Diary


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June 30, 2010 =Wed=

昨夜はワールドカップの日本対パラグアイ戦を最後のPK戦までテレビ観戦。PKで決着をつけるというのも残酷なルールだ。とはいえ、これで準々決勝はオランダvsブラジル、ウルグアイvsガーナ、アルゼンチンvsドイツ、パラグアイvsスペイン。ベスト8は南米が4カ国、欧州が3カ国、アフリカ1カ国。組合せから見ると、ベスト4がすべて南米という可能性だってある。
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June 29, 2010 =Tue=

勤務していた商社のOB会。例年の通り水天宮前のロイヤルパークホテルの宴会場1フロアを借り切っての開催だが、1400名超という出席者でグラスを片手に人ごみをすり抜けるのがやっとという状態。旧知の顔を見つけても、遠くから眼と眼で挨拶するのがやっとということもある。今年は先週末の株主総会で社長が交代。新社長から「業績と年金についてはご心配なく。」との挨拶。このパーティはいつも食べ物も比較的良質で豊富に用意されているのだが、今回は人が多いのと昔の仲間との歓談に時間を取られたのとで、寿司一皿にありつけただけだった。
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June 28, 2010 =Mon=

勤務先の会社が契約している丸の内クリニックで定期健診。今年も胃カメラを撮ってもらった。小さなポリープが一つ見つかったが、医師によると「明らかに良性のものです。」いつもは胃カメラの間はメガネを外されるのだが、今回はかけたままでいいというので、モニターに映る胃の中をリアルタイムで観察できた。内臓の中というのは意外にきれいなものだ。こういうのを見ると、10年前に55歳で胃がんのために亡くなった弟のことを思う。癌と分かった時はすでに末期で、入院した病院では手術は出来ないと言われ、「イチかバチかでも手術をしたい。」という本人の意向を汲んで胃癌手術の名医のいる板橋の病院に転院させたのだが、結局体力的に手術もできぬまま逝ってしまった。自覚症状は前からあったのに、癌と診断されるのを怖れていたらしく、毎年の会社の健康診断も受けていなかった。
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June 27, 2010 =Sun=

新宿区役所で参院選の期日前投票をした後、新宿ピカデリーで「告白」を観る。沖縄から出稼ぎに来ていた息子が、旅の途中で読んだ文庫本を何冊か置いていったのだが、その中にこの「告白」があった。書店でも大量に平積みされていてよく見かける本だが、わざわざ買って読もうとは思っていなかったが、息子が置いていったのを読んでみて、たちまち摂りつかれるように読み終えた。書店で見た時は、カバーに印刷された女性の顔が作者の湊かなえだと思い込んでいたが、カバーの顔は映画で主役の女教師を演じた松たか子だった。ある事件を、何人もの関係者の視点から、その内面に入りながら告白の形で綴っていく小説で、内容の深刻さ、救いのなさに加えて、この構成をどうやれば映画にできるのだろうかと思っていた。実際に映画を見てみると、小説の構成をほとんど壊すことなく、また多くを省き、省略することなく、映像にしているのに監督の技量を感じた。この映画が公開以来観客動員のトップを続け、日を追うごとに動員数を増やしているのも納得できる。それにしても観客は若い人が多く、われわれ高齢者は少なかった。
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June 19, 2010 =Sat=

奥入瀬渓流ホテルの散策道と渓流
早めに朝食を済ませ、ホテルの近所を散策。ホテルの敷地が奥入瀬渓流に面している。新緑が清々しいが、紅葉の季節も良さそうだ。出発まで30分ほどあるので、露天風呂に入ると、さっき散策していた道を歩いている人が間近に見える。昨夜入った時は気がつかなかったのだが、向こうからは見えないのだろうか。

今日はローカル線の三陸鉄道に乗る。始発の久慈駅から普代駅までの予定だったが、なぜか久慈より二つ先の陸中野田駅から普代の先の田野畑までに変更に
陸中野田駅前・塩を運ぶ牛の像
なった。普通は2両連結の列車だが、今日は団体が多く、列車は4両連結でやってきた。

第三セクターである三陸鉄道の各駅には、駅名のほかに愛称が付けられている。陸中野田の愛称は「ソルトロード」。江戸時代、ここで海水から造られた塩を牛に積んで内陸に運んだことに因む。駅の前には当時の塩を運ぶ牛の像が建てられている。一方の田野畑駅の愛称は「カンパネルラ」。宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の登場人物の名前だ。そういえば久慈を中心とした岩手県北部に「不思議の国の北リアス」という名称を付けているようだ。三陸のリアス式海岸を「不思議の国のアリス」に見立てたものだ。眼下にはリアス式海岸の美しい景観が・・・・靄に霞んで見えない。
霧の北山崎 霧の浄土ヶ浜

田野畑駅近くの海辺に建つホテル羅賀荘は、この辺りでは有名なホテルだ。そこで昼食ののち、陸中海岸の景勝地・北山崎へ。三陸の典型的な断崖絶壁だが、ここはオホーツクから吹き込む、山背と呼ばれる湿気を含んだ冷気により、霧の名所でもある。今日も展望台からの眺めは霧に隠されており、時折霧が薄れた合間に景色がうっすらと現れる。

北山崎からもう一度田野畑を通ってさらに南下、浄土ヶ浜へ向かう途中で霧も晴れ、天気が良くなってくる。「これなら浄土ヶ浜はきれいに見えますよ~」と客席に向かって言うバスガイドの背後、つまりバスの前方で新たな霧が湧き出しているのが客席からはよく見える。案の定、浄土ヶ浜に着いたらここも霧の中だった。

帰りは盛岡から新幹線のグリーン車で。上野で降りて10時前には帰着。今回の旅行は久しぶりの国内旅行だが、どうしても海外旅行との比較で物を見てしまう。そこで感じたのは、変な言い方だが、日本はすみずみまで豊かになったのだなという思い。アジアの国々では、首都こそ近代的な高層ビルが林立していても、すこし田舎に行くと衛生状態の悪そうな、小屋のような住居がほとんどだ。日本でも少し前までは、東北の小さな町というと貧しい寒村のイメージだったが、五能線の鰺ヶ沢で降りて駅のトイレに入ったら、これが立派なウォッシュレット。東京だって駅の公衆トイレがウォッシュレットというのはなかなかないはずだ。
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June 18, 2010 =Fri=

大間崎 大間の屋台の生ウニ
薬研温泉を発って本州最北端の大間崎へ。言わずと知れたマグロ一本釣りの地だ。マグロ漁は7月から12月くらいだから今はシーズンオフだ。だから本マグロを売っているところも見かけないし、だいたい良いマグロは地元を素通りして築地に行ってしまうから、いくら本マグロの産地だからと言って大間で美味しいマグロを食べられるとは限らない。マグロを食べるのなら、むしろ東京の鮨屋の方がいいのだろう。以前、神田にオフィスがあった時によく行った「磯はな」では、いつも築地から大間の本マグロを仕入れているのを自慢にしていた。というわけで、ここ大間で本マグロに出会ったのは観光用のマグロの像。大間で獲れた最大のマグロの実物大の像だそうだ。代わりに味わったのは屋台で売っている生ウニ。プラスチックパックに2個入って500円。本当は1個500円だが、この季節は身が少ないので2個500円にしているとか。

大間崎からは、晴れていれば津軽海峡を隔てて函館を望むことができるのだが、今日は霞に煙っている。ちょうど、大間崎の対岸は大森浜で、石川啄木が愛した浜辺だ。

 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたわむる

の歌は大森浜で詠んだと伝えられる。

海から眺めた仏が浦 仏が浦の奇岩
下北半島は本州の北端に突き出た斧のような形をしている。その斧の刃にあたるところに沿って南下すると佐井という港町がある。ここから仏が浦への観光船が出ている。陸路からも行けるのだが、観光船だと海から仏が浦を眺める。片道30分余り、仏が浦に上陸して30分、そしてまた30分かけて佐井に戻る。
仏が浦・蝋燭岩

仏が浦は仏宇陀とも呼ばれる。宇陀とはアイヌ語で浜を意味するとか。ここが仏が浦ないし仏宇陀と呼ばれるのは、断崖を背にした約1.5kmの海岸線に連なる岩々を仏像や仏具に見立てたからであり、事実、立ち並ぶ奇岩には、如来の首、五百羅漢、観音岩、蝋燭岩等々の名前が付けられている。緑色凝灰岩が永年の浸食を受けて形成された奇景だが、あまり仏教には熱心でないわれわれには、むしろトルコのカッパドキアとの比較が頭に浮かぶ。こちらは海、カッパドキアは砂漠だが、巨大な奇岩が林立する景観はどこか似ているように思う。仏が浦で案内してくれた現地のガイドの青年に「ここ、カッパドキアに似ているって言われることない?」と聞いてみたが、「カッパドキアって何ですか?」と聞き返された。

佐井に戻って観光船乗り場近くの「れすといそ川」でホタテがメインの昼食。佐井村の特産がこのホタテなのだ。昼食後は恐山へ。
恐山・山門 恐山・地獄
恐山・地獄 宇曾利湖・極楽浜

恐山と言うと、死者の霊媒をつとめるイタコの口寄せという、一種おどろおどろしいイメージがあるが、イタコが現れるのは大祭など特別の時期だけのようで、今日は閑散としている。だがこの恐山は高野山、比叡山と並ぶ日本の三大霊場。下北の人々は、死者の魂は恐山に行くと信じているそうだ。恐山の開祖は最後の遣唐使として9世紀の唐に旅し、「入唐求法巡礼行記」という日本人初の海外旅行記を書いた慈覚大師円仁。円仁は天台宗の開祖最澄の弟子で、自らも天台座主に就任しているが、なぜかここ恐山菩提寺は曹洞宗の寺院となっている。もっとも円仁が開いたと伝えられる寺は500を超えるらしいが。

山門を入り、本堂の左手から火山性地形の「地獄」が始まり、硫黄臭が鼻を突く。あちこちに死者の名を書いた小石が積み上げられている。水子を供養するためか、色とりどりの風車がたくさん回っている。指先ほどのプラスチック製の地蔵も数多く供えられている。荒々しい地獄を抜けると、そこには極楽浜と呼ばれる宇曾利湖の穏やかな浜辺が広がっている。昔の人たちには、まさに地獄と極楽の対比を目の当りにしたと思われたことだろう。宇曾利湖は、いまでも活火山である恐山(恐山という特定の山があるのではなく、外輪山を構成するいくつかの山々の総称)の噴火でできたカルデラ湖で、水質は強酸性。このため湖にはウグイ以外の魚はいない。強酸性の湖で、なぜウグイが棲息するのかが、生物学者の研究課題にもなっているとか。

恐山からはかなり長いドライブで、十和田湖に近い奥入瀬((おいらせ)渓流へ。この奥入瀬渓流ホテルは、渓流に直接面している立地と岡本太郎のデザインが売りのようだが、運営は軽井沢に本拠を置く星野リゾート。星野リゾートはゴールドマン・サックスと組んでホテル再生事業を手掛けている。このホテルもその再生事業の一つだ。一昨日のナクア白神といい、ここといい、外資ファンドによるホテル再生の現場を目の辺りにする旅だ。このホテルの夕食ブッフェも、サラダはシェフが一人一人盛り付けてくれるなど、演出は行き届いている。
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June 17, 2010 =Thu=

十三湖
竜飛崎
「津軽海峡冬景色」の歌碑
ホテルを出て十三湖に向かう。昨日は十二湖で今日は十三湖、といってもここは湖がいくつもあるわけではない。太宰治は「津軽」という作品の中で次のように書いている。

十三湖あるいは十三がたと呼ばれて、「津軽大小の河水凡そ十有三の派流、この地に落合ひて大湖となる。しかも各河川固有の色を失はず。」と「十三往来」に記され、津軽平野北端の湖で、岩木川をはじめ津軽平野を流れる大小十三の河川がここに集り、周囲は約八里、しかし、河川の運び来る土砂の為に、湖底は浅く、最も深いところでも三メートルくらゐのものだといふ。水は、海水の流入によつて鹹水であるが、岩木川からそそぎ這入る河水も少くないので、その河口のあたりは淡水で、魚類も淡水魚と鹹水魚と両方宿り住んでゐるといふ。

現在は五所川原市に編入されている金木町に生まれた太宰は、30歳のころ東京から帰郷し、津軽を旅してまわる。「津軽」はその時の紀行文だ。彼が十三湖を訪れたのは、太宰の幼年時代の子守りで、小泊村に嫁いだ越野たけを訪ねるのが目的であったようだ。たけについては、「思ひ出」という作品に詳しく書かれ、「津軽」でもそこから引用がされている。

六つ七つになると思ひ出もはつきりしてゐる。私がたけといふ女中から本を読むことを教へられ二人で様々の本を読み合つた。たけは私の教育に夢中であつた。私は病身だつたので、寝ながらたくさん本を読んだ。読む本がなくなれば、たけは村の日曜学校などから子供の本をどしどし借りて来て私に読ませた。私は黙読することを覚えてゐたので、いくら本を読んでも疲れないのだ。

ということは、たけがいなければ、太宰が作家になっていたかどうかもわからない。
国道339号(階段国道)
青函トンネルに入る「白鳥3号」
ホテルニュー薬研の露天風呂
たけとの再会場面が「津軽」のクライマックスになっている。ともあれ、そんな十三湖は、太宰も書いているとおり日本海と繋がった汽水湖だからしじみが大量に採れる。湖に沿ってしじみ汁の売店が並び、バスが着くと客を呼び込んでいる。しじみ汁を一杯飲んで竜飛崎へ向かう。

♪ ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
♪ 見知らぬ人が 指をさす
♪ 息で曇る窓のガラス 拭いてみたけど
♪ はるかに霞みえるだけ

津軽半島最北端の竜飛崎。ここには当然のように石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の歌碑が建っている。黒御影と赤御影を使った立派なものだ。真ん中の赤いボタンを押すと歌が流れる仕組みになっている。普通、歌碑と言えば一番の歌詞が刻まれているが、ここでは一番は右の小さい石に刻まれ、真ん中の大きな石は竜飛岬の名が出てくる二番が刻まれている。今では演歌の定番だが、この歌が世に出たのは1977年。私たちがギリシャにいた頃で、この歌は日本に帰ってから知った。当時、中東ビジネスが華やかな頃で、アテネは中東で活躍するビジネスマンの憩いの場となっていた。その頃、中東を飛び回るビジネスマンの間でこんな替え歌が流行ったそうだ。

♪ 成田発の日航機で着いた時から クエートの街は砂けむり
♪ 街を歩く人は誰も色が黒くて ヒゲ面ばかり見えました
♪ 私はひとり連絡バスに乗り
♪ 眠たそうな駱駝見つめ 泣いていました
♪ あ~ホルムズ海峡 砂景色

♪ ごらんあれがオマーン岬 南のはずれと
♪ 見知らぬアラブ 指をさす
♪ 湿気で曇る窓のガラス 拭いてみたけど
♪ はるかに霞みえません
♪ さよならあなた クエートへ帰ります
♪ 砂の音が旨をたたく 泣けとばかりに
♪ あ~ホルムズ海峡 砂景色

そのほかにもこの「津軽海峡・冬景色」は
♪ ヒルズ発の株価操作 ばれた時から
♪ マザーズ株は闇の中
など、替え歌が多い。

竜飛崎と歌碑の間に「階段国道」への降り口がある。竜飛漁港へ降りる362段の階段が、なぜか国道339号線の一部をなしているのだ。中央に手すりがあり、登りと下りに分かれているが、それぞれ人が一人通れる幅で、もちろん車は走れない。車も通れない階段がなぜ国道に指定されているのか。一説によれば、国道を指定する作業をしていた担当者が、現場を知らぬまま地図の上でここを指定し、ずっと後になって気づいて自動車の通れる迂回路に指定しなおそうとしたが、階段国道のままの方が珍しくて観光資源になるという地元の反対にあい、そのままになったのだという。

「津軽海峡冬景色」に歌われた青函連絡船は1988年に廃止され、本州と北海道を結ぶのは青函トンネルに代った。竜飛崎でわれわれが立っていた場所の地下を青函トンネルが走っているのだが、竜飛崎で早めの昼食をとった後、青函トンネルの青森側入り口を見に行く。トンネルの入り口には「青函隧道」の文字が見える。隧道とはトンネルの意味だ。待つこと数分、隧道脇の掲示板に書かれていたとおり12時38分に津軽海峡線下り、八戸発函館行きの白鳥3号がトンネルに入って行った。

蟹田からむつ湾フェリーに乗って下北半島の脇野沢へ。この蟹田についても太宰は「津軽」の中に書いている。

それまでは私は、蟹田は蟹の名産地、さうして私の中学時代の唯一の友人のN君がゐるといふ事だけしか知らなかつたのである。私がこんど津軽を行脚するに当つて、N君のところへも立寄つてごやくかいになりたく、前もつてN君に手紙を差し上げたが、その手紙にも、「なんにも、おかまひ下さるな。あなたは、知らん振りをしてゐて下さい。お出迎へなどは、決して、しないで下さい。でも、リンゴ酒と、それから蟹だけは。」といふやうな事を書いてやつた筈で、食べものには淡泊なれ、といふ私の自戒も、蟹だけには除外例を認めてゐたわけである。私は蟹が好きなのである。どうしてだか好きなのである。蟹、蝦、しやこ、何の養分にもならないやうな食べものばかり好きなのである。それから好むものは、酒である。飲食に於いては何の関心も無かつた筈の、愛情と真理の使徒も、話ここに到つて、はしなくも生来の貪婪性の一端を暴露しちやつた。
 蟹田のN君の家では、赤い猫脚の大きいお膳に蟹を小山のやうに積み上げて私を待ち受けてくれてゐた。

津軽半島と下北半島が向かい合う、一番短距離の海を横切るのだが、天候如何でフェリーが欠航したら、むつ湾に沿ってぐるっと回って行かなければならないところだ。幸いフェリーは時間通り出発。約1時間で脇野沢に着く。脇野沢からはむつ市(日本で初めての平仮名の市)に入り、釜伏山を回りこむ形で薬研温泉へ。釜伏山は標高879mというところから、地元の人はハナクソ山と呼んでいるとか。

薬研温泉のホテルニュー薬研は、ホテルという名は付いているが純日本風の温泉宿だ。このあたりは熊も出没するという、秘湯といっていいかも知れない。温泉はわれわれの泊まった2階に渓流に面した大浴場、地下から廊下伝いに行ったところに露天風呂がある。新緑の中での露天風呂は気分がいい。
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June 16, 2010 =Wed=

十二湖の青池 五能線
秋田新幹線「こまち7号」で秋田駅へ。ここからバスで青森県に入り、十二湖へ向かうのだが、あいにくの雨。東北地方も今日から梅雨に入ったらしい。十二湖に向かう途中、日本キャニオンというのが見える。グランドキャニオンの日本版というのだが、車窓から眺めた限りでは単なる山崩れの跡にしか見えない。十二湖は白神山地の中にあり、かつて大地震により河の流れがせき止められてできたらしいが、湖の数は12ではなく33ある。その中でも特に有名なのが青池で、他の32と違ってこの湖だけ湖水が深いコバルトブルーの色をしている、というのだが、青く見えるのは光の具合もあるらしく、今日の雨の中では色は分からない。なぜこの湖だけ青い色なのかは科学的にも解明されていないようだが、どうやら日光の当たり具合によるプランクトンの数が原因ではないかと推定されているらしい。
ワンマン運転の五能線

深浦から五能線に乗る。戦前、能代線と五所川原線とが繋がって五能線となったが、今はJR東日本がローカル観光線として売り出しており、人気がある。二両連結で空いているので海の見える左側に座席を確保。車窓を移りゆく日本海は、たしかに晴れていれば素晴らしい景観だろう。晴れてさえいれば・・・。ワンマン運転の五能線では、ほとんどの駅は無人駅で、運転席後ろの料金箱に料金を入れる仕組み。上には乗車駅により次の駅までの料金が電光掲示される。つまりワンマンバスと同じ方式だ。乗車した深浦駅は有人だが、隣の広戸駅は小屋のような建物(待合室)があるだけの小さな駅。駅名も変わった名前が多く、驫木(とどろき)なんて駅もある。ふつう、とどろきと言えば轟と車が三つで合計21画だが、馬が三つの驫となれば合計画数30画だ。JRの駅で驫木駅というのが一番画数の多い駅だとか。もっとも阪急電車宝塚線には雲雀丘花屋敷という駅があるから、総画数では負けだろう。驫木とか、次の風合瀬(かそせ)などという駅名は、アイヌ語に由来しているらしい。

鰺ヶ沢で五能線を降り、鰺ヶ沢高原温泉のナクア白神ホテル&リゾートに宿泊。ここは旧鰺ヶ沢プリンスホテルで、旧鰺ヶ沢スキー場、旧鰺ヶ沢高原ゴルフ場などとともにシティグループに売却され、現在はシティ傘下の子会社が運営している。それだけに施設も近代的だし、和洋とりまぜたブッフェスタイルの食事もなかなかのもの。大浴場、露天風呂も風情というより豪華な感じだ。食事の時に注文した冷酒「鰺ヶ沢高原」はこのホテルのプライベートブランドらしいが、リーズナブルな値段で美味しかった。
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June 9, 2010 =Wed=

横浜・中華街の萬珍楼で、昔パナマで仕事をした仲間との会合。現在福岡に住んでいる、当時T銀行パナマ支店長だったTaさん夫妻が以前住んでいた横浜に出てくると言うので、S銀行支店長だったTuさんが声をかけて集まったのはI商事支店長のOさん、S商事支店長のKさん、K銀行所長のTcさん夫妻、私のM商事現地法人社長の後任で先輩のSさん、それに私で計9人。

約束の時間より少し早く石川町に着いたので、中華街をぶらついていたら"Athens"という看板に出くわした。あれ?と思ってみると、日本語でも「アテネ」と書いてある。中華街の中なのにギリシャ料理店のようだ。中を除くとちょうど開店の準備を終えたばかりの様子。椅子席よりもカウンターが大きい感じで、酒の種類も充実しているようだ。カウンターに座ってウゾを注文。カウンターの女性によると、ここのオーナーはギリシャ人で、昔はギリシャ船員たちがここでたむろしていたという。

定刻に萬珍楼に着くと、エレベータでOさんと一緒になる。Taさん夫妻、Kさん、Tuさんはすでに来ていて、後のメンバーも間をおかず揃う。Sさん以外は1989年12月の米軍侵攻時に居合わせたので、話題は自然にその時の話になる。Taさんはパナマから帰任後、鹿児島に赴任しており、当時地元誌に香港、デュッセルドルフを含め海外駐在時代のエッセイを連載していて、それをまとめた小冊子をいただく。この中にも米軍パナマ侵攻を中心に当時の話が出てくる。Taさんは私と同年だが、Oさん、Kさん、Sさんは年長ですでに70代。みなさん流石にむかしから見れば酒の方は控えておられるようだ。帰りには先ほどの小冊子のほかにTaさんご夫妻が持参された明太子をお土産に頂く。
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June 6, 2010 =Sun=

高杉良の「金融腐蝕列島ー消失」上・中・下巻を読了。「金融腐蝕列島」は同名の最初のものから、「続・金融腐蝕列島ー再生」「新・金融腐蝕列島ー混沌」と続き、今回の「消失」は完結編と銘打たれているが、私は「再生」「混沌」は読んでいない。(映画にもなった「金融腐蝕列島2-呪縛」は登場人物も異なり、このシリーズでは番外編のような形になっている。)以前読んだ最初の「金融腐蝕列島」ではどの銀行をモデルにしているのか必ずしも明確ではなかったが、「消失」では主人公の所属する「協立銀行」が「三和銀行」であることがはっきりする。協立銀行は名古屋に本拠を置く東亜(東海)銀行と合併してJFG(UFJ)銀行と言うメガバンクとなる。銀行業界は、東都光陵(東京三菱)、五井住之江(三井住友)、にっぽん(みずほ)、JFGの四大メガバンクに統合されているが、こうした銀行のモデルだけでなく、小説連載時点での政財界の現役の人物たちが誰でもわかるような名前で次々と登場する。「間違えて経済連(経団連)会長になったような」セントラル自動車(トヨタ自動車)の会長が「メガバンクの内二つはあぶない。」と口を滑らせたこともあり、にっぽん、JFGは金融庁のターゲットにされる。大泉首相は「アメリカの走狗であるエセ経済学者」竹井平之助を金融相に据える。メガバンクの一つをアメリカに売り渡そうと目論む竹井は、当初、にっぽんフィナンシャルグループにターゲットを絞るが、にっぽんがいち早く大型増資で資本を増強すると、ターゲットをJFGに向けてくる。主人公の危機感をよそに、JFG銀行の頭取は住之江信託へのJFG信託銀行の売却益で決算は乗り切れると楽観しているが、金融庁検査の際にJFGがメインバンクである大手流通ダイコーへの融資に関する極秘資料を隠ぺいしていたことが発覚する。検査忌避で告発されると業務停止命令や責任者の刑事罰に及びかねない。JFGは竹井金融相の懐刀である村木豪から1億円のコンサルティングフィーで検査忌避を回避できるとアプローチを受け、「横文字の訳のわからないペーパーカンパニー」に振り込むが、「異常性格者の」竹井の指揮する金融庁は厳格検査の名のもとにJFGに巨額の貸倒引当金を積ませる。主人公はこの措置が異常なものであり、いずれ過大な引当金の戻入で巨額の利益が発生、金融庁が恥をかくだろうと予測するが、持ちこたえられなくなったJFGは東都光陵との合併に進む。副頭取を最後にJFGを辞め、ロンドンに住む婚約者を訪ねた主人公はテレビのニュースで金融庁による検査忌避の告発で後輩たちが逮捕される様子を見て涙を流す。1年後、主人公の予想通り光陵JFGは貸倒引当金戻入で巨額の利益を出すが、そのときにはJFGはすでに消失していた。
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June 4, 2010 =Fri=

民主党代表に菅直人選出。これで菅総理の誕生が確定。スポーツジムでサウナをあがり、休憩室で代表選挙の様子をテレビを見ていたが、ひな壇の透明ケースに入れられる樽床候補の票が案外多く見えたのにはやきもきさせられた。菅さんは以前の代表選でも前原誠司に僅差で敗れたことがある。今回の代表選では菅さんが幅広く支持を受けているのに対して、樽床候補は最大グループである小沢の実質的な支持を受けている。党内若手に人望はあるとはいえ、要職の経験もほとんどなく、立候補に当たっての演説も体育会的な「頑張ります!」の連呼だけで中身がない。ひょっとして何かの間違いでこんな候補が当選し、与党の代表と言うことで総理にでもなったら大変なことになる。だが、蓋を開けてみれば樽床候補はかなり善戦したとはいえ、票数は菅さんの半分以下だった。

これまでの歴代総理は遠い存在だったが、これから誕生する菅総理は身近に感じられる。今から10年前後前になるが、政治活動をやっていた妻の、市議選やら衆院選やらの応援に、当時民主党の代表だった菅さんが駆けつけてくれ、私自身も彼と言葉を交わしたし、居酒屋で(もちろん二人きりではないが)飲んだこともある。ファーストレディとなる菅伸子夫人には娘の結婚式に出てスピーチをして頂いたこともある。そのころ、菅さんは野党にありながら世論調査で「総理にしたい男ナンバーワン」に選ばれたこともあった。ロンドンに出張した時、食事を共にしたスタッフ(英国人の妻を持つオランダ人)に「ナオト・カンって知ってる?」と聞いたら「日本のトニー・ブレアって言われてる男だろ。」と返って来た。当時から海外でも名前は知られていたのだ。だが、ブレアがイギリスの首相に就任したのは44歳のとき。その時、菅さんはすでに51歳だったから、ブレアも引退した今やもう、過去の人だと思っていたが、63歳になってようやく菅総理の誕生となったわけだ。小沢の呪縛を外した政権運営に期待したい。
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June 2, 2010 =Wed=

先月30日の社民党政権離脱後も続投の意思を示していた鳩山首相が辞任を表明、同時に小沢も幹事長を辞任するという展開になった。政権交代前の自民党で、安倍、福田、麻生と3代続いて1年おきに首相が代ったが、鳩山政権は1年も持たなかったことになる。だが、首相、幹事長のツートップにまつわる政治資金疑惑に加えて普天間基地移設問題での迷走で民主党自体の支持率が急降下、このまま7月の参院選に突入となれば大敗北は必至で、衆参ねじれ現象で政権が立ち行かなくなることが目に見えており、ここでの小沢道連れでの辞任は英断と言えるだろう。それにしても噴飯物なのは、安倍普三が「ハトヤマさんは総理になるべきではなかったのでシュ。」と身振り手振り交えて演説していたことだ。「お前がそれを言うか!」
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June 1, 2010 =Tue=

先月から息子のTが来ている。沖縄での事業の進行に時間的な余裕が出てきたため、事業資金のための出稼ぎが目的だ。出稼ぎと言っても医者の場合、沖縄から飛行機代を払って一か月東京に出てきても採算が取れるようだ。もっとも、ギリシャショックで株安が続いているため、株で運用している事業資金が目減りし、稼いでも株安の穴埋めが追いつかないとこぼしている。毎日朝が早いのでTに私のベッドを譲り、こちらは臨時の寝床で寝るので体力的な皺寄せが私の方に来る。ホームページも開設し、賛同者も徐々にではあるが広がってきているようだ。このDiaryをご覧の方で、身内やお知り合いにアトピー性皮膚炎で悩んでいる方がおられれば、ぜひ彼のサイトを覗いてみてください。
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