大阪ダブル選挙

今日投開票が行われた大阪市長・大阪府知事選挙では、やはり橋下・松井の「大阪維新の会」なるファシスト連合が当確となった。私もかつて、30年くらい大阪府民だったこともあったので、もう少し大阪人の良識が示されるかと期待していたのだが、漫才師を知事に選んだ実績のある体質は変わっていないらしい。もっとも、ファシストを知事にいただく点では東京都も似たようなものだが。橋下の掲げる「大阪都構想」などどうでもいいが、許せないのは「日の丸・君が代強制条例」や「教育基本条例」などで次世代を担う子供たちの教育を私物化しようとしていること。世の中の風潮が変な方向に流れ始めているようで恐ろしい。

Facebookの自動翻訳

行きつけのトルコ料理店HiSARのフェイスブックページに投稿された記事の下に”See Translation”という表示があったので何気なくクリックすると、へんてこな英訳がでてきた。店に来たサウジアラビアの若者たちの写真に「久しぶりだよ。元気でうれしいよ、サウジアラビアっ子たち」という店長・Nさんのコメントが”I’m a long time doing good Saudi Arabia buggers. (Translated by Bing) “と翻訳されている。”buggers”なんて、とりようによっては失礼になるかもしれないので、Nさんに「変な翻訳ソフト使わない方がいいよ。」とメッセージを送ったら、「翻訳ソフトなんて使ってないよ。”See translation”なんて表示も出てないよ。」とのこと。それを見た他の人からも、「うちのPCにもそんな表示出てない。」とのメッセージ。とすれば私の方の設定に問題があるのかもしれない。それで気付いたのは、私はFBを英語に設定していること。しかし、”See Translation”の表示が出ているのはHiSARのページのうち最近のふたつのポストだけで、普通のウォールには出ていない。

調べて行くうちに、こんなサイトを見つけた。先月からFBのページに自動翻訳機能が付いたというのだ。自動翻訳を使うかどうかはオプションだが、ページの場合デフォルトで自動翻訳になっている。当面は日本語、韓国語、中国語、台湾語、ロシア語に限られるとあるが、日本語のページを英語のFBで見ると例の”See Translation”表示が出るらしい。自動翻訳機能はマイクロソフトのBing(ビング)というのを使っているようだが、Google翻訳と比べて精度がどうなのか、ちょっと試してみた。

手元にあったジョン・グリシャムの「ザ・ファーム」の一節をBingとGoogleで日本語に翻訳してみた。

(原文)The food was placed on folding tables around the pool. Grilled grouper, barbecued shark, pompano, fried shrimp, turtle and oysters, lobster and red snapper. It was all from the sea, and all fresh. The guests crowded around the tables and served themselves while waiters scurried back and forth with gallons of rum punch.

(JimーKat訳)食べ物はプールのまわりの折りたたみ式テーブルに置かれた。グリルしたハタ、バーベキューした鮫、コバンアジ、揚げたエビ、カメ肉や牡蠣、ロブスターにレッドスナッパー。みんな海から獲れた新鮮なものばかりだ。客たちはセルフサービスでテーブルの周りに集まり、ウェイターたちは大量のラムパンチを持って歩きまわっていた。

(Bing訳)食品の折りたたみ式テーブルはプールの周りに置かれました。グリル ハタ、バーベキュー サメ、コバンアジ、エビ、カメ牡蠣、ロブスターとは red snapper。それすべてから海、すべて新鮮だったと。ゲストのテーブルの周り混雑し、ウェイターを行ったり来たりラム パンチのガロンを燃やしながら自分を提供します。

(Google訳)食べ物は、プールの周りに折り畳み式のテーブルに置いた。焼きハタ、バーベキューサメ、コバンアジ、揚げエビ、カメ、カキ、ロブスター、レッドスナッパー。それは、海からすべてであり、すべて新鮮。ゲストは、テーブル周りに集まって、ウェイターがラムパンチのガロンで前後にscurriedしながら自分自身を務めた。

どっちもどっちだが、まだGoogleの方が意味が通じる。まあ日本語の場合、翻訳が難しいのはわかるが、フランス語から英語なら言語構造もそれほど違わないだろうと試してみたら、Googleはほぼ完ぺきに意味が通じるのに対して、Bingは70点くらいだろうか。あまり急いでFBにいろんな機能を追加するもの考え物だと思うよ、ザッカーバーグ君。

立川談志

今日のニュースで流れたが、亡くなったのは一昨日とのこと。鼻っ柱の強いのはいいとして、人を小馬鹿にするような印象があり、あまり好きな噺家ではなかったが、話芸の巧みさと、なによりもテレビ番組「笑点」の創始者としての功績は大きい。私も毎週日曜の「笑点」は楽しみにしている。

談志を初めて生で見たのは30年以上前、日本航空アテネ支店が在留邦人のために年一回開いていた「日航寄席」でだった。インターネットもケーブルテレビもない時代、在留邦人の楽しみといえば「日航寄席」と、あとは大使館が主催する「紅白歌合戦」の映画(ビデオもなかった)上映くらいだった。「紅白」のフィルムが送られてくるのは翌年の夏ごろで、暑い中で日本の大晦日の映像に見入ったものだ。談志が「日航寄席」に来たのは参議院議員を任期満了で辞めたあとだから、1978年か79年ごろだったと思う。「ex senator(前参議院議員)」という肩書きの付いた名刺を出席者に配っていた。弟子を二人ほど引き連れ、「今回の巡業はアフリカにも行くので、ゴリラに似た奴を連れてきました。」とか言っていた。当時、日本航空には南回り路線があり、カイロにも就航していたから、おそらくカイロでも日航寄席をやったのかもしれない。それとも「沈まぬ太陽」のモデルとなった小倉寛太郎氏がいた(当時はすでに帰国したいたはずだが)ナイロビ営業所にも行ったのだろうか。

もっと年上かと思っていたが、享年75歳。喉頭癌だった。「笑点」司会者の桂歌丸、メンバーの林家木久扇も同じ1936年生まれの75歳。以前座布団運びをやっていた毒蝮三太夫も同年だ。

日野原重明氏

過去の日記を読み返してみたら、2007年2月に見学に訪れていた。月島にあるサンシティ銀座EASTという高齢者用マンション。もう一度見学に来たのは、今日は施設見学と昼食のあとに、日野原重明氏の100歳記念講演があるとのDMが来ていたからだ。講演といっても実際は今年6月に宝塚のホテルで行われた講演のビデオ上映であり生出演ではない。だが、1000人の聴衆(5000人を超える申し込みに抽選で選ばれたという。)を前に、100歳の日野原氏が1時間立ったままで講演し、「100歳はスタート地点で、あと10年はほしい。」とのたまうのは流石というしかない。内容も、話があちこち飛ぶことは飛ぶものの、決して論理を外さないのは頭もしっかりしている証拠だ。

日野原氏といえば、6年前に92歳で亡くなった母が、テレビで日野原氏が映るたびに、「あんたはあの先生に取り上げてもらったんだよ。」と言っていたのを思い出す。まあ、母は聖路加国際病院の先生だということで、そう思い込んでいたのだろう。確かに、Wikipediaで調べてみると、私が聖路加で生まれた1941年に日野原氏は聖路加の医師になっているし、当時先生は30歳だから全くあり得ない話ではないのだが、先生は内科であって産婦人科ではない。いくら戦前とは言え、内科の先生が産科の手伝いをするはずはないだろう。

講演ビデオの後、ついでだからと聖路加タワーにある同様の高齢者マンション(聖路加レジデンス)も見学した。サンシティ銀座も入居金や管理費など、経済的に手が届きにくいが、聖路加の方はまったく逆立ちしても届かない。それもそのはず、元首相と元総務大臣の兄弟に毎月1500万円のお小遣いを渡していた鳩山ママが住んでいるのがここなのだ。聖路加で生まれた私としては、ここで生涯を終えることができればと思うのだが、それはまったく高嶺の花でしかない。見学に行っただけなのに、サンシティでも聖路加でも、それぞれ日野原先生の著書をいただいた。

帰りは通称「もんじゃ横町」に寄って、めったに食べることのない「もんじゃ焼」で夕食にする。

西新宿8年半の変遷(夜景)

17日に我が家のベランダから眺めた西新宿の8年半前の変遷を示す写真を掲載したが、昼間の風景が変われば夜景も変わる。今日掲載するのもやはり我が家から眺めた西新宿の夜景で、今と8年半前のもの。建物が増えた分、夜の光が違うのは当然だが、夜景で一番目立つのは、画面中央、新宿プリンスホテルの右側に明るい光源が見えること。パノラマ写真ではよくわからないが、ズーム撮影したのが下の写真。ヤマダ電機の入っているビル壁面に取り付けられた巨大な電飾広告板。YUNIKA VISIONという名で、3つのスクリーンのそれぞれが100㎡あるそうだ。かなり電力を食いそうだが、原発事故以来節電が叫ばれていたときにも消えることはなかった。一方、中央やや右寄りの、エムパイアステートビルをまねたようなDocomoのビルは、8年半前の写真では照明に照らされた時計台が写っているが、今の写真では照明は消えていて、周りが明るくなったせいか闇に溶け込んでしまっている。

西新宿8年半の変遷

上の写真は我が家のベランダから見た西新宿の眺めで、昨日撮ったもの。下の写真は2003年5月に自分のHPを立ち上げたときにバナーに張ったもの。遠くに見える六本木ヒルズ(2003年4月オープン)はまだ工事中のようなので、実際に撮ったのはもっと前だったかもしれない。上と下の写真、一見しただけで違いははっきりとわかる。左側に大きく聳え立つ高層マンション、右寄りに建つコクーン(繭)ビル、右端の高層ビル群の一部など、この8年間に新しく増えたが、よく見ればそのほかにも新たにできたビルがいくつもある。下の写真のころ、私は定年退職後嘱託として継続勤務していた商社から、知人の紹介で美容関係の会社に転職する準備をしていた。その後、私は美容関係の会社から元の商社の子会社に戻り、先日、そこも退職してようやくフリーの身になった。この間、政界では政権交代があり、首相は7人目となった。リーマンショックが起こったし、円ドルは120円前後から75円台になった。アテネと北京でオリンピックが開かれ、プロ野球の球団のうち3つの名前が変わった。そして東日本大震災があり、福島では原発が爆発した。私自身はこれからはもう変わりようもないが、都庁を擁し、新都心と位置付けられる西新宿は、これからも替わり続けて行くことだろう。

11/11/11

2011年11月11日、1の横並びということで、この日に挙式や入籍しようというカップルが多かったり(そういえばうちの息子夫婦の入籍は平成22年2月22日だった。)、横並びの日付の電車切符を求める人の行列ができたり、2ちゃんねるの投稿日時の2011年11月11日11時11分11秒を争ったりとか、罪のない騒ぎが起きている。その一方、この日に何か大変事が起きるのではないか、という予言が飛び出したりしている。確かに、米国同時テロが9月11日、東日本大震災が3月11日と、11という日付には因縁があるから、その11が三つ重なる日には何かあるのでは、との不安心理が働くことは想像しがたいことではない。だがその11/11/11も、とりたてて大きな事件もなく(巨人の球団代表がナベツネに楯突いたことくらいか)、日本時間ならあと1時間半ほどで過ぎ行こうとしている。

バースディ・ディナー

今日で70歳の大台に乗った。9月末で会社は辞めているので、生活には特に変化はない。妻が記念にディナーでもと言っていたが、今日は夕方にエステック情報ビルの歯科医とアポイントがあり、深いところにある歯石を取るのに麻酔をかけると言っていたので、ちゃんとした夕食が取れるかどうか不安もあり、どうするか決めかねていた。だが、歯科医の麻酔はあまり大したことはなく、治療が終わったのは午後5時前だが、2時間ほどは麻酔が残るので間違って頬の内側を噛まないようにと注意された程度。で、どこにするか考えながら家に向かって歩いていると、近くに以前ランチに行ったフランス料理店があるのを思い出した。ビストロ・コロリスという、表通りからは少し入ったところで、裏通りからも引っ込んだところに建っている古いビルの一階にある。ロケーションはよくないが、家からは5分くらい。店の前まで行き、看板に書いてある電話番号にかけて、7時から予約できるかと聞くとOKの返事。

麻酔も覚めたところでビストロに行くと、いつもの女性オーナーシェフは所用ででかけていて、若い男性シェフが一人で料理と接客をしている。予約は私たちだけで貸し切り状態だが、まだ20代のシェフで大丈夫かな?と不安を感じたが、出てきた料理はしっかりしたもの。コースは4500円の前菜・スープ・メイン(肉または魚)・デザート・飲み物。食前酒にティオペペ、ワインはチリの赤と白をグラスで注文した。この店では、ランチが1300円から2500円、ディナーは3150円から5600円と手頃で敷居は高くない。シェフに聞くと、彼はこの店にはまだ2カ月で、それまではパリ16区のレストランで修行していたとのこと。大学では法学部だったが、飲食店でアルバイトをするうちに料理の道を進もうと決めたのだそうだ。今は独身だが、パリにはフィアンセと一緒に行っていて、彼女の方はパティシェの勉強をしていた。出てきたデザートもなかなか凝っていたので、内緒でパティシェの彼女を呼んで作らせたのでは、と冷やかしてやった。

横須賀

週末は横須賀で一泊。老後の棲みかとしてケア付き高齢者住宅というのを体験宿泊。神奈川県の住宅供給公社が運営しているもので、十数年分の家賃と将来的に介護が必要になった場合の介護費用を一括して払えば、何歳まで生きようと毎月の管理費と食費、光熱費だけで居住でき、もし寝たきりにでもなれば追加支出なしにケア施設への入居が保障されるというシステム。入居時に一括して払う金額は○千万円が必要だ。同じようなシステムで民間経営のものもある。高齢になるほど一括支払いの資金は少なくて済むが、入居時には夫婦とも健常であることが条件となる。同公社の物件は横浜や向ヶ丘遊園などにもあり、これらの施設も入居体験済み。実際に入居するのはまだ数年先になると思うが。

で、せっかく横須賀まで行ったのだからと、駅前からバスに乗って三笠公園に行く。ここには日露戦争の立役者である「戦艦三笠」が展示されているが、今日は「産業フェア」が開催されていて、基地の米兵やその家族も含め結構な人出だった。軍国的なものにはあまり興味はないのだが、三笠にも乗ってみた。1900年に英国で建造された三笠は、1922年のワシントン軍縮条約で廃艦が決まり、翌年の関東大震災で岸壁に衝突して破損、1925年以降横須賀港に着床して保存されているが、戦後は駐留軍のキャバレーやダンスホールに使われたり、砲身や備品類は戦後の物資不足の時期に持ち去られ、米海軍のニミッツ提督らが提唱して復元されたという。

三笠公園からタクシーを拾って横須賀市美術館へ。同じ横須賀市内といってもかなり距離があり、タクシー料金は2420円。観音崎にあり、美術館の建物自体、総ガラス張りの2階建てで広大。「トリック&ユーモア展」としてエッシャーやマグリット、それに浮世絵の歌川国芳などの、だまし絵系の絵画、彫刻などが展示されている。地下の収蔵品展示や別棟の谷内六郎館(週刊新潮の表紙絵を展示)などすべて見て回るとかなりの距離を歩いたことになる。この展覧会は今日までで、しかも産業フェアに合わせて半額料金になっているせいか、足の便が悪いにもかかわらずかなり混んでいた。帰りはバスを待ったがこれがなかなか来ない。横須賀駅から観音崎へのバスで、乗るのは観音崎から折り返しで一つ目のバス停なのだが、駅からのバスが来ない以上、折り返しのバスも来ないわけだが、一時間に3本のバスがやっと来たのは次のバスと同時だった。

自炊

自炊といっても一人暮らしを始めたわけではない。手持ちの本の背の部分を一冊100円でカットしてもらい、バラバラになった本をScanSnapにかけて連続両面コピーする。このとき必ずモノクロでスキャンするのがこつ。モノクロ・カラー自動判別という設定もできるが、古い本は紙が黄ばんだりして、ScanSnapがカラーページと判定してしまう場合があるからだ。カットする前に外しておいたカバーもカラースキャンして、本文部分と併せ一つのファイルにまとめる。これで電子書籍の出来上がり。あとは当面読みたいものをiTunesを通じてiPadに移せばよい。iPad上ではページをめくる感覚で本物の本と同じように読める。字の大きさも替えられるから、紙の本よりも読みやすいし、大量の本を持ち歩くこともできる。数えてみたらこれまでに175冊をこの方法で電子化していた。大部分が文庫本だが、学生時代に読んでいた「サルトル全集」もすべて電子化した。もちろんデータが失われればそれまでなので、外付けHDにバックアップを取っているが、これからはiCloudなどの利用も考えられる。

おかげで本棚がかなりすっきりしたが、問題はバラバラにした本(の残骸)をどうするか。高校時代に文芸部に属し、部誌を発行した経験があるせいか、本の形になったものを捨てるのに抵抗を感じる性癖がある。自炊のために背をカットするだけでも抵抗感を押し切ってやっているのだが、自炊後の本も読もうと思えば読めないこともなく、何かに利用できないかと、とくに好きな作家の作品を中心に、捨てずに残していた。だが考えてみれば、これを人にあげたり、古本屋で引き取ってもらったり(現状、引き取るところはないと思うが)したら、手に入れた人はそれをそのままScanSnapにかければ全く同じ電子書籍が作れるので、著作権侵害になることは明らかだ。いまm個人で行う自炊自体は著作権法に違反しないが、自炊代行業者が業務として自炊をやるのが著作権法に触れるかどうかで問題となっている。一部の代行業者も問題はわかっていて、依頼された本の背をカットするだけで、ScanSnapをレンタルで依頼者に貸し、依頼者が自分でスキャンするという苦肉の策を出しているところもある。

で、やはり著作権法に抵触する行為はしたくないので、とっておいた自炊後の本もすべて処分することにした。手頃な大きさにまとめ、ビニール紐で括って資源ゴミに出すのだが、この段階に至ってもなお、一冊ずつページを揃え、カバーでくるんで出すのは、やはり本への愛着を捨てきれぬ性からだ。うちのマンションでは、フロアごとに設けられたゴミ置き場に分別して出すのだが、ゴミを回収する係りの人は急に出てきた大量の本(の残骸)に驚いているかもしれない。