Diary


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July 30, 2010 =Fri=

2008年の3月に更新したパスポートの査証欄が残り少なくなってきたので、都庁のパスポートセンターに行って増補してもらった。元のパスポートの査証欄は44ページあるが、残りは10ページ。増補は40ページなので合計50ページある。増補は1回しかできないが、まあ、来年70歳になれば今までほどのペースで出張することもないだろうから、パスポートの有効期限である2018年3月までは大丈夫だろう。

パスポートの増補が出来るまでの間、新宿駅前の「年金相談センター」に行く。妻から、私が先に死んだ場合にいくら年金を受け取れるのか調べてきてほしいと言われていたのだ。担当の相談員は何か横柄そうな爺さんだった。妻は会社勤めの間は厚生年金、自分で税理士事務所を始めてからは国民年金に加入してきたが、私が先に死ねば、私の遺族年金と自分の年金とを比べて多い方を取ることになるという。計算してもらうと遺族年金の方が多いので、自分がかけて来た年金は事実上放棄することになるという。この「事実上」というのは、「放棄するのはおかしいではないか」との批判が多いので、法改正により自分の年金はそのまま受け取れることになったが、それと同額を遺族年金から控除することになったのだという。A>Bの場合、X=AだとBがなくなるので、X=B+(A-B)にしたということ。なんとも馬鹿げた法改正だ。「そんな馬鹿のことばかりやってるから、年金制度が今みたいにおかしくなったのだろう。」と言うと、「そんなことを私に言ってもらっても困ります。」「そうした国民の声を上に伝えるのがあなたたちの仕事じゃないの?」「いえ、ここは日本年金機構ではなく、社会保険労務士協会が運営してます。私たちは労務士協会に雇われてるだけです。」だって・・・。

新宿郵便局でもう一つ用事を済ませたついでに、ヨドバシカメラを覗いてみた。北口のビックカメラができてからはヨドバシカメラには足が向かなかったが、ここでイー・モバイルのポケットWiFiのキャンペーンをやっていた。沖縄にいる息子のところが光回線も来ていなくて、ネット接続するのに車に乗ってネットカフェまで行かなければならない。ポケットWiFiの電波エリアを調べてもらったところ、彼の住所は辛うじて接続範囲に入っているらしい。今月末(明日だ)までのキャンペーン期間中だと、電波の具合が悪いなどの場合、来月22日までになら無条件で解約できるとのこと。それを過ぎると月額料金が発生し、2年間は解約できない。われわれは来月15日から海外旅行を予定しているが、今からなら宅急便で送って1週間ほど試してみて、ダメならすぐ送り返せば15日までに解約できるだろう。で、契約して息子あてに送ってやることにした。
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July 29, 2010 =Thu=

27日午後4時半にウラジオストック航空という耳慣れない飛行機で成田を出発、30分ほどの遅れはあったが、飛行時間2時間ほどでロシアはサハリン州の州都、ユジノサハリンスクに到着。沖縄やソウルだって2時間半かかるのだから、一番近い外国といっていいだろう。実際、第二次大戦前までは、ここは豊原市と呼ばれる日本領だったのだが、今は異国の地となっている。マイナーな航空会社だから、搭乗口からはるか離れたところに駐機している飛行機までバスで運ばれる。バスの中で話しかけて来たアメリカ人はもう5年もサハリン1プロジェクトで働いているそうだ。「サハリンの連中はみんな良く仕事をするし、いい奴らだよ」と。機体はツボレフ204で、たった2時間のフライトでも、一応国際線だからなのか、ちゃんと軽食が出る。フライトは2時間だが、パスポートコントロールは120人くらいの乗客に対して係官2人なので延々と待たされる。時差が2時間アヘッドなので、迎えの車でホテルに到着したのは夜の10時近くになる。

ホテルはパシフィック・プラザ・サハリンといって、数年前にできた新しいホテル。全室無線LAN完備ということだが、フロントで聞いてみると一日900ルーブル(約2700円)だという。二日後には帰るので、そんなに払ってまでインターネットを使うこともない。オフィスはホテルから歩いて5分くらいのところにある。これも今年2月に新築のビルに移転したのだが、それまでは耐震にも不安ありと家主が公言する古いビルに入っていたそうだ。ユジノサハリンスクという町自体、活気には乏しい。天然ガスや石油の生産地として脚光を浴びている割には、街を行き交う人の数も少ないし、それらの人たちの表情も陰鬱だ。

現地スタッフの話だと、6月は暑かったが7月に入ってから例年になく寒くなった。6月と7月が逆になってしまったという。気温は摂氏17度前後で夏服だと少し肌寒い感じだ。普通だと雨が降ってもすぐ陽が射すと聞いたが、滞在中はほとんど雨だった。いつもどおりカメラは持っていたが、旧豊原市役所やユジノサハリンスク駅など日本統治時代の建物も一応は車窓から眺めたものの、雨と時間が限られていたことから、写真を撮る機会もなかった。今日、1時半の飛行機に乗る際は、出発も危ぶまれるほどの暴風雨。成田に着くと、日本も久しぶりの雨だった。
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July 26, 2010 =Mon=

以前勤めていた会社の社長だったKさんと、西新宿の居酒屋「ふるさと味郷」で会食。Kさんは今年1月から々西新宿にある建材関係の会社の専務をしている。先日沖縄に行った際、息子から頼まれたのは、アトピー療養施設を造るにあたって、土地探しや建設、事業計画などについて相談に乗ってくれる人がほしいということだった。息子は本当は私に手伝ってほしいらしく、さんざん口説かれたが、私も不動産や建設関係のノウハウは持っていない。そこで長く建設関係の仕事に携わってきたKんに相談してみることにした。人がほしいと言っても、沖縄での住居や車に加えて十分な報酬を払う余裕などないので、実質ボランティアのような形で、という身勝手な相談だが、Kさんは何人か心当たりがあるので当ってみると言ってくれた。

ところでこの居酒屋、わが家から10分とかからないのだが、値段もリーズナブルだし料理も旨い。都心とは言えお寺の墓のそばで、塀越しに卒塔婆が並んでいるという奇妙な立地だが、わずか半年の間にこんな店を開拓するKさんも大したものだ。
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July 24, 2010 =Sat=

新宿ピカデリーで「インセプション」を観る。先週の日曜、われわれが孫の面倒を見ている間に娘夫婦が観て、「良かった」というので、まったく予備知識なしで観たのだが、初めの四分の一くらいはまったく意味が分からなかった。冒頭、自動車爆弾が次々に爆発する映像が出てくるので、テロの映画化と思ったが、どうやら他人の潜在意識に潜入して工作を行うという筋書きと理解できるのに30分を要した。それは分かったものの、分かるまでにストーリーが進んでしまっているので、主人公(レオナルド・デュカプリオ)とその妻(マリオン・コティヤール)の関係、工作の依頼者(渡辺謙)の位置づけ、夢の設計者(エレン・ベイジ)ほかチームメンバーの役割などがなかなか理解できない。これまでにも難解な映画は何度か観て来たが、だいたいは最初の10分くらいで構成の要旨は理解できていたと思う。30分たたないと分からないのではどうしようもない。隣の席では妻が絶望的な表情でスクリーンを眺めている。さすがに1時間を過ぎればストーリーの意味は推測できるが、この映画を理解するには最初からもう一度観るしかない。

しかし、この映画、アメリカでの興行成績も良いらしいし、新宿ピカデリーの座席もほぼ満席だ。娘も「良かった」ということは、われわれからは年齢とともにこの種の映画を理解する頭脳の柔軟性が失われつつあるということなのだろうか・・・。それにしても、映画の字幕では"Inception"に「植え付け」と訳が振ってあったが、この単語は「始まり」というような意味のはずで、「植え付け」なんて意味はあるのだろうか?
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July 21, 2010 =Wed=

勤務先の会社恒例の夏のパーティ。
昨日も講演会の後が懇親会だったし、明日も社内の同じグループの暑気払い会がある。健康診断で酒は控えるよう言われているのだが。
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July 20, 2010 =Tue=

会社の定例行事で、クライアント(といっても親会社の商社の関連会社で、出席者の半分以上が親会社からの出向者やOBだから身内のようなもの)を集めての講演会と懇親会。今日の講師は私も昔から知っているN氏。彼は定年退職後も会社に籍を置き、会社の前身である財閥の歴史を研究している。今年のNHKの大河ドラマ「竜馬伝」が評判となり、彼の研究テーマである岩崎家の歴史にも注目が集まって、俄かに売れっ子となった。

Nさんの話だと、2010年の新春企画番組に岩崎弥太郎を数回にわたって取り上げたいとして、NHKから彼のところに協力要請があったのが一昨年。快く協力に応じていたが、だんだん取材陣の元気がなくなってくる。理由を聞くと、2010年の大河ドラマが坂本竜馬に決まりそうで、そうなると新春番組に岩崎弥太郎ではかぶるので、企画が没になりそうだという。せっかく協力したのに、と抗議すると、「いや、この取材は活かすようにしますから。」どういうことかというと、岩崎弥太郎の目から見た坂本竜馬というドラマにするのだという。Nさんも半信半疑だったが、なるほど出来上がったドラマは竜馬が主人公だが、弥太郎が幼馴染の竜馬を語る、という筋書きになっている。Nさんが半信半疑だったのには理由がある。高知の中心部にある比較的裕福な家庭に生まれ育った竜馬と、高知から40km離れた井ノ口村の貧困家庭に生まれた弥太郎は、年齢こそ弥太郎が1歳上で近いものの、土佐での両社の接点はほとんどない。1867年(慶応3年)に弥太郎が長崎の土佐商会に後藤象二郎野補佐役として赴任し、当時長崎で海援隊を組織していた竜馬と出会うのが両者の最初の接点であり、その年の11月には竜馬は京都で暗殺されるので、二人の交流はこの間せいぜい110日程度である。それがドラマでは二人が幼少期からの友達にされている。NHKに言わせれば、「われわれが作るのは歴史ドキュメンタリーではなく、歴史ドラマです。」ドラマなら歴史上の真実から題材を借りるだけで、真実そのものでなくても一向に差し支えないということらしい。獄中の武市半平太や岡田伊蔵を救うため、脱藩中の竜馬が土佐に潜入するなどという事実はなかったし、来月放映される部分では、後藤象二郎の命で京都に赴いた弥太郎がスパイの疑いを受けて新撰組に捕えれれ、それを竜馬が救出するという、これまた歴史の事実からすれば破天荒な筋書きもあるそうだ。また、当初の予定では竜馬の暗殺は9月ごろの放映で、「竜馬の魂は龍となって天空を駆け、竜馬の志は弥太郎に受け継がれ世界に飛躍する。」として、それ以降のドラマは弥太郎が主役になる予定だったが、NHKには「竜馬を殺さないで」という投書やメールが殺到しているため、竜馬の死はとりあえず10月に延期された。この調子ではさらに竜馬の延命が図られ、弥太郎の出番はなくなるのではないか、というのがNさんの心配である。
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July 18, 2010 =Sun=

三連休の内、一日だけは娘夫婦を子供の世話から解放してやろうという趣旨で、11時前に市ヶ谷に行く。昼食の世話をし、2時頃には用事を済ませた妻と品川駅で待ち合わせ、品川駅前のエプソン品川水族館に連れていくというスケジュール。二人とも3歳と3カ月で、もう言葉は不自由なく通じるし、こちらの言うこともよく聞くようになっているので、相手をするのも以前よりだいぶ楽になった。

この水族館は、品川駅前、品川プリンスホテル直結という地の利もあって、最近では若いカップルのデートスポットとして有名になっているが、さすがに日曜とあって子供連れが多い。なんでも、世界の水族館の数は約500で、そのうち日本には100以上が集中しており、日本は人口当たり水族館の数も世界一なのだそうだ。しかし、たとえばドバイのブルジュ・アル・アラブ・ホテルでは5階分くらいの吹き抜けのホールの両側の壁が水族館になっているし、ショッピングセンターの中にも色とりどりの魚が泳ぐ巨大な水槽が設置されていた。こうしたものも水族館としてカウントされるのだろうか。

子供たちは魚の群れやイルカショーにも興味を示したが、入口のエスカレータを乗るときにメリーゴーラウンドがあることをしっかり覚えていて、早くそちらへ行こうと急かされる。水族館らしく、海底をイメージしたメリーゴーラウンドと、その隣の幼児スペースで遊ばせる。品川駅に向かう途中、Wing Westのイタリアンの店に入り、250gのステーキと230gのハンバーグをとり、子供たちにも分けようと思ったのだが、彼らの食欲が思いのほか旺盛で、こちらの取り分が余りなくなってしまった。
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July 16, 2010 =Fri=

娘が双子の孫を家の近くの靖国神社のお祭りに連れていくから、現地で合流しようと言ってくる。市ヶ谷駅を降りるとずっと神社まで人の波が続いている。南門から入って参道を九段方面に歩いて行くが、大変な人波だ。靖国神社といえば年配者の姿をイメージするが、ほとんどが若いカップルなどで、外国人観光客も多い。A級戦犯合祀問題などまったく関係ないようだ。携帯で連絡を取りつつ孫たちの姿を発見。参道には縁日の屋台が大鳥居の外から第二鳥居に至るまで隙間なく並んでいる。娘が孫たちに焼きとうもろこしを食べさせるというので屋台の列を端から端まで探したが見つからない。たこ焼きや焼きそばの店はいくつもあるのに。それでかき氷にしたが、今度は落ち着いて食べさせる場所がない。参道の真ん中あたりで盆踊りをやっていたので、踊りの輪の外側にわずかな空間を見つけた。氷が終わって本殿の方角に少し移動すると、今度はねぶた祭りの山車が動き出した。本物の青森のねぶた祭りの山車にくらべるとずっと小さいレプリカだそうだが、それでも近くで見るとかなりの迫力がある。

山車が引き返したところでわれわれも帰路につく。われわれも子供たちも、お祭りでは余り食べていないので、三人乗りのママチャリで来ていた娘が先に空いていそうな店を偵察に行く。結果、市ヶ谷駅の二階にある"To the Herbs"が空いてると連絡あり、ピザとパスタで夕食。
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July 15, 2010 =Thu=

生理的に嫌いな人間というのがいる。私にとって笑福亭鶴瓶という落語家がまさにそれだ。彼が出てくるとすぐにテレビのチャネルを切り替えることにしている。ところが最近、この男がなぜか売れっ子になっていて、しょっちゅうテレビに顔を出す。したがって私がチャネルを変えることも多くなる。まあ食わず嫌いということもあるから、あの顔が生理的に嫌いなだけで、別に悪い人ではないのだろうが、なぜ彼が人気があるのか理解できない。この前はなんと吉永小百合の映画にまで準主役で出ていた。

今日は最悪だった。乗った電車の中吊り広告をハンバーガーのマックが買い占めており、そのマックの広告がすべて鶴瓶の顔なのだ。少しでも広告に目がいかないよう、ペーパーバックに集中すべく努力していたのだが、気にしまいと思うと余計そっちに目が行ってしまう。マックは、日本法人の亡くなった創業社長とはご縁があったし、最近でこそ食べないが少し前まではそこそこビッグマックやチーズバーガーを食べていたのだが、これからは当分敬遠しよう。
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July 13, 2010 =Tue=

今朝もWさんと妻をブセナテラスに迎えに行って、そこでこのホテルで朝食。リムジンバスでいくつかのホテルを回って高速道路で那覇に戻る。拘束から眺める景色はいかにも沖縄らしいのどかなもの・・・と思いながら外を眺めていたが、青空と白い雲を背景に禍々しい三角形の飛行体がいくつも見える。米軍の戦闘機が訓練飛行をしているらしい。これが沖縄の現実なのだ。

バスは那覇空港に向かうのだが、われわれは旭橋の那覇バスターミナルで降りる。県庁近くにある沖縄一の百貨店により、そこの会長さんにあいさつ。妻の知人から、沖縄で何かやるなら何かあった時に力になってもらいなさいと紹介して頂いた。私よりはいくつか若いのだろうが、経営者の風格を備えた落ち着いた方だった。
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July 12, 2010 =Mon=

施設建築予定地近くの浜 名護市役所
今朝も蝉の大合唱で目を覚まし、ペンションの近くを散歩する。やはり散歩に出ていたIさんと出会う。息子が施設建築計画を建てている場所はペンションのすぐ近くだが、ここも崖道を降りたところにちいさな浜場ある。昨日言った浜辺より小さいが、ここもプライベートビーチの趣がある。

今日の飛行機で東京に帰るIさんをリムジンバスの出るブセナテラスへ送り、ついでに息子夫婦とともにここで朝食を食べようということに。ブセナテラスへ向かう途中、一級建築士のIさんは名護市役所を見たいという。象設計集団の代表作で、建築の世界では有名な建物なのだそうだ。実際に目にしてみるとそのインパクトは大きい。沖縄の風土に合わせた、風通しのよい建築物だ。Iさんも感激していたが、確かに市庁舎の傑作と言われるだけのことはある。

Wさんと妻は、今朝はマハイナウェルネスリゾートオキナワに泊まっているが、今晩はこのブセナテラスに移る予定だ。私は昨日も今日もペンションだが・・・。ブセナテラスは2000年の九州・沖縄サミットの会場となった万国津梁館と同じ敷地にあり、沖縄だけでなく全国でも有数の高級ホテルだ。ブセナとは、これらの建物がある部瀬名岬に由来する。ちなみに、このブセナテラスがこのあたりで最高のホテルかと言うと、このすぐ近くにある喜瀬別邸が規模はブセナより小さいものの、質的にはさらに高級なホテルなのだそうだ。
今帰仁城址入口


今帰仁城跡
息子が施設を建設しようとしている今帰仁村には世界遺産・今帰仁城跡がある。実際、ここに来るまではこんなところに世界遺産があるなんて知らなかったし、4ヶ月使く住んでいる息子たちもまだ行ったことがないという。もっとも、この城跡が単独でユネスコ世界遺産に登録されているのではなく、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として指定された9つの遺跡の一つである。Wさんと妻をマハイナに迎え、ブセナに送りかたがた、この城跡を訪れる。

琉球では、各地に按司(あじ)と呼ばれる有力者がグスク(城)を建てて近辺を支配していたが、14世紀に入ると次第にこれらが強力な王に統合され、北山、中山、南山の三人の王が支配者となる。15世紀には中山王である尚氏が北山、南山を滅ぼし、琉球王国を統一するのだが、この今帰仁城は北山王である怕尼芝(はにじ)王統の居城であった。2006年には中城城、首里城とともに日本の100名城にも指定されている。城跡といっても日本本土の城跡とはだいぶ趣が違う。山の傾斜に沿った石組など、どちらかというと2月に訪れたインドのアンベール城を思わせる。

夜は息子夫婦と名護市内の居酒屋へ出かける。息子が買おうとしている予定地の近くの土地を買ったIgさんという人が名護に住んでいて、この居酒屋もIgさんに教えてもらったらしいが、途中そのIgさんを呼び出す。息子夫婦は本人が東京、嫁さんが北海道だが、Igさんは本人が北海道の出、奥さんは東京と逆だが、そんな関係もあって親しいらしい。このIgさん、いまは4人の子供の父親だが、以前は海外青年協力隊で4年間ホンジュラスにいたことがあるという。いた時代は違うものの、パナマ在住4年の私とも縁がなくもない。
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July 11, 2010 =Sun=

ものすごい蝉の声で目を覚ます。ペンションの周りは自然がいっぱい。沖縄の夏、海辺の木々には大量の蝉が住みついているらしい。もっとも蝉のことだから、住みつくといってもたかだか一週間くらいのことだけど。朝食のあと、S君も一緒に車で近くの海に行く。ペンションの目の前も海なのだが、車で10分も行くともっときれいな海があるという。車の両側の窓を雑草がこするような道を進んでいくと、道の行き止まりに出る。車から降りてその先の道とも言えない崖道を降りると、たしかにペンションの近くの海より広い浜辺がある。だが潮が引いていてあちこちにサンゴ礁が浮き出ている。こんな辺鄙な場所だから、時々地元の人たちが貝を獲りにくる以外は人気も少ない。人目を気にするアトピー患者にはうってつけだ。干潮で深さ数十センチの海底には海鼠や海栗がごろごろしている。サンゴ礁の間にはコバルトブルーの小さな魚が泳ぎまわっている。

夕方、那覇からIさんとWさんがTさんの運転する車で到着。沖縄の不動産業者のNさん、建築設計のMさんも加わり、購入予定土地の問題点や設計の詳細について議論が長引く。このため、みんなでバーベキューを始めたのは8時ごろ。バーベキューの肉は昨日那覇から来るときに、「今帰仁で一番おいしい肉を売っている店」で購入したオージービーフ。
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July 10, 2010 =Sat=

朝8時15分羽田発のJAL便で那覇へ。那覇空港からタクシーで沖縄県立博物館へ。今日沖縄に来たのは、この県立博物館で沖管連(NPO法人沖縄県マンション管理組合連合会)の講演会があるからで、沖管連の会長が息子の沖縄事業で相談に乗ってもらっているTさん。講師が同じく息子の事業計画で設計をお願いしている一級建築士のIさん。もう一人の講師が東京の同じくNPO法人のWさん。Wさんは元練馬区議で妻とは政治繋がりで10数年来のつきあいだ。もちろんTさんもIさんもWさんを通じての協力者である。息子も県北部の今帰仁村(なきじんそん)から講演会に出てきている。講演会が終わり、皆で昼食の後、息子の車で今帰仁へ。

息子の事業とは次の通り。彼が幼少時からアトピー性皮膚炎に悩まされ、二浪ののち沖縄の大学に進学して沖縄の海にふれるうち、アトピーが克服できた経験から、医者になってからも沖縄でのアトピー性皮膚炎海洋療法をめざし、今年3月で旭川の病院を辞めて、結婚したばかりの新妻と一緒に沖縄に移住した。アトピー治療に沖縄の海と太陽が効くことは、必ずしも医学的な裏付けがあるわけではないが、経験的に多くの患者が知っているそうだ。しかし海に入るために沖縄で長期滞在するのは経済的にも大変だし、ただでさえアトピー患者は人目を気にする。そこで、観光客の多いビーチではなく、小さい浜辺でも人目が少なく、かつ水のきれいな海に面した土地を探し、そこにアトピー患者が安く泊まれる施設を造ろうというのが彼の事業計画である。趣旨に賛同してくれた不動産業者の紹介で今帰仁村の一角に格好の土地を見つけたが、いざ契約段階になってアクセス道路に問題があることが分かり、その解決のため計画が停滞している。今回のわれわれの訪問は、その問題解決のため不動産業者にはっぱをかけること、Iさんと現場を見て設計の詳細打ち合わせをすることだ。

現在、息子夫婦は施設建設予定地に隣接する、客室4室のこじんまりしたペンションに、管理人として住み込んでいる。この事業を始めるには地元の人たちの協力が不可欠であり、今から地元に住んで地元との人間関係を構築していこうというのも彼の計画の一環だ。われわれは今夜そのペンションに泊まり、明日はWさんたちも那覇でのNPO法人の仕事を終えてやってくる。ペンションには、アトピー患者のS君が2週間ほど前から泊まっている。かなり重度のアトピーで、息子のホームページを見て、施設が出来る前ではあるが藁にも縋る思いで愛知県からやってきたといいう。

ペンションに着いて、息子たち夫婦と食事に出ようとしていたら、村人の方が呼びに来た。近くの漁港の広場でいつもの集まりがあり、毎年季節的にやってくる小魚が獲れたので、ぜひ来いという。「今日は両親が来ているから」と辞退したが、「だったら親も連れてこい。」ということで、夕食は村の人たちと一緒にとることに。アトピーのS君も一緒だ。彼が人前に顔を出すのは、2週間前に来てから初めてだという。それだけ沖縄の海での療法が効いたのだろう。

広場には村の人たちが30人あまり集まっている。今日は模合(もあい)の集まりがあったのだそうだ。模合とは、本土で昔からある頼母子講、あるいは無尽講に当たるものだ。むかし、沖縄の会社のバランスシートを見ていて、資産項目に「模合金」という勘定科目があったのを思い出した。個人または法人がグループを組み、グループの中で一定額のお金を出し合い、抽選でメンバーのだれかがその拠出金を受け取る。お金に困っている人に拠出金受領権を譲る場合もある。抽選と言っても、一巡するまでメンバー全員が必ず一度拠出金を受け取ることになる。一種の相互扶助による金融組織で、日本では鎌倉時代からあるという。戦前は無尽会社が数多くあったが、戦後、ほとんどが相互銀行(後に第二地銀)に改組された。その原型ともいえる模合が現代にも息づいているのがここ沖縄なのだ。無尽会社という形でなく、共同体の中で模合が成立するためにはよほど強固な信頼関係が必要なのだろう。村の人たちのリーダーと思われる元村議の方と話していても、非常に濃密な人間関係が窺われる。その濃密な共同体の中で、本土から来た余所者である息子が受け入れられたのは、やはり彼の「事業」を本当に理解して頂けたからに他ならない。

さきほど話の出た、季節的にやってくる小魚とは、名前は忘れたが沖縄独特の、成長すると体長60センチくらいになる魚の稚魚で、この季節の満月の前後の一日だけ、浜辺を埋め尽くすほどの群がやってくるそうだ。大群は明日来るかもしれないし、来ないかもしれない。来れば村の人たちはボートで海上から追い込み、浜辺ではバケツで掬えるそうだ。
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July 7, 2010 =Wed=

日立の「神田クラブ」で、恒例の「松戸会」の暑気払い。登録メンバー34人の内、出席は15人。欠席者の内、少なくとも5人は体調不良が原因。私はメンバーの中で年齢順では真ん中あたりだが、こうした年長者の会合はメンバーが減ることはあっても増えることはない。それかでに貴重な会でもある。
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