は止んでいて、機材がまだ到着していないので出発が遅れるというアナウンスがあったものの、結局は30分遅れで飛び立った。

今年も元日から飛行機の中。一年中飛び回ることになるのかも知れない。
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